2022/09/15 - 2022/09/15
7位(同エリア39件中)
さっくんさん
ムザブの谷からアルジェに戻りました。本日はガイドさんにアルジェの解説を受けながら街を散策します。アルジェのカスバは治安の問題で警察、又はガイドさん同伴が必要です。本当にそんな危ない場所なのでしょうか?
PR
-
ガルダイアから再びアルジェに戻って、本日はガイドさんと共にアルジェを案内して頂きます。空港から市内に戻る途中、巨大なモスクを発見しました。
-
2019年に完成したジャマ・エル・ジャザールです。ミナレットの高さで世界1位だそうです。因みに2位はお隣モロッコのハッサン2世モスク。どうしてマグレブのモスクがワンツーフィニッシュかと言うと角柱状のその形状に秘密があると思います。他の地域は細いので、それだけの高さは厳しいと思います。
-
ただ、地元の人はミナレットに言及せず、世界で3番目のモスクと呼びます。これは一位をマッカ、2位はメディナ、これを越えてはいけないから、つまり世界一のモスクと言う事です。
-
兎に角バカ高い。本体との釣り合いが取れていないくらい高いです。
-
渋滞は今日のアルジェリアの課題のひとつです。負けずに市内へと向かいます。
-
バルバロッサ・ハイレッディン。アルジェリアの英雄、海賊の長の象がカスバ探索のスタート地点です。
-
現在ではカスバの城壁は殆ど残されていません。
-
カスバは元々海賊の居城だったものをオスマン・トルコが城塞化したものです。
-
当時の宮殿は目下修復中です。
-
未々時間がかかりそうです。
-
往時はチュニジアやモロッコの旧市街にあった宮殿と変わらぬ威容を誇っていた事でしょう。
-
建物に入ってみましょう。
-
館内には多くの展示がありました。
-
ミフラーブです。マッカの方角を示すものです。
-
カスバの立体地図の展示がありました。現在地の宮殿が橙色の部分。橙色の線が城壁があった部分。港ギリギリまでカスバだった事が解ります。
-
未々修復中とは言え嘗ては立派な宮殿があった事は私は訪れて初めて知りました。
-
アルジェのカスバで検索すれば、迷宮の様な街並みだったり、それ故に魔窟的な紹介ばかりで正確なものが殆どありません。サイトによってはスラム化していると言う表現さえ見つけました。
-
確かに独立戦争直後は戦場だったのですから、相当荒んでいた筈です。ですが戦争から半世紀も経った今、未だ当時の状況が現在の情報に繁栄されている事に驚きを隠せません。
-
私さえ訪れる前はそんな不正確な情報にミスリードしてしまいましたが、実際は時代こそ違えどアルジェのカスバは他のイスラームの旧市街と何ら変わり無い構造を持った美しい旧市街です。
-
他のイスラームの旧市街と違うところを探すとすれば、ひとつは急な斜面上に築かれている為、只の迷宮に有らず立体的迷宮となっている事、二つ目はフランスによる大規模な破壊を受けた事、そしてフランスからの独立戦争で更なる被害を被った事でしょう。
-
修復に使われる建材が紹介されてます。
-
使われていた配管の一部です。
-
建物の構造のミニチュアです。
-
宮殿に使用されていたタイルが陳列されています。
-
オスマン朝時代の碑文です。何が記されているのでしょう?
-
修復が完了し、アルジェのカスバが魔窟とかスラムの様な誤った印象が払拭され、歴史的旧市街として他の歴史的旧市街と同列に語られる日が訪れる事を私は楽しみにしています。
-
水汲み場です。
-
宮殿の模型の展示です。
-
さて、カスバに踏み込みましょう。宮殿は一番高い位置にありますから、これから海に向けて降りていく事になります。
-
狭い路地が迷宮の様に張り巡らされています。旅するにあたってYouTubeでアルジェのカスバを検索しましたが、非常に残念な紹介のされ方をしていました。それは南アフリカのヨハネスブルグや南米の都市と合わせて、恐ろしい世界の三大スラムとして紹介されていたのです。
-
この場を借りて真っ向から反論します。アルジェのカスバはオスマン・トルコが計画的に建造した城塞都市であり建造時代こそ違えど、モロッコのフェズやチュニジアのカイルアン等と同様歴史ある街であり、流れ者が流入した結果、無秩序に集合住宅が形成されるスラムとは、その成り立ちが全く異なります。
-
また、スラムの多くはコミュニティが崩壊しており、麻薬組織、マフィア、ギャング等が街を牛耳り非常に治安の悪い地域となるのが常ですが、カスバではコミュニティが生きており、私の幼い頃の東京の下町の様に職人が多く暮らす庶民的な古い街並みと言うのが真実です。
-
情報の少ないアルジェリアと言う国で、カスバが海賊の居城として機能し、ヨーロッパから恐れられていた歴史、アルジェリア独立戦争時、フランスに対抗したレジスタンス達が此処を拠点としていた歴史、それらから魔窟伝説に尾ひれがついていった事で、旅人が恐れる街となったのだと思います。
-
もひとつ、アルジェのカスバと言えば特定の年代なら誰でも知ってるあの歌。
此処は地の果てアルジェリア
どうせカスバの夜に咲く
酒場の女の薄情け… -
「ムスリムの国、しかもカスバに酒場なんてある訳無いやろ!」
思わずツッコミ入れてしまいたくなりますが、実は歌詞を書いた人はアルジェリアに行った事も知識も無い様で…。 -
当時の日本にとって、アルジェリアは地の果ての様な存在だっでしょうし、アルジェのカスバを舞台とした映画「望郷」のイメージも手伝って、そうしたところから生まれた曲でしょう。
-
カスバは職人の街。小さな工房が点在します。そんな一店舗の屋上が有料(100ディナール約100円)で開放されています。早速登ってみましょう。
-
思わず声をあげたくなる景色です。アルジェが一望出来ます。
-
真下にはギッシリと建物が坂道に犇めき合っています。これから降りていく道筋です。
-
ジャマ・エル・ジャザールが遠くに見えました。
-
老朽化は進んでいますが、此処ぞ本来のアルジェです。
-
アルジェの港です。往時は海賊船が停泊し族長の出撃命令を今か、今か、と待ち受けていたのかもしれません。
-
ケチョウア・モスクとエル・ジェディド・モスクが見えます。カスバ散策のゴールです。
-
戦争当時は、この方向に敵が密集していたのです。此処に立て籠り、自分達の国を取り戻す為、レジスタンス達が私と同じ視線で中心街の動向を見張っていた事でしょう。
-
老朽化した建物が隙間無く密集しています。其処を歩く事にワクワクを感じます。逆にアブダビの様に新しい街で、大通りが先の先迄見渡せる様な街は歩く気が失せてしまいます。
-
再び坂を下ります。カスバ上部には飲食店もある為、結構人出が多いです。彼等は至って健全で、治安の悪い区域に見られる独特の荒んだ雰囲気は全くありません。またイスラームなので日中から避け飲んでくだ巻いてる様な輩もいませんし物乞いもいません。
-
カスバは職人の街だそうで、小規模の店が狭い路地に点在しています。
「今では見る影もありませんが、私の故郷も当時は職人が多く、狭い路地が入り組んで、そして庶民的な街でした。カスバは治安が悪いとか、一人で歩いちゃいけないとか、そんな情報ばかりでしたが、私には懐かしささえ感じます。」
そう私が呟くと、ちょっとガイドさんは驚いた様子でした。 -
そう言えば私がいた頃の故郷は一番荒れていた頃でした。よっぽどカスバより治安が悪い(苦笑)
でも、私には解ります。故郷(決して今では無い。)と同じ懐かしい匂いのするこの街は大丈夫だって、太鼓判押せる!そう確信しました。 -
この迷宮感がたまりません。そして、何処か遠い国なのに懐かしくもあるのです。
-
カスバには多くの子供達が遊んでいる姿もあちこちで見かけました。此処が貧民窟なら、そうはなりません。貧民窟では子供達は労働力です。そして治安情勢が悪いなら子供達は遊べません。日本でも違う意味で子供が外で遊ばなくなってしまいましたが…。
-
カスバを歩いていると、その建築年代は大きく異なるのですが、イスラームの雰囲気は共通しているから不思議です。
-
緩い坂を降っていると、ムザブの谷を思い出します。二つの街はイスラームと言う建築学で繋がっています。構造が似通っていても不思議はありません。
-
高度が下がりました。地中海が迫りました。
-
曲がり角を曲がったら、懐かしいあの頃の路地裏に繋がっているかもしれません。
-
アルジェで一番古いシディ・ラムダン・モスクが見えて来ました。
-
モスクに併設された水汲み場。
-
シディ・ラムダン・モスクのミナレットです。
-
カスバを見下ろす最上部がカスバの政治の中心とすれば、シディ・ラムダン・モスクは上カスバの市民の中心です。モスクは教会や寺院と違いモスク自体に聖性は無いので、祈りの時間で無い場合は市民センター的役割も果たしました。
-
近くで遊んでいた子供が転んで泣いてしまいました。ガイドさんが水汲み場で擦り傷を洗って勇気づけています。男の子にとって絆創膏は勲章の様なモノです!(少なくとも昭和時代は…)
-
一部崩壊してしまっている建物もありました。
-
イスラームは美を内に秘める文化なので、外観で舐めてかかると、前言撤回を余儀無くさせられる事多々あります。アルジェのカスバの内側には、どんな世界が広がっているのでしょう?決して見れない世界を人々は想像してしまうものです。
-
時々見える港により、自分の大まかな位置関係が解ります。
-
カスバは海賊達が暮らすには格好の立地だったと思います。段々畑状に家屋が建つので、各々の家から海が見えるので敵襲もすぐ対応出来た事でしょう。
-
一番下に港。城門を潜れば賑やかなスーク。下カスバにケチョウア・モスク。上カスバにシディ・ラムダン・モスクを中心に住宅街が段々畑状に広がり、最上部に中枢のお頭の宮殿と解りやすい構造です。
-
車の往来が無いカスバは猫ちゃんにとって安息の場です。
-
モスク以外にも、こうした道の交わる場所等に篤志家が喜捨した水汲み場が儲けられています。
-
イスラームの中で喜捨は非常に大きな力を持っていて、モスクからバザール等運営出来てしまう地域もあります。国力は弱い国でも地域の結び付きは強固です。
-
カスバは中間を貫く車道で上カスバと下カスバに別れます。
-
ガイドさんがたむろして喫煙している少年に優しく厳しく叱っていました。とある少年が私に英語で話しかけ、私が理解出来ずにいると、ガイドさんは
「貴方の文法が間違っているから伝わらないの!」
と英語をレクチャーしています。 -
これは後から知った事ですが、彼女は元英語教師だったそうです。それから更に後で知った事ですが、彼女はカスバで暮らしているのです。彼女の様な肝っ玉母さんがいる内はカスバも安泰です。
-
坂道の向こうには人一人通れるかの狭い路地。
-
下カスバはフランスが建てた建物でしょうか?疲れた5~6階の建物がメインとなります。下町風情はそのまです。
-
坂道の向こうにケチョウア・モスクのミナレットの天辺が見えます。ゴールが近づいてきました。
-
至る所に階段が儲けられ、立体的な迷宮を作り上げています。
-
先が見えないってところが味噌なんですよね。誘ってます?
-
白い建物に青いアクセントが入るのはマグレブのお約束でしょうか?
-
下カスバの下のケチョウア・モスク界隈はアルジェで有数のスークが拡がり、隣接するマルティール広場には地下鉄駅もあり、暮らすには非常に便利なエリアだと思います。
-
最後の坂道を下れば、
-
ケチョウア・モスクが見えて来ました。
と言う事はカスバの終点です。
この先には地下鉄駅もある広場があり、その先は地中海です。 -
ケチョウア・モスクのファザードです。フランス統治時代は教会として利用されていました。
-
モスク前は今日も買い物客でごった返しています。
-
聖と俗は何時でも何処でも隣り合わせです。
-
マルティール広場に出ました。郵便局前同様アルジェの中心と言える広場です。
-
エル・ジェイデッド・モスクが目印です。
-
昼食はイスラーム圏定番の串焼きです。
-
串焼き屋さんです。
-
独立記念塔を訪れました。三本の椰子が合わさる形をモチーフにしているそうです。10年にも及んだ彼等の国を取り戻す為の苦闘を想うと胸が熱くなりました。
-
三本の柱各々に戦争で戦った兵士の像が建っています。そしてその遥か上空で現在正に今、戦っている人がいる様です。
-
いやぁ目が眩みそうです。
バンジージャンプやスカイダイビング出来ても、これは無理です。一瞬と継続は全然違います。趣味と仕事も全然違います。趣味に命は賭けられても仕事には…賭けられません。 -
独立記念塔からのアルジェの眺めも最高です。
-
最奥の坂の斜面がカスバになります。
-
アルジェの東から西へ一気に移動し、ノートルダム・ド・アフリーク大聖堂に向かいました。
-
カソリックの聖堂ですが、ヴィザンティン様式で建てられています。
-
ファザードです。
-
教会は小高い丘の上に建つので見晴らしが素晴らしいです。
-
此方はクリスチャンの墓。
-
此方はユダヤ教徒の墓です。
-
サッカー場がありました。アルジェリアと言えばジダンですね。彼はアルジェリア系フランス人です。
-
但し、その話題はサッカー・キッズとフランス移民を目指している人達に留めておいた方が良いかもしれません。ジダンはアルジェリア系でもカビール系ベルベル人出身なのですが、そのカビール族とアラブ人はあまり友好的では無く、それが原因でアルジェリア独立時多くのカビール人がフランスに移住した経緯があります。勿論ジダンが歴史的ミッドフィルダーである事は間違い無いですが、アラブ系アルジェリア人にとってその話題は複雑な心境を抱く人もいるかもしれません。
-
教会直下を見下ろしました。
-
御当地料理であるチャクチューハを出しているレストランを見つけたので予約を入れました。
-
この日にPCR検査を受けました。私は接種2回なので、未だ必要なのだそうです。感想はくしゃみ出そうでした(笑)
-
予約の時間が来るまで散策を続行です。
-
日没するまでは勿体無くてホテルへ帰れません。
-
遠くに独立記念塔がアルジェを見守っています。
-
MAPS.MEの望遠鏡マークに行って見ましょう。公園の奥の細い道を登って行きます。
-
見晴らしの良いポイントでした。
-
観光的側面を全く感じない地元の人の一服場所的な場所。オッサン達が煙草ふかしながら一服するのに紛れました。
-
振り返れば山肌にへばりつく様に建物が建っています。
-
見下ろせばリトル・ジダン達が頑張っていました。このシュートは決まるのか?
-
急坂のある見晴らしの良い立地は憧れますが、忘れ物したら戻る気が失せますよね。
-
ふと思ったのですが、雛壇の様な構造の街で渋滞は日常的の交通事情。横の移動なら車に利があるのは当たり前ですが、縦の移動、即ち山から海沿い迄移動するなら、階段駈け降りた方が早いのでは無いかと思いました。
-
予約の時間になったのでお店に入れば、失礼ながらアルジェリアとは思えないお洒落な店内。なんとホテルの受付のお姉さんとお友達も食事中で盛り上がってしまいました。
-
料理が出て来ました。
ライスペーパーの様なもの、シチューの様なもの、アルミホイルの中身はチキン。そしてヨーグルト。
いったいどうやって食べるのでしょう? -
クスクスと同じ様にライスペーパーの上にシチュー状の具をかけて頂きます。ライスペーパー状なので、クスクスとはまた違った食感で、軽さがあって美味しかったです。
-
誘っているかの様な夜の坂道です。
-
珍しく落書きらしい落書きがありました。
-
珍しく飼い猫ちゃんがいました。
-
遠くに海沿いの夜景が輝いていました。
-
今日も素敵な一日となりました。特にカスバ散策は興奮しました。私の故郷も当時は山の手の人から川向こうと蔑まれていた時代がありました。アルジェのカスバも魔窟、スラム等と蔑視される事も多々有りますが、私が体感したものは、映画ではありませんが、正に「望郷」でした。細くいりくんだ路地、職人の街等は実際の共通点です。其処を歩かないと決して解らない事があります。旅が出来て、そしてカスバを歩けて、本当に良かったと思います。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
マグレブ(北西アフリカ)の旅
-
前の旅行記
アルジェリア3ムザブの谷2(ブーヌーラ、エルアテフ、ベニイスゲン、メリカ)
2022/09/14~
その他の都市
-
次の旅行記
アルジェリア5ティパサ&シェルシェル
2022/09/16~
アルジェ
-
モロッコ
2010/05/26~
マラケシュ
-
モロッコ2
2010/05/28~
ワルザザート
-
モロッコ3
2010/05/30~
その他の観光地
-
モロッコ4
2010/05/31~
フェズ
-
チュニジア縦横断の旅1タタウィン周辺からマトマタへ
2013/05/26~
タタウィン
-
チュニジア縦横断の旅2クサール・ギレン編
2013/05/29~
クサール・ギレン
-
チュニジア縦横断の旅3トズール編
2013/05/30~
トズル
-
チュニジア縦横断の旅4タメルザからスペイトラ編
2013/05/30~
タメルザ峡谷周辺
-
チュニジア縦横断の旅5スファックスからエルジェム経由でスース迄編
2013/06/01~
エル・ジェム
-
チュニジア縦横断の旅6スースからカイルアン編
2013/06/02~
ケロアン
-
チュニジア縦横断の旅7カイルアンからハマメットへ
2013/06/03~
ケロアン
-
チュニジア縦横断の旅8ブラレシアとドゥッガ遺跡及びル・ケフ
2013/06/04~
ル・ケフ
-
チュニジア縦横断の旅9チュニス
2013/06/06~
チュニス
-
チュニジア縦横断の旅10カルタゴとシディ・ブー・サイード
2013/06/07~
シディ・ブ・サイド
-
アルジェリア1 アルジェ1
2022/09/11~
アルジェ
-
アルジェリア2ムザブの谷1(ガルダイア)
2022/09/13~
その他の都市
-
アルジェリア3ムザブの谷2(ブーヌーラ、エルアテフ、ベニイスゲン、メリカ)
2022/09/14~
その他の都市
-
アルジェリア4アルジェ2
2022/09/15~
アルジェ
-
アルジェリア5ティパサ&シェルシェル
2022/09/16~
アルジェ
-
アルジェリア6アルジェ3
2022/09/17~
アルジェ
-
アルジェリア7アルジェ4
2022/09/18~
アルジェ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (3)
-
- PuellaApuliaeさん 2022/10/17 02:16:55
- 再び感動いたしました
- イスラーム大好き人間として、とても興味を持って拝読しました。
10年ぐらい前でしたか、地球の歩き方からビジュアル版のアルジェリアのガイドブックが出たときに速攻で買って、それ以来行きたい国リストに入っています。
アルジェだけでなく、海のそばの美しい都市オランにもいつか行ってみたいと思っています。イスラームは内に秘めた文化というのはまさにそうですね。恐らく奥に美しい庭園が隠れている家が多いのだろうと想像して写真を見ていました。ヨーロッパ人の差別感に基づく偏見をそのまま真に受けてはいけないと思います。カスバは確かトルコ語のカスル(城)の語源でしたでしょうか(間違っているかも知れません)。
わくわくするような旅行記をいつもありがとうございます。続編も楽しみにしております。
- さっくんさん からの返信 2022/10/17 19:02:31
- Re: 再び感動いたしました
- コメントありがとうございます。
カスバはアラビア語の城塞と言う言葉から来ている説もありますが、アルジェを統治したのはオスマン・トルコなのでトルコ語源も十分あり得ますね!
国や地域で多少意味は変わりますが、提督クラスが常駐する城塞都市をカスバ、それ以下の小規模なものをクサールと呼ぶそうです。
PuellaApuliae (旧Janua)さんの旅行記も普通初見では到底訪れない様なイタリアの街を愛情が伝わってくる文章で綴られていて、とても勉強になります。ヴェネチアのリアルト橋付近の古い商館を現地の方言でファンダゴと呼ぶそうですが、アラブの隊商宿フンドックと共通項が多く、古くアラブと交易していたヴェネチアですから、きっと二つの言葉は繋がるのだなぁと感銘した事があります。いつかイスラームとの融合文化が見れると言うパレルモも旅したいです。
アルジェリアはヴィザの問題で、未々自由に動き回れる国ではありませんが、それだけにスレていないイスラームの良さを感じる人が多いと感じました。
- PuellaApuliaeさん からの返信 2022/10/18 00:28:18
- Re: 再び感動いたしました
- ご丁寧な返信、ありがとうございます。
なるほど、提督クラスが常駐する城塞都市がカスバなのですか。海賊王バルバロッサ(フズル)に興味を持っているので、彼の足跡も訪ねてみたいものです。トルコでは主役ドラマ化されたそうです(見たい!)。
そういえば最近上映されていたアルジェリア映画「サハラのカフェのマリカ」を見に行こうと思っていたのに、うっかりして見そこねました。残念です。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アルジェ(アルジェリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
アルジェ(アルジェリア) の人気ホテル
アルジェリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
アルジェリア最安
727円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ マグレブ(北西アフリカ)の旅
3
120