2019/06/11 - 2019/06/18
18位(同エリア163件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
高昌故城で当時の建物がよく残っていたのは西南大佛寺でした。この寺は玄奘三蔵法師所縁の寺です。玄奘が仏典を求めてインドに向かう途中、高昌国の王に求められてこの地に滞在、1か月に渡って僧侶に説法を行ったがこの寺でした。
写真はその西南大佛寺、高昌故城の中で当時の姿を今に残している寺でした。
<6月15日の旅程>
トルファンー火焔山ー高昌故城ー火焔山ーベゼクリク千仏洞ー民家訪問(ブドウ農家)ーカレーズーウルムチ(泊)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
それでは高昌故城の続きです。
写真は西南大佛寺。高昌故城の南西に位置する場所に建てられた寺で高昌故城では最も保存状態が良い寺院である。
高昌国は仏教国であったため当時の高昌故城には仏教寺院が50以上もあったと言われているが、その中で現存するのが西南大佛寺と東南小寺だ。
西南大佛時の入り口は東側にある。それでは境内に入ってみよう。 -
入り口の左右には高い塀(壁)が築かれていた。現在は壁の一部が残っているが当時は堅牢な壁で敷地の周囲が囲まれていたそうだ。
この寺は世界遺産に登録される前に修復されている。写真は入り口右側の壁の様子。 -
こちらは入り口左側。重厚な壁で囲まれていたことが覗われる。
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入り口から見た寺院の様子。中央に見える建物は中心塔殿と呼ばれ、この寺の心臓部だ。入り口の左右にあるのが寺門。入り口から見た様子だと中心塔殿の他には壁より高い建物は右に1棟あるのみ。それも建物の壁が残っているだけだった。
この寺も基壇部分が残っているだけで建物は破壊されたようだ。 -
寺の入り口門前には西南大佛寺の説明プレートがあった。これによれば寺の敷地は東西130m、南北80m、面積は10,400㎡とある。
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西南大佛寺の入り口。左端の日干し煉瓦の部分が寺の門があった場所。
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門の右奥に建物があったようだが、今は崩壊して瓦礫が残るだけ。
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寺の門があった場所。ここは大佛寺の入り口だ。
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寺の境内をしばらく歩くと見えてくるのが講堂だ。講堂は修復されて往時の姿を留めていた。
この講堂は玄奘三蔵法師が高昌国王麴文泰(キク・ブンタイ)の求めに応じて説法を行った場所である。
高昌国の麴文泰王は敬虔な仏教信者だったが仏典を求めて先を急ぐ玄奘がなぜこの地に2か月も留まり、多くの僧に説法をおこなったのか搔い摘んで説明しておきたい。
玄奘は仏典を求めて天竺に旅したいという思いを抱いていた。成長するにつれその思いは募っていったが、ついに玄奘は629年国禁を侵して唐を出奔した。出奔時玄奘は27歳、当時理由の如何を問わず国外に逃亡したものは死罪だったが、玄奘の思いはそれを凌ぐほどに強かったという事だ。
玄奘国外逃亡の報に接した唐政庁は直ちに国境の関所や烽火台に玄奘を見つけ次第捕まえて送還せよとの命令を発した。
天山北路を目指す玄奘の旅は困難を極めた。途中5つの烽火台を通過しないといけないが、そのうちの一つの烽火台でついに守備隊に発見され矢を射かけられて捕まりまるが、守備隊長が仏教徒であったことから唐への送還を免れ、見逃してもらった。
5つの烽火台を通過した玄奘の前にはタクラマカン砂漠が広がっていた。
命からがら烽火台を逃れた玄奘は少量の水も底をつき奇跡的にたどり着いたのがハミの町だ。玄奘は体力の消耗が激しくこれ以上旅は続けられない状態にあった。
ここで偶然にもハミを訪れていた高昌国の使者が玄奘を目にしたのである。使者は国王の麴文泰が熱心な仏教信者であることを知っていたのですぐに国に帰り国王に玄奘のことを報告した。
国王はこの報を聞くと直ちに玄奘を賓客として招き入れるため、使者を再びハミに派遣した。 -
講堂の隣にあったのが中心塔殿。中心の四角い建物の前には仏像(釈迦如来像)がったが現在は仏像の跡形もない。仏像の光背部分が残るのみだった。
元の侵攻による滅亡時に西方からウイグル人が移住しこの地はウイグル民族の居住地となった。彼らは偶像崇拝を否定するイスラム教徒であったため、多くの仏像が破壊されたと考えられる。
イスラム教徒が仏像を破却する場合、多くは仏像の首が切り取られるのだがここでは仏像そのものが失われていた。
盗まれて売り飛ばされたのだろうか? -
講堂の真向かいにある建物は僧院で修行僧の修行道場や宿舎だった。
-
高昌国に招かれた玄奘は手厚いもてなしを受けた。国王からはこの地に是非留まり仏の教えを僧侶や民に説いてほしいと懇願された。玄奘はこれを仏縁と受け止め1か月滞在することにした。
こうして玄奘が僧侶達に説法したのがこの講堂だったのだ。玄奘は写真中央の窪んでいる場所に座って1か月説法したそうだ。
写真は玄奘三蔵が説法した場所。 -
国王麴文泰は玄奘三蔵に傾倒してしまい何とかこのまま玄奘を引き留めておきたいと思い玄奘を国師に迎えたいと申し出た。
しかし玄奘は一刻も早く天竺に向かわなければならない。国王に国師を辞退し早々に旅立ちたい旨を申し出るも国王の気持ちは変らない。
そこで玄奘は断食に入ります。断食が5日目になった時麴文泰は玄奘三蔵の意思の固さを知り高昌国に引き留めることをあきらめ出国を認めたのだった
麴文泰は玄奘の出国に際し彼とある約束を取り交わした。それは滞在をもう1か月延ばすこと。国王と兄弟の契りを交わすこと、必ず帰りに高昌国に立ち寄り3年間居住することだった。
玄奘三蔵が断食したのもこの講堂の中だった。説法した場所であり、彼が断食した場所。今我々は同じ空間に時空を超えて存在しているのだ。と思うと喜びとも感動とも違う何かがこみ上げてきた。 -
麴文泰は玄奘三蔵の旅立ちに際しては4人の従者と旅に必要な日用品、20年分の旅費として黄金100両、30頭の馬、天竺までに通過する24カ国の国王への紹介状と贈り物を持たせた。
この高昌国の援助が無ければ玄奘三蔵が天竺にたどり着くことも、経典を唐に持ち帰ることもできなかっただろうと言われている。
こうして玄奘はようやく天竺に辿り着いた。仏法を修め仏跡巡礼を果たした玄奘三蔵は、唐への帰還の途中に麴文泰との約束を果たすべく高昌国に立ち寄ったが、高昌国は唐に滅ばされていて麴文泰も亡くなっていた。
玄奘三蔵は大いに嘆き麴文泰との約束を果たせぬまま失意のうちに唐に帰還した。
時の唐の皇帝太宗は玄奘の功績を高く評価していた。そのため密出国の罪を問われることは無く国を挙げて盛大に歓迎されたそうだ
玄奘が天竺から持ち帰った経典は657典、他に仏像を8体だった。帰国後は経典の翻訳に生涯を捧げた。以上が簡単な玄奘三蔵と麴文泰との物語だが麴文泰との交わりが無ければ玄奘三蔵は天竺に行けなかっただろうし、唐に仏典が伝わることも無かっただろう。さらに言えば高昌国の使者がハミで玄奘を見つけていなければ玄奘はタクラマカン砂漠で死んでいたかもしれない。
2人が出会ったのは歴史の必然性かもしれないが奇跡だったともいえる。麴文泰は玄奘三蔵に出合うために生まれてきたのかもしれない。そう思うと静かに、そしてふつふつと感動が胸に沸き上がった。この空間で得たこの感動をいつまでも胸に留めておこうと思った。
さて、この講堂には屋根が無い。これはトルファンの降水量が極端に少ないことに起因しているらしい。壁に穿かれた小さな穴だがここに小さな仏像が安置されていたということだった。 -
講堂の観光を終えて我々は再び寺の境内へ。講堂の真正面にあるのは僧院だった。
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僧院の奥部分。
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寺の中心である主殿。その中央に耐え得ていたのが中心塔殿である。
この建物の正面には大きな仏像(多分座像だと思われるが・・)が安置されていた。今仏像は無いがそのことを想像させるように仏の光背が穿かれている。 -
主殿を囲む壊れかけた壁。主殿を囲む壁と書いたが、左には別の建物の遺構があったのでその建物の壁かもしれない。
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中心塔殿の三方の壁には多くの壁龕があり、そこには仏が祀られていたそうだ。
現在壁龕には1体の仏像も残っていないが、壁龕の壁には仏の光背を描いたのであろうと推測される金泥が残っていた。
この壁龕は僅かに金泥が残っているが光背があったことをうかがわせる。 -
金泥が施された仏の光背。この壁龕は金泥の跡が良く残っている。
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同じく金泥が施された仏の光背。
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中心塔殿の壁龕がある壁には創建当時彫られたと思われる装飾が残っていた。
これはその一部をアップにした写真。 -
装飾はアップにしない方が分かり易い。
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中心塔殿から入り口方向を見る。左にあるのが講堂で、右が僧院跡。
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前を行くのがツアーの仲間。半袖、長袖、日傘と色々だがこの時の気温はすでに40度を超えていてかなりお疲れ気味だった。
ちなみに建物の影に座って休んでいるのは現地の人。
現地の人よりも観光客の方が元気だった。なかには帽子を被っていない人もいるが暑い所なので帽子は必携だ。 -
講堂前を通って出入り口に戻ります。
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玄奘三蔵が説法した講堂の全景。建物の外観が修復されていることがよく分かる。
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僧院の跡。
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講堂の正面入り口。玄奘が1か月説法した場所、そして断食した場所だ。いつまでも忘れないように心に刻んでおきたい。
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大佛寺講経堂遺址の石板プレート。
西南大佛寺境内の講堂や中心塔殿など寺の主要な建物の総称らしい。 -
寺の外壁の遺跡。日干し煉瓦で造られていたことがこの外壁からも伺える。
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西南大佛寺の外壁の遺構。
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高昌故城の外城遠望。外城の背景は火焔山。
高昌故城の内部観光はこれで終わり。カートで出入り口まで戻ります。 -
カートからの景色は高昌故城の外城と火焔山。
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カートからの景色。ブドウ棚とブドウの乾燥室。背景は火焔山。
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同じくブドウ棚と干しブドウの乾燥室。
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高昌故城の外にでました。写真は高昌故城のビジターセンター。
これより火焔山に向かいます。 -
火焔山入り口の検問所。
検問所の周囲の柵には鉄条網がはってあった。警備の警察官はトルファンの地方警察官。公安ではない。だからという訳ではないが思わず写真を撮ってしまった。
検問所は写真撮影禁止だ。トルファンではこのようにいたる所で鉄条網が張ってある。言葉で表現するよりも写真の方がよほど理解しやすいだろうと思い写したものだ。
幸い監視カメラには写って無かったらしい。出国までどうこう言う事はなかった。
この検問所ではパスポートの検札のみだった。新疆ウイグル自治区の他の検問所ではバスを降りてパスポートの検察と保安検査を受けたので、この検問所が一番緩やかだった。 -
検問を抜けて火焔山の奥に進んで行くと火焔山の山肌の様子が変化してきた。
この辺りから山の地層がむき出しで見えた。 -
このように地層がはっきり見える場所があった。
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むき出しの地層地帯を過ぎると次は火焔山山中にあるムルトゥク川沿いに奥へ奥へと進んで行く。
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ムルトゥク川沿いの景色。
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火焔山の毒々しい景色。
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火焔山の景色。
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火焔山の景色。
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火焔山の景色。
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そして火焔山麓の駐車場に停車。
全員ここで降りて火焔山を背景に写真タイム。火焔山 山・渓谷
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正面が火焔山。実際の山肌はもっと赤かった。
夏に気温が45度近くになると山の上から陽炎が立ち、真っ赤な山から炎が上がる様に見えるそうだ。それで付いた名が火焔山。
西遊記の中の創作ではなく実際に炎が上がる赤い山に見えるそうだから、一度その景色を見てみたい。
でも真夏の気温は桁外れ、45度以上が普通だそうだから体がもちそうもない。火焔山 山・渓谷
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火焔山。
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温泉卵ならぬ熱砂卵。このように熱砂に埋めておくとゆで卵が出来上がるらしい。
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火焔山とムルトゥク川。
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火焔山とムルトゥク川。
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ムルトゥク川の河畔は木々や草に覆われ、緑に溢れていました。
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河畔緑地帯のアップ。
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川幅が結構あるので火焔山では珍しい緑地帯になっていた。
写真左の緑地はブドウ畑。 -
右側は自然にできた緑地帯。
火焔山 山・渓谷
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河畔に何か動くものがいる。ズームにしてみよう。
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動いていたのは牛だった。しかも1頭のみ。牛飼いが見当たらないので牧畜の牛ではなさそうだった。はぐれた牛なのかな?
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再び火焔山とムルトゥク川。この川の上流にベゼクリク千仏洞がある。
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火焔山周辺で緑があるのはムルトゥク川河畔のみ。
高昌故城と火焔山の旅行記はこれで終わります。次は火焔山の中腹に造られたベゼクリク千仏洞の旅行記です。
掲載までしばらくお待ちいただきますようにお願いいたします。
今回も訪問いただきありがとうございました。
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