各種飲食店舗に欠かすことのできない170店舗以上の個性的な専門店が軒を構える世界でも珍しい地域です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
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by hiroさん(男性)
浅草 クチコミ:35件
『かっぱ橋道具街』は、「清洲橋通り」(上野側)と「国際通り」(浅草側)の中間に位置する「浅草通り」の菊屋橋交差点(南側)から「言問通り」の金竜小学校前交差点(北側)までの区間となる「かっぱ橋道具街通り」(およそ800メートル)に面して通りの両サイドに陶器・漆器・カトラリー・箸などの食器類、包丁・鍋などの調理用器具類、厨房設備機器類、店舗用家具・装飾類、レジスター・券売機類、食品サンプル類、包装・容器類、調理衣裳類のほかショーウインド、看板、店舗設計・施工までの各種飲食店舗に欠かすことのできないありとあらゆるものが全て揃う170店舗以上の個性的な専門店が軒を構える世界でも珍しい地域です。
『かっぱ橋』の由来は、かつて「浅草寺」裏手となる入谷から千束一体に広がる田圃の排水路として開削された「新堀川」が流れていた低地で水はけの悪いこの地域特有の少量の雨が降るだけで洪水が発生してしまう地形を見かねた雨合羽・商人の「合羽屋喜八」が徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代となる江戸時代後期の文化年間(1804年~1817年)に私財を投じて「新堀川」の水害対策として掘割工事を始めたところ工事が思うようにはかどらない様子を見ていた隅田川の河童たちが、「合羽屋喜八」の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったと伝わる逸話説のほか、現在の「台東区・生涯学習センター」辺りにあったとされる大洲藩(現在の愛媛県大洲市)の支藩である「伊予新谷城主」の下屋敷で暮らしていた足軽など身分の低い武士たちが内職で作った雨合羽を天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたとされる二つの説があります。
『かっぱ橋道具街』の起源は、1912年(大正元年)ごろに古道具を取り扱う数軒の店舗が「新堀川」の両岸に軒を構えたことが始まりとされ、1921年(大正10年)に商店街の組合の前進となる「合盛会」が結成されています。
その後の1923年(大正12年)に「関東大震災」が発生した後に「新堀川」が暗渠化となりましたが「合羽橋」と「菊屋橋」の二つの橋が交差点の名称として残されています。
また「関東大震災」の復興に伴い菓子道具を扱う商店を中心に”食”に関連する商店が集まり始めますが、太平洋戦争末期である1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により『かっぱ橋道具街』一体が全焼、終戦後にその時々の各種飲食店舗のニーズに対応した現在のような各種飲食店舗に欠かすことのできない個性的な専門店が軒を構える商店街へと発展しており、1947年(昭和22年)に「浅草合羽橋電車通商工会」が設立、1963年(昭和38年)になると現在の「東京合羽橋商店街振興組合」へと改組されています。
さらに『かっぱ橋道具街』誕生90周年を記念して2003年(平成15年)に「合羽橋」交差点近くの「かっぱ橋道具街通り」沿いに黄金色の「かっぱ河太郎像」が建立されています。
今回は、土曜日の午前中に初めて『かっぱ橋道具街』を訪れて食器・調理用器具類などの店舗内を見て廻りましたが、店内に陳列されている品々を見ているだけでも楽しむことができました。”食”に関連するこだわりの品を求める方にお薦めします!
『かっぱ橋道具街』を散策していると海外からの観光客の方々が多く国際的にも広く認知されていることが実感できます。
機会があれば、毎年10月9日(道具の日)をはさんで開催される『かっぱ橋道具街』最大の謝恩イベントの「かっぱ橋道具まつり」の時期に再度訪れてみたいと思います・・・
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ銀座線・田原町駅、つくばエクスプレス・浅草駅から徒歩5分程度です。
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 5.0
- 170店舗以上の個性的な専門店が揃っています。
- バリアフリー:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/03/07
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