2026/05/18 - 2026/05/18
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kojikojiさん
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午前9時にホテルを出発し、早朝に歩いた通りをあっという間に通過していきます。「アミール・ティムール座像/Amir Temur Monument」も素通りして、「グーリ・アミール廟/Amir Temur maqbarasi」の駐車場でバスを降ります。ここはトルコ・モンゴル征服者ティムールの霊廟で、ティムールの子孫であるムガル帝国によって建てられた後のムガル時代の墓、デリーの「フマユーン廟」、アグラの「タージ・マハル」など後のムガル時代の墓の先駆けとなり、影響を与えたとして、トルキスタン建築史において重要な位置を占めています。その子孫の1人バーブルが16世紀にインドでムガル帝国を建国し、「ティムール家」の血統をインドに引き継ぎます。タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンはそのムガル帝国第5代皇帝で、系譜上はティムールの子孫にあたります。ガイドさんの説明を聞いているとまた自分の中で点と点が結ばれたような気がしてきます。それと同時に「フマユーン廟」と「タージ・マハル」を見た後にここへ来て良かったなと思いました。グル・エ・アミールはペルシア語で「王の墓」を意味します。この青いドームを持つ建築群にはティムール王とその息子シャー・ルクとミラン・シャー、孫のウルグ・ベグとムハンマド・スルタンの墓があります。複合施設の最も古い部分は14世紀末にムハンマド・スルタンの命令で建設されました。現在はマドラサとハンカの基礎、入口のポータル、そして4つのミナレットのうち1つの一部だけが残っています。完成形は表に置かれた模型で確認でき、高い塀で囲まれていたことはイワーンの側面に残された崩れたレンガからも分かりました。霊廟の建設自体はティムールの孫であるムハンマド・スルタンの突然の死後の1403年に始まりました。ティムールはアクサライ宮殿近くのシャフリサブズに自分のための小さな墓を建てていましたが、ティムールが1405年に中国への軍事遠征中に亡くなった際にシャフリサブズへの峠は雪で塞がれたために彼はここに埋葬されました。ティムールのもう1人の孫であるウルグ・ベグがこの作業を完成させました。彼の治世中にこの霊廟はティムール朝の家族の地下納骨堂となりました。午前中の1つ目の見学だけで頭の中が飽和状態になりそうです。今回のガイドさんはうサマルカンド大学で歴史を学び、筑波大学の大学院でも学んだ方なのでものすごい博識で与えられる情報が半端ありません。それでも覚えている断片をつないでこの旅行記を作っています。さらに彼のお父さんはサマルカンドの有名なタイル職人で、これから行くレギスタン広場を始めウズベキスタン中のモスクやメドレセを修復した方です。彼自身も子供の頃から修復現場でいろいろ学んでいるのでただ騎乗で学んだだけの話しでないこともすごいと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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午前9時にホテルを出発して終日のサマルカンドの観光に出掛けます。プラタナス並木の公園には何人もの清掃員の方の姿が見えました。
ホテルシティサマルカンド ホテル
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早朝の散歩でもきれいに掃除が行き届いていると感じましたが、通りにも掃除が入っています。イスラム教の考えに基づく清掃の計画が行われていると思いますが町中は何時もきれいに保たれています。
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先ほど通った「サマルカンド州立大学/Samarqand davlat universiteti」も通学の時間になったようで学生の姿が見えました。
マリカ プライム ホテル
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この日の最初の観光地の「グル・エ・アミール廟/Amir Temur maqbarasi」の駐車場で洗車していたバスのナンバーは777でした。ガイドさんに聞いていた話では777は人気なようで、スマホアプリでも売買がされていました。777の後のアルファベットも7に似ているZZZがさらに人気だそうです。
ルハバット廟 史跡・遺跡
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「グル・エ・アミール」はペルシャ語で「王の墓」を意味します。この青いドームを持つ建築群にはティムール王とその息子シャー・ルクとミラン・シャー、孫のウルグ・ベグとムハンマド・スルタンの墓があります。
アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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霊廟の建設自体はティムールの相続人である孫のムハンマド・スルタンの突然の死後の1403年に始まりました。
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元々は霊廟全体を高い壁で覆っていましたが、現在は切り取られたようにイワーンの部分だけが残されています。先程はこのゲートの手前まで来ましたが、中の見学は入場料が必要だったので中には入りませんでした。
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ムハンマド・スルターンの墓へと続くイワーンには彫刻が施されたレンガや様々なモザイク模様で豊かな装飾がなされています。イワーンの装飾は熟練された職人 (Ustad) のムハンマド・ビン・マフムード・エスファハーニー (Muhammad bin Mahmud Isfahani)により作成されました。
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廟正面のイワーン外側の壁が小さく設計されているため、奥にあるドームの高さが強調されているのが分かります。
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「グーリ・アミール廟」は外部から見ると1つのドーム状の建築物に見え、その構造の単純明快さと外観の荘厳さで有名な建物だそうです。建物は青色のドームが建物の上部に付属したような構造となっています。
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早朝には誰もいなかった霊廟ですが、規模も小さいので午前中からかなり混みあっています。もともとこの建物は霊廟としてではなくメドレセ(神学校)として建てられ、向かって右側に2階建てのハナカ(聖職者の宿舎)が、左側にメドレセが建っていました。
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イワーンのニッチになった内側の「鍾乳石装飾(ムカルナス)」は蜂の巣状や鍾乳石状の三次元幾何学装飾を指しますが、この霊廟のものは真っ白にも見えますが、よく見ると青い点線と金色の幾何学模様で覆われています。
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これまではスペインのグラナダの「アルハンブラ宮殿」の「二姉妹の間」が一番美しいと思っていましたが、このムカルナスは今回見たものの中では一番美しく感じました。
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下をくぐってきた入り口のイワーンを振り返るとここにも美しいタイルで覆われたムカルナスがあります。
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こちらのムカルナスのモザイクタイルも修復はされていますが、完成度は高いと思います。残念なのはこの日は曇天だったためにサマルカンドブルーと呼ばれる青さは感じられませんでした。
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イワーンのフレームに施された帯状のタイルも一番手間のかかるモザイクタイルになっています。イスラム教では宗教空間で人や動物の姿を描くことが慎重に避けられ、その代わりとして緻密な幾何学パターンや植物を抽象化したアラベスク、書道的な文字装飾が発達しました。これらが組み合わさって無限に続くようなパターンが「神の無限性」や「宇宙の秩序」の象徴としています。
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奥のイワーンの下には完成した当時の模型が置かれてありました。青いタイルで覆われた部分が現在残された部分で、茶色い部分の建築は破壊され失われています。
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ティムール朝は中央アジアのマー・ワラー・アンナフル(現在のウズベキスタン中央部)に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝です。
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その最盛期の版図は北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇しました。
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ティムール朝の王族の1人のバーブルはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てました。ガイドさんの話しはムガル帝国についての説明へと続くと以前に旅したデリーの「フマユーン廟」や「タージ・マハル」へと繋がっていくことを感じます。
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ムガル帝国の帝国構造は最後の皇帝アウラングゼーブが死去した直後の1720年まで続き、その間に帝国の地理的範囲は最大となっていきます。その後の東インド会社がインドを支配していた時代にはオールドデリー周辺に縮小され、1857年のインド大反乱を機にイギリス領インド帝国によって正式に解体されていきます。
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今回のウズベキスタンの旅の後はインド北部カシミール地方のラダック・レーの旅が控えています。このサマルカンドからヒマラヤを越えてデリーに至ったルートを地図で見ると次の旅は楽しみになってきます。
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「グーリ・アミール廟」の内部には壁に多様な装飾が施された大広間があります。壁の下段には切りだされた一枚岩のメノウが使用されています。
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内部の施されたムカルナスには金彩が多く施され、外部よりもさらに豪華な雰囲気を醸し出しています。厳粛なる霊廟の雰囲気を感じますが、入場できるところは人で埋め尽くされています。この霊廟だけで合計3キロもの金が使われているそうです。
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オニキスの壁の上部は「パピエ・マシェ(紙塑)」という技法で仕上げられています。パピエ・マシェとはいわゆる「紙の彫刻」のように立体的に盛り上がった装飾で、全面が金と青を中心とした花唐草文様で覆われています。
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霊廟に置かれた墓の配置図を見ると中央に①ティムール・アムールの真っ黒な墓が置かれてあります。その東側(右側)には③ムハンマド・スルタン、南側には②ミルザ・ウルグベク、西側には⑥シャー・ルク・ミルザ、⑨アブドゥラ・フマン・ミルザ、⑦ミラン・シャー、北側の頭の上にあたる位置には④ミル・サイード・バカラの墓があります。
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これを建てたのがティムールの孫のムハンマド・スルタンでしたが、1403年のトルコ遠征で彼は戦死してしまいます。ティムールは愛する孫の死を悲しみ、ここを霊廟としました。中央の一段高い黒緑色の軟玉で造られたものがティムールの墓です。一見棺のようですが、実際の遺体は地下に埋められ、顔はメッカの方向を向いています。
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この廟は1年後に完成しますがそのさらに1年後に中国遠征の途上でティムールも急死してしまいます。ティムールはシャフリサブスにあったアクサライ宮殿の付近に自身の小さな墓の建設を開始していましたが、彼自身もここに葬られることになりました。
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ティムール自身は彼の出身地であるシャフリサーブスに埋葬されることを望んでいましたが、亡くなったのが冬だったためにサマルカンドからシャフリサーブスへの峠道が積雪のために越えられなかったことが理由のようです。
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ソヴィエトの科学者たちがティムールの墓を開けようとした際にサマルカンド中で墓を開ければ開けた者たちに呪いがかかるという噂が広まりました。墓には「私が死者の中から蘇るとき、世界は震えるだろう」という警告が刻まれ、開けるとさらに別の碑文が見つかったそうです。「私の墓を乱す者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つだろう」
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ナチスがソヴィエトに侵攻する2日前の1941年6月20日に開かれた墓はスターリンの命により再埋葬されたそうです。遺体は1942年12月20日に完全なイスラムの葬儀で再埋葬されましたが、ドイツ軍に包囲されていたスターリングラードでのソ連軍の勝利約1か月前のことでした。
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ティムールの墓を囲うように配された一角とは別の西の壁の近くには⑤サイード・ウマルの墓があります。廟内にはティムール朝の王族だけでなくティムールの精神面の師であった④ミール・サイード・バラカや他のサイードたちもまた眠っています。
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廟内には似つかわしくない木の棒が立てられて、その先には馬の毛を束ねて縛ったものが吊るされていました。これは聖人を表すものだという説明もありました。
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霊廟の真裏にはここから直線距離で60キロ離れたティムールの生地であるシャフリサーブスへ続くという伝説を持つ地下通路があります。これはソヴィエト時代に埋められたそうですが真偽は分かりません。
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現在ミナレットは2本残されていますが完成時には4本あったそうです。残された2本も途中までで先端部分は失われています。
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15世紀初頭のティムール朝時代のサマルカンドではモスクやマドラサ、霊廟のミナレットにクルアーンの章句や神への賛美、建立銘がタイルとレンガで一体的にデザインされるのが一般的で、グーリ・アミール廟のミナレットもこの流れを汲んでいます。
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霊廟の見学を終えて前庭まで戻ってきました。この石はティムールの孫のウルグベクが建設したハマム(公衆浴場)から運ばれた風呂桶といわれています。この石にもいくつかの伝説があり、出征する兵士たちはここに小石を投げて帰還した兵士が石を取り出し、何人生還したか数えていたとか、飲めば強くなるといわれるザクロジュースをここに入れて出征する兵士たちが飲み、皆が縁に肘をかけて飲んでいたので周囲が窪んでしまったといわれるそうです。
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青い石と呼ばれる大きな石はクク・サロイ(青い宮殿の意味)と呼ばれるティムールの宮殿から運ばれたものです。大きい戦果を挙げた将軍や兵士にこの上で褒美をあげたとも、王の戴冠の儀式の際に王がこの石の台座に載せられたともいわれています。ティムールの宮殿はこの地に進軍してきたロシア軍によって破壊されて現在は見ることができません。
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ガイドの説明を聞いている両親から離れた女の子はこの旅で買ってもらったであろうイカット風のパンツとテュベテイカと呼ばれる伝統的な帽子の形の髪留めをしています。ただ、来ているトムとジェリーのTシャツがGucciの子供服だったのにはビックリです。
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15分ほど自由時間があったので周囲で気になったところの写真を撮りました。内部の黄金に輝くドームも素晴らしかったですが、外側の青いモザイクタイルで覆われた有機的なカーブを持つドームも美しいです。
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ポーズを取っているようですが、疲れ果てて座っているだけです。
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ようやく動いたので人の少ないタイミングで写真を撮っておきます。青いドームと青いショールが妙に合っている気がします。こういった旅先でのコーディネートは上手な人だと思います。
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JJTBの添乗員さんのおすすめのフォトスポットで謝人を撮っていただき、次は今回のツアーのハイライトでもある「レギスタン広場/Registan Square」に向かいます。
レギスタン広場 広場・公園
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