2021/08/15 - 2021/08/15
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ちふゆさん
2021年8月15日(日)1時45分過ぎ、上田市観光会館でお昼を食べてから二の丸通りを渡って上田城に入る。上田城は元々は真田昌幸(幸村=信繁の父)が上杉氏に対する徳川氏の最前線の基地として、徳川家康の命で1583年に築城開始した城。
しかし、天正壬午の乱の戦後処理を巡り家康と対立、1585年の第一次上田合戦、さらに関ヶ原の戦いで西軍についたことにより起こった1600年の第二次上田合戦で、いずれも徳川軍を撃退したことは有名。ただし、この時の城は1601年に徳川軍に徹底的に破却され、堀も埋められた。
江戸時代に入り、小諸藩より移封された仙石氏により1626年から近世城郭として新たに再建築城が開始され、本丸の2つの櫓門と7棟の隅櫓にそれらを繋ぐ塀が普請され、二の丸の櫓台なども構築されたが、2年後の城主、仙石忠政の死により工事は中断された。その後城主が松平氏(藤井松平家)に交代し、幕末まで続いたが、それ以上の増築は行われなかった。
明治以降は、破却や城外への移築が行われ、城内には石垣と西櫓が残るのみとなったが、昭和期に移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期に櫓門や塀などが木造復元された。現在は旧二の丸内が上田城跡公園になっており、また、敷地内に既に閉館したが上田市民会館や、野球場、市立博物館、招魂社などが置かれている。
本丸を南側に置き、二の丸が本丸の北・東・西を囲み、二の丸と東の大手門の間に三の丸を置く、梯郭式といわれる縄張りとなっている。南側は千曲川の分流である尼ヶ瀬に接する断崖となっていた。また、通常は本丸や二の丸など城の中心に置かれる政務用の建物が、三の丸に置かれている。真田時代の上田城について天守が存在した正確な構造は分かっておらず、天守が存在したかどうかも不明。
三の丸と二の丸の間の二の丸堀に架かる二の丸橋から城内に入る。ここは二の丸東虎口と云い、大手門から続く城の正面玄関に続く入口だった。橋の下の堀跡には1927年から1972年までは上田交通の真田傍陽線が走っており、二の丸橋の下には公園前駅があった。現在はけやき並木遊歩道として整備されている。二の丸橋は元々は土橋だったのが、この鉄道の開通に合わせてコンクリート製で造られたもの。
二の丸橋を渡った先、2014年末に閉館した上田市民会館がある一帯は石垣や土塁に囲まれた武者溜りだった。今後、まだ残っている市民会館の建物を解体して武者溜りを復元する予定とのこと。旧市民会館前の広場には2006年に大阪城との友好城郭提携を行ったことを記念する碑がある(2009年建立)(下の写真1)。
二の丸から奥に進むと東内堀の土橋を渡って本丸の東虎口櫓門。1994年に復元されたもの。明治維新後に売却され場外に移築されて貸座敷になっていたが、市民の力で買い戻して1943年から49年に掛けて再移築された南北櫓に挟まれている。櫓門右手の石垣にある高さ約2.5m・幅約3mの大石は真田石と呼ばれ、真田昌幸が城を築く時に柱石として据えた城内で最も大きな石。1622年に昌幸の息子で信繁の兄の信之(信幸)が松代城移封の際に父の形見にこの石を持って行こうと したが、微動だにしなかったという云う。
櫓門を抜けると本丸跡に入る。抜けたすぐ先にあるのが真田神社。真田氏を祀った神社と勘違いしそうだが、真田氏だけでなく、仙石氏や松平氏という歴代の上田城主を祀っている。実際には真田氏と仙石氏が合祀されたのは1953年で、それまでは1706年に上田藩に転封した藤井松平氏(伊賀守家)第3代松平忠周と、初代忠晴(忠山)、2代忠昭を祀る神社で松平(しょうへい)神社と称していた。
創建は1879年(明治12年)で、丹波国亀山藩初代藩主だった忠山公は隠居後の1669年に亡くなり、墓所は京都の金戒光明寺にあるが、その京都にあった忠山公の御霊をまつる忠山社がこの神社の起源。1953年に真田氏と仙石氏を合祀した際に幕末までの松平氏の歴代全城主も合祀し、上田神社と改称。しかし、かつて市内にあった同名他社と紛らわしいこともあり、初代城主である真田氏の名を冠して、1963年に真田神社と再度改称した。
櫓門を抜けた左手に手水舎があり(下の写真2)、正面の鳥居から本殿まで真っ直ぐ参道が続く。参道の左手には直径2m、高さ2.7m、鹿角をつけた朱色の巨大な真田信繁(幸村)公大兜。大坂夏の陣で信繁が自分の部隊を赤備えに編成したことは有名だが、元々は武田家の飯富虎昌が始めたもので、信繁はその流れを受けて赤備えを採用した。なお、それ以前に武田家臣を引き継いだ井伊直政も赤備えを採用し「井伊の赤鬼」と呼ばれたのがNHK大河の「直虎」でも描かれていた。
この大兜から先には絵馬のトンネルが続きいい雰囲気(下の写真3)。2回の上田合戦で落ちなかった城と云うことから受験生に人気とのこと。参道の右手には授与所と社務所が並び、その間にはおみくじ通りがあり、さまざまな趣向を凝らしたおみくじの数々が戴けると共に、おみくじを結べるようにもなっている(下の写真4)。授与所で御守購入。
参道の突き当りに拝殿。拝殿の横手には信玄公兜松があり、真田幸村公と彫ってある。この松は武田信玄が上田原の戦いに臨んだ時、丸子から砂原峠を越えた時に山上に四方に枝を広げた甲冑の兜の様に立派な松を見つけ「勝木なり」と賞したと云う。以来この松は信玄公兜松と呼ばれて来たが、それから四百数十年経ち枯死し、伐採された。その際、その木にこの神社に合祀された真田幸村公の名前を彫って、奉納されたとのこと。
その碑の先にある真田井戸は城内唯一の井戸で、直径2m、深さ16.5mある。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説がある。井戸の後ろに拝殿から続く本殿。なお、現在の社殿は戦後の1950年に建立されたもの。
真田井戸の左手、西櫓への登り口の手前に立つ青年真田幸村(信繁)公之像は2020年7月に新たに建てられたもの。神社の総代らで作る実行委員会が寄付金を募って建立した。彫刻家播間公次氏の作品で、高さ1.9m余、やりを含めると3mあり、鉄扇を握り、鉢巻きやよろいの胸には真田氏の家紋「六文銭」が見える。真田氏が徳川軍を退けた第1次上田合戦で出撃を命じる若き幸村の姿をイメージしている。
その奥、西櫓の登り口には伊勢神宮内宮遙拝所(下の写真5)。伊勢神宮まで256kmだそうだ。西櫓は1626年から28に掛けて仙石氏によって建てられた、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物。南櫓・北櫓と共に長野県宝に指定されている。
本丸跡の真田神社の北側部分にはいくつかの石碑が建っているが、特に史跡は残ってないと云うか上述したように元々江戸時代にも櫓門・隅櫓とそれらを繋ぐ塀以外は何も建てられなかった。
西櫓の北側の枡形は本丸西虎口で、発掘調査によりここにも櫓門があったことが分かっている。ここには尼ヶ淵に降りる急な階段もある。尼ヶ淵は本丸と二の丸の南側を流れる千曲川の緩やかで深い分流で、天然の堀となっていた。
内堀を過ぎて二の丸の西側に入るが、堀の水は元々は城から約4㎞東を流れる神川から取り込まれていた。現在は崖下の芝生広場の地下水を汲み上げている。
西二の丸を北に歩くと左手に分かれる道があり、外堀跡に架かる小泉橋がある。橋を渡った先が真田氏の築城以前に小泉氏が拠点にしていたことから小泉曲輪と呼ばれることから命名された橋で、1927年(昭和2年)に架橋された。橋の北側には元々は堀が広がっており、百間堀と呼ばれていたが、1928年に埋め立てられ陸上競技場、野球場、相撲場が造られた。
二の丸の北側に入ると上田招魂社。戊辰戦争、日清・日露戦争、太平洋戦争などで亡くなわれた上田・小県地域の戦没者5936柱をお祀りしている。境内には幕末の上田藩士の兵学者・政治思想家の赤松小三郎記念館(下の写真6)や真田忍者手裏剣吹矢手練場(下の写真7)がある。
赤松小三郎は勝海舟の従者も務め、洋式兵学者として活躍したが、維新の1年前の1867年に薩摩の人斬り半次郎(中村半次郎)らに京で暗殺された。真田忍者手裏剣吹矢手練場は2018年にオープンした施設で手裏剣・吹矢および忍者修業が出来るそうだ。
本丸の土塁の東北の角には切りこみが入れられ、櫓2棟をその両脇に配置していた。これはこの方向が鬼門となるためで、角をなくして隅欠とし鬼門除けにしていた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7909564459113509&type=1&l=223fe1adec
隅欠を見ながら二の丸東側に戻り、上田城観光を終了するが、場内には上げたもの以外にもいろいろな石碑や像が建っていた。一部だが、戊辰役上田藩従軍紀念碑(下の写真8)、第2代上田市長・勝俣英吉郎翁像(下の写真9)、松平学校や上田街学校等の教員を務めた成田喜太郎先生彰徳碑(下の写真10)、政治家で羽田孜元首相の父、羽田武嗣郎の像(下の写真11)、赤松小三郎の碑(下の写真12)、社会事業家の小川滋次郎の像(下の写真13)、上田温泉電軌の創設者、小島大治郎の碑(下の写真14)、蚕業教育者の三吉米熊の像(下の写真15)など・・・
続いて上田藩主居館跡へ向かうが、続く
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