2026/05/15 - 2026/05/15
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kojikojiさん
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「マリカ・ヒバ・ホテル/Malika KHIVA Hotel」で一休みした後は「イチャン・カラ/ Ichan Qa'la」の見学になります。中央アジアや西アジアの都市に見られる城壁に囲われた市街地の形態を指し、この内城に対して「デシャン・カラ」という外城もありますが、このヒヴァではほとんど残っていないようです。「イチャン・カラ」は東西約450メートル、南北約650メートルに広がり、やや東に傾いた長方形をして、城壁の高さは7メートルから8メートル、壁の厚さは5メートルから6メートルで全長は2.2キロにも及びます。到着した早々ですがこの日は「イチャン・カラ」の中を昼食を挟んで6時間観光することになります。まずはホテルから近い「オタ・ダルヴァサ門/Ota darvoza」から旧市街の中に入ります。ここから中は有料エリアになりますが、チケットはすでにガイドさんが購入してあります。レンガ造りの門でありながら現代的な機械のゲートが組み込まれているのが面白いです。門の両脇には2つのドームがあり、かつては門番の居住区であったようです。最初の見学は「ムハンマド・アミン・ハン・マドラサ/Muhammad Amin Xon Madrasasi」で、ムハンマド・アミン・ハンは1851年にマドラサ建設のコンペティションを発表しました。この当時のヒヴァのハーンたちにとってメドレセの建設は神聖な義務とされていました。ヒヴァには20のマドラサ(神学校)があります。マドラサ(Madrasa)とはイスラム世界における学院で、元々は単純にアラビア語で「学ぶ場所、学校」を意味するだけでしたが11世紀に制度的に確立し、イスラム世界の高等教育機関として広く普及しました。ヒヴァでも一番大きなこのマドラサは現在は「オリエント・スター・ヒヴァ/Orient Star Khiva」というホテルになっていました。1泊100ドルから150ドルくらいで泊まれるようですが、たくさんのツアー客が見学しているので日中は落ち着かなさそうです。ただ当時の寄宿舎に宿泊できるのには魅力も感じます。次は「クニャ・アルク城塞/Ko?hna Ark」の夏のモスク「マスジド・イ・アルク/Masjid-i-Ark」に向かいます。ここはホラズムの暑い気候に適応したイスラムの宗教建築を完璧に体現しています。広々とした開放的なアイヴァン(アーチ型のポーチ)は風を取り込み、石の台座の上に立つ細身の彫刻が施されたニレの柱で支えられています。壁面は青と白のタイルで覆われ、精緻な幾何学模様と花模様が描かれています。赤、緑、黄色の格間が装飾された彩色された木製の天井は陶器の青い色調と美しいコントラストを成しています。壁の奥にはカリグラフィーの碑文で飾られたミフラーブ(礼拝の壁龕)があり、優雅な彫刻が施された木製のミンバル(説教壇)が添えられています。中庭にはレンガを積み上げた円形の基壇がありますが、これはユルトと呼ばれる遊牧民の組み立て式テントを建てる場所です。改めてウズベキスタンが遊牧民族の国で、シルクロードの一部であったことを感じま。午前中の観光はここまでで、旧市街の中にある「ティーハウス・ミルザボシ/Tea House MirzaBoshi」というレストランで昼食になります。ウズベキスタン最初の食事は3種類のサラダに肉団子のスープ、メインはブロフでした。野菜メインのメニューはこの後も続き、ウズベキスタン料理が気に入りました。長年からの淘汰で肉類はチキンとビーフだけで、好き嫌いのある羊肉料理が食べられないのは少し残念ではありました。早めにレストランを出て近くを散策しているとハトナ・キリシュ、またはスンナット・トゥイと呼ばれる古くから伝わる割礼の儀式帰りの家族が数組歩いているのを見掛けました。5歳になった男の子は両親に手をひかれて泣きながら歩いているのが可愛そうでしたが、王様のような衣装がカッコよかったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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午前10時にチェックインした「マリカ・ヒバ・ホテル/Malika KHIVA Hotel」の部屋で一休みして出掛ける準備もします。
Malika ホテル
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現代の建物でも建具屋扉は伝統的な木製のものが使われています。表面には美しい彫刻まで施されています。ウズベキスタンの木製扉はオアシス都市に古くからあった木工文化とイスラム建築の装飾文化が重なって発展してきました。砂漠地帯でありながら「フェルガナ渓谷」など一部の地域では良質な木材がとれ、柱や扉、家具などの木工が盛んです。
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シルクロードの交易都市が栄えた中世以降、モスクやマドラサ、キャラバンサライなどの入口に、幾何学や植物文様をびっしり彫り込んだ木製扉が使われるようになります。
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ホテルから数分で「オタ・ダルヴァサ門/Ota darvoza」に着きます。ガイドさんがチケットを買い求める間近くで待つことになります。
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「イチャン・カラ/ Ichan Qa'la」は中央アジアや西アジアの都市に見られる城壁に囲われた市街地の形態を指し、この内城に対して「デシャン・カラ」という外城もありますが、このヒヴァではほとんど残っていないようです。
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ヒヴァの「イチャン・カラ」は東西約450メートル、南北約650メートルに広がり、やや東に傾いた長方形をして、城壁の高さは7メートルから8メートル、壁の厚さは5メートルから6メートルで全長は2.2キロにも及びます。
オタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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門の両脇には2つのドームがあり、かつては門番の居住区であったようです。長年妻が来たがっていたウズベキスタンへようやく来ることが出来ました。この勢いでカザフスタンのツアーも申し込んだら行きたくないと怒られました。
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「ヒヴァ/Khiva」は16世紀初頭から20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都でした。明日移動する「ブハラ/Buxoro」と並ぶ中央アジアの宗教都市であり、アルクと呼ばれる城郭の中には20のマドラサ(神学校)、20のモスク(寺院)、マスジッド(霊廟)と6基のミナレットなど50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残っています。
イチャンカラの城壁 史跡・遺跡
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この日は金曜日ということもあり、小学生の社会科見学が多いようでした。ガイドさんによると入場も無料になるそうです。先生が生徒を並べて記念写真を撮っている姿に自分の子供の頃を思い出しました。
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城壁の外側からでも巨大な「カルタ・ミナール・ミナレット/Kalta Minor Minaret」が見えています。ミナレットの基礎は15メートル、直径は14.5メートル、高さは29メートルですが、この巨大な塔は当初計画された高さの3分の1に過ぎません。
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ガイドさんが戻って説明された後は「オタ・ダルヴァサ門/Ota darvoza」から「イチャン・カラ/ Ichan Qa'la」に中に入ります。ゲートに人がいるのは午前8時から午後8時までで、それ以降は自由に出入りすることが出来ます。
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門を入った先には手作りタイルの大きな案内図がありました。現在地は地図の下側の中央です。一見すると南のように思ってしまいますが、「オタ・ダルヴァサ門/Ota darvoza」は西門になります。
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ガイドさんの被っている帽子はチョギルマ(Cho?girma)というもので男性が夏に被るものです。直射日光の熱を遮り目の前に被る羊毛は砂を遮るそうです。1つ20ドルと聞くと欲しくなってしまいますが、持ち帰っても絶対に使い道が無いので諦めました。でもどこかで被って写真を撮ると心に決めました。
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その横には生後間もない子羊の毛皮を使った帽子も売っていました。これは伝統的なものではありませんが、こちらは冬被ると温かいそうです。これも20ドルということでしたが、ちょっとかわいそうな気がして買えませんでした。
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ヒヴァの町の女性たちが毛糸で編んだルームシューズも売っていました。同じようなものを母がずっと編んでいたので懐かしく思いました。病気の事を考えると夜に眠れなくなり、夜通し編み続けていました葬儀の際には家に残されていた数百個を籠に入れて参列された方に持ち帰ってもらいましたが人気があって皆さんに使ってもらえました。
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ウズベキスタンの人形劇の伝統は古く、紀元前6世紀から4世紀のアケメネス朝の時代にまで遡ります。14世紀になるとティムールとティムール朝の統治下で広く普及しました。長年にわたりさまざまな種類の人形が作られ、特にファントッチーニ人形と手袋人形が人気があったようです。
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プラハやブリュッセルでは子供に交じって楽しみましたし、ミャンマーでは人形工房を訪ねたり各地の劇場にも通い、最後にはヤンゴンでストリングの操り方を学びました。
ヤンゴンの劇場:https://4travel.jp/travelogue/10944093 -
製作途中の人形の頭も売っているようでした。子供の頃に両親に「人形劇団プーク」に連れて行ってもらっていたせいか人形劇にはかなり興味があります。
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1855年にヒヴァの統治者ムハンマド・アミン・ハーンが殺害されたため、計画されていた高さ70メートルとも110メートルとも言われる壮大なミナレットの建設は中止されました。建築家の計画によれば広い基礎は耐久性を高め、上部は負荷を軽減するために細くなる予定でした。しかし塔は未完成のままとなり、現在では「短いミナレット」を意味する「カルタ・ミナール/Kalta Minor Minaret」と呼ばれています。
カルタ ミナル 建造物
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その横には「ムハンマド・アミン・ハン・マドラサ/Muhammad Amin Xon Madrasasi」が建っています。こちらは3年で建設されたので「カルタ・ミナール/Kalta Minor Minaret」とは違い完成されたようです。
ムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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初めて見るウズベキスタンの青いタイルです。タイルについては2024年の11月にポルトガルを4週間かけて旅をして多くの事を学んできました。切断したタイルを組み合わせて1枚のタイルにするアリカタ―ド(Alicatado)と呼ばれる古代の技法で埋められているのかと思いましたが、普通に手描きされたマヨルカタイルを組み合わせたものでした。
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ただ、平面のタイルを曲面に組み上げていく技術や幾何学模様の組み合わせや唐草模様の美しさに魅了されます。
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タイルは何度も修復されているようですが、その時代によって色合いが違うようです。残されたタイルがあれば修復することが可能なことに魅力を感じます。「サマルカンドブルー」と呼ばれる装飾タイルの青はコバルト鉱やラピスラズリ、銅、マンガンなどの鉱物を使って作られます。
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「イワン」と呼ばれるイスラム特有の玄関ホールの扉から中の見学に移ります。
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ニレはウズベキスタンではモスクの柱や扉や家具などに広く使われてきた木です。比較的柔らかく彫刻しやすい一方で腐りにくくて丈夫なため、細かい文様を彫る伝統木彫にとても向いているそうです。ウズベキスタンはもともと乾燥地帯ですが、川沿いや灌漑地域には広葉樹の植林が行われ、ポプラや楡などの樹種が防風林や農地周辺に植えられていました。
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元々は神学校だった建物は「オリエント・スター・ヒヴァ/Orient Star Khiva」として営業していました。フロントから中庭に向かう廊下は「ガンチ/Ganch」と呼ばれる装飾漆喰で覆われています。
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作業を始める前に職人は素材を精製して焼成して他の材料と混ぜ合わせます。その後に画面となる壁を2層の石膏で覆います。最初の層は数分で硬く降下するもので、2番目の層はかなり長い間柔らかいままになります。職人はこの2層目に村れた表面に紙に描いた型紙で模様を写し取ります。次の段階はメス、ナイフ、スクレーパーなどの特殊な器具を用いて、非常に慎重に装飾品を彫刻していきます。
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継ぎ目のない美しい模様にため息が出ます。中国の彫漆(ちょうしつ)は素地に朱や黒などの色漆を数十回から百回以上塗り重ねて厚い層を作り、その層を彫刻して文様を浮かび上がらせる漆芸技法で、堆朱(ついしゅ)や剔紅(てっこう)とも呼ばれます。その工芸にも通じる技法に驚きを感じます。
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廊下を抜けると巨大な中庭が広がり、たくさんの桑の木が植えられています。その桑の木には黒や赤や白い実が生っています。まさにシルクロードのど真ん中にいることを実感させられます。
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中庭の周りには小さな部屋がいくつも並んでいます。元々は神学校の寄宿舎だった部屋はそのままホテルの客室になっています。
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彫塑チェックアウト後の清掃の時間だったので部屋の中を覗くことが出来ました。奥にはバスルームがあり、さらにその奥はテラスになっているようです。
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ウズベキスタンでよく食べられる「トゥトゥ」と呼ばれる桑の実の白いものは生まれて初めて食べました。日本では黒っぽいものしかないように思いますが、父の生家が養蚕も行っていたので桑の木もありました。そんな思い出と共にシルクロードの一部に来ているのだと実感します。
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シルクロードについて興味を持ったのは「NHK特集 シルクロード」という番組を観てからでした。「シルクロード第2部 ローマへの道」編の「草原の王都 ~サマルカンド・ブハラ」を旅してると思うと感慨深いものがあります。
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年内にはカザフスタンから天山山脈を望み、できれば来年あたりに15日間くらいのシルクロードのツアーを探して旅したいと思います。残念ながらJTBとかでは無さそうなので、ユーラシア旅行のパンフレットを取り寄せようと思います。
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タシケントには「チンネバザール/Chinnibozori」という陶器の市場があるそうですが、今回はそんな時間はありません。チンネとはチャイナの事で陶器を意味します。どこかで陶器は買い求めたいと思っているので露天で売っているものも目を凝らして見ておきます。
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同じ陶器でもお土産物屋には必ずババイチク(Babaychik)というおじいさんの人形も売られています。ババイ(Babay)というタタル語から由来し、「おじいさん」と言う意味があるそうです。
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かわいらしくてチャイハネの風景などウズベキスタンらしいのですが、家に置くとなるとちょっと考えてしまいます。
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「ムハンマド・ラヒム・ハン・マドラサ/Muhammad Rahim Khan Madrasah」
のある広場までやってきました。1876年にヒヴァの統治者であり詩人でもあるセイイド・ムハンマド・ラヒム2世によって建てられたこのマドラサは76の学生部屋を擁する巨大な建造物です。この中には入りませんでしたが、日影に立って対峙する建物を見渡します。 -
「クフナ・アルク/Kohna Ark」は17世紀にヒヴァのハンであるムハンマド・エレンケによってヒヴァ・ハン国の行政中心地として建てられました。その後、要塞は拡張されて100年後にはハーンのモスク、邸宅、最高裁判所、火薬工場、兵器庫、造幣所、ハーレム、厨房、厩舎などの建物が収容されました。
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威圧的なレンガの壁の中央には門がそびえ、左右には美しいタイル張りの塔がそびえています。今回ウズベキスタンで見た中で一番美しい門だと思います。
キョフナ アルク 城・宮殿
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禁煙に修復されていると分かっていても建設当時と同じ技法で作られた美しいタイルで覆われているので違和感は感じられません。
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砂漠地帯のオアシス都市で水の確保が歴史的に最重要課題でした。「イチャン・カラ」の伝承では、「ヒヴァの聖なる水路 Xeyvak 運河はノアの息子シェムが掘った」とされ、水源や水路が街の成立そのものと深く結びついています。
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ヒヴァ周辺を含むイラン高原から中央アジアでは古くから「カナート qanat/カリズ kariz」と呼ばれる地下水路システムが発達しました。これは山麓などに掘った「母井戸」から地下トンネルと多数の縦穴で水を導き、オアシスの畑や町に重力だけで給水する仕組みです。モロッコでは灌漑施設ハッターラの中に入って水路を見学をしたことを思い出します。
灌漑施設ハッターラ:https://4travel.jp/travelogue/11897364 -
門を潜るといきなり発掘途中の遺跡のような様子に驚かされます。
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係員の方は手持無沙汰なのかおしゃべりしている人も多いですが、このように毛糸でルームシューズのようなものを編んでいる人も多かったです。民族色の濃い服がとてもきれいだったので写真を撮らせていただきました。
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正面玄関の門を抜けて右に曲がると、1838年に建てられた夏のモスクの美しいタイル細工が見られます。屋外で美しい青と白の植物モチーフタイルと赤、オレンジ、金の屋根が特徴です。
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タイルは地元の職人イバドゥッラーとアブドゥッラー・ジンによって作られ、彼らはタシュ・ハウリやパフラヴァン・マフムード霊廟の大部分も装飾しました。
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これまで旅したイスラムの国々はモロッコ、チュニジア、エジプト、トルコ、スペインのアンダルシアに残された遺構くらいしか見てはいませんが、ウズベキスタンのタイル装飾の素晴らしさを実感します。
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ニレの木はウズベキスタンで「エルム」と呼ばれ、モスクの柱や扉、家具などに広く使われいます。比較的柔らかく彫刻しやすい一方で腐りにくく丈夫なため、細かい文様を彫る伝統木彫にとても向いているようです。
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荒涼とした大地の広がるウズベキスタンではこのような木材が手に入るところは限られており、とても高価なものだそうです。
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透かし彫りの入った扉も時代を感じさせます。北アフリカのマグレブの国々では扉をペンキで美しく塗りつぶす習慣がありましたが、ウズベキスタンではほとんどが木地のままで、一部保護用にニスが塗られているくらいでした。青いタイルには木地のままの方が合うのは間違いないと思います。
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ポルトガルを旅した際はキリスト教屋ギリシャローマの神話に由来するアズレージョタイル多かったのでいちいち題材が何なのか読み解いたりする必要がありましたが、イスラム教のタイルの場合は人間が描かれることはなく、幾何学模様か花鳥を描くことがほとんどなので気が楽です。
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ホラズムのハンの住居として機能していた内部には美しく飾られた謁見室や政務室が設けられています。
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中庭にはレンガを積み上げた2つの基壇が設けられています。ここは格好のお土産物売り場になっています。
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「クフナ・アルク」の城塞の夏のモスク「マスジド・イ・アルク」はホラズムの暑い気候に適応した宗教建築を完璧に体現しています。広々とした開放的な「アイヴァン(アーチ型のポーチ)」はそよ風を取り込み、張り出した屋根は石の台座の上に立つ細身の彫刻が施されたニレの柱で支えられています。
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壁面は青と白のタイルで覆われ、精緻な幾何学模様と花模様が描かれています。赤、緑、黄色の格間が装飾された彩色された木製の天井は陶器の青い色調のタイルと美しいコントラストを成しています。奥にはカリグラフィーの碑文で飾られたミフラーブ(礼拝の壁龕)があります。
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その脇には優雅な彫刻が施された「ミンバル(説教壇)」が添えられています。広さからも大勢いが礼拝をおこなうモスクではなく、かなり個人的なモスクだったであろうことが想像されます。
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木製の屋根は6本のニレの木の巨木で支えられています。
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支えられた屋根の天井は精巧な装飾で覆われています。色遣いなどはチベット仏教にも通じるような印象を受けました。
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13世紀前半、ウズベキスタンの辺りはチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国の侵入を受け、彼らの後継者は中央アジアの幾つかの地域においてペルシア語話者たちを追い出すこととなります。ティムールの統治の下のマー・ワラー・アンナフルは最後の文化的繁栄を始め、チベット仏教との交流もあったのでしょうか。
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今まで旅してこなかったヨーロッパとアジアの国々の間を初めて訪れてたった1日ですが、いろいろなものが繋がってくるような気がしました。
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もう1つのモスクは建物の中に設けられ、小さなシンプルなミフラーブがあります。床に敷かれた絨毯の柄はトルコのキリムやジジムに見られる模様と共通するものを感じます。24年前にカッパドキアのギョレメで知り合った友人にたくさんのことを教わって良かったと感じます。
ギョレメのメフメット:https://4travel.jp/travelogue/11568143 -
このようなタイプの木製の「ミンバル(説教壇)」は初めて見ました。
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ここにも美しく彫刻が施されたニレの木の柱がありました。
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午前中の見学はここまででお昼を食べることになりました。町中には昔使っていた荷車がそのまま置かれたりしていて、時間が止まったままのように感じられます。「イチャンカラ」の中には車もバイクも一切走っていないのもそう思える理由かもしれません。最新式の文明は数十年は乗られているであろう古い自転車とスマホくらいです。
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「シルクロード・スクエア/Silk Road Sculpture」の近くにある「ティ―ハウス・ミルザ・ボシ/Tea house Mirza Boshi」がこの日のレストランでした。
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シンプルな外観と違って店内はずいぶんおしゃれなインテリアです。ここは日本のツアー御用達のようでトラピックスや個人ツアーのお客さんも来ていました。もちろん欧米人の団体の姿もありました。日本のツアーではどこの会社を選んでも、現地のランド・オペレーターは同じようです。
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美しいウズベキスタンの陶器のショープレートを見ると今回もお皿を買って帰らないとと思ってしまいます。
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日本で「ナン」というとインド料理屋で食べることができる小麦粉を発酵させて伸ばしてタンドールで焼いたものを想像しますが、旧ソ連の中央アジア5か国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)で常食としているナンは丸く円盤状でかなり固めのパンのことです。レストランでは食べやすいようにカットして出されます。
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今回のツアーでは最初の3品4品のサラダは4人で取り分けることが多かったです。この後も野菜を使った料理を毎日のように井田描きましたが、どこで何を食べても美味しかったです。
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これはサラダというよりも浅漬けのような感じですが、ガーリックとディルなどが効いていてとても美味しいです。
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こちらはカリフラワーの甘酢漬けのようなサラダで、こちらにもディルが入っています。ちょっとインドを思い出すような味わいです。現在のウズベキスタン出身でティムール朝の王族である戦士バーブルが1526年の第1次パーニーパットの戦いでデリー・スルターン朝のイブラーヒーム・ローディーを破り、上インドの平原を制圧して建国したのがムガル帝国なのでつながりがあるのかもしれません。
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このナスを使った料理もめちゃくちゃ美味しかったです。こちらはディル以外にコリアンダーも入っています。
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今回のツアーは16人で夫婦で参加が4組と1人参加の方が8人といった組み合わせでした。ツアーとしてはちょうどいい人数と言えると思えます。ツアーのレストランでの飲み物の料金は気になるところですが、ビールは50,000スムでした。酒屋では1本19,000スムで買うことが出来ます。
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続いてフリカデルキのスープです。肉団子を意味するロシア語のようです。牛肉のいい出汁が出ていて、ジャガイモとニンジンも柔らかく煮込まれていてシンプルな美味しさです。
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そしてメインはウズベキスタン料理の「プロフ」です。羊や牛などの肉と玉ねぎ・にんじん・米を大量の油とスパイスで一緒に炊き上げるピラフ風の炊き込みご飯です。油の量は町によって違いがあるようでヒヴァの場合はほとんど油っけは感じません。ツアーの場合は好き嫌いがあるという理由で羊肉が出てこないのが残念です。
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デザートはメドヴイック(Medovik)でこの後も各所のレストランで出てきました。メドヴイックは多層仕立てのはちみつケーキでウズベキスタンやロシアなど旧ソ連圏の国々で作られます。はちみつはパンやお菓子作りではよく使われて、生地のパサつきを抑えてしっとりさを与えてくれるようです。
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食事の時間は十分すぎるほどあり、表にあるレストランのトイレに行ったついでに辺りを歩いてみました。レストランのすぐ横は広場になっていました。
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「シルクロード・スクエア/Silk Road Sculpture」には音楽家の集団の像やレスリングをする男たちの像などが置かれ、木々と草花が手入れされていて気持ちの良い広場になっています。
シールガーズィ ハーンのマドラサ 寺院・教会
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周囲にはレストラン以外にもいくつかのお土産物屋がありますが、「ヤクバイ・ショジャ・マドラサ/Yoqubbay xoja madrasası」に入ってみます。1873年に男子のための宗教学校として設立されたこのマドラサは、ティムール朝の建築様式を特徴としています。
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小さい中庭には日差しを避けるための葦簀のような屋根が設けられて直射日光を遮っています。そこには手織りの絨毯やスザニが並べられています。
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周囲の寄宿舎であったであろう部屋はそれぞれ工房になっています。
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ヒヴァで買い物するならここだと思いましたが、集合時間が迫っているので夜にまた来ることにします。実際は夕食後に来たら店仕舞いの時間だったので買い物することは出来ませんでした。ツアーであれば午後の観光の後にホテルに戻る前でないと個人での入場券を持っていないのでタイミングを逃します。
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割礼を終えた子供たちの一団がレストランの前を通りました。ハトナ・キリシュまたはスンナット・トゥイは古くから伝わる割礼の儀式です。この儀式の準備は男の子が生まれたときから始まります。家族のメンバーはキルトやカバーや衣服を縫って儀式に備えます。割礼は通常では男の子が3歳、5歳、7歳、または9歳のときに行われます。
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儀式の開始前には年長の男性やイマームと呼ばれるイスラム指導者、親族がクルアン(コーラン)を朗読して祝福と願いを述べます。その後は親戚や近隣の人々から贈られた新しい衣服が男の子に着せられます。続いて「タクラル」と呼ばれる小さな儀式が行われ、女性たちが胸に枕や毛布を抱えて登場します。
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儀式の締めくくりとして伝統的なウズベキスタン料理であるプロフが振る舞われ、ダンスが披露されます。また、男の子にはお金(富)、お菓子(繁栄)や高価な衣服、武器などの象徴的な贈り物が贈られる習慣があります。当事者にとっては痛い儀式だったようで何院化の男の子は泣きじゃくっていました。
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