2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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2泊するフェズのホテルには暗くなってから到着しました。この日の夕食は、そのホテルでした。夕食の後、ホテル界隈の夜の散策に出掛けました。メルズーカ大砂丘の日の出で始まった今日の見学でしたが、素晴らしい夕日が締め括りとなった一日でした。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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『バーバリライオン』の石像です。食肉目ネコ科に属するライオンの一亜種で、アフリカ北部(マグリブ、現在のリビアからモロッコ)に生息していました。別名はアトラスライオンです。その堂々とした姿から『百獣の王』と呼ばれるライオンですが、その中でも最も体が大きく見事なタテガミを持つバーバリライオンは、古代エジプトでは神と崇められていました。(同上)
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高い戦闘能力を持っていた事が災いし、バーバリライオンは人にとっては危険な害獣として、必要以上に駆除されたり、生息地域を追われるなどして急速に数を減らしました。1922年にフランス人の入植者の手によって、野生の環境下に住む最後の一頭が射殺され、絶滅が宣言されました。現地ガイドさんは、バーバリライオンの最後の1頭が、このライオンと紹介されていました。ライオンとは思えないほどの巨体でした。記録された最大の個体は全長は4メートル以上、3.25mの頭胴長と75cmの尻尾、と現存のどの亜種よりも大型で、胸板が厚く、非常に黒いたてがみは長く伸びて胴にまで達していたと言われています。ただし、計測値には疑問も残されています。(同上)
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イチオシ
古くから人間の活動が盛んだった地中海周辺では、バーバリライオンの雄姿は見世物として重宝されました。『カエサル(前100~前44年)』は400頭、『ポンペイウス(前106~前48年)』は600頭のバーバリライオンを戦勝パレード用にローマに連れてきたと伝わります。競技場で剣闘士と戦わされたとも言われます。(同上)
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かつてのフランス植民地時代の避暑地、イフレンの町の光景です。次は、イフレンの都市化についての紹介です。イフレンは、「田園都市」または2つの世界大戦の間の西ヨーロッパで一般的な田園都市として知られる都市モデルに従って設計されました。田園都市の概念は、19世紀の工業都市の問題を解決することを目的とした社会改革のモデルとして英国で始まりました。(同上)
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しかし、1920代になると、都市デザインという社会的目的を失いました。田園都市は、庭園に囲まれた完全に独立した、または半戸建ての家族の家を含む低い人口密度を必要としました。さらに、田園都市は、工業時代の建築計画から脱却するために、湾曲した並木道に建設されました。(同上)
*写真は、ライオン像の傍にあった、石灰岩らしい石の光景です。 -
イフレンの田園都市の当初の計画は、1928年にラバトで、政治局の一部門である市の管理局の技術サービスによって作成されました。 1928年の計画(現在はヘイリヤドとして知られている地区)には、田園都市の典型的な特徴がすべて含まれているようです。(同上)
*写真は、中国の太湖石を思わせる、穴が開いた石灰石の光景です。 -
植物に因んで名付けられた曲がりくねった通り(リラス通り、ティルウル通りなど)、シャレースタイルの家です。住宅は土地面積の40%しか占めていません。残りは庭として植物を植えられなければなりませんでした。さらに、市内中心部の大部分は公園で占められていました。(同上)
*写真は、モロッコが、かつては海底だったことを思わせる置石の光景です。 -
特に自治体やデ・ ペルチェ・ネージュ・ホテルの周辺では、いくつかのオリジナルの建築物を見ることができます。入植者のために建てられた夏の家は、カサブランカとラバトのヨーロッパの部分を建てた多くの建築家によって設計されました。これらの主要都市でのヨーロッパの建設は意図的に革新的で現代的でした。(同上)
*写真は、昨年末のクリスマスの飾りのようです。 -
イフレンの『公共の建物』の紹介です。イフレンの最初の公共の建物は、郵便局とカトリック教会でした。1939年に奉献された教会は、ローマから名誉ある賞を受賞しました。カサブランカのサクレクール寺院も設計した、フランスの建築家の『ポールトゥルノン(1881~1964年)』による設計でした。新しい都市でのリゾートの機能は、多くのホテルの建設によって支えられてきました。イフレンで最初の主要なホテルは、1980年代に取り壊されたバリマでした。もう一つのメインホテルは最近改装されたグランドホテルです。また、スルタン・ムハンマド・ビン・ユスフのために王宮を建てました。(同上)
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イフレンは王宮があり、王室の後援の恩恵を受けているため、『帝国都市』です。イフレンの歴史の初期に言及する価値のある最後の機関は刑務所です。刑務所は、第二次世界大戦中に捕虜のための収容所として機能しました。イフレンのライオン像は、イタリア人の囚人によって自発的に彫られた可能性が高いとされます。(同上)
*写真は、複数過疎yに残っていた、クリスマスツリーの樹の光景です。 -
刑務所はもう存在しません。警察学校と新しい警察委員会の向かいにあるこの場所は、法務省のサマーキャンプに改造されました。ミドルアトラスにそびえるガーデンシティの丘の駅は、フランスの中流階級の郊外のように見えるようです。その場所の植民地時代の現実は、二つの点で明らかでした。(同上)
*写真は、夕暮れのイフレンの町並み光景です。 -
第一に、都市が建設された土地の元々の所有者であるZaouia Sidi Abdeslamの住民は、彼らの損失を適切に補償しませんでした。第二に、市の当初の計画は完了していませんでした。占領者の住宅所有者のための住宅とインフラストラクチャーのための準備がなされましたが、彼らのために働くモロッコのメイド、庭師、警備員などのためには提供されませんでした。(同上)
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公有地に住宅が見つからなかったため、これらの人々は、都市の北にある谷を越えて、少し離れた場所に家を建てなければなりませんでした。モロッコの他の場所と同様に、植民地の近くに貧民街ができました。これがTamdikin(正式にはHigh Atlasと呼ばれます)の起源です。(同上)
*写真は、この日の夕日光景の始まりです。現地時刻で、17時45分頃です。 -
イチオシ
駄作を添えて、冬茜(ふゆあかね)の説明に代えます。
〇冬茜棚引く異国の旅半ば
〇姿変え色も替えたる冬茜
〇冬茜地平を染めて終わりけり -
駄作の続きです。次は寒落暉(かんらっき)です。冬の夕日の意味です。
〇モロッコの空キャンバスに寒落暉
〇サハラ越へ大西洋や寒落暉
〇寒落暉地平を果てて大西洋 -
イチオシ
駄作の最後です。『寒夕焼け(かんゆうやけ、かんゆやけ)』の3句です。
〇束の間の寒夕焼けは帯となり
〇帯となり寒夕焼けの幕降りる
〇地と空を寒夕焼けの分かちたる -
口直しに『夕焼け(夏の季語)』の名句を紹介します。
〇アカシヤに 夕焼雲の いなびかり (飯田蛇笏)
〇下雲へ 下雲へ夕焼 移り去る (中村草田男)
〇地中海 夕焼も白き 船も消え (中村汀女)
〇夕焼けて 水田紫 色となる (山口誓子) -
口直しの名句紹介の続きです。ここからは、フェズの町の紹介です。
〇蟻の列 いま粛然と 夕焼けぬ (川端茅舍)
〇夕焼の うつりあまれる 植田かな (木下夕爾)
〇夕焼も 海の匂も 消えしとき (久保田万太郎)
〇夕焼けぬ 一木もなし 海霧の中 (加藤秋邨) -
朧月の光景です。今朝のサハラ砂漠でのメルズーカ大砂丘での日の出見学は、お月さんが沈んだ後が始まりでしたが、夕日が沈餡だ後には、上空に昇っていました。昼と夜の選手交代でした。『朧月(おぼろづき)』は、『春の夜などの、ほのかにかすんだ月』のことを言いますから、この月を『朧月』と呼ぶのは正確ではありませんので、『朧月風』とお茶を濁しておきます。俳句の季語で『朧月』を使った場合は、『春』になります。因みに『朧月夜(おぼろづきよ)』は、『おぼろづくよ』とも読み、源氏物語の『花宴』に登場します。
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ホテルで食事を済ませた後、フェズの街を散策しながら、モロッコ王国北部の内陸都市のフェズの紹介です。『イドリース朝(788~985年)』、『マリーン朝( 1196~1465年)』などのモロッコに存在した過去のイスラム王朝の多くはフェズを首都に定めていました。首都が他の都市に移された時であっても、フェズはモロッコ人にとって特別な都市であり続けています。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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数世代前から町に住み続けているフェズの住民は『ファシ(ファーシー)』と呼ばれ、彼らの間では独特の方言が話されています。ファシの間にも方言の差異があり、旧市街では北部方言、新市街では南部方言が話されています。アラビア語では『アル=ファース』とも呼ばれ、『フェス』とも表記されます。(同上)
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フェズは、首都・ラバト、マラケシュ、メクネス、カサブランカといった都市と共にモロッコの観光資源となっています。複雑な構造の旧市街地は迷路にも例えられ、1981年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に『フェズ旧市街』の名前で登録されました。(同上)
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フェズは、アトラス山脈の北西、サイス平野の町で、フェズ川とセブー川の合流点の南に位置します。モロッコ南部のサハラ砂漠、アトラス山脈と北の地中海沿いの都市、モロッコ西部のカサブランカ、ラバト、メクネスから東に向かう交易路の交差点に位置します。(同上)
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フェズには隊商宿と巡礼者や商人のための小規模の商店が多く建てられました。サハラ交易において、フェズは年2回、マリ共和国のトンブクトゥに向かう隊商の拠点とされていました。(同上)
*写真は、少し明かりが少なくなった方面の光景です。人通りもありませんでした。 -
フェズ市内は、大きく次のような地域で構成されています。
〇メディナと呼ばれる旧市街。さらに次の二つの地区に分けられます。
*9世紀から始まった、フェズ・エル・バリと呼ばれる地区。
*13世紀に建設された、フェズ・エル・ジェディドと呼ばれる地区。(同上)
*写真は、店仕舞いしていた飲食店のようです。 -
〇フランス植民地時代に建設された、ヴィル・ヌヴェルと呼ばれる新市街。
〇旧市街の周囲に広がる墓地の外側に建設された、シテ・ポピュレールと呼ばれる居住区。
〇シテ・ポピュレールの外に建つ高級住宅地とバラック街。(同上)
*写真は、日本で言えばコンビニ風のお店です。営業中でした。 -
町の周囲は小高い丘に囲まれていて、旧市街の中央を貫いてフェズ川が西から東に流れています。フェズ・エル・バリはフェズ川を底として両岸が競り上がる、すり鉢状の構造をしていて、岸に建てられた建物は底の部分に近づくほど、古い歴史をもつものが多くなります。(同上)
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フェズ・エル・バリの住民は、地下を流れるフェズ川の水を汲み上げて利用していて、排出される下水は町の外れでフェズ川の下流に合流します。近代に入るとフェズ川の南半分は暗渠化され、舗装道路が川の上を通っています。地区内の水の供給は10世紀に建設された施設に依存するところが多く、供給量は十分とは言いがたいようです。(同上)
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旧市街の水路はかつてのフェズの繁栄に大きな役割を果たし、『ムラービト朝(1040~1147年)』の君主ユースフ・ベン・ターシュフィーンによる整備を経て、12世紀末にはモスク、マドラサ、多くの住居に水道が引かれるようになっていました。フェズは亜熱帯気候に属していて、大西洋の影響を受けて夏の気温は高く、冬に降雨が集中します。(同上)
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暗い中での撮影でしたが、後で調べましたら、『ハサン二世の騎馬像』のようでした。フェズで二泊した、『メンゼ・ザラ』のホテル前の像でした。『ハサン2世(1929~1999年)』は、『モロッコ国王(在位:1961~1999年)』でした。『ハッサン2世』とも日本語表記されます。(同上)
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