浅草観音と称され親しまれている東京最古の寺院です!
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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by hiroさん(男性)
浅草 クチコミ:35件
東京最古の寺院として知られる『浅草寺』(山号:金龍山)は、1949年(昭和24年)まで「天台宗」に属した寺院でしたが、1950年(昭和25年)より「聖観音宗」の総本山となっています。
創建は、628年(推古天皇36年)に宮戸川(現在の隅田川)の河口である江戸浦で漁の最中に投網にかかった「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」の尊像を草で作ったお堂に祀り、その後にこの土地の長であった「土師中知(はじのなかとも)」が私宅を寺に改めて「聖観音菩薩像」を奉安供養したことによるとされています。
645年(大化元年)には、浅草の地を訪れた僧の「勝海上人(しょうかいしょうに)」が観音堂を建立し、夢告に従って「聖観音菩薩像」を絶対秘仏の本尊と定めています。
平安時代初期の857年(天安元年)に天台宗山門派の僧で「瀧泉寺(目黒不動)」、「立石寺(山寺)」、松島の「瑞巌寺」など(関東209寺、東北331寺余り)を開山・再興したとされる「慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)」が、絶対秘仏の本尊の身代わりとして人々が拝むための「前立観音菩薩」を謹刻されたとされています。
これを機に『浅草寺』は、観音菩薩の聖地として発展し、七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、「雷門」、「仁王門(現・宝蔵門)」などが建立されたとされています。
平安時代末期の1180年(治承4年)には、平家追討の陣を進める「源頼朝」が勝利を祈願に参拝、室町時代(南北朝時代)の1352年(南朝:正平7年/北朝:観應3年)には、室町幕府初代将軍「足利尊氏」が参詣に訪れるなど、安土桃山時代にかけて霊験あらたかな寺として各地に『浅草寺』の名が知れ渡りさまざまな武将の崇敬を集め、1590年(天正18年)に江戸に入府した「徳川家康」が祈願所に定めています。
『浅草寺』は、長い歴史の中で幾度も被災と再建を繰り返しており、1649年(慶安2年)に江戸幕府3代将軍「徳川家光」が願主となって再建された本堂が1907年(明治40年)に「国宝」に指定され、1923年(大正12年)の関東大震災でも倒壊を免れますが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しています。
現在の本堂は、鉄筋コンクリート造りで1958年(昭和33年)に旧本堂の入母屋造りの大屋根の姿を基本に再建されています。
また、2010年(平成22年)に本堂屋根の本瓦葺きが安全強化のために軽量のチタン瓦(本瓦の1/3の重量)への葺き替え工事が行われていますが、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わる寺社建築に全く違和感を覚えることはありません。
『浅草寺』では、2015年(平成27年)から「江戸開府四百年」記念事業として「本堂」、「五重塔」、「雷門」、「宝蔵門」の夜間ライトアップが実施されています。
浅草を訪れた際は、必ず『浅草寺』を参拝していますが、今回はじめて昼間と夜間ライトアップされた『浅草寺』境内を見て廻りました。
昼間と夜間の『浅草寺』境内は、全く雰囲気が異なり楽しかったです!
機会があれば、また『浅草寺』境内の昼間と夜間の両方を見て廻りたいと思いますし、お薦めします!
また、本堂内陣中央にある「御宮殿」の中に内には、本尊の「聖観世音菩薩」(絶対秘仏)、「前立観音菩薩」などが奉安されているそうです。
本尊の「聖観世音菩薩」は絶対秘仏のため姿を参拝できませんが、「前立観音菩薩」については、「御宮殿御煤払・御宮殿開扉法要(ごくうでんおすすはらい・ごくうでんかいひほうよう)」により12月12日の17時から13日の正午まで、本尊を奉安する「御宮殿」の煤払いと開扉法要が古式に則り厳粛に営まれ、12月13日の14時には、一般信徒結縁のため再び「御宮殿」の扉が開かれ「御宮殿開扉法要」が営まれ、一般の信徒は年に一度のこの間に限り「前立観音菩薩」像を拝することができます。
機会があれば「御宮殿開扉法要」に合わせて参拝もしてみたいです!
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 東京メトロ「浅草駅」から浅草寺本堂まで450メートル程度です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 昼間は、参拝客で賑わっています。
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
- 夜間ライトアップは、お薦めです!
クチコミ投稿日:2018/03/21
いいね!:6票
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