2019/06/11 - 2019/06/18
9位(同エリア159件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/06/11
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火洲大酒店
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バスでの移動
ツアーバス
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火焔山の巨大温度計
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孫悟空のモニュメント
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玄奘三蔵法師の彫像
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高昌故城外城の遺構
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東南小寺
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可汗堡遺跡(宮城内遺跡)
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この旅行記スケジュールを元に
トルファンの主要な観光地はシルクロードの文化遺産で構成されていますがこのうちの高昌故城にまず訪れました。
高昌故城は高昌国、その後の西ウイグル王国の王都や王府として栄えましたがモンゴル軍の侵攻で破壊されたと言われています。
しかしその後の南宋や明の文献からはまだ政庁として機能していたことが覗えます。
では実際の高昌故城はどうだったのでしょうか?本文の写真でお確かめください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
旅行5日目、6月15日です。朝から快晴で絶好の観光日よりになりました。本日の気温は43度、暑い一日になりそうです。
今日の日程は火焔山と高昌故城、ベゼクリク千仏洞それからカレーズです。カレーズを観光した後はバスでウルムチまで行くという強行軍の一日でした。 -
前回の旅行記で紹介した銘茶「品香茗」。
写真に撮っていたのを忘れていたのでここで載せておきます。それからミネラルウォーターが2本サービスで付いていたんですね。
多分暑い地域なのでサービスしてくれたのでしょうけど、すっかり忘れていました。 -
今日の出発は8時半、そのため7時半から朝食です。
昨夜到着した時には分かりませんでしたが、このホテルは中国の観光客が多かったですね。
写真はレストランの様子。 -
とてもスペースが広くゆったり食事ができるレストランだった。
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今日の朝食。スープは毎日頂くのに、この日はいつも飲む牛乳とヨーグルトが無い。無いのではなくて取らなかったんだと思うのだが、どうして取らなかったのか憶えていない。
朝食の後ロビーに集合したがすでに警官が保安検査機の前に待機していた。
昨夜は検査を受けたが、朝は検査を受けることなくそのままホテルを出た。 -
ツアーバスに乗り込んでまずは火焔山に向かう。
写真はウイグル族の家だ。漢人の家に比べると小さくてみすぼらしい。屋根はベニヤのような薄い板で覆われているようだったが、トタンを置いた上に石を載せた簡素な家もあった。 -
こちらは店舗だろう。家の上に看板らしきものが見える。
先程の民家よりは造りがしっかりしているので漢人の店だと思う。 -
町を出ると延々とブドウ畑が続く。本当に延々と続くのだ。砂漠地帯で緑の植物が目に入ると気分的に落ち着いてくる。
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ブドウ畑を過ぎると今度は露天掘りの炭田だ。
今9時15分だがこの炭田地帯に来ると空の様子が一変する。トルファン市内では青空だったのに、ここに来ると霞がかった鈍よりした景色に変わった。 -
カメラの機種により色合いが変わるが、実際はこのような薄墨色の景色だった。
この辺り一面が露天掘りの炭田で、炭塵が舞い上がって空気中の塵となり空気中に浮遊しているため、まるで水墨画の景色のように見えるそうだ。
このスケールたるやすごい。日本では想像すらできない光景だった。 -
次に見えてきたのがトゥハ油田。印象としてはトゥハ大油田だ。
その広さは筆舌に尽くしがたいほどに広い。延々と、さらに延々延々と続いていた。
写真ではポンプの一部を写真で切り取っただけなので、その広さは容易に想像できないと思うが兎に角でかい。トルファン石油採掘地 自然・景勝地
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これらの天然資源は元々ウイグル人の資産だった。中国人が勝手に侵攻して武力でウイグル人の国を滅ぼし、限りある資源を好き勝手に中国の為に使っている。中国が戦後急速に復興し経済大国に成れたのはこのウイグルの潤沢な天然資源を手に入れたからだと言われている。さらに現在中国本土では自国の資源を温存するために採掘を控えているとも聞いている。
ウイグルはまるで帝国主義時代の植民地と同じような状態に置かれているのだ。トルファン石油採掘地 自然・景勝地
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右車窓に見えてきたこのおどおどろしい山は何だ?
この山こそ火焔山。西遊記で孫悟空が鉄扇公主と牛魔王と戦った場所だ。
天竺に向かう三蔵法師一行の行く手を火焔山という燃える山が塞いでいた。この山の火を消すためには芭蕉扇という団扇が必要だという。この芭蕉扇を持っているのが鉄扇公主(羅刹女)だ。そして鉄扇公主の夫が牛魔王。そこで芭蕉扇の所有を巡り孫悟空と鉄扇公主、牛魔王との騙し合い、戦いが繰り広げられた。
西遊記の中では金角・銀角に次いで人気が高い名場面だが、子供の頃読んだ西遊記の挿絵に描かれていた火焔山とはかなり山容が違う。
刺し絵では起伏の高い峻険な山が火を噴いていた。この挿絵の姿が頭に残っていてさらに想像が膨らんでいたのだが、実物を見たら拍子抜けした。火焔山 山・渓谷
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火焔山は標高500m、長さ98㎞、幅9㎞の細長い丘陵だ。私は火焔山という高い山があるのかと思っていたが実際は違っていた。
実際はとてつもなく長い丘陵でその中腹にベゼクリク千仏洞がある。火焔山 山・渓谷
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火焔山はこの位置から始まる山だ。ガイドさんがその場所にツアーバスを止めて写真タイムを取ってくれた。
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火焔山の平均高度は500mと言われるが、端の方はさほど高くはない。しかし山肌や山容はかなりゴツゴツしていた。
火焔山 山・渓谷
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火焔山の山容。道路の左側に沿って火焔山が延々と続いている。
一方道路の右側には広大なトゥハ油田がこれまた道路に沿って延々と広がっているのだ。 -
再びツアーバスに乗り込み走って行くと火焔山の麓にモニュメントが見えてきた。
最初に見えたのは孫悟空の宿敵牛魔王。 -
次に見えてきたのは鉄扇公主。アゲハ蝶のように背に大きな羽根を持つ姿で表現されていた。
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次に見えてきたこのモニュメントは何だろうか?太い鉄の柱のように見えるがガイドの胡さんから説明が無い。
見れば誰でも分るというのだろうか?走っているバスから写したので、この鉄の柱はすぐに過ぎ去ってしまった。
気になるので帰国後に調べてみたらこの鉄の柱が何か分かった。この柱は孫悟空の如意棒だった。しかもただの如意棒では無い。
これはなんと孫悟空の如意棒の形をした温度計だった。高さは12m、直径0.65mの巨大な温度計でギネス世界記録に登録されているそうだ。
トルファンは火州と呼ばれ気温がとても高い地域だ。ここ火焔山一帯は「火州の中の火州」とよばれ夏の地表温度はしばしば70度近くになる。
1975年7月13日には最高気温49.6度を観測、その時の地表温度はなんと82.6度を観測した。
私がトルファン駅で経験した熱風は凄まじく、その時の夕方の気温は42度だった。この経験からあり得る気温だと思う。
トルファン観光の必携は帽子、サングラス、口を覆うストール、日焼け止め、日傘、できるだけ肌を露出しない服装(長袖が良い)、半袖の場合は肘の上までの長さの日焼け防止の手袋(でいいのかな?名前が分からない。)だ。
上記の服装は暑いように思われるが日陰に入れば涼しい。ツアーの女性は顔の半分を薄い生地のストールで覆っていた。 -
最後のモニュメントは三蔵法師の一行。岩の上に立って遠くを眺めている像は孫悟空。
岩の下に腰を下ろしているのが三蔵法師、その右が猪八戒、さらにその右が沙悟浄だった。いずれも西遊記で有名な登場人物だ。 -
火焔山の遠景。
ツアーバスは道路を右に折れて火焔山から離れて行く。最初に観光するのは高昌故城だった。 -
高昌故城に到着。入口で保安検査を受けて中に入った。
入り口では警察官が5人が駐屯していて観光客の保安検査や治安警備に従事していた。ここの警察官は公安ではなくウイグルの警察官だった。制服の後ろにはPOLISと記入してある。
我々が到着した時は庇のある木陰で休んでいたが、その姿はトルファン駅前の駐在所の警察官や柳園南駅の公安などと違いリラックスした様子だった。
ヘルメットや防弾チョッキは外し、胸元は第二ボタンまで開いて腕まくり。うち3人は寝そべっていた。いかついた表情は無く口元には笑みを浮かべフレンドリーな印象だった。
ここはトルファン市内から相当離れた観光地で、観光客しか来ない。さらに中は茫々たる砂漠地帯で崩れた泥壁の遺跡しかない。
ここはテロが起きるとは考えにくい場所なのだ。さらにここは暑い。暑い防弾チョッキなどは脱いで日陰で涼みたくなるのは当たり前だと思う。
彼らから威圧感は全く感じられなかった。むしろ我々に好意を向けているかのように笑顔で対応してくれた。公安と地方の警察官、随分と印象が違った。
入り口から入って次に見えてきた建物はビジターセンター。ここは素通りだったので建物の中に何があったのかは記憶にない。高昌故城 城・宮殿
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ビジターセンターの前にあった銅像に注目。
この像は玄奘三蔵法師だ。高昌故城は玄奘三蔵が天竺に向かうルート上にあった都なのだが、なぜここに玄奘の像があるのだろうか?
それは玄奘が天竺に行く途中この都に立ち寄っていたからだった。高昌故城の中には玄奘と深い関わりのある建物が修復されて今も残っている。その遺跡の説明の中で詳しいことは述べたいと思う。 -
ビジターセンターを通り抜けるとこのような広大な荒れ地が残ってるが、ここが高昌故城の址地だ。前方に泥壁のような物が見えるがこれが往時の城壁の跡。
高昌故城の面積は約200万㎡、四角い形をしており周囲は5㎞に及ぶ広大な敷地に外城、内城、宮城と区分けされていた。内部の建物は破損が激しくいくつかの寺院の廃墟しか残っていなかった。写真の城壁は外城と思われる。
さてここはビジターセンターの裏側、ここからカートに乗り込んで高昌故城の中に入って行く。
歩いても観光できるが前方の敷地の中に遺跡が点在しているので夏の暑さを考えればカートの方が便利だ。高昌故城 城・宮殿
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高昌故城は高昌国の王都として栄えたがその起源はB.C.60年漢の武帝が西域3郡を統一して新疆に都護府を置いたことに遡る。
その後車師前期時代に屯田兵が派遣されB.C.40年前後に高昌壁と呼ばれる軍事基地が造られた。これが高昌故城の始まりと言われている。
その後5世紀に漢人の麴氏一族によって高昌国が建国され、その王都として唐の太宗に滅ぼされるまで140年に渡って大いに繁栄した。
滅亡後は唐の支配下に置かれ、太宗は西州と改名し安西都護府を置いて支配した。
安禄山の変後唐の勢力が弱まり、唐の勢力が撤退すると西ウイグル王国(西州)の高昌大王府が置かれた。高昌故城は王府として存在し続けたが12世モンゴル軍の侵攻を受けて滅亡した。これにより王府としての機能を失った高昌故城は廃墟同然となったと言われているが、南宋時代には高昌のウイグルが朝貢したという記録が残されている。さらに明の永楽帝の時代には火州と呼ばれた。1409年、1413年には南宋に朝貢している。1414に年には明の陳誠が派遣されていることから、この時代まで政庁としての機能を有していたと考えた方が自然である。
高昌故城が存在してた時期は一般的には西ウイグル時代までとして1000年、モンゴルの侵攻で廃墟になったとして1200年、明時代まで存在していたとして1400年とする説があるが、私は1400年説を取りたい。高昌故城 城・宮殿
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カートに乗り込み故城の奥へ奥へと走っているが目に映る光景は荒涼とした砂漠と草ばかり、はるか遠くに外城と思しき土塁が見えている。
この原野にも多くの建物があったはずなのだが建物の土台さえ残っていない。
建築物の損壊は激しくほとんど建物は残っていないとガイドから聴いていたがこれほどとは思わなかった。何が原因でこれほどまでに破壊されているんだろうか?
頭にうかんだのは楼蘭にあるロプノール核実験場で行われた核爆発実験だ。
1964年から1996年まで延べ46回行われた。そのうちの約半分が地表及び空中爆発だった。その爆風で破壊されたのではないだろうか?私の推論は別としてガイドの趙さんになぜ建物がほとんど残っていないのか聞いてみたが「モンゴルが侵攻した時に破壊されたと言われているが詳しいことは分かっていない。」そうだ。
私の推論が正しいかどうか帰国して水爆の爆発力の影響を調べてみた。楼蘭からトルファンまで直線距離で約270㎞、水爆の爆風の範囲は直径200㎞だった。これでは水爆の爆風は届いていない。私の推論は見事に崩れ去ってしまった。
高昌故城で残っている建物は修復された寺院だけだ。宮殿も政庁も民家も何も残っていない。
モンゴル帝国の侵攻で民は殺戮され、食料・貴金属は略奪された。その時民家は徹底的に破壊され、残った宮殿や政庁は明代以降あれるままに放置されて風砂に浸食されたのだろうか。そう推論するしかなさそうだ。 -
さて、中国の原水爆実験についてもう少し触れておきたい。
1964年から1996年(平成9年)まで延べ46回、楼蘭のロプノール実験場で行われた原水爆実験による急性死亡者は19万人だが、被災者はウイグル人だけでなく新疆に居住していた漢人も含まれる。中国共産党は核実験を行う前に住民には一切警告も通知もしなかったため、自国民(漢人)をも死に至らしていたのだ。この鬼畜な所業は実にスターリンに酷似している。
しかしこれらの事実は長年中国によって隠蔽され続けてきた。しかし1992年に行われた世界核被害者大会でウイグル人2名が被爆の状況を訴えた。そして1998年に英国BBC放送が独自の潜入調査を行った。取材班は一般の旅行客に紛れて新疆ウイグル自治区に潜入。ウイグル人外科医アニワル・トフティ氏の協力を得て被爆者と面談、その被害をつぶさにカメラに収めることに成功した。
この取材番組は1998年に英国で放映されるとともに世界81カ国で放映され中国の鬼畜な所業を世界に知らしめることができたが、日本では放映されていない。
そのため中国の原水爆実験やウイグル人の核被害についてはいまだに知らない人が多いと思う。
現在この番組はyoutubeで見ることができる。検索は「ウイグル 中国の核実験 潜入調査1から4」興味のある人は是非みてほしい。
さて、シルクロードNHK取材班が番組制作のため新疆ウイグル自治区を訪れていたのは1979年から1980年だ。まさに楼蘭の実験場で核実験が行われていた時期である。この番組は日中共同取材で中国からも考古学者や歴史家、中国電視台のスタッフが参加していた。
1回目のNHKシルクロードを見られた方は記憶があると思うが、楼蘭編ではタイトルが「楼蘭王国を掘る」だった。日中の取材班が楼蘭王国跡地を訪れた時、跡地には砂と土塊、いくつかの木片以外何も残っていなかった。その光景に取材班の面々が愕然としていたことを今も覚えている。城壁や建物は跡形も無く、壁一つさえ見つけられなかった。取材班は町(王都)が忽然と消滅したようだと言っていたが、それもそのはず楼蘭故城はロプノール核実験場の近くにあったため46回の核実験で吹き飛んでいたのだ。中国側の取材陣にも核実験のことはひた隠しにしていた訳だから中国人スタッフは知るはずもない。
取材中に核実験をすることは無いだろうが、取材地は残留放射能で満ちていたはずで中国当局はその事実を告げずに取材を許可したという訳だ。
番組は1980年4月から1981年3月まで放送され、これを機にシルクロードブームが巻き起こり多くの日本人観光客がシルクロードを訪れた。
札幌医科大学の高田純教授はこのことを危惧し、政府にシルクロード観光の安全性の確認とNHK取材班やシルクロードを旅行した者に対する放射線治療の検診を行うように打診しましたが、政府からは無しの礫で何ら対策が施されてなかったそうだ。白血病は長い年月を経て発症するケースもあるので、経過観察が必要である。旅行直後に白血病を発症しなくても年月を経て発症した旅行者もいるかもしれないのだ。ましてや知らない旅行者に対し、政府は警告を発するべきだった。
私もシルクロードへ行きたいと切望した者の一人だが、旅行に待ったをかけたのは妻だった。妻は書籍でシルクロードが原水爆実験で汚染されていることを知っていたため私がシルクロードに行くことには大反対だった。
そんなこともあって伸び伸びになっていたが、20年以上たったので残留放射能はもうないだろうと考えやっと今回旅行ができたと言う訳だ。
妻はそれでも渋々だった。最後まで「私は行かない方がいいと思うよ。」と言っていた。 -
話が長くなったので再び旅行記に戻る。
上の写真で遠くに見えていた構造物が近くに見えてきた。遠くに見えていた時は内城の一部かと思っていたがどうも建物の様だ。しかし建物の形はすでに無く土塊の塊だった。高昌故城 城・宮殿
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こちらは内城と思われる城壁の跡。
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これは多分何かの建物だったようだ。
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内城沿いにカートは進んで行くんですが城壁はしっかり残っていました。
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カートの左車窓からは内城が見える。
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カートはとある小さな建物の前で駐車。
案内石板には東南小寺とある。ここは寺院の遺跡だった。高昌国は仏教国だったので高昌故城には多くの寺院が建てられたそうだが、この小さな寺院もその中の一つだった。 -
東南小寺の敷地から見えるのは内城の土塁だけだった。
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東南古寺の建物。世界遺産登録前に修復された建物だがこの建物と基壇が残ってうるだけだった。
高昌故城 城・宮殿
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東南小寺の塔形建築。日干し煉瓦で造られたドーム状の仏塔なのでストゥーパかと思ったが、中に仏像が収められた仏塔だそうだ。
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仏塔を真横から見た写真。
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仏塔の内部。偶像崇拝を否定するイスラム教徒に破壊されたのか、それとも盗まれたのか内部の安置されていたはずの仏像は跡形も無く消えうせていた。
仏像が安置されていた場所の背後の壁には仏の光背や諸仏の壁画がうっすらと見える。 -
壁画をアップにした。仏の光背があるのが分る。
東南小寺は仏塔とその基壇が残るのみだった。 -
東南小寺の周囲に育っていたのはスイカの原種。
この原種が品種改良されて現在のスイカになったそうだ。拳大の大きさまで育つがそれ以上は大きくならないらしい。味は甘くないそうだ。 -
ツアーのメンバーが一粒摘み取ったので写真を撮らせてもらった。
今は6月の中旬なのでまだ実は小さかった。 -
再びカートに乗って北へ北へと向かう。
見えてきたのが宮城跡。宮城内には宮殿や政庁など多くの建物があったそうだが大部分が崩壊して瓦礫が残っているだけだ。
そのため宮城内部には入らなかった。 -
宮城内部の建物の遺構のアップ。
中央右寄りに塔のような物と建物の壁部分が残るだけだ。高昌故城 城・宮殿
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上の塔らしき物を別方向から写した写真。
宮城内部には入らなかったが、近くにカートを止めて球場内を写す写真タイムを取ってくれた。高昌故城 城・宮殿
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塔のような物は2か所あったがこれが何なのか、どんな建物の一部なのかは全く分からないそうだ。
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宮城内の建物の遺構。
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宮城内の建物の遺構。宮城外から写す。
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宮城の遺構。
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河汗堡遺址の石板。ここは宮城内、高昌城内の宮殿区域らしい。
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河汗堡遺跡の位置図。我々が居る場所は河汗堡遺跡と呼ばれる宮殿の跡地の側。
石板には星印で示され「you are here」と表示されている。
石板には高昌古城の外城や残存する内城の一部、すでに観光した東南小寺が東南の隅に表示されていた。
我々が入場したのは高昌故城南の外城南門遺跡から。最も建物が良い状態で残っていたのは地図の西南にある西南大佛寺で、この寺はこの後に観光した。 -
宮城を後にして西南にある大佛寺に向かった。
その途中で目に付くのが内城や建物と思しき遺跡。 -
こちらは建物と思われる遺構。
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ここは建物が密集していたようだが建物の形を維持している物はない。
煉瓦造りの壁が一部ずつ残っていた。 -
内城が修復された箇所。城壁が倒れないように支えの支柱が施されていた。
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これも内城だ。上の箇所と同じく修復されていた。
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これも内城の遺構。ここは支柱で支えてあるだけだった。
外城の遺構は故城の外周を囲むように割とはっきりと残っているが、内城はその部分部分が散り散りに残っていた。 -
これも内城の跡。ここは城壁の跡がしっかり残っている方だった。
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これは多分建物の遺構。どんな建物だったのかこれだけでは想像すらできない。
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内城の城壁。日干しレンガで造られているが、風化が激しくすでにレンガの形を成していない。
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この建物は周囲を囲む壁と内部のいくつかの構造物が残っていた。大部分が土塊の状態なので、このような状態で残っているのは珍しい。
高昌故城は写真が多いので2回に分けて掲載します。これで前編は終わり、後編は西南大佛寺を中心にお送りします。
今回も訪問下さりありがとうございました。
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