2019/06/11 - 2019/06/18
47位(同エリア489件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/06/14
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特別窟45窟のレプリカ
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レストラン西湖公館
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バスでの移動
砂漠地帯を新幹線柳園南駅に向かう
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柳園南駅
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この旅行記スケジュールを元に
旅行4日目は敦煌観光の最後日、当日は白馬塔、敦煌博物館を観光し、夜光杯工場でショッピングという予定でした。
この日期待していたのが敦煌博物館です。事前に聞いていた情報では博物館内には敦煌莫高窟の壁画や塑像がいくつか復元されていて、いずれも本物そっくりの出来栄えで素晴らしいとのこと。
本物は写真撮影が禁止でしたが、ここでは写真が撮り放題とのことなのでいやが上にもテンションが上がりっぱなしでした。
さあ実際はどうだったのか?ことの顛末は旅行記でお確かめください。
写真は博物館内の莫高窟特別窟45窟の塑像のレプリカ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
6月14日、旅行4日目。
本日は敦煌観光の最終日、旅程では白馬塔、夜光杯工場、敦煌博物館を観光することになっている。この中で特に期待しているのは敦煌博物館だ。
なぜならこの博物館には莫高窟の壁画や塑像のレプリカが展示されているそうだ。
添乗員の話では本物そっくりのレプリカが展示されているとのことだった。莫高窟の石窟では写真が撮れなかった。そのためレプリカでもいいから壁画や塑像の写真を撮りたいと思っていたのだ。
さて今日は新疆ウイグル自治区まで行かなければならないので出発が早い。朝食は朝7時過ぎにホテルのレストランで食べた。
この日の朝食は写真のとおり。野菜中心にお粥と牛肉麺とスープ。いつもより少し少なめだったかな。Grand Sun Hotel Dunhuang ホテル
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レストランの様子。
宿泊したホテルは日本人ツアー客の利用が多いと聞いていたが、昨夜の宿泊客は日本人が少なかったようだ。
早朝のレストランは中国人観光客だらけだった。 -
朝食のいくつかを写真に写してきた。
このホテルで一番美味しかったのがこれらの野菜料理だった。 -
野菜料理は何種類もあったが、中国野菜は馴染みがないため名前が分からない。
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こちらはパンのコーナー。
写真を撮るのが遅くなり、すでに観光客に荒らされていた。 -
果物はスイカとハミ瓜。多分右はハミ瓜だと思う。
ハミ瓜は新疆ウイグル自治区ハミ地方で取れる有名な瓜。甘みがあって美味しい。 -
ヌードルに炒飯、南瓜にゆで卵、天麩羅にスープが並んでいる。
それらを見下ろしているのはシルククロードのラクダの人形だった。表情が愛らしい人形だ。 -
こちらは調理コーナー。よく見かけるのはオムレツだがオムレツではなさそう。卵を使う料理には違いないが食べなかったので何かは分からない。
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私が注文したのはこちらの牛肉拉麺。蘭州で有名な麵料理で蘭州では牛肉拉麺と呼ぶ。
一般の中華麺と異なりコシがあるのが特徴だそうだ。
写真では丁度料理人が麺を打っているところ。 -
麺を打っては延ばし、腰の強い麺に仕上げている所。
私もこの後牛拉麺を食べた。とても美味しい。味に癖が無く万人向きだと思う。 -
こちらはスープ。何のスープだったのか思い出せないが、わざわざ写真に撮っているので美味しいスープだったに違いない。
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ホテル入り口のネオン看板の文言は一昨日の夜と同じだ。日本人ツアー客に向けての物だがネオンの文言は変更しないらしい。
とすると他の旅行会社のツアーも8日間が多いようだ。
写真は宿泊したホテルの早朝の様子。我々は朝8時半にホテルを出発した。Grand Sun Hotel Dunhuang ホテル
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この日最初に訪れたのは敦煌市内にある白馬塔だった。
写真は白馬塔の入り口。中に入るのは右の通用門から、中央の門はいつも閉ざされているらしい。白馬塔 建造物
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入口から白馬塔までは写真の回廊を進んで行く。
白馬塔の観光で印象に残ったのはこちらの回廊の方だ。朱塗りの柱に棟木や梁、軒梁などの装飾や色彩がとても見事だった。白馬塔 建造物
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回廊の先に白馬塔の入り口がある。
入り口から中に入ると白馬塔があった。白馬塔と呼ばれているがこの塔はある白馬の墓なのだ。ここはかつて沙州城と呼ばれていた時代は城の中心地だったそうだ。
塔の前には由来を記した漢文の石碑があった。
由来はこうだ。北涼時代、亀慈国出身の高僧鳩摩羅什(クマラジュウ)が布教のため敦煌を訪れた。その時経典を積んでいた白馬が倒れて亡くなったのだ。その死を悼み建立されたのが白馬塔だった。
白馬塔は386年に建てられたがその後何度も建て替えられている。現在の当は元時代に再建されたもの。
高さ12m、直径7m。基壇は八角形で上部は円筒形をした九層建ての塔だ。
ここで鳩摩羅什について少々。鳩摩羅什は仏教布教のため敦煌(当時は沙州)を訪れた所まで書いたが、その後後秦の皇帝に招かれ長安に移転。そこで300巻の仏典を漢訳し仏教普及に貢献した人物である。
私が高2の時に習った世界史では「クマラジュウ」ではなく、サンスクリット語の「クマーラジーヴァ」として教えられたことを今でも記憶している。
読み方は違うが漢字表記ではどちらも鳩摩羅什だ。白馬塔 建造物
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漢文で書かれた白馬塔の由来の石碑。
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塔の手前にある塀には大きな看板が掛けられていて、白馬塔の由来が漢文、日本語、英語で書かれていた。
10年前まではシルクロードを訪れる観光客は日本人が一番多かったそうで、そのため日本人向けに日本語の説明文が書かれたのだろう。 -
再び色鮮やかな回廊を通って出口に向かう。
回廊の上部付近は綺麗なのだが、柱の下部付近は色が剥げたままだ。綺麗な回廊なのにこれはいただけない。すぐにでも修復すべきだと思った。
さて人だかりがしている所は土産物の販売所。机に商品を並べたばかりの簡素なものだった。
通りすがりにチラと見た程度なので何を売っていたのかはっきり覚えていない。 -
次の観光地は敦煌博物館。党河を渡って市の中心部から郊外へ。
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白馬塔から10分で博物館に着いた。
人が出てきている場所が博物館の出口。入り口は右の建物の奥にある。敦煌博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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敦煌博物館。右の建物にある入り口は博物館の入場口だ。
博物館は右の入り口から入場し、奥の通路を取って左の建物内を観覧し上の写真の出口から退場する。
入場料は無料。個人で観光する場合はパスポートの提示が必要とのことだが、ツアーの場合は提示を求められなかった。但し入り口で手荷物検査を受けた。
館内の展示物は敦煌及び近郊の埋蔵文化財や敦煌の文化財、莫高窟に関する展示物だった。敦煌博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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入場してすぐに展示されていたのはシルクロードの大絵巻。
玉門関のビジターセンターに飾ってあったシルクロードの大絵巻は陶板に描いたものだったが、こちらは石を彫ってレリーフにしたものだった。
大きさは玉門関の方が大きく迫力があり、登場人物も違っていた。玉門関はシルクロードを駆け抜けた英雄たちだが、こちらは張騫が主人公。
遠目で見た印象はさほど変わらない。玉門関の壁画は写真を撮り忘れたが、このレリーフでおおよその印象は理解していただけると思う。
写真の場面はインドから西域の王に貢物を届けに行く場面のようだ。
写真右に描かれた王は敦煌の王なのかもしれない。 -
大月氏に向かう途中の張騫と使節団の一行。馬に乗った人物の後ろの荷車に「張」の旗印が見える。
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張騫を先導するこの女性は何者?手には琵琶を持っているので武人ではなさそうだ。武人ではないが騎馬の操練には長けているらしい。女性の後ろで騎馬隊を率いて疾駆しているのは張騫だ。
張騫が登場する歴史小説をいくつか呼んだがこのような女性は登場していない。そこで想像力を広てみよう・・・。
騎馬民族で張騫と関わりのある女性というと一人しか思い浮かばないのだ。それは張騫が匈奴に囚われていた時に彼の妻となった匈奴の女性だ。
張騫が騎馬兵を引きいて出兵したのは衛青・霍去病が匈奴討伐に向かった時だ。その時の道案内を張騫と妻が行ったのかもしれない。
これらのレリーフは素通りでガイドの説明は無かった。 -
張騫の胸像。シルクロードや敦煌にかかわる人物の胸像がズラリと並んでいたが写真を写したのは張騫のみ。
騎馬軍団を指揮して匈奴に勝利した衛青・霍去病は中国の英雄だが、シルクロードの交易を切り開いた張騫の功績は彼ら以上だろう。
よって張騫の胸像のみ写真を写したという訳だ。 -
多分莫高窟石窟の模型だったと思うがあまり自身が無い。
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仏教の経文。下は補修された莫高窟の石窟。修復直後なのかどうかは分からないが、今の石窟のように入り口に扉は付けられていない。
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莫高窟とストゥーパ。
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莫高窟石窟内の写真。
莫高窟に関する展示品では、壁画の写真がパネルで紹介されていた。
例えば壁画に描かれた飛天が奏でる楽器を壁画の画面とともに紹介するといった展示方法だった。
添乗員からは莫高窟の壁画や彫像が復元展示されていると聞いていたが、館内を進めども進めども一向に莫高窟の塑像や壁画に出会えない。
目にするのはパネルで展示された写真ばかりだった。それもパネルにされた壁画の写真がいずれも小さくて、写真を撮る気にはなれなかった。
本当に復元された壁画や塑像はあるのだろうかと途中で疑問を持つようになった。 -
漢代長城のレプリカだったと思う。本物かどうか確認していないので自信はない。
漢代長城は板枠で囲まれた中で土を杵でつき固めて造られた。補強材には砂漠で取れる葦を使用し何層も重ねて造られている。
展示物は葦ばかりが目立つのでやはりレプリカかな。 -
漢代長城の模型。
手前のバラツキのある壁が漢代長城。奥の整った土の壁が明代長城である。
明代長城は漢代長城に平行して造られたので模型の配置のようになっている。 -
青銅の馬車。地中から発掘された埋蔵文化財。
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敦煌周辺の古墳群から発掘された壁画煉瓦。魏晋時代の古墳群から発掘されたものだ。
魏とは後漢が滅亡した後の三国時代の魏、晋は三国時代の後265年に司馬炎によって統一された王朝である。(220年から316年) -
探し求めていたレプリカの石窟がようやく顔を覗けた。レプリカの石窟は特別窟の45窟だった。この窟は仏教文化が成熟期を迎えた盛唐時代に作られたもので、石窟内の7体の塑像は唐時代の石窟の中で最高の出来と称されている。
中央に釈迦陀如来坐像、左右に3体ずつの塑像が並んでいる。二仏弟子、二菩薩、二天王という唐様式の配置が忠実に再現されていた。
レプリカの出来は素晴らしく本物と見間違うほどだったが、塑像の色が本物と微妙に違う。
45窟は塑像の他に壁画も素晴らしいものがあったが、壁画は複製されていなかった。 -
塑像のレプリカを右斜め前から見た写真だが、本物の塑像の色と違うのは菩薩と天王像だった。
レプリカの方の色はくすんでいて輝きが無い。本物の塑像はもっと神々しいような輝きがあった。
たとえレプリカでも莫高窟の石窟の写真が撮れると楽しみにしていたが、この出来映えには少しがっかりした。 -
莫高窟の壁画の複製画。
写真を写すのに夢中で石窟の番号を確認するのを忘れてしまった。 -
同じく壁画の複製画。この壁画の石窟の番号も確認するのを忘れてしまった。
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千手観世音菩薩。これは壁画の模写ではなく、大きな写真パネルだったと思う。
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出口付近にはマルコポーロの東方見聞録の英文訳と漢文訳の一部及びマルコポーロの旅行の軌跡がパネルで紹介されていた。
これで敦煌博物館の紹介を終わるが、博物館の展示物の数は膨大で紹介したものはごく一部でしかない。
こちらを先に見学することで敦煌や西域、莫高窟の理解が深まると思うが、博物館と説明文は漢文と英語なので、漢文や英文の読解力のある人でないと厳しいかもしれない。
我々は同行したガイドが説明してくれたが、それも展示品の一部に過ぎなかった。 -
敦煌最後の見学場所は夜光杯工場だった。
夜光杯と言っても知らない人がほとんどだと思う。私も敦煌に来るまでは全く聞いたこともないし、ましてやTVなどで見た記憶も無かった。
写真が夜光杯の製作工場だ。工場と言っても小さな作業場に過ぎなかった。建物の内部には小さな研磨機や石を切断する機械の他は原材料の石しかなかった。夜光杯工場 専門店
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工場内の中央に机が置かれ、机の上には原石を丸い円柱状に切り取った石と石の原石が夜光杯になる過程の状況に応じた杯の見本が置かれてあった。製造工程を説明してくれたのはこの工場の女社長。
この社長は流暢な日本語で説明してくれたが、日本語はガイドよりも上手だった。
社長の説明は次のとおり。
「ここは祁連山脈から取れる玉で夜光杯を製作している工場です。敦煌の夜市などでも夜光杯ととして販売していますが、これらは偽物です。
夜光杯には次のような特徴がありので容易に見分けられます。
1 普通の石ではなく玉で造られていること。
2 とても薄く仕上げられているので軽く物に当てると涼やかな音色がします。
3 これが一番の特徴ですが光を当てると白く光ります。
当店では工房の隣に販売所を設けており、こちらで制作した夜光杯を特別価格で販売しているので、ぜひ旅の記念にお買い上げ下さいますようお願いいたします。」
とのことだった。これをとても流暢な日本語で話すのだから、まるで日本の店にきているようだった。
話のあと社長が夜光杯に光を当てると、杯が白っぽい光を放つではないか。さらに盃の模様が光の中に浮かび上がる。幻想的な色あいで綺麗だった。
夜光杯は盛唐の玄宗皇帝時代に流行した涼州詞(玄宗皇帝の時代の歌謡)の中で王翰(おうかん)によって読まれた詞で有名になった。
涼州は西域の地名、王翰の詞は辺境の前線に派遣された兵士たちの戦いを前に開かれた最後の宴席での様子を歌ったもので、それは次のような詞だった。
「葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す 酔うて沙場に臥すとも君笑うことなかれ 古来征戦幾人か回(かえ)る」
意味は「葡萄の美酒をキラキラと月の光が反射するガラスの杯に注ぐ。 飲もうとすると馬上から琵琶がせきたてるように鳴り響く。 酔いつぶれて砂漠の上に横たわったからといって、笑ってくれるな。 昔から戦争に行ってどれだけの人が生きて帰っただろうか。」夜光杯工場 専門店
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さて、次に偽物に光を当てると明るくはなるが本物の夜光杯の様には白く光らなかった。
一番左の偽物は論外、光を当てても光らない。明るくなるだけだった。
以上で実演と説明は終わりで、隣の建物で夜光杯の買い物タイムとなった。夜光杯工場 専門店
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隣の建物は中国の工芸品の販売所で夜光杯の他に緞通、宝石、アクセサリー用品、真珠、絹製品、貴石や玉石の置物、木彫りの壁かけや置物等々。
大きな店舗一杯に商品が展示されていた。屋台や出店など一般に商品に値札が付いていないが、この店は価格が全て表示してあったので値段が把握しやすかった。
メインの商品は夜光杯なので女性の販売員が我々をそちらに案内した。
夜光杯は大きさが色々だが、いずれも薄く作られているので光を当てなくても透き通っていて、石の文様が浮かびあがっていた。
原石が玉とのことで値段は高い。小さな杯で安い物でも6~7000円はした。今日は特別価格で値札から2割引くそうだ。さらにそれからは交渉次第という事だろう。
店員の話では以前は日本人観光客が上得意客で、沢山買い上げてもらったが、最近は売れ行きが落ちているそうだ。
我々のツアー客も財布の紐は固く誰も購入する者はいない。いずれも店舗内の商品を見て回るだけだった。
私もブラブラと店内を見て回ったが壁に架けられた木製の壁かけの前で足が止まった。なぜなら2日目の敦煌の夜市で同じような木製の壁かけを購入したからだ。
一目見て私が購入したものとは明らかに上質のものだと分かった。もちろん値段も一桁違うが、彫りが緻密でとても手が込んでいたのだ。
私が見ていたのはボタンとクジャクの絵柄と観音菩薩の絵柄の壁かけだ。手が込んでいたのはクジャクの絵柄だが、観音菩薩に惹かれていた。
そこに近づいてきたのは女性の販売員。社長と同じく日本語がペラペラの店員だ。私が見ていたクジャクの絵柄なら半額でいいよと言う。実はこの手の商品は売れ筋じゃないそうだ。だから大きく荷引きしてもいいという。
実はこの壁かけ、値札は1600元(日本円で28500円)だ。半額にするといっても14250円、これじゃ高すぎる。とても買えたもんじゃないので「いらない。」と断った。
「じゃ、いくらなら買うのか?」と店員が切り返す。私は「100元(1800円)なら買おうかな」と答えた。
店員は「お客さんバカにしているのか。そんなに安く売れる訳ないだろう。その値段じゃ原価にもならないよ。」と切り貸す。
「いやバカにしている訳ではない。原価割れになると言うのならそうだろうと思う。でも私はそんなにこの壁かけが欲しい訳ではない。貴女がいくらなら買うかと聞いたので、私が出せる金額としては100元が限度なのでそう答えただけだ。」
と答えた。店員は私が買う気がなさそうなのを感じ取ってその場を立ち去ったが、私が他の商品を見ようと歩き始めると女性の店員はどういう訳か後を付いてくる。
一通り見終わってツアーの仲間と談笑していると店員は近寄ってきて私の服の袖を引っ張った。何か私に話があるようだ。
「なんですか、どうしました。」と問いかけると「貴方は100元なら買うといった。本当に買う気はあるか?」と聞いてくる。
こちらも男に二言はない。「100元なら買いますよ」と伝えると「じゃその値段で売りましょう。」と売買が成立した。
私もまさか1600元の商品が100元で買えるとは思ってもみなかった。女性店員にあれだけの値引きの権限が与えられているとは思えなかったが、社長と値引きの相談をした様子はなかった。
ただ店員同士の話の様子から私と接客した店員は、販売のチーフ的立場のように見受けられた。
たいした値引き交渉もせずにとても安く商品を購入したのは後にも先にもこの時しかない。この手の商品は今は売れなくなったとこぼしていたので、不良在庫になるのを恐れて売れるときには価格を下げても売り抜けという店の方針だったのかもしれない。
欲を言えば観音菩薩の絵柄が100元になるのらそちらの方が良かったが、そちらではこれほど安くはならなかったと思う。二つを比べると観音菩薩の方に心惹かれる。
でも細工の良し悪しから判断すると購入した絵柄の方が断然良かった。店員は傷がつかないように見ている前で包装も丁寧にしてくれた。
目の前で包装させたのは商品を別の物にすり替えられないようにと気を配ってのことだった。
多くの中国旅行経験者から聞いた話では土産物を購入した時は目の前で商品を包装させないと商品をすり替えられるということだった。
結構な人がこの被害にあったという。人の良い日本人は恰好なカモだったようだ。
でもこの店は信用が置けると思う。なにせ言い値で商品が買えた店だもの。夜光杯工場 専門店
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敦煌の観光を終えて次はレストランで昼食タイム。
市内のレストランと聞いていたがやって来たのは「西湖」というホテル。
昼食会場はこのホテルのレストランらしい。 -
レストランの入り口はこちら。ここから中に入ります。
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レストラン内部の様子。
この日の昼食は我々が一番乗り、時間はまだ午前11時だった。この時間なら客は我々だけのはずだ。 -
中華料理だからおなじみの円卓で料理をいただいた。
料理は次々出されるがこの席は男ばかり。敦煌の料理は美味しいのでぼやぼやしているとすぐに無くなる。
中央の饅頭のような料理は昨日のレストランでも出されたものだ。どうも敦煌では普通に出されるようだ。
左の麺料理は牛肉拉麺。写真では麵ばかり写っているが、肉もしっかり入っていた。味はもちろん美味しい。中華料理はやはり本場で食べるに限る。 -
最初に取り分けた料理の数々。この他にまだ後から出された料理があるのでもう満腹になった。
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敦煌市内のレストランを後にして次に向かったのが中国新幹線の敦煌駅。敦煌駅といっても敦煌市内に駅があるわけではない。
駅名も敦煌駅ではないが中国人は便宜上敦煌駅と呼んでいるそうだ。
正式名称は「柳園南駅」。敦煌市内からこの駅までバスで2時間もかかった。とにかく遠くにある駅だった。
さてここは敦煌市内の郊外にあるブドウ畑。敦煌はオアシス都市だ。当然敦煌市の周辺は水に恵まれているのでこのように緑に溢れた場所があるのだ。
敦煌に来た時空港の周りは砂漠だった。さらに鳴沙山周辺も砂漠地帯だった。そのような認識の下では敦煌郊外は砂漠だらけだと思いがちだが、このように緑に溢れた場所もあるのだ。 -
この一帯は原野の他は写真のような広大なブドウ畑が続いていた。
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これらのブドウは干しブドウに加工される。
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干しブドウ用の木は背丈が低かった。
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敦煌市郊外の緑地帯を抜けるとあたり一面砂漠地帯だった。
しかも曇よりとした灰色の砂漠だ。見ているだけで気が滅入る。 -
新疆ウイグル自治区に近い場所は大規模な鉄鉱石の採掘所があるそうだ。
また大規模な炭鉱もいくつかあるという。
写真は鉄鉱石の採掘所だそうだ。 -
同じく鉄鉱石の採掘所。
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こちらは露天掘りの炭鉱。
写真の山はいわゆるボタ山。以前は日本でも福岡県の田川市や飯塚市で多く見られたが今はわずかしかお目にかかれない。 -
バスの車窓からは炭鉱の景色が続いていた。
新疆ウイグル自治区やその周辺は天然資源の宝庫なのだ。新疆ウイグル地区に入ると驚くような景色に出くわした。 -
砂漠の中を2時間揺られてようやく柳園南駅に到着した。
ここでは不思議なことが起きた。バスが駅のロータリーに駐車せずに駅からかなりはなれた所に駐車したのが。
そのため我々はかなりの距離をスーツケースを押して行くことになった。
なぜそんなことになるんだろうか?添乗員の話ではこうだ。
「柳園南駅周辺に車を駐停車することは中国当局から禁止されている」とのことだった。
そしてこの柳園南駅は中国でもいわくつきの駅だった。しかも砂漠の真ん中に造られた駅で周囲には砂漠以外何もない。
それではいわくつきの駅の話は次回の旅行記で、今回も訪問いただき有難うございました。
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