2019/06/11 - 2019/06/18
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ポポポさん
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シルクロードの起点となっているのが今に残る明代城壁の安定門。
本日の観光は、この安定門の観光からスタートします。
安定門は長安城の西門でいわば異民族の方向に向けて建てられた門です。そのため異民族が唐に侵攻してきた場合には真っ先に攻撃を受けることが予測され強固な防衛施設が施されていました。
ここを起点に我々の旅も始まりました。
<6月12日の旅程>
西安観光(明代城壁、安定門)ー西安咸陽国際空港ー敦煌空港ー
鳴沙山ー月牙泉ー月牙閣ー敦煌(泊)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
6月12日、旅行2日目です。
朝6時15分にモーニングコール、朝食は6時半からホテルのレストラン。
私にしてはこの日の朝食は小食だった。何故か理由は憶えていないがいつもとボリュームが違う。パンもいつもなら2枚なのにこの日は1枚、特に美味しくなかった記憶もないのだが・・・。
強いて言えばお粥を頂いたのでセーブしたのかな。中国食はお粥が出るので嬉しい。お腹にやさしいから体調が悪い時でもお粥なら頂ける。
ホテルの出発は8時だが、まだ十分時間があるので出発前にホテルの写真を撮ることにした。 -
ホテルの外観だ。紫金山大酒店(Quest International Hotel)は西安では高層ホテルの部類、3つ星ホテルながら外観など4つ星ホテルと遜色ない。
宿泊だけだったので特別問題はなかった。Quest International Hotel Xi'an ホテル
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ホテルのロビー。まだ朝が早すぎたのか旅行者がフロントに一人、ロビーには私の他には誰もいなかった。
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ホテルのフロントとロビー。
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再びホテルのロビーだ。ロビーは兎に角広い。
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ホテルの入り口。広いロビーなので入り口も広~いのです。
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朝の通勤風景。経済が発展中の中国では朝の通勤風景から活気が感じられる。
西安の車の保有台数は現在1000万台。うち自家用車は268万台らしい。
急激に車の台数が増えているが通勤の主力はまだバイクのようだ。 -
車もバイクもひっきりなしに通行する道路だが一方通行だった。
この道路は城壁を取り囲む環状線なのだが通勤時間帯は一方通行になるらしい。 -
本日の観光は西安を取り囲む明代城壁の西門(安定門)から始まった。
写真の門が安定門。
現在の安定門は人道と車道が分かれていて、我々は人道の安定門から中に入った。
安定門は長安城の西側の門、西門とも呼ばれていてシルクロードに真っ直ぐ通じている門なのだ。
唐時代多くの商人や旅人、そして兵士たちがここから西域に向けて旅立って行った。明代城壁 史跡・遺跡
-
写真は車が通行する安定門。この門の右に人が通行できる安定門がある。
安定門 (西の城門) 城・宮殿
-
西安旧市街から西方のシルクロードに向けて人々が出立した安定門を潜っているところです。
唐時代多くの人々が西域に向けてこの門を潜って行ったわけだが、同じ門を歩いて行くと身が引き締まる感じがする。
この門は人道、唐時代の安定門と聞いていたが写真のようにツアーバスの通行もできるらしい。写真に白く写っているのが我々のツアーメンバーです。
この門は車で通り抜けるよりも歩いて通行する方が趣きがある。安定門 (西の城門) 城・宮殿
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安定門を抜けた先には広場があって、さらにその先に城壁と楼閣があった。
門の出口には写真左に写っているような鉄張りの門扉がある。 -
安定門を塗った所にある中庭から通ってきた安定門を写したところだ。
門の中から見える木々の場所が西安旧市街である。我々は安定門という城門を潜って城の外に出て来た格好だ。安定門 (西の城門) 城・宮殿
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安定門を潜り抜けるとさらに目の前には城壁と大きな楼閣が待ち構えていた。
楼閣がある城壁の門も安定門と呼ばれていて、この門がシルクロードへと続く門で、楼閣の向こうには西域に向かう真っ直ぐな道が続いている。
この門から玄奘三蔵は経典を求めて天竺を目指した。また多くの旅人がこの地を出発し、この地に戻ってきたのだ。
まさにここはシルクロードの起点、世界の有名な人物が往来した場所である。そんな歴史的な場所に立つと感激一塩だった。
さてこの広場は周囲を高い城壁で囲まれたこの字型の空間、南北には城門があり楼閣や櫓がある。
日本の城では虎口を発達させた桝形と呼ばれる最強の防御施設があるが、これに酷似していた。
写真の城門から侵入した敵は一旦四角い空間(桝形)に踊り込むが四方から矢を射かけられて死体の山を築くことになる。ここは攻撃側に多量の出血を強いるキラーゾーンなのだ
同じ桝形でも日本の城と長安城では若干構造が違う。長安城では侵入した敵が正面安定門の左右に取り付けられた階段から城壁に上ることができるが、日本の城はこのような構造になっていない。前に塞がる城門を討つ破るか退却する以外に逃げ場はない。
長安城ではここが弱点となるが、戦時の防御としてはここに仮設の城壁を設置すればいいので、日本の城と同じようにキルゾーンの効果を発揮できたと考えられる。
実はこのような桝形は東、南、北門には無い。
では何故西門(安定門)のみこのような防御施設が設けてあるのだろうか?
それは西門(安定門)がシルクロードに直結する城門だからだ。もし西方の異民族(例えば騎馬民族)が唐に侵攻したら、最短ルートで都長安に攻め寄せるはず。そのため西域の玄関口である西門(安定門)の防御を強化していたのだ。
西安の城壁は唐時代の城壁を基礎にして明代(1370~1378年)に築かれた。そのため明代城壁と呼ばれているが、唐時代の城壁もそのまま残っている。
ガイドさんの説明によると西と南の2/3の城壁が唐時代に築かれたものだそうだ。つまり安定門も西側の城壁も唐時代当時の物なのだ。
これを知ればテンション上がりる。「ここは唐時代の城壁や門なんだぞ」と。安定門 (西の城門) 城・宮殿
-
都長安の町割り、宮殿などの配置図。
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楼閣のある安定門の階段から城壁に上がったところ。
楼閣は4階建て、異民族や反乱軍に攻められた時には矢を射る櫓になる。
しかし唐時代に起こった安史の乱では、洛陽を陥落させた反乱軍が、交通の要衝で長安を守る重要拠点である潼関に侵攻。
唐軍は潼関に立て籠って反乱軍をよく防いでいたが、玄宗皇帝が野戦で反乱軍を撃退するよう命令を下したことで事態は急変。元々反乱軍の方が多勢で戦っても唐軍が勝てる見込みはなかったのだが、結果は唐軍の大敗北。
この敗報に接した玄宗皇帝は宰相楊国忠の進言を受けて長安を棄て、蜀に敗走した。
西の守りを強化した安定門の防御線はその効果を発揮することなく、長安は安禄山の手中に帰したのだ。
但し、反乱軍は東から攻め寄せて来たので、玄宗皇帝が長安での徹底抗戦を選択したとしても安定門での交戦は無かったと思われる。 -
この門を潜り抜けるとシルクロードへと続く道に・・・。
唐時代玄奘三蔵は国禁を侵してここから天竺へ出発したのだ。その旅立ちは死を覚悟してのものだった。
この門の前に立ち、昔年の出来事を思い浮かべると、胸にふつふつと湧き上がるものがある。 -
安定門と防御用の櫓。
明代城壁 史跡・遺跡
-
長安城西側の城壁と敵櫓。城壁は高さ12m、幅は12~14mだ。
城壁の開けられた攻撃孔は5894もある。
城壁の上には120mごとに出っ張りがあり見張り台を兼ねた敵櫓が設けられている。写真はその敵櫓、敵台とも言うそうだ。
これは当時の矢の有効射程距離が60mであるため、120mごとに敵櫓を設ければほぼ全方位が矢の射程範囲に入ると考えられたからだ。明代城壁 史跡・遺跡
-
長い城壁は奥まで続き、その先が見えないな。
それに120m置きに敵櫓があるはずだが、城壁の先には建物が無い。
でも目をよく凝らしていただきたい。写真の敵櫓の続きに城壁の攻撃孔が欠けている場所があるではないか。実はここが敵櫓の跡なのだ。
長い年月が経る間に経年劣化して木が朽ち果てたのかどうかは分からないが、今は敵櫓があった場所だけが残っているのだ。
往時のまま敵櫓が残っていれば壮観だったことだろう。 -
城壁に設置されていた唐時代の長安の街並み。
赤い線が引かれた内側が皇城、所謂唐の宮殿があった場所だ。その北西の建物が大明宮、皇城の左にあるのが興慶宮。
皇城の右下を降りたところにある建物が大雁塔、その左上にある建物が小雁塔。
さらに中央の大通りが朱雀門街(奈良の平城京では朱雀大路)、皇城から朱雀門街に出る門が朱雀門である。
奈良の平城京は唐の都長安を手本にして、ほぼ同じような町割りがされた。 -
城壁と敵櫓。左側が西安旧市内で城壁の右側が城外。
城壁は遥か遠くまで続いている。このまま歩いて行けば城壁を一周できるが一体どのくらい時間がかかるやら・・・。スケールがとにかくでかい。
この景色を見ればとても一周してみる気にはならない。 -
安定門の上に建てられた楼閣の前にさらに建物がある。これは何の建物だろうか?
時間がたっぷりあれば近くまで行き確かめたのだが、限られた時間内で動いているため写真を写すだけにした。
ただ、見た限りでは城壁の外にあるように見えるので多分そうだろう。
いずれにしてもこの方向が河西回廊、西域へと続く道なのだ。 -
安定門上の楼閣。城壁で囲まれたこの四角の空間が桝形で、攻め手にとっては難所のキラーゾーンだ。
安定門 (西の城門) 城・宮殿
-
安定門の模型。上(西方)がシルクロード、西域方向。下(南)が長安市内。
二つの門と楼閣(矢櫓)、四方を城壁で囲まれた四角い空間が桝形だ。
この模型で構造が良く分かる。この模型は安定門だけでなく長安の防御施設桝形の模型でもあるんだと、一人感心していた。 -
明代城壁と西安市内の様子。
市内は近代的な高層ビルが立ち並ぶ。折角の歴史ロマンがこの景色でぶち壊しだ。 -
こうして見ると城壁が長い。城壁の先がどこまで続いているのか見当さえもつかない。
この城壁はレンガを積み上げて築かれたそうだが、そのためにどのくらいのレンガが焼かれたのだろうか?想像もつかないな。中国は途轍もない大国だ・・。 -
西安城壁の説明板。
-
安定門の下を通っているて車道。驚くなかれ門の付近は6車線。車は全て東に向いて走っているのでこの道路は一方通行車線の様だ。
西に行くほど車線は減少していた。 -
南にある含光門まで1.4㎞。・・・これは次の門までの距離の案内板。
目で見たよりも門までの実際の距離は近いようだ。 -
敵楼の模型と立面図。
敵楼は攻め寄せた敵に矢を射かける櫓だが、見張り台を兼ねていたため、英訳では見張り塔と説明されていた。 -
敵楼と車両通行用の安定門。
元々の安定門は人道の門であるが、この門は第二次大戦後の共産党時代に新たに作られたものであろう。 -
安定門の外(長安城外)から中華風の音色が聞こえてきたので城壁から下を見下ろすと、西安の市民が音楽に合わせてゆっくりと太極拳を舞っていた。
-
太極拳は中国拳法の一流派だが、ゆっくりした動作が健康体操として統合され、今では多くの人々が健康法の一つとして取り入れている。
私は音楽に合わせ、ゆっくりと優雅な動きに見入ってしまいました。
これを見た瞬間に、本当に中国に来たんだという感慨が沸き起こった(笑)。 -
規則正しく緩やかな動作はもはや武術とはかけ離れた別物のように見受けられた。
-
再び敵楼と安定門。
-
車道用に城壁がくり抜かれた新しい安定門。この門を通行する道路の車線は何と6車線、しかもこの道路は一方通行なんですよ。
反対に長安城内から西に向かう一方通行用の安定門はどこにあるんだろうか?
写真の続きに城壁を穿ってトンネルがあったんだろうか。写真の続きには太極拳をやっていた人たちがいた公園しかなかったと記憶しているんだが・・・。
今となっては謎だな・・。これを再確認するためにわざわざ行く気にもなれないし。
写真左の楼閣(正式名称は箭楼)の下がシルクロードに通じる本来の安定門。 -
敵楼とその下の城壁の出っ張り部分。
この写真で敵楼と城壁の構造が分る。このような敵楼が120mごとに往時は作られていたのだ。明代城壁 史跡・遺跡
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シルクロードに続く現在の自動車道。
ここで自由時間終了間近になった。そのため一旦安定門の桝形まで戻ろう。 -
桝形の中庭に立てられていた碑文。
この碑文についてはガイドさんが説明してくれたが、どんな内容だったかすっかり忘れてしまった。 -
西門(安定門)の城楼と箭楼の写真。
城楼とは物見櫓にあたる建物でいわゆる見張り塔や見張り台のこと。一方箭楼は矢を射る窓が沢山ある建物のことである。
写真では6階建ての建物が箭楼、そして右の低い建物が城楼と思われるが、現在の安定門では箭楼は4階建て、城楼は敵楼になっていた。
この写真はいつ頃撮られた物か分からないが、以前はこのような建物が建っていたのだ。 -
安定門の観光を終えるとツアーバスは一路西安咸陽国際空港へ。
空港は西安の北西にあり、古代中国の王朝秦の首都だった咸陽の近くだ。
楚の項羽が咸陽に攻め込んで秦は滅亡した。項羽はその時咸陽宮や阿房宮を焼き払った。広大な宮殿阿房宮が焼け落ちるのに3か月もかかったと言われている。
この咸陽の郊外に新しく王都を造営したのが漢の劉邦で、王都を長安と命名した。
その漢時代の長安の跡が空港と西安の間にあり、ツアーバスはその跡地に向かっているのだ。
西安新市街を出ると多数の高層アパートやマンションの建物が林立し、建設途上の建物も多く見られた。
見た限りでは非常に景気がいいようだ。 -
ガイドの話ではもう都市部では住宅建設は飽和状態のため、これからは田舎の時代なんだそうだ。
田舎の開発はまず政府が道路用地や住宅用地を買い上げる。その時にわか成金が多数出現するのだ。
今中国では旅行がステータスとしてブームになっている。このような泡銭を手にした土地成金が海外に旅行して爆買いしているそうだ。
ガイド曰く。「もう都市の時代は終わった。今からは田舎の時代だ。田舎に土地を持っている者が大金持ちになれる。」そうだ。
これじゃまるで日本のバブルの時みたいだな。一説には中国のバブルはもう終わったという話もあるが、本当はどうなんだろうか。 -
ここからは秦漢新城と言う場所。
新しく宅地開発された新興住宅地だが、漢時代の長安城跡地の近くなのでこのような名前をつけたのだとか・・・。 -
秦漢新城の手前は池を配した広大な緑地になっていた。
ちなみに漢時代の長安城の跡地は低い石垣や壊れた土塀で囲まれた広大な場所だった。
所々漢長安城跡地の看板が建てられているのですぐ目に付く。
空港に向かう車なら右座席側が漢長安城跡地。一方左席側には王族や貴族たちの墓が多数見えて来る。
漢長安城の跡地はまだ未発掘のため、草が生い茂った原野のような状態だった。 -
広大な遺跡の間を抜けて西安咸陽国際空港に到着。写真は空港内部の様子だ。
これから国内便に乗り変え敦煌に移動する。
ガイドの話によると中国では国内便の方がより検査が厳しいそうだ。特にこれから敦煌で乗る新幹線は特に検査が厳しいそうで、添乗員の話では我々の前のツアーの一人がスーツケースにナイフを入れていたことが発覚、帰国日までスーツケースを取り上げられてしまったそうだ。
そのため添乗員からハサミやナイフを所持している物は、ここでガイドに預けてほしい旨話があった。
すると一人の女性から果物ナイフを持っていると申し出があった。すぐガイドにナイフを預けたが、預けた果物ナイフは6月17日の西安の観光の時に返却してもらうことになった。
しかし、上海で西安便の飛行機に乗り換えるときによく見つからなかったものだと思っていたら添乗員から補足説明があった。
上海は国際便なのでスーツケースを開けられても、それが海外の旅行者なら目こぼししてくれることが多い。
ところが国内便になると話は別で海外旅行者でも検査が厳しい。中国国民も同じように厳しいそうだ。
中国の検査が厳しいことは事前に旅行会社から文章で知らされていた。なのにわざわざ果物ナイフを持ってくること自体がおかしいのではないか。
中国はビジネスで訪れた旅行者をスパイ容疑で拘束する国だ。いつ自分の身に降りかかって来るかもしれないのに、この女性は脇が甘すぎると思った。
この思いは新疆ウイグル自治区に入ると至る所で感じるようになった。西安咸陽国際空港 (XIY) 空港
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西安咸陽空港内部の様子。国内便のゲートに移動中。
西安咸陽国際空港 (XIY) 空港
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本日搭乗する飛行機も中国東方航空機だった。
西安咸陽国際空港 (XIY) 空港
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この飛行機に乗るのかな?
西安咸陽国際空港 (XIY) 空港
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いえ、こちらの飛行機だった。
予定どうりであれば12時10分発の出発する敦煌行きの便だったが、予定どうりには飛ばず西安を15分遅れで出発した。
予定飛行時間は2時間35分の空の旅だった。西安咸陽国際空港 (XIY) 空港
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機内で出された機内食、遅い昼食だ。
お腹がすいているので美味しいはずなのに食が進まない。ハッキリ言えば美味しくなかった。
写真を見てもこの料理なら食欲が萎えてしまいそうだ。 -
敦煌空港に到着した。空港は砂漠のど真ん中、まるでエジプトのアスワン空港みたいだ。
敦煌空港 (DNH) 空港
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空港の周囲に見えるのは砂漠の砂と低い山だけ。
緑の物は目に入らない。荒涼とした景色だった。敦煌ってオアシスの町なのに砂漠ばっかりなの?いやそうじゃないはずだけど・・・。敦煌空港 (DNH) 空港
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ようやく敦煌にやってきました。これからは砂漠のお話、ラクダにも乗りましたよ。
砂漠をラクダに乗って移動したんです。まるで月の砂漠の唄みたいに・・。
なんてね。でも現実はお姫様はいない。だっておいら達のツアーは爺に婆ばっかりのツアーだから(笑)。
次回は鳴沙山と月牙泉をお送りしますので、今しばらくお待ちくださいませ。
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