2019/06/11 - 2019/06/18
18位(同エリア217件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/06/16
-
尼雅遺跡
-
ミーラン遺跡の有翼天使像
-
楼蘭の採色壁画
-
民族民俗資料陳列館
-
夕食はホテルのレストランで
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
新疆ウイグル自治区博物館の後編です。前編は博物館の2階にあるミイラが中心でしたが、後編は歴史文物や民族民俗資料陳列館の様子をお送りします。
歴史文物は時間の関係で書画や墨蹟、書物の展示などは見れませんでしたが尼雅遺跡やミーラン遺跡、アスターナ古墳群から発掘された副葬品に優れたものが多かったので、これらを中心に紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
2800年前に埋葬されたミイラが発掘された扎滾魯克墓地遺跡から出土した副葬品と発掘現場の写真。
陶器の壺や弓などが展示されていた。 -
同じ墓地から発掘された梳(そ)の説明である。梳とは櫛のこと。当時梳は木と角で作られており、この遺跡からは種々の梳が出土したことが分る。
出土した梳は写真右下隅に展示してあった。
中央下の黒い帽子は埋葬されたミイラに被せてあったもの。その左の衣装もそうである。 -
扎滾魯克墓地の遺跡から出土した衣類の切れ端
-
同じく扎滾魯克墓地から出土したカラフルなデザインの毛布。
-
同遺跡から出土した衣類の端切れ。
-
2800年前に埋葬された扎滾魯克遺跡のミイラは手に刺青がされていましたが、ハミで発掘されたミイラは手首入れ墨がされていました。
-
顔に刺青をされたミイラもありました。
3800年前の小河墓遺跡では1件でしたが2800年前のミイラが発見された且末扎滾魯克撥遺跡では顔に刺青がされた例が5件挙げられていました。 -
2800年前にウイグルに居住していたソーカロイドの生活ぶりのジオラマ。
-
遺跡から発見された2800年前の小麦で作られたナン。西域で食べられているパンである。ナンの起源はここなのかな?
-
石人像です。
新疆ウイグル自治区の北部、アルタイ山脈沿いの地域からの出土品。
墓の前に立てられていたそうである。 -
こちらは鹿石と呼ばれる石柱。石に鹿が刻まれているそうだが鹿の様には見えなかった。鹿といえば鹿なのかなという程度。
鹿石の背後にある壁は古代人が残した壁画。 -
壁画の写真。4000年前の物とだけしか記憶が無くウイグルのどこで発見されたのかは分からない。肝心なところをメモっていなかった。
-
壁画のアップ。男女を描いた者だが特徴をよく捉えている。
-
楼蘭古城の写真。建物の形を留めない土塊と木々が散乱している他は何も無い。ここが華やかな楼蘭王国の王都とはとても思えなかった。
NHkのシルクロード第1集で取材された映像もこのような状態だったと記憶している。城壁の破片すら見当たらなかったのだ。
それもそのはず、楼蘭の都はロプノールの核実験場のすぐ側だったからだ。まだ土塊だけでも残っていたのが不思議なくらいだ。 -
尼雅(ニヤ)遺跡の仏塔。尼雅遺跡はタリム盆地に広がるタクラマカン砂漠にある遺跡でシルクロードの西域南道のルート上にあった古代都市である。
紀元前1世紀から紀元4世紀までに栄えた幻の都で当時「精絶王国」と呼ばれていた。
尼雅遺跡は1901年、イギ次リスのスタインによって発見された。スタインはその後1906年、1914年と3次に渡ってこの遺跡の調査を行っている。遺跡の規模は東西7㎞、南北25㎞に及び、仏塔を中心に70の住居跡、多くの墓地や家畜小屋、窯跡や果樹園や畑、枯渇した河床などがある。多くの遺構や遺物が発見されたが木簡に書かれたカローシュティー文字は当時の近隣国の様子を知るうえで大変貴重な発見となった。
カローシュティー文字は古代のタクラマカン砂漠周辺のオアシス国家で使われていたインド系の文字で、ガンダーラ地方の人が使用した文字が伝わったと考えられている。
現存最古の仏典もカローシュティー文字で書かれている。 -
尼雅遺跡の貴族の館跡。
-
尼雅遺跡の出土品。
男女の衣服に木簡のような物が展示してあります。近寄ってみましょう。 -
やはり遺跡から出土した木簡です。
どの木簡にもカローシュティー文字が書かれていますが、一番文字が分かり易いのは左端の木簡です。 -
ミーラン(米蘭)遺跡の佛寺(第3仏塔)遺跡から発見された双翼飛天の壁画。
ミーランはタクラマカン砂漠の東南、楼蘭古城の南西にある仏教遺跡である。
1907年にこの地を訪れたオーレル・スタインがこの地を訪れて第3仏塔の壁に有翼天使像の壁画を発見した。
上段の写真の右端のドーム型の建物が第3仏塔だ。ここで発見されたのが中段左から二番目の有翼天使像だった。スタインは後日ミーラン遺跡を再び訪れ、この壁画を含めた有翼天使像の壁画を剥ぎ取ってインドへ運び去った。現在はインド国立博物館で保管されている。
この遺跡は日本の大谷探検隊も訪れており、隊員の橘瑞超が壁画の剥ぎ取りを試みた。しかしながら漆喰剥ぎ取りの専門技術を有せず、剥ぎ取りの経験もなかったため壁画の一部を砕いてしまった。後にこの壁画を再訪したヘディンはその著書で床に壁画が描かれていた漆喰が砕けて散乱していたと述べている。
橘が周囲の漆喰を砕きながらも何とか剥ぎ取ることができた有翼天使像の一部は現在東京国立博物館に収蔵されている。
残った有翼天使像はスタインによって剥ぎ取られ持ち去られたのだ。 -
ミ―ラン遺跡の有翼天使像。
頭頂部の髪を残し、耳の上の髪を剃る髪型は東洋風だが、顔立ちは西洋風に描かれている。
ギリシアやローマよりはるかに離れたタクラマカン砂漠でこのような天使像が描かれていたとは誰が想像したであろうか。
アレキサンダーの東方遠征でギリシアとオリエントが融合したヘレニズム文化が生まれた。そしてその文化はシルクロードを通じて西域に伝わったのだ。
ガンダーラ地方で使用されていたインド系のカローシュティー文字もこのようにして西域の砂漠地帯に伝わった。この有翼天使も同じルートを通じて伝わったのであろう。 -
ミーラン遺跡の有翼天使像。
-
楼蘭故城近郊の墓で見つかった彩色壁画。
2003年2月敦煌故城当方25㎞地点で発掘された小さな墓からこの壁画は見つかった。
そしてこれは楼蘭で見つかった最初の壁画だった。
墓室の壁画には6人の人物画描かれていた。壁画中央の赤い服の男性はイラン風の先の細い髭をして、手にゴブレットを持っている。
右隣りの男性はエンジの服で手に皿のような物をもっている。
赤い服の男性の左隣は女性だが、赤い服の夫人のようにも見える。夫人は酒杯を手にしている。
6人の人物の顔は削り取られているが男性の顔の下半分、女性の顔の削り取られた顔の残りの部分、女性の左側の男性の顔はいずれも白く塗られていたことが分る。
これらからも古代楼蘭人はソーカロイド(白人)であったことが証明されたのである。 -
アスターナ古墳群から出土した彩色泥俑。
墓に埋葬された彩色俑は軍人、役人、宦官、胡人、墓守の架空の動物などだが、リアルに作ってあった。
展示してあるのは墓の主を悪例から守る鎮墓獣と騎馬兵、馬やラクダ、宦官や胡人の俑。いずれも唐代の作である。新疆ウイグル自治区博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
正面の動物は鎮墓獣、その下の男性の俑は彩絵泥塑伏昕像。
-
鎮墓獣は唐代の作。1972年にアスターナ古墳群から出土した。
頭は獅子、胴体は豹、牛の蹄を持った3体合体の空想の怪獣。悪霊から主を守るための怪獣なのでたてがみを立て、口を大きく開けて近づくものを威嚇する。 -
彩色された泥俑。伏して耳を傾け何かの音を聞いている姿の俑だがなぜこのように大きな俑が埋葬されたのかは分からない。
-
鎮墓獣や馬やラクダの俑の周りには騎馬兵の俑がズラリと並んでいた。
馬やラクダは亡くなった主人が常に使用していた家畜と思われる。 -
彩色騎馬男泥俑。
アスターナ古墳から出土。アスターナ古墳群から出土した彩色泥俑は非常に質の良いものが多い。いずれも唐代の作であるが歴史的出土品というよりはフィギアのような親しみのある作風だった。 -
彩色騎馬男泥を別の角度から。
-
彩絵天王踏鬼木俑。鬼が天王に踏まれた姿の彩色された木の俑である。
唐代の作。この木俑は彫られた30個のパーツを組み合わせて作られている。
天王の木俑は墓の守護神として墓の被葬者を守るために作られた。 -
出土した種々の銅鏡。
-
胡人の頭部の泥俑。
-
彩色された胡人の泥俑。
-
伏義女媧図。
伏義と女媧は中国古代神話に出て来る神で二人は夫婦もしくは兄妹とされる。
伏義は中国神話に登場する神または伝説上の帝王。古代世界において様々な文化を初めて作った存在。
女媧は中国神話に登場する人類を創造した女神。二人は蛇身人首の姿で表され、下半身の蛇尾は絡まっている。
伏義は左手に金尺を持ち、女媧は右手に金差を持っている。二人の情報には太陽が、尾の下には月が描かれ、二人の周囲には星を表す丸い円が描かれている。 -
タクラマカン砂漠にあるホータン近郊の遺跡から見つかった観世音菩薩の壁画。
見つかったのはホータンの尉遅派の壁画で遺跡の近くの砂の中から発見された。
ホータン国は漢の武帝の時代にすでに存在を知られており、唐の時代に最も繫栄した仏教王国だった。繁栄の基礎は「崑崙の玉」と呼ばれる「ホータンの玉」だった。品質の良い「ホータンの玉」は中国の歴代皇帝から王権の象徴として、あるいは霊力を持つものとして珍重された。
その富がホータンに一大仏教芸術を華開かせることになる。仏教を保護し、仏教を押し広めた王家の尉遅一族の中から仏教世界を描く絵師が現れたのだ。
彼らは複数の絵師で後に「尉遅派」と呼ばれ、7世紀唐の都長安の大寺院のほとんどの壁が尉遅派の絵師によって描かれたそうだ。
彼らの画法は「屈鉄線」と呼ばれる太く力強い輪郭線、この画法はホータン国滅亡から千年以上も経った今では全て失われてしまった。地元ホータンにも長安(西安)周辺にも1枚も残っていないとされていたのだ。
唯一残っていたのが日本の奈良法隆寺の金堂壁画第6壁の「阿弥陀浄土図」である。
これは唐へ渡った遣唐使や留学生が尉遅派からその画法を学んで日本へ持ち帰ったと考えられている。
ところが2000年代になって失われた画法で描かれた壁画が砂漠の中から見つかったのだ。ホータン国の都にはかなりの寺院伽藍が建ち並んでいたという。
この壁という壁には尉遅派の壁画が描かれていたと考えられる。今後砂漠の中からいくつもの壁画が発掘されることを願って止まない。 -
2004年の夏、ホータンの近郊にあるドモコの「小仏寺」の北17㎞の地点で発見された壁画。描かれていたのは千手観音で蓮の花に小さな仏が、右上の掌にはネズミが描かれている。
この壁画も尉遅派の手によるものである。 -
東国公主故事版画。下は鼠王故事版画。ともにアスターナ古墳群出土品。
-
アスターナ古墳群の出土品。
左上の写真は彩色された舎利容器。2つの絵は?絵(絵の手本)。
墓から出土した手本絵の複製品。
唐代の作だが色彩がとても鮮やかで美しい。 -
これもアスターナ古墳群からの出土品だが何か分からない。
ガイドの説明があったので写真を写したが、説明内容をすっかり忘れてしまった。メモも無いので今となっては何も分からない。 -
ここからは民族民俗資料陳列館の展示。新疆ウイグル自治区にはウイグル族、カザフ族、モンゴル族など12部族の少数民族が居住している。
ここでは各部族の風俗・衣装・日用雑貨・楽器など生活様式等が分る物が展示してあった。ここからは自由行動だったが時間が余り無いので急ぎ足の観光となった。そのため写した写真は少ない。
ウイグル族(だったと思う)の楽器と楽器演奏の様子を描いた絵画。
ウイグル族は歌と踊りをこよなく愛し戦を好まない温和な民族と言われている。歌と踊りを支えるのがこの地の民族音楽で、楽器は主に弦楽器と木管楽器、打楽器である。
弦楽器の基本構造は同じだが部族ごとにその形が微妙に違い多種多用の弦楽器がある。弦楽器の写真は撮らなかったがこの地に多くの弦楽器があるのはこの絵を見て頂ければ理解できると思う。 -
モンゴル族のゲル。日本ではパオと呼んでいるが天幕式の移動住居だ。
牧畜を主な生業としているカザフ族などはユルタとも呼んでいる。 -
各部族の衣装。ここでは各部族の衣装が展示されていたが、部族ごとの各ブースでも男女や子供の衣服が展示されていた。
-
こちらはカザフ族のユルタ。見た感じはモンゴル族のゲルと同じである。
-
どこの部族か分からないが男女の衣装。女性の衣装が綺麗だった。
時間がないので民族のコーナーは早足で見て回ったため、あまり記憶に残っていない。もっとゆっくり見学できればよかったなと少し心残りだった。 -
博物館を見学した後はウルムチ市内のホテルで夕食。
ホテルは「塞外江南大飯店」。ホテルの入り口上部には中国共産党のスローガンがあった。 -
ホテルの入り口から内部のレストランへ。
-
ホテル内のレストラン。時間は17時30分、夕食時間には早すぎたのか来客は我々だけだった。
-
食事風景です。いつもながら料理争奪戦が始まります。そうなる前にと写真を写したがすでに一皿は手が入った後だった。
-
夕食が終わるとウルムチ空港へ。
国内線の中国東方航空で西安に向かいます。写真はウルムチ空港です。
ウルムチ空港発は21時25分、西安着は何と0時40分、真夜中着の便ですよ。ウルムチ地窩堡国際空港 (URC) 空港
-
飛行機の写真は無し。いきなりの機内食の写真ですが、中国東方航空の機内食はしょぼかった。しょぼかったし、あまり美味しくない。
西安まで後2時間半、機内で仮眠を取っておこう。 -
そして真夜中に西安空港に到着。今0時50分です。
これからバスに乗ってホテルに着くのは一体何時なんだろうか?西安咸陽国際空港 (XIY) 空港
-
皆さん、ホテルに到着しました。もう夜中の2時を過ぎていますよ。
エジプトでも午前3時起きって結構あったけど、阪急さんもやってくれますよ。あーあ、しんど。
ちなみに写真は翌朝写したものです。ホテル名は「皇城豪門酒店」、4つ星ホテルです。グランド ノーブル ホテル 西安 (西安皇城豪門酒店) ホテル
-
ホテルの部屋に入ったのが午前2時24分です。これから風呂に入って寝るとなると午前3時を過ぎてしまう。寝れるだろうかと不安になる。
明日朝の出発は9時15分だからいつもよりは遅いが、モーニングコールが7時半だから4時間半しか寝られないのだ。 -
室内の様子。このホテルは以前は日航ホテルだったそうで、4つ星ホテルにしては部屋も広いし綺麗なホテルだった。
-
室内の様子。
-
洗面室です。洗面ガラスが広い。
有難いことに無料のミネラルウォーター2本付でした。 -
バスです。茶色の水は出ないし熱いお湯がすぐ出てきた。どこも問題無し。
-
便座です。この便座はウォシュレットだったと思います。
-
シャワールームはバスと別。分離式だった。個人的にはバスと一緒の方が使いやすいと思う。
こうして長い一日が終わった。新疆ウイグル自治区では至る所に監視カメラが設置されていて、ホテルでは金属探知と保安検査が必ず実施された。町の境には検問所が設けられていて、公園等の公共施設は鉄条網が設けられていた。入り口には自動小銃を携えた公安が詰めているなど厳しい監視下に置かれたウイグル人の様子を肌で感じることができた。
次は兵馬俑です。写真を沢山撮ってきましたので期待してください。
今回も訪問下さりありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
シルクロードの旅
-
前の旅行記
初めての中国 シルクロードの旅 15 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(ウルムチ3 新疆ウイグル自治...
2019/06/11~
烏魯木斉
-
次の旅行記
初めての中国 シルクロードの旅 17 始皇帝の地下軍団(秦始皇兵馬俑博物館1)
2019/06/11~
西安
-
初めての中国 シルクロードの旅 1 旅の始まりはシルクロードの起点西安
2019/06/11~
西安
-
初めての中国 シルクロードの旅 2 シルクロードの旅の始まりは西安から
2019/06/11~
西安
-
初めての中国 シルクロードの旅 3 河西回廊のオアシス敦煌(鳴沙山・月牙泉観光)
2019/06/11~
敦煌
-
初めての中国 シルクロードの旅 4 河西回廊のオアシス敦煌(敦煌、沙州市場、敦煌夜市)
2019/06/11~
敦煌
-
初めての中国 シルクロードの旅 5 河西回廊のオアシス敦煌(敦煌莫高窟)
2019/06/11~
敦煌
-
初めての中国 シルクロードの旅 6 河西回廊のオアシス敦煌(国境の関所 陽関)
2019/06/11~
敦煌
-
初めての中国 シルクロードの旅 7 河西回廊のオアシス敦煌(漢代長城・玉門関)
2019/06/11~
敦煌
-
初めての中国 シルクロードの旅 8 河西回廊のオアシス敦煌(白馬塔・敦煌博物館・夜光杯工場)
2019/06/11~
敦煌
-
初めての中国 シルクロードの旅 9 徹底した監視下に置かれた新疆ウイグル自治区(トルファン)
2019/06/11~
吐魯番
-
初めての中国 シルクロードの旅 10 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(トルファン2)火焔山・高昌故...
2019/06/11~
吐魯番
-
初めての中国 シルクロードの旅 11 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(トルファン3)火焔山・高昌故...
2019/06/11~
吐魯番
-
初めての中国 シルクロードの旅 12 徹底的な監視社会だった新疆新疆ウイグル自治区(トルファン4 ベゼクリク...
2019/06/11~
吐魯番
-
初めての中国 シルクロードの旅 13 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(トルファン5)
2019/06/11~
吐魯番
-
初めての中国 シルクロードの旅14 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(ウルムチ1)
2019/06/11~
烏魯木斉
-
初めての中国 シルクロードの旅 13 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(ウルムチ 2 紅山公園)
2019/06/11~
烏魯木斉
-
初めての中国 シルクロードの旅 15 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(ウルムチ3 新疆ウイグル自治...
2019/06/11~
烏魯木斉
-
初めての中国 シルクロードの旅 16 徹底的な監視社会だった新疆ウイグル自治区(ウルムチ4 新疆ウイグル自治...
2019/06/11~
烏魯木斉
-
初めての中国 シルクロードの旅 17 始皇帝の地下軍団(秦始皇兵馬俑博物館1)
2019/06/11~
西安
-
初めての中国 シルクロードの旅 18 始皇帝の地下軍団(秦始皇兵馬俑博物館2)2号抗・3号抗
2019/06/11~
西安
-
初めての中国 シルクロードの旅 19 始皇帝の地下軍団(秦始皇兵馬俑博物館3)2号抗と文物陳列庁
2019/06/11~
西安
-
始めての中国シルクロードの旅 20 旅の終わりは西安(古都長安)商魂たくましい中国人の神髄に触れた
2019/06/11~
西安
-
初めての中国シルクロードの旅 21 中国最後の夜は餃子三昧そして一人で夜景観光
2019/06/11~
西安
-
初めての中国 シルクロードの旅 22 西安最後の訪問先は陝西省美術博物館
2019/06/11~
西安
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
烏魯木斉(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ シルクロードの旅
0
59