hiroさんのクチコミ(18ページ)全489件
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投稿日 2018年04月10日
総合評価:4.5
『古河総合公園』は、公園内北側エリアにある「桃林」と「蓮池」部分の約5ヘクタールを1975年(昭和50年)に一部開園しています。
その後に戦後の食糧難を期に開拓で消滅した「御所沼」を1992年(平成4年)から4年の歳月をかけての復元を中心に原風景の再生と新たな名所作りを目指した市民の交流空間として、隣接する約20ヘクタールの敷地を一体的な公園拡大整備が行われ、現在は約25ヘクタールもある広大な公園となっています。
2003年(平成15年)には、「消滅沼(御所沼)の復元による自然と文化の再生」、「自然と人間との多様な接触を表現したデザイン」、「四季折々の自然に親しむ市民の営み」などが高く評価され、アジアで初めて『古河総合公園』がユネスコ主催の「メリナ・メルクーリ国際賞」を受賞しています。
「メリナ・メルクーリ国際賞」は、世界の主要な文化景観保護と保護活動促進に貢献した優れた活動に対して功績をたたえることを目的として2年ごとに表彰する賞で、統合された保護と持続可能な開発の先駆者であったギリシャの著名な女優であり政治家として文化大臣を務めた「メリナ・メルクーリ」氏(1920年~1994年)の名を取り、1997年(平成9年)に設置されています。
2015年(平成27年)には、「古河市合併10周年記念事業」として実施された『古河総合公園』施設愛称公募で、愛称が『古河公方公園(こがくぼうこうえん)』 となりました。
『古河公方』については、室町時代(室町幕府8代将軍「足利義政」の時代)の第5代鎌倉公方「足利成氏」が、「享徳の乱」の内乱が発端となり、1455年(享徳4年)に本拠地を鎌倉から古河に移して、「御所沼」に突き出した半島状の台地に連郭式の中世城館「古河公方館」を構え、初代『古河公方』と呼ばれるようになっています。
その後に約1キロメートルほど北西側の渡良瀬川沿いに「古河城」を築城し、「足利政氏」・「足利高基」・「足利晴氏」・「足利義氏」の5代に渡り、1583年(天正11年)までの128年間、『古河公方』が受け継がれています。
『古河総合公園』内の「古河公方足利成氏館跡」は、1933年(昭和8年)に「茨城県指定文化財(史跡)」指定され、現在も「史蹟 古河公方館址」碑の西側に堀跡・土塁が明瞭に残っています。
また、『古河総合公園』内には、1933年(昭和8年)に「茨城県指定文化財(史跡)」指定されている「古河公方足利義氏墓所」(第5代古河公方)もあります。
「桃林」については、江戸時代初期の古河城主「土井利勝」が領地内で燃料となる薪が乏しかったため、成長が早くて果実が食料にもなる桃の木を育てたのが始まりとされており、明治時代になると花見シーズンに臨時列車が運行されるほど賑わいがあったそうです。
『古河総合公園』の「桃林」は、1975年(昭和50年)に一部開園したのを機に江戸時代初期からの桃林を復活させたものです。
その他にも『古河総合公園』内には、1968年(昭和43年)に国の重要文化財に指定された「旧飛田家住宅」および1973年(昭和48年)に茨城県の有形文化財に指定された「旧中山家住宅」が、それぞれ1975年(昭和50年)に移築されていたり、「花菖蒲田」、古代蓮の実を発芽させた「大賀蓮池」、イベントステージのある「芝生広場」、木製フィールドアスレチック施設がある「遊具広場」、バーベキューを楽しむこともできる「カフェレストラン」などがあり、四季を通じて大人から子供まで家族で一日楽しめる公園です。
最寄り駅からの『古河総合公園』までの距離は、 JR宇都宮線「古河駅」、東武日光線「新古河駅」から約2.6キロメートルのため自動車での利用をお勧めします。
『古河総合公園』は、駐車場が完備されており基本無料で利用できますが、祭り開催時などの繁盛時期に限り有料となります。
今回は、『古河総合公園』開園翌年の1976年(昭和51年)から「日本一の花桃の里」として開催されている「古河 桃まつり」の期間中である3月最終日に初めて訪れました。
『古河総合公園』内の「桃林」には、5種類の花桃(矢口・源平・菊桃・寿星桃・寒白)が約2000本あり見ごたえがありました。
訪れた日はちょうど桃と桜が満開で天気も良く、とても賑わっていました。
また、「大賀蓮(古代蓮)」など四季折々の花を見に訪れてみたい公園です!- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 自動車での利用をお勧めします!
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
- 「古河 桃まつり」(日本一の花桃の里)は、見ごたえ充分です!
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毎年1月から3月は、芸術系学生たちによる「卒業制作展」で楽しめます!
投稿日 2018年04月01日
総合評価:4.0
『東京都美術館』は、1926年(大正15年)に日本初の公立美術館「東京府美術館」として「上野恩賜公園」内に開館しています。
『東京都美術館』の現在の建物は、開設当時の建物老朽化および来館者や使用団体の増加に対応できなくなったことにより、1975年(昭和50年)に地下2階、地上2階建て、延べ床面積31,944平方メートル、鉄筋コンクリート造・一部鉄骨鉄筋コンクリート造の新館として、開設当時の旧館の隣に完成したものです。なお開設当時の旧館は、1977年(昭和52年)に取り壊しとなり「上野恩賜公園」の敷地となっています。
新館の建物は、日本を代表する建築家「前川國男」氏による設計で、第17回「建築業協会賞(BCS賞)」を受賞しています。
「BCS賞」は、旧・建築業協会(通称:BCSは、「建築業協会」英語表示の頭文字です。現在の団体名は「日本建設業連合会」)によって1960年に創設された賞で、国内の優秀な建築作品を毎年表彰している名誉ある賞です。
また、「上野恩賜公園」内には、建築家「前川國男」氏が設計した建物として、「東京文化会館」、「国立西洋美術館 新館」があります。
2010年(平成22年)から約2年間に渡り『東京都美術館』は休館となり建物老朽化による大規模改修工事(ユニバーサルデザインの整備、展示室の環境改善、エレベーター・エスカレーターの増設、レストラン・ショップの拡充など)が行われ、2012年(平成24年)にリニューアルオープンしています。
『東京都美術館』は、「創造と共生の場」、「心のゆたかさの拠り所」を意識した「アートへの入口」として「企画展」の他に多くの「公募団体展」の会場としてのイメージがあり、以前にも「公募団体展」を見に数回訪れたことがありました。
「日展」、「二科展」、「国展」などの大規模な「公募団体展」が、2007年(平成19年)に東京都港区六本木に開館した「国立新美術館」に会場を移していますが、今回は、「美術大学」、「芸術系高校」の「卒業制作展」を見に訪れました。
学生たちによる卒業に向けて取り組んできた様々な想いのこもった作品を見て廻るのも楽しいものです!
各学校の「卒業制作展」は、毎年1月から3月にかけて行われているとのことなので、機会があればまた見に訪れたいです。
また、定期的に誰でも参加できる(当日先着30名まで)「建築ツアー」(「美術館の建物そのものも楽しんでほしい!」そんな思いから始まったツアー)があるようなので、こちらにも機会があれば参加してみたいと思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 上野動物園表門(JR上野公園口)の脇です!
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 芸術系学校の「卒業制作展」は入場無料です!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2018年03月21日
総合評価:4.5
東京最古の寺院として知られる『浅草寺』(山号:金龍山)は、1949年(昭和24年)まで「天台宗」に属した寺院でしたが、1950年(昭和25年)より「聖観音宗」の総本山となっています。
創建は、628年(推古天皇36年)に宮戸川(現在の隅田川)の河口である江戸浦で漁の最中に投網にかかった「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」の尊像を草で作ったお堂に祀り、その後にこの土地の長であった「土師中知(はじのなかとも)」が私宅を寺に改めて「聖観音菩薩像」を奉安供養したことによるとされています。
645年(大化元年)には、浅草の地を訪れた僧の「勝海上人(しょうかいしょうに)」が観音堂を建立し、夢告に従って「聖観音菩薩像」を絶対秘仏の本尊と定めています。
平安時代初期の857年(天安元年)に天台宗山門派の僧で「瀧泉寺(目黒不動)」、「立石寺(山寺)」、松島の「瑞巌寺」など(関東209寺、東北331寺余り)を開山・再興したとされる「慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)」が、絶対秘仏の本尊の身代わりとして人々が拝むための「前立観音菩薩」を謹刻されたとされています。
これを機に『浅草寺』は、観音菩薩の聖地として発展し、七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、「雷門」、「仁王門(現・宝蔵門)」などが建立されたとされています。
平安時代末期の1180年(治承4年)には、平家追討の陣を進める「源頼朝」が勝利を祈願に参拝、室町時代(南北朝時代)の1352年(南朝:正平7年/北朝:観應3年)には、室町幕府初代将軍「足利尊氏」が参詣に訪れるなど、安土桃山時代にかけて霊験あらたかな寺として各地に『浅草寺』の名が知れ渡りさまざまな武将の崇敬を集め、1590年(天正18年)に江戸に入府した「徳川家康」が祈願所に定めています。
『浅草寺』は、長い歴史の中で幾度も被災と再建を繰り返しており、1649年(慶安2年)に江戸幕府3代将軍「徳川家光」が願主となって再建された本堂が1907年(明治40年)に「国宝」に指定され、1923年(大正12年)の関東大震災でも倒壊を免れますが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しています。
現在の本堂は、鉄筋コンクリート造りで1958年(昭和33年)に旧本堂の入母屋造りの大屋根の姿を基本に再建されています。
また、2010年(平成22年)に本堂屋根の本瓦葺きが安全強化のために軽量のチタン瓦(本瓦の1/3の重量)への葺き替え工事が行われていますが、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わる寺社建築に全く違和感を覚えることはありません。
『浅草寺』では、2015年(平成27年)から「江戸開府四百年」記念事業として「本堂」、「五重塔」、「雷門」、「宝蔵門」の夜間ライトアップが実施されています。
浅草を訪れた際は、必ず『浅草寺』を参拝していますが、今回はじめて昼間と夜間ライトアップされた『浅草寺』境内を見て廻りました。
昼間と夜間の『浅草寺』境内は、全く雰囲気が異なり楽しかったです!
機会があれば、また『浅草寺』境内の昼間と夜間の両方を見て廻りたいと思いますし、お薦めします!
また、本堂内陣中央にある「御宮殿」の中に内には、本尊の「聖観世音菩薩」(絶対秘仏)、「前立観音菩薩」などが奉安されているそうです。
本尊の「聖観世音菩薩」は絶対秘仏のため姿を参拝できませんが、「前立観音菩薩」については、「御宮殿御煤払・御宮殿開扉法要(ごくうでんおすすはらい・ごくうでんかいひほうよう)」により12月12日の17時から13日の正午まで、本尊を奉安する「御宮殿」の煤払いと開扉法要が古式に則り厳粛に営まれ、12月13日の14時には、一般信徒結縁のため再び「御宮殿」の扉が開かれ「御宮殿開扉法要」が営まれ、一般の信徒は年に一度のこの間に限り「前立観音菩薩」像を拝することができます。
機会があれば「御宮殿開扉法要」に合わせて参拝もしてみたいです!- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 東京メトロ「浅草駅」から浅草寺本堂まで450メートル程度です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 昼間は、参拝客で賑わっています。
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
- 夜間ライトアップは、お薦めです!
-
投稿日 2018年03月18日
総合評価:4.5
『地魚回転寿司 丸藤 本店』は、JR外房線「安房鴨川」駅改札前から県道247号線を東側に約550メートル(徒歩7分程度)、国道128号線(外房黒潮ライン)との合流地点に位置する「潮騒市場」内にあります。
「潮騒市場」は、「旬刊旅行新聞」を発行している「旅行新聞社」が毎年主催している「プロが選ぶ土産物施設100選」に連続で何度も選ばれている「お食事処」や地元特産の「お土産品ショップ」などの施設が充実しているお薦めの大型観光施設です。
「潮騒市場」敷地内は、大型観光バスが立ち寄れる広いスペースの駐車場があり、国道128号線(外房黒潮ライン)沿いなので自動車での利用がとても便利です。
ゴールデンウィーク期間中の昼12時過ぎに家族でランチのため『地魚回転寿司 丸藤 本店』に立ち寄りました。
南房総の地魚にこだわっている本物志向の地元回転寿・本店とのことで人気のあるお店で待ち時間が1時間弱となりましたが、待ち時間を利用して「潮騒市場」内にある地元特産のお菓子・海産物・農産物・地酒などが充実した「お土産品ショップ」を見て廻ることができたので、待ち時間はほとんど気になりませんでした。
『地魚回転寿司 丸藤 本店』の店舗内は、メインである回転寿司コーナーのカウンター席とファミリー用のボックス席、セットメニューや一品料理などを注文するお座敷席の2パターンに分かれます。
今回は、子供たちの意見を優先して回転寿司コーナーのボックス席での食事となり、お店自慢の南房総の旬の地魚にぎり寿司などを美味しく堪能できました。
そのほか家族みんなの意外な意見として自家製ではないかと思われるガリが美味しく好評でした。
人気のある店舗で待ち時間などがありますがお薦めの回転寿司店です!
『地魚回転寿司 丸藤』は、館山自動車道「君津インターチェンジ」近くの大型観光施設「房総四季の蔵」にも支店を出店しています。
鴨川や君津など南房総を訪れた際にまた立ち寄りたい回転寿司店です!- 旅行時期
- 2017年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.5
- 国道128号線(外房黒潮ライン)沿いJR外房線・安房鴨川駅のすぐ近くです
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 4.5
- 南房総の地魚にこだわりのある店舗です
- バリアフリー:
- 3.5
- 駐車場と店舗入り口に段差があります。
- 観光客向け度:
- 4.5
-
思わず立ち止まってしまう可愛らしい郵便ポストで心が和みます!
投稿日 2018年03月17日
総合評価:4.0
2011年(平成23年)2月に2頭のジャイアントパンダ(2017年6月「恩賜上野動物園」で誕生した”シャンシャン”の両親である”リーリー”と”シンシン”)が、「中国ジャイアントパンダ保護研究センター」から3年ぶりに「恩賜上野動物園」に送られ、同年3月からの一般公開を記念して「日本郵政グループ」が東京都内の郵便局において同年8月から発売開始したオリジナルフレーム切手セット「恩賜上野動物園 リーリー&シンシン」に合わせて、『パンダ郵便ポスト』が「上野恩賜公園」内に設置、2011年(平成23年)8月1日に除幕式が行われています。
『パンダ郵便ポスト』は、通常の四角い郵便ポストに”耳としっぽ”を模り、可愛らしいジャイアントパンダの”顔および模様”の塗装が施されています。
設置されている場所は、「上野恩賜公園」内で「恩賜上野動物園」表門入口(JR上野駅公園口方面)付近にあり、「上野恩賜公園」側から「恩賜上野動物園」表門入口に向かって右手に位置します。
『パンダ郵便ポスト』に投函された「定形郵便物(手紙・はがき)」には、上野郵便局の「風景印(風景入通信日付印)」が消印として使用されるそうです。
「風景印(風景入通信日付印)」とは、消印の一種で各郵便局名および押印年月日欄と共に各郵便局周辺の名所旧跡などの図柄が描かれている全国各地の郵便局オリジナルの印です。
ちなみに上野郵便局の「風景印(風景入通信日付印)」は、2001年(平成13年)に図案改正されたもので、”上野動物園のパンダ、西郷隆盛像、国立博物館、重文・旧寛永寺五重搭、サクラ”の図柄が描かれています。
今回、「東京都美術館」を訪れた帰りに『パンダ郵便ポスト』の前を通りました。
通りかかった際に幼稚園生くらいの小さい子供連れの三世代家族と思われる方達が『パンダ郵便ポスト』の前で記念写真を撮ったり手紙を投函したりしている姿を見て、自分も思わず立ち止まり写真を撮りました・・・
また近くを訪れた際に『パンダ郵便ポスト』で手紙を投函してみたいと思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年02月25日
総合評価:4.0
『浅草オレンジ通り』は、「浅草寺」の表参道である「仲見世通り」の西側に並行している、雷門通り「浅草一丁目」交差点から北側へ「浅草寺」の本坊である「伝法院」通用門までを結ぶ車道がオレンジ色のカラー舗装された約170メートルの通りの名称です。
この『浅草オレンジ通り』と呼ばれるようになる以前の通りの名称は、東京府東京市の「浅草区役所」建物が通りに面してあり、その後に東京都として1947年(昭和22年)に「浅草区」と「下谷区」が合併し「台東区」となった後も、建物はそのまま「台東区第二庁舎」となっていたため、「区役所通り」と呼ばれていたそうです。
「台東区第二庁舎」の老朽化による解体後の跡地に1977年(昭和52年)「浅草公会堂」が開館したことに合わせて、「覚えやすく」、「親しみやすい」、「フレッシュな」印象で今後の発展を願い、通りの名称が『浅草公会堂オレンジ通り』となり現在に至っています。
「浅草公会堂」の正面玄関出入口脇の『浅草オレンジ通り』歩道に面して、様々なジャンルのスターの方々の「サイン入り原寸大手形」が刻印されたアルミ製プレートが設置されている「スターの広場」、「スターの手形」が観光スポットにもなっており、『浅草オレンジ通り』は、浅草観光の人力車がよく通ります。
浅草を訪れた際によく「スターの広場」を立ち寄りますが、様々なジャンルのスターの方々の名前探しながら手形を比べてみるのも楽しいもので、時間が経つのも忘れてしまいます。
お薦めの浅草観光スポットです!- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 東京メトロ「浅草駅」から徒歩数分です!
- 品揃え:
- 4.0
- 「スターの広場」には、様々なジャンルのスターの手形があります!
- バリアフリー:
- 4.5
-
コンサートホール(大ホール)は、「優良ホール100選」に認定されています!
投稿日 2018年02月11日
総合評価:4.5
『東京芸術劇場』は、池袋駅西口の「豊島区立 池袋西口公園」に隣接していた「旧東京学芸大学附属豊島小学校」跡地を東京都が国から取得し、1990年(平成2年)にオープンした東京都の総合芸術文化施設です。
『東京芸術劇場』ができる以前の「豊島区立 池袋西口公園」周辺は、夜になると薄暗く閉鎖的で雰囲気の良くなかった地域でしたが、『東京芸術劇場』のオープンに合わせて再整備が行われて、『東京芸術劇場』と一体感のある開放的で明るく人が集う公園(広場)に生まれ変わっています。
地下4階、地上10階建ての建物内には、7階から9階にフランスのガルニエ社製作による2面の外観を持つパイプオルガン(2台のオルガンを180度回転する方式のルネサンス・バロック・モダンの各様式に対応)が舞台正面に据え付けられているオーケストラの演奏に適した本格的なクラシック専用の「大ホール」、2階から3階にオーケストラピットを備えオペラ・バレエ・演劇などに適した「中ホール」、地下1階に多目的ホールとして可動床により自由な形式での舞台表現が可能な「小ホール1」およびプロセニアム形式による多目的ホールの「小ホール2」の大・中・小4つのホールのほか、5階に「展示ギャラリー」などの施設を完備しています。
通常の劇場ホール施設などでは、大ホールを地上階に近い場所に配置するのが一般的ですが、『東京芸術劇場』の場合は敷地北側一部地中に地下鉄「有楽町線」が通っているため、地下鉄の振動・騒音などの影響を考慮して、メインとなる「大ホール」を建物上層階に配置する設計となっています。
建物内北側は、ガラス傾斜屋根の特徴のある地下1階から地上5階までの吹き抜け空間となっており、地上の「豊島区立 池袋西口公園」からの出入口と地下1階に「池袋駅」地下道に直結の連絡通路が設置されていますので、天候の悪い日でも駅から傘などを使用しなくても大丈夫です。
建物内北側の吹き抜け空間から各ホールへ繋がるメインの移動手段として、エスカレーターが設置されおり、特に「大ホール」には大勢の観客がスムーズに移動可能な2階から5階までの直通エスカレーターが設置されています。
建物オープンから20年以上経過した2011年(平成23年)から2012年(平成24年)には、建物施設を全面休館として大規模なリニューアル工事が行われています。
大規模リニューアル工事で大きく変わった点は、ガラス傾斜屋根の吹き抜け空間の中央に設置されていた1階から5階までの直通エスカレーターが、片面壁に固定される形で1階から2階と2階から5階までに分割したエスカレーターに改修されています。
おそらく大地震などでエスカレーターが崩落しないように対処したものと思われます。
その他に「中ホール」がオペラハウスの空間を連想させる曲面を強調した木目調の内装から、日本の芝居小屋を連想させる直線的なコンクリートとレンガの内装に一新しています。
リニューアル工事に合わせて大・中・小4つのホールに愛称が付けられて「大ホール」が「コンサートホール」(客席数:1999席)、「中ホール」が「プレイハウス」(客席数:834席)、「小ホール1」が「シアターイースト」(客席数:272席から324席の可変)、「小ホール2」が「シアターウエスト」(客席数:195席から257席の可変)となっています。
また、『東京芸術劇場』の「コンサートホール(大ホール)」は、「日本音響家協会」と「日本劇場技術者連盟」の共催で、劇場技術者からみた使いやすい優良なホール(劇場・音楽堂)を審査により認定する「優良ホール100選」に選ばれています。
大・中・小4つのホールには、リニューアル工事前に訪れたことがあり、リニューアル工事後も「コンサートホール(大ホール)」、「プレイハウス(中ホール)」を訪れています。
今回は、成人の日に「コンサートホール(大ホール)」で行われていた「音楽成人式」に行ってみました。
アマチュア・オーケストラ(豊島区管弦楽団:東京都23区では初の区設置の管弦楽団)による演奏でしたが、生オーケストラを久しぶりに聴きました。
30分程度の短い演奏でしたが、本格的なホールでの生演奏を聴けたのはとても良かったです。
『東京芸術劇場』の「コンサートホール(大ホール)」には数回訪れていますが、このホールの象徴でもある「パイプオルガン」の演奏を聴いたことが無いので、次回は是非「パイプオルガン」の演奏を聴いてみたいです!
また、リニューアル工事後の「シアターイースト(小ホール1)」、「シアターウエスト(小ホール2)」に入ったことが無いので、どのように変わっているのかも気になります・・・
その他『東京芸術劇場』は、コンサート・演劇などの鑑賞以外でも、池袋駅地下通路「2b出口」と直結し、池袋駅西口からも徒歩2分程度と駅に近く、ガラス傾斜屋根の吹き抜け空間の各所にベンチ(イス)が設置されているので、待ち合わせ場所として利用するのにも便利です!- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 池袋駅地下通路に直結、池袋駅西口から徒歩2分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
- ガラス傾斜屋根の吹き抜け空間が印象的です!
-
7階にある富山県民小劇場ORBIS(オルビス)は、ステージと客席との一体感・親近感が味わえます!
投稿日 2018年02月03日
総合評価:4.0
『マリエとやま』は、「富山駅」南口東側にあった旧「国鉄官舎」跡地を1987年(昭和62年)に「富山駅周辺整備事業」の一環として建設された「富山ターミナルビル」(7階建ての複合商業施設)の名称です。
この建物は、1988年度(昭和63年度)に「富山県建築士会」による地域の建築文化の振興に寄与することを目的とした富山県内の優秀な建築作品を表彰する第19回「富山県建築賞」に入賞しています。
建物内部は、1階から4階にレディスファッションを中心とした店舗、5階には書籍・生活雑貨・クリニック、6階にレストラン・カフェ、7階に旅券センター・小劇場があります。
今回は、7階にある「富山県民小劇場ORBIS(オルビス)」で行われたお笑いライブを観に立ち寄りました。
「富山県民小劇場ORBIS(オルビス)」は、総面積が約200平方メートル(客席数最大220席)とコンパクトな多目的ホールですが、舞台機構として舞台フロアの床面が10分割でき9基の昇降装置により床面高さを+35センチメートルから-15センチメートルの範囲で調整することが可能で、中央にある円形舞台(直径4.2メートル)は速度可変で回転させることもできる装置が完備されており、客席とステージを多彩なパターンの舞台レイアウトで演出することができます。
コンパクトで舞台レイアウトを自由に演出できるので、ステージと客席との一体感・親近感を味わうことのできるミニコンサートや演劇などの小規模なイベントに最適な劇場です。
今回のお笑いライブは、「富山テレビ放送」主催による地元富山県出身「お笑いコンビ」の単独ライブで、客席数も最大となるノーマルな舞台構成によるものでしたが、客席も満席でステージと客席が近く一体感が感じられ楽しいひとときを過ごすことができました。
機会があれば、「富山県民小劇場ORBIS(オルビス)」の多彩なパターンの舞台レイアウトでコンサートや演劇などの色々なイベントを楽しんでみたいです。
ちなみに劇場の名称となっている”ORBIS(オルビス)”は、ラテン語で「円・回転」の意味で、ラテン語の「大地」を意味する”TERRAE(テラエ)” を組み合わせると「世界・地球・人類」を意味するそうです。- 旅行時期
- 2017年04月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
-
投稿日 2018年01月21日
総合評価:4.0
『真盛堂(しんせいどう)』は、結城市内で手作り和菓子処のお店として1932年(昭和7年)に創業した老舗です。
敷地内には、手作り和菓子を販売する建物と蔵造りの和カフェ『甘味茶蔵 真盛堂』があります。
今回は、「結城市観光協会」主催の”第9回 きもの day 結城”の催しに合わせて街並みを散策しに結城市を訪れて、結城市出身の知人にお勧めランチのお店として紹介してもらい食事をするため『甘味茶蔵 真盛堂』に立ち寄りました。
「結城市」は、2010年(平成22年)に「ユネスコ無形文化遺産」に登録された日本最古ともいわれる絹織物「結城紬」の産業が受け継がれており、鎌倉時代からの城下町でもあることから伝統と歴史を感じさせる街並みとなっており明治・大正時代の蔵造りの建物も多く残されています。
『甘味茶蔵 真盛堂』の建物も1903年(明治36年)に建てられた蔵を改装した2階建ての店舗となっていて、”和カフェ”として手作りの甘味とランチを提供する結城の街並みに溶け込んだ落ち着いた雰囲気の店構えとなっています。
店舗内部は、1階がテーブル席で、2階が畳の和室と板貼りの座敷となっていて、建物外観と同様に和の落ち着いた雰囲気のある造りとなっています。
店員の方から「お好きな席へどうぞ・・・」と言われ屋根の小屋組を見上げられ蔵の窓から外が見える2階・板貼りの座敷を選びました。
通常ランチメニューは、「月替わりランチ」、「お赤飯セット」などが用意されている様ですが、”きもの day 結城”のイベント期間は、お弁当のみのメニューでした。
「栗おこわ」と「お赤飯」に結城名物「すだれぶのごま和え」等々、身体にやさしいヘルシーメニューのお弁当で美味しかったです。
コーヒー(お替わり自由)も付いており、板貼りの座敷で屋根の小屋組を見上げながらゆっくりとくつろぐことが出来ました。
また、お弁当の中には、『真盛堂』こだわりのある結城伝統の手造り「ゆでまんじゅう」も入っており、初めて食べましたが、ツルツルもちもち食感でこちらも美味しかったので、お土産に買って帰りました。
「ゆでまんじゅう」の歴史は古く、江戸時代末期に結城地方で疫病が流行した際、疫病平癒を願って神輿が奉納されて「ゆでまんじゅう」も一緒にお供えされ、お殿様から民衆にもふるまわれたことから、結城の「健田須賀(たけだすが)神社」夏の大祭の日に各家庭でゆで饅頭を作り、無病息災や五穀豊穣を願う習わしとなり、四季を通して結城名物となったそうです。
今回の結城の街並み散策では、街並みを撮影するアマチュアカメラマンの方を多く見かけました。
『甘味茶蔵 真盛堂』も撮影スポット、休憩や食事処としてお勧めします。
『甘味茶蔵 真盛堂』へのアクセスは、「結城駅」北口から県道302号線を北に向かって徒歩10分程度(約750メートル)、県道35号線との交差点(信号あり)の角に位置します。
また、結城を訪れた際に立ち寄りたい店舗です!- 旅行時期
- 2017年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.0
- 結城駅から徒歩10分程度です。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- ランチはコーヒー(お替わり自由)付です。
- 雰囲気:
- 5.0
- 落ち着いた雰囲気のくつろぎ空間です!
- 料理・味:
- 4.0
- 身体にやさしいヘルシーメニューです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 2階の座敷席へは、少し狭い階段のみです。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 結城市内散策の休憩・食事処として最適です!
-
投稿日 2018年01月07日
総合評価:4.0
『富山市郷土博物館』は、「富山駅」南口から徒歩12分程度(約1キロメートル)の富山市中心部に位置する「富山城址公園」内にある鉄筋コンクリート構造(3重4階建て)の「富山城模擬天守」の建物になります。
館内は、1階にチケット販売所があり、2階に「展示コーナー」のほかコインロッカー・トイレ(エレベーター・多目的トイレも設置)、4階に「天守展望台」(2階の展示コーナーから階段のみになります)、3階は関係者のみのスペースで一般者の立ち入りは出来ません。
「富山城模擬天守」は、1954年(昭和29年)戦災復興事業の完了を機に開催された「富山産業大博覧会」の記念建築物としてが建設され、「富山産業大博覧会」終了後に建物内部は「富山市郷土博物館」として開館しています。
また、2004年(平成16年)には、戦災復興期を代表する建築物として「地域の景観の核」との評価により国の「登録有形文化財(建造物)」に登録され、2017年(平成29年)に「日本城郭協会」が創立50周年を記念して発表した「続日本100名城(101番~200番)」に選定(134番)されています。
「展示コーナー」では、「富山城」の歴史を展示テーマ「富山城ものがたり」として、戦国時代に築城されてから明治時代以降までの城址の変遷を「中世」、「近世」、「近現代」に分けて紹介しています。
「中世」では、種子島に火縄銃が伝来した戦国時代の1543年(天文12年)頃に豪族・水野勝重(後の神保長職)による「富山城」築城から、織田信長の家臣・佐々成政の富山城入城、1582年(天正10年)本能寺の変を経て、1585年(天正13年)豊臣秀吉による征討により佐々成政が降伏し「富山城」が破却されるまでを展示しています。
「近世」では、加賀前田家2代の前田利長(利家の長男)が隠居城として「富山城」や城下町を整備してから、富山前田家初代・前田利次より富山前田家13代・前田利同に明治維新を迎えて「富山城」廃城となるまでを展示しています。
「近現代」では、1871年(明治4年)廃藩置県により廃城・解体から「富山城模擬天守」建設などを展示しています。
「中世」、「近世」、「近現代」に至る歴史資料に基づいて綴られていく歴史体験により、「富山城」の歴史の中で、何が分かっていて、何がわかっていないのかを分かりやすく学ぶことができます。
「展示コーナー」には、「富山城」の歴史についての理解度を判定するクイズを出題してくれるパソコンが設置されていてハマってしまいました・・・(笑)
歴史好きの方にお勧めの観光スポットです!
また、「展示コーナー」から階段で4階「天守展望台」に出ることができます。
「富山城模擬天守」は、4階建ての建物なので「天守展望台」と言っても高さは大したことはありませんが、お殿様気分で天守を360度、廻って見ることができます。
但し、鳥避けの金網が全面に張り巡らされているので「天守展望台」からの写真撮影には不向きです。
また、『富山市郷土博物館』のほかに共通観覧チケットで「富山城址公園」内にある「佐藤記念美術館」の観覧も合わせて可能となっています。
今回は時間に余裕が無かったので、「佐藤記念美術館」まで観て廻ることが出来ませんでした。
次回訪れた際は、じっくりと「富山市郷土博物館」や「佐藤記念美術館」を観て廻り、「富山城址公園」でゆっくりくつろぎたいです・・・- 旅行時期
- 2017年04月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 富山駅南口から約1キロメートルです。
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
- 富山城の歴史について理解度を判定するクイズを出題してくれるパソコンが設置されています。
- バリアフリー:
- 3.5
- エレベーター、多目的トイレが設置されていますが、天守展望台は階段のみです。
-
投稿日 2018年01月04日
総合評価:4.0
『仲見世通り』は、創建628年(推古天皇36年)である東京最古の寺院として知られる「浅草寺」の総門「雷門 (風雷神門)」から「宝蔵門(仁王門)」までの長さ約250メートルの表参道で、参道の両側に江戸趣味小物やみやげ物、お菓子などを売る商店(東側に54店舗、西側に35店舗)が建ち並ぶ浅草で最も賑わい活気のある通りです。
『仲見世通り』の歴史は、第4代将軍「家綱」から第5代将軍「綱吉」に代わる時代の1685年(貞享2年)頃に「浅草寺」が江戸の人口増加に合わせて「浅草寺」参拝客の増加に伴い、付近の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに「雷門」をくぐったあたりの参道両側にあった支院の軒先に床店(小屋掛けの店)を出す許可を与えたことが始まりされ、日本で最も古い商店街のひとつと言われています。
第11代将軍「家斉」の時代である1817年(文化14年)には、雨が降ると地面がぬかるんでいた参道に敷石が施されています。
明治時代になると「浅草寺」の土地が政府に没収され『仲見世』も東京府の管轄となり、1885年(明治18年)には煉瓦造りの洋風の建物に一新されています。
1923年(大正12年)の関東大震災で壊滅しますが、1925年(大正14年)に鉄筋コンクリート造りの朱塗りの商店街として復活しています。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で外構えを残して焼け落ちてしまいますが、終戦後に補修して現在に至っています。
1985年(昭和60年)には、「近代仲見世誕生100周年」を記念して電飾看板改修工事、参道の敷石取替工事が実施、1989年(平成元年)に「浅草絵巻」と題して店舗シャッターに浅草の歳事が描かれています。
また、1994年(平成6年)には、無電柱化による地中電線に切り替わり、すっきりとした参道となっています。
『仲見世通り』は、浅草を訪れた際に必ず立ち寄り「浅草寺」を参拝する参道ですが、今回は浅草に21時過ぎまでいたので初めてライトアップされた「浅草寺」を訪れて、『仲見世通り』にも立ち寄りました。
人もまばらで昼間と異なる雰囲気を味わうことができました。
閉店後のシャッターに描かれた絵を見ながら通る『仲見世通り』も昼間とのギャップを体感できて楽しかったです!
ライトアップされた「浅草寺」と合わせて夜の浅草散策する際は、『仲見世通り』もお薦めスポットです。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 浅草駅から徒歩3分
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 日中は、ものすごい人込みです!
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
「探せる・見せる・支える」をコンセプトとした誰でも気軽に利用できる施設です!
投稿日 2018年01月02日
総合評価:4.0
『浅草文化観光センター』は、1985年(昭和60年)に台東区が浅草「雷門」の道路(雷門通り)を挟んだ向い側の角地に位置していた2階建ての銀行の建物を買い取って、開設した台東区の観光案内施設です。
現在の建物は、2008年(平成20年)に建物の老朽化による建替えのために実施された「設計案コンペティション」により、最優秀作品となった「株式会社隈研吾建築都市設計事務所」の設計によるもので、2012年(平成24年)に地上8階建て、地下1階の鉄骨構造、一部鉄骨鉄筋コンクリート構造の建物として完成しています。
ちなみに「株式会社隈研吾建築都市設計事務所」は、2020年開催予定の「東京オリンピック」メイン会場となる「新国立競技場」の設計を手掛けるなど日本を代表する世界的な建築家・隈研吾氏が設立した設計事務所です。
『浅草文化観光センター』の建物外装には、不燃加工を施した杉の集成材ルーバーを使用して木の温もりを感じさせる独創的な和モダンの建物となっており、2012年(平成24年)に「グッドデザイン賞」を受賞しています。
今回は、最上階(8階)にある「展望テラス」(無料)に行ってみたいと思い昼間と夜に立ち寄りました。
「展望テラス」からは、「スカイツリー」、「雷門」から「仲見世通り」、「浅草寺本堂」、「浅草寺五重塔」など浅草の街並を一望できるお薦めのビュースポットです!
「展望テラス」には、ベンチも設置されているのでくつろぎながら浅草の街並の眺望を楽しめます。
「展望テラス」の利用時間は、9時から22時までとなります。
8階「展望テラス」の脇には浅草の街並を一望できる「カフェ&バー」(営業時間:10時から20時)もあります。
建物1階には、日本語、英語、中国語、韓国語による「観光案内カウンター」、「浅草の街の模型展示」、「外貨両替所」などがあり多くの方々で賑わっていました。
また、2階には「観光情報コーナー」(無料で利用できる検索用パソコン完備)のほかに「授乳室」(授乳ブース、調乳用温水器、おむつ替えベッド完備)、各フロアには「多目的トイレ」の設置や地下1階には「化粧室」があります。
『浅草文化観光センター』は、国籍を問わず浅草を訪れた誰もが気軽に立ち寄れる施設です!
浅草を訪れた際にまた立ち寄りたいと思います。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 雷門の道路(雷門通り)を挟んだ向い側の角地に位置します。
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.5
- 展望テラスからスカイツリーや浅草の街並が一望できます!
- バリアフリー:
- 4.5
- 多目的トイレが設置されています。
-
みはらしの良い展望露天風呂で、心身ともにリフレッシュできます!
投稿日 2018年01月01日
総合評価:4.5
『平尾山公園』(佐久平ハイウェイオアシス「パラダ」)は、高速自動車道から直接アクセスできる「ハイウェイオアシス」構想理念により、1994年(平成6年)に上信越自動車道「佐久平パーキングエリア」と連結して全国で3番目にオープンした施設です。
冬季は、「南パラダ」と「北パラダ」の2つのエリアのゲレンデでスキーを楽しむことができます。(コースは80%が初級者・中級者向けのレイアウトです。)
夏季は、「アスレチック広場」、「スーパースライダー」、「サマーリフト」、「キッズランド」、「カブトムシドーム」などの子連れ家族で楽しめる施設があります。
その他にも「平尾山トレッキング」、温泉施設「みはらしの湯」などの施設もあり、『平尾山』からの景色を眺めながらくつろげます。
『平尾山公園』(佐久平ハイウェイオアシス「パラダ」)には、「佐久平パーキングエリア」第2駐車場に設置されている「ジャンボエスカレーター」を利用します。
今回は、2016年(平成28年)12月にオープンした温泉施設である平尾温泉「みはらしの湯」を利用しに立ち寄りました。
平尾温泉「みはらしの湯」の施設は、「大浴場」(白湯・炭酸風呂・替わり湯・サウナ・水風呂)の他に「展望天然風呂」(天然温泉風呂・岩風呂・壺湯)があり、入浴料は800円(中学生以上)になります。(タオル、カミソリなどは、別途料金です。)
また、別途料金で「岩盤浴」、マッサージなどの癒し処「リクライニングコーナー」、「トレーニングジム」などの施設もあります。
佐久平の雄大な景色を眺めながらの「展望天然風呂」は、天気の良い日だったので「みはらしの湯」の名前の通り気持ち良くくつろぐことができました。
「替わり湯」も週替わりで色々な面白いお湯が楽しめるので子連れ家族での利用もお薦めします。利用した時は、ほのかに甘い香りがする「クッピーラムネの湯」でした。
『平尾山公園』(佐久平ハイウェイオアシス「パラダ」)は、年間を通して家族で楽しめる施設が充実しており、平尾温泉「みはらしの湯」は、ドライブ休憩で立ち寄るのに心身ともにリフレッシュできるお薦めの施設です!
「上信越自動車道」を利用する際は、平尾温泉「みはらしの湯」にまた立ち寄りたいと思います。
尚、平尾温泉「みはらしの湯」を利用する際は、タオル・カミソリが入浴料に含まれていないので、タオル・カミソリ・クシなどを事前に準備することをお勧めします。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.5
- 佐久平パーキングエリア第2駐車場からジャンボエスカレーターを利用して直ぐ!
- 景観:
- 4.5
- 佐久平の雄大な景色を眺めます!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
-
2017年(平成29年)4月に複合型温泉施設『西武秩父駅前温泉 祭の湯』としてリニューアルオープン!
投稿日 2017年12月31日
総合評価:4.0
『西武秩父仲見世通り』は、1969年(昭和44年)に「埼玉県立秩父農工高等学校」跡地に開業した「西武秩父駅」構内に西武鉄道直営の秩父名物のお食事処がある各種お土産物店として、「西武秩父駅」と「御花畑駅」(秩父鉄道)の屋根付き連絡通路を兼ねて1991年(平成3年)にオープンしています。
2015年(平成27年)には、「西武秩父駅」の駅舎を改築し物販や飲食店を備えた複合型温泉施設を整備する計画が発表され、2016年(平成28年)に『西武秩父仲見世通り』の全店が営業終了しています。
そして、2017年(平成29年)4月に「西武秩父駅」のリニューアルと共に『西武秩父仲見世通り』は、複合型温泉施設『西武秩父駅前温泉 祭の湯』としてグランドオープンしています。
複合型温泉施設『西武秩父駅前温泉 祭の湯』の概要は、地上2階建ての「温泉施設」新築部分と『西武秩父仲見世通り』をリニューアルする部分で構成され、「西武秩父駅」の改札口から「物販エリア」、「フードコート」、「温泉エリア」の順に3エリアに分かれて整備されています。
また、1979年(昭和54年)に国の「重要無形民俗文化財」に指定され、2016年(平成28年)に「ユネスコ無形文化遺産」に登録された「日本三大曳山祭」のひとつに数えられている「笠鉾・屋台行事と神楽」を代表する「秩父神社例祭」(秩父夜祭)をはじめとし、年間に300以上のお祭りがある秩父地方にちなみ、「祭」をデザインコンセプトとした複合型温泉施設となっています。
「ちちぶみやげ市」(物販エリア)では、秩父の定番土産の「しゃくしな漬」、「豚肉の味噌漬け」、「ちちぶ餅」のほか各種和洋菓子や雑貨がありましたが、「秩父銘仙デザインのチョコレート」が気になりました。「秩父銘仙」は、2013年(平成25年)に国の伝統的工芸品に指定された秩父伝統の絹織物です。
「ちちぶみやげ市」(物販エリア)から「呑喰処 祭の宴」(フードコート)に繋がる通路にある「酒匠屋台」の「ちょい飲みコーナー」も気になりました。
地元蔵元の日本酒やワインをおつまみと共にその場で楽しめます。
1959年(昭和34年)フランス人神父がひと口飲んで”おお、これはボルドーの味!フランスの本場ワインの味です。”と絶賛した知る人ぞ知る秩父の銘醸ワイン「源作印ワイン」がお勧めです!
「呑喰処 祭の宴」(フードコート)では、「炙り豚味噌丼」、「わらじかつ丼」などの秩父名物が揃っています。今回は「くるみだれそば」を頂きました。
訪れた日が「秩父神社例祭」3日目の大祭に当たる日の昼る過ぎで、「ちちぶみやげ市」(物販エリア)と「呑喰処 祭の宴」(フードコート)は多くの方々で賑わっていました。
今回は温泉施設に入りませんでしたので、次回は「秩父夜祭」の時期を外してゆっくりと「温泉施設」を楽しみたいとです・・・- 旅行時期
- 2017年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 西武秩父駅に直結です!
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 品揃え:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
-
歌碑を見て「鳩ポッポ」と「鳩(ハトポッポ)」の歌について学ぶことができました!
投稿日 2017年12月30日
総合評価:3.5
『鳩ポッポ』は、1900年(明治33年)に童謡作詞家「東(ひがし)くめ」(1877年~1969年)が作詞、作曲家「瀧廉太郎」(1879年~1903年)が作曲した童謡です。
この童謡『鳩ポッポ』は、「東くめ」の夫で東京女子師範学校助教授兼附属幼稚園批評係であった「東基吉」が中心となり、1901年(明治34年)に伴奏付きの幼児向けの唱歌集として日本で初めて刊行された「幼稚園唱歌」(全20曲)の中に第12曲として納められています。
「幼稚園唱歌」に納められている全20曲中、「お正月」などの12曲が作詞「東くめ」、作曲「瀧廉太郎」による童謡です。
童謡『鳩ポッポ』の歌詞は、”はとポッポ はとポッポ ポッポポッポと とんでこい お寺のやねから 下りてこい 豆をやるから 皆たべよ たべてもすぐに かえらずに ポッポポッポと 鳴いて遊べ”であり、”ポッポッポ 鳩ポッポ 豆がほしいか そらやるぞ みんなでなかよく 食べに来い”と歌われる1911年(明治44年)に当時の文部省が発行した国定教科書「尋常小学唱歌 第一学年用」の唱歌「鳩」(作詞・作曲ともに不祥)とは異なります。
ちなみに唱歌「鳩」は、1941年(昭和16年)の国民学校用の教科「ウタノホン」で曲名が「ハトポッポ」に変更されています。
『鳩ポッポの歌碑』は、浅草の観音さまとして親しまれる「浅草寺」境内に於て鳩とたわむれている子供らの愛らしい姿をそのまま歌によまれたものとして、雷門から仲見世通りを抜けて「宝蔵門」をくぐり「本堂」に向かって左手(西側)の「浅草寺」境内に1962年(昭和37年)に建立されています。
初めて『鳩ポッポの歌碑』を見たときは、”ポッポッポ 鳩ポッポ 豆がほしいか そらやるぞ”と歌われる「鳩(ハトポッポ)」の歌を連想してしまいました・・・
『鳩ポッポの歌碑』を知り、改めて「鳩ポッポ」と「鳩(ハトポッポ)」について学ぶことができました。
「浅草寺」を訪れた際は、また立ち寄りたいと思います。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2017年12月17日
総合評価:4.0
『秩父神社』の歴史は古く、平安初期の典籍である「先代旧事紀(せんだいくじほんぎ)」(全10巻)の中の巻十「国造本紀(こくぞうほんぎ)」によれば第10代天皇・崇神(すじん)天皇の時代(紀元前)に初代の「知知夫国造(ちちぶのくにのみやつこ、ちちぶこくぞう)」である「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」が、祖神の「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」を祀ったことに始まるとされています。
「先代旧事紀」は、天地開闢(てんちかいびゃく:天地に代表される世界が初めて生まれたときのこと)から第33代天皇・推古天皇までの歴史が記述されている全10巻からなる日本の史書になります。
秩父地方は、戦国時代に鉢形北条氏の支配下となっていましたが、甲斐の「武田信玄」軍が1569年(永禄12年)に侵攻した際に主だった寺社に火を放ったことにより(いわゆる「信玄焼き」)、『秩父神社』の社殿もに焼失しています。
現存する『秩父神社』の社殿は、1590年(天正18年)の「豊臣秀吉」による「小田原征伐」により北條氏の滅亡後、江戸城に入国し関東一体を治めた「徳川家康」が1592年(天正20年)に寄進して再建されたものです。
社殿は、「権現造り」と呼ばれるの神社建築様式で、本殿・幣殿・拝殿がひとつにまとめられています。
多くの彫刻で飾られている社殿には、「日光東照宮」にある「眠り猫」の彫刻などで有名な彫刻職人「左甚五郎」作とされる彫刻「つなぎの龍」(社殿の東側外壁)も含まれています。
また、1955年(昭和30年)に「社殿(附 天正20年の棟札1枚・神輿1基)」が埼玉県の「有形文化財(建造物)」に指定されています。
棟札は、1592年(天正20年)に再建されるに至った次第を知る貴重な資料となっており、社宝でもある神輿は、鳳輦輿(ほうれんよ)に由来した古式で室町末期の作といわれ、埼玉県内最古のとなっています。
『秩父神社』の例祭(12月1日から6日間)は「秩父夜祭」と呼ばれ、能楽を想わせる典雅な神代神楽に勇壮な屋台囃子、豪華な笠鉾・屋台の曳き廻しに呼応する盛大な打ち上げ花火の競演などで賑わいのある祭りとして、「祇園祭」(京都)、「飛騨高山祭」(岐阜)と共に「日本三大曳山祭」のひとつに数えられています。
曳き廻しされる「笠鉾(2基)・屋台(四台)」については、1962年(昭和37年)に国の「重要有形民俗文化財」に指定され、「秩父夜祭」として「笠鉾(2基)・屋台(四台)」による舞台行事と神楽が、1979年(昭和54年)に国の「重要無形民俗文化財」に指定されています。
また、2016年(平成28年)に「ユネスコ無形文化遺産」に登録されています。
例祭3日目の大祭に当たる日の『秩父神社』下境内には2基の笠鉾の内「下郷笠鉾」が待機しており、屋台の両脇に張出舞台をつけて演じられる「屋台芝居(歌舞伎)」の上演、神楽殿では「神代神楽」の上演が行われ、大勢の方々で賑わって社殿に参拝するのも長い行列ができていました。
豪華な造りの「下郷笠鉾」は、江戸時代初期に造られたもので日光が当たり金箔が輝く光景を間近で見ると圧倒されました。
特に計画も立てずに初めて訪れた『秩父神社』でしたが、機会があれば「秩父夜祭」の豪華な笠鉾・屋台の曳き廻しと打ち上げ花火の競演も観てみたいと思います。
また、例祭の時期以外にゆっくりと社殿などを見て廻りたいと思います。
『秩父神社』へのアクセスは、秩父鉄道「秩父駅」から徒歩4分程度(約350メートル)、西武鉄道「西武秩父駅」から徒歩12分程度(約900メートル)です。- 旅行時期
- 2017年12月
- アクセス:
- 4.0
- 秩父駅(秩父鉄道)、西武秩父駅(西武鉄道)から徒歩圏内です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 例祭(秩父夜祭)の時期は混みあいます!
- バリアフリー:
- 3.0
- 下境内から社殿に階段があります。
- 見ごたえ:
- 4.5
- 1592年(天正20年)に再建の社殿に左甚五郎(彫刻職人)作の彫刻「つなぎの龍」があります。
-
投稿日 2017年12月10日
総合評価:4.0
『秋葉糀味噌醸造』は、秋葉家の結城での創業が1832年(天保3年)といわれており、かつては醤油の醸造も手掛けていたそうですが、現在は天然醸造にこだわる昔ながらの製法で糀と糀味噌の醸造販売を行っており、店舗となっている「見世蔵」は、1924年(大正13年)に建設されてた建物です。
1934年(昭和9年)には、「結城駅」に通じる県道拡幅工事に伴い、前面道路部分の一間半を切り取る大規模な改修工事が行われ、柱や梁などの主要構造部材と土蔵造りの壁の一部などに建設当時の姿が残っているそうです。
外観は建設当初の建物とかなり異なっているようですが、正面に瓦葺き庇や窓部分に木製格子を設けるなど見世蔵の特徴を留めながら、他に例を見ない特異な正面外観となっています。
結城市内には、国の「登録有形文化財(建物)」の登録数が31棟(茨城県内では桜川市に続く登録数)あり、その中の1棟である『秋葉糀味噌醸造見世蔵』は、2005年(平成17年)に「登録有形文化財(建物)」登録されています。
国の「登録有形文化財(建物)」は、1996年(平成8年)の文化財保護法の改正によって従来の文化財指定制度よりも考え方や諸規制などがゆるやかな特徴を持つ、文化財を活用しながら「ゆるやかに守る」という新しい発想で創設された支援制度です。
今回は、「結城市観光協会」主催の”第9回 きもの day 結城”の催しに合わせて結城の街を散策した際に立ち寄りました。
店舗は、外観・内観共にレトロな雰囲気で、”第9回 きもの day 結城”の催しのためお客の出入りも多く賑わっていました。
店内では、無添加の麹甘酒を試飲させていただきました。とても美味しかったです。(今回は「つむぎ味噌」を購入しました。)
また、鎌倉時代からの城下町である結城の街並みを撮影するアマチュアカメラマンの方も多くいらっしゃいました。
『秋葉糀味噌醸造見世蔵』も撮影スポットの一つとしてお勧めします。
また、結城を訪れた際にはぜひ立ち寄りたいお店です。
『秋葉糀味噌醸造』へのアクセスは、「結城駅」北口から北に向かって徒歩7分程度(約550メートル)の県道302号線沿いです。- 旅行時期
- 2017年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 結城駅から徒歩7分程度です。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
- 昔ながらの製法で糀と糀味噌を醸造販売しています。
- バリアフリー:
- 3.5
- 観光客向け度:
- 4.0
-
やすらぎと癒しの空間である洋風ガーデンは、心身ともにリフレッシュできるお薦めのエリアです!
投稿日 2017年11月26日
総合評価:4.0
『横川サービスエリア』は、「上信越自動車道」の「松井田妙義インターチェンジ」と「碓氷軽井沢インターチェンジ」の中間地点で、「関越自動車道」から分岐する「藤岡ジャンクション」から約42キロメートルの場所に位置する群馬県安中市内にあるサービスエリアです。
「東日本高速道路(NEXCO東日本)」の東京「練馬インターチェンジ」から長野県東御市「東部湯の丸インターチェンジ」までの区間を利用する際に途中休憩のため『横川サービスエリア』(下り線)に立ち寄りました。
施設は、リゾート地である「軽井沢」を意識したヨーロピアンスタイルの外観とレンガ造りの建造物をイメージした内観となっていて、群馬県を代表する人気駅弁である「峠の釜めし」(おぎのや)と「だるま弁当」(たかべん)の両方が販売されています。
(ちなみに『横川サービスエリア』(上り線)では、「峠の釜めし」販売開始当時の信越本線横川駅を再現(実物の車両の一部も設置)した食事の出来る「メモリアルコーナー」もあるそうです。)
昼食用に食べようと思い悩んだ末、今回は「だるま弁当」を購入・・・
また、屋外には、「NEXCO東日本」が”休憩施設等の景観の復活・景観向上を目指して”整備に取り組んでいる「花と緑のやすらぎハイウェイガーデンプロジェクト」のモデル事業により、2017年(平成29年)7月にオープンした「YOKOKAWAハイウェイガーデン」(イングリッシュガーデン)があります。
こちらのエリアは、テーマを「軽井沢・信州へのプロローグ」として1980年(昭和55年)に国の「重要文化財」に指定された軽井沢にある「旧三笠ホテル」(明治後期の純西洋式の木造ホテル)の洋風建築と洋風庭園をイメージして整備されているそうです。
澄んだ空気の下に広がる洋風ガーデンの中で草花を見ていると心が癒されました。
「YOKOKAWAハイウェイガーデン」は、ドライブの途中休憩するのに心身ともにリフレッシュできるお薦めのエリアです!
また、立ち寄ってみたいと思います。- 旅行時期
- 2017年09月
- バリアフリー:
- 4.0
- トイレの快適度:
- 4.0
- お土産の品数:
- 4.5
- 「峠の釜めし」と「だるま弁当」の両方を販売しています。
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投稿日 2017年11月25日
総合評価:4.5
628年(推古天皇36年)に創建の東京都内最古の寺院である「浅草寺」(山号:金龍山)境内の「塔」建立は、942年(天慶5年)に建立した「三重塔」が始まりとされ、焼失を繰り返した後、1648年(慶安元年)に3代将軍「徳川家光」が『五重塔』とし再建しています。
1911年(明治44年)には、国宝に指定され、1923年(大正12年)の「関東大震災」でも倒壊することはありませんでしたが、1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により焼失しています。
「東京大空襲」により焼失した『五重塔』は、現在の「浅草寺本堂」の東側となる「宝蔵門」脇の「観音前警備派出所」前に位置し、「旧五重塔跡」と刻まれた石碑が設置されています。
現存している『五重塔』は、1973年(昭和48年)に「浅草寺本堂」の西側となる「宝蔵門」脇に位置し、地上からの高さ53.32メートル(塔自体の高48.32メートル)の地下1階、地上2階、塔層5層、鉄筋コンクリート造・アルミ合金瓦葺きとして再建されています。
基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカ・アヌラーダプラのイスルムニヤ寺院から招来した仏舎利(ぶっしゃり)が安置されています。
仏舎利とは、お釈迦さまの遺骨とされる傷つくことも砕けることもない白い玉のことだそうです。
2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」により、『五重塔』の最上部の宝珠が落下し、相輪の骨組である芯柱が曲がったことに加え、錺金物の老朽化などにより、2016年(平成28年)から、『五重塔』全体を仮設足場で囲い相輪・芯柱交換(耐震補強)工事、錺金物錆止措置工事、既存アルミ合金瓦からチタン瓦への葺き替え工事、外壁塗装および建具塗装の塗り替え工事などの大規模な改修工事が行われていました。
今回訪れた際は、高さ15メートルの相輪付け替え工事も終わっており、『五重塔』周囲の仮囲いの中に重機もありましたが、塔廻りの仮設足場は解体されていました。
「浅草寺」では、『五重塔』の屋根瓦葺き替えなどの大規模な改修工事に先立ち2007年(平成19年)に「宝蔵門」の屋根瓦をチタン瓦への葺き替え工事、2010年(平成22年)に「浅草寺本堂」の屋根瓦もチタン瓦への葺き替え工事が行われていますが、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わる寺社建築に全く違和感を覚えることはありません。
また「浅草寺」では、2015年(平成27年)から「江戸開府四百年」記念事業として夜間ライトアップが実施されており、今回は初めて昼間の人で賑わっている『五重塔』と夜間のひっそりとしている『五重塔』の両方を見ることができました。
特に夜間の『五重塔』は、改修工事で奇麗になった建物がライトアップにより一層かがやいて見えました。
昼間と夜間の「浅草寺」境内は、全く雰囲気が異なり楽しかったです!
機会があれば、昼間と夜間の両方をまた見て廻りたいと思いますし、お薦めします!- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 昼間の人込みはスゴイですが、夜間はまばらです!
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
- 夜間のライトアップが奇麗です!
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投稿日 2017年11月19日
総合評価:4.0
『木路ヶ崎灯台』は、隠岐諸島で三番目に大きい「中ノ島(海士町)」の最南端の地にあり、塔形・コンクリート造で地上からの高さが11.66メートルの灯台です。
灯台前の展望台・路面には、方位と共に各都市の方角が大きな円を描いて示されており、南側から東側に日本海の外海、南側から西側に「中ノ島」と「知夫里(ちぶり)島」と「西ノ島」で囲まれた隠岐諸島・島前のカルデラとなっている内海を望むことができて、とても素晴らしい眺望です!
カルデラとなっている内海を航行する船舶を眺めていると時間が経つのを忘れてしまいます・・・
また、「中ノ島」と「知夫里島」の海峡を運行する船舶にとって大変に重要な灯台であると実感しました。
『木路ヶ崎灯台』へのアクセスは、「中ノ島(海士町)」の玄関口である「菱浦港フェリーターミナル」から自動車で30分程度(約12キロメートル)に位置し、『木路ヶ崎灯台』周辺途中の道路沿いに放牧されている”和牛(隠岐牛)”や”馬”に遭遇することができます。自動車の通行量がほとんど無いの狭い道路なので、チョットした”サファリパーク”的な気分が体感できます。
今回、訪れたのは日中でしたが、”朝日”、”夕日”、”漁り火”、”星空”を眺める絶好のロケーションであると聞きました。
また『木路ヶ崎灯台』を訪れる機会があれば、カルデラとなっている内海と山並みに沈む夕日、内海に浮かぶ漁り火、満天の星空を満喫してみたいです!- 旅行時期
- 2017年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 2.5
- 菱浦港フェリーターミナルから自動車で30分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5

































































































