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「ブハラ駅 (カガン駅)/Bukhara Station (KogonStation)」でバスを降りて、写真を撮りながら駅構内に入ります。ここでも入り口にセキュリティがあるので多少の時間がかかりますが、大きな荷物が無いのは助かります。集合時間と集合場所を決めて40分ほどの自由時間になります。10,000スムの冷たいコーラを買って2階のベンチで涼んでいると構内に日本語のアナウンスが流れました。びっくりして耳を傾けているとどうやら我々のガイドさんのようです。その後にベンチで一緒に座ったので尋ねてみると、2人の日本人の旅行者がブハラで列車を乗り換える予定になっているが、数時間の乗り換え時間の後に戻ってこないので駅の係員の方からアナウンスを頼まれたそうです。ブハラの駅の人たちは心配していましたが、結局その日本人2人は現れませんでした。多分ブハラが気に入って泊まるのではないかというのがガイドさんの見立てでした。ウズベキスタンの人のホスピタリティの話しはまだまだ続きました。ガイドさんがロシア人の夫婦を案内しているときに旦那の方が夜中まで1人で飲みに行ってタクシーでホテルに戻ったそうです。そこでスマホが無いことが分かり、ガイドさんにウズベキスタン人が盗んだと難癖をつけて罵ったそうです。ガイドさんはツーリストポリスに連絡して防犯カメラから乗ってきたタクシーを割り出し、運転手に連絡したそうです。運転手は仕事を終えて家に帰っていましたが、車の後部座席を探すとスマホが見つかったそうです。それを深夜に警察まで届けてもらい、警察がホテルまで届けたそうです。そのロシア人は何もお礼も言わなかったそうですが、後日奥さんの方からお詫びとお礼があったということです。日本人の旅行者をガイドした時はやはりスマホを無くして、ツーリストポリスが遺失物を鉄道からレストランからあたって、帰国前のタシケントの空港まで届けてくれたそうです。ありがたい話だと思いましたが、空港でその女の子が戻ってきた黄色いスマホを持っておちゃらけてツーリストポリスと写真を撮っているのは良い気がしませんでした。時間になってホームに出ますが、本来はパスポートと乗車券のチェックがあるのですが、ここでもガイドさんの顔でそのまま通過できました。列車はすでにホームに入っていましたがまだ乗車できません。目の前が先頭車両だったので記念写真も撮れました。この日の列車はスペインのタルゴで、スペイン旅行で何度も乗ったので懐かしく思えます。ウズベキスタンではこのスペインの車両以外に観光の列車も走っているそうです。乗車時には車両ごとにいる車掌さんがパスポートと乗車券をチェックします。午後4時16分発の特急列車アフラシャブ号は1時間50分かけてサマルカンド駅には午後6時5分に到着しました。サマルカンド駅に迎えに来たバスはブハラからの荷物をすでに積み込んでいるということでした。駅からは30分ほどバスでの移動があり、ロシア人街だった所にある「Du Chinor」という韓国料理の店で晩御飯になります。ウズベキスタンのツアーの旅行記やコメントを見ると何で韓国料理?というものが多かったですが、ずっと同じようなウズベク料理ばかりだったので新鮮で良かったと思います。また旧ソヴィエト時代は沿海州に住んでいた多くの朝鮮系住民が中央アジアへ強制移住させられ、その一部が現在のウズベキスタンに定住しています。彼らとその子孫がウズベキスタン社会に根付き、韓国とも精神的なつながりを持ち続けているのですからここで韓国料理を食べるのも1つの意味があると思います。テーブルは4人づつだったのでここまでずっと食事でご一緒していたご夫婦と面白おかしく会話しながらのビビンバはとても美味しく感じられました。暗くなってから到着したホテルはプラタナスの巨木の並ぶ公園の脇に建つ「ホテル・シティ・サマルカンド/Hotel City Samarkand<br />」でした。ソヴィエト時代のホテルを思い出させるような造りで、長い廊下には困りましたが使い勝手の良いホテルでした。クーラーボックスに入れておいた缶チューハイはまだ冷たいままだったので風呂上りに乾杯してサマルカンドの旅が始まります。

JTB旅物語ウズベキスタン世界遺産探訪7日間(12)ブハラからスペイン製のタルゴ列車に乗ってサマルカンドを目指し、韓国料理に舌鼓み。

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2026/05/17 - 2026/05/17

516位(同エリア780件中)

旅行記グループ 2026ウズベキスタンの旅

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kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

「ブハラ駅 (カガン駅)/Bukhara Station (KogonStation)」でバスを降りて、写真を撮りながら駅構内に入ります。ここでも入り口にセキュリティがあるので多少の時間がかかりますが、大きな荷物が無いのは助かります。集合時間と集合場所を決めて40分ほどの自由時間になります。10,000スムの冷たいコーラを買って2階のベンチで涼んでいると構内に日本語のアナウンスが流れました。びっくりして耳を傾けているとどうやら我々のガイドさんのようです。その後にベンチで一緒に座ったので尋ねてみると、2人の日本人の旅行者がブハラで列車を乗り換える予定になっているが、数時間の乗り換え時間の後に戻ってこないので駅の係員の方からアナウンスを頼まれたそうです。ブハラの駅の人たちは心配していましたが、結局その日本人2人は現れませんでした。多分ブハラが気に入って泊まるのではないかというのがガイドさんの見立てでした。ウズベキスタンの人のホスピタリティの話しはまだまだ続きました。ガイドさんがロシア人の夫婦を案内しているときに旦那の方が夜中まで1人で飲みに行ってタクシーでホテルに戻ったそうです。そこでスマホが無いことが分かり、ガイドさんにウズベキスタン人が盗んだと難癖をつけて罵ったそうです。ガイドさんはツーリストポリスに連絡して防犯カメラから乗ってきたタクシーを割り出し、運転手に連絡したそうです。運転手は仕事を終えて家に帰っていましたが、車の後部座席を探すとスマホが見つかったそうです。それを深夜に警察まで届けてもらい、警察がホテルまで届けたそうです。そのロシア人は何もお礼も言わなかったそうですが、後日奥さんの方からお詫びとお礼があったということです。日本人の旅行者をガイドした時はやはりスマホを無くして、ツーリストポリスが遺失物を鉄道からレストランからあたって、帰国前のタシケントの空港まで届けてくれたそうです。ありがたい話だと思いましたが、空港でその女の子が戻ってきた黄色いスマホを持っておちゃらけてツーリストポリスと写真を撮っているのは良い気がしませんでした。時間になってホームに出ますが、本来はパスポートと乗車券のチェックがあるのですが、ここでもガイドさんの顔でそのまま通過できました。列車はすでにホームに入っていましたがまだ乗車できません。目の前が先頭車両だったので記念写真も撮れました。この日の列車はスペインのタルゴで、スペイン旅行で何度も乗ったので懐かしく思えます。ウズベキスタンではこのスペインの車両以外に観光の列車も走っているそうです。乗車時には車両ごとにいる車掌さんがパスポートと乗車券をチェックします。午後4時16分発の特急列車アフラシャブ号は1時間50分かけてサマルカンド駅には午後6時5分に到着しました。サマルカンド駅に迎えに来たバスはブハラからの荷物をすでに積み込んでいるということでした。駅からは30分ほどバスでの移動があり、ロシア人街だった所にある「Du Chinor」という韓国料理の店で晩御飯になります。ウズベキスタンのツアーの旅行記やコメントを見ると何で韓国料理?というものが多かったですが、ずっと同じようなウズベク料理ばかりだったので新鮮で良かったと思います。また旧ソヴィエト時代は沿海州に住んでいた多くの朝鮮系住民が中央アジアへ強制移住させられ、その一部が現在のウズベキスタンに定住しています。彼らとその子孫がウズベキスタン社会に根付き、韓国とも精神的なつながりを持ち続けているのですからここで韓国料理を食べるのも1つの意味があると思います。テーブルは4人づつだったのでここまでずっと食事でご一緒していたご夫婦と面白おかしく会話しながらのビビンバはとても美味しく感じられました。暗くなってから到着したホテルはプラタナスの巨木の並ぶ公園の脇に建つ「ホテル・シティ・サマルカンド/Hotel City Samarkand
」でした。ソヴィエト時代のホテルを思い出させるような造りで、長い廊下には困りましたが使い勝手の良いホテルでした。クーラーボックスに入れておいた缶チューハイはまだ冷たいままだったので風呂上りに乾杯してサマルカンドの旅が始まります。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
中国国際航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • ブハラの観光が終わった後はバスに乗って「ブハラ駅 (カガン駅)/Bukhara Station (KogonStation)」に向かいます。<br />

    ブハラの観光が終わった後はバスに乗って「ブハラ駅 (カガン駅)/Bukhara Station (KogonStation)」に向かいます。

  • 「カガン・アミール宮殿/Palace of the Emir of Bukhara」の起源は19世紀後半にロシア帝国が中央アジアに拡大したことにさかのぼります。世紀末にはロシアとブハラ首長国と強固な外交関係が築かれ、鉄道の発展も続けられました。新ブハラはタシケントへ向かう鉄道沿いに建設され、ロシア軍などロシア帝国を代表する様々な出先機関の拠点となりました。

    「カガン・アミール宮殿/Palace of the Emir of Bukhara」の起源は19世紀後半にロシア帝国が中央アジアに拡大したことにさかのぼります。世紀末にはロシアとブハラ首長国と強固な外交関係が築かれ、鉄道の発展も続けられました。新ブハラはタシケントへ向かう鉄道沿いに建設され、ロシア軍などロシア帝国を代表する様々な出先機関の拠点となりました。

  • 宮殿を過ぎるとすぐに「ブハラ駅 (カガン駅)」に到着しバスを降りました。

    宮殿を過ぎるとすぐに「ブハラ駅 (カガン駅)」に到着しバスを降りました。

    ブハラ駅 (カガン駅)

  • ロシア語「Bокзал(Vokzal)」のラテン文字表記が「VOKZAL」で、意味は長距離列車が発着する大きな駅を指します。

    ロシア語「Bокзал(Vokzal)」のラテン文字表記が「VOKZAL」で、意味は長距離列車が発着する大きな駅を指します。

  • 駅前のI LOVE BUKHARA」の前で記念写真を撮っておきます。

    駅前のI LOVE BUKHARA」の前で記念写真を撮っておきます。

  • 駅構内に入るにはセキュリティがあり、パスポートと列車の乗車券、そして荷物のチェックがありました。

    駅構内に入るにはセキュリティがあり、パスポートと列車の乗車券、そして荷物のチェックがありました。

  • 駅の改札前で一度集合して乗車時間が車での40分ほどの自由時間になりました。乗車するのは16時16分発の765Φで、ブハラ発でサマルカンド中央駅が終点です。キリル文字のΦはギリシャ文字の Φ(ファイ)に由来しFを意味します。

    駅の改札前で一度集合して乗車時間が車での40分ほどの自由時間になりました。乗車するのは16時16分発の765Φで、ブハラ発でサマルカンド中央駅が終点です。キリル文字のΦはギリシャ文字の Φ(ファイ)に由来しFを意味します。

  • 1階の売店でコカ・コーラのペットボトルを1本買って、2階のベンチに座って一気飲みしました。コーラがこんなに美味しかっただろうかと思うほどでした。それくらいブハラは暑かったです。

    1階の売店でコカ・コーラのペットボトルを1本買って、2階のベンチに座って一気飲みしました。コーラがこんなに美味しかっただろうかと思うほどでした。それくらいブハラは暑かったです。

  • 2階のベンチで涼んでいると構内に日本語のアナウンスが流れました。びっくりして耳を傾けているとどうやら我々のガイドさんのようです。その後にベンチで一緒に座ったので尋ねてみると、2人の日本人の旅行者がブハラで列車を乗り換える予定になっているが数時間の乗り換え時間の後に戻ってこないので駅の係員の方からアナウンスを頼まれたそうです。ブハラの駅の人たちは心配していましたが、結局その日本人2人は現れませんでした。

    2階のベンチで涼んでいると構内に日本語のアナウンスが流れました。びっくりして耳を傾けているとどうやら我々のガイドさんのようです。その後にベンチで一緒に座ったので尋ねてみると、2人の日本人の旅行者がブハラで列車を乗り換える予定になっているが数時間の乗り換え時間の後に戻ってこないので駅の係員の方からアナウンスを頼まれたそうです。ブハラの駅の人たちは心配していましたが、結局その日本人2人は現れませんでした。

  • その後にはツーリスト・ポリスと連携して、紛失したスマホを探し出した話などをいろいろ聞かせてもらいました。つくづくウズベキスタンの人の親切さを感じました。

    その後にはツーリスト・ポリスと連携して、紛失したスマホを探し出した話などをいろいろ聞かせてもらいました。つくづくウズベキスタンの人の親切さを感じました。

  • 乗車時間が近づいてきたので再集合した後はガイドさんに着いてホームに出ました。本当はパスポートと乗車券のチェックがあるようですが、ガイドさんの顔なのかそのまま通過できました。

    乗車時間が近づいてきたので再集合した後はガイドさんに着いてホームに出ました。本当はパスポートと乗車券のチェックがあるようですが、ガイドさんの顔なのかそのまま通過できました。

  • 19世紀当時トルキスタンと呼ばれていた地域を効率的に植民地化するためにロシアは鉄道を必要としていました。一方では各ハン国や首長国を掃討するために軍隊を迅速に移動させまた綿花をロシアの工場に輸出することも目的とされました。

    19世紀当時トルキスタンと呼ばれていた地域を効率的に植民地化するためにロシアは鉄道を必要としていました。一方では各ハン国や首長国を掃討するために軍隊を迅速に移動させまた綿花をロシアの工場に輸出することも目的とされました。

  • 1880年代になるとロシア当局はブハラにトランスカスピアン鉄道の駅建設許可を求めました。エミール(首長)は迫り来るロシア帝国の熱意を感じ、異教徒のシャイタン・アルバ(悪魔の荷車)である鉄道を警戒していました。しかし彼らを永遠に抑え込むことはできないと知り、ドイツ銀貨を代価に受け取る代わりにブハラから15キロ離れた場所にカガンと呼ばれるロシアの入植地を建設する許可を与えました。

    1880年代になるとロシア当局はブハラにトランスカスピアン鉄道の駅建設許可を求めました。エミール(首長)は迫り来るロシア帝国の熱意を感じ、異教徒のシャイタン・アルバ(悪魔の荷車)である鉄道を警戒していました。しかし彼らを永遠に抑え込むことはできないと知り、ドイツ銀貨を代価に受け取る代わりにブハラから15キロ離れた場所にカガンと呼ばれるロシアの入植地を建設する許可を与えました。

  • 現在はその鉄路にスペイン製のタルゴ250が「アフラシャブ号 (Afrosiyob)」という名前で走っています。タルゴは左右独立車輪を採用しているために車輪が常にレール方向を向くためのステアリング機構を持っています。これは隣国フランスとスペインでは線路の幅が233ミリ広いために軌間可変車両が必要でした。

    現在はその鉄路にスペイン製のタルゴ250が「アフラシャブ号 (Afrosiyob)」という名前で走っています。タルゴは左右独立車輪を採用しているために車輪が常にレール方向を向くためのステアリング機構を持っています。これは隣国フランスとスペインでは線路の幅が233ミリ広いために軌間可変車両が必要でした。

  • 日本のJRが1,06ミリの狭軌、ヨーロッパの鉄道などは1,435ミリの標準軌であるのにたいしてロシアの鉄道は1,520ミリの広軌です。ウズベキスタンや近隣諸国はロシアに倣ったままのようです。

    日本のJRが1,06ミリの狭軌、ヨーロッパの鉄道などは1,435ミリの標準軌であるのにたいしてロシアの鉄道は1,520ミリの広軌です。ウズベキスタンや近隣諸国はロシアに倣ったままのようです。

  • 添乗員さんが記念に写真を撮ってくださいました。個人旅行だと2人の写真を撮るのが億劫になりますが、ツアーだと何枚かは撮っていただく機会があるので助かります。

    添乗員さんが記念に写真を撮ってくださいました。個人旅行だと2人の写真を撮るのが億劫になりますが、ツアーだと何枚かは撮っていただく機会があるので助かります。

  • 同じ線路にはO’Z-Y型電気機関車も停車していました。この機関車は中国の株洲電力機車とドイツのシーメンスが共同で設計と製造しました。

    同じ線路にはO’Z-Y型電気機関車も停車していました。この機関車は中国の株洲電力機車とドイツのシーメンスが共同で設計と製造しました。

  • O’Z-Y形2011年までに15両が製造され、主に旅客列車の牽引に使用される交流機関車です。線路の上に立てたのでカッサンドルのポスターのような構図で写真を撮ってみました。

    O’Z-Y形2011年までに15両が製造され、主に旅客列車の牽引に使用される交流機関車です。線路の上に立てたのでカッサンドルのポスターのような構図で写真を撮ってみました。

  • もちろん「アフラシャブ号 (Afrosiyob)」も真正面から撮っておきます。特に鉄道ファンでもないのですが、なかなか撮りに来れる場所でもありません。

    もちろん「アフラシャブ号 (Afrosiyob)」も真正面から撮っておきます。特に鉄道ファンでもないのですが、なかなか撮りに来れる場所でもありません。

  • そろそろ乗車が出来る時間になったようです。

    そろそろ乗車が出来る時間になったようです。

  • アフラシャブ号 (Afrosiyob)の名前はサマルカンドの北部にある遺跡から取られ、アフラシヤブは紀元前500年から紀元後1220年まで存在していましたが、13世紀にチンギス・ハンのモンゴル帝国に破壊されました。

    アフラシャブ号 (Afrosiyob)の名前はサマルカンドの北部にある遺跡から取られ、アフラシヤブは紀元前500年から紀元後1220年まで存在していましたが、13世紀にチンギス・ハンのモンゴル帝国に破壊されました。

  • 機関車にはタルゴの赤いロゴとウズベキスタン鉄道のロゴが並んでいます。

    機関車にはタルゴの赤いロゴとウズベキスタン鉄道のロゴが並んでいます。

  • 乗車時にはパスポートと乗車券がチェックされました。

    乗車時にはパスポートと乗車券がチェックされました。

  • 車内では同じツアーの方たちと面白おかしく話しをしながらあっという間の2時間でした。

    車内では同じツアーの方たちと面白おかしく話しをしながらあっという間の2時間でした。

  • 進行方向の右側はほとんど同じような景色で、畑と牧草地が交互に現れては消えていきます。

    進行方向の右側はほとんど同じような景色で、畑と牧草地が交互に現れては消えていきます。

  • 午後6時にサマルカンド駅に到着しました。この列車はタシケントまで行くので我々が降りるのをたくさんの人が待っていました。停車時間は10分あるので乗り遅れとかはありません。

    午後6時にサマルカンド駅に到着しました。この列車はタシケントまで行くので我々が降りるのをたくさんの人が待っていました。停車時間は10分あるので乗り遅れとかはありません。

  • それほど多くの列車が発着するわけではありませんが、必要以上に大きな駅舎だと感じます。

    それほど多くの列車が発着するわけではありませんが、必要以上に大きな駅舎だと感じます。

  • 建築様式は「ソ連期モダニズム+ウズベク風装飾」という性格を持っているようです。水平ラインが強調されたボリュームに幾何学的なパターンの装飾や青系のタイルなど、サマルカンドらしい要素が加えられています。

    建築様式は「ソ連期モダニズム+ウズベク風装飾」という性格を持っているようです。水平ラインが強調されたボリュームに幾何学的なパターンの装飾や青系のタイルなど、サマルカンドらしい要素が加えられています。

  • 駅構内を通らずに先頭車両の脇から直接駐車場に出るので、もう一度タルゴ250を見ることが出来ました。

    駅構内を通らずに先頭車両の脇から直接駐車場に出るので、もう一度タルゴ250を見ることが出来ました。

  • ウズベキスタンは天然ガス産出国で主成分はメタンです。ガスそのものの大量輸送について国内や周辺国とのやりとりは高圧ガスパイプラインが主役です。発電所などへの供給も原則としてパイプライン経由となっています。

    ウズベキスタンは天然ガス産出国で主成分はメタンです。ガスそのものの大量輸送について国内や周辺国とのやりとりは高圧ガスパイプラインが主役です。発電所などへの供給も原則としてパイプライン経由となっています。

  • タンク上部には「БЕНЗИН(ガソリン)」または「НЕФТЬ(石油)」といった積載物の種類を示す文字が書かれています。かなり古い車両には「532 78974」と旧ソヴィエト圏(OSJD規格)で共通して使われている8桁の車両識別番号が読み取れます。

    タンク上部には「БЕНЗИН(ガソリン)」または「НЕФТЬ(石油)」といった積載物の種類を示す文字が書かれています。かなり古い車両には「532 78974」と旧ソヴィエト圏(OSJD規格)で共通して使われている8桁の車両識別番号が読み取れます。

  • 迎えに来たバスに乗る前に記念写真を1枚撮っておきます。

    迎えに来たバスに乗る前に記念写真を1枚撮っておきます。

  • 迎えに来たバスはブハラで乗っていたのと同じタイプの車両だったので我々を折って高速鉄道よりも早く到着したのかと思いましたが、シートのカバーが微妙に違いました。

    迎えに来たバスはブハラで乗っていたのと同じタイプの車両だったので我々を折って高速鉄道よりも早く到着したのかと思いましたが、シートのカバーが微妙に違いました。

    サマルカンド駅

  • サマルカンドでは2泊した後に再び駅に戻りタシケントまで移動します。

    サマルカンドでは2泊した後に再び駅に戻りタシケントまで移動します。

  • サマルカンドでは路面電車が1947年から1973年の間に運行されていました。その後路面電車が走らない期間が長く続いていましたが2017年に現在の1号線6.4キロが開業し、2018年にはシヨブ・バザールまでの2号線5.1キロが開業しました。軌間は1524ミリの広軌が採用されています。

    サマルカンドでは路面電車が1947年から1973年の間に運行されていました。その後路面電車が走らない期間が長く続いていましたが2017年に現在の1号線6.4キロが開業し、2018年にはシヨブ・バザールまでの2号線5.1キロが開業しました。軌間は1524ミリの広軌が採用されています。

  • しないでよく見掛ける宮殿のような建物は結婚式場だそうです。旧ソ連圏では「結婚の宮殿」と呼ばれる公的な婚姻登録施設があり、中央アジアでも類似の施設があるようです。ウズベキスタンも同様に豪華な外観の婚姻登録所やイベントホールが都市ごとに存在していて、現地ではそれらを「宮殿」と呼ぶこともあるようです。

    しないでよく見掛ける宮殿のような建物は結婚式場だそうです。旧ソ連圏では「結婚の宮殿」と呼ばれる公的な婚姻登録施設があり、中央アジアでも類似の施設があるようです。ウズベキスタンも同様に豪華な外観の婚姻登録所やイベントホールが都市ごとに存在していて、現地ではそれらを「宮殿」と呼ぶこともあるようです。

  • 伝統的には親や親戚が相手探しを手伝うお見合い型が主流で、特に地方では今もその傾向が残っています。一方で都市部や若い世代では学校や職場での恋愛結婚も増えつつあります。

    伝統的には親や親戚が相手探しを手伝うお見合い型が主流で、特に地方では今もその傾向が残っています。一方で都市部や若い世代では学校や職場での恋愛結婚も増えつつあります。

  • 結婚式はトイ(宴)と呼ばれる盛大なパーティーが中心で、数百人単位のゲストを招くことも珍しくなく、豪華な料理と音楽と踊りで長時間祝い続けます。メイン料理としてプロフ(ピラフ)がふるまわれることが多いとガイドさんが説明してくれました。

    結婚式はトイ(宴)と呼ばれる盛大なパーティーが中心で、数百人単位のゲストを招くことも珍しくなく、豪華な料理と音楽と踊りで長時間祝い続けます。メイン料理としてプロフ(ピラフ)がふるまわれることが多いとガイドさんが説明してくれました。

  • サマルカンドでは1957年以降のソヴィエトの大量住宅建設政策の中で旧市街の外側にいくつかの「ミクロライオン(микрорайон=住宅マイクロディストリクト)」が整備されました。

    サマルカンドでは1957年以降のソヴィエトの大量住宅建設政策の中で旧市街の外側にいくつかの「ミクロライオン(микрорайон=住宅マイクロディストリクト)」が整備されました。

  • ミクロライオン自体はソヴィエト全体で共通する都市計画の単位で、サマルカンドでも同じ考え方で構成されました。住宅ブロックを中心に学校、幼稚園、小さな店舗など日常機能を徒歩圏にまとめた「近隣ユニット」として計画され、建物の間には中庭的なオープンスペースや遊び場がつくられ、現在は駐車や小商いなどに転用されることも多いようです。

    ミクロライオン自体はソヴィエト全体で共通する都市計画の単位で、サマルカンドでも同じ考え方で構成されました。住宅ブロックを中心に学校、幼稚園、小さな店舗など日常機能を徒歩圏にまとめた「近隣ユニット」として計画され、建物の間には中庭的なオープンスペースや遊び場がつくられ、現在は駐車や小商いなどに転用されることも多いようです。

  • この日の夕食は旧ロシア人地区にある「デュ・ピナール/Du Chinor」という韓国料理店でした。

    この日の夕食は旧ロシア人地区にある「デュ・ピナール/Du Chinor」という韓国料理店でした。

  • 店の名前は2本のプラタナスという意味のようで、中庭にはプラタナスの巨木が2本ありました。ブハラでが日中40℃を越える気温でしたが、サマルカンドでは30℃でした。普段なら暑いと思うところですが、妙に涼しく感じるのが不思議でした。

    店の名前は2本のプラタナスという意味のようで、中庭にはプラタナスの巨木が2本ありました。ブハラでが日中40℃を越える気温でしたが、サマルカンドでは30℃でした。普段なら暑いと思うところですが、妙に涼しく感じるのが不思議でした。

  • レストランの席は4人づつのボックス席だったので一番仲良くしてくださるご夫婦とご一緒しました。妻は9歳年上の奥さんに何かと面倒見てもらっていて申し訳ないです。

    レストランの席は4人づつのボックス席だったので一番仲良くしてくださるご夫婦とご一緒しました。妻は9歳年上の奥さんに何かと面倒見てもらっていて申し訳ないです。

  • ここでは初めて飲むビールが2種類ありました。左はZlata Breweryが製造している「Bukhara Premium Filtered Beer」で、右側も同じ会社の「Samarkand」です。ご一緒したご主人が「冷えていない。」とおっしゃるので氷をもらうことにしました。添乗員さんが「氷大丈夫ですか?」と焦っていましたが、氷は水道水ではなくちゃんとした氷を買っているということでした。

    ここでは初めて飲むビールが2種類ありました。左はZlata Breweryが製造している「Bukhara Premium Filtered Beer」で、右側も同じ会社の「Samarkand」です。ご一緒したご主人が「冷えていない。」とおっしゃるので氷をもらうことにしました。添乗員さんが「氷大丈夫ですか?」と焦っていましたが、氷は水道水ではなくちゃんとした氷を買っているということでした。

  • やっぱりビールは冷たくないといけません。副菜のパンチャンはキムチにカクテキ、キノコのナムルとパプリカのナムル、サラダにすり身の蒸し物でした。韓国のようにおかわりは出来なさそうでした。

    やっぱりビールは冷たくないといけません。副菜のパンチャンはキムチにカクテキ、キノコのナムルとパプリカのナムル、サラダにすり身の蒸し物でした。韓国のようにおかわりは出来なさそうでした。

  • 旅行前にウズベキスタンのツアーに参加された方の旅行記を幾つか見ましたが、「何でウズベキスタンで韓国料理を。」という否定的なコメントが多かったです。ここまでずっと同じようなウズベク料理ばかりだったので韓国料理は新鮮で良かったと思います。また旧ソヴィエト時代は沿海州に住んでいた多くの朝鮮系住民が中央アジアへ強制移住させられ、その一部が現在のウズベキスタンに定住しています。彼らとその子孫がウズベキスタン社会に根付き、韓国とも精神的なつながりを持ち続けているのですからここで韓国料理を食べるのも1つの意味があると思います。

    旅行前にウズベキスタンのツアーに参加された方の旅行記を幾つか見ましたが、「何でウズベキスタンで韓国料理を。」という否定的なコメントが多かったです。ここまでずっと同じようなウズベク料理ばかりだったので韓国料理は新鮮で良かったと思います。また旧ソヴィエト時代は沿海州に住んでいた多くの朝鮮系住民が中央アジアへ強制移住させられ、その一部が現在のウズベキスタンに定住しています。彼らとその子孫がウズベキスタン社会に根付き、韓国とも精神的なつながりを持ち続けているのですからここで韓国料理を食べるのも1つの意味があると思います。

  • メインはビビンバでした。お店の方は韓国語は分からないようで、アンニョンハセヨくらいしか通じませんでした。「マシッソヨ」と言っても意味が分からないようでした。

    メインはビビンバでした。お店の方は韓国語は分からないようで、アンニョンハセヨくらいしか通じませんでした。「マシッソヨ」と言っても意味が分からないようでした。

  • パンチャンも全部入れて、混ぜ混ぜにして美味しくいただきました。今年は何故か我が家における韓国イヤーのようで、すでに2回旅しています。どちらもトラピックスの「マシッソヨ」というタイトルの付いたもので食事が良かったです。それに味をしめて済州島と韓国縦断と2回の旅も予定しています。

    パンチャンも全部入れて、混ぜ混ぜにして美味しくいただきました。今年は何故か我が家における韓国イヤーのようで、すでに2回旅しています。どちらもトラピックスの「マシッソヨ」というタイトルの付いたもので食事が良かったです。それに味をしめて済州島と韓国縦断と2回の旅も予定しています。

  • 程よい旅の疲れとビールのほろ酔いで良い気分です。確かにプラタナスの巨木です。

    程よい旅の疲れとビールのほろ酔いで良い気分です。確かにプラタナスの巨木です。

  • 中庭の席では電灯が灯ってなかなかいい雰囲気です。ウズベキスタンの伝統的な建物では中庭を囲む回廊型の平面がとても一般的で、中心に樹木や小さな水盤が置かれることが多いようです。暑く乾いた気候の中で影と風をつくる重要な仕組みになっています。

    中庭の席では電灯が灯ってなかなかいい雰囲気です。ウズベキスタンの伝統的な建物では中庭を囲む回廊型の平面がとても一般的で、中心に樹木や小さな水盤が置かれることが多いようです。暑く乾いた気候の中で影と風をつくる重要な仕組みになっています。

  • この日の予定はこれですべて終わり、バスに乗ってホテルに向かいます。

    この日の予定はこれですべて終わり、バスに乗ってホテルに向かいます。

  • サマルカンドでもこの後ずっと最後尾の席に座ることになりました。ツアーも中盤を過ぎるとバスの座席も固定化されてきています。

    サマルカンドでもこの後ずっと最後尾の席に座ることになりました。ツアーも中盤を過ぎるとバスの座席も固定化されてきています。

  • サマルカンド州立大学国際教育学部の脇を通過しました。ガイドさんはこの大学でウズベキスタンの歴史を学び、その後日本に来て筑波大学の大学院に通ったそうです。手前には牌楼が建っていて、奥には長廊も見えます。調べてみると孔子の像もあるようです。

    サマルカンド州立大学国際教育学部の脇を通過しました。ガイドさんはこの大学でウズベキスタンの歴史を学び、その後日本に来て筑波大学の大学院に通ったそうです。手前には牌楼が建っていて、奥には長廊も見えます。調べてみると孔子の像もあるようです。

  • 「ブリヴァル/Bul&#39;var」の意味は「並木道」「大通り」で、サマルカンドのような旧ソヴィエト圏の都市では通りの名前によく使われる言葉のようです。

    「ブリヴァル/Bul'var」の意味は「並木道」「大通り」で、サマルカンドのような旧ソヴィエト圏の都市では通りの名前によく使われる言葉のようです。

  • 旅行前に思っていたのと実際のサマルカンドはかなりの大都市でした。ヒヴァやブハラのように旧市街が近くにあって散歩できるのだろうかと考えてしまいます。

    旅行前に思っていたのと実際のサマルカンドはかなりの大都市でした。ヒヴァやブハラのように旧市街が近くにあって散歩できるのだろうかと考えてしまいます。

  • 暗くなってから到着したホテルはプラタナスの巨木の並ぶ公園の脇に建つ「ホテル・シティ・サマルカンド/Hotel City Samarkand」でした。

    暗くなってから到着したホテルはプラタナスの巨木の並ぶ公園の脇に建つ「ホテル・シティ・サマルカンド/Hotel City Samarkand」でした。

    ホテルシティサマルカンド ホテル

    JTBのツアーで2泊しました。 by kojikojiさん
  • 駅まで迎えに来たバスにはブハラで預けた荷物がすでに積み込まれていました。こういったところはツアーで本当に良かったと思います。こうやって楽な旅をすると妻は個人旅行を嫌がるようになります。去年までは4週間の個人旅行をしていましたが、もう無理かもしれません。

    駅まで迎えに来たバスにはブハラで預けた荷物がすでに積み込まれていました。こういったところはツアーで本当に良かったと思います。こうやって楽な旅をすると妻は個人旅行を嫌がるようになります。去年までは4週間の個人旅行をしていましたが、もう無理かもしれません。

  • ホテルにチェックインしてそれぞれの部屋へと向かいます。2階建てのホテルですが、エレベーターが無いのでトランクはホテルのポーターさんが部屋の前まで届けてくれました。他国のようにチップを求めることも無く、いつも間にか部屋の前に置かれていると言った感じです。

    ホテルにチェックインしてそれぞれの部屋へと向かいます。2階建てのホテルですが、エレベーターが無いのでトランクはホテルのポーターさんが部屋の前まで届けてくれました。他国のようにチップを求めることも無く、いつも間にか部屋の前に置かれていると言った感じです。

  • クーラーボックスの中の缶チューハイはまだ冷たいままだったのでまずは1本空けました。残りを冷蔵庫に入れたりしているうちに部屋の写真を撮るのを忘れてしまったようです。サマルカンドに葉2泊するので多少の余裕はありそうです。

    クーラーボックスの中の缶チューハイはまだ冷たいままだったのでまずは1本空けました。残りを冷蔵庫に入れたりしているうちに部屋の写真を撮るのを忘れてしまったようです。サマルカンドに葉2泊するので多少の余裕はありそうです。

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