2019/06/11 - 2019/06/18
44位(同エリア506件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/06/11
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漢代長城
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漢代長城
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玉門関ビジターセンター
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玉門関西門
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玉門関北門
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疏勒河と漢代長城
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敦煌古城
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敦煌賓館
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商業一条街
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この旅行記スケジュールを元に
陽関の次は漢代長城と玉門関へ。
玉門関は天山南路天山北道の入り口、西域との境界に造られた関所です。
漢の武帝の時代には河西回廊を守るために建てられました。唐代には東西交易の関所で河西回廊の防御拠点でした。
漢代の長城は玉門関の北を領地としていた匈奴の侵攻を防ぐために建てられた万里の長城の一部です。漢の武帝の時代には衛青や霍去病という英雄が匈奴討伐のため玉門関から出陣しました。
そのような古代の歴史絵巻が繰り広げられた場所なので心が躍りました。
6月13日の旅程
敦煌ー莫高窟ー陽関ー漢代長城ー玉門間ー敦煌市場ー敦煌(泊)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
6月13日、敦煌地区の観光の続きです。
陽関の次は北に進路を取り漢代長城と玉門関に向かいました。
漢代の長城は匈奴の侵攻を食い止めるために設けられたもので、匈奴の勢力地域である敦煌の北方に造られました。
北に向かう途中は写真のような灰色の砂漠が続いていました。 -
鈍よりとした灰色の広大な砂漠には心も沈みがちで、いつの間にかバスの中は重苦しい沈黙が続いていました。
エジプトの褐色の砂漠とは全く印象が違います。砂漠はやはり褐色の砂の砂漠であってほしいと感じました。 -
陽関から走ること約1時間半、右車窓に関所のような建物が見えてきました。
これは玉門関ではありません。玉門関にそっくりな建物なので漢代の関所と思われますがガイドブックには表示がありません。
砂漠では烽火台をいくつも目にすると聞いていましたが、このような建物の跡があるとは知りませんでした。
但しこの建物、入り口の表示がないので何かの倉庫だったのかもしれません。
また建物の左右に残る崩れた石の小さな小山は漢代長城の跡のようでもありました。 -
さらにそこからバスで走ること7分、漢代長城に到着しました。
長城の説明板には「敦煌漢長城遺址」と書かれ、ユネスコの世界遺産マークがありました。 -
漢代長城の遺跡です。
中央右寄りの部分は風砂等によって崩壊した長城です。 -
崩壊した漢代長城。
漢代の長城は当時の関所であり西域の最前線基地であった玉門関の北側に作られていました。嘉峪関から玉門関の北を西に延びる長城は匈奴に対する防護壁でした。
匈奴と漢は互いに友好関係を結んでは破約していたので常に緊張を絡み、時には頻繁に匈奴の侵攻を受けていました。
匈奴が漢の領内に進攻する際には長城を破壊して進入したので、長城の崩壊した理由の一つには匈奴の侵攻が上げられます。 -
漢代長城の状態が良く残っているのがこの地域なので、現在では一般的に漢長城というとこの辺りの長城を指すようになったそうです。
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この地域の漢代長城は長城の姿を留めている所もありますが、崩壊して砂漠の一部と化してしまった部分もあります。
その両方を見ることができるのでここは貴重な場所と言えるでしょう。 -
こちらはほぼ製作した時代のまま残った漢代長城。
上部が風砂により摩耗していますが、2000年以上も前に泥と藁などで作られた長城です。 -
何層にも土と藁などの層を重ねて作られた泥の城壁。
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「漢長城遺址」の石碑。
漢代長城はこの辺りが最もいい状態で残っているそうです。 -
延々と造られた長城をみると、よくぞ紀元前にこんな長大なものを造ったものだと感心するとともに、匈奴の脅威がいかに重く漢帝国にのしかかっていたのかひしひしと感じます。
漢長城の左端に見えているのは漢代の烽火台。烽火台は長城に併設して建てられていたんですね。 -
漢代長城。
今は長城に平行して柵が設けられているので、近づいて見ることはできません。 -
漢代長城と烽火台。
左隅、烽火台の周辺の長城は崩壊していました。 -
漢代長城のアップ。
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右に並ぶ長城は崩壊が激しかった。
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「敦煌地質公園文化遺址遊覧区」と「漢長城遺址」の説明板。
日本語の表題は漢万里の長城遺跡と表示されていました。
奥に見えるのは漢代の烽火台。その周辺の漢代長城は僅かに壁の一部が見えるだけでした。
現在17時30分、今から玉門関に向かいます。 -
漢代長城から10分弱で玉門関に到着しました。
玉門関に行くには前方のビジターセンターを通り抜けないといけません。
そのためガイドを先導にビジターセンターに向かいました。 -
ビジターセンターの入り口です。ツーリストサービスサービスセンターと表示されています。
我々はここでトイレ休憩。トイレは無料でした。
この中の建物を抜けて玉門関に向かったのですが、ビジターセンターは博物館も兼ねていて、建物の中に入ると沢山の陶板で作られた大きなシルクロードの歴史絵巻が展示されていました。
匈奴討伐で功績を挙げた衛青・霍去病やシルクロードを旅して正確な西域の情報をもたらした張騫、さらに匈奴との戦闘場面などが描かれていました。
一番記憶に残っているのが張騫です。大絵巻の左に大きく描かれていたのが張騫ですが写真はありません。
歴史大絵巻が大きすぎてカメラのファインダーに入りきらなかったのです。
今思えば一部分でも写しておけばよかったと少し後悔しています。
主な展示品は発掘されたもので、建物の礎石、石壁の断片、壺や食器などの陶片、衣の端切れ、砂から出土した縄など。
この他にも色々あったのですがどんなものだったか正確には憶えていません。 -
館内にいくつも表示されていたプレート。
中国のスローガンの一つで、ガイドの説明ではいわゆる「ローマは一日にしてならず」的な意味合いだったと思いますが、2年前のことなので記憶が曖昧です。もしかしたら記憶違いかもしれませんのでその場合はご容赦ください。 -
玉門関の再現模型です。
本当にこんな形だったのかと思うくらいに現在の姿とは異なります。
玉門関は漢の時代に造られましたが、現在残っている関所は唐代に作られた物だそうです。
そうすると模型は漢代に造られた玉門関を再現したのかもしれません。 -
ビジターセンターを出ると見えてきたのが玉門関。
漢の武帝の時代に河西回廊を守るために造られた関所です。天山南道の入り口に造られた陽関と同じように天山北道の出発点の地に造られました。後に武帝が河西四郡を置いて西域経営を行った時はその拠点となりました。現在残っているのは唐時代に建てられたもので、唐時代にはシルクロード交易の関所で河西回廊の防御拠点でした。
また名前の由来は西域諸国から玉を輸入する時にその通り道になったことから玉門関と呼ばれるようになりました。
建物は北と西に門があり、西域に行くには北門から入って西門に抜け、長安に行くには西門から入って北門から出たそうです。
見えている入り口が西門で、建物の左に見えるのは北門から行ける見晴らし台です。
写真は玉門関をアップにしたもの。玉門関 史跡・遺跡
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日本では玉門関と呼んでいますが中国名は「小方盤城」。
そのため石碑には「小方盤城遺址」と刻まれていました。世界遺産「シルクロード長安ー天山回廊の交易路網」の構成資産です。玉門関 史跡・遺跡
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玉門関と北側にある見晴らし台。
玉門関 史跡・遺跡
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玉門関の入り口である西門。
ここから中に入りました。玉門関 史跡・遺跡
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玉門関の内部と北門の出口。
玉門関の内部には何もありません。ただ旅行者が歩きやすいように板が敷き詰められています。
ここで注意事項。ここには蚊がいますのでご注意ください。この蚊に刺されるととにかく痒い。私はここで刺されて帰国後1週間ほど痒みが止まりませんでした。
事前に4トラメンバーさんの旅行記でこの情報を得ていたため防虫スプレーをしっかり掛けていたんですが、靴下の上から右足首を刺されてしまいました。
防虫スプレーは効果なかったようです。玉門関 史跡・遺跡
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玉門関の内部。今は板が敷き詰められた床と、ゴツゴツした泥壁が残るだけ。
玉門関 史跡・遺跡
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北門から外に出ると風砂で浸食された烽火台の跡がありました。
この烽火台も漢の武帝の時代には、匈奴の侵攻を告げる烽火が頻繁に上げられたのでしょうね。 -
玉門関の北側を流れている疏勒河。
疏勒河は大河ですが夏期には川が干上がり、所々水たまりが見える程度でした。
その川向うに見える低く連なる土塊のような物が漢代長城の遺跡。先程観光した漢代長城とは異なり、こちらは激しく朽ち果てていて土塊の小山が連なって見えています。 -
長城が見難いので少しアップにしました。
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漢代の長城は疏勒河に沿って延々と続いていました。
漢の時代、長城の北は匈奴の勢力圏でした。衛青や霍去病は玉門関を前進基地として漢軍の騎馬隊を率い、匈奴の騎馬隊を撃破していったんでしょうね。
2人の将軍の大活躍により匈奴の勢力は遠く北に追いやられました。その結果安全な交易路が確保され西域諸国との交易が盛んになりました。 -
こちらは北東方面の疏勒河と漢代の長城です。
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玉門関の北門。関所の出入り口があるのは西門と北門のみです。
玉門関 史跡・遺跡
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再び疏勒河。河の手前(玉門関側)はかなりの高台になっていました。
匈奴が玉門関に攻め寄せるには漢代長城と疏勒河、そしてこの高台を突破しなければなりません。人工の長城と2つの自然の地形が玉門関を守る防御線になっていたようです。 -
見晴らし台から玉門関北門を望む。
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玉門関北門。
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右が玉門関西門、左が北門です。
唐代シルクロードの隊商は西門や北門を通過して長安へ、そして西域から中央アジアへと交易を続けていたんでしょうね。
玉門関はこれらの事実を今に伝える貴重な歴史の生き証人です。 -
玉門関の西門と見晴らし台。
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玉門関西門正面の様子。
以上で玉門関の観光は終了。敦煌市に戻ります。 -
再び灰色の砂漠の中を敦煌市に向かっていると右車窓に城壁が見えてきました。
これは敦煌古城、井上靖原作の小説「敦煌」の映画撮影時に建てられたオープンセットです。 -
敦煌古城の全景。
現在はテーマパークとして利用されていて、時には映画やTVの時代劇の撮影にも使用されているそうです。
旅行会社のツアーではここを観光先に組み入れている所もありますが、我々のツアーではスルーしました。 -
敦煌古城のアップ。
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敦煌古城。
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敦煌古城の城壁。
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敦煌古城の城壁と裏門。
ここを過ぎると敦煌まで灰色の砂漠ばかり。バスの中でうとうとしていたらいつの間にか敦煌市内に帰ってきました。 -
今宵の夕食は敦煌市内のレストラン。レストランは「敦煌賓館」という名前。
中に入るまでレストランと思っていましたが、実はここは敦煌で有名なホテルだったのです。
建物の中に入ると飛天像を配した噴水がありますがこれには驚きました。ガイドに案内されたレストランはとても豪華な部屋。レストランにしては豪華過ぎる部屋だと思っていたがこの時はまだホテルとは気づいていなかった。
席に着くと添乗員から今宵の夕食は日本食だと知らされました。何でも前回参加したツアー客から日本食が食べたかったとのアンケートが多く、我々のツアーから日本食に変更したそうです。そのため今宵の日本食はサンマ定食だったのです。
わざわざ敦煌まで来てサンマ定食を食べないといけないのか?添乗員の説明に皆ブーイング。
皆が一応に感じたのが、こんなに遠くにある内陸で新鮮なサンマが食べられるのか?という事と、中国に旅行に来たのにサンマ定食は無いだろうということだった。皆が少なからず疑問を持ちながら食事が始まった。
サンマ定食なので食事の写真は撮りませんでした。
ちなみにお品書きは・・・サンマ・肉じゃが・サラダ・冷奴・味噌汁・茶碗蒸しだった。
ビールは40元(710円)紹興酒1本100元(1800円)と一般のレストランよりも少し高め。
で、肝心のお味は?どこで食べてもサンマに変わりはないようですが、油分が少なくパサパサしていました。それと鮮度が日本の物と比べると落ちますね。
内陸なのでこれは致し方無いと思います。
食後ツアー参加者からは「日本食は止めにしましょうよ。こんな食事を食べに敦煌まで来たんじゃないですよ。」と非難ごうごう。
添乗員は「もう日本食は止めにします。帰国したらその旨トップに進言します。」と言っていました。多分以降のツアーでは日本食は中止されたことでしょう。 -
このレストランがホテルのレストランだったことも、しかも名門ホテルだったことも帰国してから知りました。
名門ホテルのレストランだったならやはり本場の敦煌料理を食べてみたかったと思いました。
さてこのホテル、老舗の高級ホテルで国内外の要人がよく宿泊しているホテルなんだそうです。
そう聞いたら入り口左壁の敦煌美人図は場違いのようにも感じました。 -
ホテルのロビーにある飛天の噴水。
ロビーに噴水があるホテルは初めてでした。写真を写した時は放水がありませんでしたが放水が始まるとそれなりに綺麗です。
但しロビーに圧迫感があるのであまり好ましくはないと思いました。 -
食後は夜の敦煌市内に出かけました。この日は全員で夜の沙州市場を観光することになっていたのです。
写真は夜の敦煌市内の様子。 -
夜の敦煌市内。
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反禅琵琶の像があるロータリーにやってきました。
これから商業一条街に向かいました。旅程では沙州市場に行くはずでしたが添乗員が案内してくれたのは商業一条街の屋台や出店とその奥にある敦煌夜市でした。 -
商業一条街にやって来ると昨夜沙州市場で寸劇を演じた役者さんたちが向こうからやって来ました。今から沙州市場で昨夜と同じように寸劇を演じるのでしょう。
女優さんにカメラを向けて写真を撮ったのにピンボケ。ピントが後ろの人物に合ってしまったのです。失敗作ですが雰囲気を知っていただくために掲載しました。 -
一条商店街の屋台や出店で一番目に着いたのが木彫りの壁かけでした。
敦煌なので飛天を題材にしたものが多いのですが、中国伝統の題材であるボタンと孔雀の図柄や、彫り物ではなくシルクロードの絵を描いたものもありました。 -
飛天を題材としたものでは反禅琵琶が多かったように感じました。
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こちらの屋台では右下の画家が描いたシルクロードの風景印象画の壁かけが売られていました。
ここの市場では値札が付けられていないので価格がさっぱり分かりません。価格が表示されていないという事は交渉次第ということらしいです。 -
こちらは敦煌市場の飲食店街です。
道の両側に飲食店がずらりと並んでいます。ここではツアー仲間の男性5人が二次会だと言って飲み会を始めました。
翌日聞いたらビールは樽で注文したけど値段は日本の6掛けくらいで、料理も安かったと言っていました。
敦煌の飲食はこの市場でされたら安上がりでしょうね。敦煌夜市 露店・屋台
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敦煌市場で宴会グループと別れ、我々は先にホテルに到着しました。
ホテルに着いた時は22時をすでに回っていました。早朝からまる一日かけて敦煌をあちこち観光したので帰りが遅くなったようです。
皆さんお疲れのようでした。明日も早いので今日は早めに休みましょう。
明日も敦煌を旅行しますよ。敦煌二日目の旅行記はこれでおしまいです。
訪問下さりありがとうございました。Grand Sun Hotel Dunhuang ホテル
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