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hiroさんのクチコミ(12ページ)全489件

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  • テレビでおなじみの大岡越前や遠山の金さんが裁きをした場所です!

    投稿日 2020年03月22日

    南町奉行所跡 銀座・有楽町・日比谷

    総合評価:3.5

    江戸時代における徳川幕府の役職で「三奉行」(寺社奉行、勘定奉行、町奉行)と呼ばれていた中の『町奉行』は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面におよぶ執務を行う施設として、初代将軍「徳川家康」の時代となる江戸時代初期の1604年(慶長9年)から『南町奉行』と『北町奉行』の2名がそれぞれ月番で交代して執務を行っており、現在の千代田区大手町と中央区日本橋本石町との間の日本橋川にかかる「常盤橋」門内に置かれてた『北町奉行所』が、第5代将軍「徳川綱吉」の時代となる江戸時代中期の1707年(宝永4年)に現在のJR山手線「有楽町駅」および駅東側街区一帯にあたりとなる「数寄屋橋」門内に移転したことにより『町奉行所』の所在地が一番南側となったため『南町奉行所』と改められ幕末に『町奉行所』が無くなるまでこの地にありました。
    ちなみに1702年(元禄15年)から1719年(享保4年)の期間は、『南町奉行』と『北町奉行』のほかに『中町奉行』が存在しています。
    名奉行としてテレビ時代劇でおなじみの「大岡越前守忠相」は、1717年(享保2年)から1736年(元文元年)の19年間に渡り、また「遠山の金さん」こと「遠山左衛門尉景元」が「北町奉行」から「大目付」の職を経て1845年(弘化2年)から1852年(嘉永5年)の7年間に渡り『南町奉行』の職についています。
    『南町奉行所跡』であったと証として、現在のJR山手線「有楽町駅」中央改札口から円形屋根の地下連絡昇降口の裏側に「東京都指定旧跡 南町奉行所跡」と記載されている碑と2005年(平成17年)の再開発に伴う遺跡発掘調査により出土した奉行所表門に面した下水溝の石組の一部が再開発事業の際に復元されており、円形屋根の地下連絡昇降口から地下1階に降りると遺跡発掘で発見された「穴蔵」(重要品を火災などで焼失しないように南町奉行所内の地下に設置された木製の蔵)の厚い板材を壁に立てて展示し、両脇に出土した木樋(水道管)を再利用した木製ベンチと地下広場向かいの丸柱の廻りに下水溝の石組を再利用した石製ベンチが設置されています。
    ちなみに「穴蔵」の構造は、壁板の間に槙肌(木の皮)を詰めて水抜き穴から竹管を伝って桶に水が溜まる防水対策が施されており、中から伊勢神宮の神官が「大岡越前守忠相」の家臣に宛てた木札が出土しています。
    普段は、『南町奉行所跡』を気にもせずに通り過ぎていましたが、今回は銀座で待ち合わせをした際に時間に余裕があったので『南町奉行所跡』の碑の前で足を止めて現在の周囲の建物からは江戸時代の面影を感じませんが、「案内板」などに目を通し江戸時代の先人たちの生活などを思い浮かべながら歴史に触れることができました。
    現代社会は時間に追われる日々が多いですが、たまには史跡などの前で足を止めて歴史を振り返り心にゆとりを持てる時間をつくるのもよいものです・・・

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    JR山手線・有楽町駅」中央改札口を出てすぐです。
    人混みの少なさ:
    3.5
    有楽町駅を利用する人通りは絶えませんが、史跡の前で足を止める人は殆どいません。
    バリアフリー:
    4.5
    地下連絡昇降口には、エレベーターとエスカレーターが設置されています。
    見ごたえ:
    3.0
    発掘調査で出土した下水溝の石組の一部が再開発事業の際に復元されています。

  • 全国各地の祭りと多種多様なグルメなどが一堂に集う国内最大規模のビッグイベントです!

    投稿日 2020年03月15日

    東京ドーム ふるさと祭り東京 水道橋

    総合評価:4.0

    『ふるさと祭り東京~日本のまつり・故郷の味~』は、2009年(平成21年)から毎年1月に全国各地に伝わる伝統の祭りと多種多様なご当地グルメを中心に伝統工芸品から最新の地域オリジナルグッズおよびご当地ゆるキャラなどが一堂に日本初の全天候型多目的スタジアムとして1988年(昭和63年)に開業した「東京ドーム」に集結して開催規模が年々拡大している全国物産展であり、現在は「フジテレビジョン・文化放送・東京ドーム」により構成された「ふるさと祭り東京実行委員会」が主催し、「国土交通省・国土交通省観光庁・読売新聞社・日本観光振興協会・全国中小企業団体中央会・地域伝統芸能活用センター・東日本旅客鉄道・日本航空」が後援する官民一体となった国内最大規模となる開催期間:10日間に延べ400万人以上の来場者が集う大人気のビッグイベントとなっています。
    会場内である「東京ドーム」のアリーナ・エリアには、全国各地の自慢の海鮮や和牛などのA級ブランド料理からご当地各種麺類などのB級グルメ料理と各地の地酒・地ビール・ジュースなどの各種飲料のほか話題のスイーツ・パンなど多種多様な美味しい自慢の逸品とあわせて全国各地の伝統工芸品から最新の地域オリジナルグッズなどのおみやげ品を揃えた300店舗以上が集結した「にぎわい市」がところ狭しと広がっており、全国各地に伝わる厳選された豪快で迫力ある伝統の祭りの再現・各種演舞などが行われる「お祭りひろば」・「ふるさとステージ」コーナーが会場全体をお祭りムードに盛り上げており、会場内のスタンド部分が「お祭りひろば」で繰り広げられる祭りの再現・各種演舞の観覧席や食事などの休憩場所となっています。
    また、全国各地の選りすぐりの”どんぶり”を食べ比べて美味しかったと思う”どんぶり”に投票してナンバー1”どんぶり”を決定する『ふるさと祭り東京』の参加型人気企画イベントとなっている「全国ご当地どんぶり選手権」のほかに「ふるさとパン祭り」、「ご当地スイーツマルシェ」、「イケ麺スタンプラリー」、「ご当地キャラ大集合」などの企画イベントも充実しています。
    8年ほど前にも「全国ご当地どんぶり選手権」を目当てに家族で訪れたことがありますが、今回は家族を含めた9名で祝日(成人の日)の午前中に「東京ドーム」を訪れ、会場内のスタンドに座って「にぎわい市」に出展している各店舗で購入した全国各地の自慢の料理をビールを飲みながら食べて「お祭りひろば」で繰り広げられる豪快で迫力のある祭りの再現・各種演舞を堪能することができました。
    会場内に入場した際は、想像していたよりも若干人出が少なく感じましたが時間が経つに連れて午後になると大混雑となり「にぎわい市」に出展している各店舗も行列ができて賑わっていました。
    『ふるさと祭り東京』は大変人気のあるビッグイベントなので、土曜日・日曜日・祝日に出掛ける際は前売り割引の入場券を事前に購入して全国各地から多数出展する店舗を事前にインターネットでチェックして的を絞りお昼から夕方までの大混雑する時間帯を避けて、午前中の早い時間帯または夕方から夜の時間帯に入場することをお勧めします。

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    最寄り駅は、JR・都営地下:水道橋駅、東京メトロ:後楽園駅、都営地下鉄:春日駅となります。
    人混みの少なさ:
    2.0
    開催期間の10日間に延べ400万人以上の来場者で賑わいます。
    催し物の規模:
    5.0
    全国各地の多種多様な美味しい自慢の逸品などを中心に300店舗以上が出店します。
    雰囲気:
    5.0
    全国各地に伝わる厳選された豪快で迫力ある伝統の祭りの再現・各種演舞などで盛り上がります。
    バリアフリー:
    2.0
    東京ドーム出入口のコンコースから多数出店しているアリーナまでは、スタンド部分の段差を歩きます。

  • 地元で獲れた新鮮な魚介類などの食材をメインとした落ち着いた雰囲気のある純和風の食事処です!

    投稿日 2020年03月08日

    浜の郷 千倉

    総合評価:4.0

    『旬菜味処 浜の郷』は、南房総市千倉町にある地元で獲れた新鮮な魚介類などの食材をメインに各種膳物・丼物に”なめろう”、”さんが焼き”、”くじら”などの郷土料理を提供する純和風の食事処です。
    『浜の郷』へのアクセスは、JR内房線「千倉駅」から約1.1キロメートル(徒歩13分程度)、富津館山自動車道「富浦インターチェンジ」から約15キロメートル(自動車で30分程度)となる「房総フラワーライン(国道410号)」沿いにあり駐車場も完備していますので自動車を利用する方が便利です。
    今回は自動車で8月お盆の時期となる金曜日の夕方に少し早い夕食で18時を少しまわった頃に立ち寄りました。
    古民家を連想させる建物外観と靴を脱ぐスタイルの店内は、最大20人で貸切可能な畳敷き(床の間付き)の座敷席(通常時は4席用の座卓が4卓)、建物入口から小屋組の木製大梁を見上げることのできる天井高の高い広々とした空間にゆったりとした造りの6席用の掘りごたつコーナーが4テーブルと掘りごたつタイプのカウンター席が11席あり、インテリア類も銭湯などで使用される木札鍵タイプの下足入れのほか和風のものが多く落ち着いた雰囲気があります。
    8月お盆の時期でもあったので入店の45分程度前に事前予約をしましたが、座敷席が全て予約済で掘りごたつコーナーが残り1テーブルのみ空いているとのことした。
    入店後しばらくするとカウンター席も事前予約していない方々で全て埋まり人気店であることを実感しました。
    海鮮丼の「浜んご丼」(味噌汁・小鉢・漬け物付き)を注文しましたが、10種類の魚介がのった丼物で新鮮なネタとあわせて鴨川産長狭米こしひかりを使用したご飯も美味しかったです。
    また、17種類の魚介がのった1日20食限定の「大漁丼(海鮮丼)」も気になりました。
    その他に日本国内に4か所ある「捕鯨基地」(北海道網走市・宮城県石巻市・千葉県南房総市・和歌山県太地町)のひとつとなる南房総市(和田漁港)では、6月から9月にかけて房総半島に近づく”ツチクジラ”を年間26頭を捕鯨しており、『浜の郷』では江戸時代から南房総で親しまれていた”くじら”を食材にしたメニューもあります。
    機会があれば、”なめろう”、”さんが焼き”、”くじら”などの郷土料理を千葉県産の地酒とともに味わってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2019年08月
    利用した際の同行者
    その他
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    3.0
    JR内房線・千倉駅から徒歩13分程度、駐車場があります。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5
    落ち着いた雰囲気のある純和風の建物で掘りごたつ席はゆったりとしています。
    料理・味:
    4.5
    魚介類とともに鴨川産のご飯も美味しかったです。
    バリアフリー:
    3.0
    店内は靴を脱ぐスタイルで段差があります。
    観光客向け度:
    4.0

  • 各種飲食店舗に欠かすことのできない170店舗以上の個性的な専門店が軒を構える世界でも珍しい地域です!

    投稿日 2020年03月07日

    かっぱ橋道具街 浅草

    総合評価:4.0

    『かっぱ橋道具街』は、「清洲橋通り」(上野側)と「国際通り」(浅草側)の中間に位置する「浅草通り」の菊屋橋交差点(南側)から「言問通り」の金竜小学校前交差点(北側)までの区間となる「かっぱ橋道具街通り」(およそ800メートル)に面して通りの両サイドに陶器・漆器・カトラリー・箸などの食器類、包丁・鍋などの調理用器具類、厨房設備機器類、店舗用家具・装飾類、レジスター・券売機類、食品サンプル類、包装・容器類、調理衣裳類のほかショーウインド、看板、店舗設計・施工までの各種飲食店舗に欠かすことのできないありとあらゆるものが全て揃う170店舗以上の個性的な専門店が軒を構える世界でも珍しい地域です。
    『かっぱ橋』の由来は、かつて「浅草寺」裏手となる入谷から千束一体に広がる田圃の排水路として開削された「新堀川」が流れていた低地で水はけの悪いこの地域特有の少量の雨が降るだけで洪水が発生してしまう地形を見かねた雨合羽・商人の「合羽屋喜八」が徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代となる江戸時代後期の文化年間(1804年~1817年)に私財を投じて「新堀川」の水害対策として掘割工事を始めたところ工事が思うようにはかどらない様子を見ていた隅田川の河童たちが、「合羽屋喜八」の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったと伝わる逸話説のほか、現在の「台東区・生涯学習センター」辺りにあったとされる大洲藩(現在の愛媛県大洲市)の支藩である「伊予新谷城主」の下屋敷で暮らしていた足軽など身分の低い武士たちが内職で作った雨合羽を天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたとされる二つの説があります。
    『かっぱ橋道具街』の起源は、1912年(大正元年)ごろに古道具を取り扱う数軒の店舗が「新堀川」の両岸に軒を構えたことが始まりとされ、1921年(大正10年)に商店街の組合の前進となる「合盛会」が結成されています。
    その後の1923年(大正12年)に「関東大震災」が発生した後に「新堀川」が暗渠化となりましたが「合羽橋」と「菊屋橋」の二つの橋が交差点の名称として残されています。
    また「関東大震災」の復興に伴い菓子道具を扱う商店を中心に”食”に関連する商店が集まり始めますが、太平洋戦争末期である1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により『かっぱ橋道具街』一体が全焼、終戦後にその時々の各種飲食店舗のニーズに対応した現在のような各種飲食店舗に欠かすことのできない個性的な専門店が軒を構える商店街へと発展しており、1947年(昭和22年)に「浅草合羽橋電車通商工会」が設立、1963年(昭和38年)になると現在の「東京合羽橋商店街振興組合」へと改組されています。
    さらに『かっぱ橋道具街』誕生90周年を記念して2003年(平成15年)に「合羽橋」交差点近くの「かっぱ橋道具街通り」沿いに黄金色の「かっぱ河太郎像」が建立されています。
    今回は、土曜日の午前中に初めて『かっぱ橋道具街』を訪れて食器・調理用器具類などの店舗内を見て廻りましたが、店内に陳列されている品々を見ているだけでも楽しむことができました。”食”に関連するこだわりの品を求める方にお薦めします!
    『かっぱ橋道具街』を散策していると海外からの観光客の方々が多く国際的にも広く認知されていることが実感できます。
    機会があれば、毎年10月9日(道具の日)をはさんで開催される『かっぱ橋道具街』最大の謝恩イベントの「かっぱ橋道具まつり」の時期に再度訪れてみたいと思います・・・

    旅行時期
    2020年02月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ銀座線・田原町駅、つくばエクスプレス・浅草駅から徒歩5分程度です。
    お買い得度:
    4.0
    サービス:
    3.5
    品揃え:
    5.0
    170店舗以上の個性的な専門店が揃っています。
    バリアフリー:
    4.0

  • 東京スカイツリーを中心に構成される複合施設スカイツリータウンにさまざまな店舗が300以上ある巨大商業施設です!

    投稿日 2020年02月29日

    東京ソラマチ (東京スカイツリータウン) 浅草

    総合評価:4.0

    『東京ソラマチ』は、東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「とうきょうスカイツリー駅」および京成押上線・都営地下鉄浅草線・東京メトロ半蔵門線・東武スカイツリーライン「押上駅」に直結する東西およそ400メートル・敷地面積が約36,900平方メートルにおよぶ世界一高い電波塔および展望施設の「東京スカイツリー」(634メートル)を中心に商業・事務所・教育関連施設などで構成される複合施設「東京スカイツリータウン」にさまざまな店舗が300以上ある巨大商業施設として2012年(平成24年)にオープンしています。
    建物概要としては、地下1階と立体駐車場に駐車台数およそ1,000台となる駐車場施設を完備した地下3階から地上31階の高層ビル「東京スカイツリーイーストタワー」を備えており、東西を12区分した内の1番地から4番地が「ウエストヤード」(1階で「とうきょうスカイツリー駅」に直結、5階・6階2番地が「すみだ水族館」)、「東京スカイツリー」の下部となる5番地から7番地が「タワーヤード」(4階が「東京スカイツリー」展望エレベーター乗り場)、8番地から12番地が「イーストヤード」(地下3階で「押上駅」に直結、7階9番地が「プラネタリウム”天空”」、30階・31階11番地から12番地がレストラン街「ソラマチダイニング スカイツリービュー」)となっています。
    今回は、「東京スカイツリー」天望デッキ(フロア345)にある「スカイレストラン634」でのランチが目的で平日の午前中に「押上駅」から『東京ソラマチ』にも立ち寄りながら「東京スカイツリー」展望エレベーター乗り場に向かいました。
    「イーストヤード」3階12番地にある「東京2020オフィシャルショップ」には、東京2020オリンピックおよびパラリンピックの聖火リレーで実際に使用される桜ゴールド色(オリンピック用)・桜ピンク色(パラリンピック用)と名付けられた2色のアルミ製トーチが展示されていました。
    それぞれの聖火リレートーチは、実際に手にすることができてショップスタッフの説明によると桜の花びらをモチーフに日本人の真心を表現したデザインとして、トーチ先端の筒が桜の花びらの形になっており、東日本大震災の復興仮設住宅のアルミ建築廃材を再利用(再生アルミニウムの含有率は約30%)しているとのことでした。
    長さ71センチメートル、重さ1.2キログラムのトーチを実際に持って見ましたが、見た目よりも軽く感じました。
    (スタッフの方は、とても親切でトーチの説明のほかに写真撮影もしてくれました。)
    訪れた日の天候は、あいにくの雨で地上から「東京スカイツリー」天望デッキを望むこともできず、天望デッキからも景色を望むことはできませんでしたが、「東京スカイツリー」天望デッキに昇る前と帰りに『東京ソラマチ』の各店舗を見て廻り楽しむことができました。
    『東京ソラマチ』は、「とうきょうスカイツリー駅」と「押上駅」に直結しているので天候が悪くても駅から傘を使用することなくとても便利ですが、次回は天気の良い日に「東京スカイツリー」をさまざまな角度から眺めて楽しんでみたいです・・・

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.5
    とうきょうスカイツリー駅と押上駅に直結しています。
    お買い得度:
    4.0
    さまざまな店舗が300以上あります。
    サービス:
    4.0
    品揃え:
    4.5
    300以上ある各店舗を見て廻るだけでも楽しめます。
    バリアフリー:
    4.5

  • 日本初の全天候型屋内テーマパークです!

    投稿日 2020年02月24日

    サンリオピューロランド 多摩

    総合評価:4.0

    『サンリオピューロランド』は、世界初の全天候型屋内テーマパークとして韓国ソウル市内に1989年(平成元年)にオープンした「ロッテワールド」に次ぎ、1990年(平成2年)にサンリオキャラクターをモチーフにオープンした日本初の全天候型屋内テーマパークです。
    ちなみに”ピューロ(Puro)”は、純粋などを意味する”ピュア(Pure)”と身振りと表情だけで周囲を笑わせ楽しませる”ピエロ(Pierrot)”を掛け合わせた造語で「純粋に人を楽しませることができるパークでありたい」という願いが込められています。
    地上4階建て(地下2階)の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造による建物内の1階から2階部分がアトラクションフロアとして中央に吹き抜け空間となる広場「ピューロビレッジ」の象徴となる直径8メートルの「知恵の木」が配置されパレードやショーなどのイベントが開催され、吹き抜け空間の「ピューロビレッジ」を取り囲むように劇場形式のアトラクション施設(「メルヘンシアター」、「ディスカバリーシアター」、「フェアリーランドシアター」)、乗り物に乗ってアトラクション内を周遊するライド型アトラクション施設、テーマごとに装飾されたエリア内で写真撮影などで楽しめる回遊型アトラクション施設が配置されています。
    3階部分には、館内出入口フロアとなるエントランスを配置し、4階部分にレストラン・カフェ施設と3階・4階部分にサンリオキャラクターグッズ関連のショップを配置しています。
    また、1階部分に「救護センター」と「ベビーセンター」が配置され、3階と4階部分に「多目的トイレ」、そのほかに1階と3階に「インフォメーションカウンター」が配置されているなど、さまざまな来場者に対してのきめ細かな対応をする姿勢が感じられます。
    『サンリオピューロランド』への電車を利用してのアクセスは、「京王多摩センター駅」と「小田急多摩センター駅」南口から車道と完全分離されている歩行者専用道路となるペデストリアンデッキの「パルテノン大通り」と「ハローキティーストリート」を経由しての徒歩8分程度(およそ600メートル)で、館内出入口フロアとなる建物3階エントランスにつながっており、その他に多摩モノレール「多摩センター駅」からも車道と完全分離されているペデストリアンデッキを利用してアクセス可能なので、駅から『サンリオピューロランド』までの区間は小さな子供連れでも安心です。
    また自動車を利用する場合は、建物地下2階に専用の駐車場施設のほかに『サンリオピューロランド』周辺にも「多摩センター地区共同利用駐車場」施設もあります。
    最近のテレビなどの報道で『サンリオピューロランド』の来場者数が低迷期を脱却してV字回復しているなどと取り上げられていますが、今回は二十数年ぶりに家族で『サンリオピューロランド』を訪れました。(『サンリオピューロランド』を訪れたのは今回が2回目です。)
    前回訪れた時の細かい内容は覚えていませんが、来場者の多国籍化、小さな子供連れ家族以外にもさまざまな年齢層の方が来場していることを実感しました。
    自分はおじさんなのでキャラクターのことなどはよくわかりませんが、スタッフの方々が優しく色々と丁寧に説明してくれたり活き活きと仕事をこなしている姿が印象的で、サンリオキャラクターのパレード、歌舞伎を取り入れた桃太郎のミュージカルショー、光のイリュージョンショーなどの微笑ましいメルヘンの世界に浸り心が和みました・・・
    またレストランのメニューは、各キャラクターをイメージした個性的な盛り付けでSNSなどに投稿したくなるメニューが印象的です。

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.0
    多摩センター駅(京王線・小田急線)南口から徒歩8分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    施設の快適度:
    4.0
    救護センターやベビーセンターなどが設置されています。
    バリアフリー:
    4.5
    3階と4階に多目的トイレが設置されています。
    アトラクションの充実度:
    3.5
    微笑ましいメルヘンの世界に浸り心が和みました。

  • 子供から大人まで誰でも気軽に楽しめる歌舞伎体験空間です!

    投稿日 2020年02月16日

    歌舞伎座 銀座・有楽町・日比谷

    総合評価:4.0

    『歌舞伎座ギャラリー』は、1889年(明治22年)に当時の最新技術である電灯設備を導入し国内最大規模の歌舞伎専用劇場として開場してから数えて第五期「歌舞伎座」と「オフィスビル」の複合商業施設として2013年(平成25年)に完成した高さ145メートルの「歌舞伎座タワー」(地上29階、地下4階)5階に第五期「歌舞伎座」開場と合わせて”歌舞伎を中心に日本の伝統文化の魅力を国境や世代を超えて発信すること”をコンセプトに歌舞伎の魅力をより多くの人に知ってもらいたいとしてオープンした施設です。
    『歌舞伎座ギャラリー』のアクセスは、「東銀座駅」(東京メトロ・日比谷線、都営地下鉄・浅草線)3番出口に直結している「歌舞伎座タワー」地下2階の「木挽町広場」左側奥にあるエレベーターホールから専用エレベーター(一番手前のエレベーター)で5階に上がります。
    屋外地上からのアクセスの場合は、「晴海通り(都道304号)」と「昭和通り(都道316号)」の交差する「三原橋」交差点の「昭和通り」に面している「歌舞伎座タワー」西側の「昭和通り口」から建物内に入りエレベーターで5階に上がります。
    『歌舞伎座ギャラリー』では、歌舞伎座公演のない日でも歌舞伎の世界を楽しむことができるように実際に歌舞伎の演目で使用されている舞台衣装や大道具・小道具などを展示して間近に見るだけではなく、実際の舞台演出で使用する馬や舟、駕籠などに乗ったり、第四期「歌舞伎座」の舞台床材を再利用したミニ歌舞伎舞台上で小道具を手にして写真撮影をしたり、効果音を出す楽器などを実際に鳴らしたりすることができる体験型ギャラリーとして子供から大人まで誰でも気軽に楽しめる空間となっています。
    今回は、「歌舞伎座」夜の部公演の観劇で16時開場に合わせて「歌舞伎座」前で待ち合わせをしていましたが、予定の2時間前に到着したので、初めて『歌舞伎座ギャラリー』を訪れてみました。
    通常入場料は、600円でしたが「歌舞伎座」観劇チケットの提示で100円引きになりました。(「松竹歌舞伎会会員カード」や「くまどりんカード(イヤホンガイド)」の提示、東京都中央区民の方が現住所明記の証明書などを提示の場合も割り引きされます。)
    その他に歌舞伎座上演中限定ですが、歌舞伎座場内を見下ろす場内観覧室から3分間の歌舞伎見学つきの特別入場料金(観覧室コース)もあります。
    今回入場した際は、平日で団体の観光客の方々もなく入場者が自分ひとりで独占状態となっており、ギャラリーの各コーナーにいるスタッフの方が丁寧に対応してくれて各コーナーで体験写真撮影をしてくれました。
    「歌舞伎座」午前の部公演が終了した頃から徐々に入場者も増えてきましたが、ミニ歌舞伎舞台上のほか馬や舟、駕籠などの乗り役者気分を味わったり小道具などを実際に触ってみたり、特別ビデオ映像鑑賞やミニ歌舞伎舞台の上手パネル一面に書き込まれた歌舞伎役者の皆さんのサイン見たりしてゆっくりと楽しむことができました。
    また、歌舞伎に関するQ&Aなどの掲示があり、小学生などは夏休み自由研究などの課題として親子で訪れて楽しむこともできると感じました。
    また『歌舞伎座ギャラリー』のある5階フロアには、1854年(安政元年)創業の老舗「丸山海苔店」が日本茶の美しさを世界に伝えるために始めた日本茶専門店「寿月堂」、お土産処「楽座」、歌舞伎にまつわる記念碑が設けられた回遊式の美しい和風「屋上庭園」があり、「屋上庭園」から「歌舞伎座」大屋根を眺めながら鮮やかな朱色の「五右衛門階段」を下り4階フロア建物内に入ると「歌舞伎座」一幕見席の入口とつながる「四階回廊」があります。
    「四階回廊」は、「歌舞伎座」一幕見席の入場待機スペースでもあり、壁には”想い出の歌舞伎俳優”として往年の名俳優の顔写真がずらりと掲示され、さらに奥に進むと第一期から現在の第五期までの「歌舞伎座」模型が展示されています。
    「屋上庭園」の癒し空間と「五右衛門階段」から「四階回廊」の無料エリアも『歌舞伎座ギャラリー』と合わせてお薦めできるエリアです!
    機会があれば、また『歌舞伎座ギャラリー』で役者気分を味わい、「四階回廊」を見て廻り、「寿月堂」でお茶をしながら「屋上庭園」でくつろいでみたいと思います・・・

    旅行時期
    2020年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    歌舞伎座タワー5階です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    歌舞伎座観劇チケットの提示で割り引きになります。
    人混みの少なさ:
    4.0
    団体観光客と時間が重ならなければ大丈夫です。
    展示内容:
    4.0
    見て廻るだけではなく、実際に小道具を手にしたり、体験して役者気分のを味わうと楽しめます。
    バリアフリー:
    3.0

  • 二層建て・総檜造りの鮮やかな朱塗りの神門です!

    投稿日 2020年02月12日

    神田神社(神田明神) 御茶ノ水・本郷

    総合評価:4.0

    『神田明神 随神門』は、一ノ宮に縁結びの神とされる”だいこく様”の「大己貴命(おおなむちのみこと)」、二宮に商売繁盛の神とされる”えびす様”の「少彦名命(すくなひこなのみこと)」、三ノ宮にあらゆる勝負運の神とされる平安時代中期の関東の武将「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」の3柱を祭神として祀る『神田神社』の神門です。
    『神田神社』の歴史は、社伝によると奈良時代初期の730年(天平2年)に武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)の地に「大己貴命」を祀ったのが始まりとされています。
    平安時代中期には935年(承平5年)の「平将門の乱」により討ち取られた将門の首が神社近くに「将門塚」として葬られいましたが、疫病が流行したのを機に将門の祟りであるとされて供養が執り行われ、1309年(延慶2年)に『神田神社』の相殿神として祀られています。
    戦国時代には「太田道灌」や「北条氏綱」などの武将によって手厚く崇敬されるようになり、1600年(慶長5年)の天下分け目となる「関ヶ原の戦い」では、「徳川家康」が『神田神社』で戦勝祈祷を行ない『神田神社』の例祭である「神田祭」の日に見事に勝利したことにより、徳川将軍家に崇敬されるようになっています。
    江戸時代初期の1616年(元和2年)には、江戸城増築に伴い江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し徳川幕府により荘厳な社殿が建立され、「江戸総鎮守」として『神田明神』を名乗り江戸庶民からも崇敬を受けるようになっています。
    1923年(大正12年)の関東大震災では、江戸時代後期を代表する「社殿」ほかを焼失、1945年(昭和20年)の東京大空襲では1934年(昭和9年)に日本初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート造による耐火構造で再建された「社殿(国登録有形文化財)」以外を焼失しています。
    現在の『随神門』は、1975年(昭和50年)に「昭和天皇御即位50年」記念事業として銅板瓦棒葺の入母屋造りの屋根を持つ二層建ての総檜造りで朱塗りによる鮮やかな神門となっており、外廻りの欄間には金箔貼りの四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)の彫刻と同じく境内側には金箔貼りの「因幡の白兎」などの神話をモチーフにした彫刻が配置され、合わせて伝統的なテーマをもとにしつつオリジナルなデザインで描かれた文様で装飾が施されています。
    この『随神門』の外側正面には、「松下幸之助」氏が奉納した戦国武将の「加藤清正」自らが熊本城域内に植えたと伝わる樹齢500年の楠を使用した門前の守護神である「豊磐間戸神像」(右側)と「櫛磐間戸神像」(左側)が安置されています。
    そのほか『随神門』の境内側には、氏子総代が奉献した神馬一対の像が配されています。
    今回は久しぶりに日曜日の昼時に『神田神社』を参拝しましたが、「だいこく祭」の期間中と合わせて「四條流庖丁儀式」も執り行われており、いつも参拝者の絶えない人気の神社ですが境内は大勢の参拝者で賑わい『随神門』の写真撮影も思うようにはいきませんでした。
    また、「神田明神文化交流館(EDOCCO)」が2018年(平成30年)12月にオープンしており、境内の配置も依然と若干異なっていました。
    以前参拝した際に「神馬・神幸(みゆき)号」(愛称:あかりちゃん)がいた付近には「だいこく様尊像」が配置されており、”あかりちゃん”がいなくなったのかと心配しましたが、「社殿」東側にあたる「獅子山」脇の少し狭いスペースでしたが”あかりちゃん”にも会うことができて少し安心しました。
    境内は、『随神門』や「社殿」のほかに見どころや撮影ポイントも沢山ありますが、『随神門』などの建物の写真撮影をする場合は人出の少ない午前中の早い時間帯をお勧めします・・・

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    総武線・丸の内線:御茶ノ水駅、千代田線:新御茶ノ水駅、銀座線:末広駅より各々徒歩5分程度です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    いつも参拝者の絶えない人気の神社です。
    バリアフリー:
    3.5
    随神門と道路の段差は勾配を付けて車椅子でもスムーズに通行できます。
    見ごたえ:
    4.0
    二層建て・総檜造りの鮮やかな朱塗りが目を引きます。

  • 日本一高い地上345メートルの本格フランス料理レストランです!

    投稿日 2020年02月11日

    スカイレストラン634 浅草

    総合評価:4.0

    『スカイレストラン634』は、世界一高い634メートルの電波塔として2008年(平成20年)の建設着工から3年7か月の工事期間を経て2012年(平成24年)に電波塔および観光施設として開業した「東京スカイツリー」上部の3層構造となる平面が円形状となる「天望デッキ」(第1展望台:フロア340・フロア345・フロア350)の中間階フロア345(地上からの高さ345メートル)に「東京スカイツリー」の開業とあわせてオープンした日本一高い建築物にある本格フランス料理レストラン(座席数94席)です。
    ちなみにシェフが目の前で料理をしてくれる鉄板焼きコーナー(座席数8席限定)もあります。
    『スカイレストラン634』のコンセプトは、フランス語で”料理や料理法”を意味するキュイジーヌを用いた”東京キュイジーヌ”として、フランス料理の技法をベースに江戸・東京を意識した日本の首都・東京に集まるさまざまな季節の食材・調味料などにより、近未来的デザインのタワー「東京スカイツリー」にふさわしい最新の調理技術に日本の伝統を意識した古典的な調理技術を取り入れたオリジナル料理の数々を職人の手技が光る地元の伝統工芸から陶磁器、鋳物にいたるまでこだわりのある日本の器に盛り付けることで和のテイストを融合させた料理に仕上げてナイフとフォークのほかに箸などを使用して食事するコース料理を提供しています。
    今回は、平日のランチで利用日の10日ほど前に電話予約(予約は2か月前から開始)を入れましたが、12時から16時までのランチタイム(土日祝日は11時30分から)で空席が14時の時間帯とのことで人気のあるレストランであることが伺えました。
    ちなみに『スカイレストラン634』の利用の際は、食事代とは別途「東京スカイツリー展望台入場券」が必要になります。
    「展望台入場券」は、レストラン予約と合わせてレストランが前売り価格で準備してくれますので、当日に展望台エレベーター乗り場フロアにあるレストラン専用カウンターで「展望台入場券」を受け取り、優先的に展望エレベーターに乗ることができてとても便利でした。(「展望台入場券」は食事代と合わせてレストランの会計時に支払となります。)
    当日は、「東京スカイツリー展望台」や「東京ソラマチ (スカイツリータウン)」での観光も兼ねて12時前に「東京ソラマチ」を散策しながら、12時に「天望デッキ」に昇りましたが、あいにくの雨の日であったため「天望デッキ」は雲の中状態となっており窓の外は真っ白で景色を見ることはできませんでした。
    『スカイレストラン634』には、予定時間の1時間近く前に行きましたが、予約のキャンセルもあったようで直ぐにテーブルに案内してくれました。
    店内出入口付近のテーブルのため店内全体を見渡すことができませんでしたが、高級感が伝わってくる落ち着いた雰囲気のある店内でした。
    楽しみにしていた地上345メートルからの眺望は雲の中で望むことはできませんでしたが、レストランのこだわりのある器に盛りつけられた自慢の料理を堪能することができました。
    機会があれば、料理と共に地上345メートルからの眺望も堪能してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    一人当たり予算
    7,500円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    レストランで事前に展望台入場券を手配すると優先的に展望エレベーターに乗れます。
    コストパフォーマンス:
    2.5
    食事代とは別に東京スカイツリー展望台入場券が必要です。
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5
    高級感が伝わってくる落ち着いた雰囲気です。
    料理・味:
    4.0
    フランス料理の雅さと江戸の粋にこだわりのある”東京キュイジーヌ”をコンセプトにした料理です。
    バリアフリー:
    4.5
    店内の通路幅は広く段差もありません。
    観光客向け度:
    4.5
    東京スカイツリー展望デッキと合わせて楽しむことができます。

  • 明治期を代表する現役の石造アーチ道路橋として国の重要文化財に指定されています!

    投稿日 2020年02月09日

    日本橋 日本橋

    総合評価:4.0

    『日本橋』は、JR「水道橋駅」西口付近の「小石川橋」を過ぎたところで「神田川」から分岐し、首都高速道路「箱崎ジャンクション」の南側にあたる「豊海橋」を過ぎたところで「永代橋」手前の「隅田川」に合流するまでの区間となる千代田区および中央区を流れる河川延長がおよそ4.8キロメートルとなる一級河川の「日本橋川」に架かる橋梁であり、橋の中央部分に日本道路網の始点なる「日本国道路元標」が設置されています。
    『日本橋』の歴史は、徳川幕府により1601年(慶長6年)から江戸と全国各地を結ぶ「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の整備が順次すすられる中、1603年(慶長8年)に木造太鼓橋が架けられたのが始まりとされており、翌年の1604年(慶長9年)に『日本橋』が重要街道である「五街道」の起点として定められています。
    ちなみに徳川幕府の地誌書「御府内備考」に”この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ”という記載が残されています。
    その後『日本橋』周辺は全国各地から多くの人々が往来するとともに水上交通による物流も盛んになり店舗がつらなる町人長屋および物売りや露店などの商業とあわせて、江戸歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居などの文化で賑わい江戸で最も活気溢れる街となり、絵草紙や浮世絵などの印刷物の発展もあり『日本橋』を題材とした浮世絵による風景画も数多く描かれています。
    また、江戸時代に発生した大火などにより『日本橋』の架け替えも幾度にも渡り繰り返し行われており、現在の1911年(明治44年)に竣工した『日本橋』は、ルネッサンス様式の石造二連アーチ橋として壁石が切石積みの橋長49.5メートル・橋幅27.5メートル・アーチ径間21メートルの橋梁本体とあわせて、照明灯のある和漢洋折衷の鋳銅製装飾柱が施されています。
    そのほかに橋柱にある銘板「日本橋」の揮毫は徳川幕府として最後の将軍となる第15代将軍「徳川慶喜」によるものです。
    1999年(平成11年)には、『日本橋』が技術的・デザイン的に優れた明治期を代表する現役の石造アーチ道路橋という点で貴重であるとして国の重要文化財に指定されています。
    今回は、日本橋で待ち合わせをした際に待ち合わせ時間前に『日本橋』の和漢洋折衷の鋳銅製装飾柱や「日本国道路元標」のレプリカ、「徳川慶喜」揮毫による銘板、「日本橋魚河岸記念碑」などの各所をぐるりと歩いて廻り短時間でも充分に楽しむことができました。
    また『日本橋』周辺の散策をしたい場合は、「日本橋観光案内所」もあるのでとても便利です。
    また、1964年(昭和39年)の「東京オリンピック」開催に向けた「首都高速都心環状線」の建設により、「神田橋ジャンクション」から「江戸橋ジャンクション」の区間を「日本橋川」上部空間を利用して1963年(昭和38年) に開通し、「首都高速都心環状線」の高架道路が『日本橋』の直上を覆う状況となっていますが、現在検討されている「首都高速都心環状線」の地下化が実現すれば、『日本橋』を中心とした「日本橋川」周辺の景観が大きく変わると思われます。
    是非、「首都高速都心環状線」の高架道路が無くなった『日本橋』の景観を見てみたいと思います。

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ・三越前駅E5またはE6出入口を出たところです。
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0
    和漢洋折衷の鋳銅製装飾柱、日本国道路元標のレプリカ、徳川慶喜・揮毫の銘板、日本橋魚河岸記念碑などがあります。

  • 明治・大正・昭和初期に日本一の歓楽街・興行街として繁栄したメインストリートです!

    投稿日 2020年02月02日

    六区ブロードウェイ 浅草

    総合評価:4.0

    『六区ブロードウェイ』は、隅田川に架かる「吾妻橋」から「浅草国際通り」までの東西区間の道路である「雷門通り」から北側に直行するアーケードのある「すし屋通り」をおよそ120メートル進んだ十字路から、さらに北側へ延びる通りの突き当りまでの区間となる「浅草国際通り」の東側を南北に並行している段差のない幅員11メートルから12メートル・全長およそ300メートルのインターロッキング舗装による通り(「浅草寺・本堂」西側に位置する台東区浅草1丁目25番先から台東区浅草2丁目8番先)の名称です。
    このエリアの歴史は、1871年(明治4年)に「明治政府」による「上知令」(土地公収の命令のこと)の発令により江戸時代の寺社領の公収に伴い「浅草寺」境内も「明治政府」に公収され、欧米諸国に習い都市公園を造るべく「浅草寺」境内を中心に都市公園として「浅草公園」と命名されています。
    1883年(明治16年)には「浅草寺・本堂」西側の「浅草田圃」と呼ばれていた火除地を造成し整備された「大池(通称:瓢箪池)」の廻りに「浅草寺・本堂」裏手の通称「奥山地区」から見せ物小屋などが移転し歓楽街が形成され「浅草公園」としての造成が完了し、その翌年の1884年(明治17年)に「浅草公園」の区画整備(一区から六区)が実施され、「浅草寺・本堂」西側に形成された歓楽街一体が「浅草公園地第六区」となり通称「浅草六区」または「六区」として庶民に親しまれるようになっています。
    1887年(明治20年)には「浅草六区」で最初の劇場「常盤座」が開業した後に演劇場・活動写真常設館・オペラ常設館などが次々と開業し興行街が形成されています。
    さらに「浅草六区」の名所となる日本一の高さを誇った12階建ての高さ173尺(約52.4メートル)の展望塔「浅草凌雲閣(通称:浅草十二階)」が1890年(明治23年)に開業しましたが、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」により8階部分から上部が崩落し復興することなく爆破解体されています。
    また、1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により「浅草公園」一帯が焼失し、終戦後すぐに再建される中、1947年(昭和22年)に「浅草寺」境内が公園地から解除され、「東京大空襲」で焼失した「浅草寺・本堂」再建のため1951年(昭和26年)に「瓢箪池」が売却されて埋め立て・造成が実施されています。
    明治・大正・昭和初期に日本一の歓楽街・興行街として繁栄した「浅草六区」も時代の流れとともに衰退していきますが、1991年(平成3年)に現在の『六区ブロードウェイ商店街振興組合』の前身となる「商店会」が誕生し、”浅草の灯を再び”との熱い思いのもと「浅草六区再生プロジェクト」などの活動が始まり、2016年(平成28年)から『六区ブロードウェイ』での街路全体で出店やイベントなどができる「国家戦略道路占用事業特区」の認定を目指した「浅草六区オープンカフェ」のイベントが開催、2017年(平成29年)に”国内観光客や地域住民などの憩いの場をつくり出すことにより、まちのにぎわいを創出し、地域活性化と浅草のさらなる魅力向上”を目的とした「浅草六区エリアマネジメント協会」が設立され、2019年(令和元年)には、『六区ブロードウェイ』が「国家戦略道路占用事業特区」の認定を取得しています。
    浅草を訪れた際に『六区ブロードウェイ』に面した「まるごとにっぽん」などの施設によく立ち寄りショッピング・食事・演芸場などで楽しんでいます。
    「国家戦略道路占用事業特区」の認定取得により、これからさまざまなイベント企画の開催も楽しみの一つに加わることを期待しています・・・

    旅行時期
    2019年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.5
    つくばエクスプレス・浅草駅改札口から徒歩1分程度です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.5
    段差のない幅員11メートルから12メートルのインターロッキング舗装による通りです。
    見ごたえ:
    4.0
    さまざまなイベント企画などが開催される国家戦略道路占用事業特区に認定された全長およそ300メートルの通りです。

  • JR山手線・目白駅舎と一体となり駅前広場にもなっているゆったりとした歩行者スペースがあります!

    投稿日 2020年01月26日

    目白橋 目白

    総合評価:3.0

    『目白橋』は、「目白通り(都道8号)」のJR山手線とJR埼京線・湘南新宿ラインが共用して運行する上下線(4本の線路)の上部を交差するJR山手線「目白駅」の駅舎に面して豊島区目白1丁目から3丁目に架けられた「跨線橋」です。
    『目白橋』の歴史は、1885年(明治18年)に日本鉄道・品川線(品川から赤羽の区間)の途中駅として近隣町村の要望により開業した「目白駅」の南北にわたり高低差のある地形を傾斜をつけながら線路を切通しする工事を実施することにより「目白駅」北側の高台となる線路と交差する「清戸道」(江戸時代に神田川に架かる江戸川橋を起点として武蔵国多摩郡清戸の区間を結んでいた古道)が線路の切通しで分断される部分を新たに「跨線橋」を架けることにより整備したのが始まりとされ、1903年(明治36年)に「目白駅」の複線化により「跨線橋」の架け替えが実施されています。
    ちなみに「目白駅」開業当初の駅舎は駅南西側の低地部分にありましたが、1919年(大正8年)の駅改修工事により日本初の橋上駅舎としてホーム上部の「目白通り」に面する位置に建設されています。
    1923年(大正12年)には、「目白駅」の複々線化に伴いモダンなデザインの「跨線橋」へと架け替えが実施され、2000年(平成12年)の「目白駅」改修工事により、現在の新たな橋上駅舎とともに『目白橋』もリニューアルされています。
    今回は、「目白駅」が最寄り駅となる「切手の博物館」へ行く目的で『目白橋』を通りましたが、2000年(平成12年)以前の旧駅舎跡地が駅前広場となっており、現在の「目白駅」駅舎と駅前広場が一体となった幅が広くゆったりとした『目白橋』の歩行者スペースは、とても歩きやすい空間となっています。
    また、歩行者スペースの一画には、1923年(大正12年)に架け替えられた際の旧「跨線橋」の御影石による親柱・間柱と鋳物造の高欄の一部が「近代化遺産」として展示・設置されています。
    その他に1964年(昭和39年)開催の第18回「東京オリンピック大会」の際に当時の「国立競技場」で参加各国の国旗を掲揚したポールも設置されています。

    旅行時期
    2019年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    5.0
    目白駅と一体となっている跨線橋です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    目白駅の利用者で歩行者スペースは、常に人通りがあります。
    バリアフリー:
    4.5
    ゆったりと幅の広い歩行者スペースで段差はありません。
    見ごたえ:
    3.0
    歩行者スペースの一画に旧跨線橋の高欄の一部が近代化遺産として展示・設置されています。

  • 小さい子供連れ家族でも安心してゆっくりと楽しむことができるお薦めのイルミネーション・スポットです!

    投稿日 2020年01月18日

    多摩センターイルミネーション 多摩

    総合評価:4.0

    『多摩センターイルミネーション』は、「京王多摩センター駅・中央改札口」および「小田急多摩センター駅・改札西口」を出て左手側の南口から多摩ニュータウン・多摩センターのシンボル的な施設として1987年(昭和62年)にオープンした「多摩市立複合文化施設(愛称:パルテノン多摩)」までを歩行者専用道路の「ペデストリアンデッキ」として造られている「パルテノン大通り」(およそ350メートル)と合わせて「パルテノン多摩」の大階段などを含む全長およそ400メートルにおよぶ南北の通りを中心に「多摩センター地区連絡協議会」・「多摩商工会議所」・「多摩市文化振興財団」などの団体・企業で構成される実行委員会が主催となり毎年開催される多摩センター地域の冬季限定による一大イベントです。
    このイルミネーション・イベントは、北欧ノルウェーの首都オスロから「サンタランド」として認定されている北海道広尾町から「エゾ松」の寄贈を受けた「多摩市文化振興財団」の主催により1990年(平成2年)に「多摩センター駅」前で「サンタランドツリー」として飾り付けがおこなわれたことがきっかけとされており、2001年(平成13年)から『多摩センターイルミネーション』として多摩市と友好都市である長野県富士見町から寄贈された本物の「モミの木」を使用した「センターランドツリー」を中心に「パルテノン大通り」が壮大な光空間として演出されています。
    今回は、初めて家族で年末に訪れましたが人混みはそれほど多くなく、およそ40万球を使用して様々な演出で彩られており、長さ50メートルの「光の水族館(トンネル)」、高さ15メートルの「センターランドツリー」、シャンパンゴールドのLED電球で統一された58本の街路樹(クスノキ)の電飾などを観て廻り楽しむことができました。
    「多摩センター駅」は、「サンリオピューロランド」のある地域でもあるので”ハローキティにあえる街”として、「キティちゃんの光る大型バルーン」などもあります。
    イルミネーション会場も駅前であり歩行者専用道路の「ペデストリアンデッキ」なので小さい子供連れ家族でも安心してゆっくりと楽しむことができるお薦めのイルミネーション・スポットです!

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.5
    多摩センター駅前からパルテノン大通り約400メートルの区間です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    人混みはそれほど多くないのでゆっくりと楽しめます。
    催し物の規模:
    3.5
    歩行者専用道路・パルテノン大通り(ペデストリアンデッキ)の約400メートルです。
    バリアフリー:
    4.5
    歩行者専用道路・ペデストリアンデッキ部分は、段差なしです。

  • 国の重要文化財に指定されている本館は買い物以外に見どころが沢山あります!

    投稿日 2020年01月14日

    三越日本橋本店 日本橋

    総合評価:4.0

    『三越日本橋本店』は、江戸時代初期(第4代将軍「徳川家綱」の時代)の1673年(延宝元年)に 伊勢商人の三井家「三井高利」が、現在の「日本銀行」辺りとなる江戸本町に間口9尺の小さな借り店舗で開業した呉服店「越後屋」が始まりとされ、1904年(明治37年)に三井家の事業再編により名称を「三越呉服店」として株式化しています。
    1914年(大正3年)には、現在の本店・旧館の地に建物正面玄関に2頭の「ライオン像」を設置した地上5階建ての老舗百貨店の本店(旧東館)が完成しています。
    ちなみに三越各店舗の正面玄関に設置されている「ライオン像」は、ロンドンのトラファルガー広場中心のモニュメント「ネルソン記念塔」足元廻りを囲む様に設置されている巨大な4頭の「ライオン像」がモデルとなっています。
    本店(旧東館)内部は、採光天井を取り入れた広さ214平方メートルの「中央ホール」や日本初のエスカレーター設備のほかエレベーター設備、スプリンクラー設備、暖房設備など最新設備を施した東京新名所となっています。
    竣工後さらに増改修工事(旧西館)が行われ1921年(大正10年)に完了していますが、1923年(大正12年)の関東大震災による火災で大きな被害を受け、既存の躯体鉄骨・床スラブを活かしつつ再建するにあたり”建物だけでなく、文化的な復興を”という想いから華麗な内装を施した6階「三越ホール(現:三越劇場)」を含む地上7階建ての建物として1927年(昭和2年)に復興しています。
    その後に大理石をふんだんに使用し採光天井を取り入れた豪華な広さ400平方メートの5層吹抜けとなる「中央大ホール」を中心とした大規模な増改築工事が行われ1936年(昭和10年)に本館(旧西館・旧東館)が完成しています。
    この増改築工事に合わせて1930年(昭和5年)に7階ギャラリーに設置されていた当時の最新式「パイプオルガン」が「中央大ホール」2階バルコニーに移設され、現在も定期演奏が行われています。
    この「パイプオルガン」は、1929年(昭和4年)にアメリカで製造されたポピュラーからクラシックまで幅広いジャンルの音楽を弾くことが可能なシアターオルガンで、日本で唯一現存する演奏可能な昭和初期製造のシアターオルガンとして、2009年(平成21年)に「中央区民有形文化財」として登録されています。
    また1956年(昭和31年)および1958年(昭和33年)の2期に渡る増改築工事による本店・新館の完成で『三越日本橋本店』が当時の売り場面積全国一の規模となっています。
    1960年(昭和35年)には、三越創立50周年記念として制作依頼されていた高さ10.9メートル・総重量6.75トン・樹齢500年の檜を使用し約12,000個の宝石がちりばめられている木造彫刻作品「天女像(まごころ)」(彫刻家:佐藤玄々 作)が構想から約10年の歳月を経て「中央大ホール」に設置されています。
    2016年(平成28年)には、『三越日本橋本店・本館』が重厚な西洋古典様式を基調とした外観と格調ある色調で彩られた「三越劇場」、5層吹抜けの「中央大ホール」などを中心に各時代の先駆的な意匠を用いて華やかに装飾している内部仕上げ、集客のための様々な仕組みを取り入れながらの増改築が重ねられており、百貨店建築の発展を象徴する建物として価値が高いとの選考理由から国の「重要文化財」に指定されています。
    今回は、2018年(平成30年)に本館1階の内装を建築家「隈 研吾」氏により”白く輝く森”をコンセプトにリニューアルされ「中央大ホール」に新たに設置された「レセプション」周辺で待ち合わせをしました。
    予定時間より少し早めに「レセプション」コーナーを訪れ「天女像」の写真撮影や「パイプオルガン」の定期演奏を初めて聴くことができました。
    「レセプション」コーナーは、円形カウンターを囲む様に休憩用のベンチが設置されており、多くのお客さんが休憩していました。
    また、コンシェルジュが数名で館内案内のタッチパネル画像などを用いての接客対応は、老舗百貨店としての気品を感じました。
    ちなみに「世界をときめかせる、もてなしの技。 新しい日本橋の、三越本店。」をテーマに対応しているそうです。
    『三越日本橋本店』は、買い物以外に「重要文化財」に指定されている館内建物空間など見どころが沢山あり見て廻るだけでも楽しめる老舗百貨店です。

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    お買い得度:
    4.0
    サービス:
    4.5
    品揃え:
    4.5
    バリアフリー:
    4.0

  • 日本で唯一の料理の祖神を祀る神社として日本料理の厳粛な庖丁式奉納がニュース番組で報道されています!

    投稿日 2020年01月11日

    高家神社 千倉

    総合評価:4.0

    『高家(たかべ)神社』の創建年代は詳らかでありませんが、南房総市千倉町に鎮座する日本で唯一の「料理の祖神」を祀る神社として、料理の神とされる「磐鹿六雁命(いはかむつかりのみこと)」を主祭神として料理関係者や醤油醸造業者などから崇敬されるています。
    「磐鹿六雁命」については、「日本書紀」および789年(延暦8年)に古来の伝承を朝廷に奏上した「磐鹿六雁命」の子孫とされる高橋氏の家記が原本と考えられる日本の歴史書(古記録)の「高橋氏文」に記述されている人物で、第12代「景行天皇」が123年(景行天皇53年)に東国(安房の浮島の宮)巡幸したおり、侍臣「磐鹿六雁命」が海で釣りあげた堅魚と砂浜で採った白蛤(はまぐり)を膾にして「景行天皇」に献上したところ、「景行天皇」よりその料理の味と技を賞賛され、この功により若狭の国と安房の国の長と定められると共に宮中の食事を司る「膳大伴部(かしわでのおおともべ)」を賜り、以後ほかの氏を交えず「磐鹿六雁命」の子孫となる高橋氏が膳(かしわで)の職を継ぐようになっています。
    その後「磐鹿六雁命」は、日本料理の基礎をなす野菜を発酵させた漬物「草醤(くさびしお)」、穀物を発酵させた味噌・醤油「穀醤(こくびしお)」、魚などを発酵させた塩辛「肉醤(にくびしお)」を宮中で製造して保管する施設となる「醤院(ひしおつかさ)」で醤油醸造・調味料の神として祀られています。
    また、『高家神社』の由緒書によると「磐鹿六雁命」の子孫となる高橋氏の一部の者が、祖神に縁のある安房の国に移り住み氏神として祖神を祀ったとされています。
    927年(延長5年)にまとめられた全国の神社一覧である「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」において『安房国朝夷郡 高家神社』が国幣小社として記載されていますが、長らくその所在が不明で衰退・廃絶したものと考えられていました。
    現在の『高家神社』は、江戸時代初期の1620年(元和6年)に木像と二面の鏡を発見した「高木吉右衛門」が社を建立し御神体として祀ったものが起源とされており、1819年(文政2年)に御神体として祀っていた御神鏡に「御食津神(みけつかみ・磐鹿六雁命」と記されていたことが判明し、それまで所在が不明とされていた『安房国朝夷郡 高家神社』の御神体の証とされています。
    『高家神社』境内では、第58代「光孝天皇」の時代より宮中行事のひとつとして執り行われている日本料理の厳粛な庖丁儀式を毎年5月17日の「春季例祭」、10月17日の「秋季例祭・旧神嘗祭(かんなめさい)」、11月23日の「新穀感謝祭・旧新嘗祭(にいなめさい)」に「庖丁式」奉納として日本料理の伝統を今に伝えています。
    「庖丁式」奉納は、烏帽子・直垂をまとい鯉・真鯛・真魚鰹などに一切手を触れることなく古式に則った庖丁・まな箸のみを用いてさばく熟練の技の映像がニュース番組などでよく報道されています。
    今回は、2019年(令和元年)12月22日から2020年(令和2年)1月31日までの期間限定でライトアップされている『高家神社』に初めて訪れました。
    『高家神社』境内の拝殿に向う参道・石段沿いに竹を加工して組み合わせた竹から漏れる柔らかい灯りのライトアップの中、シーンと静まり返った境内にうっすらと浮かび上がる
    茅葺き屋根の清楚な佇まいの拝殿などを見渡していると時の経つのも忘れてしまうほど、とても幻想的でお薦めできる空間となっています。
    機会があれば、昼間の『高家神社』境内を散策しにまた訪れてみたいです。また、「庖丁式」奉納も実際に見てみたいと感じました・・・
    『高家神社』へのアクセスは、JR内房線「千倉駅」からおよそ1.8キロメートル(徒歩25分程度)、JR内房線「千倉駅」から白浜方面行きバスで「高家神社入口」または「千倉橋」で下車し徒歩10分程度です。自動車利用の場合は、富津館山自動車道「富浦インターチェンジ」からおよそ16キロメートル(30分程度)です(駐車場も完備されています)。

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR内房線千倉駅から約1.8キロメートル、富津館山自動車道・富浦インターチェンジから約16キロメートルです。
    人混みの少なさ:
    4.0
    正月3日の18時前でしたが、参拝者は殆どいませんでした。
    バリアフリー:
    2.5
    境内は、高低差があり拝殿までの参道に石段があります。
    見ごたえ:
    4.0
    竹灯りのライトアップ(期間限定)が、とても幻想的でした。

  • 小石川後楽園と隣接するビル群との共存を図り緑を取り入れた潤いのある歩行者専用緑道です!

    投稿日 2020年01月01日

    後楽緑道 神楽坂・飯田橋

    総合評価:4.0

    『後楽緑道』は、「東京ドームシティ黄色いビル」の西側に都道405号線「外堀通り」に沿って建ち並ぶ「住宅金融支援機構本店ビル」、「コートレジデントタワー」、「後楽森ビル」、「トヨタ自動車東京本社ビル」の北側敷地部分に隣接している1938年(昭和13年)に都立庭園として開園した「小石川後楽園」の築地塀に沿っておよそ250メートルの歩行者専用緑道として、午前7時から午後8時までの時間帯に限定して一般に開放されている歩行者空間です。
    ちなみに隣接する「小石川後楽園」は、江戸時代初期の1629年(寛永6年)に水戸徳川家中屋敷内(後の上屋敷)に水戸藩初代藩主「徳川頼房」が作庭家の「徳大寺左兵衛」に命じて築いた庭園を第2代藩主「徳川光圀」が改修して中国・明の儒学者「朱舜水」の選名によって「後楽園」と命名し完成した築山泉水回遊式の日本庭園であり、1923年(大正12年)に国の「史跡」・「名勝」に指定、1952年(昭和27年)に国の「特別史跡」・「特別名勝」に指定されています。
    この「小石川後楽園」に隣接する『後楽緑道』は、関係地権者(独立行政法人住宅金融支援機構、コートレジデントタワー管理組合、森ビル株式会社、トヨタ自動車株式会社、東京都下水道局)5団体により組織される「後楽緑道管理運営協議会」が、1996年(平成8年)の「文京区都市マスタープラン」に掲げる「緑と水の整備方針」に基づき、景観や利用者の快適性・利便性に配慮しながら「小石川後楽園」正門へ導くプロムナードとなるように「トヨタ自動車」が先に整備していた緑道の延伸、築地塀、案内板、ベンチおよび資料展示室(小石川後楽園展示室)などの整備・設置を行い2007年(平成19年)から管理されており、2009年度(平成21年度)に「小石川後楽園」と隣接するビル群との共存を図り緑を取り入れた潤いのある景観が緑地整備の模範となるとして東京都文京区から第9回「文の京(ふみのみやこ) 都市景観賞 景観創造賞」を受賞しています。
    水道橋方面から「小石川後楽園」へ向かう際に『後楽緑道』を通りましたが、JR総武線「水道橋駅」西口改札から『後楽緑道』を利用して「小石川後楽園」正門までは、およそ650メートル(徒歩9分程度)となります。
    敷地南側の「外堀通り」に面したビル群と「外堀通り」を通行する自動車の景観を全く感じさせない敷地北側の『後楽緑道』は、「小石川後楽園」の築地塀と調和した緑豊かな緑道空間の雰囲気がとてもよく緑地空間の途中にある水戸藩徳川家小石川屋敷跡から発掘された出土品や発掘調査時の様子の写真パネル・実測図などが展示されている「小石川後楽園展示室」などに立ち寄りながら「小石川後楽園」へと向かう歩行コースはお薦めできます。
    今回は、『後楽緑道』を通りながら「小石川後楽園」に到着した直後にカメラのバッテリー切れとなってしまい庭園内の写真撮影が殆んど出来なかったので、機会があれば『後楽緑道』を利用して、また「小石川後楽園」を訪れて「小石川後楽園」内を満喫してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    小石川後楽園の南側隣地境界の築地塀に沿って造られた歩行者専用の緑地空間です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    小石川後楽園と水道橋方面を行き来する歩行者が利用しています。
    バリアフリー:
    4.0
    段差の無い歩行者専用緑道です。
    見ごたえ:
    3.5
    小石川後楽園の築地塀と調和した緑豊かな雰囲気がとてもよい 緑地空間です。

  • 世界でも珍しい郵便切手の専門博物館です!

    投稿日 2019年12月14日

    切手の博物館 目白

    総合評価:4.0

    『切手の博物館』は、1946年(昭和21年)に郵便切手類の歴史・郵便制度の研究など郵便切手文化を通して心豊かな潤いのある社会創造に寄与することを目的に「日本郵趣協会」を設立した世界的に著名な切手収集家として知られる「水原明窗(みずはらめいそう)」(本名:落合 光)氏が私財を投じて1988年(昭和63年)に設立した「フィラテリーセンター」(現在の「水原フィラテリー財団」)が運営母体となり、1991年(平成3年)に東京都の登録博物館に認定された世界でも珍しい郵便切手の専門博物館です。
    1階「企画展示室」では、所蔵品である日本および外国切手の約35万種、カバー(封筒)類の約1万5千枚を3か月ごとにテーマを決めた企画展などで閲覧することができます。また2階「図書室」では、郵便切手関連の書籍が約1万3千冊、雑誌・オークション誌約2千タイトルを公開しています。
    ちなみに建物に入館して1階エントランス右側部分のオリジナルのミュージアムグッズや世界各国の郵便関連グッズなどの販売をする「スーベニア・コーナー」と「企画展示室」、2階「専門図書室」は、有料エリア(入館料:大人200円)となります。
    また、1階エントランス左側部分の入場無料エリアにも世界各国の新発行切手やフレーム切手を展示即売などの「ミュージアム・ショップ」があります。
    『切手の博物館』へのアクセスは、JR山手線「目白駅」改札口から徒歩4分程度(約350メートル)となる「JR東日本ホテルメッツ目白」と「学習院大学」間のJR山手線と並行している「学習院椿の坂」を下る途中に位置します。建物正面玄関にある漫画家「楳図かずお」先生の代表作「まことちゃん」をモチーフにした「まことちゃんポスト」が目印です。
    「まことちゃんポスト」は、赤と白のボーダーをベースとして投函口にまことちゃんの目、正面と左側面に「グワシ」ポーズと右側面に「サバラ」ポーズの手が描かれており、1996年(平成8年)に『切手の博物館』が現在の地にグランドオープンしてから20周年を記念して2016年(平成28年)に設置されています。
    今回は、3階「展示室<スペース1・2>」で開催されていた「東京風景印歴史散歩100回記念展(入場無料)」の会場にいってきました。
    「風景印(風景入通信日付印)」とは、消印の一種で各郵便局名および押印年月日欄と共に各郵便局周辺の名所旧跡などの図柄が描かれている全国各地の郵便局オリジナルの印であり、切手などと共にコレクターも多く結婚式の招待状など特別な思い入れのある郵便物に使用される方も増加しているそうです。
    今回訪れた会場も多くの人々で賑わっており、風景印の世界の奥の深さを感じました。
    『切手の博物館』は、小規模な博物館ですが企画展示のほかに郵便に関連した様々なイベントなどが開催されており、郵趣(郵便趣味)の方や郵便関連に興味のある方にお勧めできます。
    機会があればまた様々なイベントなどに立ち寄ってみたいと思います・・・

    旅行時期
    2019年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    JR山手線・目白駅改札から徒歩4分程度(約350メートル)です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    有料エリアは、入館料:大人200円です。
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    3.5
    バリアフリー:
    4.0

  • 明治時代に建築された納屋を改修した落ち着きのある日本茶喫茶・ギャラリーです!

    投稿日 2019年12月07日

    楽風 浦和

    総合評価:4.5

    『楽風(らふ)』は、徳川幕府により1601年(慶長6年)から江戸「日本橋」を起点に全国各地を結ぶ「五街道」のうち1694年(元禄7年)に完成した江戸「日本橋」から京の都「三条大橋」までの全長135里(526.3キロメートル)におよぶ「中山道」(六十九次)の江戸「日本橋」から数えて3番目の宿場町となる「浦和宿」において創業が江戸末期とされる日本茶販売店「青山茶舗」の1891年(明治24年)に建築された納屋を改修した「日本茶喫茶・ギャラリー」です。
    『楽風』へのアクセスは、JR「浦和駅」西口出入口より約550メートル(徒歩7分程度)で、県道213号(旧中山道)沿いにある日本茶販売店「青山茶舗」の敷地内にあります。
    また、コインパーキングが敷地に隣接してあるほかに道路向かい側など店舗周辺に点在してあります。
    今回は、自動車を利用して『楽風』に立ち寄りましたが隣接した場所のコインパーキングが利用できてとても便利に感じました。
    『楽風』の建物は、県道から敷地の奥に入った木々に囲まれた庭のあるどこか懐かしさを感じる長閑な落ち着きのある和の空間に建っており、木製テラスとなっている出入口で靴を脱いで建物内に入ります。
    建物内1階部分は、個人で創作活動をされている方の作品販売が行われる「ワンクリエーターコーナー」、器や雑貨などの「販売コーナー」がある壁が板張りで和の温もりを感じる「日本茶喫茶」となっています。
    1階「日本茶喫茶」奥の階段から納屋の天井裏として使用されていた2階部分は、様々なジャンルの作品の企画展示が行われる「ギャラリー」となっており、直立していると屋根を支える木梁に頭がぶつかるほどの高さと土壁が特徴的な絨毯敷きと畳敷きの二間続きの落ち着いた雰囲気の和の空間となっています。
    『楽風』を訪れた今回の目的は、2階「ギャラリー」で行われていた「若手作家 応援企画(公募展)」の観賞でした。
    この2階「ギャラリー」で個展を開催することを目標に制作に取り組んできた美術系学生による染色の作品は、落ち着いた雰囲気の和の空間にとてもマッチした力作ばかりで時間が経つのを忘れるほど見入ってしまい感動ものでした。
    時間に余裕があれば、1階「日本茶喫茶」で休憩もしたかったのですが、次の予定もあり今回は「日本茶喫茶」を利用できなかったのが残念です。
    『楽風』は、建物内部は勿論、建物外部の敷地内の庭も雰囲気の良いやすらぎのある落ち着いた和の空間でお薦めです。
    機会があれば是非また立ち寄って1階「日本茶喫茶」でまったりと休憩し、2階「ギャラリー」で開催されている様々なジャンルの展示作品を観賞してみたいと思います・・・

    旅行時期
    2019年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    JR浦和駅西口出入口より徒歩7分程度、敷地に隣接してコインパーキングもあり自動車での利用も便利です。
    雰囲気:
    4.5
    1891年(明治24年)に建築された納屋を改修した雰囲気の良いやすらぎのある落ち着いた和の空間です。
    バリアフリー:
    3.0
    2階ギャラリーへは、狭くて少し勾配の急な階段のみです。
    観光客向け度:
    4.5
    江戸末期創業の日本茶販売店が経営する日本茶喫茶・ギャラリーです。

  • リゾート気分を満喫できるオープンカフェです!

    投稿日 2019年11月30日

    サンレモカフェ 熱海

    総合評価:4.0

    『サンレモカフェ』は、熱海を代表する人工海浜ビーチ「熱海サンビーチ」の西側部分を1991年(平成3年)から「熱海港海岸環境整備事業」により熱海港に沿って「熱海親水公園」として保全機能向上と親水性に配慮した傾斜式テラス型の堤防機能を備えた遊歩道などとして整備が進められているうちの第3工区となる「渚デッキ」(初川河口から和田川河口までの132メートルの区間)の一画に2016年(平成28年)にオープンしたオープンカフェです。
    「熱海親水公園」の「熱海港海岸環境整備事業」は、「熱海港コースタルリゾート構想」によるデザインコンセプトを「地中海風が香る賑わいのあるウォーターフロント」として、工区ごとに地中海の各地域をイメージした整備が行われており、現在4工区に区分けされた計画のうち3工区までが完成しています。
    ちなみに2009年(平成21年)に完成した第3工区の「渚デッキ」は、南イタリア・ナポリ港をイメージしています。
    『サンレモカフェ』の運営は、「熱海親水公園」に併設されている桟橋の整備とマリーナの管理運営やイベントの企画運営、熱海湾クルーズ「熱海遊覧船サンレモ」の運航などと合わせて1998年(平成10年)に発足した第三セクターの「スパ・マリーナ熱海」が行っており、店名の『サンレモ』の名称は熱海市と地形や街並みが似ていることなどから1976年(昭和51年)に姉妹都市提携を結んだ北イタリアにある美しいリゾート地の”サンレモ市”にちなんで命名されています。
    『サンレモカフェ』のテラス席からは、豪華ヨットやクルーザーが停泊する「あたみ海の駅」に認定されているマリーナ、熱海湾クルーズ「熱海遊覧船サンレモ」の乗り場、熱海港と初島を結ぶ定期高速船の発着を見渡せリゾート気分を満喫できるお薦めのカフェです!
    今回は、電車を利用しての家族旅行で午前中に「JR熱海駅」に到着し、市内観光で熱海湾クルーズ「熱海遊覧船サンレモ」に乗船することにして、ランチ目的で「熱海遊覧船サンレモ」の乗り場に最も近く発着状況を見渡せる『サンレモカフェ』に立ち寄りテラス席を利用しました。
    『サンレモカフェ』へのアクセスは、「JR熱海駅・バスのりば」から「熱海港・後楽園」行(7番のりば)・「相の原団地」行(1番のりば)・「網代旭町」行(6番のりば)から「親水公園」停留所で下車して直ぐ、バスに乗車後の所要時間は10分程度となります。
    『サンレモカフェ』では、「熱海遊覧船サンレモ」の乗船券を提示するとドリンクの割り引きサービスがあり「熱海遊覧船サンレモ」に乗船する際の利用はお得です。
    また、熱海を訪れた際はヨットやクルーザーが停泊するマリーナと「熱海遊覧船サンレモ」・熱海港と初島を結ぶ定期高速船の発着が見渡せるテラス席でくつろぎながら休憩したいと思います・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    3.5
    JR熱海駅・バスのりばから公共バスに乗車後10分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5
    テラス席からヨットやクルーザーが停泊するマリーナなどが見渡せてリゾート気分を満喫できます。
    料理・味:
    3.5
    バリアフリー:
    4.0
    観光客向け度:
    4.0

  • 200年以上の歴史のある本格的な舞台演出仕掛けを備えた歌舞伎舞台の建物です!

    投稿日 2019年11月24日

    東町の歌舞伎舞台 真田・東御

    総合評価:4.0

    『東町の歌舞伎舞台』は、比叡山の麓に鎮座する紀元前91年(崇神天皇7年)に創祀されたとされる「日吉大社」(日吉・日枝・山王神社の総本宮)の分霊として農耕(治水)を司る神とされる「大山咋神(おおやまくいのかみ)」を本尊として祀る現在の東御市弥津地区東町にある「祢津日吉神社」境内の本殿背後に位置します。
    「祢津日吉神社」の創建は不詳ですが、嘉永年間の記録によると徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代となる江戸時代後期の1817年(文化14年)に『東町の歌舞伎舞台』が建立されたと記録されています。
    また、徳川幕府第9代将軍「徳川家重」の時代となる江戸時代中期の1751年(寛延4年)の銘が入った歌舞伎上演の道具入れとなる「踊大小入」の木箱が残されていること、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる江戸時代初期の1624年(寛永元年)よりこの地域が旗本の久松松平家領となっており歌舞伎などの文化も流入しやすく取り締まりも緩やかであったこと、そのほかに祢津地区西宮にある「祢津建事神社」境内にも1816年(文化13年)に建立されたとされる「西宮の歌舞伎舞台」があることなどから、この地域では古くから農村歌舞伎が根付いていたことが伺われます。
    1821年(文政4年)、1896年(明治29年)、1988年(昭和63年)に修築されている『東町の歌舞伎舞台』の規模と構造は、間口8間(約14.5メートル)、奥行5.5間(約10.0メートル)、床高3.6尺(約1.07メートル)の切妻屋根桟瓦葺き木造平屋建ての建物であり、舞台中央に直径3間(約5.5メートル)の「コマ式回し舞台施設」、舞台の左右に2か所の舞台床を上下させ役者を床下の奈落から登場させる「せり上げ施設」、舞台の背景を左右に分け裏の背景に早変わりさせる「せり分け施設」、舞台の背景を前後させ立体的な動きを見せる「せり出し施設」、舞台背景をどんでん返しさせる「田楽返し施設」の本格的な舞台演出する仕掛けを備えており、舞台の両袖には三味線を弾いたり義太夫が語られる下坐が設けられています。
    『東町の歌舞伎舞台』での地歌舞伎は、1950年(昭和25年)の太平洋戦争終戦後の困窮期に一度途絶えてしまったそうですが、1988年(昭和63年)の修復に合わせて地元保存会により復活し、現在は毎年4月29日に「祢津東町歌舞伎」の公演が実施されています。
    また、1990年(平成2年)に『東町の歌舞伎舞台』が「長野県有形民俗文化財」に指定、1996年(平成8年)には「祢津東町歌舞伎」が「東御市無形文化財」に指定されており、東御市祢津地区に2か所ある『東町の歌舞伎舞台』と「西宮の歌舞伎舞台」は、現存する回り舞台を持つ日本最古の舞台施設とされています。
    『東町の歌舞伎舞台』へのアクセスは、しなの鉄道「田中駅」から路線バス(新張方面行き)で「西宮停留所」下車徒歩およそ15分となります。
    (『東町の歌舞伎舞台』周辺には、駐車場施設がないので自動車を利用しての立ち寄りはお薦めできません。)
    しなの鉄道「田中駅」から路線バスを利用するほか駅舎にある「東御市観光情報ステーション」では、無料の観光レンタサイクルがあるので電動自転車を借りる手段も考えられますが、「田中駅」から『東町の歌舞伎舞台』までは登坂が続きます。
    今回は、所要で「弥津公民館」に立ち寄った際に2時間程度の空き時間を利用して弥津地区を徒歩で散策ながら『東町の歌舞伎舞台』を訪れました。
    高台の木々に囲まれた「祢津日吉神社」の静寂な境内にある『東町の歌舞伎舞台』の建物内部の見学はできませんが建物外観と芝居見物のための観客席となる落葉が積もった広場周辺は、自然に囲まれとても雰囲気のよい空間となっており、『東町の歌舞伎舞台』のほかにも歴史的な史跡が点在していますのでウォーキングをしながらの「史跡めぐり」にお薦めできます。
    機会があれば、『東町の歌舞伎舞台』で開催される「祢津東町歌舞伎」の公演も観てみたいと思います・・・

    旅行時期
    2019年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    2.5
    東部湯の丸ICから車で約5分(周辺に駐車場はありません)、しなの鉄道・田中駅からタクシーで約10分です。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた際は誰もいませんでした。
    バリアフリー:
    2.5
    東町の歌舞伎舞台のある祢津日吉神社の参道は石段です。
    見ごたえ:
    4.0
    同地区に現存する西宮の歌舞伎舞台とともに現存する回り舞台を持つ日本最古の舞台施設とされています。

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