2025/10/27 - 2025/10/27
6位(同エリア28件中)
さっくんさん
ガダミス旧市街を訪れた夕方、ガダミス付近にある砂丘を目指しました。ガダミスはアルジェリア、チュニジアと三つの国の国境が交わる地域に位地します。そんな国境付近に残る要塞跡から、三つの国々の国境を眺め、砂丘で夕陽を眺めました。エジプトに始まり、モロッコのメルズーカ大砂丘で感動を覚えた私は、トランスサハラ交易に興味を抱き、その想いは私をトンブクトゥへと誘いました。その後も、チュニジアのクサール・ギレン。アルジェリアのガルダイア近郊。モーリタニアでは丸ごとサハラ砂漠を楽しみました。マグレブ最期の訪問となるリビア。もしかすると、此処がサハラ砂漠との今生の別れになるやも知れず。親にさえ残せなかった感謝の気持ちを伝えたい。いつだって…伝えたいと思った時には遅すぎるものだから。
サハラ砂漠にありがとう!君と出逢えて私の旅は豊かになった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
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4WDに乗換えて、ガダミスの街を飛び出しました。ガダミスはアルジェリアとチュニジアと、三つの国の国境が交わるポイント付近に建つ街です。其処から三つの国境が交わるジャストな位置に聳える嘗ての砦跡を訪れました。
https://youtube.com/shorts/4DzKQCzXxds?si=ASpUjRI_LxUUB2zf -
三つの国境が交わるポイントに建つ要塞跡と聞くと、国境を監視する為の要塞と思いますが、そんな事はあり得ません。何故なら此処は嘗て全てオスマン帝国領。此処が三つの国に分かれてしまった経緯は、この大地を植民支配した欧州の国々の都合によるものだからです。
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イチオシ
要塞跡に到着しました。威風堂々とした要塞です。アルジェリア、チュニジア、リビアの国境は、欧州勢の都合により引かれた国境ですが、昔から此処は交通の要衝であったのかもしれません。
https://youtube.com/shorts/2oZbII1dJ-A?si=3MWaE_KA0m6J8FiV -
ミャンマーとタイとラオスの国境からなるトライアングルは、麻薬の密輸で悪名高き場所です。国境は兎角治安の悪くなる場所で、三国が絡むとなると猶更です。犯罪者の逃亡が容易になるからです。此処もそんな場所に挙げられています。リビアやアルジェリア南部の情勢にも大きく左右されるから猶更でしょう。
然し私が訪れた所感、あんまりにも展望が良過ぎて、しっかりと見張りを立てれば、周囲は隠れる場所も無く、見渡しが抜群に良いので、怪しい車など、容易に発見出来てしまいます。但し、周囲は遥か彼方迄の砂漠地帯、見つかってしまったとしても、国境を越えてしまえば捕り物にも苦労する事でしょう。即ち、犯罪者は見つかる事も前提で、この国境沿いで何某かを行っているのでしょう。 -
それでは早速要塞跡に登ってみる事にしましょう。
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嘗てオスマン帝国領として一つだった大地は、欧州の手によって分断されました。サハラ砂漠を縦横無尽に交易する事で糧を得て暮らしていたトゥワレグ族は分断により、大きな被害を受けました。
分断した線は、民族を分断したに留まらず、水と油の民族同士を同じ国に押しこめる等、意図的に紛争が起きやすい様に線引きが為されました。独立して間もない脆弱な国は、紛争を解決する為、嘗ての宗主国の力に頼らざる得なくなります。即ち独立は認めはしたものの、嘗ての影響力を保持したい欧州の国々にとっては、独立させた国々が、問題を抱えていた方が都合が良かったのです。
こうして陰湿な手段で植え付けられた憎悪の卵達が、時を経て、育ち、新たな紛争を産む。だからいつまで経ってもアフリカに紛争が絶えないのです。欧州が植え付けた怨嗟の呪縛を振り払う事こそ、アフリカの未来なのですが、アフリカの独自性を目指した政治家は、欧州の手により次々と暗殺されてしまいました。リビアのカダフィ氏もそのうちの一人です。 -
カダフィ氏は、アフリカ独自の衛星を打ち上げようとしました。それまでアフリカは莫大な使用料を欧州に支払う事で、欧州の衛星を使用していました。カダフィ氏は欧州の呪縛から逃れる為にも、アフリカ独自の衛星を打ち上げようとしたのです。
しかし衛星の使用量の利権は莫大なものがあり、それを失う事は欧州にとっては大きな痛手でした。こうしてカダフィ氏は目をつけられ、尾ひれはひれを大量に加えられ、悪の枢軸の様な報道が為され、欧州に事さえあれば!と付け狙われ、ジャスミン革命が起こると、待ってましたとばかりに嬲り殺しにされてしまいました。 -
私は、ISと言うテロ組織は決して認められない存在であると思いますし、イスラームにとっても良くない影響しか与えない組織だと思います。現地のムスリムも殆どが彼等を嫌っています。
しかしながら唯一彼等の主張する事で納得するしかない主張があります。
「欧州が勝手に引いてしまった国境を、我らの手で本来あるべきものに戻したい。」
と言うものです。第二次世界大戦後、日本も分割統治される危険性がありました。もし、北海道がロシアに、本州がアメリカに、九州が中国にと言う具合に、三つか四つの別の国になってしまったとしたら、日本を元の姿に、元の一つの国に戻したい!と思う人が出てきても、なにも不思議な事ではないでしょう。と言うか当然の主張に感じるのです。
イスラームの人々は国意識が低い傾向にあると言われます。国より、イスラームと言う宗教に所属している事、自分が所属する民族グループを、国より重要に感じる人が多いと言います。こうした傾向は、欧州が勝手に造った国と言う背景がある事が大いに影響していると私は思います。 -
この要塞跡を訪問した後、砂丘に登るプランだったので、きっとあの砂丘かなと思っていると、なんとあの砂丘はアルジェリアの砂丘でした。そんな近くに感じるところにアルジェリアはあったのです。国境と言えど、フェンスや防壁等一切ありません。何処かの宇宙飛行士が言った様に、
「国境線と言うが、其処には線などひかれていなかった。」
と言う言葉そのものなので、全く気づきませんでした。 -
ちょっと右手に目線を移せば、其処には小さなオアシスが。村落もあるのかもしれませんが建物は視認出来ませんでした。此方はなんとチュニジア領。チュニジアの最南端に当ります。
小国であるチュニジアはリビアとアルジェリアに挟まれ、まるで岬の様に南に国土が伸びています。私が見ているオアシスは、その岬状の国土の最南端を見ています。 -
再びアルジェリア領の砂丘に視線を戻しました。先に、イスラームは国意識が低い事を書きました。
そして峠が各地の民族を隔離しているアフガニスタンと、余りに暑く乾燥した大地が、オアシスに暮す人々を分断したリビア。こうした分断が、其々の民族の独自性や自治力を強固なものにした。
その反面、国と言うレベルの結束が求められる時、その独自性や自治力が支障を齎す要因になっていると解説しました。更に加えるとアフガニスタンとリビアには、もう一つ共通項があります。 -
アフガニスタンは前述した通り、峠で構成された国です。西南にペルシャ、東南にインド、北方に中央アジアと、歴史上大国が林立した地域を結ぶ狭間に位地した峠に当り、政治の空白地域とも言えました。
一方リビアも西に地中海に突き出した様に立地するチュニジアには、カルタゴ紛争からローマ帝国時代、そしてイスラーム時代と次々に王朝が生まれました。東のエジプトはナイル川の恵みを受け、言うまでも無く様々な王朝が繁栄しました。そんな東西二つの巨大な王朝に挟まれ、リビアは常にその狭間にありました。 -
こうした大きな勢力の狭間に位地した二つの国々では、先に述べた峠や砂漠と言った過酷な環境も加わった事で、いつしか政治の空白地帯となり、独自の自治性が強固なものとなっていった、逆に言えば強くならねば生き延びられなかったのだと思います。
しかしそれが、今日の様に、国家と言うさらに大きな単位で運営されなければならなくなった時、それらを一つに纏めると言う事に大きな障壁になっている。だからこれらの二つの国々は、それらの問題を乗り越えるべく、大きな課題に取り組んでいるのだと、私は見ています。 -
我々は、時に、いつまで経っても解決しそうにない紛争に、頭の上に?が浮かびます。ネットの記事を読んだだけで解った風な気にもなる事は出来ます。
しかし、この過酷な大地に降り立って、アフガニスタンで一日中体を揺られながら、峠道を走り、リビアで一日中砂埃が舞う渇いた大地を走って、漸くズドーンと貫く様に合点がいく事を痛感します。 -
環境が、人の生き様を変え、生活習慣を変え、思想を変え、宗教を変え、政治を変えるのです。ですから、その解決方法に答は決して一つでは無いのです。環境を鑑みず、押し付けた政策は必ずや失敗するでしょう。その国の置かれた環境を知る事で、文化が解り、思想が解り、果てに宗教や政治が見えてくるのです。
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さて目指すべきリビアの砂丘が見えてきました。本日は夕刻の砂丘散策。此処はサハラ砂漠としてはほんのプロローグ。辺り一面砂丘と言うのはもっと深くに入らないと見れないでしょう。
日本で砂漠と言うと、サハラ砂漠全体に砂丘があるかの様に想像してしまいますが、実際は土獏であったり、礫獏であったり、日本人がイメージする砂丘のある砂漠は限定的なものになります。 -
4WDは快調に砂丘を目指してかっ飛ばしていきます。
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驚いた事に4WDは、そのまま砂丘に突入していきました。まるでドバイで人気のアトラクションと同様です。それにしても大丈夫なのでしょうか?4WDのエアを抜いていない気がするのですが…。(砂丘を走る場合、タイヤの空気圧を低く設定しないとスタックの大きな要因になります。)
https://youtube.com/shorts/PNVGr5yixk4?si=nFKv5H2lU3qj8HPK -
サハラ砂漠には何度も足を運びましたが、車に乗って砂丘に突っ込むのはモーリタニア以来です。ドバイで人気なのが頷ける、ちょっとヒヤヒヤするアトラクションです。まさかリビアで体験出来るとは思っても見ませんでした。駱駝に乗るのも風情がありますが、これはこれで良い体験です。
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幾つかの砂丘を強引に昇り降りを繰り返し…。
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4WDは想像以上迄砂丘の高い所迄登り詰め、とんでもない体制で停まりました。さて、砂丘を楽しみましょう。
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チュニジアのクサール・ギレンやモロッコのメルズーカより、多少黄身がかった砂質です。キメ細かさは同等の様に感じました。
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このキメ細かさがサハラ砂漠のポイントでもあると思います。キメ細かさがあるから砂にエッジが生まれ、風紋や砂丘の稜線がクッキリと描かれます。他の砂漠も訪れましたが、これ程きめ細やかで且つ大胆な稜線を描く砂漠は、サハラ砂漠が一番だと感じます。
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しかしながら、そのキメ細かさが、カメラにとっては命取りに繋がります。砂が余りにもキメ細か過ぎて、特にズーム部に知らず知らずのうち侵入し、カメラを破壊してしまいます。
チュニジアの旅冒頭で訪れたクサール・ギレン。朝陽はウィンディでした。朝焼けの撮影に夢中になっていたら、ズームするとガリガリと嫌な音を立てて、哀れ御愁傷様となりました。 -
イチオシ
丸々全行程サハラ砂漠を旅したモーリタニアでは、細心の注意を払ってはいたものの、旅の終わりも近づくと、ズーム音にガリガリと嫌な記憶を思い返す音が聞こえてきて、なんとか最期迄持ってはくれたものの、帰国後オーバーオールは必須な体になってしまいました。
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サハラ砂漠で、本格的に撮影を行うのであれば、撮影をしない時はジップロック等にカメラをしまい、撮影時も風が強い時はビニールなどでカメラを覆って撮影する等、注意をした方が良いと思います。更に、もしもの時の為に予備のカメラを用意しましょう。サハラ砂漠を一番後回しにするのも良いかもしれません。また、帰国後カメラをメンテナンスしてあげましょう。
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砂丘から遥か向こうをズームアップすれば、ガダミスの街がミニチュアの様に見えました。
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私が何故、世界中に幾つも存在する砂漠の中で、サハラ砂漠にこだわったのか?それは、其処に人の歴史を見たからだと思います。只単に砂漠が美しいだけだったとしたら、「美しい!」ってだけで、終わっていたかもしれません。
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イチオシ
私が最初にサハラ砂漠と出逢った馴れ初めは、エジプトでの事ですが、その当時は
「なんか、スッゴクでかいなぁ!」
って程度だった様な気がします。
https://youtube.com/shorts/8UQQChqpX9o?si=1Ag6qZBl7WOwUuJb
エジプトの旅
https://4travel.jp/travelogue/11784677 -
次に出逢ったのがモロッコのメルズーガ大砂丘での事。此処では駱駝に揺られて小一時間。一際大きな砂丘の下にテントを張って1泊しました。この出逢いが運命を変えたと思います。
モロッコの旅
https://4travel.jp/travelogue/11768162 -
マラケシュから始まったサハラ砂漠への道。アトラス山脈を越えれば風景は激変しました。緑豊かなアラブ人が暮らす地中海沿岸から、ベルベル人が暮らす荒涼としたサハラ砂漠へと続くセミデザートへ。
其処には暑さに適応する為カスバと呼ばれるまるで要塞化した様な建築群に暮らす人々の文化がありました。サハラ交易に携わる人々にとって道の駅の様な役割を果たしました。 -
そんなカスバ街道をひた走り、私は車を駱駝に乗り換えてサハラ砂漠に分け入りました。ひと際高い砂丘に登り、その向こうを眺めました。
この奥にはどんな光景があるのだろう?砂漠を1時間駱駝に乗っただけで、周囲360度砂漠だらけのこの地では、もし駱駝に見捨てられたなら、私は生きて帰れない事でしょう。このサハラ砂漠の大自然を前にしては、人間の存在なんて、なんてちっぽけなものだろう。と思いました。 -
しかし、嘗てサハラ砂漠を旅した隊商達は、この絶望とも言える砂漠を越えて交易を行っていた。彼等には見えていた。私には決して見えない砂漠の道が…。
そう思うと人間の可能性もまた、この砂漠と同じくらいデッケェものなのかもしれない!ってなんだかジーンときてしまいました。
そう、この絶望とも取れる大自然と共に、其処に人の文化が絡んでいたからこそ、私はサハラ砂漠に興味を抱き、そしてサハラ砂漠が美しいと思ったのです。 -
そして当然の如く、そんなサハラ砂漠を越えていった隊商達の目指した場所が気になります。調べたその地の名は黄金の都トンブクトゥ。
金を豊富に産出したマリ帝国でしたが、内陸国故塩が乏しかったと言います。一方モロッコの隊商達は、此処から南、タガーサと呼ばれる地の塩田を掌握していました。此処に、塩と金を等価交換する貿易が生まれました。
塩と金が等価交換なんて、とんでもない発想ですが、塩が無ければ生きられないので仕方ないと言えば仕方ない。アラブの商人達にとっては、命懸けでサハラを超える価値があるといったところでしょうか?
マリへの旅
https://4travel.jp/travelogue/11207470 -
サハラ交易と共にイスラームを信仰するようになったマリ帝国の王、マンサ・ムーサがマッカを目指して巡礼に出ました。
途中立ち寄ったエジプトのカイロで、彼はイスラームらしく地元特産の金をふんだんに喜捨しました。余りにも多額だった為、この後十年エジプトの金の市場が大混乱したとも言われます。この噂は金が大好きでたまらない欧州にも伝わりました。 -
欧州の王は、こぞって探検隊をマリに向かわせました。しかし、サハラ砂漠の大自然に阻まれて、到達した人こそいたものの、生きて生還した者は誰一人としていませんでした。
漸く生還を果たしたフランスのルネ・カイエが見たトンブクトゥは、大航海時代で船の交易が盛んになった為、最早衰退し、サハラ砂漠に埋もれつつあったトンブクトゥだったと言われます。
この事から「トンブクトゥ」と言う地名は、地名としてだけでは無く「遥かなる」と言う意味を持つ、代名詞にさえなったと言われます。 -
そんな経緯を知ってしまえば、旅人として行かない訳にはいかなくなります。トンブクトゥへの旅に胸をときめかせました。
しかしそんな折り、ジャスミン革命が起こり、イスラーム圏に不穏な空気が立ち込めました。そんな不穏な空気は此処リビアも席巻し、その最中にここぞとばかりカダフィ氏は殺害され、リビアは崩壊してしまいました。
リビアにはマリから多くの出稼ぎに来たトゥワレグ族が傭兵として訓練されており、彼等は職を失った事で、故郷に帰る事になりました。リビアで訓練を受けた戦闘力と、リビアで手に入れた最新兵器を土産として…。 -
トゥワレグ族はこれまで何度も独立を賭けてマリ政府と闘ってきました。今回も只で済むとは思えません。私のトンブクトゥ訪問は時間との戦いになりました。
そしてトゥワレグ族はあろう事か、組んでは決していけない悪党の悪魔の囁きに乗ってしまう事になります。アフリカ系アルカイダです。
そしてあろう事か、私のバマコ到着その時に、彼等のトンブクトゥ襲撃がバッティングしてしまう事になりました。もうこれで私の旅の予定は滅茶苦茶です。 -
しかし、マリの誇り高き旅行代理店のボスの活躍によって、辛うじて私はトンブクトゥ入りを果たし、そして生還しました。
最後の最期迄行けるかどうか解らない、事実危険な旅でしたし、メンタルがやられた旅でしたが、困難なだけに忘れられない旅にもなりました。
そんな私の旅を滅茶苦茶にした犯人達が、此処から出発し、マリを目指したかと思うと、なんだか表現出来ない感情が沸いてきます。 -
いったいトンブクトゥはどの方向だろう?おおよその方向を眺めます。私には全く見当もつきませんが、砂漠の交易の民、トゥワレグ族の戦士達にはくっきりと見えていたのでしょう。故郷に帰るべきその道が。
私がトンブクトゥを訪れた約一ヶ月後、本格的に侵攻を開始したアルカイダ・トゥワレグ族連合軍は、トンブクトゥを制圧すると、その勢いでマリの首都バマコを目指しました。
マリの軍隊は旧式の武器を使用した為、リビアから持ち込んだトゥワレグ族の最新兵器と、アルカイダの戦闘力を前にしては太刀打ちが出来ませんでした。 -
追い詰められたマリ軍の兵士は国に窮状を訴えるも、国も打つ手が無し。それに怒った軍は、なんとクーデターを起こし、マリの民主主義はあっけなく崩壊してしまいました。
一方、イケイケのトゥワレグ族とアルカイダ連合軍でしたが、最初こそ足並みを揃えていたものの、トンブクトゥを制圧後、アルカイダは余りにも偏った原理主義政策を行った為。トゥワレグ族からしてみれば「そんな筈じゃなかった…」です。
そして、それに反意を示したトゥワレグ族は結局アルカイダに追放されてしまう事になります。トゥワレグ族が悪魔に耳を貸したばっかりに、結局自分達の夢も失い、マリと言う国も滅茶苦茶な事になってしまいました。 -
あれから早15年、未だにマリは混迷を極め、旅人は近づく事さえ叶いません。遠くトンブクトゥを見つめます。
でも、そのトンブクトゥを訪問した事で、私には新たな目標が生まれました。サハラ交易に活躍した古来の街を訪れたい。あの時トンブクトゥ訪問が叶わなければ、決して生まれなかっただろう目標です。それだけに、トンブクトゥ訪問は、私にとって大きな出来事でした。 -
目標とした街の名は、モーリタニアのシンゲッティ、アルジェリアのムサブの谷、そして此処リビアのガダミスです。
これ等の街は、北アフリカのサハラ交易の拠点、そして中継地として、重要な役割を果たし、サハラ砂漠を超えたトンブクトゥへと繋がっていました。一つ一つ、マグレブの旅を続けながら、何時の日かこの街全てを旅したいと願いつつ旅を続けてきました。 -
チュニジアのクサール・ギレンのサハラ砂漠は、メルズーカの様な大胆さはありませんでしたが、フラットでまるでさざ波の様に均等な砂丘が連なるその姿は、メルズーカの砂丘が男性的であったのに対し、女性的な艶めかしい美しさがありました。
https://4travel.jp/travelogue/11427765 -
イチオシ
モーリタニアでは、旅の行程そっくりそのまんまサハラ砂漠と言う、砂漠三昧を満喫しました。その中でも最大目標はシンゲッティ訪問でした。
シンゲッティはこの地方でイスラーム第7の聖地とされており、マッカから余りにも遠い為、信者は此処に訪れられればマッカを巡礼した事になると認められた為、この地方の多くの信者がシンゲッティを目指しました。今では砂漠に埋もれつつあり、廃墟感さえ漂います。
モーリタニアの旅
https://4travel.jp/travelogue/11447858 -
イチオシ
アルジェリアもサハラ砂漠鑑賞のマッカでもありますが、自分が体験したのはムサブの谷訪問の時に訪れた、ほんの序の口のスペースに過ぎません。
それでもムサブの谷がサハラ砂漠に囲まれた谷に位置する事、そして此処周辺を境にサハラ砂漠が始まり、そしてムサブの谷の人々が、サハラ交易を糧に暮していた文化を学ぶ事が出来ました。
アルジェリアの旅
https://4travel.jp/travelogue/11780089 -
マグレブを旅すると言う事は、ある意味サハラ砂漠を目指す事と言っても良いかもしれません。モーリタニア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、そしてリビア。旅をすれば漏れなくサハラ砂漠がついてきます。
そしてそれらの国々に着陸するのは、漏れなく地中海沿岸の都市となるでしょう。そしてその街を観光しつつ、やがてベルベル人の不思議な世界観に目を丸くしながら、セミデザートを走り抜け、サハラ砂漠に到達する事になるでしょう。 -
そして、今回のリビアの旅も同様、今回の旅の最南端、ガダミス近郊の砂丘の上から落ちていく夕陽を待っています。
嘗てガダミスから隊商達がトンブクトゥを目指した。15年前、トゥワレグ族達が武器を抱え故郷を目指した、(そして私の旅が滅茶苦茶になった。)そして今、私が此処に立っている。
う~ん、感慨深いなぁ…。 -
それにしても、塩と金を等価交換した、。塩金交易は昔の話となったけれど、未だに駱駝がキャラバンを組む、塩の交易は脈々と続いているのだから凄い事だと思います。
嘗て存在しなかった国境と言う厄介な線が出来た事、砂漠と言う人の手が及ばない無法地帯故、テロ組織の巣窟となり治安の問題が深刻化していると言う事。そんな理由で細々とであるものの、今日まで続いていると言います。 -
確かに一理あるのです。人類の叡智を結集すれば、サハラ砂漠を横断する道路を造る事は容易いでしょう。でもいったい誰がそれを管理するのでしょう?
管理したとして、其処を走り切るには何処かに給油所が必要ですが、そんな場所にどうやってスタッフを常駐させるのでしょう?
道路は風が吹けば一瞬で砂に埋もれてしまう事でしょう。4WDでさえ、数日走れば、一度や二度はスタックしたり、パンクしたりします。そんな道を輸送に使う大型車が走り切れるとは思えません。 -
結局、現代機器を投入するより、古来からの駱駝に頼む方が、この過酷な砂漠では最適解の方法なのです。現代の人類の叡智さえ通じない、サハラ砂漠は過酷な大地なのです。
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物思いに耽りながら、砂丘を登っていたら、私を連れてきた車があんなに小さくなってしまいました。
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私の足跡の他に、何やらこの砂丘を登った輩がいる様です。何奴じゃ!足の大きさからして…。ネズミより大きいし、ウサギかな?砂漠属性のネコ科の動物でしょうか?逢いたかった!
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昇は難し、でも降るは易し、でも靴の中が砂の風船みたいになってしまいます。
https://youtube.com/shorts/lDGxtAjFkyM?si=8fK1C0n4N1GUApob -
そろそろ陽が傾いてきました。サンセットが始まります。強烈な西日を受けて、風紋の陰影が際立ちます。
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イチオシ
写真には写りませんが、風が結構あります。砂丘の表面を風が吹き抜けると、サハラ砂漠のキメ細かい砂が舞い上がり風に運ばれ、夕陽を受けてキラキラと輝きます。
それはうっとりする程の美しさである反面、カメラを壊す悪魔の存在でもあるから、咄嗟に手でカメラを匿います。 -
溢れ出す情熱を
お前だけに注ごう
輝く風の中で
笑顔が素敵な真夏の女に
変わるだろう
今となっては懐メロの歌詞を唄います。
https://youtu.be/qsLlmZpOgdc?si=NIjWOosGr0uxMBya -
緩やかな曲線を描く稜線。キメ細かい砂の粒子。夕陽を浴びて小麦色に輝く体。サハラ砂漠が一番美しい姿を見せてくれる瞬間。それは艶やかで思わず息を飲む。至福の瞬間。
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私は旅の中での朝陽や夕陽をとても大切にしています。なるべく多くの時間を割いて、それらに接していたいと思っています。一日で一番時の流れを感じられる瞬間だから。
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イチオシ
そんな中でも、サハラ砂漠で眺める夕陽は、私にとって特別な瞬間です。
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太陽が、地平線に着地しました。もう、残された時間も、後僅かです。きちんと伝えるべき言葉を纏めないと…。
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静かです。本当に静かです。時折風が砂を運ぶ音。それが全てです。でも、危うかったです。一日ずれていたら、例の団体さんと一緒に眺める羽目に陥っていたかもしれません。
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きっと彼等は、もうすぐガダミスに到着する頃かと思います。今、ガダミスの砂丘にいる旅人は、私一人です。即ち、この夕陽は私だけのもの!
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そもそも、マグレブとは「日没の地」を意味します。イスラームの日没後の礼拝もマグレブと呼びます。
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つまり、今、マグレブにて、マグレブを迎えます。
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私の最期になるかもしれないマグレブが、佳境に入ろうとしています。
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私はある程度先の旅の計画を立てて、一つ一つ旅を進めています。イスラームをテーマに、未訪問の国を優先に旅を進めています。
訪問した国の数は気にしていませんでしたが、現在の年齢、今迄の訪問した国が90を越した事で、せめて100ヶ国は旅したいなと考えています。 -
そして、この計画の中に、もうマグレブ諸国はリストにありません。と言う事は、再びサハラ砂漠と出逢えたとしても、遠い先の話。いや、もしかすると、今生の別れになるかもしれません。
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私は余り、後悔を引き摺らない性格ですが、犬猿の仲であったとは言え、親に感謝の言葉一つ残せず、死に別れてしまった事は後悔しています。
いつだって、伝えたいと思った時には…。だから君にはちゃんと伝えておきたい言葉があります。 -
サハラ砂漠、君と出逢って、私の旅はとても豊かになった。色んな国で君を眺めた。それは、かけがえの無い時間だった。今迄本当にありがとう。
いつの日か、きっとまた逢える。だから、さよならは言わない。 -
砂丘にて、サハラ砂漠に惜別と感謝を伝えた後は、砂丘の下で、トゥワレグ族の人々に砂でナンを焼いて貰いつつ、茶を立てて頂きます。サハラ砂漠の定番のアトラクションでもあります。
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静かに、サハラ砂漠が暮れていきます。談笑する言葉が途切れると、押し潰されそうな静寂が辺を包みます。砂が音を吸収するのか?砂漠の静謐性は怖いくらいです。
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お茶と言えど急須に入れて、注げば良い訳では無く、マグレブには、マグレブなりの作法があります。
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基本は同じ、高い位置から茶を注ぎ、再び急須に戻しまた注ぎます。
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イチオシ
此処では、先の手法で泡を作り、更に同じ手法で注いだ茶の上に泡をトッピング。まるでビールの様に泡を乗せた茶が出来上がりました。
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いつの間にかすっかり陽は暮れて、焚き火の火が一際明るく辺りを照らします。
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そろそろナンが焼き上がりそうです。何がコツか解りませんが、彼等が焼くと、砂がついていないのです。
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ナンが焼き上がりました。ホッカホカのナンを、みんなで頂き、宴は終わります。ご馳走様でした。
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夕食は今晩もマルガリータ。イタリア仕込みで美味しいとはいえ、まさかガダミスでピザを食べる事になるとは…。
しかも二晩連続で。でも、紛争による観光業の壊滅。そして、こんな小規模の街で、ホテルが存続しているだけでもありがたい事です。 -
そして大好きになった、リビア産のコーラ、らしき飲み物。旧市街も、サハラ砂漠も、満喫出来ました。きちんと感謝と惜別の意を伝えられました。
本日も最期迄ご覧になってくださり、ありがとうございました。
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旅行記グループ マグレブ(北西アフリカ)の旅
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