2019/06/11 - 2019/06/19
13位(同エリア163件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
次はベゼクリク千仏洞の観光である。
ベゼクリク千仏洞はムルトゥク川の渓谷に面した火焔山西山麓の岩壁に面して造られた仏教石窟だ。
最盛期は9世紀から10世紀の高昌回鶻王国時代で、石窟に描かれた誓願図などの壁画は中央アジアの傑作と評される。
しかし、残念ながら現在石窟の内部にはこのような壁画は残されていない。
19世紀の帝国主義時代に各国から訪れた探検隊によって壁画は切りはがされて本国に持ち去られてしまった。
最初にベゼクリク千仏洞を訪れたのはドイツのル・コック隊。彼が石窟内の壁画をはがし持ち去ったことから、その後に訪れた探検隊も競うように壁画をはがして持ち去ってしまったのだ。
現在の石窟には、はがされた跡が痛々しく残る泥壁と僅かに残された壁画の残骸が残るのみだった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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6月15日旅行5日目、トルファン旅行の続きです。
火焔山の展望所から再びバスに乗ってやって来た、ここはベゼクリク千仏洞入り口にある駐車場。
駐車場の背後に見える山は火焔山。ベゼクリク千仏洞は火焔山のほぼ中央部の岩壁に削られた石窟なので、周囲の山は全て火焔山なのだ。火焔山 山・渓谷
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ベゼクリク千仏洞駐車場と火焔山。
火焔山 山・渓谷
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駐車場から中に入るとこのような場所に出る。千仏洞の入り口は写真左端の先。
前方の山も火焔山である。柵の下は渓谷になっていて、ムルトゥク川が流れている。
ベゼクリク千仏洞は柵の下にある岩壁をくり抜いて造られていた。 -
柵から下を眺めた景色。左の山が火焔山、その下の渓谷を流れているのがムルトゥク川。右の岩壁にいくつもくり抜かれているのがベゼクリク千仏洞である。
ベゼクリク千仏洞 史跡・遺跡
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ベゼクリク千仏洞のアップ。
ベゼクリク千仏洞は6世紀麴氏高昌国時代から造り始められ、元の時代まで7世紀に渡って作り続けられた。最も繁栄したのが高昌回鶻王国時代(西ウイグル王国)時代(9世紀~11世紀)、造られた83窟の石窟うちの大部分がこの時代に造られたと考えられている。
83窟のうち現存するのは57窟、そのうち壁画が描かれたのは40前後である。 -
駐車場から階段を降りて千仏洞に向かうのだが、階段を降りる途中にあったのが破壊された石窟の跡。
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同じく階段を降り切った所にある石窟の跡。
これらは元によって滅ぼされた高昌回鶻王国の後、この地にやって来たイスラム教徒によって破壊されたのかと思っていたが、これらは僧坊でイスラム教徒によって仏法が駆逐された後に荒れ果て、このような姿になったそうだ。 -
ベゼクリク千仏洞の全景。これから先が観光できる石窟だが、どう数えても現存する50窟には到底足らない。先程の僧房を入れてもだ・・・。
この石窟は下調べも予備知識も無しに観光したものだから見える範囲の石窟が現存する全てだと思っていた。
そのためガイドにも「その他の石窟はどこにあるの?」なんて質問していない。
残りの石窟は一体どこにあるのだろう?旅行記を書きながら疑問が湧き起こってきた。やはり事前勉強はしていかないといけないな。ベゼクリク千仏洞 史跡・遺跡
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ベゼクリク千仏洞で観光できるのは6窟。観光できる石窟は当日じゃないと分からないらしい。内部の写真撮影は禁止だ。
我々はガイドの後ろを付いて行くのみ。この時すでに12時を回っていたので40度を超す灼熱の太陽が照り付ける。
背中をじりじり焼かれるようだった。昼間はサングラスが必携だ。照りつける太陽の光がとても眩しい。 -
写真の部分は保存状態が良い石窟だが入り口や壁は修復されていた。
渓谷沿いに石窟が並ぶ。ベゼクリク千仏洞 史跡・遺跡
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ここも敦煌莫高窟同様修復保存措置済みだったので、本来の石窟の姿は19世の探検家たちの写真を見ないと分からない。
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ベゼクリク千仏洞石窟寺院。
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千仏洞入り口側の様子。男性の雨傘も今日は日傘に早変わり。
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この先の石窟から観光したと思うが、第何窟を見たのか記憶がない。途中から観光した石窟を写すようになったが遅すぎたかもしれない。
ベゼクリク千仏洞 史跡・遺跡
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第16窟。入れるのは中にある衝立の所まで。この石窟は正面の壁一面に誓願図と呼ばれる仏の壁画があったのだが、ドイツの探検家ル・コックによって剥ぎ取られドイツに持ち去られてしまった。
彼はこの窟だけではなく第15窟の誓願図や20窟に至っては入り口や回廊にあるほぼすべての壁画を剥ぎ取っている。
ル・コックが壁画を?ぎ取ったことから、この後にやって来た各国の探検隊が我も我もと壁画をはぎ取ったことから、千仏洞の壁画はほとんど海外に持ち去られてしまった。
ル・コックは「未開の国にこれらの文化財があるならば、いつ未開の国の民によってこれらの文化財が傷つけられるか分からない。それよりも文明国である我々が守る方が遥かに世界の民の為になるのだ。」との理由で多くの文化財を持ち去ったのだ。
しかし文明国同士の戦争(第二次世界大戦)でこの貴重な文化財は失われてしまい、もう二度と世に出ることはなかった。
ル・コックが剥ぎ取った壁画はベルリン民族博物館に収蔵展示されていたため、1944年英・米のB-17戦略爆撃隊によるベルリン大空襲の直撃を受けてほぼ全滅した。小型の壁画は空襲を避けるために岩塩鉱に撤去されたが誓願図や観音像などの大きな壁画は博物館から持ち出すことがでなかったのだ。
ル・コックが千仏洞を訪れた時石窟は砂で覆われていたため、壁画はほぼ無傷の形で色彩も損なわれることなく残されていたそうだ。そのような貴重な文化財が戦争で失われたのは残念でならない。 -
ル・コックの跡にベゼクリク千仏洞を訪れたのがスウェーデンのヘディン、イギリスのスタイン、ロシアのオルデンブルク、日本の大谷探検隊(大谷光瑞)だった。
時は帝国主義全盛期、外国の探検隊はドイツのル・コックに倣って競って壁画を剥ぎ取り自国に持ち帰った。
大谷探検隊は第15窟の請願図の端にある一部の壁画を持ち帰ったが、この壁画は現在国立博物館で保管されている。
ル・コックに次いで大きな壁画を剥ぎ取ったのがロシアのオルデンブルクだ。彼は敦煌莫高窟の壁画をはぎ取っているが、千仏洞の第15窟では回廊に絵が画れた壁画のほぼ一面をはぎ取っている。これらはともにエルミタージュ美術館で見ることができる。
そのためどの石窟も天井に僅かな壁画が残る程度で、泥壁にはぎ取った跡が痛々しく残っていた。
写真は千仏洞の景色だが、石窟の入り口がドーム型になっている個所がいくつかある。石窟の入り口は全ての石窟で修復されているため、造られた当初からドーム型だったかどうかは不明。多分に修復時に手が入れられた公算大との事。 -
千仏洞の正面に見える火焔山。
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千仏洞入り口方面の石窟跡。
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同じ場所をズームにしてみた。石窟の入り口が修復されていることがわかる。入り口の屋根がドーム状になった箇所もあるが、なぜドーム状になっているかは不明。
ガイドの胡さんから説明があったのかもしれないが、そうであったとしても記憶に残っていない。 -
ベゼクリク千仏洞の様子。
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ベゼクリク千仏洞。
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ベゼクリク千仏洞からムルトゥク川が流れる渓谷までは階段で降りることができる。
写真はその下り階段だ。 -
石窟入り口側の通路から眺めた千仏洞入り口方面の景色。
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左下が渓谷とムルトゥク川。右側が千仏洞の石窟群。写真右下から渓谷に下りる階段が見える。
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17窟。この石窟も天井の壁画が残っているだけだった。
奥には仏像があったそうだが、それも今は無い。この石窟も入れるのは衝立のところまでだった。 -
この石窟は先程観光した第16窟。15窟と間違って写したのかもしれない。
入り口からに得る正面の大きな壁には請願図が描かれていたが外国人点検帯にもちさられた。
第15窟の回廊の壁に描かれた請願図は10世紀中央アジアの傑作と言われているが各国の探検隊にはぎ取られて塵尻になってしまった。
現在はロシア・ドイツ・韓国・インド・日本・中国で保管されている。 -
ベゼクリク千仏洞と渓谷。
ドイツのル・コックが?ぎ取った石窟は20窟だったような気もするが写真を写していないのではっきりとは分からない。
記憶にあるのは四角い回廊を一周回ったがそのすべての壁に描かれていた壁画が刃物で切り取られていたこと。切り取って残った壁と荒々しく削り取られた部分がはっきりとわかるが、削り取られた後は痛々しかった。 -
こちらは僧坊の跡。石窟は荒れ果てていた。
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修復された僧坊の石窟。
ベゼクリク千仏洞の観光はこれで終了。この後はトルファンの町に戻る。 -
渓谷と火焔山も後にした。
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芭蕉扇を持つ孫悟空と三蔵法師の一行。火焔山には彼らの姿が付き物だが猪八戒がいない。と思ったらどうやら馬の影に隠れているようだ。
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今度は三蔵法師一行の像を前から見たが猪八戒発見できず。
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今度は一行の像を横から見た。猪八戒いた。やはり馬の影に隠れていた。馬の背越しに猪八戒の頭が見える。
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火焔山の景色。火焔山というと赤焼けた山肌の印象が強いが写真のような色の山肌もある。色々な景色を見せてくれる山だ。
火焔山 山・渓谷
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これも火焔山。
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高昌故城に行く途中で見たトゥハ油田。
トルファン市内に向かっているので再びその側を通行した。トルファン石油採掘地 自然・景勝地
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機械的に動いて原油を汲み上げる油井ポンプ。
動作は緩慢だが一定のリズムで動いていた。この油田も元々はウイグル人の資産なのだ。トルファン石油採掘地 自然・景勝地
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火焔山に沿って広大な油田が延々と続いている。新疆ウイグル自治区は鉱物資源の宝庫だ。現在の中国はこの豊富な資源を利用することで短期簡に経済大国にのし上がったと言われている。片やこの資源の持ち主であるウイグル人は自国の発展に利用することもできず、ウイグル人は強制収容所の中に収監されている。
米国の発表によれば収容者の人数は100万人とも言われるが、これはナチスの強制収容所に収容されたユダヤ人75万人をはるかに超えている。また強制収容所数は1200以上あると言われている。
収容所の種類は4種、1つ目は洗脳後ランダムに選ばれた人が10年から15年収容される刑務所の機能を果たす収容所。2つ目はナチスと同種類の絶滅収容所、3つ目は安価な製品を製造する強制労働の収容所。4つ目は親と強制的に引き離された子供や孤児の収容所。少なくとも80万人以上の子供が収容されている。絶滅収容所と子供の収容所内では何が行われているか分かっていない。
中国当局はこれらの収容所についてその存在をかたくなに否定してきたが、内部資料の流出や航空写真、元強制収容所の証言などによりその存在が隠しきれなくなったため存在は認めたが、今度はそれらの施設は強制収容所ではなく「再教育キャンプ」だと申し立てている。
しかし、弾圧の実態が記された中国共産党の内部文書が流出したことで洗脳教育や弾圧の実態が明らかになった。さらに収容所内でウイグル人女性が複数の看守や教官から集団レイプを受け、日常化しているとの証言がいくつも上げられている。
さらに民族浄化の方法として男女の強制的な不妊治療やウイグル人夫婦の胎児の強制的中絶が公然と行われている。これらは米国が発表した中国で行われているジェノサイド(民族大量虐殺)の根拠として指摘されているが、中国側が発表した政府資料(2019年中国保険衛生統計年鑑、新疆統計年鑑2020)からも読み取れる。
一人っ子政策が撤廃されて以降の2018年の人口1万人当たりの不妊手術数トップ10では新疆ウイグル自治区が飛ぶ抜けて高く1位、トップ10他地区の倍以上の数だ。
一方2020年の出生率では1990年に26.61%だったものが2019年には8.14%と大きく減少し全国平均を下回っている。統計には漢人の出生も含めてあるので、ウイグル人のみの出生率となるとさらに低くなることが推測される。
強制収容所やジェノサイドの蛮行は現在の習近平政権下で初めて行われたのだ。トルファン石油採掘地 自然・景勝地
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トゥハ油田。
以上でベゼクリク千仏洞の旅行記は終了です。次はトルファンのブドウ農家訪問とカレーズの旅行記を掲載します。
今回も訪問くださりありがとうございました。
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