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2021年8月13日(金)6時40分過ぎ、松本城から大名通りを抜けて千歳橋を渡る。千歳橋の南、女鳥羽川沿いの道から1本南に東西に走る通りが中町通り。中山道の洗馬(せば)宿から長野の善光寺に向かう善光寺街道(北国西脇往還とか、北国西往還、北国西街道、善光寺西街道とも呼ばれる)が城内を避けて、本町通りから大橋通り(国道143号線)に回り込んでいる部分。<br /><br />古くから主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛していたが、江戸末期や明治に幾度か大火に見舞われ、主要な施設や町家が多数失われた。その結果、火災から町を守るため、商人たちの知恵でなまこ壁の土蔵が造られた。その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせている。<br /><br />中町通りに入ると、雨が結構ひどくなってきた。一つ目の交差点の北西角に壱の蔵。山梨に本社があるたなかの直営店で、2002年に92歳で亡くなった松本市生まれの染色家、三代澤本寿(みよさわ もとじゅ)のギャラリーも併設してある。<br /><br />この建物は1907年(明治40年)に加嶋屋呉服店として建築されたもので、木造2階寄棟造り。1970年から2017年までは「カレー店デリー」として親しまれていた。当初の建物の南半分に相当する部分で、北半分は1989年に解体された。土蔵造りの建物で、外壁は黒漆喰の仕上げ、腰部はなまこ壁となっている。城下町エリアの市近代遺産に認定された歴史的建造物を保存・活用するための制度である「松本市登録文化財制度」の第1号。<br /><br />その次のブロックの真ん中辺り、北側にある伊原漆器専門店も同じく1907年創業。ただし、建物自体はそれ以前に建てられたものらしい。唐獅子とボタンの花の看板が目印。木曽漆器をはじめ、山中、会津、越前漆器を主に扱っている。<br /><br />その次のブロックの東寄り、北側にあるのがミドリ薬品。この通りでは珍しい看板建築の建物。店の初代が学生時代を過ごした東京日本橋の建物に憧れて1927年(昭和2年)に建てたもの。正面上部にはスズランの花模様を入れて花房飾りの上に木製の薬の文字を飾り、店名にちなんで緑色で照らし出すようにしている。蔵や町家風の建物が並ぶ中町通りで周囲とは雰囲気の違う粋な外観で目を引く。<br /><br />その次のブロックの北側にあるのが閑静な雰囲気の松本市はかり資料館。1902年(明治35年)創業の竹内度量衡店をはかり資料館にしたもの。竹内度量衡店は、度量衡専門店として約80年、中南地方の需要を一手に引き受け圏内随一の営業実績を上げていたが、1986年に営業を終えた。その後、松本市で借り受け、一部改装し資料整理をして開館した。収蔵品は木製棒はかりや上皿棹秤、ローマはかり、ロバーバル機構の模型、ギリシャ神話のテミスの像、蚕の雌雄選別器など約600点。<br /><br />国道143号線(大橋通り)との交差点を左折し北に進むと大橋で女鳥羽川を渡る(下の写真1)。千歳橋でも渡ったが女鳥羽川は小さな川であるが、松本市の中心部を流れるため、松本の人には馴染み深い。江戸時代始めの頃には女堂田(めとうだ)川と呼ばれていた。<br /><br />美ケ原の北、三才山峠に源を発し、松本市の北から、元々は直線的に北北東から南南西に流れていたが、16世紀後半に城下町造営の際に、城の外堀の機能を持たせるために今の流れに変えた。市内を通過した後は、田川、奈良井川、梓川、犀川と合流し、最終的には信濃川(千曲川)となる。過去に上流から流されて来た流木などが橋桁に絡まり氾濫したことがあるので、現在は市内の橋には橋脚がない。<br /><br />大橋を渡って左折し女鳥羽川右岸沿いを少し進むと鎮(しずめ)神社がある。その名の通り江戸時代に氾濫を繰り返す女鳥羽川を鎮めるために祀られた神社。一ツ橋を過ぎると、終日歩行者天国となっているなわて通り商店街が続くが、7時前と云うことで開いてる店がもう少ない。「縄のように細く長い土手」であったことから名付けられ、四柱神社の参道としても栄えて来た。<br /><br />この辺りでは約40年前に友人たちと来た時、2日ほど昼飯に蕎麦を食べた記憶があるが、調べてみてもどの店だったかの記録はなく、思い出せない。1軒はこの女鳥羽川沿いだったような気がするのだが・・・ その頃は当然フィルムカメラの時代でなんでも撮ってる時代じゃないんだよなあ~<br /><br />一ツ橋(下の写真2)、中の橋(下の写真3)、幸橋(下の写真4)と続くが、それぞれのガス燈の形が違っていて面白い。ただ、雨が酷くなって、ゆっくり見てられない。幸橋の北側に四柱(よはしら)神社。天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の4柱の神を祀ることからこういう名前が付いた。1879年(明治12年)にこの地に創建されたが、1888年(明治21年)の松本大火で社殿を焼失し、1924年(大正13年)に再建された。雨は酷いは暗くなったわでよく見えない。<br /><br />これで、城下町の観光は終了。事前に調べていた四柱神社の北東にある緑町通りにある蕎麦倶楽部佐々木に向かったのだが、なんと貸し切り・・・ 食べられんもんはしゃあないし、駅の近くに戻るまでにどっかあるだろうと云うことで、予定では夕食の後に行ってみようと思ってたライトアップの松本城を見てから駅、ホテル方向に戻る。<br /><br />ついでに松本駅前通りより1本北に東西に走る伊勢町通りにある手まりからくり時計。アルバムの写真は松本城に向かう途中に写したものだが、市街地再開発事業の完工を記念して、寄付金により1999年に作られた複合施設ビルMウィング南側広場にある。松本の名産である手鞠をかたどっており、中央の輪の目盛りを上部の矢が指し示す時計になっている。午前10時から午後7時までの毎正時にはまりが上下に開いて人形が現れ、音楽が流れる。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7783814938355129&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />7時半、夕食は結局駅前、松本駅前通りの1本北の路地を入ったところにある和利館と云う店をたまたま見つけてここで食べる。1988年に開店した店で、信州の郷土料理をメインに常時20種以上の地酒、本格手打ちそばを提供している。蕎麦美味しかった。お酒は塩尻と中央東線旧線の辰野との間の小野で幕末の1864年に創業した小野酒造店の「夜明け前」。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7783824355020854&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />そう云えば、この旅行の計画を立てた時には40年以上逢ってない松本在住の古い友人と夕食でもと思ってたんだけど、長野にはマン防も出てなかったんだけど、全国的にはまだまだコロナが収まってなかったので、断念して連絡もしなかった。久々に逢いたかったけどなあ・・・ <br /><br /><br />と云うことで、9時頃ホテルに戻り、この日の予定は終了。翌日の天気を心配してつつ1日目が終わる。2日目に続く

長野 松本 中町通り周辺(Nakamachi Street,Matsumoto,Nagano,Japan)

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2021/08/13 - 2021/08/13

776位(同エリア1716件中)

旅行記グループ 松本

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月13日(金)6時40分過ぎ、松本城から大名通りを抜けて千歳橋を渡る。千歳橋の南、女鳥羽川沿いの道から1本南に東西に走る通りが中町通り。中山道の洗馬(せば)宿から長野の善光寺に向かう善光寺街道(北国西脇往還とか、北国西往還、北国西街道、善光寺西街道とも呼ばれる)が城内を避けて、本町通りから大橋通り(国道143号線)に回り込んでいる部分。

古くから主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛していたが、江戸末期や明治に幾度か大火に見舞われ、主要な施設や町家が多数失われた。その結果、火災から町を守るため、商人たちの知恵でなまこ壁の土蔵が造られた。その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせている。

中町通りに入ると、雨が結構ひどくなってきた。一つ目の交差点の北西角に壱の蔵。山梨に本社があるたなかの直営店で、2002年に92歳で亡くなった松本市生まれの染色家、三代澤本寿(みよさわ もとじゅ)のギャラリーも併設してある。

この建物は1907年(明治40年)に加嶋屋呉服店として建築されたもので、木造2階寄棟造り。1970年から2017年までは「カレー店デリー」として親しまれていた。当初の建物の南半分に相当する部分で、北半分は1989年に解体された。土蔵造りの建物で、外壁は黒漆喰の仕上げ、腰部はなまこ壁となっている。城下町エリアの市近代遺産に認定された歴史的建造物を保存・活用するための制度である「松本市登録文化財制度」の第1号。

その次のブロックの真ん中辺り、北側にある伊原漆器専門店も同じく1907年創業。ただし、建物自体はそれ以前に建てられたものらしい。唐獅子とボタンの花の看板が目印。木曽漆器をはじめ、山中、会津、越前漆器を主に扱っている。

その次のブロックの東寄り、北側にあるのがミドリ薬品。この通りでは珍しい看板建築の建物。店の初代が学生時代を過ごした東京日本橋の建物に憧れて1927年(昭和2年)に建てたもの。正面上部にはスズランの花模様を入れて花房飾りの上に木製の薬の文字を飾り、店名にちなんで緑色で照らし出すようにしている。蔵や町家風の建物が並ぶ中町通りで周囲とは雰囲気の違う粋な外観で目を引く。

その次のブロックの北側にあるのが閑静な雰囲気の松本市はかり資料館。1902年(明治35年)創業の竹内度量衡店をはかり資料館にしたもの。竹内度量衡店は、度量衡専門店として約80年、中南地方の需要を一手に引き受け圏内随一の営業実績を上げていたが、1986年に営業を終えた。その後、松本市で借り受け、一部改装し資料整理をして開館した。収蔵品は木製棒はかりや上皿棹秤、ローマはかり、ロバーバル機構の模型、ギリシャ神話のテミスの像、蚕の雌雄選別器など約600点。

国道143号線(大橋通り)との交差点を左折し北に進むと大橋で女鳥羽川を渡る(下の写真1)。千歳橋でも渡ったが女鳥羽川は小さな川であるが、松本市の中心部を流れるため、松本の人には馴染み深い。江戸時代始めの頃には女堂田(めとうだ)川と呼ばれていた。

美ケ原の北、三才山峠に源を発し、松本市の北から、元々は直線的に北北東から南南西に流れていたが、16世紀後半に城下町造営の際に、城の外堀の機能を持たせるために今の流れに変えた。市内を通過した後は、田川、奈良井川、梓川、犀川と合流し、最終的には信濃川(千曲川)となる。過去に上流から流されて来た流木などが橋桁に絡まり氾濫したことがあるので、現在は市内の橋には橋脚がない。

大橋を渡って左折し女鳥羽川右岸沿いを少し進むと鎮(しずめ)神社がある。その名の通り江戸時代に氾濫を繰り返す女鳥羽川を鎮めるために祀られた神社。一ツ橋を過ぎると、終日歩行者天国となっているなわて通り商店街が続くが、7時前と云うことで開いてる店がもう少ない。「縄のように細く長い土手」であったことから名付けられ、四柱神社の参道としても栄えて来た。

この辺りでは約40年前に友人たちと来た時、2日ほど昼飯に蕎麦を食べた記憶があるが、調べてみてもどの店だったかの記録はなく、思い出せない。1軒はこの女鳥羽川沿いだったような気がするのだが・・・ その頃は当然フィルムカメラの時代でなんでも撮ってる時代じゃないんだよなあ~

一ツ橋(下の写真2)、中の橋(下の写真3)、幸橋(下の写真4)と続くが、それぞれのガス燈の形が違っていて面白い。ただ、雨が酷くなって、ゆっくり見てられない。幸橋の北側に四柱(よはしら)神社。天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の4柱の神を祀ることからこういう名前が付いた。1879年(明治12年)にこの地に創建されたが、1888年(明治21年)の松本大火で社殿を焼失し、1924年(大正13年)に再建された。雨は酷いは暗くなったわでよく見えない。

これで、城下町の観光は終了。事前に調べていた四柱神社の北東にある緑町通りにある蕎麦倶楽部佐々木に向かったのだが、なんと貸し切り・・・ 食べられんもんはしゃあないし、駅の近くに戻るまでにどっかあるだろうと云うことで、予定では夕食の後に行ってみようと思ってたライトアップの松本城を見てから駅、ホテル方向に戻る。

ついでに松本駅前通りより1本北に東西に走る伊勢町通りにある手まりからくり時計。アルバムの写真は松本城に向かう途中に写したものだが、市街地再開発事業の完工を記念して、寄付金により1999年に作られた複合施設ビルMウィング南側広場にある。松本の名産である手鞠をかたどっており、中央の輪の目盛りを上部の矢が指し示す時計になっている。午前10時から午後7時までの毎正時にはまりが上下に開いて人形が現れ、音楽が流れる。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7783814938355129&type=1&l=223fe1adec

7時半、夕食は結局駅前、松本駅前通りの1本北の路地を入ったところにある和利館と云う店をたまたま見つけてここで食べる。1988年に開店した店で、信州の郷土料理をメインに常時20種以上の地酒、本格手打ちそばを提供している。蕎麦美味しかった。お酒は塩尻と中央東線旧線の辰野との間の小野で幕末の1864年に創業した小野酒造店の「夜明け前」。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7783824355020854&type=1&l=223fe1adec

そう云えば、この旅行の計画を立てた時には40年以上逢ってない松本在住の古い友人と夕食でもと思ってたんだけど、長野にはマン防も出てなかったんだけど、全国的にはまだまだコロナが収まってなかったので、断念して連絡もしなかった。久々に逢いたかったけどなあ・・・


と云うことで、9時頃ホテルに戻り、この日の予定は終了。翌日の天気を心配してつつ1日目が終わる。2日目に続く

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  • 写真1 大橋からの女鳥羽川下流

    写真1 大橋からの女鳥羽川下流

  • 写真2 一ツ橋

    写真2 一ツ橋

  • 写真3 中の橋

    写真3 中の橋

  • 写真4 幸橋

    写真4 幸橋

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