2019/06/11 - 2019/06/18
398位(同エリア1561件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/06/17
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将軍俑
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中級軍吏俑
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軍馬と騎馬兵
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文物陳列庁
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立射俑
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1号銅馬車
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2号銅馬車
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レストラン吉祥如意
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この旅行記スケジュールを元に
2号抗観光の続きです。
2号抗には完全な形で発掘された兵馬俑が展示されていました。
さらに文物陳列庁では秦始皇帝が座上していたであろう銅馬車の完全複製品がありました。
本物の1/2のスケールではありますが発掘時の物を完全複製していますので始皇帝時代の銅馬車の様子が良く分かりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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最近頓に記憶力と集中力が低下したため以前のように旅行記の作成が進まなくなりました。気力や体力の充電のため旅行記の作成を中断していましたが、ようやくシルクロード観光の旅行記を再開することにしました。
記録の断片を繋ぎながらの作成ですので説明不足などがあるかもしれませんが、ご容赦ください。
さて旅行記は2号抗の続きからです。
2号抗には完全な形で発掘された兵馬俑が展示されていました。写真は跪射俑。
弩を手にした弩兵で右膝を地に付けた形が特徴です。
地中に埋められた時は木製の弩を手にしていたはずですが長い年月の末に木製の弩は朽ち果ててしまい俑のみが残りました。秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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正面から見た跪射俑。
展示用の俑は全てガラスケースに入れられて保護されていますが、周囲は中国人観光客でごった返してしました。そのためまずはガラスケースの前までたどり着くのが一仕事。やっとの思いで最前列を確保しても女性客がガラスに頬をくっつけ、フラッシュを使用してスマホで写真を撮るものだからガラスが反射してまともに写真が撮れません。
フラッシュとフラッシュの合間を狙ってシャッターを切るしかありませんでした。さらにガラスは女性がほほをべたっとくっつけるものだから化粧がガラスについてあちこち汚れています。そのような状態の中、涙ぐましい努力の結果が左の写真なのです(チョットオーバーかな)。
そもそも内部の写真撮影はフラッシュ禁止のはずですが、この禁止事項を中国人は誰も守らない。また係員は誰もそれを注意しない。フラッシュを使用してバチバチ撮りまくっていました。
その昔孔子が説いた教えは何処に行ったのでしょうか?
このような状況で必要以上に時間を費やしてしまいました。私はツアーとはぐれないようにと耳に当てたイヤホンでガイドの声を聞き逃さないよう注意を払っていました。 -
左斜め前から写した跪射俑。
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この写真は背後から。
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これは将軍俑。将軍俑はとても数が少なく10件も満たない数だったそうです。
将軍俑は戦袍を着た将軍と鎧を着た将軍の2種類あるそうですが、展示されていたのは鎧姿の将軍俑でした。秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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中国語の説明では高級軍吏俑、俗称「将軍俑」でした。
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左前から見た将軍俑。
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中級軍吏俑です。
部隊長クラスの士官といったところでしょうか。秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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同じく中級軍吏俑。
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軍馬と騎馬兵。
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軍馬俑です。
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立射俑。弓兵の俑です。
先程紹介した弩兵とともに弩弓部隊を構成し、主力部隊である歩兵の外に配置されていました。
弩兵は鎧を着ていましたが弓兵は鎧では無く戦袍のみです。
弩弓部隊では弓部隊が戦陣の最も外側に配置されていたと考えられます。 -
立射俑の上半身のアップ。
以上で3号抗までの観光は終了です。
次は1980年10月に発見された銅馬車が展示されている文物陳列庁に行きましょう。 -
文物陳列庁の入り口です。
入り口には大きな世界遺産のマークがありました。この世界遺産マークはでかい。 -
銅車馬展○と表示された部屋が展示室です。〇・・・何と書かれているのか分かりませんでした。
秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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銅馬車は青銅之冠と照会されていましたがどんな意味なんでしょうね。
展示室には銅馬車が2両の他、御者が使用する鞭や盾、弩や弩などの他、部品名が記入された銅車馬の立体説明図がありましたが、これらは写真を撮っていません。
まず最初に多くの中国人観光客に取り囲まれた銅車馬を見に行くことにしました。
見学時間が少ししかないので先に銅銅車馬の写真を撮りに行こうとしたのです。 -
2両の銅車馬が発見された時の写真です。
発見されたのは2両の馬車と八頭の馬、2体の御者でした。
銅馬は写真のように横並びにされて埋められましたが馬車と御者は破壊されたようで変形した形で埋められていたそうです。
これらは半年かけて修復されましたが、ここに展示されている2両の銅馬車は実物の1/2のスケールで複製されたものです。 -
2両の銅馬車は縦に並べられて展示されていました。
先頭の馬車が1号銅馬車です。
この馬車は立車と呼ばれ車体の右に鞭と盾、前に弩と矢かけられているそうです。
ところがこれらがはっきり分かりません。
照明が落とされて薄暗いという事もありますが、馬車を覆ったガラスがとにかく汚いのです。
中国人観光客、特に若い女性がガラス板に頬をくっつけてスマホを押し当て、フラッユを光らせて写真を写すものだから、ガラスに化粧が付いて汚れまくっていました。さらにフラッシュを発光させるのでガラスは光で反射するし、まともな写真が撮れません。
フラッシュ撮影はここでも禁止ですが、そんなことはお構いなし。若い女性は我も我もと頬をくっつけてスマホをガラスに押し当て、フラッシュを発光させて写しています。
彼女らは必ずと言ってもいいほど写した写真を確認し、満足行かなければまたガラスの頬をくっつけて写真を写す。どの娘もどの娘も同じ動作の繰り返し。
だからどの娘もガラスの前から離れません。秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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そのうちあることに気が付きました。彼女らが何故頬をくっつけてスマホをガラスに近づけ、もしくはガラスに押し当てて写真をとるのかが・・。
自分が発光したフラッシュの光で写真が撮れないことを避けるためではないだろうかと。
私はスマホでこんな写し方をしたことが無いので分からないが多分そうでしょう。
ノーフラッシュで写せば綺麗に写るのになと思いましたが、もうあまり時間がありません。
何とか前に出なくては。 -
その時ある言葉が頭に蘇りました。それはロシアのガイドさんが言っていた言葉です。
「皆さん遠慮しないで下さい。もっと前に出て写真を撮って下さい。負けたらだめですよ。もっと前、前。」
そうです。ロシアのピョートル大帝夏の宮殿の噴水の前で我々にゲキを飛ばしていたガイドさんの言葉です。
その時は宮殿の噴水の前を多くの中国人観光客が占拠していて、我々や他国の観光客は噴水の写真が撮れなかったのです。
そう言えばあの声に背中を押されて前に出たんだな。そうしたら写真が写せた。ここは一丁頑張ってみるか。 -
あの時あの声に後押しされたように片方の肩を割り込ませて少しづつ自分の立ち位置をガラスに近付けて行きました。
こうしてガラスの最前列に出て写真を撮り始めました。 -
この写真は1号銅馬車の前方から写した写真ですが白くぼやけて見えるのがガラスに付いた女性の化粧品の跡。
もちろん私はノーフラッシュ。ガラスのあちこちにこのような化粧品の跡が付いているためまともな写真が写せるのかなと心配していましたが、何とか見られる写真だったので一安心。 -
1号銅馬車の説明をします。
1号銅馬車は先導車で2号銅馬車が始皇帝が座上した馬車と考えられています。そのため1号銅馬車の御者は剣を帯び弩や矢などの武器を携えていました。 -
ガラスが汚れているので写りが良くないですね。
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1号銅馬車には傘が建てられていますが、これはおそらく日除け用だと思います。
ガイドさんから説明はありませんでした。 -
御者のアップ。
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ガラスが汚れていますね。もっと綺麗な状態で見られればよかったのですが、悔やんでも仕方がない事です。
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4頭立ての馬車でした。
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今度は反対側から見てみましょう。
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こちら側のガラスはまだましな方でした。
写真では綺麗な印象です。 -
1号銅馬車。この馬車は客車や荷車を引いていません。
2号銅馬車の護衛の役目もあったようなので軽快さを求められたのでしょうね。 -
1号銅馬車と御者。
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1号銅馬車。
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1号銅馬車の御者は立ちっぱなしですね。
前から見た姿は座っているように見えたのですが実はそうではなかった。体力が無いと厳しいでしょうね。 -
こちらは2号銅車馬。
1号銅馬車同様実物の1/2の縮尺で作られた複製品です。この馬車は温涼車といって始皇帝の専用車でした。
この銅馬車(オリジナルの銅馬車)は始皇帝が行った天下巡遊に使用されたと考えられています。 -
始皇帝の馬車ならばもっと豪華な高さのある馬車かと想像していましたが、高さの低い亀の甲羅のような馬車でした。
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実際のスケールの1/2のですが馬の背の高さと比べると高さが低い馬車であったことが分かります。
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2号銅馬車。
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2号銅馬車。こちらのガラスも汚れている。
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2号銅馬車。
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2号銅馬車。
馬車の側面には装飾が施されていますが文様はいたって地味な物のように見えました。
ここで疑問が・・・。始皇帝がこんなに地味な馬車に本当に乗っていたの?
皆さんもそう思いませんか?でももう少し深く考えてみましょう。
始皇帝の馬車であれば巡洋した先の民に皇帝の威光を示さねばなりません。そう考えると当然金銀で装飾された豪華な馬車だったはずです。
出は何故こんなにも地味なのか。それはこれらの複製品が発掘当時の状態を忠実に再現したからに他なりません。
発掘当時金銀製の装身具が1494件も発掘されたというのがそのことを物語っていると思います。 -
2号銅馬車の御者です。
狭い所に座って手綱を操っていたんですね。窮屈そう。 -
2号銅馬車と御者。
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2銅銅馬車。
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温涼車の外側の装飾。製作当時の華麗な装飾は失われ青銅の地金で覆われていました。
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これで秦始皇兵馬俑博物館の観光は終了。
行きはカートで博物館まで来ましたが帰りは歩きです。
写真の博物館出口から駐車場まで歩きましたがその距離が遠い。広い道の両側には延々と土産物店がひしめいていてその数の多さに驚いた。
道行く観光客は中国人だらけ。日本人や韓国人、欧米人もいたはずだが中国人の流れに溶け込んで全く分からない。
どうしてこんなに中国人が集まって来るのかと思うほどの大混雑だった。
ガイドはツアーの旗を掲げて迷子にならないように、よそ見をしないようにと注意を我々に与えていた。
ガイドの説明によると、旅行は今や中国人のステータスだそうだ。そのため国内、国外に限らず多くの中国人が観光地に集まって来る。ここが特別な訳ではない。
土日ともなればどこの観光地も中国人観光客でごった返しているそうだ。
今日は月曜日でこんなに混んでいるのだからさぞかし昨日の日曜日はすごかったんだろうなと思っているとガイドがこんな質問をしてきた。
「日本の皆さんはあまりご存じないでしょうが、中国では今日は何の日でしょうか?」当然誰も知らない。
そこでガイドがヒントを出してくれた。最初のヒントは「ちまき」に由来する人物。2番目のヒントは忘れてしまった。3番目のヒントは戦国時代の楚の政治家で詩人としても有名な人物。政敵に左遷されて悲憤の内に首都が秦に攻め落とされ、その将来に絶望して入水自殺したそうです。
第3のヒントが出たところである女性が「屈原」と回答。
正解です。屈原は楚の政治家で詩人としても有名な人物です。「楚辞」と言う詩集の名を聞けば思い出された人は多いかと思います。私も高校時代に漢文で習いました。
また当時を描いた歴史小説でも必ず名前が出てくる人物です。中国ではその屈原をお祭りする日が6月17日なんです。この日は中国では「ちまき」を食べる日だそうですよ。
何でも人々が屈原の命日に屈原の無念を鎮めるため楝樹の葉で米の飯を包み五色の糸で縛って川に投げ込むようになりました。これが「ちまき」の由来です。
6月17日は屈原の命日でこうして「ちまき」を食べて屈原を祭る日になったそうです。ところで屈原の命日はWikipediaによると5月5日と書かれていますが、ガイドは6月17日と言っていました。どちらが正しいのでしょうか?Wikipediaでも5月5日に死亡したという確たる証拠はないとの事。民間伝承程度も風聞のようです。
所で中国では6月17日は休日になる所が多いそうです。そのため今日はことのほか中国人旅行客が多いとガイドさんは話していました。秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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秦の始皇帝陵遠望です。
始皇帝陵の麓に立ち寄るツアーもありますが。、我々のツアーは格安ツアーのため車窓観光になっていました。
そのため見晴らしの良い所でバスを降りて遠望しました。陵は小山のようでしたね。秦の始皇陵 史跡・遺跡
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始皇帝陵のアップ。どう見ても山にしか見えません。
秦の始皇陵 史跡・遺跡
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この赤い土塀の中は秦代の歴史的遺跡がある場所でまだ未発掘の所です。
兵馬俑もこの区域内の畑で発掘されました。そのため広範囲の区域を歴史保存地区として定め、区域内の住民や農民は強制的に他の区域に移転させられました。
当局のお達しでこの中に入るのは厳禁されています。入って捕まればそれ相応の処罰が待っているのだとか。 -
西安旧市内に戻る途中で車窓から写した華清池にある玄宗皇帝と楊貴妃像です。
華清池は西安の東30㎞にある驪山の麓の温泉地で唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場所として知られています。
この地は古くから良質な温泉地として知られ周王朝から唐代に至るまでの各皇帝が避寒の場所として離宮を造営しました。
玄宗皇帝はここに華清宮という行宮を造営し毎年寒さを避けるために楊貴妃と訪れました。
玄宗皇帝は楊貴妃との愛に溺れるにつれて政務がおろそかになり、世が乱れてついには安禄山の乱を招くことになりますが、華清池は楊貴妃とのロマンスの場所であり、また凋落の原因ともなった場所でもあるのです。華清池(驪山温泉) 温泉
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西安市内に戻ってきました。
市内のレストランが昼食会場の予定でしたがやって来たここは絲綢之路展覧館(シルクロード博物館)。ここに来たのは予定外の観光をするのかと思いました。
我々はバスを下車してガイドの後に付いて行きました。
階段を上がった先にある建物の中央が入り口で左端にチケット売り場がありました。
ガイドは階段を上がると左端に向かったのでそこでチケットを買うのかと思ったら、チケット売り場を素通りしました。
「え、博物館に行くんじゃないの」私が心の中で叫ぶもガイドはどんどん先を歩いて行きます。 -
チケット売り場を通り過ぎるとこのような通路があり、ガイドは先へ先へと進んで行くのです。
写真で前を行くのはツアーの皆さんです。 -
たどり着いたのはここ。この建物は先程の博物館の隣に建っていた建物です。
入り口は厚いビニールカバーで覆われていました。
建物の入り口の上には何やら書かれていますがはっきり読めません。 -
ズームにすると「吉祥如意」と書かれています。
ここはお寺なの?兎も角中に入りましょう。 -
中に入ると御覧の通り、大きなホールに沢山の円卓があるではありませんか。
ここはレストラン?それにしても大きなホールです。
お客は我々だけみたい。大ホールの片隅に我々だけが席を取って料理を待ちます。
円卓は沢山あるので隣の席とは十分に余裕を取って着席、ゆとりの昼食でした。 -
料理は御覧の通り。この後も次々と出て来たので昼間からボリューム一杯の食事でした。
このレストランはどの料理も美味しかったのですが特に麺料理が美味しかったですね。 -
これで全部料理が出て来たようです。全部で11品でした。
中華料理は何処で食べても美味しいのですが、この店は麺に特徴があったので記憶に残っています。
でもこのレストラン、ツアー以外では行くことないでしょうね。 -
バスの出発までしばし写真タイム。
シルクロードと言えば張騫。張騫の左右に2体の騎馬像がありましたが、これは衛青と霍去病でしょう。 -
敦煌莫高窟の飛天かな。彩色するとこんなに奇麗。
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月牙泉と砂漠。鳴沙山に登ってこの景色を見たかったな。
バスが出発しまーす。 -
バスは西安市内に向かいます。
ここはまだ城壁の外ですが西安は大都会なんですよね。とにかく広い。 -
次の観光地は日本人なら是非とも訪れてみたい青龍寺です。
このお寺、弘法大師空海さんが恵果阿闍梨から密教の奥義を伝授された場所なんですよね。
私は真言宗ではないけれど、中学時代からなぜか空海さんには心惹かれていました。
その場所に行けるなんて心弾んで仕方ありませんでした。
次の旅行記は西安市内観光です。訪問いただきまして有難う御座います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- リリーナ (Folha)さん 2023/01/27 15:15:31
- 中国の旅行記
- 久しぶりの中国の旅行記お疲れさまでした。
楽しく読ませていただきました。
博物館内の中国人の方々の振る舞いは、ある意味「さすが」の一言ですね(苦笑)
私も想像がつくのでポポポさんの苦労もお察しします。
旅行記の続きも気長に楽しみに待っています(#^^#)
- ポポポさん からの返信 2023/01/27 22:28:09
- お久しぶりです。
- 今晩は。お久しぶりですがお元気ですか?
久しぶりの中国の旅行記お疲れさまでした
> 楽しく読ませていただきました。
中国の旅行記、一旦中断すると次の書き出しに手間取りました。記憶力が急速に落ちて写真を写した時の記憶が戻らないんです(笑)。
日本の旅行記と中国の旅行記と今月は2つの旅行記を掲載できたのでやっと調子が出てきました。
今次の中国旅行記の写真を選んでいるところです。
> 博物館内の中国人の方々の振る舞いは、ある意味「さすが」の一言ですね(苦笑)
> 私も想像がつくのでポポポさんの苦労もお察しします。
悪戦苦闘の様子ご理解いただき嬉しいです。でもあのパワーはどこから来るんでしょうか?私さえ良ければいいというあの厚かましさには恐れ入ります(笑)。
>
> 旅行記の続きも気長に楽しみに待っています(#^^#)
はーい、ありがとうございます。次の旅行記は来月始め頃に掲載できるよう頑張ります。応援ありがとうございました。
ポポポ
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