g60_kibiyamaさんのクチコミ(49ページ)全6,029件
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.5
正式名称は「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」と長いのですが、斜面が花で覆われたモニュメントです。花は生命の象徴ということで、季節ごとに常に手入れされていてデザインも異なるようですね。碑の内部に空襲犠牲者の名簿が記されています。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.5
大手門の前に架かる土橋でここから皇居東御苑に出入りできます。ここも江戸時代は木製の橋だったようですが、大正期に埋め立てられて土橋となっています。欄干のない土橋はその左右の壕込みで認識しないと、単なる通路、壕の仕切りとしか思えず残念です。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.5
江戸城本丸を取り囲む壕のひとつです。北桔橋門の西側、本丸全体の北西側で三日月型にカーブしています。代官町通り側から特に見晴らしの良いポイントがあるわけではありませんが、江戸城の折り重なる石垣が鑑賞できるアングルのひとつです。ちなみに乾門のところからは見えません。
- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.5
浅草寺の境内のもっとも西側、淡島堂のさらに北側にあるお堂です。堂内には六地蔵尊が安置されていて、その下には「寛永通宝」が埋められていると伝わります。江戸時代中期、武士の妻として清貧で潔白に暮らしていた女性が子どもたちが偶然掘り当てた寛永通宝を手にせず、埋め戻させてのちに家が繁栄したことから、現在の兵庫県西宮市に「地蔵尊」を祀った話が江戸まで伝わり、分霊を勧請したのだそうです。商売繁盛のご利益があると信じられています。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:4.0
展望料金は1,000円。6年前に訪れたときから100円上がっていました。世情を鑑みるとしかたのないことです。2006年(平成18年)に高さ107mの新タワーがオープンしました。90mの展望台からは特別史跡五稜郭が見えます。五稜郭は地上からはその形がわからないので、「一度」上ってみる価値はあると思います。ただ位置的には函館市街地が東~南~西に展開されているため、日中はほぼ逆光になります。つまり五稜郭のイメージを膨らませるためにまずは1,000円ということです。展望階には五稜郭の歴史関連展示もありますから、熟読してしっかりもとをとっておきましょう。
- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
1934年(昭和9年)の大火後の復興都市計画の一環として建てられた耐火構造の6校の小学校のうちのひとつです。鉄筋コンクリート4階建てで1938年(昭和13年)に竣工しました。ただし老朽化のために2010年(平成22年)に外壁の一部を除いて解体されてしまっているので、正面から見て当時の面影がわずかにしのばれる程度の現状です。ただここはかつて高龍寺、称名寺、実行寺などが並んでいた寺町で、幕末にアメリカ領事館が置かれた場所であるとともに、1907年(明治40年)に石川啄木がこの弥生小学校で代用教員をしていたことでも知られています。函館では1907年にも大火があり、3か月足らずで啄木は函館を去っています。
- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
五稜郭と同じ、武田斐三郎の設計ということもあり、箱館の防衛施設としてセットで意識されるべき存在が「弁天台場」です。ただ残念なことに箱館戦争で土方歳三らを含む旧幕府脱走軍の守備陣として使用され、1869年(明治2年)の新政府軍による総攻撃で陥落した歴史を持つばかりでなく、完全に解体され、周囲は埋め立てられてしまったため、当時の雰囲気は皆無です。こうしてしかたなく、というか市電終点・函館どつく前横の児童公園の一角に説明板が立てられているだけでも悲哀を感じます。当時の石垣の一部は入船漁港(函館漁港)の護岸の一部に名残を見つけることができるので、興味のある方は少し足を延ばしてみてもよいかもしれません。
- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.5
社伝によるなら、室町時代初期の応安年間(14世紀後半)に始まるとされるのですが、この時代は東北地方から和人が徐々に道南に現れた時代で、中央政権の力が蝦夷地に及んでいない時代です。いわゆる「箱館」に移ったのが17世紀になってからとも伝わり、現在地に確認されるのは明治以降のようです。1859年(安政6年)の箱館開港で港町の人口は爆発的に増えており、それに伴い寺社の数も増えています。幸坂を上りきった場所に社殿があり、箱館戦争の際、旧幕府脱走軍に加わった、桑名藩主松平定敬の御座所に使われたと説明がありました。松平定敬…幕末の一時期は「一会桑」として幕府の中心勢力であったこの藩主の名は箱館における新政府軍との戦いにおいてまったくと言っていいほど耳にしません。御座所は当然ごくごく一時的なものだったと思われます。
- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:2.5
常盤小学校の跡地の公園です。遊具はかろうじてブランコがひとつ。幸坂に限らず、函館の坂は長ければ長いほど上の方の傾斜がきついです。情熱にかき立てられないと(笑)、ずっと上まで上る気力はわかないと思います。てか若い時代に毎日ここを通学していたら、体力がつくことは間違いないかと。それにしても自分のような昭和の後半を生きてきた地元民でも1970年(昭和45年)に廃校になったこの学校の記憶はありません。見方を変えるなら、この時代だったからこそ廃校の悲しみが胸に迫ったのでしょう。それにしてもこの場所に6年間通うのは想像できません。
- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 2.5
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
単に立派な帆船のレプリカです、で終わっちゃうのなら歴史のロマンもへったくれもないでしょうね。箱館丸は1857年(安政4年)に船大工・続豊治が設計した日本最初の洋式帆船であり、そのレプリカは1988年(昭和63年)の青函トンネル開通記念博覧会にて展示されたもの。博覧会の後に豊治の子孫が復元船を買い上げ、函館市に寄贈されています。続豊治はこの一件で当時の箱館奉行・堀利煕に認められ、堀はこの船に乗船して江戸に帰り、その後続は箱館御用船大工棟梁に任命されています。また息子の福士成豊は新島襄の渡航を手助けたことでその名が出てきています。説明板では現在の管理者も不明で人のつながりも見えてこないのが残念ですね。
- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
建物そのものよりもこの場所が函館にとって重要なのではないか?と思われます。松前藩政期の「沖之口番所」に始まり、明治期になると「郵便役所」「船改所」、さらには水上警察署(のちに函館西警察署)があった場所です。1926年(大正15年)竣工の建物はいったん解体、2006年(平成18年)に復原新築されています。なので、裏手に回ってみると「あちゃぁ…」という感じです。それにしても「臨海研究所」って一般観光客が見学してもよい場所なんですかね?
- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.5
店舗兼住宅のほうは1901年(明治34年)の建造です。防火を意識した堅牢な造りは建物両側の袖壁に現れています。1階梁上の3連アーチは洋風で、2階部分は完全に和風です。漆喰仕上げですが函館によく見られる和洋折衷のニュアンスが出ていますね。左隣の建物は応接専用室としての増築で年代は1935年(昭和10年)です。フォルムも壁色も異なりコントラストが明快ですね。それにしても何度かリノベして古民家レストランを指向していますが、他の例にももれず成功していないのはロケーションのせいもあるのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
一瞬国立銀行?と思いましたが、第百十三国立銀行は1878年(明治11年)に設立されていて、北海道に本店を置いた初めての銀行でした。時の流れからか18年ほどで私立銀行に変わっているんですね。建物そのものの年代は1926年だそうですが、資料には昭和元年とあり、金融恐慌が広がり合併消滅(1928年=昭和3年)する直前だったようです。正確を期すなら「第百十三国立銀行」ではなく「第百十三銀行」でしょうね。個人的にはその後の改修の関係からか、昭和レトロな銀行建築の趣は失われていると思います。
- 旅行時期
- 2022年03月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0



























