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2021年8月15日(日)2時半過ぎ、上田城三の丸にあった上田藩藩主館跡から東に進み、上田駅から北に延びる中央通りに出る。この通りには信州上田城下町ウォーキング実行委員会が設定したウォーキングコースに当たり、真田十勇士の像がいくつか置かれている(下の写真1~3)。<br /><br />また、この通りには「上田まち物語」の案内碑がいくつも設置されているので、これを眺めながら歩く(下の写真4~7)。北に向かって歩いていると雨が降って来る。大雨で交通マヒしてる松本なのだが、この日は朝から雨はなく、上田に着いても降ってなかったのだが、ここに来て降り出したが、この時はすぐに止んだ。<br /><br />しばらく歩くと左手に原町市神社。真田昌幸が上田に城を築き、城下町の町づくりをするにあたり、市の守護神として高市の神(事代主命)を勧請して祀ったことに始まるとされる小さな社。御神体は円形の自然石で、元々は境内も広く、立派な社殿が建っていたそうだが明治に入り焼失した。現在の社殿は1879年(明治12年)に再建されたもの。<br /><br />さらに北に進むと、池波正太郎真田太平記館。作家の池波正太郎氏と、その作品「真田太平記」を記念して1998年にオープンした博物館。池波氏は1923年浅草生まれで、1990年に亡くなった直木賞作家。「真田太平記」の他、「鬼平犯科帳」や「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」などもドラマ化されて有名。<br /><br />「真田太平記」は、名将真田昌幸・信之・幸村父子の活躍をテーマにし、1974年から週刊朝日に9年に渡り連載され、1985年にNHK水曜夜の新大型時代劇で1年に渡り放映された。丹波哲郎、渡瀬恒彦、草刈正雄が主演の3人を演じた。この記念館は池波氏が真田氏をテーマに時代小説を執筆するにあたって上田へ足繁く通った所縁をもとに開館した。<br /><br />真田太平記館の向かいには成澤家の蔵がある。萬伍蔵とも呼ばれ、江戸時代から昭和にかけて上田紬の問屋を営み、昭和初期には上田市長を輩出した成澤家が保存している(下の写真8)。<br /><br />駅から歩いて約15分、中央3丁目の交差点から1本東に入ると北側に柳町通りがある。江戸末期から明治に掛けての北国街道の街並みが残る通りで、格子造りや蔵造りの家々が軒を連ねている。<br /><br />北国(ほっこく)街道は江戸幕府が整備した脇街道で、軽井沢で中山道から分岐し、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした。現在の国道18号にほぼ相当する。<br /><br />柳町は北国街道の宿場となった上田城下に造られた7つの町の一つ。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ねていた。江戸末期の1804年には呉服屋が25軒あったと云う記録も残る。近年までは近代化に遅れた通りになっていたが、1992年にまちづくり協議会が発足、景観整備に加え、新店誘致も行い、活気が蘇った。現在では観光名所となると共に映画やドラマなどのロケにも使われている。<br /><br />南側の入口西に2007年に整備された柳町小公園には縁結び水かけ地蔵がある。水琴窟も造られており、お地蔵様に水を掛けると、お地蔵様の体を清めた水が地中に流れ、左にある竹筒から縁が結ばれる始まりを告げる美しい水の音色が聞こえる。左手に立つ句碑は江戸時代の俳人、加舎白雄(かや らお)のもの。天明の六俳客の一人と云われた彼は上田藩の江戸詰め藩士の息子として産まれた(下の写真9)。<br /><br />北に進んで行くと左手に岡崎商店。江戸初期、1665年創業の老舗酒造。代表的銘柄の「亀齢」は、2015年の第86回関東甲信越国税局酒類鑑評会で最優秀賞に輝いた。表に掛かる杉玉は元々は新種が出来たことを知らせるものだった。その隣は、黄色い壁にうだつを掲げた明治期に建てられた土蔵造りの呉服屋を改装したカフェ「森文」。<br /><br />さらに北に進むと旧家生糸問屋借り受け改築し、2000年にオープンした蕎麦屋「手打百藝(芸) おお西」があるが、その北側に保命水がある。長野県の代表的な湧水の一つ。1881年(明治14年)に付近の海禅寺の境内に湧く清水を200mほど木管で引き、町中の人達の生活用水や非常用水として利用していた。現在は生活用水としての利用は終えているが、かつて上田市で起きた水道事故では、全市の水源として大きな功績を挙げた。<br /><br />柳町通りの北の端になる神宮橋を挟んで西側に建つのが、武田味噌醸造とその直売所の菱屋。1930年(昭和5年)創業の老舗で、全国味噌鑑評会にて農林水産大臣賞や長野県みそ品評会で長野県知事賞などを受賞している。<br /><br />この日の朝まで全く知らなかったとこだが、とてもいいとこだった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7922603631142925&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />神宮橋を渡り、上田大神宮に向かうが、続く

長野 上田 北国街道柳町(Yanagimachi,Hokkoku Kaido,Ueda,Nagano,Japan)

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2021/08/15 - 2021/08/15

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月15日(日)2時半過ぎ、上田城三の丸にあった上田藩藩主館跡から東に進み、上田駅から北に延びる中央通りに出る。この通りには信州上田城下町ウォーキング実行委員会が設定したウォーキングコースに当たり、真田十勇士の像がいくつか置かれている(下の写真1~3)。

また、この通りには「上田まち物語」の案内碑がいくつも設置されているので、これを眺めながら歩く(下の写真4~7)。北に向かって歩いていると雨が降って来る。大雨で交通マヒしてる松本なのだが、この日は朝から雨はなく、上田に着いても降ってなかったのだが、ここに来て降り出したが、この時はすぐに止んだ。

しばらく歩くと左手に原町市神社。真田昌幸が上田に城を築き、城下町の町づくりをするにあたり、市の守護神として高市の神(事代主命)を勧請して祀ったことに始まるとされる小さな社。御神体は円形の自然石で、元々は境内も広く、立派な社殿が建っていたそうだが明治に入り焼失した。現在の社殿は1879年(明治12年)に再建されたもの。

さらに北に進むと、池波正太郎真田太平記館。作家の池波正太郎氏と、その作品「真田太平記」を記念して1998年にオープンした博物館。池波氏は1923年浅草生まれで、1990年に亡くなった直木賞作家。「真田太平記」の他、「鬼平犯科帳」や「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」などもドラマ化されて有名。

「真田太平記」は、名将真田昌幸・信之・幸村父子の活躍をテーマにし、1974年から週刊朝日に9年に渡り連載され、1985年にNHK水曜夜の新大型時代劇で1年に渡り放映された。丹波哲郎、渡瀬恒彦、草刈正雄が主演の3人を演じた。この記念館は池波氏が真田氏をテーマに時代小説を執筆するにあたって上田へ足繁く通った所縁をもとに開館した。

真田太平記館の向かいには成澤家の蔵がある。萬伍蔵とも呼ばれ、江戸時代から昭和にかけて上田紬の問屋を営み、昭和初期には上田市長を輩出した成澤家が保存している(下の写真8)。

駅から歩いて約15分、中央3丁目の交差点から1本東に入ると北側に柳町通りがある。江戸末期から明治に掛けての北国街道の街並みが残る通りで、格子造りや蔵造りの家々が軒を連ねている。

北国(ほっこく)街道は江戸幕府が整備した脇街道で、軽井沢で中山道から分岐し、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした。現在の国道18号にほぼ相当する。

柳町は北国街道の宿場となった上田城下に造られた7つの町の一つ。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ねていた。江戸末期の1804年には呉服屋が25軒あったと云う記録も残る。近年までは近代化に遅れた通りになっていたが、1992年にまちづくり協議会が発足、景観整備に加え、新店誘致も行い、活気が蘇った。現在では観光名所となると共に映画やドラマなどのロケにも使われている。

南側の入口西に2007年に整備された柳町小公園には縁結び水かけ地蔵がある。水琴窟も造られており、お地蔵様に水を掛けると、お地蔵様の体を清めた水が地中に流れ、左にある竹筒から縁が結ばれる始まりを告げる美しい水の音色が聞こえる。左手に立つ句碑は江戸時代の俳人、加舎白雄(かや らお)のもの。天明の六俳客の一人と云われた彼は上田藩の江戸詰め藩士の息子として産まれた(下の写真9)。

北に進んで行くと左手に岡崎商店。江戸初期、1665年創業の老舗酒造。代表的銘柄の「亀齢」は、2015年の第86回関東甲信越国税局酒類鑑評会で最優秀賞に輝いた。表に掛かる杉玉は元々は新種が出来たことを知らせるものだった。その隣は、黄色い壁にうだつを掲げた明治期に建てられた土蔵造りの呉服屋を改装したカフェ「森文」。

さらに北に進むと旧家生糸問屋借り受け改築し、2000年にオープンした蕎麦屋「手打百藝(芸) おお西」があるが、その北側に保命水がある。長野県の代表的な湧水の一つ。1881年(明治14年)に付近の海禅寺の境内に湧く清水を200mほど木管で引き、町中の人達の生活用水や非常用水として利用していた。現在は生活用水としての利用は終えているが、かつて上田市で起きた水道事故では、全市の水源として大きな功績を挙げた。

柳町通りの北の端になる神宮橋を挟んで西側に建つのが、武田味噌醸造とその直売所の菱屋。1930年(昭和5年)創業の老舗で、全国味噌鑑評会にて農林水産大臣賞や長野県みそ品評会で長野県知事賞などを受賞している。

この日の朝まで全く知らなかったとこだが、とてもいいとこだった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7922603631142925&type=1&l=223fe1adec


神宮橋を渡り、上田大神宮に向かうが、続く

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  • 写真1 根津甚八の像

    写真1 根津甚八の像

  • 写真2 猿飛佐助の像

    写真2 猿飛佐助の像

  • 写真3 霧隠才蔵の像

    写真3 霧隠才蔵の像

  • 写真4 旧上田商工会議所跡の碑

    写真4 旧上田商工会議所跡の碑

  • 写真5 原町問屋跡の碑

    写真5 原町問屋跡の碑

  • 写真6 土橋の碑

    写真6 土橋の碑

  • 写真7 鑓町の碑

    写真7 鑓町の碑

  • 写真8 成澤家の蔵

    写真8 成澤家の蔵

  • 写真9 柳町小公園

    写真9 柳町小公園

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