2026/05/19 - 2026/05/19
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kojikojiさん
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「タシュケント鉄道北駅」では迎えに来たバスに乗ってタシケント市内の観光に移ります。駅前には「鉄道博物館/Railway Museum」があり、そのまま素通りするにはもったいないほどの蒸気機関車やディーゼル機関車が並べられています。既に正午を過ぎているのでまずは「カラタシュ・レストラン/Qoratosh restaurant」でお昼をいただきます。ここではサモサとシャシリク料理をいただきます。午後はタシケント市内を走り抜けて「日本人墓地/Japanese Cemetery in Tashkent」を参拝します。ウズベキスタンの方々の普通の墓地の中を進んでいくと整備された一角があり、親子何代で日本人墓地の監理をされている方にもお会いでき、線香を手向けることも出来ました。母方の親戚には戦後にシベリア抑留された叔父がいたのでその方のことを思い出しました。そして「ナヴォイ劇場/Alisher Navoiy nomidagi opera va balet teatri」の外観の見学と続きます。敗戦後の日本に着いて学ぶことは必要だと思いますが、個人的にはウズベキスタンという国の文化やモンゴル帝国からティムールの時代を学びに来ているので「ウズベキスタン国立歴史博物館/O?zbekiston tarixi davlat muzeyi」や「アミール・ティムール博物館/Temuriylar tarixi davlat muzeyi」、「ウズベキスタン国立応用美術館/Davlat Amaliy san'at muzeyi」に入ってみたかったです。ウズベキスタンを旅したいと思いながらなかなか実行に移せなかったのはこれらの博物館を見学するツアーが無かったからでもありました。タシケントで唯一楽しみにしていたのは地下鉄の体験乗車で、ガイドさんが3,000スムのチケットを買ってくれて、全員で地下鉄を乗り継ぎながら「アミール・ティムール広場/Amir Temur xiyoboni」に向かうというものでした。「コスモナウトラル駅/Kosmonavtlar」から「アリシェール・ナヴォイ駅/Alisher Navoi」で乗り換えて「アミール・テムール・アレイ/Amir Temur Hiyoboni」まで行くというものでしたが、旧ソヴィエト時代に造られた地下鉄は魅力的で、モスクワの地下鉄駅の2晩で数十カ所巡った時のことを思い出しました。最後に広場へ行きアムール・ティムールの騎馬像に敬意を表して最後の晩ご飯へと向かいます。「ザッフェラーノ/Zafferano」というレストランでラグマンを食べて「タシュケント国際空港/Toshkent Xalqaro Aeroporti」へと向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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「タシュケント鉄道北駅」では迎えに来たバスに乗ってタシケント市内の観光に移ります。駅前には「鉄道博物館/Railway Museum」があります。
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そのまま素通りするにはもったいないほどの蒸気機関車やディーゼル機関車が並べられています。
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通りを大きくUターンしたので再び「タシュケント鉄道北駅」の前を通過します。
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乗り込んだバスはこれまで乗っていたバスと同じスタイルですが微妙に内装が違いました。早朝にサマルカンドのホテルで預けたトランクは我々がバスから降りている間に届き、空港ではこのバスから降ろして受け取りました。
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タシケントには幾何学的な外観を持つソヴィエト・モダニズム建築の集合住宅が数多く存在します。強い日差しを遮るための中央アジア伝統の格子窓の「パンジャラ」の要素をコンクリートの幾何学パターンとしてファサードに取り入れています。
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代表的な集合住宅「ジェムチュグ(真珠)」などでは数フロアごとに住民が交流できる共有の中庭を設け、ウズベキスタンの伝統的な地域共同体の仕組み「マハッラ」を取り入れた実験的な設計が施されました。
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内務省とインターポールの建物のある広場には「コスモナウトラル駅/Kosmonavtlar」という地下鉄駅があります。
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内務省のビルの前の広場には1980年代に建てられた彫刻があります。ロケットのような尖塔とソヴィエトの宇宙飛行士、科学者、そして宇宙開発計画に貢献したウズベキスタン人に捧げられたレリーフが特徴的なダイナミックなコンクリートと金属の造形が印象的です。記念碑の前にはウズベキスタン生まれの著名な宇宙飛行士、ウラジーミル・ジャニベコフの像もありますが下車して観光することは出来ません。
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「イスラム・カリモフ博物館/White House (Islam Karimov) Museum」の博物館自体は非公開ですが、写真展やイスラム・カリモフの肖像画を展示したホールなど、オープンギャラリーとして機能しているようです。
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「ヒフ・アレーナ/Humo Arena」は多目的アリーナで、収容人数は旧ソヴィエト国家のうちロシアとベラルーシを除けば最大の12500名で、主にアイスホッケーなどで利用されます。
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「コスモナウトラル駅/Kosmonavtlar」の地下へ下りる階段の屋根が銀色に輝いています。
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「タシケント市議会議場/Tashkent City Congress Hall」の外装はガラスとアルミメッシュのダブルスキンの美しい建築です。
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数十年ぶりのタシケントの再生プロジェクトである新たな複合用途ビジネス地区の創設により、首都を国際舞台に再出発させようとしている意気込みを感じられます。
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「ハルクラル・ドゥストリギ駅/Xalqlar do?stligi bekati」の姿は以前に巡ったモスクワの地下鉄駅を思い出させます。
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「チョルスー・バザール/Chorsu Bozori」の特徴的なターコイズブルーのドームが見えました。近くには「タシュケント・サーカス」や「ハドラ広場」などのランドマークがあります。1966年の大地震後に再建されたブルータリズム・モダニズム建築の一部です。ブルータリズム建築は戦後の復興計画の中で1950年代にイギリスで出現した建築様式です。装飾的なデザインよりもむき出しの建材や構造要素を見せるミニマルな構造が特徴です。この様式は一般的に剥き出しで塗装されていないコンクリートやレンガ、角張った幾何学的な形状やモノクロームの色調を用います。モダニズム運動から派生したブルータリズムは1940年代の建築のノスタルジーに対する反動であると言われています。
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この建物は「ブニョドコル・スタジアム/Milliy Stadium」です。主にサッカーの試合に使用され、FCブニョドコルの本拠地でもあります。
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しばしバスで市内を走った後は「カラタシュ・レストラン/Qoratosh restaurant」でランチになります。
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かなり大きく高級なレストランといった感じがします。
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さすがにタシケントは大都会なので、今まで食事してきたレストランとは違います。ただ出てくる料理は同じような印象を受けます。
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ウズベキスタンやトルクメニスタンではソムサと呼ばれ、南アジアのサモサとは異なり、揚げることはほとんどなく焼いてつくられます。タンドールで焼くのが伝統的な作り方のようです。いつものようにサラダと一緒に出てきました。
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タシケントのナンを見ていたら「乙嫁語り」という漫画を思い出しました。興味のあるクリミア戦争の時代の中央アジアが舞台なので呼んでみたいと思ったままです。
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ようやく冷たい生ビールが来ました。「Žatecký Gus(ジャテツキー・グス)」というビールで、主に中央アジアやロシア周辺で販売されています。チェコのホップ生産地「ジャテツ」の名を冠していますが、ロシアの企業が製造しているラガービールです。
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シャシリクはトルコでよく食べていたケバブの中でも一番おいしいと言われるアダナケバブを思い出す味でした。個人的には椅子ケンダルケバブが好きなのですが。カッパドキアのギョレメの旅行会社に勤めていたアダナ出身の男性があだ名に行くなら絶対に食べてと言っていたことを思い出しました。
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いつもと同じようなありっさ・タルトが出てきましたが、スライスしたバナナが添えられているのがさすが首都の町タシケントです。
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バスは「ヤッカサロイ・モスク/Yakkasaroy Mosque」の駐車場に入ります。タシケントで見かける黄色い配管は都市インフラで、見た目は暖房管に見えることがありますが黄色はガス管として使われています。ロシアなどで見掛ける暖房管は断熱材で覆われているのでもっと太くなりますが、タシケントでは見かけませんでした。
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モスクの駐車場には墓参りや礼拝に来る人を狙ってドライフルーツを売りに来ている人がいましたが、暇すぎるのか奥の日陰で爆睡しています。
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モスクの裏手は広大な「ヤッカロイ墓地/Yakkasaroy Cemetery」になっています。ウズベキスタンの一般的なイスラム教徒の墓は土を盛った細長い土まんじゅう状になっていることが多いようです。墓の上に新しく盛った土が残り、頭側に墓標を立てる形がスタンダードなようです。
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ここへ来た目的は「日本人墓地/Japanese Cemetery in Tashkent」の参拝に来るためです。太平洋戦争の敗戦直後に満州と呼ばれた中国東北地方や樺太に駐留していた日本兵約57.5万人が武装を解除して投降した後に捕虜としてソヴィエト連邦内の各地に連行され、過酷な労働を強いられました。
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中央アジア地域のウズベキスタンにも約2万3千名の日本軍捕虜が移送され、同国の各地で建設事業に従事する長期的な抑留生活を送り、「日ソ共同宣言」で日ソ間の国交が回復して帰国する1956年までの間に880余名が亡くなっています。
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ヤッカサライの公営墓地の奥の一角に日本人抑留者共同墓地として整備されています。ここにはタシュケント市より79名、タシュケント地区墓地より8名、計87名の日本人が眠っているそうです。ソヴィエト時代は土を盛っただけでしたがウズベキスタン独立後に遺族関係機関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、敷地内奥にはこれらウズベキスタン各地に点在する13か所の日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されています。
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ヤッカサライ墓地に日本人が埋葬される経緯は墓地の横を走る鉄道工事に従事していた日本人抑留者が病気で亡くなり、この墓地に埋葬したことから徐々に亡くなった抑留者が埋葬されるようになったということです。
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現在は墓守をされている家族の3代目の方がいらして管理してくださっているということでした。いただいた線香を各自1本づつ立てて合掌してきました。母の従兄が京都の錦小路で魚屋を営んでいて可愛がってもらいましたが、その伯父もシベリアに抑留されていたことも思い出されました。
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続いてはバスで移動した「ナヴォイ劇場/Alisher Navoiy nomidagi opera va balet teatri」の前から観光がスタートします。
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劇場はアリシェル・ナヴォイにちなんで名付けられた国立アカデミック・ボリショイ劇場で、ウズベキスタンの主要なオペラおよびバレエの公園が行われています。
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1930年代にウズベクのミュージカル劇団2つとウズベク音楽劇団2つの劇団が「旧コリゼイ劇場」の建物で活動していました。ホールと舞台は主要な古典的および国民的公演には適しておらず、新しい劇場建物の建設が必要となり、劇場建設のプロジェクトを競うコンペティションが発表されました。
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レーニンによるロシア革命から30周年にあたる1947年11月までの完成を目指して建築を進められていましたが、第2次世界大戦が始まったために土台と一部の壁、柱などが造られた状態で工事が止まっていました。
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大戦後に捕虜として抑留していた旧日本軍兵士を労働力として活用し、革命30周年に間に合わせることを必達目標とし、建築作業に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣されました。
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劇場建設の仕事は班ごとに分かれて行われ、仕事内容は土木作業、床工事と床張り、測量、高所作業、レンガ積み、電気工事、鉄筋と鉄骨組み立て、ウインチ、足場大工、大工に左官工事、板金、建物が出来上がると電気配線工事、溶接、指物、壁などの彫刻など20種類くらいの職種ごとの班に分かれ効率的に作業を進めました。
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労働時間は規則正しく8時から12時、1時間の昼食休憩を挟んで13時から17時までの8時間だったそうです。休日は日曜、元日、メーデー、革命記念日で、食料は1日1人当たりの配給量が決まっており、ジャガイモは腐っている箇所が多いなど十分な量ではなかったようですが3食規則正しく出されました。工事中に亡くなったのは光緒からの落下による1名だけだったそうです。
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ご苦労は多かったのだと思いますが、戦前戦中の日本よりも労働環境の点だけでは良かったのではないかと思えてしまいます。
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我々一行を見送るように噴水が突然に始まりました。
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「コスモナウトラル駅/Kosmonavtlar」まで戻ってきました。ここからタシケントの地下鉄体験乗車になります。各駅の建築様式と装飾はその駅名を表現しているようで、タシケント地下鉄の特徴としてはモスクワと違い、各駅がかなり浅い位置に設置されていることが分かります。以前は駅構内での写真撮影は禁止されていましたが、2018年6月にこの規則が改正され撮影が可能になったそうです。モスクワは2015年頃だったと記憶しています。
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2017年の10月にモスクワと黄金の和とサンクトペテルブルグを巡るツアーに参加し、モスクワでの2泊は郊外のホテルから夕食後に抜け出して、モスクワの地下鉄駅巡りをしたことを思い出します。その時に見た夜の「赤の広場」の美しさは忘れられません。
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ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画「バイオハザードV リトリビューション」のモスクワシーケンスを観た印象が強かったのですが、長年モスクワの地下鉄には興味がありました。
モスクワ地下鉄1:https://4travel.jp/travelogue/11299342
モスクワ地下鉄2:https://4travel.jp/travelogue/11299760 -
タシケントの地下鉄は中央アジアでは最初に造られています。人口が100万人を超えると地下鉄を作るという決まりが旧ソヴィエト時代にはあったとガイドさんが説明してくれました。ソヴィエト連邦では7番目の地下鉄として1977年に開業し、タシケント地下鉄の駅は世界の地下鉄の中でもかなり凝った装飾がなされています。
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券売機はこのような形で1人3000スムで乗車することが出来ます。ガイドさんが全員分のチケットを購入しますが、1回に3人分までしか買えないみたいで時間がかかります。
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改札を通ってホームに向かいます。大理石をふんだんに使った重厚な造りが旧ソヴィエト圏の地下鉄だということを感じさせます。ハンガリーのブダペストでも同じようなことを感じた記憶があります。
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この駅は人類初の有人宇宙飛行を行ったソヴィエトの宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンと、女性として人類初の宇宙飛行を行ったワレンチナ・テレシコワを称えるために建設されたため宇宙をテーマとした内装となっています。
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この駅はウズベキスタン国家有形文化遺産不動産リストに登録されています。ホーム天井は天の川を模していてガラスの星が描かれています。
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ホームの壁にはウルグ・ベク、イカロス、ワレンチナ・テレシコワ、ユーリイ・ガガーリン、ウラディスラフ・ボルコフ、ウラジーミル・ジャニベコフを描いた円形の青い陶器のレリーフが飾られています。
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ツアーなので勝手に動けないのが残念ですが、ホーム全体にガリレオ・ガリレイ、スプートニク1号、ユーリイ・ガガーリンといった壁画が描かれているそうです。グラデーションになったタイルもとても美しいです。
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10分自由時間があったらプレートの写真全部撮れたのですが、列車がいつ来るか分からないので身動きは撮れません。
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ワレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコワは1963年6月16日にボストーク6号に搭乗し、女性として初の宇宙飛行を行いました。彼女は1963年6月16日にボストーク6号で単独ミッションを飛行し、宇宙に行った最初の女性でした。彼女は地球を48周し、宇宙でほぼ3日間過ごし、単独宇宙ミッションに乗った唯一の女性でもあります。
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1961年4月12日にガガーリンはボストーク3KA-2で世界初の有人宇宙飛行に成功しました。このときのコールサインは「ケードル(Кедр、ヒマラヤスギの意)」で、飛行中「祖国は聞いている」という歌を口ずさんで自分自身を元気づけていたといわれています。
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地上に無事帰還するとガガーリンは一躍「時の人」となり、国内での式典が一段落すると、ソヴィエトの宇宙計画の広告塔として世界を旅するようになります。1962年5月には日本を訪問し、東京など各地を回っています。
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テレシコワと記念に1枚写真を撮っておきます。
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入線してきた地下鉄の車両を見てびっくりしました。同じ車両をブダペストの地下鉄ホームでも見たことがあったからです。1978年から製造されているソヴィエト時代の81-717/714形という車両のようです。ロシア国内や旧ソヴィエト県内の国々の地下鉄で運用されています。
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ツアーのメンバーは年配者が多く、我々が乗り込むと席に座っていた若い方々が一斉に席を立って座らせてくださいました。ブダペストの地下鉄でも重たいトランクを階段で困っていると数人の若者が担いで運んでくれたことがありました。日本では母がヘルプマークを持って優先席の前に立っていても席を譲られることは無かったことも思い出します。
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ロシア語で書かれた「ウズベキスタン駅/Uzbekiston」の文字がカッコいいです。駅員さんの制服と赤いピルボックス帽はどこかで同じようなものを見た記憶があるのですが思い出せません。映画の中の1シーンだったのかもしれません。
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旧ソヴィエト圏の地下鉄車両では製造がソヴィエトだったこともあり、昔から天井の輪をたくさん下げるより縦棒や天井沿いの長い手すりで支える形式が広く使われてきました。
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「アリッシャー・ナボイ/Alisher Navoi」駅で下車しました。この駅は乗換駅なので乗降客の数も多いです。
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ホームの壁にはティムール朝詩人のアリシェル・ナヴォイの作品「ハムサ」に基づいたレリーフが飾られています。これはウズベク人画家のチンギス・アフマノフが手がけています。
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今回このタイプの車両に乗ることが出来ただけでもウズベキスタンに来た甲斐がありました。次にタシケントに来ることがあれば妻にナビをしてもらいながらデザインの素晴らしい駅を周りたいものです。多分断られると思いますが。
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両方のホームの乗降客が去った頃を見計らって乗り換え口に向かいます。
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登りのエスカレーターは2本ありますが、中央の物は人気が無いようです。隣のエスカレーターに乗る妻の写真を撮って遊んでみます。
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振り向いても誰も乗っていません。
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これまでずっと見てきたモスクやマドラサのドーム天井を飾っていたような模様です。
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アリシェル・ナヴォイはチャガタイ語による詩作を好み、チャガタイ文学の確立者と見なされています。
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ティムール朝を代表する文人であり、チャガタイ語を文章語として確立した功績より、ウズベキスタンではソヴィエト連邦からの独立前から高い評価を受けている人物だそうです。
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1441年にホラーサーン地方のヘラートでティムール朝の官吏ギヤースッディーン・キチュチネの子として生まれ、ティムール朝の王族フサイン・バイカラの乳兄弟として育ちました。
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ナヴァーイーとフサインは同じ私塾であるメクテブで学び、大人になった時に成功を収めた方がもう1人を助けると誓いを立てます。
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1447年にティムール朝の王シャー・ルフが没するとナヴァーイーの一家は混乱を避けてヘラートから退避します。ナヴァーイーとフサインはヘラートを本拠とする王族アブル・カースィム・バーブルに仕えましたが、1457年にアブル・カースィムが没すると、ナヴァーイーはマシュハドに移住しました。1469年にフサインがヘラートで政権を樹立した後にナヴァーイーはヘラートの宮廷に出仕します。
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ヘラートの宮廷でナヴァーイーは印璽官を務め、1472年にアミールの地位を授与されます。ナヴァーイーは多くの財産を有していたが家族を持たず、フサインや他の高官に金品を贈与し、私費を投じて福利施設を建設しました。また、多くのモスクや神学校のマドラサを建立しました。
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ナヴァーイーは他の政治家の悪政や腐敗を厳しく弾劾したため、フサインの側近と対立していきます。左遷されてアスタラーバードの長官として現地に赴任しますが許可を受けずにヘラートに戻り、辞職してヘラートに住み続けることをフサインに願い出ます。その後は官職を保持しませんでしたが、政界でなおも影響力を保ち続けました。
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メッカ巡礼を願い出たがフサインから治安の悪化を理由に延期を勧められ、1500年12月末にナヴァーイーは反乱の鎮圧から帰還したフサインをヘラート郊外で出迎えました。馬から降りたナヴァーイーは1人で歩くことができず、2人の家臣に支えられてフサインの元に近づきます。
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ナヴァーイーはフサインの手に口づけをした後に倒れこみ、ヘラートに運ばれ瀉血を施されたが効果は無く、1501年1月3日に没しました。死後に盛大な葬儀が行われ、フサインはナヴァーイーの自宅に3日留まって喪に服したということです。
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ナヴァーイーの作品はオスマン帝国の宮廷でも愛読され、後世の中央アジアのテュルク系諸民族からも人気を得ているそうです。1945年にウズベク・ソビエト社会主義共和国の作家ムーサ・アイベクはナヴァーイーの生涯を題材とした小説「ナヴォイ」を発表し、多くのヨーロッパの国で翻訳されて出版されました。
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ツアーのメンバーがトイレに行っている間に校内の壁面を覆っているレリーフの写真を撮りましたが、彼の作品などを全く知らなかったのが残念です。
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プロパガンダ的なレリーフなどばかりのウズベク・ソビエト社会主義共和国の時代に個人を称えるレリーフなどが良く造られたものだと思います。
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地下鉄2号線の「アリッシャー・ナボイ/Alisher Navoi」から1号線に乗り換えます。
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1号線の駅名は「パフタコール/Paxtakor」に変わるようです。
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階段のモザイクは松明を持ったアスリートが描かれており、これは近くに「パフタコール・スタジアム/Paxtakor Markaziy Stadioni」があることを示唆しています。1977年に芸術家のウラジミール・プルマキンによって制作されました。
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このくらいの規模なら半日あれば主だった地下鉄駅を見て周ることが出来そうです。
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ホームの柱はガズガン産の大理石で覆われ、プラットホームの壁と踊り場は芸術家ウラジミール・プルマキンによるエナメル画で装飾されており、床は灰色と黒色の花崗岩が敷き詰められています。
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この路線ではロシアのメトロワゴンマッシュ社製の新型車両91-765が導入されていました。
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ウズベキスタンの重要な産業である綿花の花をモチーフに幾何学模様にデザインされています。色彩はターコイズと黄色、白を基調にしたイスラム様式を感じさせます。、
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また違ったタイプの車両が入線してきました。この電車に乗って最終目的地に向かいます。
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「アミール・テムール・アレイ/Amir Temur Hiyoboni」で電車を降りました。プレキャストコンクリートが使用され、プラットホームの照明器具は梁に埋め込まれており、柱はヌラタウ山で採石した白い大理石で覆っています。
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壁はガズガン産の赤い大理石で覆われています。
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タシケントにも「Wendy's」があるようです。調べてみると市内に8店舗あることが分かりました。ここまでファストフードの店などは見掛けなかったので驚きです。マクドナルドも進出し始めているようです。
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この通路を通って地上に出ます。
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地上に出ると「ホテル ウズベキスタン/Hotel Uzbekistan」の建物が見えました。幾何学的な格子模様が印象的なソヴィエト時代のモダニズム建築として知られ、タシケントのランドマークの1つされます。
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外装全面を覆う反復的な格子は一般にはイスラーム圏やウズベキスタン建築で親しまれてきた幾何学装飾を思わせます。ここに来た目的は違うので1人別の方向の写真を撮っています。
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「アミール・ティムール広場/Amir Temur xiyoboni」の中央には「ティムール・アミール騎馬像/Amir Temur Monument」があります。
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ティムールはチンギス・ハンの子孫と称し、その事業を再現することをかかげてたびたび自らが軍隊を率いて遠征を行いました。まず1380年にイランに侵入してイスファハーンを占領し、すでに衰えていたイル=ハン国を吸収し、イラン高原に支配領域を広げます。さらに北西に向かってロシアに入り、旧キプチャク=ハン国の都サライを略奪してその領域も併合しました。
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1398年にティムールは方向を転じて南方に向かい、インドに侵入しトゥグルク朝の都デリーを襲撃しました。偶像崇拝のヒンドゥー教徒を甘やかしているインドのムスリム王権に鉄槌を下すという大義名分を掲げていましたが、狙いはインドの富にあり、デリー郊外でトゥグルク朝スルタンのマフムードの軍を撃破して翌日デリーを占領してしまいます。デリーで破壊と略奪を行い、わずか15日間とどまっただけで膨大な戦利品と多数の捕虜を連行してサマルカンドに向かいます。
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ティムールが出現して西アジアの大半を征服した頃に東アジアに登場したのが後の太祖洪武帝となる朱元璋でした。ティムールは明が元を滅ぼしてモンゴルを北辺に追いやったことに対し復讐を宣言し、明で太祖洪武帝が崩御し、靖難の役の内乱が勃発したことからアンカラでも戦いから20万の大軍を東に向けてパミール高原を越えて進軍します。モンゴル帝国の再現をめざすティムールと中華帝国の建設をめざす永楽帝という英雄同士の戦いとなるところでしたが、ティムールは途中のオトラルで1405年2月18日に病死したために対決は実現しませんでした。その墓所は先日サマルカンドで見学した「グリ・アミール廟」です。
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「国際フォーラムパレス/Palace of International Forums Uzbekistan」のドーム屋根の上にはコウノトリの姿が見えました。これでタシケントの観光も終わり、それと同時にウズベキスタンの観光も終わりになります。
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帰国便は深夜になるので最後に夕食を食べてから空港に向かいます。
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あっという間の旅でしたが長年の思いが叶った充実感もあります。残念なのは長年個人旅行で来たかったのがツアーになってしまったことでした。
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「ザッフェラーノ/Zafferano」というレストランで最後の食事になりました。
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サマルカンドでは飲めなかったサマルカンドで醸造されている「シファトリ/Sifatli」と最後に出会えました。
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各地で食べて美味しかったキャベツの甘酢漬けのサラダともこれでお別れです。
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最期の食事はラグマンでした。これでウズベキスタン料理も食べ収めです。さすがに1階の韓国料理以外はウズベキスタンの料理ばかりだったので、この後の機内食の中華料理が楽しみになってきます。
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楽しかったツアーの方々との時間もあとわずかです。
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「タシュケント国際空港/Toshkent Xalqaro Aeroporti」に着きました。チェックインカウンターまでガイドのオシムさんと一緒に移動します。
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