amaroさんのクチコミ(86ページ)全3,113件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2014年07月05日
-
投稿日 2014年07月05日
-
投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
NHK大河ドラマ黒田官兵衛でおなじみの御着城址を訪れました。黒田家と小寺家という関係から黒田の居城、姫路城から遠い場所にあるとイメージしてましたが、なんとJRでいえば隣駅。姫路の東の最初の駅がなんと御着なのです。徒歩では難しいので観光協会が無料で貸し出しているママチャリです。さすがに4、5キロはあるのでママチャリでは結構、つらいです。まだかまだかと思ってるうちに姫路駅から30分ほどで到着しました。姫路市の東出張所前の広場には観光案内所がこしらえてありました。といっても、支所がちょっとお城風なことをのぞいてはなーんにもありません。豊臣秀吉に攻められた際、廃城になったそうで、あれから400年以上、当然のことですな。民間ボランティアの方が丁寧に説明してくれてました。本丸、二の丸と城下の町や街道が一体になったお城だったのだそうです。それにしても姫路城と目と鼻の先。黒田官兵衛って小寺家の家臣だったとき、通いだったんですかねえ。
- 旅行時期
- 2014年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年07月05日
総合評価:3.0
改修工事の覆いが取れ、美しい姿を見せている姫路城やNHK大河ドラマ黒田官兵衛のおかげもあり、観光客に人気の姫路市観光の力強い味方が、JR姫路駅中央コンコースにある市の観光案内所です。中央改札口を出るとすぐの場所。駅の外を見ると、姫路城の姿が見えました。ガラス張りの広く明るい室内には、姫路城を中にした市内の観光パンフはもちろん、黒田官兵衛ゆかりの場所を示すパンフが置いてありました。無料の観光レンタサイクルの受付もしており、今回、レンタサイクルで姫路城1周を楽しむことができました。徒歩じゃとても無理ですもんね。
- 旅行時期
- 2014年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月26日
総合評価:3.0
大阪で法善寺といえばスナックや小料理屋が並ぶ法善寺横丁になってしまうのですが、そのもとになる法善寺というお寺も、もちろんあるのです。浄土宗のお寺で、開山は1637年ですから、豊臣家が滅亡して20年ほど後。ご本尊は西向不動明王(水掛不動さん)。不動明王山ってすごい力があるようで、念ずる人の(祈願者の)願いによって「どんなご利益でもいただける」そうです。確かにそりゃありがたい。昭和20年3月13日の大阪大空襲では、六堂伽藍が焼失し、お不動さんだけが残っていたとか。というわけで、若者が結構、お参りしてました。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
岸和田城の城郭内に入ると、天守閣の前の広場に白砂と岩を組み合わせた見事な石庭がありました。観光化された現代のお城では、天守閣前は広場になっていることがよくありますが、こちらは庭園考証の権威者として知られていた故重森三玲氏の創作による庭で「八陣の庭」という名前でした。八陣は諸葛孔明の陣の名前からとったそうで、それにちなんだ造りになっているそうです。面白いのはこの庭が造られたのは、天守閣を再建する話が出る前の1953年で、岸和田城の荒廃を心配した当時の市長が文化的で芸術的な施設を作ろうと提案したことが始まりでした。歴史とは関係のない施設を作っちゃうなんて、当時のことらしいですよね。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
岸和田城の北西側、道路を挟んだ向かいが二の丸です。だんじり会館方向から登っていくと、お濠越しに白壁の櫓や道場のような建物が見えます。2012年春に訪れた時、後に岸和田市二の丸広場観光交流センターになる建物を建設中で、広場に入ることはできませんでした。現在はオープンして、土産物屋や歴史展示、イタリアンレストランなどがあるようです。ところで、二の丸にはかつて、二の丸御殿がありました。戦国時代まではこちらが本丸だったという説がありますが、確かに西側の市街地を見下ろすにはこちらの方が都合が良さそうです。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
紀州街道を通って参勤交代をする徳川御三家の紀伊徳川家が一礼をして通ったというお寺が岸和田市の紀州街道沿いにありました。曹洞宗永平寺の末寺の梅渓寺です。そんなに大きな寺ではありませんが、岸和田城主、岡部宣勝が高槻から移封された際、生母の位牌を栃木県から移したという藩主直結のお寺です。といっても、紀伊からすれば岸和田など遥かに格下。なぜ一礼したか。までは説明のパネルに書いてありませんでしたが、岡部宣勝の生母は徳川家康の姪だったとありました。それなら何となく分かる気がします。しかし城主直結ならもっとすごいお寺を想像しますが、いろいろあったのかなあ。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
-
投稿日 2014年06月25日
-
投稿日 2014年06月25日
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
大阪から和歌山や関空方面、あるいは高野山方面に向かう電車の発着駅が南海なんば駅です。何本ものホームが並んでおり、ちょっと壮観。初めて利用したとき、どれに乗ったらいいのか少し戸惑いましたけど。東急東横線の渋谷駅が東京メトロ副都心線の乗り入れで地下駅になって、東京でこういうホームを見ることが少なくなりました。大阪だと阪急梅田駅がこんな感じかな。
- 旅行時期
- 2012年03月
-
投稿日 2014年06月25日
大阪市ビジターズインフォメーションセンター 新大阪 新大阪駅周辺・十三
総合評価:3.0
大阪の玄関口といえば、やはり新幹線の新大阪駅でしょう。さて「観光案内所は」と探すとき、JRでそのまま乗り換えちゃうと訪れることはできませんが、中央改札口を出て左に行くと、そこに観光案内所「大阪市ビジターズインフォメーションセンター・新大阪」があります。大阪市内の観光パンフが充実しており、ここでゲットすれば、まず困ることはありません。大阪府内のパンフもある程度、用意されてました。もっとも、新大阪は関西全体の入口でもあり、もっと広域に観光パンフを充実させてくれないかなという願望もあります。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
都営地下鉄浅草橋駅を出て、浅草へとつながる江戸通り沿いを歩くと、小さな宝飾店をあちこちに見かけます。それも、完成した高級な宝石ではなく、ネックレスのチェーンや石、石をのせる台など手作りの店ばかり。中にはスワロフスキーの専門店もありました。浅草橋ビーズタウンと呼ばれ、女性客の人気の町だと初めて知りました。御徒町が完成品を卸価格で売る町とすれば、こちらは、その前の段階なのでさらに一段安なのです。腕とセンスに覚えがある人なら、こちらで準備して「あなた」だけのプレゼント作りもできそう。彼女に感謝されること、間違いないです。
- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
山門を通しての眺めが素晴らしいというユニークな紹介のされ方をしているお寺が京都の寺町通りにある天寧寺です。確かに門を外からのぞき込むと、向こうに何らかの山が見えます。それが比叡山でして山門は「額縁門」と呼ばれていたとか。当日はかなり雲の多い天気でしたけど、快晴だとホントに額縁みたいになったのかしら?曹洞宗のお寺で織田信長や豊臣秀吉が天下取りをしていたごろ、京都に移転されたとのこと。現在の本堂は1812年築という古いものだそうです。寺町周辺にしては境内は広く、庭園のようなものもありました。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
教科書にも出てくる(最近はどうかなあ)西園寺公望の筆による寺号の額が掲げられているのが、西園寺です。親戚関係にあったのかどうかは定かではありませんが、この寺の出身者は西園寺姓を名乗っており、何らかの関係があったのかもしれません。通りに寺が次々と登場する寺町通りにある浄土宗のお寺です。もともと鎌倉時代に金閣寺のある場所に創建されたようですが、足利義満が金閣寺建立にあたり、別の場所に移り、1590年、現在の場所に移転したとのこと。本堂は天明の大火(1788年)の後に再建されたそうです。あまり大きな寺でなく、西園寺の額が強調されるお寺でした。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
表参道と渋谷の間、明治通りに面して以前から気になっているお寺がありました。慈雲山長泉寺という曹洞宗のお寺で、少し前、何だか大きな工事をやっており、お寺がつぶれちゃうのかと思っていました。2年ほど前、久々に前を歩いてみると、大きなマンションが建っていますが、お寺は健在でした。このお寺で有名なのは人肌観音さんです。源義朝の部下の武者で後に寺を再建する人物が、あるとき、夜襲を受け負けそうになった際、若い武士が火を消して回り、それがきっかけで敵を撃退しました。戦いが終わって、若い武士を捜したところ見つからず、観音さまが人肌のように汗をかいていました。そのことから人肌観音とよばれるようになったとか。仏像にも面白いエピソードがあるものですねえ。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2014年06月25日
-
投稿日 2014年06月25日
-
投稿日 2014年06月25日
総合評価:3.0
JR鹿島神宮駅近くに剣聖塚原卜伝の像が立っていました。生誕五百周年を記念したとのこと。敷地内には生誕の地との幟もありますが、マンション前の空き地という感じもあるんですけどね。塚原卜伝はこの場所から少し離れたところにある鹿島神宮の神官の子として生まれました。39度の合戦、19度の真剣勝負で一度も負傷したことがなかったといわれるほどですから、よーするにめちゃ強かった人なんですね。訪れたころ、ちょうどNHKがドラマをやっていたころでした。考えてみると、宮本武蔵はあれだけ取り上げられるのに、塚原卜伝はそうでもない。実際どうなんでしょう。しっかし、剣聖とはいうものの、決闘では負けた方は殺されるちゃう真剣の勝負。何人の相手が死んじゃったんだろうとやや心配。
- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅























