2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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エルフードからフェズへ向かう途中の光景です。その途中で見学したのは、アトラス杉の大木が茂る森でした。レバノン杉が現存する、世界遺産に登録されたカディーシャ渓谷と神の杉の森が有名ですが、アトラス杉も同種の樹木のようです。ヒノキ科の植物ではなく、いずれもマツ科ヒマラヤスギ属の樹木です。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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砂漠にしては草が生え過ぎていますし、草原(ステップ)と呼ぶには草が疎らな光景です。乾燥帯で丈の低い草が生えた草原がステップ、熱帯(亜熱帯)でイネ科草本とまばらな樹木が見られる地帯がサバナ(サバンナ)と呼ばれますから、ステップの光景と呼んだ方が、一番似合っているようですが、本体は砂漠です。(同上)
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ステップらしい車窓光景を眺めながら向かっているのは、アトラス杉(アトラス・シーダー)の森です。アトラス山脈の中の1500メートル前後の高原になるようです。そのアトラス杉の森を目にする前に、『シーダー』、『杉』、『ヒマラヤ・シーダー』、『アトラス・シーダー』、『レバノン・シーダー』などを整理しておきます。(同上)
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『シダー(cedar)』、 あるいは 『シダー・ウッド(cedar wood)』は、針葉樹を中心とする広い範囲の樹木を指す概念です。『シーダー』の日本語表記が多く使われ、『セダー』とも呼ばれます。本来はヒマラヤスギ属(マツ科)を指すものですが、英語圏において類似の樹木にも『cedar』の名が付けられた結果、植物学的な分類とは一致していません。(同上)
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『cedar』の日本語への翻訳に際しては『杉(スギ)』に置換することがありますが、日本ではスギと呼んでいない樹木があります。『cedar』の幅広い用法は、日本においては『杉と松』区分がしばしば曖昧になるようです。例えば、『ヒマラヤ杉』は、日本の『杉』と同じヒノキ科ではなく、マツ科の植物です。(同上)
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『Cedar』は、厳密にはマツ目マツ科の『ヒマラヤスギ属(Cedrus)』を意味します。一見類似の樹木や、『香りの強さ』という共通の特徴を持つ樹木にも一般名称として 『cedar』の名が付けられました。これらは植物学的な分類によって行われたものではないため、混乱が生じたものです。(同上)
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ヒマラヤスギ属以外にも、名称に『cedar』を含む樹種が多くあります。レッド・シーダー、ホワイト・シーダーに関しても同様とされます。このため『シーダー』は、ヒノキ科のスギ属・ヒノキ属・ビャクシン属など広い範囲の針葉樹や、一部の広葉樹をも指すこととなりました。(同上)
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『アトラス・シーダー(Atlas Cedar)』の森に到着したようです。『アトラス・シーダー(杉)』は、マツ科ヒマラヤスギ属(Cedrus)の植物で、学名は『Atlas Cedar』です。同じマラヤスギ属(Cedrus)の植物には、ヒマラヤシーダー、レバノンシーダー、キプロスシーダーなどがあり、『シーダー』は、『杉』と和訳されています。(同上)
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アトラス杉の森を目にしたところで、属している『ヒマラヤスギ属(学名:Cedrus)』の紹介です。マツ目マツ科の属の一つです。よく似た円錐形の形態をとるモミ属の近縁種です。ヒマラヤ山脈西部や地中海地方に分布し、ヒマラヤでは標高1,500から3,200m、地中海では1,000から2,200mに自生しています。クリスマスツリー状の形になるものもありますが、モミ属やトウヒ属が綺麗な円錐状になるのと比べて、マツ属のように荒れて崩れた印象を与えるものが多いとされます。(同上)
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ヒマラヤ杉属の樹高は30~40メートルで、まれに60メートル近くに達するものもあります。ヒマラヤスギ属の枝には2種類あり、旺盛に伸びて一般に『枝』と認識している長枝の他に、葉の付け根に、ごく短い枝の短枝があります。これはマツ科のマツ属やカラマツ属と同じです。葉は、原則として短枝の先に束になって生えるだけで長枝には生えませんが、枝先の若い長枝に限り葉を付けます。これはカラマツ属も同じです。(同上)
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ヒマラヤ杉属の球果は、マツ科共通で鱗片の集まった形状をしています。ヒマラヤスギ属の球果は、全体的な形はモミ属と似ていますが、よりずんぐりとしています。球果は樹上で分解しながら種子を散布します。種子には翼があります。次に、ヒマラヤ杉属の生態についての紹介です。他のマツ科の植物と同じく、ヒマラヤスギ属樹木の根も菌類と共生し、菌根を形成します。(同上)
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樹木にとって、菌根を形成することで、土壌中の栄養分の吸収促進や菌類が作り出す抗生物質等による病原微生物の駆除等の利点があります。菌類にとっては、樹木から光合成産物の一部を分けてもらうことができます。土壌中には菌根から菌糸を介し同種他個体や他種植物に繋がる広大なネットワークが存在すると考えられています。共生する菌類の子実体は、人間がキノコとして認識できる大きさに育つものが多く、中には食用にできるものもあります。(同上)
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イチオシ
次に、『ヒマラヤスギ属』の1種、『レバノンスギ(レバノン杉、学名:Cedrus libani)』についての紹介です。マツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹です。同じヒマラヤスギ属のヒマラヤスギと同様、名前に『スギ』が付いていますが、マツ科の植物です。なおスギはヒノキ科スギ属であり、近縁ではありません。レバノン、シリアなどの高地が原産で、高さは40メートルほどです。古代には中近東一帯に広く自生していましたが、伐採利用が大規模に進んだ結果、レバノンスギの森は消滅し現在ではレバノン等のごく一部の地域に小規模に残存するのみとなりました。(同上)
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レバノンスギは、良質の木材であり、古代エジプトやメソポタミアのころから建材や船材に利用されていました。レバノンに住んでいたフェニキア人はこの木を伐ってガレー船建造や木材・樹脂輸出を行い、全地中海へと進出しました。現在僅かにレバノンスギが残存するカディーシャ渓谷と、神の杉の森は世界遺産に登録されています。レバノンの国旗および国章のデザインにも用いられています。(同上)
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夕暮れが迫って来たようですが、アトラス杉について補足で紹介しておきます。レバノン杉と並んで,世界的に知られる優秀な建築資材ですが、同じように絶滅の道を辿っているアトラス杉です。船・モスクの天井・扉・柱などの重要な部分に使われている資材です。絶滅危機を脱してほしいものです。(同上)
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標高1650メートル、アトラス山脈の中腹にある街の『イフレン』に到着しました。この町で小休止をしました。『モロッコのスイス』とも呼ばれている綺麗な街は、フランス統治時代の1929年に建設された保養地のようですが、町自体の歴史は、最も古い山岳都市になるようです。『イフラン』とも呼ばれ、過去には、『オルティ』と呼ばれていたようです。ヨーロッパの町を切り取って、ここに持ってきたような雰囲気がありました。(同上)
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『イフレン(イフラン)』は、『洞窟』を意味し、イフラン州に属しています。イフラン州の人口は15万人前後です。この地域で最初の定住地の歴史は16世紀にまで遡ります。シディアブデスラムのザウィヤまたは単にザウィヤと呼ばれるシディアブデッサラムの村は、このコミュニティの創設者であるシディアブデッサラムの名前です。ティズギットバレーのエリアになります。(同上)
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イフレンは当初、谷の壁の石灰岩に刻まれた洞窟の住居で構成されていました。居住者が地上の住居を建て始めたのは、最近のことです。現在これらの家の下にある洞窟は、今でも動物の囲いや保管場所として使用されています。17世紀半ばまでに、シディアブデッサラムのザウィヤは、スルタンから領地や土地を取得するのに十分に発達したように見えました。 (同上)
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領地は、ティズギット渓谷の底にある現在のイフレンの源泉からエルハジェブ塹壕まで広がっていました。農地は私有地であり、牧草地は部族グループが自由に利用できました。イフレン・エズロ地域の部族の人々は、抵抗時期(1913~1917年)の後、植民地支配されました。抵抗は1922年まで高山(ティマディット、ファザズ山)で続きました。(同上)
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イチオシ
『イフレン』の町の中心部にある郵便局の光景です。トンガリ屋根のお洒落な建物でした。郵便を利用された方のブログには、『モロッコの郵便番号は5桁で、最初の2桁が地域を、次の3桁が細かい地域を示し、1997年1月1日から導入されています』と、紹介されていました。(同上)
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近代都市イフレンは、1929年にフランス政府によって、住民から没収された土地に設立されました。この都市は、植民地時代のフランス人家族が夏を過ごすための『避暑地』として意図され、もともとは当時流行していた『田園都市』をモデルに設計されました。計画はシャレー(山荘)を意図し、アルプス、庭園と木々が立ち並ぶ曲がりくねった通りに囲まれたシャーレです。(同上)
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現在に至るまでのイフレンの紹介です。イフレンには、スルタンのために王宮が建てられました。モロッコ王の『モハメッド5世(スルターン在位:1927~1953年、1955~1957年、国王在位:1957~1961年)』のためです。また、ビンユスフ市の最初の公共の建物は郵便局と教会でしたが、刑務所が建設され、後に捕虜収容所になりました。第二次世界大戦時のモロッコの他の場所と同様に、コロニー(植民地)の近くに、貧民街がすぐに出現しました。フランスのリゾートに仕えたモロッコ人(メイド、農民など)の住居です。タムディキンは田園都市から深い谷で隔てられ、占領時代に戻りました。独立後、元のガーデンシティのフランスの資産は、ゆっくりとモロッコ人に買収されました。(同上)
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イチオシ
イフレン市は拡張され、モスク、市営市場、 公共住宅地。さらに、タムディキン地区が再建され、必要な土木施設が設置されました。1979年にイフレンが同名の地区の行政の拠点となり、いくつかの政府サービスが設立されました。 1995年にオープンした、アメリカ式のカリキュラムのアルアハウェン公立大学などです。(同上)
*写真は、欧風の町並みのイフレンの光景です。 -
アルアハウェン公立大学などは、イフレンを再び望ましい観光地にするのに役立ちました。その結果、イフレンは夏と冬のリゾートとして発展し続けています。市内中心部の古いシャレー(山荘)は現在取り壊され、集合住宅に置き換えられていますが、休暇センターや大きな家が街の郊外に点在しています。(同上)
*写真は、山荘イメージの切妻の建物光景です。 -
中部アトラス山脈のほとんどは、 石灰岩です。そして中部アトラスのイフレンの近くには、先に紹介したアトラス杉の森があります。これらの丘には、イフレンでは年間約1000 ミリの雨が降り、オークと杉の森が交互に生い茂っています。また、中部アトラス山脈はモロッコの中心部に位置し、自然の貯水池となっています。(同上)
*写真は、フランス植民地時代の避暑地の面影を残すイフレンの町です。 -
国の重要な河川の多くに当たる、ムールーヤ、シブ、ブーレガク、ウムラビーは、モロッコから始まります。中部アトラス山脈は、定期的に商人が訪れ、高山の夏の牧草地は羊飼いが集まりましたが、過酷な気候と比較的肥沃な土壌は、常に人間の恒久的な定住の障害でした。歴史的に『空の四半期』と呼ばれる所以です。(同上)
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今日、中部アトラス山脈は、高アトラス山脈や高アトラス山脈などの他の山岳地帯と比較しても、モロッコで最も人口の少ない地域の一つです。近代都市イフレンは20世紀初期にフランス政府によって設立されました。小さな城 『Owaid Tzguit :現在は宮殿の一部)とフェズとの間の道路を確保するため、軍事征服の期間中にウエド・ティスギーテを見下ろす場所に建てられました。(同上)
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湧き水と野花のあるなだらかな傾斜の風景は、この地域の家族連れの夏のリゾート地になる可能性を秘めています。略述しますと、元々ティラヒート(不明)または『庭』として指定されていたザウィヤの50ヘクタールの農地が、このプロジェクトのために収用されました。イフレンは避暑地または一種の集落でした。(同上)
*写真は、虎刈りの様に刈り込まれた街路樹の光景です。 -
イギリス人は、インドでこのタイプのリゾートを最初に設立した勢力の一翼であり、その中で最も有名なのは『夏の離宮』として機能したヒマラヤのシムラーでした。現在のインド北部のヒマーチャル・プラデーシュ州の州都です。フランスは、1921年に設立されたベトナム中南部のダラットと同様な避暑地を建設しました。(同上)
*写真は、細く筋を残した剪定の街路樹の光景です。 -
これだけが、モロッコで建設された避暑地ではありません。フランスは、隣接する『イモッツァー(Imouzzer)』と、ハイアトラスの『オウカイメーデン(Oukaimeden)』に別の避暑地を建設しました。しばしば彼らの遠い故郷のディアスポラ(離散)を思い出させるような方法で設計しています。(同上)
*写真は、フランス風のイフレンの街路光景です。 -
そこに採用されている建築様式は、この地域を『リトルイングランド』または『ソフトフランス』のように見せるために、フランスから持ち込んだ様式です。イフレンには、バスクの家、ジュラ、サボイなどの様々な建築様式です。さらに、樹木や顕花植物はヨーロッパの原産国から持ち込まれました。例えば、プラタナス、マロニエなどです。(同上)
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