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zenkyou01さんのクチコミ(5ページ)全2,189件

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  • 小田原散策(1)で小峰御鐘ノ台大堀切に行きました

    投稿日 2024年03月08日

    小峯御鐘ノ台大堀切 小田原

    総合評価:4.0

    堀切というのは、尾根をスパッと切って、尾根伝いに攻めてくる敵軍を足止めにする施設です。本丸に続く八幡山の尾根を分断するために構築された施設です。城山公園にある慰霊塔近くにある東堀、今は散策路になっている中堀、一番西にある西堀の三本で構成されています。特に東堀は中堀から続く堀切で、当時の様子が最もよく残っている堀切です。堀幅は20~30M、堀深さは10~15M、のり面角度50~60度で圧巻です。現在は、少しは埋まってしまっているので、建設時ほどには無いにしても、このように長く、広く、また深い堀切を見たことはありません。城ファンには必見の城遺構です
    「日時」 2023年1月20日  
    「アクセス」JRまたは小田急線小田原駅、徒歩25分

    旅行時期
    2023年01月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.5
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 小田原散策(1)で北条早雲像を見ました

    投稿日 2024年03月08日

    北条早雲像 小田原

    総合評価:3.5

    JR小田原駅改札口を出て、西口の階段を降りると正面に建っています。十六世紀、関東の覇者となった後北条氏の初代です。筆者が子供のころ、早雲は一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型と本に書いてありましたが、現在では室町幕府の要職を務めた伊勢氏の支流出身であることが通説となる。本名は伊勢新九郎盛時(長氏)で、盛時死後、北条第二代氏綱の時代に、北条早雲と名付けられたようです。像は角に松明を付けた牛を従える騎馬に乗った勇ましい武将の姿です。1000頭の牛の頭に松明をつけ小田原城を攻め落とした話をモチーフにした像です(牛に松明は倶利伽羅峠で源義仲が平家軍を破った時も、この戦法を採用したと聞いたことがあります
    「日時」 2023年1月20日  
    「アクセス」JRまたは小田急線小田原駅西口直ぐ

    旅行時期
    2023年01月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 小田原散策(1)で小田原駅観光案内所に寄りました

    投稿日 2024年03月08日

    小田原駅観光案内所 小田原

    総合評価:3.5

    JR小田原駅改札口を出ると、正面にある観光案内所です。入って小田原城総構の観光マップを貰うために立ち寄りました。営業時間は朝9時から夕方5時まで(休業日は年中無休)。ネット検索で、印刷したマップでは不鮮明であったので、この案内所で小田原城総構の案内所を貰いました。私はいつも真っ先に観光案内所に入りマップを貰い、見どころ、バス乗り場、下車バス停名等の説明を聞くことにしています
    「日時」 2023年1月20日  

    旅行時期
    2023年01月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 目黒散策(2)散策で権之助坂を登って目黒駅に向かいました

    投稿日 2024年02月13日

    権之助坂 目黒

    総合評価:3.0

    目黒川にかかる目黒新橋を渡り、目黒駅に向かう坂が権之助坂です。昔の幹線道路は目黒新橋の一本下流にかかる太鼓橋を通る行人坂であったが、急な坂であったために元禄時代に名主であった菅沼権之助がこの権之助坂を開いたことからこの名が付きました(別説もあり)。現在は道幅の広い、交通量の多い、一方通行(目黒新橋に下る)の道になっています。一本南側の行人坂よりは緩やかですが、それでも急坂であるので、観桜散策の後、目黒新橋からこの坂を目黒駅に向かって登るのは結構きつい歩きです。商店街にもなっていますが、余り特徴はありませんでした
    「日時」 2023年3月24日
    「アクセス」JR山手線目黒駅下車、徒歩7分

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 目黒散策(2)散策で目黒新橋を渡って目黒駅に向かいました

    投稿日 2024年02月13日

    目黒新橋 目黒

    総合評価:3.5

    目黒駅から権之助坂を下った先にある、目黒川に架かる橋です。この橋は江戸時代初期のころからこの位置にあったことが確認されています。昭和8年にアーチ橋が懸けられました。玉川通りの大橋からこの目黒新橋の下流側までの目黒川沿い両岸には多くのソメイヨシノが植えられ、桜の名所になっています。今、満開を迎え、多くの人出でにぎわっています。両岸の道からも桜は十分鑑賞できるのですが、人の頭が邪魔で写真撮影しにくいです。目黒新橋の上からだと、人の頭を気にせず、観桜できるし、また写真撮影もできます
    「日時」 2023年3月24日
    「アクセス」JR山手線目黒駅下車、徒歩7分

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 目黒散策(2)中目黒で大鳥神社に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    大鳥神社 目黒

    総合評価:3.5

    創建は806年、ご祭神は日本武尊、国常立尊、弟橘媛命です。大鳥居を潜ると、神楽殿、拝殿、本殿、キリシタン灯篭、櫛塚、境内社目黒稲荷神社、庚申塔、神楽塚、ご神木大銀杏があります。キリシタン灯篭 島原藩下屋敷にあったものが移設される。石に刻まれているイエス像は足が無く、仏像形式に偽装した珍しい灯篭です。キリスタンに対する強い弾圧から逃れようとする策でしょう。弾圧される恐れがあるにもかかわらず、信仰するという強い気持ちに感心します
    「日時」 2023年3月24日
    「アクセス」東急東横線または東京メトロ日比谷線中目黒駅下車、徒歩10分

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で龍昌寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    龍昌寺 中野

    総合評価:3.0

    曹洞宗の一寺、創建は1559年、開山は瑞翁俊鷲大和尚、本尊は釈迦如来像です。山門を通ると、正面に本堂、鐘楼、永徳稲荷神社、地蔵菩薩があります。ガソリンスタンドの洗車場前を通って山門に入るので、大変入りにくいお寺です。お寺があると思えない景色なので、通り過ぎてしまいます。特筆するスポットが無いお寺です
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩12分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 中野散策(1)上高田で源通寺に行河竹黙阿弥の墓を見ました

    投稿日 2024年02月13日

    河竹黙阿弥の墓 中野

    総合評価:3.5

    浄土真宗大谷派の一寺、創建は1610年、開山は祐尊和尚(松本城主小笠原長時の長子長隆)、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、正面に本堂があります。墓地には江戸~明治時代にかけての歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の墓があります。しゃしん正面右が黙阿弥とその長女糸女の墓です。作品は三人吉三、白浪五人男、鼠小僧等が有名ですが昭和時代にはこれの作品は映画化もされています。森繁久彌が日本駄右衛門を演じた映画やその他の作品を見ましたが、当時作者河竹黙阿弥の名は知りませんでした。その後知り、今回墓を見て映画を思い出しました
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩7分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で宗清寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    宗清寺 中野

    総合評価:3.5

    曹洞宗の一寺、創建は1615~1624年、開山は勅諡霊鑑普照禅師、本尊は釈迦如来像です。小ぶりながら立派な藥井門の山門を通ると、正面に本堂、小さな庭園があります。境内は綺麗に整備されています。墓地には江戸時代末期の旗本で、浦賀奉行・長崎奉行を経て、日米和親・日英和親条約締結にかかわりもった水野忠徳の墓があります。幕末の中級旗本(禄高500石)が、時の老中阿部正弘に認められ、上級旗本がなる長崎奉行まで出世して、大役を果たします。すごい優秀な官吏だったことが伺えます
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩9分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で保善寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    保善寺 中野

    総合評価:3.0

    曹洞宗の一寺、創建は1593年、開山は蟠翁門龍大和尚(武田信玄の従弟)、本尊は釈迦如来像です。門が閉じられ中に入ることが出来ません。門のそとからコンクリート造りの本堂が見られます。幼稚園が併設されています。鳥羽藩藩主稲垣家や旧武田家家臣の墓等があるようですが、残念ながら見られません
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩10分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で松源寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    松源寺 中野

    総合評価:3.5

    臨済宗妙心寺派の一寺、創建は1573~1593年、開山は勅諡霊鑑普照禅師、本尊は釈迦如来像です。創建当時「さる寺」と呼ばれ、山門前に標柱と猿の石像が建っている。山門を通ると、正面に本堂があります。墓地には戸田家の墓があります。門前には標柱の上におじさん顔した猿が座っています。江戸時代、この寺の住職が渡船に乗ろうとした時、猿に渡船を止められ遭難を免れたという逸話があります。また墓地には、江戸時代初期の徳川幕府の老中で、初代佐倉藩主戸田忠昌(田原・肥後富岡・岩槻藩主歴任後)が松源寺を菩提寺としたため、大きな戸田家の墓があります
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩6分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で境妙寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    境妙寺 中野

    総合評価:3.5

    天台宗の一寺、創建は1615~1624年、開山は安養坊了善和尚、本尊は阿弥陀三尊像です。山門を潜ると、正面に本堂があります。山門は立派な黒色の藥井門です。黒色門は徳川家ゆかりの寺に見られる門です。紀伊徳川家の霊堂の別当を命ぜられた関係からのようです。庭木は綺麗に整備されていました。山門以外に特筆するスポットはありませんでした
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩11分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で青原寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    青原寺 中野

    総合評価:3.0

    曹洞宗の一寺、創建は1508年、開山は雲岡瞬徳禅師、本尊は釈迦如来像です。藥井門の山門を潜ると、正面に本堂、その他祠、鐘楼、六地蔵等があります。立派な藥井門は見る価値はあるのですが、コンクリート造りの本堂はちょっとという感じです。墓地には戯作者明楽菅江や大名脇坂安重の墓があるのですが、歩きまわりましたが見つけられませんでした。標識を立てて欲しいのですが、お寺さんにも事情があるようです。墓主からお寺さんに対し墓場所を教えないでくださいといわれているお寺もあるようです。マナーを守らない参拝者(見学者)もいるようです。気を付けましょう
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩4分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 中野散策(1)上高田で高徳寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    高徳寺 中野

    総合評価:4.0

    浄土真宗大谷派の一寺、創建は1201年、開山は了智和尚(俗名佐々木高綱)、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、右に新井白石記念ホール、正面に本堂があります。特筆する建造物はありませんが墓地には江戸時代中期の政治家・朱子学者の新井白石、日活の映画スター長門裕之・南田洋子、美容家山野愛子の墓があり、著名人に出会うことが出来ます。往年の日活映画スター、長門裕之・南田洋子夫妻が建立した墓があります。私が中学生のころ、根津山(当時は根津財閥の私有地で、雑木林と草原の丘、現在は整備された世田谷区立羽根木公園)で級友とソフトボールをしていたところ、恋人同士だった長門裕之・南田洋子(当時長門の実家が根津山のすぐ東にあった)が根津山にデートにきていて、我々のソフトを見て、長門さんがチョット打たしてくれと言われたので、バットを渡したことを思い出しました
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩6分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 中野散策(1)上高田で高徳寺に行き新井白石の墓を見ました

    投稿日 2024年02月13日

    新井白石の墓 中野

    総合評価:3.5

    浄土真宗大谷派の一寺、創建は1201年、開山は了智和尚(俗名佐々木高綱)、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、右に新井白石記念ホール、正面に本堂があります。墓地には新井白石の墓があります。白石は江戸時代中期の政治家・朱子学者で、師木下順庵の推挙で、甲府徳川藩に仕える。甲府藩出身の徳川将軍六代家宣、七代家継の代に間部詮房と共に政治改革に努めました。標柱が建っているので、場所は見つけやすいのですが、白石夫婦の墓は石柱に囲まれ高さ50cmほどの墓で分かりにくくまた写真撮影し難い墓でした。風化は若干進み、古い歴史を感じさせるお墓ではありました
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩6分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で満昌院功運寺に行き吉良上野介の墓を見ました

    投稿日 2024年02月13日

    吉良上野介の墓 中野

    総合評価:4.0

    吉良上野介の墓は功雲寺の墓地にあります。功雲寺は曹洞宗の一寺、1948年満昌院と功運寺が合併して満昌院功運寺として創建されました。功雲寺墓地には林芙美子、歌川豊国、吉良上野介義央、武蔵石寿(江戸時代の旗本、本草・博物学者)、今川家、栗崎道有(江戸時代中期の蘭学医)、水野重郎左衛門成之、永井家、糟谷武則等著名人の墓が多くあります。吉良家の墓は大きくて立派で、見ごたえがある宝篋印塔で、墓地の中では目立っています。吉良上野介は三河吉良氏の当主で徳川幕府の職は高家です(世田谷城主の武蔵吉良氏とは先祖が同じ)。赤穂事件(映画や歌舞伎で有名な忠臣蔵)では、浅野内匠頭(内匠頭は切腹、上野介はお咎めなし)に切りつけられ、後に内匠頭家臣赤穂四十七士に討ち取られる敵役になったことで有名です。しかし地元吉良荘では、善政を施す立派な殿さまとして人気があったようです
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩12分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 中野散策(1)上高田で源通寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    源通寺 中野

    総合評価:3.5

    浄土真宗大谷派の一寺、創建は1610年、開山は祐尊和尚(松本城主小笠原長時の長子長隆)、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、正面に本堂があります。墓地には江戸~明治時代にかけての歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の墓があります。木は刈り込まれ、小さな庭が綺麗に整備されていましたが、河竹黙阿弥の墓以外、見どころは見つかりませんでした。このお寺も本堂はコンクリート造りで、最近都心のお寺の建造物はコンクリート造りが多くなりました
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩7分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で満昌院功運寺に行きました

    投稿日 2024年02月13日

    萬昌院功運寺 中野

    総合評価:4.0

    曹洞宗の一寺、1948年満昌院と功運寺が合併して満昌院功運寺として創建されました。本尊は阿弥陀如来像です。旧満昌院の創建は1574年、開基は今川長得(今川義元の三男)です。功運寺の創建は1598年、開基は永井尚政(徳川秀忠時代の老中)です。山門を潜ると、本堂と鐘楼があります。墓地入口には墓マップがあり、著名人の墓の位置が表示されています。林芙美子、歌川豊国、吉良上野介義央、武蔵石寿(江戸時代の旗本、本草・博物学者)、今川家、栗崎道有(江戸時代中期の蘭学医)、長沼国郷、長沼活然斎(国郷の息子)、水野重郎左衛門成之、石井潭香(書家)、永井家、糟谷武則等の墓がある。立派な高麗門の山門、大きな本堂見て感嘆し、武将・大名・旗本・剣術家・文化人等歴史上著名人の墓等を見て、その人達を思い出すのも楽しいことです。今川家、吉良家、永井家の宝篋印塔は立派で、見ごたえがあります
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩12分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 中野散策(1)上高田で鎧神社に寄り狛犬型庚申塔を見ました

    投稿日 2024年02月12日

    狛犬型庚申塔 新宿

    総合評価:3.5

    創建は不詳、898~929年、円照寺が創建されたとき、鬼門鎮護の神祀として創建されたという。御祭神はヤマトタケルノミコト、オオクニヌシノミコト、スクナヒコナノミコト、平将門です。鳥居を潜ると、拝殿、その奥に幣殿と本殿があります。その他、神楽殿、末社稲荷神社、摂社天神社、天神社があります。天神社の両脇に区指定有形民俗文化財になっている雌雄一対の狛犬型庚申塔があります。良く見る庚申供養塔は石板や石柱に「庚申塔」「庚申供養塔」「猿田彦大神」の単なる文字のみの庚申塔、または猿田彦大神や青面金剛が三猿の上に乗っている構図の彫刻が施されている庚申塔が多いですが、ここの庚申塔は狛犬が庚申供養塔と書かれた台座の上に座っています。その狛犬の貌も、普段よく見るいかめしいものでは無く、柔和な感じのものです。私も初めて見るものです。大変珍しいので、石像に興味のある方はご覧になってください
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩8分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 中野散策(1)上高田で円照寺に行きました

    投稿日 2024年02月12日

    円照寺 新宿

    総合評価:3.5

    真言宗豊山派の一寺、創建は不詳、平安時代、開山は貞崇僧都、本尊は薬師如来像です。円照寺のある所は地頭柏木右衛門佐頼秀の旧居跡といわれ、桜が接ぎ木されて残されています。(右衛門桜)。四脚門の山門を通ると正面に本堂、焔魔堂、鐘楼、宝篋印塔、六地蔵、地蔵尊等があります。十八世紀鋳造で区指定有形文化財の梵鐘、割と立派な四脚門の山門、歴史を感じさせる宝篋印塔、枝垂れの右衛門桜、その他の多くの桜、見るべきものが多くあります。特に桜の季節に訪ずれることをお勧めします
    「日時」 2022年12月21日 
    「アクセス」中央線東中野駅下車、徒歩7分

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

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