2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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世界文化遺産の古都、マラケシュ見学の続きです。サアード朝の墳墓群は保存状態が極めて良好でした。その理由は、サアード朝を倒したアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王は、マラケシュの街をすべて焼き払うように命じましたが、この墳墓は破壊せず、高い壁で囲んで外から誰も入れないようにしたためです。これにより、墳墓群が昔の姿のままで、今日まで保存されることになりました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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両側が高い壁に挟まれた小路の光景です。現地ガイドさんによれば、イスラムの国ではプライバシーを重んじるため、通路側には余り窓を設けていないとも説明されていました。上方に小窓があるだけの建物光景です。
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入口の脇に置いてあった古い大砲です。現役を下りてから、長い年月が経ったようです。煉瓦造りの台座の上にありました。第二の人生を、モロッコの観光支援役として頑張っているようでした。
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イチオシ
仮面を売っていたお店の店先光景です。あごの部分が尖っているところに共通性がありました。木製に仮面に地味な彩色が施されているようです。飾り物用らしく、大きさはマチマチでした。
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旧市街の商店街の光景です。地元の方の顔を写さないよう、注意しながらの撮影です。断りなしに他人の顔を撮影しないのが、イスラムの国では共通した注意事項とされます。殊に女性の顔を撮影するのはタブーです。
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旧市街の街並み光景です。前方に、通りを塞ぐようにアーチ型の2つの門が見えています。その門の先には城壁らしいものが見えました。今は機能していないようですが、門の上は巡視路や盾の構造になっているようです。
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サアード朝の墳墓群に向かう途中で撮影した1枚です。建物の屋根の隙間から眺めた青空の光景です。モロッコは、雨の少ない砂漠の国のようですから、雲のない青空が、普段の景色になるのかも知れません。
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現在は世界遺産に指定されたサアード朝の墳墓群ですが、今日の姿を見ることが出来るのにはエピソードが残っています。サアード朝を倒したアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王は、マラケシュの街をすべて焼き払うように命じましたが、この墳墓は破壊せず、高い壁で囲んで外から誰も入れないようにしました。このために墳墓群が今日まで保存されることになりました。
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屋外の墳墓のアップ光景です。全てモザイク模様で飾られ、その中に白大理石で造られたような三角形の墓標がありました。サアード朝の墳墓群は、20世紀に空から発見されるまで忘れ去られていました。
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サアード朝の墳墓群の紹介です。16世紀頃のモロッコのサアード朝の代々のイスラム教国の君主や貴族が眠る大墓廟群です。100年ほど続いたサアード朝です。歴代王やその親族が埋葬された墳墓のほか、使用人達の墳墓もあるようです。
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屋外の墳墓と、その周りの建物光景です。イスラム教時代のものですから、飾りは肖像画などは排され、全てアラベスクと呼ばれる幾何学模様などでした。墓の向きはメッカの方角と関係しているようです。
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高い壁で囲まれた墳墓群は、300年ほどの長い眠りにつきました。この墳墓が発見されたのは、第1次世界大戦中の1917年のこととされます。フランス軍が空から発見しました。モロッコは北西部のスペイン領を除き、1912年からフランスが保護国として支配、それに反発する民族抵抗運動も続きました。
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サアード朝の歴代王が眠る廟の入口です。入口は1メートル程と狭くなっていました。『12円柱の間』と呼ばれる建物です。入口から、順番に内部を見学しました。白壁に緑の照明が印象的でした。
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イチオシ
ライトアップされた廟内の光景です。中央の一番大きな墓が、『サアード朝(1549~1659年)』の黄金王と呼ばれる『アフメド・アル・マンスール(1578~1603年)』の墓です。全身に白い布を巻き、顔だけをメッカの方向に向けて葬むられるようです。2~3年経てば、骨だけになるようです。
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緑っぽい青色にライトアップされていた廟内の光景です。下部が細い石柱を見ますと、スペインのアルハンブラ宮殿を思い出します。アルハンブラ宮殿が現在の形に近くなったのは、イベリア半島最後のイスラム王国であり、グラナダを首都とした『ナスル朝(1238~1492年)』の時代です。モロッコとも深いつながりがあるようです。ナスル朝は、イベリア半島最南部に13世紀から15世紀末まで存在していたイスラム王朝です。
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廟の中の壁面の光景です。暗い中ですが、タイルを使った装飾がありました。『12円柱の間』の一番奥の壁面の光景です。1492年、ナスル王朝がスペイン帝国に征服されたことで、イベリア半島におけるキリスト教勢力によるレコンキスタ(再征服運動)が完了しました。
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建物内部の上部のアップ光景です。この建物は、カラフルなライトアップはされていませんでした。造りも、先ほど紹介した『12円柱の間』と比べますと、随分質素に見えます。正面に見えるのは、明かり採りのアーチ窓です。
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室内にあった墳墓のアップ光景です。色鮮やかなタイルで、幾何学文様が描かれていました。王室と関係が深い、血縁関係の人か、あるいは功績があった高位の人などのお墓あたりかも知れません。
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斜めから眺めた出入口の光景です。大きくはないものの、重厚な雰囲気がある造りです。低い部分の石柱には、大理石が使われているようです。先にも紹介しましたが、『サアード朝を倒したアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王は、マラケシュの街をすべて焼き払うように命じましたが、死への冒涜に関する迷信を信じていた王は、この墳墓は破壊せず、高い壁で囲んで外から誰も入れないようにした』と伝わります。
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明り採りの窓でしょうか、ステンドグラス風のガラスが嵌め込まれた小さな窓がありました。ステンドグラスが奇麗なのは、キリスト教会です。イスラム教のモスクは礼拝の妨げとなるとの理由であまり使用されないようです。キリスト教会の方は、ゴチック建築で大きな窓の設置が可能になったことで、ステンドグラスは大きな発展を遂げました。
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廟の室内光景です。お墓といった暗さよりも、格調と落ち着いた雰囲気が漂った空間でした。300年間手入れをされずに、この保存状態の良さです。木造建築の場合には考えられないことです。
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イチオシ
細かな彫刻が、隙間なく施された漆喰仕上げの壁面の装飾光景です。抽象化されたアラベスク文様になるようです。アラビア文字も彫刻されているようですが、コーランの一節でしょうか。
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入口上部のアップ光景です。柱の下部には、イタリア産とされる白大理石が使われているようです。モロッコは良質の大理石を産出しませんから、高額なおカネを払って輸入されたようです。
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この柱の上部の部分は漆喰技術のようです。繊細な彫刻が施されていました。現地ガイドさんの説明によれば、漆喰には大理石の粉も使われているようです。大理石は、貴重な資材として有効活用されたようです。
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入口の上部部分の装飾のアップ光景です。細かな漆喰の装飾も、アルハンブラ宮殿の装飾との共通性を思い出させます。漆喰は、水酸化カルシウム(消石灰)を主成分とした建材ですが、骨材などの各種の物が混合され、特色を出しています。この地方では、大理石の粉も混ぜあわされているようです。
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サアード朝の墳墓群の建物の重要な建築資材には、現地ガイドさんの説明によれば、大理石、漆喰とアトラス杉が使われているようです。入口上部には、繊細な彫刻が施されたアトラス杉が使われているようです。
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『サアード朝の墳墓群』中庭の光景です。300年に亘って、人の目に触れなかった場所とは、なかなか信じられない空間でした。『マラケシュの旧市街』として1985年に世界文化遺産に登録されていますが、その構成部分になるようです。
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同じく、『サアード朝の墳墓群』中庭の光景です。混み合うほどの大勢ではありませんでしたが、見学者が絶えない世界遺産のようです。モロッコには、1981年に登録された『フェス旧市街』から、2012年に登録された『近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト』まで、合計九つの世界遺産があります。すべてが文化遺産です。
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中庭に映えていた大木の根元の光景です。根元から幹が分かれた椰子の樹です。背後の高い壁が、『サアード朝の墳墓群』を300年の静かな眠りに付かせたものでしょうか、外国には300年知られなくても、地元では承知されていた墳墓のように思えます。
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エンジェル・トランペットの白い花の光景です。別名、ダチュラの名前もあります。和名は、木立朝鮮朝顔で、ナス科キダチチョウセンアサガオ属の植物です。日本でもよく見かける植物です。薬草に使われることもありますが、一般には毒草として扱われます。
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エンジェル・トランペットの白い花のズームアップ光景です。原産地は中南米やインドとされます。花言葉には、愛敬、偽りの魅力、変装や愛嬌があります。キダチチョウセンアサガオ属は、高木または低木で、下向きの花をつけますが、チョウセンアサガオ属は、一年草または多年草で、上向きの花をつけます。この花は、横向きと表現したい咲き方です。
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