2026/05/15 - 2026/05/15
77位(同エリア383件中)
kojikojiさん
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タシケントのホテルを早朝に出発して国内線に乗ってウルゲンチへ移動し、迎えに来たバスに乗って1時間の移動でヒヴァに着きました。一度ホテルにチェックインできて少しではありましたが休憩できたのは幸いでした。その後は徒歩で午前中の観光が2時間ほどあり、お昼を挟んで午後の観光に移ります。気温は30度を超えて体力は消耗し、水分をまめに補給しないと熱中症になりそうです。「ティ―ハウス・ミルザ・ボシ/Tea house Mirza Boshi」で美味しいウズベキスタン料理を初めて食べ、タシケントのビール「サルバスト/SARBAST」も飲めていい気分です。午後はさらに陽射しが強く気温も上がっているので持ってきたファン付きベストを妻に着させました。午後の一番目は「アクシェイク・ババの見張り台/Oq shayx bobo qasri 」の見学からスタートです。迷路のような壁の間を進むと中庭があり、その奥に急な階段があります。出来れば体が軽い昼食の前に来たかったと思います。40段の階段を上がると「イチャン・カラ」の城壁の上にある見張り台に出ます。ここからの旧市街の風景はウズベキスタンへ来たという実感と共にシルクロードの中継地にいるのだという思いに満たされます。残念ながら写真を撮るには逆光気味なのでやはりお昼前の方が良かったと思います。続いて傾いて見学の出来なくなった「ジュミ・ミナレット/Jummi Minaret」から森のようにニレの柱の林立する「ジュミ・モスク/Juma Mosque」を見学します。この中は日陰になっているので見学するのには助かります。「イスラム・ホジャ・ミナレット/Islam Khoja Minaret」と「イスラム・ホジャ・マドラサ/Islam Khoja Madrasah」の中の博物館も見学します。「パフラヴァン・マフムド廟/Pahlavan Mahmoud Mausoleum」の美しいタイルで覆われた霊廟から「アロクリカン・キャラバンサライ/Olloqulixon karvonsaroyi」で20分ほどのフリータイムになります。このキャラバン・サライは土産物屋になっているので午後は死んだようになっていた妻も元気になります。お土産用に4ドルのイカット、ウズベキスタンではアトラス(Atlas)と呼ばれるショールを10枚まとめ買いして値段交渉します。さらにラクダの毛で織った大判のマフラーも2枚まとめて安くしてもらいます。ウズベキスタンのお土産は町によって色柄も違うので気に入ったものがあれば買っておかないと後悔することになりそうです。元気を取り戻したところで「アラクリ・カーン・マドラサ/Allakuli Khan Madrassah」を見学し、「タシュ・ホヴリ宮殿/Tash Khovli Palace」と向かい合った「クトゥルグ・ムラド・イナク・マドラサ/Kutlug Murad Inaq Madrassah」も見学をします。これでガイドさん同行によるヒヴァの観光は終わります。午前2時間とお昼を挟んで4時間の観光は充実していましたが、ぶっ通しなのでとても疲れました。この国では大理石は安い素材なので石が敷かれた町中を歩くのは非常に疲れます。一度ホテルに戻ってシャワーを浴びた後は冷蔵庫でキンキンに冷やした缶酎ハイを飲んで晩御飯に備えます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
昼食を終えて午後の観光に移りますが、日差しはさらに強くなり気温も上がっていることは肌で感じます。ガイドさんによると5月のこの季節は観光には一番良い時期だと言いますが、もう少し早い時期でもよかったと思います。
カルタ ミナル 建造物
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ただ、JTBのこのツアーに限って言えば我々が参加したこの日がこのツアーの第1回目だということでした。そのためJTBでもベテランの添乗員さんが参加され、現地のランド・オペレーターの会社もベテランのガイドさんを派遣しているようでした。
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インドではタンドールと呼ばれるかまどはウズベク語ではタンディール (Tandir)と呼ぶそうです。日本人の感覚だと地面に固定されているように思いますが、実はこれ置かれているだけです。
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午前中最初の観光は「アクシェイク・ババの見張り台/Oq shayx bobo qasri 」です。午前中に入った「クフナ・アルク/Kohna Ark」の北側に組み込まれたような場所にあります。
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高いレンガの壁は城壁の一部で、細い通路の先に階段が設けられています。40段の階段だということですが、1段1段が通常の階段の倍近い蹴上げなので登りにくいです。
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お昼を食べてアルコールも入っているので体が重くなった所にこの階段です。午前中の観光にしてほしかったです。ただ、登り切った見張り台からの眺めはまさに絶景でした。修復されてはいますが数百年前の姿が再現されています。
キョフナ アルク 城・宮殿
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「カルタ・ミナール/Kalta Minor Minaret」の右側にはホテルになっている「ムハンマド・アミン・ハン・マドラサ/Muhammad Amin Xon Madrasasi」、その手前には「クフナ・アルク」の城塞の夏のモスク「マスジド・イ・アルク」です。
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「モハメド・ラキム・カーン・マドラサ/Mohammed Rakhim Khan Madrassah」の右手には「ジュミ・モスク/Juma Mosque」の「ジュミ・ミナレット/Jummi Minaret」です。
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添乗員さんに写真を撮っていただきました。小柄な方なので普通に立つと背景が隠れてしまいそうです。
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城壁は高さ8メートルから10メートルで、厚さは6メートルから8メートルにも達します。30メートルごとに円形の防御塔があります。これは敵を一方向ではなく三方から撃退することが出来ます。城壁の向こうには巨大なウズベキスタンの国旗がたなびいています。
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この後に見学する「パフラヴァン・マフムド廟/Pahlavan Mahmoud Mausoleum」の巨大なタイル張りのドームや「イスラム・ホジャ・ミナレット/Islam Khoja Minaret」が見えています。
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階段は登りよりも下りの方が大変でした。渋滞にならないように最後に降りることにします。
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「カルタ・ミナール/Kalta Minor Minaret」は午前中よりも午後の強い陽射しの方が美しく輝いています。
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ようやくラクダが顔を上げてくれました。エジプトのギザの丘で初めて乗ったラクダの高さや、モロッコのメルズーガ大砂丘で月明かりの下で乗ったラクダからの風景や夜明けは忘れることのできない思い出です。
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「ジュマ・ミナレット/Jummi Minaret」は18世紀後半に現在のモスクに隣接して建てられました。城壁に囲まれたヒヴァの街の信者たちに祈りを呼びかけるという実用的な目的を持っていました。円筒形の構造はシンプルなレンガ造りで装飾は最小限に抑えられています。現在は少し傾いていることと、レンガの壁にひびも見られて入場することは出来なくなっています。
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金曜日はイスラム教の休日でもあり、各地の入場料が無料になることもあり幼稚園や小学校の社会科見学がたくさん来ていました。
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チョギルマ(Chogirma)を被った子供たちが踊っているのでその輪の中に入って一緒に踊ってきました。
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絶対にどこかでこの帽子を被って写真を撮らなければならないという使命のようなものが生まれてきました。その願いは次のブハラで叶うことになりました。
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ミナレットに隣接する「ジュミ・モスク/Juma Mosque」の見学に移ります。強烈な日差しから逃れられるだけでもありがたく感じます。このモスクの特徴はドームや中庭を持たず、低い天井と多数の木柱で屋根を支える独特の平面構成にあります。
ジュマ モスクとミナレット 寺院・教会
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建築形式は平屋根の「ハイポスタイル・モスク」で、中央アジアの特にホラズム地方のイスラム建築に多く見られるようです。ここにも係員のおばさんたちがいますが、みんな集まっておしゃべりに夢中です。
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モスクの中にはたくさんの書見台が並び、たくさんのクルアーンが置かれてあります。以前はコーランと呼んでいたイスラムの聖典は近年呼び方が変わってきています。イスタンブールのブルーモスクでいただいた日本語版のクルアーンをイスラム圏を旅する際には持ってこようと思いながらいつも忘れてしまいます。
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212本前後の木柱が屋根を支える独特の内部空間で知られ、10世紀に初めて記録されて現在の建物は18世紀末の再建とされています。柱のデザインはすべて異なっているのが驚異的です。「幾何学文様」の星形、八角形、多角形を組み合わせた面分割やねじれた帯や縄状のラインが柱をぐるりと取り巻くパターンに反復する菱形や格子状の組み合わせが多く見られます。
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「植物・蔓草文様」は葡萄の蔓のようなスクロールや花弁を簡略化したロゼット茎がS字に曲がりながら伸びる唐草状の連続文様も読み取れます。最古級の10世紀11世紀の柱は彫りが比較的深く、モチーフは単純で大きめ。クーフィー風の帯や素朴な幾何学模様や蔓草が多いようです。中世から近世の12世紀から15世紀になると幾何と植物がより複雑に組み合わされ、18世紀の再建期以降は全体の装飾密度が高い柱が目立ちます。
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「パフラヴァン・マフムド廟/Pahlavan Mahmoud Mausoleum」の周囲には様々な大きさの墓が取り囲んでいます。多くはヒヴァ・ハン国のハンやその一族、当時の上層の人々のものだそうです。
パフラヴァン マフムド廟 寺院・教会
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実際の墓は地面の下に2メートル四方の穴を掘ります。イスラム教徒の埋葬では遺体を清めて白い布で包み、基本的に棺を使わず24時間以内を目安に埋葬し、墓穴の中で遺体を右向きに寝かせて顔を聖地メッカ(キブラ)の方向へ向けることが基本とされます。
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「イスラム・ホジャ・マドラサ/Islam Khoja Madrasah」の建物は首相でありヒヴァ・イスファンディヤール・カーンの義父であったイスラム・ホジャによって建てられました。マドラサの建設は1908年に始まり1910年までに完了しました。
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「イスラム・ホジャ・ミナレット/Islam Khoja Minaret」はヒヴァにあるミナレットの中では一番美しいシルエットを持っていると思います。ヒヴァで最も高い塔で高さは56.6メートルで、基部の直径は9.5メートルで上部に向かって細くなります。基本構造のレンガ積みの中に青と緑の模様のタイルのベルトが印象的です。
イスラーム ホジャ メドレセとミナレット 建造物
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マドラサの主な様式は2階建てで入口の右側にはモスクも建てられました。正面ファサードとミナレットに繋がるマドラサの外観や装飾はヒヴァの他のマドラサと大きくは変わりません。広場は格好のスザニ売り場になっていますがこれも1つの風景になっています。
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「イスラム・ホジャ・マドラサ」の内部は「民族生活博物館/Museum of Applied Arts」となっていて18世紀から19世紀に造られた職人の作品を見ることが出来ます。
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「イチャン・カラ」の建物の多くにもこのような木製の扉が使われています。ここでも唐草模様などの成功な彫刻が施されています。
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今回のツアーというか日本からウズベキスタンへ行くツアーのほとんどがタシケントでは日本人墓地へ行きながら「ウズベキスタン歴史博物館」や「ウズベキスタン国立応用美術館」には行きません。長年個人旅行を考えていた理由はそこにあったのですが、年齢とともに妥協するようになりました。
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美しいタイルで造られたミフラーブ(礼拝の壁龕)も見事ですが、周囲の白壁もよく見ると「ガンチ/Ganch」と呼ばれる装飾漆喰で覆われています。
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ブロックプリント用の木製のスタンプも久し振りに見ました。ジャワ島のジョグジャカルタで工房を訪ね、インドでもバティック工房で実演を観る機会がありました。ティムール朝の王族である戦士バーブルが上インドの平原を制圧して建国したムガル帝国の事を考えるとまた何かが繋がった気がします。
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ブロックプリントで造られた古い布が展示されていました。残念ながら町中のお土産物屋ではこのような手工業の作品を見る機会はありませんでした。
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スペインのアルハンブラ宮殿の見学の後に買ったタラセアという寄木細工のテーブルもイスラムに由来するデザインと技法でした。インドでも同じような八角形のテーブルがありましたが、ここでは象嵌や寄木ではなく手描きのようでした。
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このような工芸品にも町中で出会うことはありませんでした。
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町中で見掛ける伝統的な手工芸品はスザニくらいでした。観光客にとっても壊れることも運送の心配もない刺繍や布製品に人気が偏っていくのでしょう。
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「イスラム・ホジャ・ミナレット/Islam Khoja Minaret」から西に延びる通りはメインストリートとは違い、細い路地にお土産物屋が軒を連ねています。
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「パフラヴァン・マフムード廟/Pahlavan Mahmoud Mausoleum」まで歩いてくると参拝を終えた方が出てきました。ヒヴァのモスクの多くは観光客が多く見られますが、ここはちょっと違った現役の宗教施設の趣きがあります。
パフラヴァン マフムド廟 寺院・教会
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イスラム特有の玄関ホールがポインテッドアーチ状に切り取られた「イーワーン(iwan)」には装飾性の強いタイルは一切見られません。
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門を潜った延長線上に霊廟の入り口があり、ここへは靴を脱いでの見学になります。彼の墓はウズベク人、トルクメン人、カラカルパク人、その他の民族の人々にとって聖なる場所とされ続けています。
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霊廟は1664年にもともとあったパフラヴォン・マフムードの墓の上に奇跡のドームとして建てられました。パフラヴォン・マフムードは謙虚な職人から生まれた地元の詩人であり、無敵のレスラーとしての英雄的な強さと人々を癒す能力でも有名でした。
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当初の霊廟の建物は質素でしたがこの場所が有名な巡礼地となるにつれて、モスクやカナカ(小屋)が建てられました。巡礼者たちは霊廟の周りで祈りを捧げ、居住用の家や巡礼者のための部屋も設けられていました。徐々に霊廟はヒヴァ最大のドームを持つ建造物へと変わり、アッラー・クリ・カーンの治世中に建物は陶器タイルで装飾されました。
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パフラヴォン・マフムードは霊廟の西側にあるこの部屋に埋葬されました。今まで見てきたイスラムの墓ではトルコのコンヤのブラーナ教団の創始者であるジェラルディン・ルーミーの霊廟が美しい印象が残っていましたが、美しいタイルで覆われた完璧な美しさを感じます。
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「パフラヴォン・マフムード廟」の建設年は1701年とされ、ショーニヨーズ・カーンが建設したとされています。1825年から1835年にかけて木造のドーム霊廟やジヤラトカーナなどの付属施設が建てられました。その後ヒヴァ・ハーン(アブルガジ・ハーン)、ショフニヨズ・ハーン、ムハンマド・ラヒム・カーン1世、テムルガジ・カーンらもここに埋葬されています。
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妻はすでにお疲れモードから観光したくないモードに切り替わっているようです。個人旅行だったら帰りたいと言い出すところですが、自分より年上の方々が頑張っているので体力を温存しています。
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霊廟の管理人が表に出て大きく深呼吸しています。たくさんの人が出入りする狭い霊廟の中にずっといたら新鮮な空気を吸いに出たくなる気持ちは分かります。
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ムハンマド・ラヒーム・カーンはハナカの北側の壁のそばに置かれました。
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東側にはヒヴァ・ハーンだったアブルガジ・ハーンとアヌシャ・カーンの墓石が安置されました。アッラー・クリ・カーンはその廊下に埋葬されました。19世紀末までにパフラヴォン・マフムード複合施設はヒヴァ・ハーンとその近親者の埋葬地となりました。
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廟の扉の装飾はこれまでに見てきたものとは違い、真鍮の金具や象嵌細工が施されていました。
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残念ながらその多くが欠落してしまっているのが残念です。全てのパーツが残されていたらさぞ美しかったのではないかと思います。
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ここまでずっと見学が続いて頭の中が飽和状態になりました。次の見学に移る前にわずかながらショッピングタイムになりました。
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「アロクリカン・キャラバンサライ/Olloqulixon karvonsaroyi」に立ち寄りました。シルクロードは草原の道や砂漠の道など数多のルートに分かれていますが、どのルートも険しい峠や砂漠など幾つかの難所を抱えていました。ヒヴァがあるウズベキスタン西部もその1つで、ここには広大なキジルクム砂漠が広がっています。
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砂地を流れる河は気まぐれでときにその河流は大きく変化し、ヒヴァは16世紀までは小都市に過ぎませんでした。しかしアムダリア河の流れが変わりヒヴァを潤すようになると都市としての繁栄が始まります。トゥルク系のハーンが国を治めるとヒヴァは堅牢な二重の城壁で守られました。東西交易や奴隷売買が盛んに行われバザールやキャラバンサライは隊商で賑わいました。
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18世紀になるとヒヴァはロシアとの交易が始まり、大量の富が流れ込むようになり繁栄を極めていきます。イスラム教を信仰していたヒヴァの王族や富裕層は競うように城壁の中に壮麗なイスラム建築を建てはじめます。
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現在のキャラバンサライは大きなお土産物売り場となり、どこも同じような商品が並んでいます。1枚4ドルというウズベキスタン製のアトラス(イカット)と呼ばれる織物のショールを10枚まとめて購入します。そして自分用にもキャメルの大判のマフラーを2枚購入しました。こちらは1枚20ドルという言い値でしたが、まとめて安くしてもらいました。正式にはシルク生地はAtlas(アトラス)、コットンとシルクの混合生地がAdras(アドラス)、コットンのみの生地をBuz(ブズ)と呼ぶようです。
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「キャラバンサライ」でリフレッシュした後はさらに北側のエリアに進みます。殺風景なレンガの壁が続くエリアですが、そこにも見ておかなければならないポイントがいくつかあります。小さく埋め込まれたタイルはゾロアスター教のシンボルだそうです。これについてはもう少し分かりやすいタイルの写真で説明します。
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壁から伸びた木の棒は建築時に足場を支える支柱だったものです。建築工事が終わると切り取るのが普通ですがここでは残されていました。これと同じ構造はアフリカのマリにあるイスラム建築のモスクの「スーダン・サヘル様式」でも見ることが出来るので共通性を感じました。
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「タシュ・ホヴリ宮殿/Tash Khovli Palace」は1830年から1841年にかけてヒヴァ・ハン国の支配者アッラー・クリ・バハードゥル・ハーンのために建てられ、3つの中庭を囲む260以上の部屋があります。
タシュ ハウリ宮殿 城・宮殿
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この建物は一見すると宮殿とは思えないようなレンガが積み上げられたシンプルな建築物です。
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最初に建てられたハーレムは長方形の中庭を中心に配置されており、5つのロッジが彫刻された木製の柱で支えられています。4つのロッジはハーンの4人の正当な妻に割り当てられ、5つ目の最大なものはハーン自身に割り当てられました。これらのロッジはすべて同じ建築様式で設計されており、全体はアブドゥッラー・ジンの作品である青と白のタイルで装飾されています。
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3つの中庭を持つこの建物群は長方形の平面をしており、南側には公式な用途に使われるアルズ・ホウリと、娯楽用のイシュラト・ホウリがあります。北側にはハーレムがあり、迷路のような廊下が中庭と建物を結んでいます。宮殿にはハーンの兄弟や親族も住んでいました。
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君主の部屋だけが見学できました。豪華な天蓋付きの寝台の何枚ものじゅうたんが敷かれ、仰々しい玉座も置かれてあります。外光も差し込まない部屋は豪華であっても居心地は良くなかったのではないかと感じます。
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扉の上のニッチにはそのサイズに合わせた陶器が並べられました。これはヨーロッパの宮殿に必ずあるシノワズリーの部屋を思い出させます。ここにも中国陶器が並べられていたのかもしれません。
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開口部を小さくすることで夏の厚さや冬の寒さを凌ぐことが出来たのでしょうか。必要以上に厚いレンガの壁も断熱効果を狙っての物だと思います。
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お土産物屋で売られているタイルや、壁に埋め込まれたタイルがゾロアスター教に由来するものです。一見銃器のようですが3つのパーツが組み合わされたもので、上の三角形は「善い考え(善思)」下の三角形は「善い言葉(善語)」中央の直線は「善い行い(善行)」というゾロアスター教の根本的な考えである「三徳」を幾何学的に表しています。
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この3つの調和が満ち足りたバランスのよい人生を象徴しています。このデザインはゾロアスター教の主要なシンボルである「ファラヴァハル(守護霊)」の羽や構造を記号化したものとも言われます。
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中央アジアの中でもウズベキスタン地域はイスラム教が主流になる前はゾロアスター教の聖典「アヴェスター」が誕生した地とも言われるほどこの宗教が深く根付いていました。
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8世紀以降にイスラム化が進んだ後も職人たちはかつての信仰やシンボルを美しい幾何学模様としてイスラム建築の中に残し続けました。
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ゾロアスター教は3000年近い歴史を持ちながら、存続の岐路に立たされているようです。著名人ではインド最大の財閥であるタタグループの一族もゾロアスター教として知られています。
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またロックグループのQueenのフレディ・マーキュリーはインド系パールシーの家庭に生まれました。映画「ボヘミアン・ラプソディ」で父親が語る「善き思い、善き言葉、善き行い」はゾロアスター教の三徳そのものです。
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アルズ・ホウリとイシュラト・ホウリは同じ設計で四角い中庭の南側には高い一本柱のアイヴァン(柱廊)が建てられ、その背後には主要な部屋が配置されています。
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南側にロッジがある正方形の中庭を中心に配置されており、カーンは謁見する客人や大使たちを迎えるためにそこに座っていました。
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大使たちは中庭に設けられた2つのテント(ユルト)に滞在しました。そのための2つの円形の基壇が設けられています。
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ゲルの中に初めて入ったのはなぜかベルギーのブリュッセルのクリスマスマーケットでのことでした。ウランバートルにある「GOBI」というカシミヤのブランドの仮設店舗になっていました。
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その後モンゴルを旅した際にはゲルに住む家族の民家を訪ねる機会もありました。今回ウズベキスタンでユルトに入ると2000キロ以上離れていても文化は繋がっているのだと感じます。そしてその礎となったモンゴル帝国やティムールの時代に思いを馳せます。
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そろそろ本気を出してシルクロードを旅しないと体力的にも厳しくなりそうな気がします。行きたいところをチェックしていくと15日間くらいのツアーに2回は参加しなければならなさそうです。そして旅が途中で終わっているトルコの一番東側からアルメニア、ジョージアまでは行けそうですが、その先のイランやアフガニスタンへは行けないだろうなと感じます。
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「シルクロード」という名称は19世紀のドイツの地理学者リヒトホーフェンが「絹の道」と呼んだのが始まりです。この言葉が広まったことで絹を象徴とするロマンティックなイメージが強まり、日本でもNHKのテレビ番組を通じて「幻想的な東西交流の道」としての概念が定着しました。
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「事務長の部屋」を見ると家族以外の部屋は実に簡素だったことが窺えます。
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「秘書の部屋」になると多少生活感が生じますが、家族などは一緒に住むことは出来なかったのだろうと感じます。
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「アラクリ・カーン・マドラサ/Allakuli Khan Madrassah」は1834年から1835年にかけてオロクリクソン(アッラ・クーリ・カーン)の命令でキャラバンサライの近くに建てられました。ヒヴァの治世中にオロクリクソンはキャラバンサライ、ティム、オクマスジド、サイードボイ・モスクなどの建物を建てました。
アラクリ ハン メドレセ 寺院・教会
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「オロクリクソン・マドラサ」は当時の主要な教育機関の1つで、さまざまな国籍の学生がマドラサで学びました。多くの生徒はカザフ人やトルクメン人で、マドラサの教師もカザフ人やトルクメン人の教師が多かったようです。
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午前中の最期の観光は「クトゥルグ・ムラド・イナク・マドラサ/Kutlug Murad Inaq Madrassah」です。アッラー・クリ・カーンの叔父であるクトルグムラード・イナクによって建てられ、彼の遺言に従いミヨンサロイ(回廊)の床の下に埋葬されました。
クトゥル ムラド イナック メドレセ 史跡・遺跡
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マドラサは55メートル×44メートルの長方形のレイアウトにモスクと教室、寄宿部屋と中庭という構成になっています。
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ヒヴァで最初に建てられた2階建てのマドラサということからか、これまで見てきた中でも1番シンプルな印象を受けます。
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中庭には井戸があり、現在も水が出るのだと言ってガイドさんが見せてくれました。現在は砂漠地帯ですが元々は海の底だったそうで、砂漠の中から貝殻が出てくるそうです。そのため塩分が含まれているようです。
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ガイドさんの背後にある盛り上がった床は地下へ下りる階段のドームです。
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中庭の間に直径7.15メートルの貯水槽があります。レンガを円形に積み上げた上にはさらにドーム状にレンガを積んでいます。現在は水は貯まってはいませんが地面の土には湿り気を感じます。高さ1メートルくらいまでは黒いコールタールのようなもので防水されており、ここまで水が溜められたということです。
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「イチャン・カラ」で最新の乗り物は数十年乗り継いでいるような自転車です。自動車もバイクも入れない古い街で唯一の移動手段です。後は歩くしかありません。
イチャン カラ 旧市街・古い町並み
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6時間に及ぶ観光がようやく終わりました。この後はホテルに戻って2時間ほど休憩することが出来ます。早朝にタシケントのホテルを出てすでに12時間が経過しています。
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だいぶ日が西に傾いてきたので「イチャン・カラ」の西側の城壁から建造物が美しく輝いています。
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ホテルの部屋ではシャワーを浴びてすっきりして、冷蔵庫で冷やしてあったキンキンのグラスに缶チューハイを注いで一気飲みしました。晩ご飯の時間まで少し仮眠します。
Malika ホテル
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