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  • 幕末に描かれた人気歌舞伎演目に登場する盗賊集団の人形です!

    投稿日 2024年01月04日

    白浪五人男 浅草

    総合評価:4.0

    『白浪五人男』は、”白浪”(盗賊の異名)である盗賊の首領「日本駄右衛門」・女装の怪盗「弁天小僧菊之助」・神出鬼没の盗賊「忠信利平」・元小姓の最年少盗賊「赤星十三郎」・元漁師の船強盗「南郷力丸」の5人が主役となる「石川五右衛門」および「鼠小僧」と並ぶ日本屈指の盗賊として描かれた歌舞伎の人気演目のひとつ「青砥稿花紅彩画」(全3幕9場)の通称です。
    この『白浪五人男』が初公演されたのは、幕末の徳川幕府第14代将軍・徳川家茂の時代である1862年(文久2年)とされ、「浅草寺」の東門(二天門)から北東方向に徒歩8分程度(約550メートル)となる当時の浅草猿若町(現:台東区浅草6丁目)にあった江戸三座のひとつに数えられる歌舞伎興行の芝居小屋「市村座」となります。
    また『白浪五人男』の作者については、歌舞伎作家として幕末から明治期に活躍した「河竹黙阿弥」であり、『白浪五人男』の初公演当時は2代目「河竹新七」として現在の「仲見世通り」および「伝法院通り」が交差する一画の裏手部分となる台東区浅草1丁目に位置する建物「仲見世会館」の脇付近で暮らしていたとされています。
    その様な縁もあり浅草エリアとなる隅田川・右岸側(西側)を南北方向に通る「馬道通り」の浅草二丁目交差点から西側方向に「浅草六区通り」および「ホッピー通り」に通じる5差路交差点まで(約300メートル)の東西方向を結ぶ「伝法院通り」の内、「馬道通り」から「仲見世通り」まで(約100メートル)の区間で構成されている「伝法院通り東商店会」の各所に歌舞伎『白浪五人男』に登場する盗賊集団の人形(5体)が設置されています。
    以前より「伝法院通り」を通るたびに『白浪五人男』の5体の人形を気にしながら素通りしていましたが、今回は浅草エリアを訪れた際に5体の人形すべてを写真撮影して廻り楽しむことができました。(歌舞伎に興味のある方を中心にフォトスポットとしてお薦めできます。)
    ちなみに歌舞伎『白浪五人男』は、”浜松屋の場”(2幕目第1場)における「弁天小僧菊之助」の見顕し口上、さらに”稲瀬川勢揃いの場”(2幕目第3場)における盗賊集団5人が舞台の花道に揃って横1列に並び順番に口上を述べる場面が見せ場のひとつになっています。
    歌舞伎『白浪五人男』に登場する5人の盗賊については以下の通りです。
    「日本駄右衛門」は、江戸時代中期の延享年間(1744年から1748年)に実在した遠江を拠点に東海道沿いの諸国を荒らしまわった尾張出身の浪人で盗賊の「日本左衛門」(本名:濱島庄兵衛)がモデルとされており、演目の中では人殺しなどの非道なことはしない盗賊集団の舵取り役である首領として貫禄のあるキャラクターとして描かれています。
    「弁天小僧菊之助」は、盗賊集団5人の中で唯一の架空人物で幼いころに鎌倉・江ノ島の弁天様の見習い小僧をしていた設定のキャラクターであり、演目の中では美貌を生かした女装姿で相手を油断させる盗賊集団の中心核として描かれています。
    「忠信利平」は、「日本駄右衛門」と同様に江戸時代中期に実在した盗賊で「日本左衛門」の手下をしていた「忠信利兵衛」がモデルとされ、幼いころから盗みを繰り返す神出鬼没な盗賊のキャラクターとして描かれています。
    「赤星十三郎」は、江戸時代前期の明暦年間(1655年から1658年)から延宝年間(1673年から1681年)のころに実在した元・鳥取藩士で父親の同僚を斬殺したのち江戸で辻斬強盗をしていた「白井権八」がモデルとされ、前髪立ちの美少年の下級武士から盗賊になったキャラクターとして描かれています。
    「南郷力丸」は、南湖(現:神奈川県茅ヶ崎市)の漁師の息子として生まれたのち手に負えないほどの悪事をはたらき「忠信利兵衛」とともに「日本左衛門」の手下として盗賊になった「南宮行力丸」がモデルとされ、船盗人など数々の悪事を重ねてきたキャラクターとして描かれています。
    そのほか『白浪五人男』の5体の人形が設置されている全長約300メートル「伝法院通り」は、魅力的な店舗が集結しているので浅草エリアの観光スポットとしてもお薦めできます。

    旅行時期
    2023年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    東京メトロ・浅草駅の1番口から北側方向にとほ3分程度の”伝法院通り”(伝法院通り東商店会)各所に設置されています。
    人混みの少なさ:
    3.0
    ”仲見世通り”付近は多くの観光客で賑わっています。
    バリアフリー:
    4.5
    ”伝法院通り”に気になる段差はありません。
    見ごたえ:
    4.0
    ”伝法院通り東商店会”の各所に設置されているので商店街を散策しながらの写真撮影で楽しめました。

  • 本格的な舞台装置を完備したホールでエンターテインメントショーを楽しめました!

    投稿日 2023年12月24日

    浅草公会堂 浅草

    総合評価:4.0

    『浅草公会堂』は、隅田川に架かる吾妻橋・右岸側の吾妻橋交差点から「国際通り(都道462号)」雷門一丁目交差点までの東西方向を結ぶ「雷門通り」浅草一丁目交差点から北側方向に通る「浅草オレンジ通り」(約180メートル区間)の突き当りエリアで「浅草寺本坊(伝法院)通用門」がある「伝法院通り」と「浅草オレンジ通り」が交わるT字路交差点の一画となる台東区浅草1丁目に位置する台東区が所有する公共施設として1977年(昭和52年)に竣工しています。
    ちなみに『浅草公会堂』の敷地は、1928年(昭和3年)に当時の「浅草区役所庁舎」が建設されていた場所であり、1947年(昭和22)に浅草区と下谷区の合併により台東区が誕生すると「台東区役所浅草分庁舎(第二庁舎)」として、かつての「浅草区役所庁舎」がそのまま利用されていましたが、1973年(昭和48年)に現在の新たな「台東区役所庁舎」が建設され旧・下谷区と旧・浅草区の庁舎施設が統合されたことで1974年(昭和49年)に「台東区役所浅草分庁舎」が解体され、『浅草公会堂』建設に至っています。
    『浅草公会堂』の建物概要については、「浅草オレンジ通り」に面する建物西側面が正面となりエントランス玄関が整備された地上5階・地下2階建ての鉄筋コンクリート造り(一部鉄骨造り)であり、建物内部にはメインとなる「ホール」施設をはじめ「展示ホール」施設および「集会室」施設のほか地下部分に自走式の駐車場施設で構成されています。
    また『浅草公会堂』建物外部の「浅草オレンジ通り」に面したエントランス玄関脇の外構スペースを利用し「スターの広場」として1979年(昭和54年)より大衆芸能の発展に貢献してきたさまざまなジャンルにおける著名人のサイン入り手形のアルミ製プレートが舗装部分に埋め込まれて展示されています。
    そのほか2021年(令和3年)2月からは、『浅草公会堂』建物設備(エレベーターのほか空調設備など)の老朽化および耐震改修工事にともない建物館内施設が休館となり、2022年(令和4年)1月にリニューアルオープンしています。
    『浅草公会堂』館内詳細については、建物1階部分に床面積:182.9平方メートルとなるエントランスから間仕切り壁のないスペースが広がり絵画・書道・写真・生け花など各種展示内容に応じてパーテーションを組み合わせて自由に空間構成が可能な「展示ホール」施設が整備されています。
    さらに建物2階から5階部分には、客席総数:1070席の3層客席(1層部分:545席・2層部分:336席・3層部分:189席)として歌舞伎および日本舞踊などの伝統芸能をはじめ各種コンサートおよび演劇などに対応可能な本格的な舞台装置を完備した建物メイン施設となる「ホール」施設が整備されています。
    さらに建物3階から5階部分の各フロアには、さまざまな利用用途に対応できるようにタイプの異なる3室の「集会室」(各床面積:105.8平方メートル)が配置され、3階の「第1集会室」が会議・ワークショップなどの利用用途をイメージしたテーブル・イス・ホワイトボード・演台を備えている洋室タイプ、4階の「第2集会室」が小規模な稽古ごとなどによる発表会での利用用途をイメージした板貼り舞台付の畳敷き(32帖)の和室タイプ(別室となる控え室付き)、5階の「第3集会室」が動きのある稽古ごとの利用用途をイメージした床全面を板貼りとして姿見カガミを備えている和室タイプとなる浅草エリアにふさわしい「集会室」が整備されています。
    浅草エリアを訪れた際に「伝法院通り」および「浅草オレンジ通り」をよく通っているので『浅草公会堂』の前は何度も通り過ぎていますが、今までに『浅草公会堂』建物館内を訪ねたことがありませんでした。
    今回は『浅草公会堂・ホール』で開催された民謡民舞のエンターテインメントショー”民謡民舞今フェス2023”(主催:日本民謡協会)を観覧する機会があり初めて建物館内に立ち入りました。
    『浅草公会堂』建物築年数も40年以上経過しているので建物1階エントランスから建物2階「ホール」ホワイエまでの動線などバリアフリーなどの観点から施設を見て廻ると気になる部分もありますが、「ホール」内設備は充実しており民謡民舞のエンターテインメントショーを充分に楽しむことができました。
    機会があれば、また『浅草公会堂』に立ち寄ってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年07月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.5
    浅草駅(東京メトロ)1番出口から徒歩5分程度です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    雷門から仲見世通りは観光客で賑わっているので、浅草観音通りから伝法院通りを利用しました。
    バリアフリー:
    3.0
    建物1階エントランスから建物2階ホール・ホワイエまで段差・階段など気になる部分もあります。
    見ごたえ:
    4.5
    本格的な舞台装置を完備しているなどホール内設備が充実しているので充分に楽しむことができました。

  • 明治天皇・昭憲皇太后の事績を永く後世に伝える目的で国民の寄付金・勤労奉仕で整備された公園施設です!

    投稿日 2023年10月29日

    明治神宮外苑 信濃町・千駄ヶ谷

    総合評価:4.0

    『明治神宮外苑』は、「明治天皇」が崩御された1912年(明治45年)に大実業家「渋沢栄一」をはじめとする民間有志が帝都・東京に「明治天皇」陵墓となる京都・「伏見桃山陵」に匹敵する「明治天皇」を奉祀する神宮の造営を働きかけ、「明治天皇」の妃「昭憲皇太后」が崩御された1914年(大正3年)に「明治天皇」と「昭憲皇太后」を祀る内苑の『明治神宮』(渋谷区代々木神園町)を政府が国費で造営する方針とともに、「明治天皇」と「昭憲皇太后」の事績を永く後世に伝えることを目的とする『明治神宮外苑』の造営を民間有志で結成された「明治神宮奉賛会」が全国の国民からの寄付金を募り造営資金を取りまとめる方針が決定し、現在の青山通り(国道246号)の青山2丁目交差点北側方向に広がる「明治天皇」の”大喪の礼”が執り行われた葬場殿跡地となる新宿区霞ヶ丘町エリアおよび港区北青山エリアに位置する広大な「旧・青山練兵場跡地」に芸術・文化施設を中心にスポーツ施設を配置した西洋風緑地公園として1926年(大正15年)に竣工しています。
    この『明治神宮外苑』が造営されるまでについては、1915年(大正4年)に母体となる『明治神宮』の地鎮祭が執り行われ、国内各地から献木された約10万本の椎・樫・楠木などの照葉樹を国内各地の青年団が主体となり勤労奉仕による”永遠の杜”を目指す人工森林の造苑整備がおこなわれ1920年(大正9年)に内苑が創建されています。
    さらに1918年(大正7年)に「旧赤坂仮皇居御会食所」が『明治神宮外苑』東側の外苑東通り(都道319号)を挟んだ向かいに位置する現在の「明治記念館」(港区元赤坂2丁目)敷地内に移築・改修工事が行われ「憲法記念館」(現:明治記念館本館)として竣工したほか『明治神宮外苑』の地鎮祭も執り行われています。
    ちなみに「憲法記念館」は、もともと1881年(明治14年)に「旧赤坂仮皇居」(現:迎賓館赤坂離宮)敷地内に国内初の迎賓館として建設、その後「伊藤博文」に下賜され「恩賜館」として伊藤家・別邸となっていた建物ですが、『明治神宮外苑』造営に伴い伊藤家より「明治神宮奉賛会」に献納されています。
    『明治神宮外苑』の造営については、中心施設「聖徳記念絵画館」(「明治天皇」の生涯を中心に描いた絵画を展示する芸術・文化施設)および「葬場殿址記念物」(花崗岩の円壇内に楠木を植樹)の設計案が1918年(大正7年)に一般募集され、翌年から工事着工となり1926年(大正15年)に完成しています。
    また「聖徳記念絵画館」の完成に先立ち1923年(大正12年)に「聖徳記念絵画館」の荘厳な雰囲気が強調されるよう計画的に遠近法の手法を採用し4列に植樹された「いちょう並木」の街路樹が整備されるなど『明治神宮』と同様に国内各地の青年団が勤労奉仕として植樹など造営工事に参加しています。
    そのほかスポーツ施設として国内初の本格的陸上競技場「明治神宮外苑競技場」(現:国立競技場)の建設が1921年(大正10年)に着工・1924年(大正13年)に完成、「明治神宮野球場」の建設が1925年(大正14年)に着工・1926年(大正15年)に完成、「明治神宮相撲場」(後に明治神宮第二球場を建設)が1926年(大正15年)に着工・完成しており、『明治神宮外苑』として竣工した1926年(大正15年)に『明治神宮外苑』と各施設(聖徳記念絵画館・葬場殿址記念物・明治神宮外苑競技場・明治神宮野球場・明治神宮相撲場・憲法記念館)が『明治神宮』に奉献されています。
    竣工当時の『明治神宮外苑』は、”永遠の杜”を目指す人工森林からなる内苑の『明治神宮』と対照的に「いちょう並木」から「聖徳記念絵画館」前面に通じる芝生の「中央広場」(現:軟式グラウンド)を核として日差しで明るい敷地内を敷地外周に向かうにつれて濃密な樹木で包み込む手法の西洋風緑地公園として整備がおこなわれています。
    なお『明治神宮』が所有していた「明治神宮外苑競技場」は、1958年(昭和33年)の「第3回・アジア競技大会」メイン会場として「国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(通称:旧国立競技場)」(現:国立競技場)の建設が決定した1956年(昭和31年)に『明治神宮』から当時の「文部省」(現:日本スポーツ振興センター)に譲渡されています。
    今回は、秋晴れの平日の午後に『明治神宮外苑』のシンボルとなる「聖徳記念絵画館」と「いちょう並木」を中心に『明治神宮外苑』内に完成して間もない「つば九郎ハウ巣」を散策しました。
    「聖徳記念絵画館」に初めて入館しましたが海外からの観光客と思われる方も多く海外でも知名度ある美術館であることを実感しながら明治天皇の生涯にまつわる絵画を見て廻り、幕末から明治期の歴史を改めて学ぶことができ楽しむことができました。
    また国の重要文化財であり国内各地の貴重な花崗岩・大理石などを使用した大正期の美術館建築も見ごたえがありお勧めできるです。
    「つば九郎ハウ巣」は、プロ野球球団「東京ヤクルトスワローズ」の公式マスコットキャラクターのお家という設定で2022年(令和4年)10月にオープンしたコンパクトな展示施設ですが、写真撮影などをしながら楽しむことができました。
    最後に「いちょう並木」を通り『明治神宮外苑』を後にしましたが、秋晴れの青空に映える黄葉を写真撮影する国内外の方々で賑わっており、都内有数の人気観光スポットであることを実感しながら楽しむことができました。
    現在の『明治神宮外苑』は再開発事業計画が検討されていますが、『明治神宮外苑』が今後どのように変わるのかも気になります・・・

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    最寄り駅はJR・信濃町駅、都営地下鉄・国立競技場駅、東京メトロ・外苑前駅となります。
    人混みの少なさ:
    3.5
    平日の午後でしたが”いちょう並木”は写真撮影をする国内外の方々で賑わっていました。
    バリアフリー:
    3.5
    聖徳記念絵画館に入場するはアプローチ部分が階段となっています。
    見ごたえ:
    4.0
    樹木に囲われた園内は、都心の雑踏を感じさせない青空に映える心地良いエリアです。

  • 建築年代が江戸時代中期と推測される名主を務めていた上級農家の住居です!

    投稿日 2023年09月23日

    松井家住宅 富岡・甘楽

    総合評価:4.0

    『松井家住宅』は、江戸時代の上野国・小幡藩(現:群馬県甘楽町エリア)において名主を務めていた上級農家とされる旧・松井家の住居であり、この地域における代表的な格式のある農家建築造りの様式から建築年代が江戸時代中期(18世紀から19世紀初頭)と推測されています。
    1991年(平成3年)になると甘楽町小幡にある当時の「甘楽町物産センター」(現:「道の駅 甘楽」)敷地内に甘楽町小川から移築・復元され、現在では「道の駅 甘楽」において古建築の休憩施設『松井家住宅』として一般公開(見学無料)されています。
    ちなみにこの甘楽町エリアは、「織田信長」の次男「織田信雄」が”本能寺の変”から33年後の”大坂夏の陣”で豊臣家が滅亡し元号が改められた徳川幕府・第2代将軍「徳川秀忠」の時代である1615年(元和元年)に徳川幕府から与えられた領地であり、「織田信雄」の四男「織田信良」の代には上野国・小幡藩主を務めさらに「織田信邦」の代になって小幡藩主を退いた徳川幕府・第10代将軍「徳川家治」の時代である1767年(明和4年)までの152年間にわたり「織田信長」の直系である織田家8代(織田信雄・信良・信昌・信久・信就・信右・信富・信邦)がこの地を統治してた城下町です。
    また「織田信雄」が風光明媚なこの小幡に地に理想の庭園を築くため京都から茶人を招いて織田家が小幡藩邸となる地に7年の歳月とともに多額の資金を投じて完成させた複数の茶室を設けた池泉回遊式の大名庭園として2000年(平成12年)に国の名勝に指定された「楽山園」をはじめ現在も城下町の面影が残る街並みとなっています。(「楽山園」の名称については「織田信雄」が論語の”智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ”から命名したと伝えられています。)
    そのほか甘楽町における城下町の面影が残る街並みについては、甘楽町エリアの史跡・遺構などの名所をめぐる道のり(約7.7キロメートル)が『松井家住宅』のある「道の駅 甘楽」を起点および終点となる「織田宗家ゆかりの城下町小幡を訪ねる道」として「ウォーキング 新日本歩く道紀行1000の道」における”文化のみち”に認定されています。
    『松井家住宅』のある「道の駅 甘楽」は、上信越自動車道・富岡インターチェンジから自動車で10分程度(約3.6キロメートル)となる県道46号(富岡神流線)沿いに位置する食事処および地元の農産物・特産品などの販売コーナーとあわせて甘楽町観光案内所があるコンパクトな施設ですが、車中泊が可能な駐車スペースおよび電気自動車(EV)用充電スタンドが完備されています。
    今回は、自動車を利用して上信越自動車道・富岡インターチェンジから初めて甘楽町小幡エリアを訪れて観光スポットのひとつである「こんにゃくパーク」に立ち寄ってから県道197号を自動車で通り、「織田宗家ゆかりの城下町小幡を訪ねる道」の見どころのひとつである「養蚕農家群の街並み」を車窓から眺め歴史を感じながら「道の駅 甘楽」に立ち寄り『松井家住宅』を見学しました。
    木造平屋建ての『松井家住宅』建物外観は、屋根部分が寄棟造りの茅葺き仕上げ(現在は金属葺き仕上げに改修済です)、外壁部分が真壁造りで柱型および梁型の構造体の木材を現しとする土壁に白漆喰を施す仕上げとなっています。
    『松井家住宅』建物内部については、天井板を設けずに屋根の小屋組が現しの外壁上部開口部分からの換気および採光を取り込むことができる空間で構成されており、間取りについても床面積の3分の2程度を占める床板貼りスペースの建物奥に上級農家として格式を感じさせる床の間が設けられ建物中央部分に囲炉裏が設置された間仕切りのない座敷が広がり、床の間の脇となる建物隅の一画を独立性の高い間仕切りで囲われた寝室となる部屋が設けられています。
    さらに床面積の3分の1程度を占める土間スペースに作業場および台所となる水廻りのほかに馬屋を設置した構成となっています。
    『松井家住宅』内には、住居として生活していたころの道具類なども残されており昔の生活の様子などを想像しながら建物を見て廻り楽しむことができました。
    機会があれば、また甘楽町に立ち寄り『松井家住宅』のほか「織田宗家ゆかりの城下町小幡を訪ねる道」などを街歩きをして廻りたいと感じる魅力的なエリアです・・・

    旅行時期
    2023年07月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    上信越自動車道・富岡インターチェンジから自動車で10分程度(約3.6キロメートル)の”道の駅 甘楽”敷地内にある休憩施設です。
    人混みの少なさ:
    5.0
    建物内部を見学するのは自分のみでした。
    バリアフリー:
    3.5
    古建築なので入口敷居は段差になっています。
    見ごたえ:
    4.0
    江戸時代の建物とともに住居として生活していたころの道具類なども残されています。

  • 毎分360リットル湧出する湯量豊富な天然温泉は魅力的です!

    投稿日 2023年09月20日

    佐久一萬里温泉ホテル 佐久

    総合評価:3.5

    『佐久一萬里温泉ホテル』は、上信越自動車道・佐久インターチェンジの南側に広がる佐久盆地の中心部となる佐久市役所がある佐久市中込エリアの県道138号(香坂中込線)沿いに位置する天然温泉施設を完備した宿泊施設で、アクセスは上信越自動車道・佐久インターチェンジから自動車で10分程度(およそ4キロメートル)、電車を利用した場合は最寄り駅のJR小海線(愛称・八ヶ岳高原線)・北中込駅(無人駅)から徒歩5分程度です。
    ホテルの駐車場施設については、建物地下部分および屋外敷地内さらにホテルに隣接する敷地外にもあわせて300台以上の無料駐車スペースが確保されており、宿泊時に事前予約ができませんが自動車を利用しての宿泊は安心できるので自動車利用をお薦めします。
    ちなみに『佐久一萬里温泉ホテル』は、「ホテル一萬里」として1967年(昭和42年)に北佐久郡軽井沢町で創業したのちの1989年(平成元年)に現在地に移転するとともに1991年(平成3年)になると地中およそ1300メートルの温泉を掘削し「佐久一萬里温泉ホテルゴールデンセンチュリー」として営業していましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり2020年(令和2年)5月に営業停止となっていました。
    しかしながら国内各地のホテル再建を手掛けてホテル経営をする横浜市中区に本社を構えるブリーズベイホテル(略称:BBH)のホテルグループとして2021年(令和2年)3月にリニューアルオープンしています。(俳優の高橋英樹さんが名誉支配人として、フリーアナウンサーの高橋真麻さんがチーフプロデューサーとして就任されているホテルグループです。)
    この『佐久一萬里温泉ホテル』については、20年ほど以前に家族でよく利用していたホテルで5年前にもしばらく振りに宿泊したことがあり、今回はBBHホテルグループになってから初めて宿泊しました。
    今回は家族ほかの計4名で宿泊(1泊)しましたが、以前に利用していたホテル時代と比較すると建物外観およびエントランスロビーは、以前のシャンデリアおよび石貼りの内装などがそのまま残されており2階までの吹き抜け空間さらに2階に通じる階段の豪華な雰囲気は変わりなく残されています。(BBHホテルグループの名誉支配人およびチーフプロデューサーを務める高橋さん親子が笑顔で並んでいる全身パネルがエントランスロビーに飾られお出迎えしてくれます。)
    客室についても以前と変わらずシングル・ツイン・ダブルの洋室タイプのほかに大人数で利用可能な和室・和洋室の多彩なタイプの客室があり、宿泊代もリーズナブルであり子供連れの三世代家族など大人数による宿泊を計画する際にとても便利なホテルでお薦めできますが、客室内のリニューアルが実施されていないので古さを感じました。(今回の宿泊は家族3名で12帖の和室を利用しましたが客室内のテレビ放送が写らずフロントに連絡して直してもらうトラブルなどもありました。)
    天然温泉施設については、1階エントランスロビーのフロント側の奥に配置されており入浴中に景色などを楽しむことができませんが、ホテル宿泊客以外にも日帰り温泉プランによる利用者も多く人気の温泉施設となっています。
    また館内のリニューアルで浴槽など温泉施設も若干の改修が見られますが、以前と変わらず屋内外に多彩な浴槽(屋内部分:大浴場・源泉洞窟風呂・超音波バイブラ風呂・寝湯・信楽焼のひとり用陶器風呂、屋外部分:露天岩風呂・全長12メートルの歩行湯風呂)のほかに2種類のサウナ施設が整備され楽しむことができました。
    泉質は肌がツルツルになる無色透明で無臭のナトリウム・塩化物泉で毎分360リットル湧出する湯量豊富な天然温泉は魅力的であり、日帰り温泉プランの利用者もいますがお薦めできます。
    そのほか今回の宿泊プランが朝食バイキング付き(夕食なし)のみのプランで夕食をホテルの外で済ませましたが、以前にホテル最上階に浅間山および蓼科山さらに八ヶ岳などを一望できる見晴らしのよいスカイレストランがワーキング施設として”展望コワーキングフロア”にリニューアルされており、1階の温泉施設出入口の横に食事処として”ラーメン居酒屋ととろ亭”が設置されていました。
    朝食は、以前と同様に1階の朝食会場で地元の食材を使用した一般的な和食および洋食の朝食バイキングメニューのほかに期間限定”とろとろ海鮮丼コーナー”が設置されおり、地元の新鮮なサラダ類などを中心に楽しく食事をすることができました。
    また佐久市周辺エリアを訪れる機会があれば利用してみたいホテルです・・・

    旅行時期
    2023年07月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    その他
    1人1泊予算
    7,500円未満
    アクセス:
    4.0
    上信越自動車道・佐久インターチェンジから10分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.5
    朝食バイキング付き(夕食なし)のプランで1泊ひとり7千円台でした。
    客室:
    3.5
    洗面台ほか内装などは年代を感じます。
    接客対応:
    3.5
    風呂:
    4.0
    泉質は肌がツルツルになる無色透明で無臭のナトリウム・塩化物泉です。
    食事・ドリンク:
    3.5
    朝食バイキングは地元の新鮮なサラダ類などを中心に楽しく食事をすることができました。
    バリアフリー:
    3.5
    エントランスロビーの玄関部分に数段の段差があります。

  • 無料のこんにゃくバイキングに驚かされました!

    投稿日 2023年09月12日

    こんにゃくパーク 富岡・甘楽

    総合評価:4.0

    『こんにゃくパーク』は、2011年(平成23年)に群馬県の名産として生産量日本一である”こんにゃく”の製造から販売を手掛ける地元企業「ヨコオデイリーフーズ」が運営する”こんにゃく”のテーマパーク「こんにゃく博物館」としてオープンしたのちの2014年(平成26年)に施設の規模を拡大するとともに現在の施設名称に改めてグランドオープンしています。
    また2023年(令和5年)6月には、「こんにゃく博物館」としてオープンしてからの12年間で累計入場者数:600万人を達成するほか「旬刊旅行新聞」を発行する「旅行新聞社」が毎年主催している”プロが選ぶ観光・食事・土産物施設100選”においても上位に選出されているなど、群馬県甘楽町エリアの観光施設として”群馬の3大パーク”(群馬サファリパーク・こんにゃくパーク・めんたいパーク群馬)のひとつに数えられる群馬県を代表する人気の観光スポットとなっています。
    ちなみに『こんにゃくパーク』を運営する「ヨコオデイリーフーズ」は、製造した”こんにゃく”を引き売りする個人経営の「丸上食品」として1968年(昭和43年)に創業したのちの1989年(平成元年)に個人経営から「ヨコオ食品工業」として会社を設立、さらに2010年(平成22年)になると社名変更をして現在の「ヨコオデイリーフーズ」となり多彩な”こんにゃく”商品の製造および販売をおこなっています。
    『こんにゃくパーク』へのアクセスは、上信越自動車道・富岡インターチェンジから自動車で10分程度(約3.6キロメートル)であり、「甘楽町役場」の直ぐそばとなる甘楽町小幡に位置します。
    今回は土曜日に自動車を利用して上信越自動車道・富岡インターチェンジから初めて甘楽町小幡エリアを訪れて13時ごろに「こんにゃくパーク」に立ち寄りましたが、施設敷地内の駐車スペースは満車状態で多くの来場者で賑わっていました。
    『こんにゃくパーク』の駐車スペースは、施設敷地内のほかにも道路向かいに広い駐車スペース(無料)が整備されており複数の誘導員の方が手際よく誘導してくれるのでスムーズに駐車することができました。
    『こんにゃくパーク』の施設については、”こんにゃく”製造工場の見学コーナーから手づくり”こんにゃく”の体験コーナーのほかに多彩な”こんにゃく”料理の無料バイキングコーナーさらに種類豊富な”こんにゃく”商品のショッピングコーナーおよび”こんにゃく”以外にも子供の遊ぶ施設や屋外に足湯施設などが配置されています。
    『こんにゃくパーク』内の入場手続きを済ませたのちは、取り敢えずバイキングコーナーで試食体験をしてみようと思い30分程度行列に並びました。
    多彩なレシピの試食用”こんにゃく”料理は、どの料理も美味しく結果的にこの試食用のバイキングがランチの代わりとなり無料で試食できることに驚かされるとともに多彩な”こんにゃく”料理のレシピを試食することで今までの”こんにゃく”に対するイメージが一新しました。
    また試食用の多彩なレシピの”こんにゃく”料理にはデザート類なども含まれているので、この無料バイキングコーナーは子供から大人まで年齢層に関係なくお薦めできます。
    無料バイキングコーナーを体験したあとはショッピングコーナーを見て廻りましたが、無料バイキングコーナーで試食した商品をはじめ種類豊富な”こんにゃく”商品が販売されているほかに袋詰め放題コーナーなどもありショッピングを楽しんだのち『こんにゃくパーク』をあとにしましたが、機会があればまた立ち寄ってみたい観光スポットです・・・

    旅行時期
    2023年07月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    上信越自動車道・富岡インターチェンジから自動車で10分程度(約3.6キロメートル)です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    土曜日の13時ごろ立ち寄りましたが、こんにゃくバイキングは30分程度並びました。
    バリアフリー:
    4.0
    工場見学は建物2階で階段を上がりますが、そのほかは1階および屋外で特に気になる段差はありませんでした。
    見ごたえ:
    4.0
    コストパフォーマンスがよく、子供から大人まで家族で楽しめるテーマパークです。

  • 江戸時代に織田信長の直系8代が152年間にわたり統治したエリアにある道の駅です!

    投稿日 2023年09月10日

    道の駅 甘楽 富岡・甘楽

    総合評価:4.0

    『道の駅 甘楽』は、上信越自動車道・富岡インターチェンジから自動車で10分程度(約3.6キロメートル)となる県道46号(富岡神流線)沿いの甘楽町小幡エリアに位置する道の駅です。
    この『道の駅 甘楽』は、もともと1985年(昭和60年)に甘楽町直営の地元の特産品および農産物などの直売所となる「甘楽町物産センター」としてオープンした施設であり、2011年(平成23年)になると改めて道の駅として開駅し、さらに3年後の2014年(平成26年)に改装工事などを経てリニューアルオープンをして現在に至っています。
    『道の駅 甘楽』の建物施設はコンパクトな平屋建てとなりますが、メイン施設となる地元の特産品および農産物などのお土産品を取り扱う”販売コーナー”とあわせて地元の食材などを使用して提供する食事処のレストラン”せせらぎ亭”とともに本格的なピザ窯を設置して焼き上げるこだわり地粉ピザおよびソフトドリンク類などを提供する”フードコート”、さらに甘楽町の”観光案内所”が併設されています。
    『道の駅 甘楽』の屋外駐車場施設については、電気自動車(EV)用充電スタンドが完備されているほか車中泊が可能な駐車スペースとなっており、敷地外の南側に位置する「小幡公園」敷地内の駐車場も『道の駅 甘楽』の臨時駐車場として利用できます。
    今回は自動車を利用して上信越自動車道・富岡インターチェンジから初めて甘楽町小幡エリアを訪れて観光スポットのひとつである「こんにゃくパーク」に立ち寄ってから『道の駅 甘楽』に向かい施設内の”販売コーナー”などを見て廻りました。
    ”販売コーナー”には、地元の特産品などのほかに日本国内での販売がこの道の駅のみとされるイタリア共和国の中西部(フィレンツェとシエナの中間)に位置するトスカーナ州の小都市・チェルタルドから直輸入している種類豊富なチェルタルド特産のワインおよびオリーブオイルのコーナーが気になりました。
    ちなみにチェルタルドの街並みは、丘の上に中世の古い建物が連なる旧城郭エリアの旧市街地と丘下の平坦地に広がる新市街地からなる小都市で、その街並みを取り囲むように起伏のある丘陵地帯のワイン用ぶどう畑・オリーブ畑・麦畑の農村エリアで構成されています。
    チェルタルドと甘楽町の関係については、1983年(昭和58年)に甘楽町で開催された群馬県が主催するイベントのイタリア共和国ゲストが甘楽町の城下町の面影が残る街並みに感動し、甘楽町と同じように古い中世の街並みを残すチェルタルドとの姉妹都市の提携を提案したことで友好親善姉妹都市協定が締結され、チェルタルドから特産のワインおよびオリーブオイルの直輸入がはじまっています。
    また”フードコート”で提供される地粉ピザは、2014年(平成26年)の『道の駅 甘楽』ニューアルオープンにあわせてチェルタルドで製作されたタイルを使用したピザ窯が設置されたほかチェルタルドにあるピザ店でピザ作りの修業をしたこだわりピザとして提供を開始した逸品となっているので、機会があればこだわりの地粉ピザも食べてみたいと思います。
    そのほか甘楽町小幡エリアは、”大坂夏の陣”で豊臣家が滅亡し元号が改められた1615年(元和元年)に戦国武将「織田信長」の次男「織田信雄」に与えられた領地であり、さらに「織田信雄」の四男「織田信良」が上野国・小幡藩主を務めてから「織田信邦」が小幡藩主を退いた1767年(明和4年)までの152年間にわたり織田家8代がこの地を統治してた城下町であったことから城下町の面影が残る街並みとなっています。
    その史跡・遺構のひとつとされる江戸時代中期に建てられたとされる当時名主を務めていた「松井家住宅」が、『道の駅 甘楽』敷地内に移築・復元されており、現在では『道の駅 甘楽』を起点・終点として「織田宗家ゆかりの城下町小幡を訪ねる道」約7.7キロメートルの道のりが2015年(平成27年)に”文化のみち”をテーマにした「ウォーキング 新日本歩く道紀行1000の道」に認定されています。
    機会があれば、また『道の駅 甘楽』に立ち寄り「織田宗家ゆかりの城下町小幡を訪ねる道」など散策して廻りたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年07月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    上信越自動車道・富岡インターチェンジから自動車で10分程度(約3.6キロメートル)です。
    お買い得度:
    4.0
    姉妹都市のチェルタルド(イタリア)で修業し本格的なピザ窯で焼くこだわりの地粉ピザが気になりました。
    サービス:
    4.0
    車中泊が可能な駐車スペースとあわせて電気自動車(EV)用充電スタンドが完備されています。
    品揃え:
    4.0
    姉妹都市のチェルタルド(イタリア)から直輸入の特産ワインなどが充実し気になりました。
    バリアフリー:
    5.0
    特に気になる段差などはありませんでした。

  • 建設にあたり渋沢栄一も支援していた橋梁です!

    投稿日 2023年08月06日

    音無橋 王子・十条

    総合評価:4.0

    『音無橋』は、明治期から昭和初期にかけて日本の近代化を支える重要な施設となる製紙工場(現:王子ホールディング)および印刷工場(現:国立印刷局)などが設置された王子エリアからさらに赤羽エリアに設置された火薬庫などをはじめとする旧日本陸軍の軍需施設など工業および軍事の拠点として交通網の整備が重視されていた中で、王子エリアを蛇行しながら流れていた「石神井川・旧流路」により武蔵野台地の突端(崖線)高台に位置する北西側の王子村(現:北区王子本町1丁目)および南東側の滝野川村(現:北区滝野川2丁目)において南西方向から北東方向に向かって渓谷のように分断されいた部分を1930年(昭和5年)に自動車で横断できるように現在の「本郷赤羽線・旧岩月街道(都道455号)」から「明治通り(国道122号)」に合流する「音無橋交差点」部分に架けられた橋長:約50メートル・幅員:約18メートルの橋梁(3径間連続鉄筋コンクリート固定アーチ橋)です。
    また「石神井川」については、王子エリアにおいて江戸時代に「音無川」と呼ばれており、江戸時代後期の1836年(天保7年)に刊行された地誌「江戸名所図会・5巻(15冊)」の中でも「音無川」として景観図が紹介されているほか、「名所江戸百景」でも「王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱」として錦絵が描かれているなど風光明媚な江戸庶民の行楽地として人気を集めていたことが伺えます。
    ちなみに王子エリアの「石神井川」が江戸時代に「音無川」と呼ばれていた由来は、この地に鎮座する江戸府内の北方守護を担う徳川将軍家の祈願所であった「王子権現社(現:王子神社)」が「熊野信仰」のもと紀伊国(現:和歌山県)の紀伊半島南部に鎮座する「熊野三山」(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に祀られる祭神「熊野権現」を鎌倉時代末期となる1322年(元亨2年)に勧請したこととあわせて「熊野本宮大社(旧社地)」(現:田辺市本宮町)付近で「熊野川」に注ぐ「音無川」を模したものとされています。
    一説によるとこの王子エリアが紀伊国とゆかりのある地であることから紀州徳川家から第8代将軍となった「徳川吉宗」が故郷である紀州「音無川」の渓谷にちなんで命名したと伝えられており、現在でも通称として「音無川」と呼ばれて『音無橋』の名称としても用いられています。
    その後に『音無橋』の下部を流れていた「石神井川」は、1958年(昭和33年)に神奈川県に上陸して伊豆・関東地方に甚大な被害をもたらした「狩野川台風」において大きな被害がが発生するなどしており、水害などを解消するため蛇行していた流路を直線となるように西方向から東方向に「飛鳥山」の下部を2本のトンネルで流す延長:約380メートルの分水路が1968年(昭和43年)および1983年(昭和58年)の2期工事に分けて整備されています。
    さらに『音無橋』については、老朽化にともない1988年(昭和63年)に大改修工事(鋼繊維コンクリー卜・補強鉄筋による床版増し厚など)が実施されており、あわせて『音無橋』の下部からJR王子駅方面に向かう「石神井川・旧流路」エリアについても『音無橋』の大改修工事と同時期に樹木に覆われた渓谷風の期間限定で水遊びができる「音無親水公園」として整備されることで「音無親水公園」との調和を図りながら、橋梁の歩行者スペース(橋梁中間部分)に新たな展望用バルコニーが新設されるなどさまざまな角度から見られる橋梁となることなどを意識した大改修工事となっています。
    今回は王子エリアを訪れる際の平日の午後にJR王子駅周辺を散策して廻りながら橋上から「音無親水公園」などを写真撮影するために『音無橋』に立ち寄りました。
    『音無橋』の建設には、”近代日本経済の父”または”日本資本主義の父”などと称される大実業家「渋沢栄一」も支援していたとされることからも日本の近代化を進める上で重要性の高い橋梁であったことが伺えるほか、現在も自動車の交通量が多く生活を支えている橋梁であることが実感できます。
    意匠的にも魅力を感じる橋梁であり機会があれば時間をかけて細部までじっくりと見て廻りたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    JR王子駅・北口改札の西側駅前から音無親水公園の遊歩道を通って直ぐです。
    人混みの少なさ:
    4.0
    駅からも近いので自動車の交通量も多く、歩行者はそれ歩でではないですが途絶えることはありませんでした。
    バリアフリー:
    4.0
    特に気になる段差はありませんが、橋下の音無親水公園に降りる階段があります。
    見ごたえ:
    4.0
    老朽化に伴いさまざまな角度から見られることなどを意識した大改修工事が実施されており、意匠的にも魅力を感じる橋梁です。

  • 熱海湾の”ビーチエリア”および”マリーナエリア”を区分けする人工岬のテラスです!

    投稿日 2023年07月09日

    渚親水公園 ムーンテラス 熱海

    総合評価:3.5

    『渚親水公園 ムーンテラス』は、熱海観光の代表的な熱海港の海岸施設として1990年(平成2年)に整備されたヤシ並木が続く延長400メートル・幅60メートルの人工海浜ビーチ「熱海サンビーチ」および1998年(平成10年)に発足したビーチ施設の南西側エリアに整備されたマリーナ(ヨットハーバー)施設「スパ・マリーナ熱海」のそれぞれ海上エリアを区分けするように海上に突き出した人工岬のテラスであり、テラスの先端部分に縁結びのモニュメントおよびテラスの各所にベンチ・花壇などが設置されています。
    この『渚親水公園 ムーンテラス』を含む南西側の海岸エリアは、熱海市の姉妹都市である北イタリアの美しいリゾート地「サンレモ市」のほか地中海などのリゾート各地をイメージした景観美と親水性に富んだ海岸施設整備事業としてデザインコンセプトを”地中海風が香る賑わいのあるウォーターフロント”とする「熱海港コースタルリゾート構想」により1991年(平成3年)から傾斜式テラス型の堤防機能を備えた遊歩道および緑地広場などからなる「熱海親水公園」の整備が段階的に進められており、第1工区として南欧のコートダジュールをイメージしたレンガを基調とする「スカイデッキ」(延長170メートル・幅50メートル)が『渚親水公園 ムーンテラス』を含めて1997年(平成9年)に完成しています。
    また2004年(平成16年)から世界的な照明デザイナー(石井幹子氏)によるムーンライトをイメージした幻想的な夜間ライトアップが「熱海サンビーチ」から『渚親水公園 ムーンテラス』で実施されるようになると夜のデートスポットとして人気のエリアとなり、2006年(平成18年)にNPO法人「地域活性化支援センター」が企画したプロジェクトである観光地域のプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットとして『渚親水公園 ムーンテラス』が「恋人の聖地」に認定されています。
    そのほか『渚親水公園 ムーンテラス』の南西側に位置するマリーナ(ヨットハーバー)施設「スパ・マリーナ熱海」が、国土交通省より一般利用者に開かれた船舶係留施設(マリーナ)「あたみ海の駅」として登録されています。
    以前に熱海エリアを訪れた際にこの熱海港の海岸ラインに整備され南イタリアのナポリ港をイメージした花や樹木が植樹されている「渚デッキ」にあるオープンカフェ「サンレモカフェ」および「熱海遊覧船サンレモ」を利用したり、北イタリアのサンレモ市・リヴィエラ海岸をイメージした石を基調としている「レインボーデッキ」にある「熱海市観光協会(ワカガエルステーション)」などを利用しながら、『渚親水公園 ムーンテラス』および「熱海サンビーチ」を散策して廻りましたが、このエリアは早朝から夜間ライトアップまで年間を通してリゾート気分が味わえるお薦めの散策エリアです。
    今回は、毎年6月に熱海市の「ジャカランダ遊歩道」を中心に開催されている”ATAMI ジャカランダ フェスティバル”にあわせて三世代家族4人で「世界三大花木」と称されるジャガランダの花見目的で熱海エリアを訪れ、「熱海サンビーチ」と「国道135号」に挟まれた「お宮の松」および「貫一 お宮の像」などがあるお宮緑地に整備された「ジャカランダ遊歩道」とあわせて「熱海サンビーチ」および『渚親水公園 ムーンテラス』を散策して廻りました。
    天候も良くビーチで海水浴をする方もいるなど人出も多かったですが楽しむことができました・・・

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.5
    熱海湾の”ビーチエリア”および”マリーナエリア”の境界に位置します。
    人混みの少なさ:
    3.5
    6月初旬でしたが、天候も良くビーチで海水浴をするか方がいるなど人出も多かったです。
    バリアフリー:
    3.5
    一部段差があります。
    見ごたえ:
    3.5
    早朝から夜間ライトアップまで年間を通してリゾート気分が味わえます。

  • プロの熱海芸妓衆による舞台を堪能できます!

    投稿日 2023年07月08日

    湯めまちをどり「華の舞」 熱海

    総合評価:4.0

    『湯めまちをどり 華の舞』は、熱海港に注ぐ初川沿いの熱海市中央町に位置する「熱海芸妓見番歌舞練場」(通称:熱海芸妓見番、略称:熱海見番)において1998年(平成10年)から毎週土曜日および日曜日(臨時休演あり)の11時に開演の公演時間が30分から40分程度の「熱海芸妓置屋連合組合」に所属するプロの熱海芸妓衆による地方の三味線などの伴奏および唄にあわせて息の合った立方の艶やかな踊りで構成される舞台です。
    通称「熱海芸妓見番」の建物は、1954年(昭和29年)に全国屈指の花街と称されている熱海芸妓衆の稽古場として「熱海芸妓置屋連合組合」により建設された地上2階・地下1階建ての木造建築であり、玄関を入ると正面に花道を備えた歌舞練場となる緞帳付き舞台が設置されている2階まで吹き抜けの天井高のある畳敷き大広間があり『湯めまちをどり 華の舞』舞台公演の会場となっています。
    この大広間は舞台を取り囲むように2階部分に桟敷席が設置され、目を見張る折り上げ格天井造りとあわせて熱海芸妓衆の名前と置屋の屋号が入った丸提灯が賑やかに飾られた昔ながらの芝居小屋を彷彿させる空間として見どころのひとつになっています。
    ちなみに”芸妓”とは関東地方における芸者さんの呼び名とされており、熱海においては昭和30年代(1955年から1964年)の最盛期には200軒以上の置屋に1000名以上の芸妓衆が活躍していたそうですが、現在では置屋も50軒程度に減少しており芸妓衆も70名程度の人数で活動しているそうです。
    粋とされる芸妓衆を交えた”お座敷遊び”の体験はありませんが、『湯めまちをどり 華の舞』と同様に「熱海芸妓見番」において1990年(平成2年)から毎年4月末のゴールデンウィーク期間に開催されている「熱海をどり」を目的に5年前に熱海エリアを訪れて「熱海芸妓見番」に立ち寄りプロの熱海芸妓衆による艶やかな舞台を堪能したことがあります。
    今回は、毎年6月に熱海市の「ジャカランダ遊歩道」を中心に開催されている”ATAMI ジャカランダ フェスティバル”にあわせて三世代家族4人で「世界三大花木」と称されるジャガランダの花見目的で熱海エリアを訪れました。
    『湯めまちをどり 華の舞』の公演を事前予約していませんでしたが5年前の「熱海をどり」のことを思い出し、「熱海サンビーチ」と「国道135号」に挟まれた「お宮の松」および「貫一 お宮の像」などがあるお宮緑地に整備された「ジャカランダ遊歩道」から徒歩で「熱海芸妓見番」に移動してプロの熱海芸妓衆による艶やかな舞台を堪能しました。
    そのほかに三味線などの生伴奏と粋な唄声にあわせた踊りの演目の合間に「熱海芸妓置屋連合組合」の公式キャラクター(芸妓の妖精)”まめっこ”ちゃんが飛び入りで登場する場面もあり楽しい舞台でもありました。(舞台公演後には出演された芸妓衆の皆さんや飛び入り参加の”まめっこ”ちゃんとの写真撮影の時間もありました。)
    『湯めまちをどり 華の舞』の公演は、1日1公演の舞台で入場人数制限があり制限人数に達すると入場できないことも想定されるので、舞台観賞を計画される方は事前予約することをお薦めします。(入場制限などについては熱海芸妓置屋連合組合のホームページを確認して下さい。)
    熱海エリアを訪れる機会があれば、また『湯めまちをどり 華の舞』および「熱海をどり」など「熱海芸妓見番」に立ち寄りプロの熱海芸妓衆の舞台を堪能したいと思うほかに2022年(令和4年)12月から試験的に数回にわたり開催された「熱海芸妓見番」における”お座敷遊び”の体験プランなどがまた企画されるようなことがあれば是非ともそちらのプランにも参加してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.5
    熱海駅から公演会場の熱海芸妓見番まで約1.4キロメートルです。
    人混みの少なさ:
    4.0
    会場内を見た感じですが畳敷きの大広間にゆったりと準備されている置きイス席の8割程度の入りでした。
    催し物の規模:
    4.0
    毎週土曜日および日曜日の11時に開演の公演時間が30分から40分程度の舞台です。
    雰囲気:
    4.5
    2階まで吹き抜けの天井高のある畳敷き大広間の空間は昔ながらの芝居小屋を彷彿させプロの熱海芸妓衆による艶やかな舞台を堪能できます。
    バリアフリー:
    3.0
    公演会場の熱海芸妓見番の玄関廻りに段差があります。畳敷きの大広間にゆったりと置きイス席が準備されています。

  • 熱海観光の拠点となる一等地に位置し、ゆったりとくつろげるホテルです!

    投稿日 2023年06月11日

    熱海パールスターホテル 熱海

    総合評価:4.5

    『熱海パールスターホテル』は、「国道135号」沿いの熱海観光の代表的な明治期の文豪「尾崎紅葉」の小説「金色夜叉」の主人公をモデルにした「貫一お宮の像」および「お宮の松」さらに人工海浜ビーチの「熱海サンビーチ」向かいとなる”熱海観光の一等地”とされる位置に10階建ての総客室数が87室からなるラグジュアリーリゾートホテル(全客室:自家源泉の浴槽付き)として2022年(令和4年)にグランドオープンしています。
    『熱海パールスターホテル』がオープンする以前は、政財界の要人も利用した熱海を代表する1934年(昭和9年)に創業の「つるや旅館(つるやホテル)」が存在した場所ですがバブル崩壊後の2001年(平成13年)に閉館、その後の2007年(平成19年)から大型商業施設「aune ATAMI」の建設予定地となり建設がスタートするも開発企業が2009年(平成21年)に会社更生法の適用を申請しオープン目前で建設工事が中断、2018年(平成30年)に中国系投資会社の出資により建設中断で放置状態の建物を商業施設から宿泊施設に用途変更する改築工事により現在の『熱海パールスターホテル』が完成しています。
    今回は「国道135号」沿いに熱海市の街路樹として植樹されている「世界三大花木」であるノウゼンカズラ科の落葉高木「ジャガランダ(原産地:南アメリカ・和名:紫雲木)」が熱海市で開花する6月に毎年開催されている”ATAMI ジャカランダ フェスティバル”にあわせて旅行を計画、イベント期間中に「ジャガランダ」のライトアップが実施される「ジャカランダ遊歩道」に近い『熱海パールスターホテル』を宿泊場所に選びました。
    ちなみに「ジャカランダ遊歩道」は、2014年(平成26年)に「貫一お宮の像」および「お宮の松」が配置されている「国道135号」沿いの「お宮緑地」に「ジャガランダ」を植樹し整備された遊歩道で、1990年(平成2年)に国際姉妹都市であった「カスカイス市」(ポルトガル)から国際姉妹都市提携記念として「ジャガランダ」が2本贈られたことがきっかけとなり、現在では熱海市で植樹されてきた「ジャカランダ」は百本以上となります。
    宿泊した客室は、「ジャカランダ遊歩道」がテラスからすぐ見える3階のスタンダードルーム「スーペリアオーシャンビュー 室礼」を大人4人による朝食付きプランでの利用、当日は交通機関の乱れもあり17時ごろに「熱海駅」に到着して駅周辺で夕食を済ませ駅前からタクシー利用でホテルにチェックインしましたがタクシー代はホテル側で負担してくれました。
    ホテル内部は、フロント・各階エレベーターホール・屋内廊下をはじめ客室内も天井が高くゆったりとした落ち着きのある空間で客室テラスの奥行きも広く景色を眺めながらくつろげました。
    客室内の備品は、コーヒーマシンも設置されておりミニ冷蔵庫・フリードリンク(地ビール・ワイン・ジュース・お茶)のほかにアメニティ類も充実しています。
    また今回の宿泊で利用していませんがホテル2階には自由に利用できるラウンジ施設があり、17時30分から20時までのカクテルアワーにおいては各種アルコール類および軽食をフリーで提供されているので、また宿泊する機会があれば利用してみたいと思います。
    浴場施設は、地下220メートルから汲み上げられた弱アルカリ性のカルシウム・ナトリウム塩化物泉の自家源泉温泉が各客室内の浴槽および最上階・大浴場のインフィニティ露天風呂「ゆのふね」(全長12メートル)に引き込まれており、夜と朝の2回にわたり大浴場を利用しましたが貸し切り状態で温泉とともに熱海湾の海岸線から正面に初島を望める眺望を楽しむことができました。
    また大浴場・内風呂は、床部分にソフトで滑りにくい畳マットが施され「高濃度炭酸泉」および「水素風呂」の2種類の浴槽とともにドライサウナおよびスチームサウナの設備も設置されています。
    食事は、朝食のみでしたが6階のレストラン施設でライブキッチンによる卵料理付きのブッフェスタイルによる食事を美味しくいただきました。
    ドリンクコーナーの丸ごとのオレンジの実を自分で卓上型”生搾りオレンジジュースマシン”に入れてジュースにするスタイルを初めて体験した以外に特別に目を見張るものはありませんでしたが、広々とした空間でゆったりとくつろいで食事をすることができました。
    全体的には、館内全体がゆったりとした空間でくつろげることとあわせてテラスなどからの眺望もよく、チェックアウトが正午までなので海岸沿いなどの散策にも便利な”熱海観光の一等地”に位置するのでリゾート気分を満喫したい方にお勧めできるホテルです。
    そのほか熱海港で開催される「熱海海上花火大会」のロケーションも抜群のようなので、機会があれば「熱海海上花火大会」にあわせて宿泊してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年06月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    家族旅行
    1人1泊予算
    30,000円未満
    アクセス:
    3.5
    最寄りバス停は”お宮の松”(国道135号沿い)です。
    コストパフォーマンス:
    3.0
    スタンダードルーム1室4人の朝食のみで1人当り25,000円(税込)以上でした。
    客室:
    5.0
    自家源泉の浴槽が全客室にあり天井も高くゆったりとした空間で、テラスの奥行きも広く熱海湾を望むロケーションも良かったです。
    接客対応:
    4.0
    とても親切で丁寧に対応してくれました。
    風呂:
    5.0
    最上階の10階に自家源泉のインフィニティ露天風呂および内風呂に高濃度炭酸泉・水素風呂さらにドライサウナ・スチームサウナが設置されています。
    食事・ドリンク:
    4.5
    朝食のみの利用ですが、広々とした空間でゆったりとくつろぎながらライブキッチンによる卵料理付のブッフェスタイルの食事を楽しめました。
    バリアフリー:
    4.0
    客室内の浴室出入口に段差があるのと6階エレベーターホールから食事施設部分に段差があるのが少し気になりました。

  • ”至誠(まごころ)は神に通じる”を信念として生涯を貫いた明治期から大正期の海軍軍人を祀る神社です!

    投稿日 2023年05月31日

    東郷神社 原宿

    総合評価:4.0

    『東郷神社』は、JR山手線「原宿駅」竹下口改札から正面(東側)に向って通る「竹下通り」の北側に位置する「明治通り(都道305号)」沿いの渋谷区神宮前1丁目に鎮座し、明治期から大正期の海軍軍人であった「東郷平八郎」元帥を祭神として祀る神社です。
    『東郷神社』の創建については、”至誠(まごころ)は神に通じる”を信念として生涯を貫いた誠実な人柄であったとされる「東郷平八郎」元帥が1934年(昭和9年)に86歳で逝去すると当時の海軍省に全国から故人の功績・功労・信念を後世に顕彰するため神社に祀ってほしいとする要望が寄せられるとともに多額の寄付金が集まり、1940年(昭和15年)5月27日に当時の海軍記念日にあわせて創建鎮座祭が執り行われています。
    創建当時の社殿は拝殿部分の両脇に翼殿を配置した檜皮葺きの木造建築でしたが、「太平洋戦争」末期の1945年(昭和20年)に首都東京を襲った「東京大空襲」により社殿は焼失しており、現在の社殿は1964年(昭和39年)に鉄筋コンクリート造により再建されています。
    ちなみに祭神として祀られている「東郷平八郎」元帥については、徳川幕府・第12代将軍「徳川家慶」の時代である1847年(弘化4年)に薩摩藩士の家に生まれ、その14年後の1862年(文久2年)に発生した「生麦事件」がきっかけとなり翌年の1863年(文久3年)に鹿児島湾で勃発した「薩英戦争」において初陣を迎えています。
    さらに明治維新後の1868年(慶応4年)から1869年(明治2年)に国内各地で「新政府軍」と「旧幕府軍」の間で繰り広げられた「戊辰戦争」においては「新政府軍」の軍艦「春日」(旧薩摩藩・春日丸)に乗船し、「阿波沖海戦」をはじめ「戊辰戦争」における最後の戦闘とされる「箱館戦争」において「宮古湾海戦」および「箱館湾海戦」に参戦しています。
    「戊辰戦争」が終結したのちには、海軍士官として1871年(明治4年)から7年間にわたるイギリス留学において海軍予備校(バーニーズ・アカデミー)および商船学校(テムズ航海訓練学校)に在籍し、遠洋航海の実践を含め船舶に関する基礎知識とともに海軍技術および国際法などを学び1878年(明治11年)に帰国すると海軍中尉となっています。
    1894年(明治27年)の「日清戦争」においては、日本海軍の最初の防護巡洋艦(鋼鉄製艦)である「浪速」艦長(大佐)として「豊島沖海戦」、「黄海海戦」、「威海衛海戦」に参戦し、「豊島沖海戦」中には清国・陸軍兵を輸送するイギリス商船「高陞号」が「東郷平八郎」大佐の指示により撃沈される「高陞号事件」が発生していますが、国際法に基づいた的確な対応での撃沈でありイギリス人船員を救助するなど冷静沈着な判断力は高く評価されています。
    その後の1903年(明治36年)に「日露戦争」開戦に備えて編成された連合艦隊の令長官に就任し、翌年の1904年(明治37年)に「日露戦争」に突入すると「連合艦隊司令長官」として「三笠」に座乗して海軍による作戦全般の指揮をとり「旅順口攻撃」および「黄海海戦」に参戦し大将に昇格しています。
    さらに1905年(明治38年)に世界屈指の艦隊であった大国ロシア海軍第2・第3太平洋艦隊(バルチック艦隊)を日本海の対馬東方沖海域で迎え撃つ「日本海海戦」においてバルチック艦隊を撃破したことで日本を勝利に導き「日露戦争」が終結、連合艦隊解散式で「東郷平八郎」大将が「連合艦隊解散の辞」として海軍および海軍軍人の心得を示した訓示を当時のアメリカ合衆国・ルーズベルト大統領が感銘を受けて英訳した文を自軍の将兵に配布など「東郷平八郎」大将の名前が一躍世界に知れわたり「世界三大提督」のひとりとして称えられ、1913年(大正2年)になると軍人として最上級の階級となる「元帥」の称号を授与しています。
    また1914年(大正3年)から1921年(大正10年)まで東宮御学問所総裁を務め当時の皇太子(昭和天皇)の教育に尽力し、1926年(大正15年)に日本人として初めて世界初のニュース雑誌誌”TIME”の表紙に選ばれています。
    「日本海海戦」および「東郷平八郎」元帥の名前は子供の頃から何となく知っており、学生時代にトルコ共和国の小学校の教科書で「日本海海戦」が紹介されたことがあり子供の名前を”トーゴー”とする親もいる話しを聞いたこともあり、「東郷平八郎」元帥は以前より気になる存在でした。
    今回は、原宿エリアを訪れる機会があったので初めて『東郷神社』に立ち寄り参拝し、「東郷平八郎」元帥について改めて学び楽しむことができました。
    機会があれば、『東郷神社』の他にも「東郷平八郎」元帥ゆかりの地を訪ねてみたいと思います。

    旅行時期
    2022年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    JR原宿駅・竹下口改札から直ぐです。
    人混みの少なさ:
    4.5
    平日の午後でしたが参拝者は自分だけでした。
    バリアフリー:
    3.0
    参拝するには石段があります。
    見ごたえ:
    4.5
    竹下通りの北側に位置しますが、ひっそりと落ち着いた雰囲気です。

  • 落ち着いた大人の雰囲気が漂う魅力的なジャズクラブです!

    投稿日 2023年05月20日

    ブルーノート東京 青山

    総合評価:4.0

    『ブルーノート東京』は、ジャズの本場・アメリカ合衆国を代表する大都市ニューヨーク市内にある名門ジャズクラブ”Blue Note”の姉妹店として1988年(昭和63年)に東京メトロ・銀座線・半蔵門線・千代田線が通る「表参道駅」を最寄り駅とする港区南青山5丁目の「骨董通り」沿いにオープンしています。
    その後の開業10周年を迎えた1998年(平成10年)になると開業当時の「骨董通り」沿いにあった店舗よりもフロア面積が広い「根津美術館」にほど近い港区南青山6丁目の現在地に移転し新たにリニューアル・オープンています。
    ニューヨーク市内の本店である”Blue Note”については、芸術や文化の中心地として発展してきたニューヨーク市マンハッタン区グリニッジ・ヴィレッジ地区において、このエリアを代表する「ワシントン スクエア パーク」から西側方向に直ぐの場所となる「ウエスト 3rd ストリート」沿いに面してグランドピアノをイメージしたアプローチ庇屋根が特徴的な外観の建物内にシックな雰囲気のインテリアなどを店名でもあるブルーを基調にした空間のステージ上でトップ・アーティストが奏でるライヴステージを至近距離にセッティングされた座席シートで飲食をしながら楽しめるクラブとして1981年(昭和56年)にオープンしています。
    『ブルーノート東京』においてもこの本店の”Blue Note”をモチーフにジャズを中心に国内外のさまざまなジャンルのトップ・アーティストが繰り広げるライヴステージを取り囲むように至近距離からさまざまな座席シート(アリーナシート・ペアシート・ボックスシートなど)を配置して、軽食からディナーコースまでの多様な食事とあわせて各種アルコール類からソフトドリンクまでの種類豊富なドリンクとともに楽しめるスペースに仕上がっています。
    また店名の”Blue Note”については、西洋人が奏でる”ドレミファソラシド”の音階とは異なるアフリカ民族独特のどことなく物悲しい雰囲気を帯びた音階からアフリカ系アメリカ人により誕生した音楽ジャンルのひとつに数えられるブルースの語源となる「憂うつ」を意味する”Blue”が定着し、同じくアフリカ系アメリカ人をルーツとするジャズなどの音楽ジャンルの音階が”Blue(憂うつ) Note(音符) Scale(音階)”と呼ばれるようになっていることに由来します。
    今回は、以前より気になっていた日本の音楽バンドであり海外公演なども実施することで海外でも話題となっている「民謡クルセイダーズ」が奏でる音楽を生で聴いてみたいと思っていたところ『ブルーノート東京』でライヴが実施されることを知り、「民謡クルセイダーズ」のライヴを目的にペアシートL(アーティストが入退場する花道となる通路前)を予約して初めて『ブルーノート東京』を訪ねてみました。
    ちなみに「民謡クルセイダーズ」は2012年(平成24年)に結成された異色の音楽バンドであり、日本の民俗音楽である民謡をラテンのリズムをはじめアフリカなど世界各地のリズムを融合したオリジナルの音楽スタイルを基に国内外で演奏活動をしています。
    「民謡クルセイダーズ」のライヴ当日に『ブルーノート東京』のこぢんまりとした1階正面玄関からエントランスホールに入ると直ぐに地下に降りる階段が配置され、その壁面上部には往年のジャズ・アーティストの顔写真パネルが飾られおり、この空間にいるだけで一気にテンションが上がり今回のライヴステージに対する期待感が高まりました。
    『ブルーノート東京』の内部は、地下1階にフロントおよびクロークなどのチェックインスペースさらに地下2階にメインのクラブスペースで構成され、フロア移動は階段となるほかクラブスペースに段差もあり各種座席シートのスペースも狭いのでバリアフリーのみの観点でチェックすると気になる部分ですが、全体的には落ち着いた大人の雰囲気が漂う魅力的な空間となっています。
    当日は、夕食を済ませてからチェックインしたのでシートでの注文はドリンクのみでしたが出演アーティストにちなんだスペシャル・カクテルも用意されているなどドリンクの種類も豊富で、ドリンクとともに満席状態のクラブスペースで繰り広げられるライヴステージは盛り上がりステージとの一体感を味わいながら楽しいひと時を過ごすことができました。
    機会があれば、次回は食事とあわせてライヴステージを楽しんでみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.5
    東京メトロ・表参道駅のA5出口から徒歩8分程度です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    座席数が約280席とされるクラブスペースで満席状態でした。
    催し物の規模:
    4.5
    今回のライヴは1日(2公演)のみの開催でした。
    雰囲気:
    5.0
    ニューヨーク市内の名門ジャズクラブの姉妹店で、落ち着いた大人の雰囲気が漂う魅力的なクラブです。
    バリアフリー:
    2.0
    地下2階のクラブスペースまでのフロア移動が階段でフロアに段差もあり、各種座席シートのスペースも狭いです。

  • 神宮の杜と調和した”杜のスタジアム”をコンセプトに建設されたスタジアムです!

    投稿日 2023年05月14日

    国立競技場 信濃町・千駄ヶ谷

    総合評価:4.0

    『国立競技場』は、「第32回 オリンピック競技大会(通称:東京2020)」および「第16回 パラリンピック競技大会」のメインスタジアムとして2019年(令和元年)に竣工した「明治神宮外苑」の一画となる新宿区霞ヶ丘町に位置する3層スタンド構造で構成された収容人員:67,750席(うち車いす席:約500席)の陸上競技場兼球技場であり、「文部科学省」が所管する独立行政法人「日本スポーツ振興センター」により管理・運営が行われています。
    ちなみに『国立競技場』のある「明治神宮外苑」は、「青山練兵場」跡地であるとともに「明治天皇」の”大喪の礼”が執り行われた場所であり「明治天皇」および「昭憲皇太后」の事績を永く後世に伝えることを目的として民間有志で結成された「明治神宮奉賛会」が国民から寄付金などを募り、「聖徳記念絵画館」を中心とする西洋風緑地公園とあわせて1924年(大正13年)に『国立競技場』の前身となる当時の東洋一で国内初の本格的陸上競技場『明治神宮外苑競技場』(収容人員:35,000人)が竣工しており、国内におけるスポーツイベントの聖地として1930年(昭和5年)には当時のアジア最大スポーツイベント「第9回 極東選手権大会」のメインスタジアムとなっています。
    その後の1958年(昭和33年)に開催された「第3回 アジア競技大会」においては、メインスタジアムとして『明治神宮外苑競技場』の建て替えが実施され「国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(通称:旧・国立競技場)」(収容人員:48,000人)が竣工しています。
    さらに1964年(昭和39年)に開催された「第18回 オリンピック競技大会(通称:東京オリンピック)」および「第13回 国際ストーク・マンデビル競技大会(のちのパラリンピック)」においてもメインスタジアムとして『旧・国立競技場』のバックスタンド増設などの改修工事に伴い収容人員:71,328人となるスタジアムに生まれ変わり、「東京オリンピック」のあとも各種スポーツイベントなどが開催されています。
    この『旧・国立競技場』には、昭和50年代後半を中心にスポーツ観戦で数回にわたり訪れた経験がありますが、社会人になってからはスタジアムで直接スポーツ観戦をする機会もなくなっていました。
    そのような中で2011年(平成23年)に東京都がオリンピック開催都市に立候補し、翌年の2012年(平成24年)には『国立競技場』を再び建て替えて新たなメインスタジアムとする構想が浮上し、国際デザイン・コンクール「新国立競技場基本構想国際デザイン競技」が開催されることを知りどのようなデザインのスタジアムになるのか気になっていました。
    国際デザイン・コンクールでは、国内外から全46作品(国内12作品・海外34作品)の応募があり、1次審査で絞り込まれた11作品の中から、さらに2次審査を経て最優秀賞・優秀賞・入選の3作品が決定しています。
    最優秀賞のイラク出身「ザハ・ハディッド」氏が代表を務めるイギリスの「Zaha Hadid Architects」が提案したデザイン案を基にオリンピック東京招致活動のプレゼンテーションなどが実施され、最終的に2013年(平成24年)の「国際オリンピック委員会(通称:IOC)総会」において「東京2020」が正式決定すると新たな『国立競技場』建設に向けてスタジアムデザイン案から基本設計を進める中で建設コストおよび工事期間などの問題が物議を醸す事態となり、2015年(平成27年)に当時の内閣総理大臣「安倍晋三」氏がスタジアム建設計画を白紙撤回し、改めて設計・施工を一貫して実施する公募型プロポーザル方式(設計交渉・施工タイプ)によるコンペティションが実施され、応募のあった2案の中から神宮の杜と調和した日本らしいスタジアムとする”杜のスタジアム”をコンセプトとした「大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体」が決定しています。
    今回は「千駄ヶ谷」周辺エリアを十数年ぶりに訪れる機会があったので気になっていた新たな『国立競技場』外周を初めて1周してスタジアム外観を見て廻りながらスタジアム東側・青山門付近に設置されている実際に使用された「東京オリンピック炬火台」および「東京2020聖火台」などを写真撮影したりして短時間でしたが楽しむことができました。
    機会があれば、『国立競技場』で開催されるスポーツイベントなどのスポーツ観戦および定期的に開催される事前予約が必要な「スタジアムツアー」(有料)に参加してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    都営地下鉄大江戸線・国立競技場駅の最寄駅のほかJR総武線・千駄ヶ谷駅・信濃町駅および東京メトロ銀座線・外苑前駅が徒歩圏内です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    平日の午後でイベントも無かったので、歩行者が数名いる程度でした。
    バリアフリー:
    4.0
    スタジアム周囲に気になる段差はありませんでした。
    見ごたえ:
    4.0
    青山門付近に実際に使用された”東京オリンピック炬火台”および”東京2020聖火台”が設置されています。

  • 徳川将軍家の祈願所として江戸府内の北方守護を担った神社です!

    投稿日 2023年04月30日

    王子神社(王子権現) 王子・十条

    総合評価:4.0

    『王子神社(王子権現)』は、和歌山県を代表する紀伊半島南部に鎮座する神社「熊野本宮大社」(田辺市本宮町)、「熊野速玉大社」(新宮市新宮)、「熊野那智大社」(東牟婁郡那智勝浦町)の総称となる「熊野三山」に祀られる祭神を「熊野権現」と称する「熊野信仰」のもとこの「熊野権現」を国内各所に勧請(神仏の分霊を迎え祀ること)した神社(約3000社)のひとつに数えられるとともに江戸時代には徳川将軍家の祈願所として江戸府内の北方守護を担う『王子権現社』と称され「飛鳥山」の桜とともに江戸名所の行楽地として江戸庶民にも親しまれていた現在の北区王子本町1丁目に鎮座する神社です。
    この『王子神社』の創建については不詳とされていますが、現在の王子エリアが暴れ川として河川流域が広かった現在の荒川河川岸に位置していたことから岸村と呼ばれていた平安時代から室町時代にわたり、この地の領主であった「豊島氏」一族が鎌倉時代末期となる1322年(元亨2年)に紀伊国(現:和歌山県)の「熊野権現」を勧請し、現在地にもともと鎮座していた神社を『若一王子宮』として奉斎したことが『王子神社』のはじまりとされ、このことがきっかけとなり岸村の名称も王子村に改称されています。
    さらに戦国時代を迎えるとこの地の領主になった「小田原北条氏」からも崇敬されていますが、「豊臣秀吉」が1590年(天正18年)に「小田原北条氏」の本拠地である「小田原攻め」を実施して「小田原北条氏」が滅亡、領地替えにより「徳川家康」が江戸に入府するとその翌年の1591年(天正19年)に「徳川家康」より広大な社領となる200万石が『若一王子宮』に寄進されています。
    その後も『若一王子宮』が徳川将軍家の祈願所となり『王子権現社』と称されるとともに1609年(慶長14年)には第2代将軍「徳川秀忠」が『王子権現社』の別当時となる「金輪寺」を再興し、1634年(寛永11年)に第3代将軍「徳川家光」が『王子権現社』の社殿を造営したほか縁起絵巻「若一王子縁起」(3巻)を徳川幕府に仕えていた朱子学派の儒学者「林羅山」に命じて作成し寄進、また1703年(元禄16年)には第5代将軍「徳川綱吉」も『王子権現社』の社殿を造営しています。
    さらに1737年(元文2年)になると第8代将軍「徳川綱吉」がお花見文化が定着するきっかけとなった桜を植樹し整備した「飛鳥山」を『王子権現社』に寄進したほか1782年(天明2年)に第10代将軍「徳川家治」が『王子権現社』の社殿を修繕、その後の1820年(文政3年)に第11代将軍「徳川家斉」も『王子権現社』の社殿を修繕しており徳川将軍家からも代々にわたり篤く崇敬されています。
    明治時代になると東京遷都に伴い東京の鎮護と万民の安泰を祈るため東京近郊の主だった神社として『王子神社』を含む12社が「准勅祭社」に指定されており、この「准勅祭社」12社のうち東京23区内の神社が「昭和天皇即位50年」を奉祝して1975年(昭和50年)に企画した”東京十社巡り”が現在でも都内神社巡りの定番として「東京十社」の名称が定着しています。
    現在は樹木に覆われた緑豊かな境内ではありますが、太平洋戦争末期となる1945年(昭和20年)の東京大空襲により境内のほぼすべてが焼失しており、1939年(昭和14年)に天然記念物として「東京都指定文化財」となった「大イチョウ」のみ奇跡的に戦災を免れています。
    今回は平日の午後に「王子」エリアを訪れる機会があり周辺を散策して廻りながら『王子神社』に立ち寄り参拝しましたが、現在の社殿は1964年(昭和39年)および1982年(昭和57年)の2回の造営を経て再建されたもので、境内には七五三詣りのご家族を含む数名の参拝者のみでひっそりとした地元に根付いた神社であると感じました。
    『王子神社』へのアクセスは、JR・京浜東北線「王子駅」北口改札から西側駅前にある「音無親水公園」の遊歩道を通り徒歩3分程度(約200メートル)であり、『王子神社』および「音無親水公園」の周辺は武蔵野台地の突端となる高低差のある崖線エリアで東京23区内の駅前であることを感じさせない樹木に覆われた緑豊かな散歩コースとしてお勧めできます。
    機会があれば『王子神社』境内の「大イチョウ」が黄葉する時期に『王子神社』を参拝しながら周辺を散策して廻りたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    JR王子駅・北口改札から徒歩3分程度です。
    人混みの少なさ:
    4.5
    平日の午後に参拝しましたが、境内に七五三詣りのご家族のほか数名の方がいる程度でした。
    バリアフリー:
    3.5
    境内は社殿との段差にスロープが設置されていますが、武蔵野台地の高台に位置し王子駅から徒歩の場合は高低差があります。
    見ごたえ:
    3.5
    樹木に覆われてひっそりとした地元に根付いた神社であり神社周辺を含むエリアは散歩コースとしてお勧めできます。

  • 江戸情緒漂う風情を感じさせるお花見スポットとしてお薦めできます!

    投稿日 2023年04月22日

    お江戸深川さくらまつり 門前仲町

    総合評価:4.0

    『お江戸深川さくらまつり』は、東京メトロ・東西線および都営地下鉄・大江戸線「門前仲町駅」を最寄り駅とする「永代通り(都道10号)」および「清澄通り(都道463号)」が交差する「門前仲町」交差点を中心に100店舗以上が加盟する江東区内有数の商店街組合「深川仲町通り商店街振興組合」が中心となり、桜のお花見シーズンに深川(門前仲町)エリアを流れる「大横川」両岸の桜並木をメイン会場として2005年(平成17年)から開催されているイベントです。
    ちなみに「大横川」は、東武伊勢崎線(愛称:東武スカイツリーライン)の「浅草駅」から「とうきょうスカイツリー駅」の区間を沿うように「隅田川」を「源森川水門」から分岐して流れる「北十間川」が「とうきょうスカイツリー駅」手前でさらに分岐する墨田区吾妻3丁目の「大横川親水公園北端」を起点にして北側から南側方向に向って流れ、江東区木場5丁目の「永代通り」に架かる「沢海橋」を超えた付近で流路を西側方向に変えながら江東区永代1丁目の「大島川水門」で再び「隅田川」に合流するまでの全長6.52キロメートルとなる荒川水系の河川(運河)です。
    この「大横川」の歴史は、徳川幕府・第4代将軍「徳川家綱」の時代である1657年(明暦3年)に江戸時代最大規模の災害として江戸府内の6割以上が焼失したとされる「明暦の大火(振袖火事)」のあとに徳川幕府が防災を重視した復興事業として江戸府内の街並みを拡大し武家屋敷および寺社などを郊外へ移転するため現在の「隅田川」東側にあたる当時の湿地帯であった本所・深川エリアの干拓および造成による新たな街づくり一環として1659年(万治2年)に「大横川」のほか複数の運河および堀が開削されてから、これを機に深川エリアが「大横川」をはじめとする運河および堀の水運を利用した物資の集散地として発展しています。
    また「大横川」の名称については、江戸城の東側を北側から南側(江戸城から見ると左手側から右手側)の横向き方向に流れ当時の「大島川」に繋がっていたことに由来し、江戸時代より「大横川」として親しまれていますが、1965年(昭和40年)の河川改正法により西側方向に流れる流路の江東区木場5丁目から「隅田川」に合流する「大島川水門」部分までの「旧:大島川」が「大横川」に統合されています。
    今回は、祝日のお昼時に門前仲町エリアを訪れ周辺を散策しながら門前仲町エリアの街歩きガイドのチラシを入手してそこに記載されていた「大横川」の「東富橋」から下流の「東富橋」までの約1.3キロメートルの区間におよそ270本の桜並木が連なっていることを知り、ランチ休憩をしたのあとに桜並木が続く「巴橋」周辺から「大横川」を下流に向って「越中島橋」手前の「黒船橋乗船場」付近までとなる「大横川」左岸側の遊歩道を初めて散策してみました。
    『お江戸深川さくらまつり』開催期間の序盤であり桜は満開ではありませんでしたが、メイン会場の「大横川」に架かる「石島橋」全体が”お休み処”として地元商店街などの模擬店が出店されて賑わっておりお祭り気分も味わえて楽しめました。
    そのほか『お江戸深川さくらまつり』を盛り上げるイベントのひとつである櫓を手で漕ぐ和船(お花見周遊船)が桜並木の「大横川」を航行する光景は江戸情緒漂う風情を感じさせるお花見スポットとしてお薦めできます。
    今回はお花見周遊の乗船客を乗せた和船を川沿いおよび橋上から写真撮影をして楽しめましたが、機会があれば事前予約制となっている和船に乗船してのお花見も体験してみたいほかに今回遭遇しなかった昔ながらの”新内流し(三味線の弾き流し)”を乗船させた和船さらに桜並木の夜間ライトアップの写真撮影などで、また『お江戸深川さくらまつり』の開催時期にあわせてメイン会場となる「大横川」に立ち寄ってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.5
    最寄り駅の東京メトロ・東西線および都営地下鉄・大江戸線の門前仲町駅から直ぐです。
    人混みの少なさ:
    3.0
    開催時期の序盤で桜が満開になる前でしたが、模擬店などが出店している"お休み処"の石島橋は賑わっていました。
    催し物の規模:
    4.0
    江東区内有数の商店街組合が中心となり桜のお花見シーズンに開催されるイベントです。
    雰囲気:
    4.5
    江戸情緒漂う風情を感じさせる手漕ぎの和船と桜は撮影スポットとしてお勧めできます。
    バリアフリー:
    2.5
    大横川沿い遊歩道の道幅は狭いです。

  • 墳丘に立ち入ることのできる都内最大規模の前方後円墳です!

    投稿日 2023年04月15日

    芝丸山古墳 三田・田町・芝浦

    総合評価:3.5

    『芝丸山古墳』は、江戸時代に徳川将軍家の菩提寺であった現在の浄土宗「増上寺」境内などの外周部分をリング状に取り囲むように形成されている広大な「都立芝公園」敷地内南側エリアの港区芝公園4丁目に位置する都内最大規模の前方後円墳であり、1952年(昭和27年)に「東京都指定史跡」として指定されたのちの1955年(昭和30年)になると一時期「東京都指定旧跡」に指定されますが、1979年(昭和54年)の種別変更により再度「東京都指定旧跡」に指定されています。
    この『芝丸山古墳』の築造時期については、前方後円墳の築造が全国各地に広まったとされる古墳時代中期となる4世紀後半から5世紀後半と推測されており、現地に掲示されている案内板によると前方部が南南西の方角を向いた配置とされる古墳の規模は、全長:106メートル前後・後円部径:約64メートル・前方部前端幅:約40メートル・くびれ部幅:約22メートルと記載されていますが、江戸時代以降に後円部の改変が加えられ墳頂部などの一部が削られているのをはじめとして原型が部分的に失われていることから全容が不明確な部分もあり全長が125メートル前後などと推測する説も存在しています。
    『芝丸山古墳』に関する調査については、この周辺の地形が不自然であると感じていた日本における人類学および考古学の創始者とされる「坪井正五郎」氏が1898年(明治31年)に発掘調査を実施したことで埴輪片などが出土していますが、後円部中央に位置していたと考えられる古墳の主体部となる埋葬施設が失われている状態でこの地に埋葬されたと思われる人物の遺骨および副葬品などは確認できていません。
    そのほか『芝丸山古墳』前方部となる南東側裾の緩やかな傾斜地には、古墳が築造された時代よりさらに歴史の古い現在より約3500年前から4000年前の縄文時代中期末から後期のものと推測される「丸山貝塚」も確認されており、この貝塚からは海産系の貝殻が出土していることからもこの周辺エリアが当時の海岸沿いであり、『芝丸山古墳』に埋葬されたとされる人物についてはこの周辺付近の水田地帯に生産基盤を構えながら海岸周辺の海上交通および南北に通じる陸路などを支配していた南武蔵有数の豪族であると推測されています。
    今回は「芝公園」エリアを訪れる機会があり少し時間に余裕があったので1873年(明治6年)に国内初の公園として開園した「芝公園」(1号地から25号地)であり、現在では「都立芝公園」をはじめ「港区立芝公園」さらにホテル施設(ザ・プリンス パークタワー東京)となる「プリンス芝公園」として整備されているそれぞれの公園敷地内の一部(1号地)に初めて立ち寄り『芝丸山古墳』周辺を散策して廻りました。
    『芝丸山古墳』自体は、樹木に覆われているため案内板などが設置されていなければこの場所が古墳であることを実感することはできませんが、平日の午後に人とすれ違うこともなくひとりで樹木で覆われた中に整備されている遊歩道で標高約16メートルとされる墳丘を登っていると都会の雑踏が消えて都心にいることを忘れてリフレッシュすることができるとともにその後に『芝丸山古墳』についてもいろいろと調べながら学び楽しむこともできました。
    また『芝丸山古墳』南東側の「都立芝公園」敷地内には、梅林が整備されているエリアもあるので梅の花が咲く時期に花見を兼ねてゆっくりと時間をかけて『芝丸山古墳』周辺を改めて散策してみたいと思います。
    そのほか『芝丸山古墳』について調べた中で得た情報ですが、『芝丸山古墳』からの出土品が「明治大学考古博物館」(千代田区神田駿河台)に収蔵されているそうなので機会があれば「明治大学考古博物館」にも立ち寄ってみたいと思います。

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    都営地下鉄三田線・芝公園駅のA4出口から徒歩3分程度です。
    人混みの少なさ:
    5.0
    平日の午後に立ち寄りましたが、墳丘に向かう遊歩道で人とすれ違うことはありませんでした。
    バリアフリー:
    2.0
    標高約16メートルとされる高低差のある墳丘の遊歩道は階段状になっています。
    見ごたえ:
    3.0
    樹木で覆われた中に整備されている遊歩道を歩いていると都心にいることを忘れてリフレッシュすることができました。

  • 南国のリゾート気分が味わえるきめの細かい白い砂浜が魅力的な海岸です!

    投稿日 2023年04月08日

    御宿海岸 御宿

    総合評価:4.0

    『御宿海岸』は、JR東日本の「千葉駅」から「茂原駅」を経由して太平洋に面する房総半島の外房沿いに「安房鴨川駅」までの区間(93.3キロメートル)を27駅で結ぶJR外房線のいずみ市と勝浦市に隣接する御宿町の「御宿駅」から徒歩10分程度のエリアとなる外房の南東部に位置する網代湾を東西方向に三日月型となるように弧を描く3つの海水浴場(岩和田海水浴場・中央海水浴場・浜海水浴場)が連なる南国のリゾート気分が味わえるきめの細かい白い砂浜が魅力的な全長およそ2キロメートルの海岸線です。
    ちなみに『御宿海岸』の地名については、鎌倉時代中期に鎌倉幕府・第5代執権「北条時頼」が執権職を退き出家した1256年(康元元年)から逝去する1263年(弘長3年)までの期間に地方の実情を見聞するため諸国巡歴をしていた折に現在の御宿町須賀地区にある創建が平安時代前期の822年(弘仁13年)とされる「最明寺」に宿泊し、寺院の山頂から夕陽に輝く穏やかな海岸とともに見事な老松の枝ぶりが織りなす風光明媚な風景に魅せられた「北条時頼」が詠んだ和歌”御宿(みやど)せし そのときよりと人とはゞ 網代の海に夕影の松”が由来とされています。
    また『御宿海岸』は、海水浴場のほかに御宿岩和田漁業協同組合の本所「岩和田漁港」および支所「御宿漁港」があり千葉県ブランド水産物認定品に登録の特産物”房総イセエビ”、さらに江戸時代より海女による鮑漁が現在も続く「日本三大海女」(三重県志摩地方・石川県能登地方・千葉県房総地方)に数えられているエリアで、こちらも千葉県ブランド水産物認定品に登録の特産物”外房あわび”が水揚げされています。
    そのほか『御宿海岸』の中央海水浴場の一画にある「月の沙漠記念公園」には、童謡「月の沙漠」(作詞:加藤まさを・作曲:佐々木すぐる)に登場するラクダに乗ったアラビア(西アジア)の王子様とお姫様をモチーフにしたブロンズ像が設置されています。
    この「月の沙漠」は、大正時代中期から昭和時代初期に活躍した詩人であり抒情画家の[加藤まさを」が青年期に結核をわずらい御宿の地で療養していた際に御宿の砂丘風景などから異国情緒漂うアラビアの情景をイメージして雑誌「少女倶楽部」(大日本雄辯會・現:講談社発行)の中でラクダの抒情画を挿絵に添えて1923年(大正12年)に発表した抒情詩であり、作曲家「佐々木すぐる」が曲付けしたことで童謡として長く歌い継がれるようになっています。
    「月の沙漠記念像」については、1969年(昭和44年)に当時の「御宿町商工会」会長が青少年の情操教育を目的とする記念像として「加藤まさを」の承諾を得て合成樹脂製の像として制作されています。
    その後に「加藤まさを」が御宿町に移住して1977年(昭和52年)に御宿町で終焉を迎え、1990年(平成2年)に故人「加藤まさを」が「御宿町名誉町民」になるとともに「月の沙漠記念像」が現在のブロンズ像に改修されています。
    今回は家族3世代で房総半島の南房総市から『御宿海岸』を目指して外房の海岸沿いを通る「国道128号」をドライブしてまわり、「月の沙漠記念像」および雄大な砂浜が広がる『御宿海岸』(中央海水浴場)を散策してくつろぎながら写真撮影などで楽しむことができました。
    写真撮影では、「月の沙漠記念像」および『御宿海岸』の砂浜と海をはじめ網代湾に流れ込む清水川などをさまざまな角度から日差しが異なるさまざまな時間帯での写真撮影が楽しめるフォトスポットとしてお勧めできます。
    また今回『御宿海岸』を訪れた際は、正月のシーズンオフの時期でしたがサーフィンをする方および凧あげをする方など人が絶えることもなく、「御宿駅」からも徒歩圏内であることとあわせて中央海水浴場に隣接して「ウォータースライダー施設」および「ビーチバレーボールコート」が整備されているなど夏場のシーズン最盛期には海水浴客などで大いににぎわうエリアであることが実感できました。
    そのほか気になる施設として清水川沿いの海岸道路(月の砂漠通り)に「月の沙漠記念館」がありましたが、今回は正月期間の休館日で入館できなかったので機会があれば『御宿海岸』をまた訪れて特産物の”房総イセエビ”および”外房あわび”を食べたりしながら御宿町をもっと散策してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年01月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.5
    JR外房線・御宿駅から徒歩10分程度です。
    景観:
    4.0
    さまざまな角度および日差しが異なるさまざまな時間帯での写真撮影が楽しめるフォトスポットです。
    人混みの少なさ:
    3.0
    正月のシーズンオフの時期でしたが、多くの方が雄大な海岸を散策していました。
    バリアフリー:
    3.0
    網代湾を東西方向に三日月型となるように弧を描く3つの海水浴場が連なる雄大な砂浜の海岸線です。

  • ”豚を通じた食と健康のテーマパーク”です!

    投稿日 2023年04月02日

    サイボク(旧:埼玉種畜牧場) 日高・鶴ヶ島・坂戸

    総合評価:4.0

    『埼玉種畜牧場』(2023年4月から社名を『サイボク』に変更)は、川越市と狭山市を結ぶ「県道261号(笠幡狭山線)」沿いの日高市下大谷沢に位置する広大な敷地内にこだわりある良質なオリジナルブランド豚の精肉からハム・ソーセージなどの加工食品を中心とする販売施設「ミートショップ」および直営養豚牧場から産直のオリジナルブランド豚を使用した豚肉料理を提供するレストラン施設「レストラン サイボク」さらに直営養豚牧場から排出された堆肥を活用している地元農家の採れたて有機野菜の直売店「楽農ひろば」、そのほか癒しの空間として日帰り温泉施設「天然温泉 花鳥風月」やアスレチック遊具を備えた緑の空間「サイボクの森」などの施設を徐々に拡充しながら整備されている”豚を通じた食と健康のテーマパーク”です。
    この『埼玉種畜牧場』の創業は、太平洋戦争終戦間もない食糧難の時代であった1946年(昭和21年)にタンパク源となる良質な豚肉の安定的な生産を目指す養豚業として現在地に養豚牧場を開設したことがはじまりとされています。
    その後に原種豚の育種改良を重ねながら優れた血統の種豚を「日本名水100選」に選ばれる水が湧き出る豊かな自然環境に囲まれた宮城県の直営養豚牧場をはじめ埼玉県・山梨県にも拡大しながら直営の豚専用飼料工場でバランスのとれた品質にこだわる飼料の製造とあわせて湧き出る名水をあたえて管理することで『サイボク』の血統書付きオリジナルブランド豚となる”ゴールデンポーク”さらに”スーパーゴールデンポーク”が誕生しています。
    『サイボク』敷地内の各施設については、1975年(昭和50年)に国内初の養豚業が自ら豚の精肉販売をする施設として6坪の直売店「ミートショップ」がオープン後の1978年(昭和53年)には地元農家の採れたて有機野菜を直接販売する国内の農産物直売所の先駆けとなる「楽農ひろば」がオープンしています。
    また1985年(昭和60年)年に養豚牧場直営のレストラン施設「ガーデンハウス」をオープン後の1992年(平成4年)に規模を拡大した現在の「レストラン サイボク」がオープンしています。
    さらに2002年(平成14年)に地下2000メートルから塩化ナトリウム系(弱アルカリ性)の温泉を掘りあてて温泉スタンドを設置後の2004年(平成16年)に日帰り温泉施設「サイボク天然温泉 まきばの湯」がオープンしていますがレジオネラ菌が検出により2013年(平成25年)に一時閉館、2014年(平成26年)に新たな「天然温泉 花鳥風月」としてリニューアルオープンしています。
    そのほか2019年(平成31年)には広大な天然芝とアスレチック遊具および遊歩道を整備した「サイボクの森」がオープンするなどさまざまな施設が拡充されています。
    今回は家族で11月と2月の土日にランチとショッピング目的で自動車を利用して関越自動車道・川越インターチェンジから20分程度(約7.6キロメートル)で『サイボク』に立ち寄ることができました。
    JR川越線「笠幡駅」または東武東上線「鶴ヶ島駅」さらに西武新宿線「狭山市駅」からも「サイボク行」の路線バスがありますが、広大な『サイボク』敷地内に1000台以上駐車可能な7か所の無料駐車場が整備されているので路線バスよりも自動車利用が便利でお薦めします。
    『サイボク』のレストラン施設は、バーベキュー焼肉大ホールと洋食コーナーに分かれている「レストラン サイボク」のほかにも日帰り温泉施設「天然温泉 花鳥風月」内に「レストラン 花鳥風月」があり、11月に立ち寄った際は「レストラン サイボク」の洋食コーナーを利用、また2月は「レストラン 花鳥風月」を利用しましたが、どちらのレストランも待ち時間が30分程度と賑わっており人気の施設であることが伺えました。
    料理については、定番メニューの中から”ゴールデンポーク”の「ひれかつ膳」を注文しましたが、表面のサクサクな衣で包まれた中にしっとりとした柔らかい豚肉の食感を味わえ美味しくお薦めできます。
    ランチ後は『サイボク』が1997年(平成9年)からオランダ国立食肉学校が主催する「国際食肉プロフェッショナル競技会(SLAVAKTO)」をはじめドイツ農業協会(DLG)主催の「国際食品品質競技会」、ドイツ食肉連合会(DFV)主催の「国際食肉加工品コンテスト」、ドイツ南部のバーデンヴェルテンブルグ州食肉加工組合が主催する「国際ハム・ソーセージ競技会(SUFFA)」など本場ヨーロッパの国際食品コンテストにおいて受賞した金メダル総数が1000個以上におよぶ品質にこだわのあるハム・ソーセージなどの加工食品をはじめとするさまざまな食材を揃えた「ミートショップ」および新鮮な採れたて有機野菜の直売所「楽農ひろば」でのショッピングで楽しめました。
    機会があれば温泉施設「天然温泉 花鳥風月」も利用してみたいと思うのでまた『サイボク』を訪れてみたいと思います・・・

    旅行時期
    2023年02月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    関越自動車道・川越インターチェンジから約7.6キロメートル(自動車で20分程度)です。
    人混みの少なさ:
    2.5
    敷地内には1000台以上駐車可能な7か所の無料駐車場があり賑わっていました。
    バリアフリー:
    3.5
    レストラン・販売施設などに気になる段差などはありません。
    見ごたえ:
    4.0
    オリジナルブランド豚の精肉・ハムソーセージなどの販売・レストラン・温泉施設などが整備されています。

  • 凹版彫刻に関する職人技の凄さを改めて実感しました!

    投稿日 2023年03月18日

    独立行政法人国立印刷局お札と切手の博物館 王子・十条

    総合評価:4.0

    『お札と切手の博物館』は、国内の日本銀行券(紙幣)・郵便切手・収入印紙・旅券(パスポート)・郵便貯金通帳・証券類の製造および政府刊行物(官報・法令全書・白書など)の編集と製造さらに偽造防止技術などの研究開発を行う現在の独立行政法人である「国立印刷局」が所蔵する”お札と切手”などに関するさまざまな展示資料を基に”お札と切手”の歴史および製造技術の変遷などに関する基礎知識とあわせて”お札と切手”などの社会的・文化的意義についてを気軽に学べる施設です。
    「国立印刷局」については、明治維新後の近代的な紙幣・切手などを製造する政府の機関「大蔵省 紙幣司」として1871年(明治4年)に創設されてから一貫して紙幣・切手などの製造に携わっており、創設から100年目となる1971年(昭和46年)の節目の年に当時の「大蔵省 印刷局」創立100周年記念事業として新宿区市谷本村町に建設された「印刷局記念館」館内の一部施設として『お札と切手の博物館』が開設されています。
    その後の2003年(平成15年)になると行政改革にともなう中央省庁再編などにより独立行政法人「国立印刷局」が設立されるとともに組織再編により「印刷局記念館」の名称が「印刷局市ヶ谷センター」に変更となり、『お札と切手の博物館』の役割についても文化事業とあわせて「国立印刷局」の広報的な要素を担うようになっています。
    さらに「国立印刷局」の事業に関する抜本的な検討のもと不要資産などの見直しにより「印刷局市ヶ谷センター」を国に返納することが決定し、2011年(平成23年)になると『お札と切手の博物館』が規模を縮小して「国立印刷局」で一番古い工場である現在の北区王子1丁目にある「国立印刷局 王子工場」敷地内の「国立印刷局 王子展示室」に移転し新たな『お札と切手の博物館』としてリニューアルオープンしています。
    この『お札と切手の博物館』へのアクセスは、JR・京浜東北線「王子駅」中央口改札または東京メトロ・南北線「王子駅」1番出口さらに都電・荒川線(東京さくらトラム)「王子駅前」停留場からそれぞれ徒歩3分程度であり、今回は「王子」エリアを訪れる機会があったので周辺を散策して廻りながら初めて『お札と切手の博物館』にも立ち寄ってみました。
    2階建ての『お札と切手の博物館』館内展示室はコンパクトですが、立ち寄った際に開催されていた特別展「加藤倉吉 飽くなき版画表現の追求」において大正期から昭和期に印刷局・彫刻部門の工芸官(専門職員)トップとして数多くの原版彫刻に携わっていた「加藤倉吉」氏を中心とする工芸官の緻密で繊細な画線で構成された凹版彫刻による肖像画などのほかに「加藤倉吉」氏が印刷局を退職したのちに凹版彫刻者として制作した肖像画や風景画なども含めた展示は偽造防止技術の歴史とともに細密画線を複雑な模様に彫り込む凹版彫刻に関する職人技の凄さを改めて実感し楽しむことができました。
    そのほか国内の紙幣などのほかにも諸外国の珍しい紙幣なども展示されているのとあわせて最寄り駅の「王子駅」からも近く入館無料でもあるので誰でも気軽に立ち寄れる施設としてお勧めできます。
    「王子」周辺エリアを訪れる機会があれば、また『お札と切手の博物館』に立ち寄ってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2022年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    最寄り駅の王子駅から徒歩数分です。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    入館無料です。
    人混みの少なさ:
    4.5
    平日の午後でしたが、数名の方がいる程度でした。
    展示内容:
    4.0
    お札と切手の歴史および製造技術の変遷などの基礎知識を気軽に学ぶことができます。
    バリアフリー:
    2.5
    玄関出入口に段差あり、また1階展示フロアと2階展示フロアの移動は階段です。

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