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モロッコ旅行4日目の朝です。1泊したワルザザードのホテルを出発し、カスバ街道をオアシスの町、エルフードに向かいました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)<br />

2012正月、モロッコ王国旅行記(15/49):1月8日(1):ワルザザードのホテル、カスバ街道をエルフードへ

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2012/01/05 - 2012/01/13

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

モロッコ旅行4日目の朝です。1泊したワルザザードのホテルを出発し、カスバ街道をオアシスの町、エルフードに向かいました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)

交通手段
観光バス
  • ワルザザードで1泊した、フランス風の名前の『ル・フィント・ホテル』のフロント光景です。ネット情報では75室の三つ半星ホテルと紹介されていました。昨日見学したアイット ベン ハドゥの集落まで1.8キロの場所に位置します。<br />(注)ホテルの周辺情報に『アイット・ベン・ハドゥの集落まで徒歩1分』と紹介されていましたが、それは誤りです。

    ワルザザードで1泊した、フランス風の名前の『ル・フィント・ホテル』のフロント光景です。ネット情報では75室の三つ半星ホテルと紹介されていました。昨日見学したアイット ベン ハドゥの集落まで1.8キロの場所に位置します。
    (注)ホテルの周辺情報に『アイット・ベン・ハドゥの集落まで徒歩1分』と紹介されていましたが、それは誤りです。

  • ロビーの壁の装飾光景です。トドラ渓谷でしょうか、迫力ある景色の写真が飾ってありました。トドラ渓谷ですと、これから見学予定の場所です。『モロッコのグランドキャニオン』とも呼ばれているようです。

    ロビーの壁の装飾光景です。トドラ渓谷でしょうか、迫力ある景色の写真が飾ってありました。トドラ渓谷ですと、これから見学予定の場所です。『モロッコのグランドキャニオン』とも呼ばれているようです。

  • 明るい色に装飾された天井光景です。その天井から、重そうな銅製のシャンデリアが吊下げられていました。壁面や天井の装飾は、中々凝った細工でした。具象表現ではなく、抽象化されたアラベスク文様のようでした。

    明るい色に装飾された天井光景です。その天井から、重そうな銅製のシャンデリアが吊下げられていました。壁面や天井の装飾は、中々凝った細工でした。具象表現ではなく、抽象化されたアラベスク文様のようでした。

  • ホテルのロビーに飾ってあったモロッコの国旗です。深紅の色が預言者ムハンマドを象徴し、中央に緑の五芒星が記されています。この星は、『スレイマン(ソロモン)の印章』とされます。1956年に制定されました。ソロモンは古代イスラエルの王です。現国王は1999年に父の国王ハサン2世が死去したため即位した、ムハンマド6世です。知日派として知られます。

    ホテルのロビーに飾ってあったモロッコの国旗です。深紅の色が預言者ムハンマドを象徴し、中央に緑の五芒星が記されています。この星は、『スレイマン(ソロモン)の印章』とされます。1956年に制定されました。ソロモンは古代イスラエルの王です。現国王は1999年に父の国王ハサン2世が死去したため即位した、ムハンマド6世です。知日派として知られます。

  • ワルザザードで泊まったホテル、『ル・フィント』の建物正面光景です。朝日を前面に受けて、赤っぽい色になっていました。中々いいホテルでしたが、夜の寒さには閉口しました。

    イチオシ

    ワルザザードで泊まったホテル、『ル・フィント』の建物正面光景です。朝日を前面に受けて、赤っぽい色になっていました。中々いいホテルでしたが、夜の寒さには閉口しました。

  • 泊まったホテル、『ル・フィント』の看板です。暖房器具がなく、夜は寒い思いをしましたが、砂漠の旅行では、自衛的な防寒対策が不可欠なようです。経験の一つでした。カスバ街道の見学は、このワルザザードが西側の始まりになります。

    泊まったホテル、『ル・フィント』の看板です。暖房器具がなく、夜は寒い思いをしましたが、砂漠の旅行では、自衛的な防寒対策が不可欠なようです。経験の一つでした。カスバ街道の見学は、このワルザザードが西側の始まりになります。

  • 泊まったホテルは高台に位置していましたから、見晴らしは抜群でした。朝日に輝くワルザザードの街並み光景です。遠くには冠雪したアトラス山脈も見えました。改めてカスバ街道の視点として眺めた、ワルザザードの街並み光景です。

    泊まったホテルは高台に位置していましたから、見晴らしは抜群でした。朝日に輝くワルザザードの街並み光景です。遠くには冠雪したアトラス山脈も見えました。改めてカスバ街道の視点として眺めた、ワルザザードの街並み光景です。

  • この建物も、泊まったホテルの一部だったようです。ホテルで朝食を済ませた後、カスバ街道をオアシスの町、エルフードに向かいました。今回のモロッコ旅行では、一番東に位置した町でした。

    この建物も、泊まったホテルの一部だったようです。ホテルで朝食を済ませた後、カスバ街道をオアシスの町、エルフードに向かいました。今回のモロッコ旅行では、一番東に位置した町でした。

  • オアシスの町、エルフードに向かって、東北の方角に向かってのカスバ街道のドライブです。暫くはバスの中からの撮影になります。荒涼とした荒野の先に連なるアトラス山脈の光景です。

    オアシスの町、エルフードに向かって、東北の方角に向かってのカスバ街道のドライブです。暫くはバスの中からの撮影になります。荒涼とした荒野の先に連なるアトラス山脈の光景です。

  • サバンナかステップのような光景に変わりました。ラクダ草などの植物が生えているようです。ラクダ草は、ラクダが好んで食べるマメ科の多年草です。刺がありますから、その他の家畜などでは、食べることは難しそうです。

    サバンナかステップのような光景に変わりました。ラクダ草などの植物が生えているようです。ラクダ草は、ラクダが好んで食べるマメ科の多年草です。刺がありますから、その他の家畜などでは、食べることは難しそうです。

  • 砂漠地帯というより、ステップ地帯と呼んだ方がよさそうな植生の光景です。その中に白っぽい部分が見えてきました。どうやら塩が析出した光景のようです。かつての海底だったサハラ砂漠の証明にもなるようです。

    砂漠地帯というより、ステップ地帯と呼んだ方がよさそうな植生の光景です。その中に白っぽい部分が見えてきました。どうやら塩が析出した光景のようです。かつての海底だったサハラ砂漠の証明にもなるようです。

  • 同じような光景が続きます。サハラ砂漠は、もとは海底だった場所が隆起したものです。このため、アンモナイトや三葉虫などの化石が採れることで有名ですが、古代から重要な塩も採取されています。

    同じような光景が続きます。サハラ砂漠は、もとは海底だった場所が隆起したものです。このため、アンモナイトや三葉虫などの化石が採れることで有名ですが、古代から重要な塩も採取されています。

  • ステップのような光景です。手前の石ころが多い地形は、水は流れていませんが、河川敷のような地形です。その周りには、冬枯れのような灌木のような植物の光景がありました。

    ステップのような光景です。手前の石ころが多い地形は、水は流れていませんが、河川敷のような地形です。その周りには、冬枯れのような灌木のような植物の光景がありました。

  • 石ころと、白っぽい地肌の光景です。既に紹介しましたが、岩塩が絡んだ白い色のようです。その後ろには、常緑樹の林と、更にその背後にアトラス山脈の光景がありました。

    イチオシ

    石ころと、白っぽい地肌の光景です。既に紹介しましたが、岩塩が絡んだ白い色のようです。その後ろには、常緑樹の林と、更にその背後にアトラス山脈の光景がありました。

  • 草木一つ無い荒涼とした荒地かと思いましたが、左手中央に、小さなヤシの木が3本ありました。植生されたものでしょうが、生き残るのは大変そうです。台地には、大雨の跡が残されていました。

    草木一つ無い荒涼とした荒地かと思いましたが、左手中央に、小さなヤシの木が3本ありました。植生されたものでしょうが、生き残るのは大変そうです。台地には、大雨の跡が残されていました。

  • 茶色ではなく、グレーに見える平坦地の光景です。推測ですが、多くの塩分を含んだ水が流れ、干上がった河川敷のようです。季節的に生じる光景かも知れません。推測ですが、トドラ渓谷に繋がるトドラ川かも知れません。

    茶色ではなく、グレーに見える平坦地の光景です。推測ですが、多くの塩分を含んだ水が流れ、干上がった河川敷のようです。季節的に生じる光景かも知れません。推測ですが、トドラ渓谷に繋がるトドラ川かも知れません。

  • 耕作地の区域境にヤシの木などが植林された平原の光景です。近くに川があるのか、あるいは地下水脈があるのか、緑豊かな一帯でした。季節によっては、オアシスとしての景観を見せるのかも知れません。

    耕作地の区域境にヤシの木などが植林された平原の光景です。近くに川があるのか、あるいは地下水脈があるのか、緑豊かな一帯でした。季節によっては、オアシスとしての景観を見せるのかも知れません。

  • カスバの建物光景のようです。遠くから眺めた限りでは、新しい作りのように見えましたが、写真を拡大しますと、修復された跡や、増築された跡が見えました。周りにはヤシなどの林があり、僅かですが耕作されていました。

    カスバの建物光景のようです。遠くから眺めた限りでは、新しい作りのように見えましたが、写真を拡大しますと、修復された跡や、増築された跡が見えました。周りにはヤシなどの林があり、僅かですが耕作されていました。

  • ここからは、バスを降りての見学です。遠くに雪を被ったアトラス山脈が見えていました。カスバのような建物が数多く残った、観光ポイントになっていました。地名の特定が中々難しいところでしたが、『スコーラ』と呼ばれる一帯かも知れません。

    ここからは、バスを降りての見学です。遠くに雪を被ったアトラス山脈が見えていました。カスバのような建物が数多く残った、観光ポイントになっていました。地名の特定が中々難しいところでしたが、『スコーラ』と呼ばれる一帯かも知れません。

  • 電気が引いてあるのかと思いましたが、電力線ではなく、通信線でした。この辺りでは、必要な電気は自家用発電機に頼っているようです。『スコーラ』と思しき町の光景です。カスバ街道の町の一つには。間違いありません。

    電気が引いてあるのかと思いましたが、電力線ではなく、通信線でした。この辺りでは、必要な電気は自家用発電機に頼っているようです。『スコーラ』と思しき町の光景です。カスバ街道の町の一つには。間違いありません。

  • カスバのような作りですが、ホテルかも知れません。その背後に冠雪したアトラス山脈が見えていました。絵になる光景でした。ネット情報で確認した限りでは、『ベルモロ・カスバ』と呼ばれるカスバを改装したホテルのようでした。スペインの富豪の所有のようです。

    カスバのような作りですが、ホテルかも知れません。その背後に冠雪したアトラス山脈が見えていました。絵になる光景でした。ネット情報で確認した限りでは、『ベルモロ・カスバ』と呼ばれるカスバを改装したホテルのようでした。スペインの富豪の所有のようです。

  • 少し場所を変えて、ホテルらしい建物とアトラス山脈が半々になる構図での撮影です。モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びるアトラス山脈は、西側が最も高く、東に行くに連れ低くなります。

    少し場所を変えて、ホテルらしい建物とアトラス山脈が半々になる構図での撮影です。モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びるアトラス山脈は、西側が最も高く、東に行くに連れ低くなります。

  • もう一度ホテルらしい建物を中央に入れての撮影です。アトラス山脈は、モロッコ領内では3千メートル級の山が多くあり、最高峰は西部に位置するツブカル山の4167メートルです。

    もう一度ホテルらしい建物を中央に入れての撮影です。アトラス山脈は、モロッコ領内では3千メートル級の山が多くあり、最高峰は西部に位置するツブカル山の4167メートルです。

  • ホテルらしい建物のアップ光景です。建物の外観は、カスバそのものです。ホテルかどうかの確認に写真を拡大してみましたが、人影などは見つかりませんでした。ネット情報では、『カスバ街道で一番きれいな建物』の書き込みもありました。

    イチオシ

    ホテルらしい建物のアップ光景です。建物の外観は、カスバそのものです。ホテルかどうかの確認に写真を拡大してみましたが、人影などは見つかりませんでした。ネット情報では、『カスバ街道で一番きれいな建物』の書き込みもありました。

  • アトラス山脈は、北からリフ山脈、モワヤンアトラス山脈(中アトラス)、オートアトラス山脈(高アトラス)、とアンティアトラス山脈(小アトラス)の四つに分かれています。3億年前の古生代に、ゴンドワナ大陸とユーラメリカ大陸が衝突した時に出来たアンティアトラス山脈(小アトラス)は、かつては現在のヒマラヤ山脈よりも高かったとの説があります。

    アトラス山脈は、北からリフ山脈、モワヤンアトラス山脈(中アトラス)、オートアトラス山脈(高アトラス)、とアンティアトラス山脈(小アトラス)の四つに分かれています。3億年前の古生代に、ゴンドワナ大陸とユーラメリカ大陸が衝突した時に出来たアンティアトラス山脈(小アトラス)は、かつては現在のヒマラヤ山脈よりも高かったとの説があります。

  • 衛星写真で見ますと、アトラス山脈が四列に分かれて並んでいることがよく分かります。その内の二列がモロッコの東に隣接するアルジェリアの領域まで続いています。手前に見えるのは、城壁跡のようです。

    衛星写真で見ますと、アトラス山脈が四列に分かれて並んでいることがよく分かります。その内の二列がモロッコの東に隣接するアルジェリアの領域まで続いています。手前に見えるのは、城壁跡のようです。

  • 今では定説になっているプレートテクトニクス理論は、1912年に、ドイツのアルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説が始まりです。かつて地球上にはパンゲア大陸と呼ばれる一つの超大陸のみが存在し、これが中生代末より分離・移動し、現在の大陸の分布になったとする仮説でした。

    今では定説になっているプレートテクトニクス理論は、1912年に、ドイツのアルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説が始まりです。かつて地球上にはパンゲア大陸と呼ばれる一つの超大陸のみが存在し、これが中生代末より分離・移動し、現在の大陸の分布になったとする仮説でした。

  • カスバ遺跡があるこの場所では、しばらく下車しての見学となりました。土と藁で出来た土塀の断面光景です。<br />プレートテクトニクス理論の話に戻ります。当初は余り注目されなかった大陸移動説ですが、1928年のアーサー・ホームズによるマントル対流説、1960年代のロバート・ディーツが海洋底拡大説等の補完に経て、ツゾー・ウィルソンにより、1968年にプレートテクトニクスとして理論が集大成されました。

    カスバ遺跡があるこの場所では、しばらく下車しての見学となりました。土と藁で出来た土塀の断面光景です。
    プレートテクトニクス理論の話に戻ります。当初は余り注目されなかった大陸移動説ですが、1928年のアーサー・ホームズによるマントル対流説、1960年代のロバート・ディーツが海洋底拡大説等の補完に経て、ツゾー・ウィルソンにより、1968年にプレートテクトニクスとして理論が集大成されました。

  • 土壁の側面光景です。藁を混ぜ込んで強度と耐久性を上げてありました。紀元前の古代エジプト時代の日干し煉瓦と同じ発想のようです。現代でもエコな建築資材として再注目されているようです。

    土壁の側面光景です。藁を混ぜ込んで強度と耐久性を上げてありました。紀元前の古代エジプト時代の日干し煉瓦と同じ発想のようです。現代でもエコな建築資材として再注目されているようです。

  • 日干しレンガ風の材料だけではなく、小石を混ぜ込んだ箇所もありました。見た目では分かりませんが、他の材料も混ぜ込んで強度を出しているのかも知れません。雨が少ない地方に適した土壁かも知れません。

    日干しレンガ風の材料だけではなく、小石を混ぜ込んだ箇所もありました。見た目では分かりませんが、他の材料も混ぜ込んで強度を出しているのかも知れません。雨が少ない地方に適した土壁かも知れません。

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