2019/06/11 - 2019/06/18
47位(同エリア217件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/06/11
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楼蘭美女
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古墓溝墓地遺跡
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小河墓遺跡
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古墓溝墓地遺跡出土品
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2800年前のミイラ
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アスターナ古墳群出土品
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唐の将軍鄭吉のミイラ
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小河墓遺跡出土品
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この旅行記スケジュールを元に
紅山公園の後は楼蘭の美女で有名な新疆ウイグル自治区博物館の観光です。
新疆ウイグル自治区博物館は1953年に建てられましたが改装され、2005年5月に再オープンしました。
楼蘭美女の発掘後に発掘された小河墓の3800年前のミイラや副葬品、2800年前のミイラなどが見所です。
エジプトのミイラと違って新疆のミイラは乾燥地帯で自然発生的にできたため肌がつややかで髪の毛や睫毛も生前の状態のまま見ることができます。
まるで生きているかのように見えるミイラもありました。
6月16日(旅行6日目)の旅程
ウルムチー紅山公園ー新疆ウイグル自治区博物館ーウルムチ空港ー西安(泊)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
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ウルムチ市の次の観光は新疆ウイグル自治区博物館。
楼蘭で発見された女性のミイラが「楼蘭美女」として大変有名で、今日では博物館の目玉になっています。我々のグループも楼蘭美女が目当てでウルムチまでやって来た人がほとんどでした。
「楼蘭美女」はNHKのシルクロード第1部の「楼蘭古城」の取材中に発見されたので番組を見て記憶にある人も多いのではないかと思います。
博物館は1953年に建てられ、その後建て替え工事が終わって現在の姿で2005年5月に再オープンしました。
収蔵品は5万点とも言われており「歴史文物陳列館」「民族民俗陳列館」「古屍(ミイラ)展覧室」などに分かれています。
収蔵品は紀元前4000年から清朝時代のまでの文物で、そのうちの一部が展示されています。 -
ウルムチ新十景の案内板。新疆博物館も新十景に選ばれているそうです。
さて、我々は現在ウルムチ市内観光中ですが、トルファンからウルムチに向かう途中で受けた公安の検問について書き忘れたためここで記述しておきます。
確かウルムチの達坂城の手前だったと記憶していますが、場所が違っているかもしれません。火焔山の検問所ではバスから降ろされることはありませんでしたが、ウルムチの検問所では全員がバスから降ろされました。
手荷物がある者は手荷物を持って降りるようにとの指示でした。
まずパスポートを提示して顔写真と照らし合わせて本人確認。次に手荷物検査、そして保安検査を受けました。ここでは顔写真を撮られなかった思いますが公安は一応に無口で眼光ばかりが光っていました。トルファン駅前の警察官と異なり、威圧感がすごかったです。公安はにこりともしません。当然我々も押し黙ったまま。無言の沈黙の中で威圧感だけがひしひしと伝わりました。
全員の検査が終わって無事解き放たれて、バスの中に戻ると誰知らず緊張感から解放されて「ハー」と吐く息の音が・・・。
そしてそれは輪唱のように広がってここかしこで「ハアー」や「フー」と吐く息が聞こえてきたのです。
皆緊張の糸がほぐれたんですね。私も人生で数回しか無い緊張感の一つでした。 -
入り口を入るとドーム型の吹き抜けの大きな空間がありました。正面のスクリーンには新疆ウイグル自治区の地図、また部屋の中央にはウイグル自治区の山脈と砂漠地帯の立体模型があるそうですが、我々が訪れた時は習近平がウイグルを訪問した時の映像が流れていました。
スクリーン画面は習近平を熱烈歓迎するウイグル市民。ウイグル人は2009年の事件以来無差別に強制収容所に放り込まれたため、現在ウイグルの7割が漢人で占められています。いまやウイグル市は漢人同化政策により中国化された都市と言えるでしょう。 -
画面はウイグル市民の歓呼にこたえる習近平。
ガイドの胡さんの話ではこの映像は習近平が初めてウルムチを訪問した時の映像だそうです。 -
博物館は1階と2階に分かれていて、1階が歴史文物の陳列、2階がミイラの展示室になっていました。
ガイドの胡さんは迷わず2階のミイラ展示室に我々を案内しました。実は今日中に飛行機で西安に飛び立つことになっているため、博物館の見学時間はわずか1時間しかなかったのです。
であればホテルをもっと早く出ればよかったのにどうして11時の出発だったのか?と思います。
膨大な数の展示品がある博物館であれば一日かけても見切れないはずです。
我々の多くはこの博物館を見たいがために参加したと言っても過言ではありません。
ツアー会社にはもっとその点配慮が欲しかったと思います。このことは旅行後に提出したアンケートに書き連ねておきました。
写真は2階の入り口にあった新疆ウイグル自治区内の遺跡の発掘場所です。
楼蘭美女が発見された楼蘭鉄板河遺跡も表示されています。 -
最初に見たのが楼蘭美女。
1980年NHKと中国の共同取材で行われたNHK「刺繍の道」。楼蘭古城の撮影時に取材班が偶然に楼蘭近辺で砂の中から発掘したのが楼蘭美女である。この時の発掘の様子がシルクロード特集第5回「楼蘭王国を掘る」で放映された。
この時の発掘の様子と女性ミイラの美しさは今もはっきりと覚えている。
ヨーロッパ人を連想させる白い肌と高い鼻、目は深く赤茶色の髪の毛をしていた。
写真は発掘された楼蘭鉄板河遺跡。 -
写真右上は墳墓から掘り出された直後の楼蘭美女のミイラ。
1980年にNHK取材班が楼蘭古城を訪れた時、周囲には土塊と塵尻に散らばった木片しか見当たらず、古城を連想させる城壁も建物の跡も何も見当たらなかったのだ。
石坂浩二氏のナレーションでは「ここが果たして幻の都楼蘭の跡なのか。都を思わせるものは何一つ見つからないのだ。」と。確かこのような説明だったように記憶している。
私は幻の都楼蘭の姿にお目にかかれると期待していたが、全く期待倒れだったのでこのシーンはよく覚えている。そこで何か手掛かりは無い物かと日中の取材班が手分けして探していた時に奇跡的に墳墓が見つかったのだ。その墳墓こそ楼蘭美女が埋葬された墳墓だった。
さて楼蘭古城が跡形もなくなくなっていた訳はこの旅行記ですでに触れたが、この区域が中国の核実験場だったからだ。核実験が終了したのは1996年だから取材班が楼蘭を訪れたのは水爆実験が行われていた真最中の頃ということになる。
当然NHKの取材班はここが水爆実験場とは知る由もない。正に開いた口が塞がらないのは中国電視台の取材班や、文化研究所の考古学チームも中国当局からは何も知らせていなかったという事だ。
当時この辺りは残留放射能で満ち溢れていたはずで、日中の取材班全員が2次被爆したと想像される。憎い日本人に知らせないということは理解できるが、自国民にまで知らせずに被爆しても知らんふりとは中国共産党恐るべし、いや鬼畜極まりなしと言えよう。
しかし日本政府もしかり。札幌北医科大学の宮崎教授は新疆ウイグル自治区の放射能汚染の実態調査の結果から政府にシルクロード観光の2次被爆の危険性とNNHK取材班を始めすでにシルクロードを観光した観光客に放射能汚染検査をするよう進言したものの、政府はその進言を無視して何も行わなかったのだ。当時のマスコミも楼蘭が核実験場であったこと、さらに2次被爆の危険があるのでシルクロード観光は自粛した方が良いと報道した記憶が無い。多分どこのマスコミも報道していないのではないかと思う。当時は日中友好が声高に唱えられていた時代だ。中国に騙されているとは気付かない日本政府は、宮崎教授の進言を実行することは日中友好に水を差すと考えて握りつぶしたのではなかろうか・・。
そのため何も知らない国民はシルクロードへ、シルクロードへと押しかけた。その結果はどうなったのだろうか?
白血病はすぐには発症しない。2次被爆の結果10年後、20年後に発症する人もいるのである。残留放射能が何年で消えるのか分からないが水爆実験の中止後にシルクロードを観光した人は白血病などの原爆症に十分注意してほしい。 -
楼蘭の美女は毛布にくるまれて埋葬されていたが、さらにそれを包んでいた草で編まれたおくるみや木片など。
左上の写真は解剖されている楼蘭美女。楼蘭美女のミイラは上海で防腐処理されているので解剖も上海で行われた可能性が高い。
楼蘭美女はX線検査の結果肺が真っ黒だったそうだ。これは細かい砂が呼吸時に肺に入り込み蓄積したと考えられているそうだ。 -
楼蘭の美女。炭素法による測定の結果3800年前に埋葬されたと推定される。年齢は40歳で身長は152㎝、埋葬時は157㎝だったと考えられている。
鼻が高く彫りが深い顔立ち、長い睫毛やウエーブのかかった赤茶色の髪の家はモンゴロイドとは一線を画していることからソーカロイド(白人)ではないかと考えられていました。
そしてDNA鑑定により70%がソーカロイド(白人)、30%がモンゴル系との結果だ出たのだ。
この結果新疆ウイグル自治区には3800年前に白人が住んでいたことが分かった。
中国が新疆ウイグル自治区領有の根拠としているのは張騫の西域遠征である。そのはるか以前に西洋系のソーカロイド(白人)が住んでいたのであるから中国の根拠は完全に崩れさったと言える。
しかし、したたかな中国は「中国は多民族国家である。必ずしも中国人であることが漢民族であることと一致する必要は無いのだ。楼蘭の美女は漢民族ではないが中国人だ。」と訳の分からないことを主張しているそうだ。
さて、写真は楼蘭美女の顔のアップである。高い鼻や堀の深い顔立ち、ふさふさの睫毛、ウエーブのかかった赤茶色の髪がはっきり分かる。 -
楼蘭美女の上半身。
耳元にあるのはウールのポシェット。中には木の櫛が入っていた。 -
楼蘭の美女を上から写す。
頭に被っているのは織られた布で作られた帽子。帽子には鷲の羽根飾りが付いているがこの角度からは見れない。
耳元にあるのが先程述べたウールのポシェットである。 -
上から写した楼蘭美女の顔。口元が影に隠れてしまったのは残念。
1980年にNHK取材班と中国文化芸術学院のスタッフによって発見された時は白色の顔だったが、上海で防腐処理をされたため褐色になったそうだ。 -
楼蘭美女の全身写真。
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楼蘭美女の全身写真。足元から写す。
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再び楼蘭の美女の顔にカメラを向けて見た。
ここまで色々な方向からカメラを向けたがNHK特集「刺繍の道」で見た楼蘭美女の顔とどうしても一致しない。
私の脳裏に残る楼蘭美女とは違うミイラとしか思えない。それほど映像で見たミイラとは異なっていた。一番違うのは顔の色だ。TVで見た顔はもっと白かった -
楼蘭の美女を頭の方から見た。頭には帽子を被り、帽子には鷲の羽根飾りが刺してあった。
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同じく3800年前のミイラ。顔の色が白いので2003年12月に発掘が始まった小河墓から発見された小河美女かと思ったが、頭に被っていたフェルトの帽子の色が違う(小河美女は白いフェルトの帽子だった。)ので別の墓地から発見されたミイラだ。顔が白いのは白いクリーム状のものが塗られているからだが、腐敗防止の防腐剤なのか死に化粧なのかははっきりしていない。
近年タクラマカン砂漠からはソーカロイド(白人)のミイラが次々と発見されている。
いずれも3800年前のソーカロイド(白人)で楼蘭の美女と同時代の人々だという事が分かってきた。
楼蘭王国が繁栄した時代から千数百年前、同じ場所やタクラマカン砂漠の東側に広範に白人(トルコ系の住民だと推定されている)が居住していたことが分ってきたのだ。 -
3800年前のミイラ。新疆のミイラはエジプトのミイラと異なり、異常な乾燥によって自然にミイラ化したもので頭髪は亡くなった当時のまま、睫毛などもその当時のまま残っていて肌もつやつやしているのだ。嫌悪感は全くない。
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3800年前のミイラ。足には皮のブーツを履いていた。
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発掘時の状況を再現したミイラ。
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古墓溝墓地遺跡。古墓溝墓地は約3800年前の少数民族の古代墓地で新疆ロブジェールの北西70mにある孔雀川の北岸で1979年に発掘された。
墓地からは42の墓が発掘され、墓からは木製の棺、シングルマント、土器、木工、草やウールの織物、土器が発掘されたが陶器はなかった。
また棺の中に小麦や牛の頭蓋骨が入れられていたことから、すでに灌漑や牧畜や行われていたことが伺える。
中央のガラス箱に入れられているのはこの墓地で発掘された3800年前の子供のミイラ。 -
古墓溝墓地遺跡の説明板のアップ。
左上のミイラはこの墓地から発掘された3800年前のミイラ。楼蘭の美女と同じくソーカロイド(白人)のミイラです。
写真左下は墓地に埋葬されていた副葬品の小麦。ほとんどの棺に副葬品として小麦が入っていたそうだ。小麦はラクダ草とヨモギの根で編まれた草籠に入れられ、写真のようにフェルトで蓋をされて紐で縛ってあった。
小麦は灌漑が整った畑でなければ栽培できないため、3800年前は砂漠地帯では無く豊かな川が流れていた地形だったと推測されている。
中央にある2体の像は石人像で合計6体が発見された。6体はそれぞれ異なった形と装飾が施されているが何のために作られた物かは分かっていない。
右上の写真が古墓溝墓地遺跡で胡陽の木が円形に並べられていることから太陽墓地とも呼ばれている。 -
遺跡の部分をアップにしてみた。円形をした墓地の写真は遺跡の中の一部である。古墓溝墓地にはこのような胡陽の木が埋め込まれた円形の墓地群が4つあるそうだ。
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この遺跡で発掘された子供のミイラ。見鼻立ちが整い、皮膚がつやつやしたミイラだった。
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アップした顔の写真。ピンボケですみません。
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この写真は綺麗に撮れました。綺麗な顔立ちです。
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小河墓地(小河墓)。楼蘭から南西に約百㎞離れた所にある不思議な墓地である。小さな河のほとりにあったことから「小河墓」と名付けられた。今はその河は枯れ果てて水は無い。何が不思議かと言うと次から次へとミイラが見つかるのである。その数数百体。一か所からこんなに沢山のミイラが見つかることはまず無いそうだ。推定だがこの墓地には1000体のソーカロイド(白人)が眠っていると考えられている。
この墓が発見されたのは1934年、スウェーデンの探検家ヘディンの弟子フォルケ・ベリイマンがこの不思議な墳丘墓を発見した。
この墓はヘディンが発見したと記述された物が多いが正確には弟子のベリイマンである。
ある時ベリイマンはベテランのウイグル人ガイドエルディックから「不思議な墓」の存在を聞いた。その遺跡に連れて行くように執拗に頼みこみ、拒むエルディックを説き伏せついに「小河墓」を発見したのだった。
砂漠の中に忽然と盛り上がった丘があり、奇妙な形の木が林立している墓だった。
ベリイマンはここに8日間滞在し12の墓を発掘、少しの出土品を持ち帰った。
報告を受けたヘディンは大いに興味を示したものの、それ以上の調査を続けることはなかった。 -
墳丘墓に林立している木柱は2種類ある。これは墓標で先端尾尖った柱は男根を象徴していてその下に眠る棺には必ず女性のミイラが埋葬されている。
一方女性器を象徴する軍配のような幅広の柱の下には男性のミイラが眠っているのだ。これは子孫繁栄を願った性器崇拝で、すでに3800年前に原始宗教ともいえるようなものが始まっていたことを示唆している。
小河墓に乱立している木柱と埋葬された棺は胡陽の木で作られている。胡陽の木はタクラマカン砂漠に自生しており、砂漠のような過酷な環境下でも生き抜く生命力を持っている。
胡陽の木は生きて千年、枯れて千年、倒れて千年と言われるほどに丈夫だが柔らかな材質で加工がしやすいという特徴を持つ。胡陽の木のある所はかつて確かな水脈があったことを意味するそうだ。
かつてタクラマカン砂漠は胡陽の木が生い茂る緑豊かな森だったと推測されている。小河墓にはまだ1000体近い墓が埋もれていると考えられている。そこに埋葬された棺は全て胡陽の木で作られているのだ。棺や木柱のために多くの胡陽の木が伐採されたと考えられていて、その結果砂漠化が進んで雇用の木の側を流れていた河が干上がり砂漠化が進んだそうだ。 -
小河墓はベリイマンが調査した1934年から2003年までは手が付けられることは無かったが、2003年12月に本格的な発掘が始まった。
発掘は新疆文物研究所の研究員の手で行われたが、この発掘に同行したNHKのシルクロード取材班によって発掘の様子が撮影された。
その記録映像は新シルクロードとして2005年に放映されている。「新シルクロード第1集楼蘭4千年の眠り」として現在はYoutubuで見ることができる。
この時の調査で発掘されたのが20代の美しい女性のミイラ小河美女(小河墓美女)だった。
写真で白いフェルトの帽子を被ったソーカロイド(白人)のミイラがそうだ。
このミイラも以前に発見された楼蘭美女と同じ3800年前の地層から発見されたのである。
楼蘭王国が栄たのは今から2000年前のことだが、これより遥か1800年から2000年前の地層からソーカロイドのミイラが発見されている。小河墓には1000体近いミイラが眠っているがそれらが全て白人種だと考えられている。おそらく彼らはタクラマカン砂漠の最初の住人であり、ユーラシア大陸を東に移動した欧州系の人々で後の「楼蘭王国」の始祖かもしれないのだ。匈奴と漢の間で揺れ動き、暗殺された楼蘭王国の最後の王は白色人種の血が多く混じった「胡人」と言われている。そのため小河墓に埋葬された欧州系の人々は古楼蘭人と呼ぶこともできる。
右上の写真は胡陽の木で作られた棺で舟形棺と呼ばれている。
我々が博物館を訪れた時には小河美女(小河墓美女)は展示されていなかった。この美女にも会いたかったのだが見ることができず残念だった。 -
小河墓遺跡から発掘された品々。
パネルにある牛の角は極めて身分が高いと思われる老婦人の棺から出て来た物で、赤と黒の格子が9本ずつ引かれていた。
パネルの下に展示されている牛の角も棺に遺体土地もに埋葬されていた物である。牛は農耕に欠かせない大切な家畜だったので飼い主とともに埋葬されたと考えられている。
その下は革製のブーツと鷹の羽飾りが付いたフェルトの帽子。 -
小河墓遺跡から発掘された弓矢。
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棺に入れられていた副葬品の草籠。小麦入れの籠で中には小麦が入っていた、籠の蓋はフェルトの布で紐で縛られていた。
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2800年前の女性のミイラ。
衣服の色がしっかり残っている。このミイラは手の指が異常に長かったので印象に残っている。
身長159㎝、推定年齢60歳。ソーカロイド(白人)とモンゴロイドの混血。 -
ミイラの全身写真。頭は枕をして寝ているかのように少し曲げられ、足も曲げた状態で埋葬されていた。
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このミイラも同じく2800年前の男性のミイラだ。女性のミイラと同じ墓地で発掘された。身長176㎝、推定年齢50歳、ソーカロイド(白人)。
このミイラも頭と足が曲げられた状態で埋葬されていた。古代ではこのように体の一部を屈曲した姿勢で埋葬されていたらしい。
このミイラは穏やかな表情で寝入っているかのように、まるで生きているかのように見えた。 -
ミイラの全身。屈曲した足とやや半身を曲げた姿は先程のミイラと同じだった。
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足を曲げた男性のミイラ。
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まるで寝ているかのように穏やかな表情だった。
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このミイラも手が大きく指が長い。
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上半身のアップ。顔はまるで生きているかのようだった。
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アスターナ古墳群から発掘された鎮墓獣。
鎮墓獣とは墓を守る怪獣で墓室の門の外側に置かれている。この鎮墓獣は唐代の作。
アスターナ古墳群は高昌故城の北2㎞の所にある古墳群。高昌国時代及び唐時代のこの地域の貴族の墓所。ここに埋葬されたのは大部分が漢人だった。 -
アスターナ古墳群215墓の墓室に描かれた花鳥風月図。これも唐代の作。
花鳥風月図の前に展示されているのはミイラだがアスターナ古墳群から出土したミイラかどうかは不明。
写真を写すため最後尾にいたためガイドの説明を聞き逃したからだ。 -
唐代の将軍のミイラである。将軍の名前は首任西域都護「鄭吉」。
戦の時に戦死して埋葬されたそうである。彼は西域都護の最高軍政長官だった。 -
胸板の厚さが強靭な肉体を持つ精悍な武将を想像させる。
体格も立派で身長も高い。 -
立派な体格をした将軍。写真の撮り方にもよるだろうが足が長い。
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将軍の馬上像。想像で作成された騎馬像だが、唐代の将軍像とは異なる。
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唐代の将軍の姿は写真のとおり。上の騎馬像とはかなり違うが唐代の将軍漢人の鄭吉はこのような姿だったのだろう。
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「鄭吉」像のアップ。
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小河墓地第二層墓葬の写真。
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こちらは第四層、第五層墓葬の写真。
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小河墓から発掘された土器?
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鷲の羽根飾りが付けられたフェルト製の帽子。右は草編籠。
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小河墓の出土品。細い毛糸で編んで織り込まれた帽子。木彫の人形、弓、そして一番右は木製の櫛。
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同じく小河墓の出土品。革製のブーツです。
博物館内の写真が多い為一旦ここで区切ります。続きは博物館の2として次の旅行記で掲載します。
今回も訪問いただきましてありがとうございました。
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