2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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モロッコのグランドキャニオンとも呼ばれるトドラ渓谷の紹介です。欧州のロッククライマーが練習に訪れるほどの切り立った崖が連なります。その練習風景を見ることが出来ました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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トドラ渓谷に向かう途中のサハラ砂漠の西端付近の光景です。この後、サハラ砂漠の歴史についての紹介を続けます。
〇歴史時代(16世紀~):1592年にサアド朝はサハラの南北に跨って領土を持つこととなりましたが、サアド朝本国の内乱により、この支配は僅か22年で終了しました。(ウィキペディア) -
〇歴史時代(16世紀~):この後もニジェール川流域に土着したモロッコ系豪族によってモロッコの名目上の支配は続くものの、西アフリカの統一も、サハラの南北統一も二度となされることはなく、サハラの西側を通る交易ルートは徐々に衰退していきました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):これに代わって、すでに15世紀にエジプトのマムルーク朝の勃興とともに復活していたサハラの中央部を通る交易ルートが隆盛に向かいました。このルートは南に金鉱を持たなかったため発達が遅れていましたが、北の馬と南の奴隷を柱とする交易で栄えるようになりました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):この交易ルートを押さえていたのが、チャド湖を中心に栄えたカネム・ボルヌ帝国と、その西にあるハウサ諸王国です。『カネム・ボルヌ帝国(700年頃~1893年)』は16世紀、イドリス・アローマ王のもとでチャド北部、さらにはフェザーンまでを支配下に置き、サハラ中央部まで進出して交易ルートを握りました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):この頃オスマン帝国がサハラ砂漠に隣接する北地中海沿岸を版図に収めていて、サハラ砂漠交易ルートは未だに隆盛していました。しかし、大航海時代とともに、西ヨーロッパ各国がアフリカ大陸の海岸部に進出してきました。ヨーロッパ諸国は、ギニア湾岸に交易地を多く建設していきました。(同上)
*写真は、オアシス都市のティネリールです。 -
〇歴史時代(16世紀~):これに伴って海岸へと向かう交易ルートが新たに開発されるようになりました。中央部や東部のサハラ交易はまだ影響を受けなかったものの、西部の交易は次第に海岸部向けのものが主流になりました。アシャンティ王国やダホメ王国などの海岸に近い国家が新たに交易によって繁栄するようになり、内陸は徐々に寂れていきました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):それでも東部の交易は続いていました。18世紀にはトリポリの『カラマンリー朝(1711~1835年)』がフェザーンを征服してサハラ中央部にまで支配を伸ばすなどしています。しかし、19世紀後半には、交易が完全に海路中心となりました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):さらにヨーロッパの列強諸国がサハラに進出して、サハラが国境線によって完全に分断されたことで、交易ルートも切断され、サハラ交易はここに終焉しました。サハラ砂漠に積極的に進出したのはフランスです。北のアルジェリアからサハラを南下するルートと、西のダカールからサヘルを西進し、そこから北上するルートで攻略を進めました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):20世紀初頭にはサハラ砂漠の大部分がフランス領となりました。そのほか、海岸部の西サハラをスペインが、エジプトとスーダンをイギリスがそれぞれ支配し、1912年には伊土戦争の結果オスマン帝国からリビアをイタリアが奪取しました。伊土戦争は、1911年9月から1912年10月の間にイタリア王国とオスマン帝国の間で戦われた戦争です。(同上)
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イチオシ
〇歴史時代(16世紀~):残るモロッコ王国も同年フェス条約によってフランスの保護領とされました。これでサハラ砂漠はすべて欧米列強によって分割されることとなりました。フェス条約は1912年3月30日にモロッコのフェス(フェズ)で締結された条約です。モロッコの大部分がフランスの保護領となりました。1956年3月2日に破棄されました。(同上)
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〇歴史時代(16世紀~):残るモロッコ王国も同年フェス条約によってフランスの保護領とされました。これでサハラ砂漠はすべて欧米列強によって分割されることとなりました。フェス条約は1912年 3月30日にモロッコのフェス(フェズ)で締結された条約です。モロッコの大部分がフランスの保護領となりました。1956年3月2日に破棄されました。(同上)
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トドラ渓谷が近くなってきたようです。景色が素晴らしく、見晴らしもよい場所でしたから、ここで観光バスを降りて、暫くは歩きながら見学になりました。トドラ峡谷は、隆起した石灰岩を、涸れ川が侵食したことで形成された地形です。1本の川ではなく、隣接する『トッガ川(Todgha River)』と『ダデス川(Dades River)』の2本の川による侵食で出来ました。(ウィキペディア)
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トドラ渓谷が、モロッコのグランドキャニオンと形容される景色の中でも、代表的な断崖の景色の一つです。峡谷の谷の壁の高さは、場所によって異なるものの、谷底まで400 メートルの高さがあります。また、峡谷の出口付近の最後の約600 メートルの区間は特徴的で、幅10 メートルほどの谷底から、切り立った岩壁が、両側とも160メートルの高さで聳えています。(同上)
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『トドラ渓谷』は、そそり立つ絶壁が、ロッククライミングの愛好家を刺激して止まず、『ヨーロッパのロッククライマーの聖地』としても知られています。現地にはロッククライミングの道具も貸してくれるところや、教えてくれるインストラクターもいるようです。後ほど、ロッククライミングの光景は紹介します。(同上)
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中腹と最下部に見えた2箇所の切り立った部分は、断層のように見えました。上にあった断層のような箇所のズームアップ光景です。『トドラ渓谷の断層』でネット検索してみましたが、全く情報はありませんでした。しかし、1960年2月29日に起きた、モロッコ南西部を震源とするM5.9の『アガディール地震』では、1万3千人以上の死者が出ました。(同上)
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目立ちやすい場所にあった看板の紹介です。『Maison Dhote Mriya Restaurant』の表示は、『メゾン・ドテ・マリヤ・レストラン』当たりのようでした。右手前の建物ではなく、看板の右後ろの建物がレストランのようでした。一旦降りたバスに戻って、その先に進みました。
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トドラ渓谷の付近のオアシスと、その周りで栽培されているは、ナツメヤシやアーモンドなどのようでした。その中でも重要なナツメヤシについて紹介します。この写真にも、そのナツメヤシが写っているようです。ヤシ科に属する常緑の高木で、その果実は『デーツ』と呼ばれ、北アフリカや中東では主要な食品の一つとされています。(ウィキペディア)
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ナツメヤシは、非常に古くから栽培されているため、原産地ははっきりしないようですが、北アフリカか、西南アジアのペルシャ湾沿岸が有力とされます。耐寒性は低いものの、乾燥には比較的強い植物で、雌雄異株です。樹高は15~25 メートルで、単独で生長することもありますが、同じ根から数本の幹が生えて群生します。(同上)
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ナツメヤシの葉は羽状で、長い葉柄は3メメートルに達します。葉柄には棘があり、長さ30センチ、幅2センチほどの小葉が150枚ほど付きます。実生5年目くらいから実をつけ始めます。樹の寿命は約100年程が普通ですが、樹齢200年に達することもあります。(同上)
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イチオシ
メソポタミアや古代エジプトでは紀元前6千年紀にはすでにナツメヤシの栽培が行われていたと考えられています。また、アラビア東部では、紀元前4千年には栽培されていたことを示す考古学的証拠が存在します。例えば、『ウル遺跡(紀元前4500年代~紀元前400年代)』からは、ナツメヤシの種が出土しています。(同上)
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古代文明の発祥地の一つ、『シュメール(現イラク南部)』では農民の木とも呼ばれ、紀元前1750年頃に古代バビロニアのハンムラビ王によって作られた『ハンムラビ法典』にもナツメヤシの果樹園に関する条文があります。『アッシリア王国(現イラク北部)』の王宮建築の石材に刻まれたレリーフに、ナツメヤシの人工授粉と考えられる場面が刻まれています。(同上)
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ナツメヤシは、『ギルガメシュ叙事詩』や『クルアーン(コーラン)』にも頻繁に登場し、聖書の『生命の樹』のモデルはナツメヤシであると言われます。クルアーン第19章『マルヤム(聖母マリア)』には、『マルヤム』がナツメヤシの木の下で『イーサー(イエス)』を産み落としたという記述があります。(同上)
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アラブ人の伝承では、『大天使ジブリール(ガブリエル)』が、楽園でアダムに『汝と同じ物質より創造されたこの木の実を食べよ』と教えたとされます。またムスリム(イスラム教徒)の間では、ナツメヤシの実は預言者『ムハンマド(570年頃~632年)』が好んだ食べ物の一つであると広く信じられています。(同上)
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ナツメヤシの果実は、英語では『デーツ』と呼ばれますが、語源については、ギリシア語で『指』を意味する『ダクティロス』をはじめ、複数の説があります。ナツメヤシの果実は、アラビア語では熟度に応じて17にも達する名称を持ちます。例えば、緑色のものはキムリ(未熟な)、赤みを帯びた黄色のものはハラール(カリカリした)、熟したものはルターブ、完熟したものはタムルなどです。(同上)
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約400種の品種を持つ『デーツ』の中でも、イランの品種であるピアロム種が最高品種と言われています。新鮮なデーツには豊富なビタミンCが含まれ、100 グラム当たり230キロカロリーを有します。乾燥したものは100グラム当たり3グラムの食物繊維が含まれ、270キロカロリーがあります。(同上)
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ここからが、トドラ渓谷の本格的な峡谷美が始まります。標高1500メートルの高地に切り立つトドラ渓谷は、トドラ川とダデス川が隆起した石灰岩の大地を長い年月をかけて浸食して形成されたもので、その距離は40キロに亘ります。トドラ渓谷の深さは場所によって異なりますが、最も深いところでは400メートルにも及びます。
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その中でも最も有名なスポットが渓谷の南端です。幅数10メートルの谷底の両側に高さ160メートルの岩壁が垂直にそそり立っています。目前にしますと、大変な迫力があります。岩肌には長い年月をかけて形成された層が刻まれています。トドラ渓谷の岩壁は、凹凸のある頑丈な岩壁で、ロッククライミングの聖地として知られています。トドラ渓谷には400以上のロッククライミングのルートがあり、ヨーロッパを中心に世界各地から多くのロッククライマーが集まってきます。
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トドラ渓谷には、谷底を流れる川に沿って道があり、岩壁に囲まれた谷底を歩いていると、まるで違う惑星に迷い込んだような不思議な感覚すら覚えます。この写真の中間左端付近にロッククライマーがいると、周りの方から教えて貰いました。
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イチオシ
早速、ロッククライミング中の人の姿のズームアップでの撮影です。ヘルメットを被った二人の姿が見えました。縦に長く伸びた岩の割れ目を手掛かりにしているようでした。推測ですが、上にいる人がコンビの内の上級者かも知れません。彼らが岩壁を登っていく様子を見ているだけでも楽しめますが、実際に挑戦してみることもできるようです。現地ではガイド付きのロッククライミング体験も行われています。
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同じく、ロッククライミング中の二人のズームアップ光景です。ネット情報を読みますと、日本人の若い人達もガイド付きのロッククライミング体験に挑戦されていました。初級コースは、20メートルとか、30メートルの登攀で、値段も手ごろなようでした。上級では、300メートルコースなどもあるようです。
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