2023/09/11 - 2023/09/11
122位(同エリア142件中)
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- #旧長崎街道・飯塚宿
- #飯塚本町通り商店街
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- #筑豊炭都の栄華と遺構跡
- #グルメ・ショッピング
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3日目はJR線を乗り継いで次の筑豊三都である炭都・飯塚へやって来ました(新飯塚駅下車)。
飯塚は筑豊最大の炭都として栄華を誇った町であり隆盛期には三菱鉱業・住友石炭鉱業・日鉄鉱業・古河鉱業・麻生炭鉱などの旧財閥系から大手鉱山が犇めいていました。
ゆえに社員から炭坑労働者にその家族まで入れれば町の人口は10万人を超える勢いで、炭坑(やま)独特の一攫千金を狙う族が集まる修羅の国とまで且つては呼ばれた筑豊・飯塚が醸し出す危険な雰囲気でもありました?…。
当時、旅で出会った彼女は笑顔が素敵な飯塚商業に通う地元の女子高生…、その後一度だけデートしました。
今もこの町で元気に過ごしているんでだろうか?…、と思い出してしまいました…、遠い昔の青き春のセンチメンタルな出来事でした。
今でも飯塚本町商店街を中心とした旧長崎街道筋辺りにはバスターミナルや昭和通りに町のシンボルである嘉穂劇場から筑豊一の歓楽街の御幸町です。
やはり筑豊と言っても博多に近いせいか町中の雰囲気が随分と穏やかに変わった様な気がします?…、言い換えれば筑豊が薄れて来たのでしょうか。
撮影使用カメラ ルミックスFX33・エクシリムEXーZR15
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「田川伊田駅」から次の炭都・飯塚へ向かいます、
日田彦山線は端の3番・4番ホームに上がって来ましたが時間はまだ余裕です。
木造造りの昔ながらのホームは風情と旅情を醸し出し出します。
*詳細はクチコミでお願いします田川伊田駅 駅
-
3番ホームから上り方面を眺めた所~、
香春岳が今日もはっきりと望むことが出来ます~、青春の門では主人公の信介は生まれ育った田川の町からいつも香春岳を観ていたんでしょうか?。 -
そして、ホームへ駆け上がれば幼馴染の織江がぽつんと佇んでる…、
田川を後にして小倉へ売られてゆくこの身の儚さを知ってか信ちゃん、信介しゃん~、と聞こえてくるのは織江の唄です♪。 -
もの想いに更けてる間に列車が入って来ました~、
4番ホームに下り普通列車 8:27発 田川後藤寺行に乗車します。
昨日、小倉から乗車した列車よりも1本早いです、車内は結構混んでました。
*詳細はクチコミでお願いしますJR日田彦山線 乗り物
-
4番線ホームに8:31「田川後藤寺」に着きました、
昨日同様に殺風景で寂しい構内の景観は変わらずで栄華は夢の後になりにけり…、で跨線橋を渡りましょうか。
*詳細はクチコミでお願いします田川後藤寺駅 駅
-
2番線ホームは平成筑豊鉄道・糸田線の直方行普通列車です、
1番線ホームは下り普通列車・添田行が停車中で、それぞれ接続連絡がされてます。 -
0番線ホームに上り普通列車 8:50発 新飯塚行が到着しました、
折り返し上り普通列車と成り5駅を21分で結びます。
*詳細はクチコミでお願いしますJR後藤寺線 乗り物
-
キハ140形気動車の錆びついた車体の古さが隠せない…、
切り欠きホームと老いた車体がローカル線の雰囲気を醸し出します。
鉄ちゃんにはキハ40系気動車のファンが多いのも実に頷ける証しです。 -
9:11に「新飯塚」に着きましたがメインはこちらの駅です、
余りにも都会的な駅と駅前に成ってしまい驚きましたね!?~、以前は木造平屋建ての昭和・戦前からの駅舎でしたから想像もつかないほどびっくりです…。
では昔の記憶を辿って市街へ歩き出しましょう!~。新飯塚駅 駅
-
イチオシ
遠賀川と穂波川に架かる「芳雄橋」からの景色です…、
遠くに旧住友鉱業・忠隈炭鉱のボタ山が観えるのは炭都・飯塚を偲ぶ唯一の面影です。
飯塚で生まれ育った人はこの景色を観ると故郷に帰って来たと言います…。 -
3つの峰から成り別名・筑豊富士とも呼ばれるシンボルだそうです、
現存する平地ピラミッド型ボタ山としては日本最大級で、ボタと呼ばれる選炭後の石や坑内から掘削された岩石のこと。
それらを半世紀近く積み上げて出来た人工的な山で、余りにも凄過ぎますね~。 -
且つての町の中心であった「飯塚本町商店街」です、
江戸時代から続く旧長崎街道・宿場町沿いに栄えた歴史ある商店街で、出島から貴重品であった砂糖の道・シュガーロードとも言われてます。
*詳細はクチコミでお願いします飯塚本町商店街 市場・商店街
-
では、本町入口からアーケード街を歩きましょう!~、
シャッターは降りているものの営業中の店舗もありますね?、田川ほどでもないようで少しは期待が出来そうです?。 -
アーケードや照明なども凝っていますね!、
40数年前に来た頃は買物客で賑わう商店街は、特に年末の永昌会という明治から続く歳末大売出しはパニック状態に成るほどの盛況ぶりは凄かったですよ!。
炭坑・やまと共に生きて来た町ですからね。 -
本町商店街のシンボルである「からくり時計」です、
毎日10時~18時の間には、アナウンスで飯塚の歴史が紹介されて 時計が左右に開き、昔ながらの街並みの中を象や馬に乗った武士や西洋人に模した人形が動き往時の様子を忠実に再現しています。飯塚本町商店街からくり時計 名所・史跡
-
はたや楽器店と看板が挙がっています、
2階の漆喰部分や格子から呉服店のような印象を受けましたが、既に廃業されてます。
シャッターの錆具合からかなり以前から閉店されてるようです。 -
イチオシ
路地から寺院の在る景色が観えます~、
狭くても正面なので参道と言うことでしょうか?、奥には石段も観えます。
「浄土宗・真福寺」と在りましたので真福寺参道と言うことでしょうか?。 -
レトロな遺構は「福岡銀行 飯塚本町支店」です、
旧第十七銀行として明治10年に九州で初めて創業した銀行で、昭和20年に県内銀行を統合する形で福岡銀行として設立され現在に至るわけです。
しかし、現役で使われているのが凄いことで福岡銀行にあっぱれです!。 -
「ヲソラホンマチ」からの全景です、
大正13年築の煉瓦造りタイル張り2階建ですが様々な技法を取り入れて凝った装飾を施した贅沢でゴージャスな雰囲気は大正モダニズムを感じます。
ちょっと覗いて見たかったですね?…、後悔しました。 -
オブジェ「幸福猫と銀龍」のアート展示されてます、
飯塚・井筒屋跡地に整備されたヲソラホンマチ広場は、イベント会場や駐車場として市民の憩いの場として活性化を図るように所有会社が管理してるようです。
遠い昔に屋上でソフトクリームを食べた思い出があったのですが幻ですね~。 -
ここにも路地が繋がる大養院参道の景色がが実に好いです!~、
奥には「曹洞宗・太養院」は700年代に行基が開山と伝えられる飯塚村最古の寺院で、慶長5年に黒田長政公の命により今の号・飯塚山に改めたと言われてます。 -
イチオシ
反対側にも路地が在りましたが「恵比須通り」?…、
折角の狭い空間なので恵比須小路の方が相応しい愛称だと思いますが?…、古い町屋が建ち並ぶ茶屋街の雰囲気がしますね。 -
シャッターが中途半端に開けられたままですが?、
廃業された店舗には2階の壁面に中屋と屋号が残る寂しさが感じられます…。
どなたかシャッターを閉めないと事故が起こってからでは危険ですよ。 -
この辺りまで来ればシャッター通りが進んでいますね?…、
だからなのか雰囲気まで暗くてイメージダウンが免れない気がして来ます、がうなぎの蒲焼の幟が揚ってるのは鮮魚店でした。 -
バス通りが横断しています、
周囲が更地に成って明るい雰囲気の開放的な感じが良いですね!、HONMACHIの文字が揚がるように本町商店街はここまでの広域型アーケード街です。 -
ここからは「サンエステ ひがしまち商店街」です、
本町商店街から繋がる近隣型商店街で幅員は比較するとやや狭いかも?、旧飯塚宿の
西溝口から三叉路を経て嘉穂劇場方面へ東西へ伸びる商店街です。
*詳細は長崎街道 飯塚宿のクチコミでお願いします -
思ったよりも営業中の商店が多くてほっとしますね!…、
青果店・鮮魚店・精肉店・薬局・米穀店・衣料店などの一通り揃っているのが強みでしょうか。 -
T字路に成ってる東町商店街三又路広場です、
東西に延びるアーケード街はそれなりにシャッター通りに成っています?。
一通りは少ないようですが全く無いこともなく且つての様な買物客で溢れることはもうないでしょう?。 -
「旧長崎街道・飯塚宿」の巨大壁面画」です、
小倉城下・常盤橋から始まり3つ目の宿が筑前・飯塚宿であり、当時の往来の賑やかさが伝わって来ますね~。
終点の長崎まで残り20宿あり、全23宿在る江戸時代に整備された脇街道です。
*詳細はクチコミでお願いします長崎街道 飯塚宿 名所・史跡
-
アーケードを見上げれば大きなドーム状に成っています、
中央にはステンドグラスを施し明り取りと、花をイメージしたシャンデリアまではいかない照明がゴージャスな雰囲気を醸し出してます。 -
今では少なく成ったおもちゃ屋「ともや玩具店」です、
この様な専門店は商店街に来ないと見つからない時代に成ってしまいました。
ショッピングモールでは一度に買い物が出来るだけが利便性なんです?。 -
店頭に迫り出した花火コーナーが凄い!、
トイザラスや都会の店では見ない売ってない種類の花火の数々です~、陳列展開も流石プロですね、何よりも日本製が占めているのは老舗玩具店の強みです。 -
一際目立つ金物屋「高取金物店」はこの風格です?、
店構えからして尋常ではない看板に重厚で堂々たる高級感は他の追従を許さない金物店は滅多にないですから?。
今思えば、やはり店内を見学しておくべきと反省してます。 -
国道211号線の昭和通り出入口まで来ました、
ほぼシャッター通りで雰囲気的にも寂れてしまって侘しさも感じます…。
且つては国道沿いには炭鉱時代からのメインストリート・昭和通商店街も存在しましたが既に消滅してます。 -
炭坑時代の娯楽の殿堂である「嘉穂劇場」は昭和6年開場です、
江戸時代の歌舞伎様式を伝える木造の芝居小屋で、1200人を収容する客席はこの地が且つて炭都で隆盛であった証しを今に云える贅沢な空間であり遺構です。
しかし、休館中(当面の間)の為に見学が出来ず誠に残念の極みでした!?…。嘉穂劇場 名所・史跡
-
南北に延びる通り一帯の「御幸町」は筑豊を代表する歓楽街です、
高度成長期の日本を支えた石炭産業は黒いダイヤが生む莫大な富が流れ込んでは栄華を誇る繁栄ぶりは地方都市を遥かに凌ぐものだったそうです。
その栄華を極めた巨大歓楽街の夢の後を歩いて行きましょう!。 -
イチオシ
100mほどの路地に密集した飲み屋街です…、
昼間でこの雰囲気なら夜はさぞかし怪しく艶っぽいネオン街に化けるのでしょう。
筑豊一の名に恥じない御幸町はここに在りです!。 -
更地に成って表舞台に出た「割烹・大正館」とありました、
が以前は路地を入って風情もあったのでしょうが明らかなさまに成ってしまうと雰囲気も変わってしまいます…。
既に廃業されてる感じでしょうか?。 -
所々が更地に成り空き地に成り歯抜け状態の通りです?…、
昭和の栄華を極めた頃の面影は無く…、肩を寄せ合って辛うじて立ってる雰囲気が侘びし過ぎます…。 -
飯塚緑道脇に佇むこの外観はどこから観ても元カフエです!、
味のある雰囲気を醸し出すと思えばいい匂いもする「カレーショップ 華月」とありました。
2軒隣に麻生太郎筑豊事務所が在りましたが、ここだったとは知らなかった…。 -
噂に聞いてたアーチが在る小路は「新富町」です、
御幸町に在って小さな小路や横町の連なる飲み屋街は当時いくつも在りました。
そう言えば有楽町と言うもっと狭い路地も在っった記憶がします?…。 -
これは凄い!、青森の第三新興街に匹敵します!、
通り全部が廃墟物件としてと取り扱われそうなバラック建て違法建築物群ですよ。
そして、同様に戦後の旧赤線・青線として繁盛した形跡が感じられる場所です。 -
イチオシ
且つては修羅の国とまで呼ばれた筑豊が醸し出す危険な雰囲気です。
荒くれ者達が愛した欲望と愉しみの町・飯塚は新たな時代の波にどう姿を変えていこうとしてるのでしょうか…、それともこのまま時代に朽ちてゆくのでしょうか?。 -
こちらは取り壊されたり更地にも成っています…、
狭いと小路に空間が出来れば間が抜けたように明るく成って健全化します?。
旧赤線・青線の名残り惜しい小路ですが時代の流れと共に消えてゆく運命です。 -
少し離れて観れば周りと溶け込んでます、
昭和の時代を生きた証しである遺構は保存されることもなく人の記憶と共に消されていくのでしょうか?、だったら余りにも哀しくて寂し過ぎます…。 -
帰りは「芳雄橋」から北側の景色です、
穂波川と遠賀川がこの先で一つに成り遠賀川として遠く玄界灘へ注ぎ込む筑豊を象徴する河川です。
遠賀川流域の男伊達の気性を川筋気質と呼び侠客めいた気性として憧れます。 -
橋を渡った袂に昔ながらの「ひさご食堂」がまだ在りました!…、
学生の頃にチャンポンを食べて素朴に美味しかったことをずっと覚えています…、だからお昼はここと決めていました。
*詳細はクチコミでお願いしますひさご食堂 グルメ・レストラン
-
店内も昔のままで時が止まったようで…、創業も70年以上です、
思い出の味…、チャンポンです!、実にシンプルであっさり味なのにコクがあって野菜が旨い!、で麺がしっかりとした歯ごたえで長崎とは別物です。
最後にちょっとウスターソースをかけてご馳走様でした!。 -
駅前商店街通りを歩いて「新飯塚駅」まで戻って来ました、
心のどこかで少しだけ彼女に会えた様な気持ちに成ったセンチメンタルです?…。
それ以上に筑豊の香りが消えてしまってちょっと残念でしたが有難うの気持ちです。新飯塚駅 駅
-
1番線上り普通列車14:04直方行きに乗車します、
筑豊本線とは言わず福北ゆたか線と呼ぶそうで運転系統の愛称ですが、以前は篠栗線と言って博多方面まで気動車で運行していました。
CT817系電車はブラック仕様で関西には無いデザインが恰好良いですね!!、
この後は、筑豊三都・直方 炭都の栄華を偲びシャッター通り商店街と黒崎の商店街をぶらぶら歩き旅ー6へ続きます。
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