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かつては海底だったとされるサハラ砂漠は、大量の化石が出土することで有名です。休憩した場所でも、三葉虫やアンモナイトの化石が並べられていました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)

2012正月、モロッコ王国旅行記(17/49):1月8日(3):カスバ街道をエルフードへ、三葉虫・アンモナイト化石

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2012/01/05 - 2012/01/13

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

かつては海底だったとされるサハラ砂漠は、大量の化石が出土することで有名です。休憩した場所でも、三葉虫やアンモナイトの化石が並べられていました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)

交通手段
観光バス
  • 買い物と小休止に立ち寄った、カスバ街道添いのお店の光景です。店先には、絵葉書のほか、サハラ砂漠で採取されたアンモナイトや、三葉虫の化石なども展示販売されていました。

    買い物と小休止に立ち寄った、カスバ街道添いのお店の光景です。店先には、絵葉書のほか、サハラ砂漠で採取されたアンモナイトや、三葉虫の化石なども展示販売されていました。

  • 買い物と小休止に立ち寄った、カスバ街道添いのお店の光景です。店先には、絵葉書のほか、サハラ砂漠で採取されたアンモナイトや、三葉虫の化石なども展示販売されていました。

    買い物と小休止に立ち寄った、カスバ街道添いのお店の光景です。店先には、絵葉書のほか、サハラ砂漠で採取されたアンモナイトや、三葉虫の化石なども展示販売されていました。

  • アンモナイト化石の展示販売の光景です。アンモナイトは、古生代シルル紀末期、もしくはデボン紀中期から中生代白亜紀末までの、およそ3億5000万年前後の間、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つです。日本でも算出します。呼び名は、ギリシアの羊角神・アンモーンに因みます。

    イチオシ

    アンモナイト化石の展示販売の光景です。アンモナイトは、古生代シルル紀末期、もしくはデボン紀中期から中生代白亜紀末までの、およそ3億5000万年前後の間、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つです。日本でも算出します。呼び名は、ギリシアの羊角神・アンモーンに因みます。

  • 『サンヨウチュウ(三葉虫)』の展示販売光景です。『三葉虫、Trilobite:トライロバイト』は、カンブリア紀に現れて古生代の終期であるペルム紀に絶滅した節足動物です。古生代を代表する海生動物とされ、化石として多産し、示準化石としても重視されます。甲羅には、縦割りと横割りに、三区分があり、名前の由来になっています。

    『サンヨウチュウ(三葉虫)』の展示販売光景です。『三葉虫、Trilobite:トライロバイト』は、カンブリア紀に現れて古生代の終期であるペルム紀に絶滅した節足動物です。古生代を代表する海生動物とされ、化石として多産し、示準化石としても重視されます。甲羅には、縦割りと横割りに、三区分があり、名前の由来になっています。

  • 『オルソセラス』の化石の展示販売の光景です。オルソセラスは、絶滅した『チョッカクガイ(直角貝)』の一種とされます。オルソセラスはアンモナイトの祖先で、『オルソ』は『真っ直ぐ』、『セラス』は『角』を意味し、日本語では『直角貝』と呼ばれます。イカやタコの祖先とも言われます。

    『オルソセラス』の化石の展示販売の光景です。オルソセラスは、絶滅した『チョッカクガイ(直角貝)』の一種とされます。オルソセラスはアンモナイトの祖先で、『オルソ』は『真っ直ぐ』、『セラス』は『角』を意味し、日本語では『直角貝』と呼ばれます。イカやタコの祖先とも言われます。

  • 華麗な民族衣装を着た人形の展示光景です。こちらの四名は、衣装の色彩は、黄色と青色でしたが、晴れの時に着る式服のようにもみえました。それぞれに被り物や、ネックレスを身に着けていました。

    華麗な民族衣装を着た人形の展示光景です。こちらの四名は、衣装の色彩は、黄色と青色でしたが、晴れの時に着る式服のようにもみえました。それぞれに被り物や、ネックレスを身に着けていました。

  • 先程は、黄色と青色の2色の晴れ着を紹介しましたが、此方は四名とも異なった色の意匠でした。中央下部には、着飾ったお子さん二人の人形姿もありました。

    イチオシ

    先程は、黄色と青色の2色の晴れ着を紹介しましたが、此方は四名とも異なった色の意匠でした。中央下部には、着飾ったお子さん二人の人形姿もありました。

  • 着飾ったラクダの置物です。実物とはずいぶん違う形と色彩の人形風の造りでした。ラクダの生息している地域では、ラクダは『砂漠の船』、『神様からの贈り物』と呼ばれているほど恩恵を受けています。

    着飾ったラクダの置物です。実物とはずいぶん違う形と色彩の人形風の造りでした。ラクダの生息している地域では、ラクダは『砂漠の船』、『神様からの贈り物』と呼ばれているほど恩恵を受けています。

  • 発掘品をモデルにした、テラコッタ製の人形のようです。少しずつ形や大きさが異なっていましたが、被り物、衣装、手の表現などに共通性も見られました。下の段には、カスバの建物らしい模型も展示されていました。

    発掘品をモデルにした、テラコッタ製の人形のようです。少しずつ形や大きさが異なっていましたが、被り物、衣装、手の表現などに共通性も見られました。下の段には、カスバの建物らしい模型も展示されていました。

  • 休憩所兼お土産店の側面光景です。策の上にも販売品の展示がありました。こちらは、販売よりも呼び込み目的の展示のようでした。遠くからでも目立つように、カラフルな壺も並べられていました。

    休憩所兼お土産店の側面光景です。策の上にも販売品の展示がありました。こちらは、販売よりも呼び込み目的の展示のようでした。遠くからでも目立つように、カラフルな壺も並べられていました。

  • 休憩を終えて、再びカスバ街道のドライブが始まりました。今晩の宿泊地はエルフードですが、その途中で、モロッコの継承の一つ、トドラ渓谷へも立ち寄る予定です。東洋のグランドキャニオンと呼ばれ、川の流れが造った高さ200メートルの断崖絶壁が続くようです。

    休憩を終えて、再びカスバ街道のドライブが始まりました。今晩の宿泊地はエルフードですが、その途中で、モロッコの継承の一つ、トドラ渓谷へも立ち寄る予定です。東洋のグランドキャニオンと呼ばれ、川の流れが造った高さ200メートルの断崖絶壁が続くようです。

  • アトラス山脈の南側に沿って、ワルザザートからエルラシディアに至る、東西に延びる約300キロのカスバ街道は、昔から交易のために使われてきた道です。今は、もっぱら観光のための街道になっているようでした。山の上に見えるのは、クサルの廃墟のようです。

    アトラス山脈の南側に沿って、ワルザザートからエルラシディアに至る、東西に延びる約300キロのカスバ街道は、昔から交易のために使われてきた道です。今は、もっぱら観光のための街道になっているようでした。山の上に見えるのは、クサルの廃墟のようです。

  • ここからは、サハラ砂漠の資源についての紹介です。サハラはさほど鉱物資源の多い地域ではないとされますが、それでもいくつかの大規模鉱山が存在します。もっとも豊富で価値のある資源は石油です。とくに砂漠北部のアルジェリアとリビアには豊富な石油と天然ガスが埋蔵されています。(ウィキペディア)

    ここからは、サハラ砂漠の資源についての紹介です。サハラはさほど鉱物資源の多い地域ではないとされますが、それでもいくつかの大規模鉱山が存在します。もっとも豊富で価値のある資源は石油です。とくに砂漠北部のアルジェリアとリビアには豊富な石油と天然ガスが埋蔵されています。(ウィキペディア)

  • アルジェリアのハシメサウド油田や、ハシルメルガス田、リビアのゼルテン油田、サリール油田、アマル油田などの巨大油田が開発され、両国の経済を支えています。また、モロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵されています。農業においては、リン(琳酸塩)は植物の主要栄養素であるため、肥料の成分の一つとして重要です。(同上)

    アルジェリアのハシメサウド油田や、ハシルメルガス田、リビアのゼルテン油田、サリール油田、アマル油田などの巨大油田が開発され、両国の経済を支えています。また、モロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵されています。農業においては、リン(琳酸塩)は植物の主要栄養素であるため、肥料の成分の一つとして重要です。(同上)

  • 西サハラのブーカラーで採掘されるリン鉱石は、全長約90キロ以上のベルトコンベアーで首都アイウンまで運ばれ、船に積み込まれます。この採掘は、全域が砂漠の西サハラにおいて最大の産業です。このほか、砂漠西部のモーリタニア北部、ズエラットには巨大な鉄鉱床が存在し、ここで採掘される鉄鉱石は、近年大西洋沖合いにて石油が発見されるまでモーリタニア経済の柱となってきました。(同上)

    西サハラのブーカラーで採掘されるリン鉱石は、全長約90キロ以上のベルトコンベアーで首都アイウンまで運ばれ、船に積み込まれます。この採掘は、全域が砂漠の西サハラにおいて最大の産業です。このほか、砂漠西部のモーリタニア北部、ズエラットには巨大な鉄鉱床が存在し、ここで採掘される鉄鉱石は、近年大西洋沖合いにて石油が発見されるまでモーリタニア経済の柱となってきました。(同上)

  • サハラ砂漠中央部、ニジェール領アーリットには、ウランの鉱床があり、アクータ鉱山とアーリット鉱山の二つの鉱山が開発され、ほかに産物のないニジェール経済の牽引車となってきました。北東部のリビア砂漠においては、リビアングラスという天然ガラスが埋蔵され、古代エジプト時代から宝石として珍重されてきました。(同上)

    サハラ砂漠中央部、ニジェール領アーリットには、ウランの鉱床があり、アクータ鉱山とアーリット鉱山の二つの鉱山が開発され、ほかに産物のないニジェール経済の牽引車となってきました。北東部のリビア砂漠においては、リビアングラスという天然ガラスが埋蔵され、古代エジプト時代から宝石として珍重されてきました。(同上)

  • また、サハラ北部には、『砂漠のバラ』が多数存在し、土産物となっています。『砂漠のバラ(Desert Rose または Sand Rose)』とは、ある種の化合物が自然現象でバラのような形状の結晶に成長した石のことです。砂漠のバラには、透明石膏(硫酸カルシウム、CaSO4)でできたものと、重晶石(硫酸バリウム、BaSO4)でできたものがあります。(同上)

    また、サハラ北部には、『砂漠のバラ』が多数存在し、土産物となっています。『砂漠のバラ(Desert Rose または Sand Rose)』とは、ある種の化合物が自然現象でバラのような形状の結晶に成長した石のことです。砂漠のバラには、透明石膏(硫酸カルシウム、CaSO4)でできたものと、重晶石(硫酸バリウム、BaSO4)でできたものがあります。(同上)

  • 歴史上においては、サハラでもっとも貴重な鉱物は塩でした。1030年頃、現在のマリの最北端にタガザ塩鉱が開かれ、サハラ交易の最重要拠点の一つとなりました。ここを巡ってモロッコの『サアド朝(1509~1659年)』がタガザの支配権を握っていた『ソンガイ帝国(1340~1591年)』を滅ぼしています。(同上)

    歴史上においては、サハラでもっとも貴重な鉱物は塩でした。1030年頃、現在のマリの最北端にタガザ塩鉱が開かれ、サハラ交易の最重要拠点の一つとなりました。ここを巡ってモロッコの『サアド朝(1509~1659年)』がタガザの支配権を握っていた『ソンガイ帝国(1340~1591年)』を滅ぼしています。(同上)

  • タガザ塩鉱は、この頃には枯渇していましたが、その160キロ南にあるタウデニの塩鉱が代わって開かれました。この塩鉱は、現在でもマリの重要な塩の産地となっています。タウデニから南のトンブクトゥまでは、現在でもラクダのキャラバンによって塩の板が運ばれています。(同上)

    タガザ塩鉱は、この頃には枯渇していましたが、その160キロ南にあるタウデニの塩鉱が代わって開かれました。この塩鉱は、現在でもマリの重要な塩の産地となっています。タウデニから南のトンブクトゥまでは、現在でもラクダのキャラバンによって塩の板が運ばれています。(同上)

  • サハラにおいて最も希少な資源とされるのは、『水』です。サハラは数千年前までは湿潤な土地でした。その頃に蓄積された化石水が地底の奥深くに眠っています。それに目をつけたのが、リビアの指導者のカダフィ大佐でした。1984年に『リビア大人工河川計画』を発表しました。(同上)

    サハラにおいて最も希少な資源とされるのは、『水』です。サハラは数千年前までは湿潤な土地でした。その頃に蓄積された化石水が地底の奥深くに眠っています。それに目をつけたのが、リビアの指導者のカダフィ大佐でした。1984年に『リビア大人工河川計画』を発表しました。(同上)

  • 『カダフィ大佐(1942~2011年)』は、リビアの軍人、革命家で、最高指導者でした。1969年のリビア革命によって政権を獲得し、長期に亘り独裁政権を維持しましたが、2011年のリビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カダフィ派部隊によって殺害されました。(同上)

    『カダフィ大佐(1942~2011年)』は、リビアの軍人、革命家で、最高指導者でした。1969年のリビア革命によって政権を獲得し、長期に亘り独裁政権を維持しましたが、2011年のリビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カダフィ派部隊によって殺害されました。(同上)

  • カダフィ大佐の『リビア大人工河川計画』は、フェザーンやキレナイカ南部の化石水をくみ上げて、トリポリやベンガジといった海岸部の大都市に供給するものです。計画は一部完成して1993年にはベンガジに、1996年にはトリポリに送水が開始されました。(同上)

    カダフィ大佐の『リビア大人工河川計画』は、フェザーンやキレナイカ南部の化石水をくみ上げて、トリポリやベンガジといった海岸部の大都市に供給するものです。計画は一部完成して1993年にはベンガジに、1996年にはトリポリに送水が開始されました。(同上)

  • しかし、この化石水は現在の気候条件下では再生不可能なものであり、使用しきってしまえば、一瞬にして無用の長物と化すため、浪費であるとの批判もあります。また、地下帯水層の枯渇によってリビア南部のオアシスに重大な影響が出る恐れがあるなど、環境破壊の観点からも批判があるようです。(同上)

    イチオシ

    しかし、この化石水は現在の気候条件下では再生不可能なものであり、使用しきってしまえば、一瞬にして無用の長物と化すため、浪費であるとの批判もあります。また、地下帯水層の枯渇によってリビア南部のオアシスに重大な影響が出る恐れがあるなど、環境破壊の観点からも批判があるようです。(同上)

  • 次は、砂漠化の進行についての紹介です。サハラ一帯は、完新世(1万年前~現在)以降は湿潤と乾燥を繰り返してきました。2万年前から1万2000年前は、サハラ砂漠が最も拡大した時期になります。現在のサヘル地帯のほとんどがサハラ砂漠に飲み込まれていました。サヘル(Sahel)地帯とは、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域のことです。(同上)

    次は、砂漠化の進行についての紹介です。サハラ一帯は、完新世(1万年前~現在)以降は湿潤と乾燥を繰り返してきました。2万年前から1万2000年前は、サハラ砂漠が最も拡大した時期になります。現在のサヘル地帯のほとんどがサハラ砂漠に飲み込まれていました。サヘル(Sahel)地帯とは、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域のことです。(同上)

  • その後、最終氷期の終焉とともにサハラは湿潤化を開始し、およそ8000年前に最も湿潤な時期を迎えました。この時期の砂漠はアトラス山脈直下の一部にまで縮小し、サハラのほとんどはサバンナ(乾性の草原)やステップ(半乾燥の草原)となり、森林も誕生しました。7500年前に一時乾燥化しましたが、すぐに回復し、5000年前までの期間は湿潤な気候が続きました。(同上)

    その後、最終氷期の終焉とともにサハラは湿潤化を開始し、およそ8000年前に最も湿潤な時期を迎えました。この時期の砂漠はアトラス山脈直下の一部にまで縮小し、サハラのほとんどはサバンナ(乾性の草原)やステップ(半乾燥の草原)となり、森林も誕生しました。7500年前に一時乾燥化しましたが、すぐに回復し、5000年前までの期間は湿潤な気候が続きました。(同上)

  • 更にその後、徐々に乾燥化が始まり、以来現在に至るまでは乾燥した気候が続いています。5000年前と比べますと砂漠の南限は1,000キロも南下しています。乾燥化は歴史時代を通じて進行し、砂漠の南下も進行中です。20世紀以降では、1915年頃以降降水量は増加しましたが、1920年代以降、現在までは降水量は減少傾向にあります。(同上)

    更にその後、徐々に乾燥化が始まり、以来現在に至るまでは乾燥した気候が続いています。5000年前と比べますと砂漠の南限は1,000キロも南下しています。乾燥化は歴史時代を通じて進行し、砂漠の南下も進行中です。20世紀以降では、1915年頃以降降水量は増加しましたが、1920年代以降、現在までは降水量は減少傾向にあります。(同上)

  • 1960年代以降、サハラ地域を含めアフリカでは人口爆発が続いています。食料増産・生活のため、焼畑農業・過放牧・灌木の過度の伐採が行われ、生態系が破壊される悪循環が繰り返されています。1968年~1973年にかけて、サハラ一帯に2,500万人が被災した大規模な旱魃が発生しました。(同上)

    1960年代以降、サハラ地域を含めアフリカでは人口爆発が続いています。食料増産・生活のため、焼畑農業・過放牧・灌木の過度の伐採が行われ、生態系が破壊される悪循環が繰り返されています。1968年~1973年にかけて、サハラ一帯に2,500万人が被災した大規模な旱魃が発生しました。(同上)

  • 大規模な旱魃を契機として、1977年に国連砂漠化防止会議(UNCOD)が開催されました。しかし1983年~1984年にかけ再び大旱魃が発生しました。モザンビーク、アンゴラ、スーダン、チャド、エチオピアでは、旱魃に加え政情不安定もあり、飢餓で多数の死者を出しました。人口爆発・旱魃により、砂漠化は急速に進行し始めました。(同上)

    大規模な旱魃を契機として、1977年に国連砂漠化防止会議(UNCOD)が開催されました。しかし1983年~1984年にかけ再び大旱魃が発生しました。モザンビーク、アンゴラ、スーダン、チャド、エチオピアでは、旱魃に加え政情不安定もあり、飢餓で多数の死者を出しました。人口爆発・旱魃により、砂漠化は急速に進行し始めました。(同上)

  • 貧困・気候変動も密接に関連しているため、決定的な解決策は存在しない状態胎です。現在でもサハラ南縁部は世界でもっとも砂漠化が進行している地域で、毎年約6万平方キロのスピードで砂漠の面積が増加し続けています。国連環境計画(UNEP)の調査では、南側で毎年150万ヘクタール(15,000平方キロ)ずつ広がっていると報告されています。(同上)

    貧困・気候変動も密接に関連しているため、決定的な解決策は存在しない状態胎です。現在でもサハラ南縁部は世界でもっとも砂漠化が進行している地域で、毎年約6万平方キロのスピードで砂漠の面積が増加し続けています。国連環境計画(UNEP)の調査では、南側で毎年150万ヘクタール(15,000平方キロ)ずつ広がっていると報告されています。(同上)

  • 2007年からは、砂漠の拡大を防ぐためにアフリカ連合の主導によって、アフリカ西岸のセネガルから東岸のジブチの沿岸部までの約7000キロを樹林帯でつなぐグレート・グリーン・ウォールプロジェクトが開始されています。ところが、地球温暖化による気候変動によって再び植生が変化しつつあり、南縁部には緑化の兆候もあり、雨量が増加し湿潤化されるとの説もあります。(同上)

    2007年からは、砂漠の拡大を防ぐためにアフリカ連合の主導によって、アフリカ西岸のセネガルから東岸のジブチの沿岸部までの約7000キロを樹林帯でつなぐグレート・グリーン・ウォールプロジェクトが開始されています。ところが、地球温暖化による気候変動によって再び植生が変化しつつあり、南縁部には緑化の兆候もあり、雨量が増加し湿潤化されるとの説もあります。(同上)

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