2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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カスバ街道をエルフードへ向かう途中、ワルザザードの景勝地のトドラ渓谷を見学しました。川沿いに椰子の樹が茂り、無数のベルベル人の集落が見えました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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トドラ渓谷は、隆起した石灰岩を、涸れ川が侵食したことで形成された地形です。その景観から、アリゾナ州の北部にある峡谷、グランドキャニオンに例えられることもあります。そのトドラ渓谷への道を辿りながら、『サハラ砂漠』のついての紹介の続きです。
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サハラの先住民は、西部全体に居住する白人系のベルベル人と、ティベスティ山脈周辺に居住する黒人系のテダ人(トゥブ人)です。これに、6世紀以降東からやってきたアラブ人と、アラブ人とベルベル人の両方の祖先を持ちイスラム化されたムーア人がいます。(ウィキペディア)
*写真は、アンティアトラス山脈の北側に位置するオアシスの光景です。 -
ムーア人は西方のモーリタニア周辺を中心に居住しています。サハラの伝統的産業は、オアシスでの農業と遊牧です。フォガラと呼ばれる地下水路によって水をオアシスまで引き込むことも多く行われています。オアシスで栽培されるものはナツメヤシが中心です。(同上)
*写真は、アンティアトラス山脈の北側のオアシスの都市、ティネリールのようです。 -
サハラ砂漠周辺への人類の定住は古く、50万年前に遡ります。石碑などの出土品からは、当初この地帯は湿潤な気候で、野牛などの狩猟が行われたことが伺われます。アフリカ沿岸の航路が開拓されるまでは、サハラ砂漠内にはいくつかの重要な通商路が存在しました。(同上)
*写真は、オアシスの都市、ティネリールは、トドラ渓谷までは10キロ程の距離です。 -
考古学的にも、サハラ周辺とほかの地域との交易が有史以前から行われたことが明らかにされています。アルジェリア南東部のタッシリ・ナジェールやニジェール北部のアイル山地、リビア西部のタドラルト・アカクスなどでは洞窟壁画が発見され、その移り変わりによってサハラの気候変化と、それにともなう人々の生活の変化がわかる重要な資料となっています。(同上)
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イチオシ
サハラ砂漠の先史時代の紹介です。
〇ブバルス時代(Bubalus period:紀元前35000年頃~紀元前8000年頃):野牛、ゾウ、カバなど、今日ではこの地域で絶滅した動物が生息したことが伺われます。人間はおもに棍棒で武装したものと推定され、ほかに斧や弓が使用されましたが、槍は使用されず、一部では兜も用いられました。(同上) -
〇家畜時代(Cattle period:紀元前7500年頃~紀元前4000年頃):家畜の飼育が普及、ヒツジとヤギが飼育され、窯業が始まりました。研磨による石斧や石の鏃などが生産されるようになり、弓矢はおもに狩猟のために使用されました。家畜類はアジアから輸入されました。この時代の後期には村落が形成され、より多数の人口が維持可能になりました。(同上)
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〇イマジゲン時代(Imazighen period:紀元前3000年頃~紀元前700年頃):この時代の初期からウマ、ラクダ、乳牛の飼育が行われました。イマジゲンは、ベルベル人のことです。紀元前1220年頃から、フェニキア人との交易により鉄器がもたらされました。(続く)
*写真は、オアシスの都市のティネリールの光景が続きます。 -
サハラ砂漠からエジプト方面に亘って、いくつかの王国による連合体が作られました。これらの王国は海岸付近に位置しましたが、中には砂漠の中にまで及ぶ王国もありました。(同上)
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〇歴史時代(カルタゴ):サハラ砂漠の歴史時代の紹介です。最も早い時期には、地中海沿岸に都市国家が栄えるようになりました。中でも有力だったのが、地中海に面するフェニキア人の植民地を元とする都市国家『カルタゴ』です。紀元前8世紀ごろから紀元前3世紀ごろにかけて繁栄しました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):カルタゴの中心となる都市(首都)は、チュニス湖東岸にありました。地理的には、現在のチュニジア共和国の北側を中心としました。カルタゴは造船技術や水運や海上貿易のノウハウに優れ、地中海の貿易によって経済力や軍事力を誇り、地中海の西部の海上交易を支配しました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):カルタゴは、文化の中心地としても栄え、アフリカ北岸の広域やイベリア半島の南側を領土として支配しました。地中海南岸に本拠地を持つ大国でした。地中海北側に本拠地を持つローマと覇を競いました。カルタゴには、元々はベルベル人が住んでいました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):紀元前9世紀頃に、地中海東岸のティルスを本拠地としたフェニキア人によって、カルタゴは植民都市の一つとなりました。本国のティルスがアッシリアに支配されてからは、フェニキア人にとってはカルタゴのほうが本拠地となり、ここを拠点として西地中海の貿易を支配していきました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):その後、地中海北側から突き出たイタリア半島を本拠地に台頭してきたローマと、地中海の覇権を競うライバル関係となり敵対し、地中海覇権の鍵を握る中央部の島々(シシリア島など)の支配をめぐってローマと軍事的に激突しました。カルタゴとローマの間の一連の戦争は、『ポエニ戦争(紀元前264~紀元前146年)』と呼ばれています。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):『ポエニ』は、ローマからのカルタゴの呼び名です。造船技術に非常に優れ、海軍力に優れたカルタゴに対して、ローマは陸上の歩兵戦では優れていましたが海戦は苦手とし、両国の軍隊は対照的でした。カルタゴからは、ハミルカル・バルカ、ハンニバル・バルカなど、幾人もの卓越した軍事司令官が輩出されました。(続く)
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イチオシ
〇歴史時代(カルタゴ):カルタゴは、ローマの本拠地を攻撃する目的で、『アルプス越え』も行いました。北側から陸伝いに攻撃を行い、歴史に残るような大勝も成し遂げました。紀元前218年の『ハンニバルのアルプス越え』として、今も有名です。しかし、ローマの本拠地を支配することには成功せず、強大化しつづけるローマに対して次第に劣勢になりました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):ついには、カルタゴの本拠地の城塞都市もローマの大軍に包囲され、それでも三重の強固な城壁に護られた城塞都市のおかげで、何年にも渡り籠城戦に耐えましが、力尽き、ローマ軍に城壁を乗り越えられ都市を全て焼き払われ、元々50万人はいたカルタゴ人は5万人になりました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):生き残ったカルタゴ人も逃亡したり、奴隷になりました。遂にカルタゴは滅亡しました。滅亡したカルタゴの土地には、塩が撒かれ、作物も取れないように荒廃しました。しかし、紀元前45年にカエサルによって再建され、ローマ帝国の都市、ローマ帝国内屈指の大都市として繁栄しました。(続く)
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〇歴史時代(カルタゴ):現在のチュニジアにあるカルタゴ遺跡は、世界遺産に登録され、歴史的な遺跡のある観光地となっています。行政上はチュニス県カルタゴ市としてチュニジアの首都圏の一部となっています。『カルタゴ』の名は、フェニキア語の『カルト・ハダシュト(新しい町)』に由来します。現在見学できる遺跡は、全て古代ローマ時代のものです。(同上)
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砂漠のような荒れ地に描かれた白い文字と、モロッコの国旗や国章に使われている『緑の五芒星「スレイマン(ソロモン)の印章」です。文字は読めませんが、国や国王を讃える言葉が記されているようです。ハンニバルの『アルプス越え』は、カルタゴから西に向かい、現在のモロッコと、スペインの間のジブラルタル海峡を渡り、ピレネー山脈とアルプス山脈を越えたようです。
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〇歴史時代:共和政ローマによってカルタゴが滅ぼされると、これらの地域はローマの勢力下で、属州に分割されました。しかしこれら諸国の支配は海岸部に限られ、サハラ砂漠内には及びませんでした。紀元前20年にはローマ帝国がガラマンテス(現リビア)の首都ガラマを占領しましたが、恒久的に領土化することはありませんでした。(ウィキペディア)
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イチオシ
〇歴史時代:サハラ砂漠内の諸民族で、もっとも早く文献に登場するのはトゥアレグ人の先祖とされるガラマンテス人です。これは現在のフェザーンに本拠を置いた民族で、紀元前5世紀ごろから5世紀ごろまで栄えました。ガラマンテス人は馬車を使用し、穴居する黒人を狩ったとされます。(同上)
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〇歴史時代:この時代の馬車の絵がトリポリからガオまで、またアルジェリア南部からセネガル方面までの2ルートで砂漠を縦断するように発見されています。馬車の絵は常に戦闘状態で描かれ、またサハラの南北双方においてサハラを越えた先の物品の出土はありません。この時代にはサハラを越えての通商はまだ行われていなかったようです。(同上)
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〇歴史時代:サハラの歴史に重大な転機が訪れるのは3世紀頃です。この頃サハラにラクダが普及し始め、馬に比べてはるかに砂漠に強いラクダの使用によって砂漠越えの通商が採算に合うようになりました。このころから、サハラに居住する民族によってサハラ交易が徐々に拡大していきました。(同上)
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〇歴史時代:やがてローマ帝国が衰えると、ヴァンダル人がイベリア半島経由で北アフリカに進入し、『ヴァンダル王国(435~534年)』を築きました。ヴァンダル王国は、『東ローマ帝国(395~1453年)』によって再び征服されました。647年頃に『イスラム帝国(定義不明確)』が北アフリカを征服すると、サハラ交易はさらに盛んになりました。(同上)
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〇歴史時代:北アフリカにおけるイスラム教の隆盛とアラブ人の進出とともに、砂漠に住むベルベル人たちもハワーリジュ派のイスラム教を受け入れ、サハラ砂漠は徐々にイスラム教化されました。この頃、砂漠の南のサヘル地帯にも西アフリカ最初の黒人帝国の『ガーナ王国(4世紀頃~12世紀頃)』が成立し、特に塩と金のサハラ交易に基盤を置き繁栄しました。(同上)
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〇歴史時代:サハラ交易の基盤は、北の塩と南の金の交換でした。北の塩床の塩を砂漠を越えて南へ運び、サヘルの黒人王国まで運び、黒人王国はこの塩をさらに南、セネガル川やニジェール川最上流の産金地帯まで運び、金と交換しました。この金を北の商人に渡す流れは、16世紀にポルトガル人が海岸地方に来航するまでサハラ交易の基本システムでした。(同上)
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〇歴史時代:1040年、ベルベル系の砂漠の遊牧民サンハージャ族の間でイスラム教の改革運動が起き、1056年、この教団がムラービト朝を建国しました。ムラービト朝はサハラを北進してシジルマサを押さえ、モロッコ、さらにはスペイン南部を占領する一方、南のガーナ王国を、1076年に滅ぼし、サハラ砂漠の南北に跨る領土を持つ最初の国家となりました。(同上)
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〇歴史時代:1087年、ガーナは再独立したものの、往年の力はなく、やがて13世紀に入るとその南のマリ帝国が力を持つようになり、西アフリカの覇者となりました。マリはニジェール川流域を支配下に置き、サハラ交易によって栄え、マンサ・ムーサ王がサハラ砂漠を越えてメッカへと巡礼に向かうなどしましたが、15世紀には衰えました。(同上)
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〇歴史時代(~16世紀):マリのあとに西アフリカを支配したのはソンガイ帝国です。14世紀に強大となったこの王朝は、サハラ中央部のテガザ塩鉱を支配下に置き、塩と金の双方を支配下に置くことで繁栄しました。しかし、16世紀末にテガザ塩鉱の支配権をめぐって北のモロッコのサアド朝と紛争を起こし、1592年にサアド朝の遠征軍により滅ぼされました。(同上)
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