2025/10/29 - 2025/10/29
9位(同エリア47件中)
さっくんさん
トリポリに戻り、先ず訪れたのは、レプティス・マグナ遺跡。北アフリカ最大級の遺跡です。アフリカ初のローマ皇帝が故郷の為に、ふんだんに資金を注ぎ込んだ、ローマ皇帝自らが築いた巨大都市です。トリポリを訪れ、此処を見ずに去る旅人はいるのでしょうか?と思える必見の遺跡です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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トリポリの朝を迎えました。往きの一悶着を乗り越え、無事ガダミス周辺の観光を完了し、大満足の朝です。ホテルの窓からは、立派な教会が見えます。少数ではありますが、キリスト教徒も暮らしています。
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イチオシ
目と鼻の先には地中海が広がっています。是迄、サハラ砂漠≒トゥワレグ族、セミデザート≒ベルベル人とマグレブを構成する二つの文化を観てきました。地中海に辿り着いた今、観るべきはアラブ文化とローマ遺跡、即ちマグレブに進出し、定着した文化の歴史です。
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旅人が、マグレブを訪れるに当たって、悩ましい問題が訪れる季節です。砂漠やセミデザートの夏場は、余りにも暑過ぎて、現実的ではありません。かと言って地中海沿岸部は地中海性気候となるので、冬場は雨季に入ってしまいます。
なので、その狭間の季節を選びたい処ですが、砂漠の気温が上昇してくる春先には、砂嵐が起きやすく、そうなると、観光どころでは、無くなってしまいます。
そんな環境を鑑みて、私は暑さが引き始め、且つ雨季突入直前だろう10月下旬をチョイスしました。 -
流石首都トリポリだけあって、朝食のメニューも豊富です。最上階のレストランのオープン・デッキデッキでトリポリの展望を楽しみながら、朝食を頂きました。
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近隣では、早朝からポンプ車が大活躍。復興に向けて建設ラッシュです。
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地中海を横目に見ながら、レプティス・マグナを目指します。
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途中何やら工場の様な場所に立ち寄りました。近所の人でしょうか?大きな袋を持ち込んでいます。
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トラックの荷台を覗くと、大量のオリーブの実が詰め込まれていました。この工場で、オリーブの実がオリーブ・オイルに姿を変えるのです。
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オリーブ・オイルは、この地方の人々にとって欠かせないもの。出来たてのオリーブ・オイルにナンを浸して頂きました。非常に健康に良いとの事です。
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レプティス・マグナに到着しました。のっけから、大きな見所の一つ、セプティミウス・セウェルスの凱旋門が出迎えてくれました。レプティス・マグナを語る時、彼の名を語らずには先に進めません。
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セプティミウス・セウェルスはレプティス・マグナに生まれたカルタゴ人で、後にローマ帝国の皇帝に迄登り詰めました。私はローマ時代の歴史には疎いですが、このエピソードを聞いて、見直しました。
日本では初の女性の総理誕生で大騒ぎですが、例えば、初のベトナム出身の総理誕生となったら、国がひっくり返る程の大騒ぎになるのでは無いでしょうか?
この時代に、実力があれば、出身は問わないと言う土壌があったのならば、ローマ時代の方が現代よりも革新的な世界だったのかな?とも感じます。 -
イチオシ
しかし、皇帝の座に就けば、権力者の考える事は、いつの時代も同じ事。セプティミウス・セウェルスも、田中角栄氏の様に、故郷に湯水の様に資金を注ぎ、壮大な都市を建造しました。
皇帝自らが築いた事で、嘗て小さな街に過ぎなかったレプティス・マグナは、北アフリカでカルタゴ、アレキサンドリアに次ぐ大都市に発展しました。
因みに、チュニジアにも同名の街があった事から、「大きい」と言う意味で「マグナ」が付け加えられました。 -
凱旋門から南へ延びる幹線は、「カルド・マクシムス」と呼ばれます。これは、レプティス・マグナ固有の名前では無く、ローマ遺跡共通の呼称なので、覚えておくと、他のローマ遺跡を訪れた時に、構造を掴みやすくなります。
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前回、ベルベル人が築いた門構えに施されたレリーフ。このローマ遺跡の凱旋門の門構えのレリーフに非常に近似しています。ベルベル人が、此等のローマ遺跡を参考に、自らの文化に取り入れ、受け継がれたのだと思います。
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門の四方は、緻密な装飾で飾られています。
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南北を走るカルドに対して、東西に走る幹線は、「デクマヌス・マクシムス」と呼ばれます。カルドに対して覚えづれぇ(泣)
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西を目指せば、トリポリタニアの中心の街、オエア(現在のトリポリ)を通り越し、サブラータを経由し、チュニジア方面に延びていました。
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東に向かえば、遥かエジプトの街迄到達したそうです。
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ハドリアヌス大浴場に向かいます。ローマ遺跡はフランチャイズの様なもので、何処のローマ遺跡も似た様な構造を持ちますが、その中でも、ローマのトラヤヌス大浴場と並び保存状態の良い浴場だと言われます。
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非常に広大な浴場で、テピダリウム(中温浴室)カリダリウム(高温浴室)スダトリウム(サウナ)と入浴し、再びテピダリウムに戻り、オリーブ・オイルで肌を整え、フリジダリウム(冷浴室)で、クールダウンするのが、ローマ時代の入浴法とか。
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浴場は段差があり、上から下へ、高温から低温の浴室が並びます。確かに、理に適った構造だと言えます。
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だけど、深読みすると、この構造だと、低温の浴槽のお湯が、一番汚いお湯になるって事では無いでしょうか?
え?其処は突っ込んじゃ駄目な事? -
でも、例えそうであったとしても、紀元前の人々が、数種類の温度の浴場を使い分け、更に入浴の作法迄構築し、入浴を楽しんでいた事には驚きです。
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イチオシ
しかも、昭和にあった、街のお風呂屋さんなんかより、よっぽど立派な建築です。富士山が描かれていたら完璧です。
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壮大な門構えで、この部分だけ見れば、とても浴場のものとは思えない規模のものです。
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ギリシャ・ローマ建築の柱頭の様式…。中学だか、高校で、覚えさせられましたよね。あの頃は、世界史大嫌いで、覚える気にもなりませんでした。世界史は旅して覚えるものです!←コスパもタイパも最悪です!
因みに正解はコリント式です。アカンサスの葉の紋様があるのが特徴です。 -
浴槽の脇に飾られていた石像の足の部分だけが、今に残ります。
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こじんまりした浴槽もありました。
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スダトリウム(サウナ)の壁面には、蒸気を送った配管の跡が残されています。
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此方が陶器製の蒸気を送った配管跡です。
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浴場の近くには、運動場も、ありました。良く汗を掻いて、湯を浴びてサッパリする、ローマ人も現代人も、変わりませんね。
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つまり、浴場と言うより、今で言うスパに近い施設だったと言う事でしょう。
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此方はトイレです。便座の下、内部は水が流れ、水洗だったと言われます。手前の溝にも水が流れ、手洗いに使われていたそうです。
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かなり開放的なトイレです。ローマでは、トイレも社交場の一つだった様です。
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壮大な規模のローマ時代の浴場を見学しました。流石皇帝の築いた都市。一つ一つのコンテンツの規模が、他のローマ遺跡と比べものになりません。
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あちらに見えるのはニンファエウムです。幾つかローマ遺跡を巡っていると、何となく解ってきます。精霊の神殿です。
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原初は小さな滝や泉等、自然を利用した地形に築かれた様ですが、徐々に自立した建築が建てられる様になりました。平坦なリビアでは、自立するしか選択肢は無いでしょうが。
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ニンファエウムは、中央に噴水が据えられる事が常ですが、それ故の水害でしょうか?中央部が大きく破損しています。
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此方は、ローマ時代以降のビザンティン帝国時代の遺構の遺跡です。門の形状が大きく異なります。
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建物の用途は教会です。ビザンティン時代にはヨーロッパもキリスト教化していますので、信じる神が違ってきます。
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この様に、一つの遺跡と言っても、新しい勢力がやって来ると、遺跡は新しい勢力に上書きされていきました。レプティス・マグナも、元を正せばカルタゴの都市です。しかしながら、セプティミウス・セウェルスの築いたレプティス・マグナが余りにも大規模且つ完成形だった為、その多くの部分がローマ時代の繁栄を今に伝えていると言えます。
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セプティミウス・セウェルスのフォーラムに入りました。フォーラムとは、ローマ時代の集会所であり、公開討論場でした。ローマ時代のひろゆきさんが熱弁を奮っていたのでしょう。
「それって、貴方の感想ですよね?」 -
フォーラムに存在したセウェルス神殿は、基壇の部分のみが残されています。
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フォーラムには、周囲を取り囲む様にアーケードが設けられ、幾つものメデューサが広場を見下ろしています。しかし、アーケードは一部が残るのみで、他は瓦礫として、時の流れるままに放置され、それが風情を醸し出しています。
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さて、蛇女ゴーゴン、メデューサ、どの様な違いがあるのでしょう?国による呼称の違いでしょうか?
調べて見ると、実は蛇女はスケバン刑事同様三姉妹であり、その総称がゴーゴンなのだそうです。つまり、スケバン刑事の三女は浅香唯さんならば、蛇女ゴーゴンの三女はメデューサと言う事です。 -
しかし、姉の二人は「不死身」と言う設定が、逆に神話を描く上では使いにくかったのか、余り活躍の場がありません。逆に不完全体である三女メデューサが大活躍する事になりました。
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女神アテナの怒りを買ったばかりに化け物にされ、ペルセウスにより討伐されてしまいました。更には、見た者を石化してしまう特性は、死して尚健在であった為、ペルセウスの武器として悪用されたとか。
ペルセウスには「サムライ」の資質は無い様です。 -
化け物扱いではあるものの、そんな悲劇的な部分が人の心に響いたのか?やがてメデューサは、人を石化する恐ろしい怪物から、人を邪視から守る存在へと立ち位置が変わっていきました。
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日本の三大怨霊の一人、菅原道真公が、祟り神から学業の神様に立ち位置を変えた様なものでしょう。その様な変遷から、フォーラムでは沢山のメデューサが邪視から人々を守っているのです。
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イチオシ
邪視は日本では余り馴染みの無い言葉ですが、地中海沿岸を中心に世界的に広がる民間伝承で、悪意を持って人を睨む事で呪いが発生すると言う魔術的なもので、人々の間で恐れられていたものです。
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一方邪視は地中海沿岸部に進出したイスラームにも浸透し、イスラームの文化とも習合していきました。
女性に向けられる邪な目線も当然邪視に該当します。ムスリマがベールで美を隠すのも邪視から逃れる為でもあります。
イスラーム建築の通り沿いに窓が無い事も、彼等が中庭を築くのも邪視から逃れる為です。富をひけらかせれば、それを羨望する眼はやがて妬みや嫉みを伴う眼、即ち邪視を産むと考えられるからです。 -
イスラームは、元々商業から生まれた宗教です。商業は大きな富を産む一方、貧富の差を生みます。過度の貧富の差はコミュニティの崩壊の原因になるので、イスラームはそれの緩和政策に努めました。
「人を羨ましがらせない。」そんな政策と邪視と言う民間伝承が見事足並みを揃えたと言えます。ムスリムは、邪視を避ける為、美や富を隠すのです。(によって、「羨ましいわ!」と言うフレーズは、日本では褒め言葉に使われますが、イスラーム圏では注意が必要です。)
邪視は、ローマ時代では「オカルト」的な立ち位置でしたが、イスラームでは「人怖」的な立ち位置に変わりました。 -
人の手で刻まれたメデューサは、どれ一つとして、同じものは無く、美しいものから可愛らしさを感じるものまで数多くの表情を持ちます。共通するのは、謂れを知らなければ、とても化け物の彫刻とは思えないだろう造形であると言う事です。
一部こそ、アーケードに往時の姿を残しますが、多くは崩れ去ったままであり、地面に顔面を突っ伏したままのものや、最早瓦礫に挟まれ、表情が解らないメデューサもあり、可哀想になります。
それでは、粉々になってしまったアーケードの瓦礫の中から、生き残ったメデューサさんを探しにいきましょう。 -
いました!いました!発見です!寂しそうな表情で、天空を見つめています。
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フォーラムを周りながら、捜索を続行します。
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イチオシ
嗚呼、此方には、ひっくり返って、天地逆になってしまったメデューサさんが…。
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こんな無造作に天を仰いでいたり…。
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眼と眼が合ってしまいました。
眼と眼で通じ合う~♪
https://youtu.be/--gabGVmvfE?si=CSsQS3LFNuxClQrc -
石化されてしまうのは、どうにか免れましたが、惚れちまったやんかぃ!
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セプティミウス・セウェルスのフォーラム全体を眺めました。中央の石段のみ残る部分が、彼の名を冠した神殿跡です。
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フォーラムに続く壁の背後は、パジリカになっています。
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ガイドさん曰く、此処がレプティス・マグナで一番好きな場所。なんか頷けます。廃墟感たっぷりの場所だけど、いや、だからこそ、嘗てローマの人々が、自由に語らっていた、そんな光景が、目に浮かびます。
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実は、ガイドさんは、本来はレプティス・マグナのローカル・ガイドさんなのです。レプティス・マグナの冊子も書いている本格派です。
しかし高齢ながら、情勢悪化による観光業の衰退により、ドライバーも務めています。 -
ビザンティン式の門構えの奥に、ローマ式の門を眺めます。アーチ状に石を組まざる得なかった時代から、フラットに門構えを築ける時代にアップグレードされました。
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パジリカは、貴重なレリーフが残されているので、保全の為、フェンス越しの見学になります。
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パジリカはローマ時代は公共建築物として、裁判所や集会所として利用されましたが、キリスト教時代には、教会堂として用いられました。
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柱に緻密なレリーフが施され、此処が特別な場所である事を主張しています。
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レリーフが施された柱は、左右に二対づつ建てられていました。
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パジリカ側から、フォーラムを眺めました。
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パジリカの柱頭です。
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今度は対面の柱に刻まれたレリーフを鑑賞。
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此方も、見事なレリーフでした。
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ビザンティン・ゲートです。良く落ちないものだと感心します。
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再び遺跡を南北に走る幹線、カルドに出ました。見えて来るのは、トラヤヌス皇帝記念門です。
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カルドはローマ遺跡の南北を走る幹線。即ちサハラ砂漠と地中海を結ぶ道。遥かアフリカ南部から運ばれた交易品が、この道を通り、ローマ本国へ運ばれたのでしょう。
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カルドを南へ歩けば、最早地中海も、目と鼻の先です。其処はレプティス・マグナでも、一番古い歴史を持つ地域です。
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床面に、当時流行っていたゲームの盤面が刻まれていました。窪みに玉を置き、弾く等して競い合ったものと思われます。
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盤面は、幾つかのレイアウトがあった様です。
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セプティミウス・セウェルスが築いたフォーラム以前に使われていたフォーラムである事から、オールド・フォーラムと呼ばれています。
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幾つかの神殿が建てられていましたが、現状では、遺跡から、往時の姿を想像する事は困難です。古くは、カルタゴ時代の遺構も残されています。
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遂に地中海に到達しました。やっぱ、地中海は良いなぁ。其処に歴史の浪漫が散りばめられてるから。
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向こうに見えるは、レプティス・マグナの新市街とも言えるホムスの街です。
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海外近くに置き去られた列柱が3本打ち捨てられています。レプティス・マグナが発見されると、欧州列強がこぞって列柱を盗み出し、売り捌いたと言います。その時重くて積み切れなかった列柱が、運良く此処に残されたのです。
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内陸部に引き返します。
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セラピス神殿です。セラピス神はプトレマイオス1世がギリシアのゼウス神とエジプトのオシリス神を習合して作り出した神です。プトレマイオス朝は、クレオパトラを最期にローマに滅ぼされました。
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更に内陸部を目指します。遠くに見えるは、円形劇場でしょう。
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列柱が八角形に並ぶ市場にやってきました。
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列柱が八角形に市場の外周を囲んでいました。現在では、約半周です。
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内側には、円形だったであろう建物が建てられています。
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食料品を中心に、衣料も売られていたと言います。
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イチオシ
センスの良いデザインです。地中海を遠目に見ながらショッピングなんて、素敵な体験になりそうです。
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サハラ砂漠の向こうの品や、ローマから持ち込まれた品も、売られていたのでしょうか?小窓の上を良く見ると…。GucciとかPradaとか、書かれてる…訳がありません。
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オリーブ・オイルの計量器です。
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膨大な列柱が整然と並ぶスペースに来ました。円形劇場のバックステージです。
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バックステージとは思えない列柱群ですが、その理由はバックステージに神殿があったからです。
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場内に入場しました。約4千人収容人数を誇るアフリカで2番目に大きいローマ劇場です。
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アウグストゥス帝の時代に、カルタゴのネクロポリス(墓地)の上に建てられ、セプティミウス・セウェルスの時代に改修が施されました。
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劇場も素敵ですが、その背景が素晴らし過ぎます。演者にとっては、最高の背景だったでしょうか?それとも最大のライバルだったでしょうか?
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イチオシ
ローマ劇場はガイド・ツアーのクライマックスに用いられる事が多いコンテンツですが、正にクライマックスに相応しい威風堂々たるローマ劇場です。地中海の背景が更にそれを盛り上げています。
https://youtube.com/shorts/xqEhsPIN7i8?si=IMELVeXf3mmonkZQ -
最上段に登っても、35mmだと全体を全部収めきれません。
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観客席の最上段に立ち、周囲を見渡します。
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ローマ劇場は高さがあるので、見晴らしも素晴らしい。是迄観てきた遺跡を振り返る事にも最適です。
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劇場の上段で観劇すると、周囲の絶景に目移りしてしまいそうです。
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毎度ローマ劇場を訪れて、感心する事なのですが、この時代に、最早手の加え用も無い程、劇場と言う建築スタイルが出来上がっていると言う事に驚きを隠せません。
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寧ろ、現代の様に、厳しく採算性を問われなかっただろう時代、今よりずっと理想を追い求めた劇場だったのでは無いでしょうか?
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往時は人々の歓声に包まれていただろう劇場も、今となっては観光客も途絶え、今日に至っては、巨大な遺跡に私ただ一人。海風だけが通り過ぎていきます。
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大満足と共にセプティミウス・セウェルスの凱旋門へ戻ります。
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道中カメレオンに遭遇しました。
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セプティミウス・セウェルスの凱旋門に凱旋しました。流石、アフリカきっての遺跡だけあり、一つ一つのコンテンツの規模が大きく、とても見応えのある遺跡でした。
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その分、見所の間隔も余裕を持って築かれているので、結構歩きます。場内には遺跡としてしかトイレがありません。また日影も無いので、トイレと暑さ対策は必須です。
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見所の一つ、円形闘技場は、少々離れた場所にあるので、車で移動します。
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円形闘技場に到着しました。闘技場はローマやエル・ジェムの様な自立したタイプでは無く、海岸段丘を利用して築かれています。
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円形劇場は芸術の香りが漂うのに対して、闘技場は血腥い臭いが漂います。
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何故、今時戦争で多くの一般市民が犠牲にならねばならないのでしょう?戦争は、権力者同士の争いです。気づいて欲しい。一般市民は、権力者の代理戦争に巻き込まれていると言う事に。
プーチンも、ゼレンスキーも、トランプも、やりたいなら、幾らでも、円形闘技場でやりあえば良いのです。応援してあげますよ。16000人収容したと言われる観客席で、ポップコーンを頬張りながら。嗚呼バカバカしい。
https://youtu.be/zVY--knsDc4?si=JFN3dTaxNWjCydzG -
右に進めば円形闘技場、左に進めばヒッポドロームでございます。
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ヒッポドロームへ続く道。
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この、今では何の変哲もない海岸線が嘗てのヒッポドロームです。痕跡を探すのは難しく、説明され無ければ気づけ無いでしょう。
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嘗て、重い戦車を引き摺りながら、馬が競わされたのでしょう。
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目の前の岬状の部分には灯台が立ち、その向こうは、港が設けられ、先程観たオールド・フォーラムに繋がります。
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地中海の海風を浴びながら、レプティス・マグナを後にし、トリポリに戻ります。
最後迄ご覧になってくださり、ありがとうございます。
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