amaroさんのクチコミ(85ページ)全3,113件
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
世界遺産の厳島神社の背後にそびえる弥山。標高が535メートルもあり、登山はそれなりの覚悟が必要です。お手軽に登頂したいと思ったら、宮島ロープウェーでしょう。麓の紅葉谷駅から約10分。面白いことに乗り換えがあって、榧谷駅から別のゴンドラに乗り、終点の獅子谷駅まで5、6分で到着します。途中、宮島の原生林や遠く瀬戸内の美しい多島海が堪能できます。実は弥山登頂はここで終わらないのです。獅子谷駅の標高は400メートル余り。そこから30分近く歩かないと山頂へは到着できません。結構、山道がきつく高齢者やハイヒールだと厳しいかな。それと1959年開業のロープウェーの料金は2012年に訪れた当時は往復1800円。これってかなり痛いです。
- 旅行時期
- 2012年01月
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
何度も通ったからつバーガーの味は忘れがたいものです。店舗があるわけではなく、虹ノ松原に出かけて駐車スペースのようなところに停車してあったマイクロバスで調理・販売してました。ちょっとかためのバンズにたっぷりの中身、ソースもまったく美味なのです。県を越えて長崎県の佐世保バーガーは東京にも進出し、知名度が高いですが、現地に行ってみると各店ごとに独自のバーガーを販売しており、特徴はひと言で言えません。その点、からつバーガーは一つだけ。とにかく食べてみてください、ホントに美味しいから。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- ランチ
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
源義経にとって弁慶というのは、どういう存在なのかとつくづく考えてしまったのが、満福寺を訪れた時のことでした。壇之浦の合戦で平家を滅亡させて凱旋してきた義経は、兄源頼朝によって鎌倉入りを許されず、この寺で足止めされました。しかし、この寺で見かけた物は頼朝に向けて弁慶によって書かれた手紙「腰越状」の下書き、弁慶が腰掛けたという石、腰越状を書くための硯の水をくんだ池などみーんな弁慶がらみなのです。よーく考えると弁慶って、秘書なのか司令官なのか、いまひとつ立場が分からない存在。ただ、キャラクターはやたら濃いってことを感じますよね。
- 旅行時期
- 2012年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月06日
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
明治神宮の参拝を終えて、玉砂利の参道をふらふら戻っていくと、左手に妙にモダンな2階建てのの建物が見えてきました。中央にはカフェテラス風にテーブルと椅子が並んでいます。明治神宮文化館で中央は無料休憩所、1階は売店とレストランで2階は宝物展示室として明治天皇に関するさまざまものが展示されていました。ところで明治神宮でお土産物って一体、何があるんだろうとちょっとのぞいてみたら、女性の好きそうな小物がたくさん並んでました。明治神宮とどういう関係だろう?とは気になりましたが、まあ、そう硬いことを言わないのが日本の神社の良いところ。東京観光のお土産にどうぞってことでしょうね。
- 旅行時期
- 2012年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月06日
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投稿日 2014年07月06日
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
旧前田侯爵邸の美しい洋館がある目黒区立駒場公園に隣接して、侯爵邸に負けないぐらい立派な洋館がありました。ただし、こちらは公園とは別で、前田家の所蔵する古書籍、古文書、美術品などを公開するための施設でした。尊經閣文庫という名称で国の重要文化財でした。昭和3年(1928年)築ですが、建物だけでなく、書庫、貴重庫、門及び塀までが重要文化財という丸ごと貴重な建物なのです。見学には事前の許可が必要です。いかめしい雰囲気で中にさらっと入るという雰囲気ではありませんけどね。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
東京・銀座を歩いていると、時々、「銀座の柳二世」と立て看が掲示された柳の木を見かけます。「二世って一体?」と調べてみると、明治時代、銀座の町並みが整備されたころ、街路樹は柳が中心だったようです。しかし、関東大震災、東京大空襲と2回にわたって焼失。戦後も植えられましたが、ビル化など環境の変化のため、多くが枯れ撤去されたあと、苗木が残っていることが分かり「銀座の柳二世」として再び植えた柳なのだそうです。こう長い歴史があると、読んでもらえるほど簡潔に説明を書くのも難しいのでしょうね。買い物客にはあまりにも無関係なことのような気もしますしね。
- 旅行時期
- 2012年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月06日
総合評価:3.0
知名度はやたら高いのに、これほど印象の薄い公園はないような気がします。それが東京の数寄屋橋公園です。銀座・有楽町という日本有数の繁華街にあるものの、案外狭くて、さほどきれいでもなく、待ち合わせする人の姿もほとんど見かけません。変わった物と言えば、1970年の大阪万博のシンボルタワー「太陽の塔」を思わせる岡本太郎のオブジェ「若い時計台」。完成当時は人気を呼んだんでしょうけど、今はほとんど気づかれないようです。銀座の町の造り自体が変化して、数寄屋橋公園付近はちょっと外れ的になったことも影響してるのかな。
- 旅行時期
- 2012年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月06日
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投稿日 2014年07月06日
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
改修工事の覆いが取れたばかりの姫路城に行ってきました。実に30年ぶり。白壁の美しい姿は相変わらずでした。今回は屋根瓦の間に漆喰を塗られたことで、さらに白さを増しています。工事はまだ中途のため入場できるのは西の丸の長ーい長ーい廊下だけ。天守閣に入れるのは2015年の3月27日までお預けです。ところで、この30年多くの城を見てきて、特に江戸城(皇居東御苑)と江戸城西の丸(よーするに現在の皇居)の圧倒的な迫力(といっても門と石垣しか残ってませんけど)の前に、姫路城にはちょっと違うイメージを持ってしまいました。つまりは中級貴族(大名)の背伸びです。黒田官兵衛の後を継いであれだけの城を作り上げたのは52万石の池田輝様でした。確かに白鷺城と称される外観は美しい。だけど、江戸城の巨大さから比べると門や堀などとても貧弱に感じるのです。軍事拠点と言う意味では、加藤清正の熊本城には劣るような気がしてなりません。ところで、その後の城主は本多、榊原、酒井など徳川譜代、よーするに高級官僚たちです。西国を監視する需要拠点であり、時に攻め上がる西国勢をここで阻止しなければいけない立場なのです。こんなやわな城をどう思ったか、聞いてみたい気がします。
- 旅行時期
- 2014年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
お正月恒例の皇居一般参賀の際、入口になるのが皇居正門。正門ですから当たり前と言いたいところだけど、皇居全体から見ると、ある意味、外れの位置にある門なのです。かつての江戸城の中心はずっと北東にあり(東御苑)、こちらは西の丸の門だったのです。そう聞くと、東御苑にある大手門の迫力から比べると、こんなもんかなって失礼な感想を抱きました。徳川家光の時代にできたらしいです。
- 旅行時期
- 2014年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
皇居前広場から正門の向かって右側、撮影スポットの二重橋のさらに右側にあるのが坂下門です。宮内庁への出入り口になってる門ですが、一般人が入れる場所から遠い向こうにあるため、印象は薄いかもしれません。宮内庁から門までの間はかなり急な坂になっており、ホントに坂の下だわ、って実感できます。幕末のテロ事件としては、井伊直弼が殺害された桜田門外の変が有名ですが、こちらでは文久2年、公武合体論を推進し、和宮降嫁を実現させた老中安藤信正が襲われた「坂下門外の変」が起きています。殺害には至らなかったせいか、知らない人も多い事件ですけどね。
- 旅行時期
- 2014年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
観光の定番、城めぐりで一番びっくりさせられたのは皇居東御苑で旧江戸城天守台を見たことでした。皇居にそんなものが残っていること自体、予想外だったし、本丸などの施設があった場所の広さにも圧倒されたからです。天守台は現在の高さは10メートルほどですが、かつては18メートルあったといいます。上ることができ、10メートルの位置でも結構、良い眺めでした。各地でコンクリート製の再建城を見かけますが、別に無理してまがい物を再建しなくても、天守閣があった場所が残っておれば、それだけで十分のような気もします。江戸城の場合、天守台は1657年の明暦大火で焼失し、その後は再建されてないのだから、新たな城造りもちょっと変ですけどね。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
よくよく考えると、なーんか気になるのが皇居東御苑の建物群。本丸など主要施設はなーんにも残ってないのに、同心番所、百人番所、そして大番所だけが残されているのです。それっていずれも江戸城に入ってくる人間を誰何する警備警察機構の建物。いずれも本物かどうかは分かりませんけど、どちらにしてもあまりにも意図的な感じがします。ましてや大番所など、警備本部長の部屋みたいなもの。現場じゃないんだから、あまり意味があるとは思えません。皇居東御苑の公開にあたって、動いたのは警察が中心だったのかしらとうがった見方もしてしまいそう。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
結構な広っぱに平屋の建物が延々と続いてました。皇居東御苑の百人番所という施設です。甲賀、伊賀など4つの組が100人ずつ配備しており、本丸に入る人たちの検問を行ってました。これだけ広大なお城ですから、順番を待つ人も多数にのぼったはず。だから、あんな広い敷地だったんだろうな。広場を埋め尽くす老若男女、なーんてイメージすると面白いですねえ。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
徳川将軍家ワールドが楽しめる皇居東御苑。かつての正門である物々しい大手門を過ぎると同心番所が見えてきます。城への出入りを監視する警備詰め所ですかね。今で言えば皇宮警察の交番(はないけど)。同心ということは、詰めていたのは同心に与力ってところでしょうか。あまり大きな建物ではないけど、出入りって少人数だったのかしら?
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年07月05日























