新湊・射水旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2021年8月16日(月)朝の7時半、ホテルの宿泊セットの朝食(下の写真1)を食べて観光に出発。まずは駅を越えて古城公園口(北口)に移動。一昨日の上諏訪での大雨が嘘のような天気。<br /><br />これから万葉線に乗って射水市に移動するが、電車の時間まで少しあるので駅前を歩くと昨夜寄ったドラえもんの散歩道と道を挟んだ駅側に大伴家持像がある。1.2mの台座の上に2.8mの家持像と少女2人、堅香子の花が並んでいる(下の写真2)。<br /><br />高岡銅器の原型師の米治一(こめじいち)氏が原型を制作したもので、1981年に第1回万葉まつりを記念して高岡駅北口駅前広場に設置されたものが2014年に伝統工芸高岡銅器振興協同組合が修復し、現在地に設置した。<br /><br />大伴家持は奈良時代の746年から5年間、越中守としてこの地に赴任していた。全体の1割以上の473首が万葉集に収められている歌人で、彼の「もののふの八十娘子らが汲みまがふ 寺井の上の堅香子の花」の歌をイメージした像。この歌は国府のあった伏木の勝興寺の井戸で娘たちが水を汲んでいる側にカタクリの花が咲いている様子を詠んだものとされている。行ってないが、勝興寺の北西の角地に「万葉寺井の跡」の史跡として整備されているそうだ。<br /><br />8時45分の万葉線で移動開始。厳密には第三セクター万葉線の、いわゆる路面電車の高岡軌道線と専用軌道の新湊港線だが、一体の直通路線「万葉線」として運行されている。25駅全線12.9kmで全線電化だが、広小路・米島口間のみ複線。名前は大伴家持が編纂に加わった万葉集から来ている。<br /><br />元々は富山地方鉄道と越中鉄道によって開業した路線で、越中鉄道は越ノ潟付近が1930年(昭和5年)に開業し、(現)六渡寺までの全線開通は3年後。戦争中の1943年に富山地方鉄道の射水線となり、富山から(現)六渡寺までが開業した。<br /><br />高岡駅からは1948年に富山地方鉄道として米島口経由で北の伏木港まで開通。3年後に米島口から(現)六渡寺まで延伸し、高岡と富山間の直通運転が行われた(1961年停止)。1959年には加越能鉄道となる。1966年には現在の新湊港線も加越能鉄道となる。1971年に米島口・伏木港が廃止、現在の路線となる。1980年に万葉線の愛称が付けられ、2002年に万葉線(株)へ譲渡された。<br /><br />万葉線の高岡駅停留場は、2014年に1964年にオープンした高岡ステーションビルを改装してリニューアルオープンした、新しい高岡市の玄関口である複合ビル「CURUN(クルン)高岡」の1階にある。<br /><br />古くは1948年(昭和23年)の富山地方鉄道が伏木港まで開通した際に地鉄高岡停留場として開設された。1959年に加越能鉄道となり新高岡停留場に改称。1963年に駅前広場に移転され、1979年高岡駅前停留場に改称。2014年の現在地への移転の際に高岡駅停留場となった。<br /><br />電車に乗り込み「万葉線・海王丸セットクーポン」を1100円で購入。400円の海王丸乗船券が付いたフリー切符で、海王丸/越ノ潟まで片道400円掛かるので100円お得。万葉線には加越能鉄道から引き継いだ1967年製の1両編成の路面電車車両と、2004年から09年に掛けて導入された2両編成の超低床車(愛称アイトラム)が走っているが、今回私が乗ったのは往復とも旧車両だった。アイトラムは通常赤だが、ラッピング車両の青ベースの「ドラえもんトラム」と「獅子舞トラム」もあり、この両車両とは帰りにすれ違った。他にも黄色い「LIBOOOトラム」も走っている。<br /><br />高岡駅を出ると、電車は路面電車として北西に進み、片原町で右折し、北東に米島口まで道路を走る。ここまで20分くらい。お盆の月曜の朝だが、結構高校生が乗って来る。米島口を過ぎると東に折れて専用軌道となりJRの氷見線をオーバーパスする。昔は米島口からまっすぐ伏木港まで行く線が伸びていたが、今は跡形もない。<br /><br />一駅先の能町口を過ぎると再び北東方向へ折れ、小矢部川と庄川に挟まれた中洲上の地域の道路の中を再び走る。能町口の次の新吉久からその次の吉久に向かうと右手に重要伝統的建造物群保存地区があり、ここも寄ってみたかったのだが、時間なく寄れず。ちなみに庄川は明治終わりの小矢部川・庄川分離工事までは古久辺りで小矢部川に合流していたので、それまでは中州ではなかった。<br /><br />そして、吉久を過ぎると専用軌道に入るところで射水市に入る。2005年に 新湊市と射水郡小杉町、大門町、大島町、下村が合併して誕生した市で、人口約9万人は富山県で3番目に多い。面積約109平方㎞は15の市町村で4番目に小さい。<br /><br />射水の名は新湊市も市制移行以前に属していた射水郡から命名されたが、長い歴史を持つ由緒ある名前。富山県を代表する大河である神通川と庄川の間に広がるこの辺りは中小の河川や地下水に恵まれた土地として古くから栄えて来た。古代の人々は、水の湧出を表わす言葉「イ」・「ミズ」にちなみ、この地を「イミズ」と呼んだと考えられる。当初は「伊弥頭」や「伊美都」などとも書かれたが、「射水」が奈良時代から使われ始め、次第に統一されていった。<br /><br />射水出身者としては落語家の立川志の輔師匠が新湊高校の卒業生。漫画「美味しんぼ」の漫画家、花咲アキラも新湊出身。リオ五輪で金の女子柔道、田知本遥選手は小杉高校出身。サッカーの柳沢敦元選手は高校は富山市内だが、旧小杉町の出身。読売新聞の正力松太郎氏は旧制高岡中学に進んだが、旧大門町出身。<br /><br />45分ほどで六渡寺(ろくどうじ)停留場に到着。ここが高岡軌道線と新湊港線の切れ目だが、特に何もない。元々は1918年(大正7年)に中越鉄道新湊線の終着駅の新湊駅が開業した場所だが、この駅自体は1933年(昭和8年)にそれに隣接する越中鉄道射水線新伏木口駅として開業。新伏木港駅を経て1939年に新湊駅に改称。戦後の1951年に高岡軌道線が開通し高岡駅と繋がる。現在の駅名となったのは1985年。なお、新湊線は国有化された後、貨物専用線となり、その後現在の高岡貨物駅(新吉久停留場の西)までに短縮された。京都の奈良線もそうだが、線名の新湊(現射水市)を走ってないし、線路も撤去されている(1986年に新湊高校が春と夏の甲子園に出場した際には応援列車が新湊駅まで乗り入れた)。<br /><br />六渡寺から電車は西に進み、富山市と石川県の羽咋を結ぶ国道415号線の新庄川橋と並行して庄川を渡る。庄川は富山県を代表する川の一つで岐阜県の飛騨高地からほぼ真南に115㎞ほど流れ、ここで富山湾に流れ込んでいる。古くは砺波市庄川町の雄神神社に因んで雄神川と呼ばれていたが、神社付近の地域を「雄神の庄」と呼んでいたことから、そこを流れる河川そのものが「雄神の庄川」と呼ばれ、のち「雄神」がとれて庄川という名前になった。<br /><br />庄川を渡った2つ先の西新湊で高校生たちが降りる。あとで調べたら、この駅のすぐ南西に上述した新湊高校がある。女子制服はセーラー服なのね。上述した86年の春の甲子園では初出場でベスト4に進出し新湊旋風と騒がれた。志の輔師匠は72年卒なので、だいぶ後輩たちね。ちなみに彼はソフトテニス部で富山県代表でインターハイ出場経験がある。86年頃はTBSテレビ「朝のホットライン」レポーターに就任して売れっ子となった頃。<br /><br />万葉線はこの先、内川を越えて新湊大橋のたもとの越ノ潟まで続くが、ひとつ手前の海王丸停留場で下車。1932年(昭和7年)に現在位置より数十メートル東に越中鉄道越ノ潟口駅として開業。現在の位置に移ったのは1990年で、その時に現在の駅名となった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7963757443694210&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />海王丸パークへ歩くが、続く

富山 万葉線(Manyo-Line,Takaoka & Imizu,Toyama,Japan)

2いいね!

2021/08/16 - 2021/08/16

92位(同エリア111件中)

旅行記グループ 松本

0

2

ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月16日(月)朝の7時半、ホテルの宿泊セットの朝食(下の写真1)を食べて観光に出発。まずは駅を越えて古城公園口(北口)に移動。一昨日の上諏訪での大雨が嘘のような天気。

これから万葉線に乗って射水市に移動するが、電車の時間まで少しあるので駅前を歩くと昨夜寄ったドラえもんの散歩道と道を挟んだ駅側に大伴家持像がある。1.2mの台座の上に2.8mの家持像と少女2人、堅香子の花が並んでいる(下の写真2)。

高岡銅器の原型師の米治一(こめじいち)氏が原型を制作したもので、1981年に第1回万葉まつりを記念して高岡駅北口駅前広場に設置されたものが2014年に伝統工芸高岡銅器振興協同組合が修復し、現在地に設置した。

大伴家持は奈良時代の746年から5年間、越中守としてこの地に赴任していた。全体の1割以上の473首が万葉集に収められている歌人で、彼の「もののふの八十娘子らが汲みまがふ 寺井の上の堅香子の花」の歌をイメージした像。この歌は国府のあった伏木の勝興寺の井戸で娘たちが水を汲んでいる側にカタクリの花が咲いている様子を詠んだものとされている。行ってないが、勝興寺の北西の角地に「万葉寺井の跡」の史跡として整備されているそうだ。

8時45分の万葉線で移動開始。厳密には第三セクター万葉線の、いわゆる路面電車の高岡軌道線と専用軌道の新湊港線だが、一体の直通路線「万葉線」として運行されている。25駅全線12.9kmで全線電化だが、広小路・米島口間のみ複線。名前は大伴家持が編纂に加わった万葉集から来ている。

元々は富山地方鉄道と越中鉄道によって開業した路線で、越中鉄道は越ノ潟付近が1930年(昭和5年)に開業し、(現)六渡寺までの全線開通は3年後。戦争中の1943年に富山地方鉄道の射水線となり、富山から(現)六渡寺までが開業した。

高岡駅からは1948年に富山地方鉄道として米島口経由で北の伏木港まで開通。3年後に米島口から(現)六渡寺まで延伸し、高岡と富山間の直通運転が行われた(1961年停止)。1959年には加越能鉄道となる。1966年には現在の新湊港線も加越能鉄道となる。1971年に米島口・伏木港が廃止、現在の路線となる。1980年に万葉線の愛称が付けられ、2002年に万葉線(株)へ譲渡された。

万葉線の高岡駅停留場は、2014年に1964年にオープンした高岡ステーションビルを改装してリニューアルオープンした、新しい高岡市の玄関口である複合ビル「CURUN(クルン)高岡」の1階にある。

古くは1948年(昭和23年)の富山地方鉄道が伏木港まで開通した際に地鉄高岡停留場として開設された。1959年に加越能鉄道となり新高岡停留場に改称。1963年に駅前広場に移転され、1979年高岡駅前停留場に改称。2014年の現在地への移転の際に高岡駅停留場となった。

電車に乗り込み「万葉線・海王丸セットクーポン」を1100円で購入。400円の海王丸乗船券が付いたフリー切符で、海王丸/越ノ潟まで片道400円掛かるので100円お得。万葉線には加越能鉄道から引き継いだ1967年製の1両編成の路面電車車両と、2004年から09年に掛けて導入された2両編成の超低床車(愛称アイトラム)が走っているが、今回私が乗ったのは往復とも旧車両だった。アイトラムは通常赤だが、ラッピング車両の青ベースの「ドラえもんトラム」と「獅子舞トラム」もあり、この両車両とは帰りにすれ違った。他にも黄色い「LIBOOOトラム」も走っている。

高岡駅を出ると、電車は路面電車として北西に進み、片原町で右折し、北東に米島口まで道路を走る。ここまで20分くらい。お盆の月曜の朝だが、結構高校生が乗って来る。米島口を過ぎると東に折れて専用軌道となりJRの氷見線をオーバーパスする。昔は米島口からまっすぐ伏木港まで行く線が伸びていたが、今は跡形もない。

一駅先の能町口を過ぎると再び北東方向へ折れ、小矢部川と庄川に挟まれた中洲上の地域の道路の中を再び走る。能町口の次の新吉久からその次の吉久に向かうと右手に重要伝統的建造物群保存地区があり、ここも寄ってみたかったのだが、時間なく寄れず。ちなみに庄川は明治終わりの小矢部川・庄川分離工事までは古久辺りで小矢部川に合流していたので、それまでは中州ではなかった。

そして、吉久を過ぎると専用軌道に入るところで射水市に入る。2005年に 新湊市と射水郡小杉町、大門町、大島町、下村が合併して誕生した市で、人口約9万人は富山県で3番目に多い。面積約109平方㎞は15の市町村で4番目に小さい。

射水の名は新湊市も市制移行以前に属していた射水郡から命名されたが、長い歴史を持つ由緒ある名前。富山県を代表する大河である神通川と庄川の間に広がるこの辺りは中小の河川や地下水に恵まれた土地として古くから栄えて来た。古代の人々は、水の湧出を表わす言葉「イ」・「ミズ」にちなみ、この地を「イミズ」と呼んだと考えられる。当初は「伊弥頭」や「伊美都」などとも書かれたが、「射水」が奈良時代から使われ始め、次第に統一されていった。

射水出身者としては落語家の立川志の輔師匠が新湊高校の卒業生。漫画「美味しんぼ」の漫画家、花咲アキラも新湊出身。リオ五輪で金の女子柔道、田知本遥選手は小杉高校出身。サッカーの柳沢敦元選手は高校は富山市内だが、旧小杉町の出身。読売新聞の正力松太郎氏は旧制高岡中学に進んだが、旧大門町出身。

45分ほどで六渡寺(ろくどうじ)停留場に到着。ここが高岡軌道線と新湊港線の切れ目だが、特に何もない。元々は1918年(大正7年)に中越鉄道新湊線の終着駅の新湊駅が開業した場所だが、この駅自体は1933年(昭和8年)にそれに隣接する越中鉄道射水線新伏木口駅として開業。新伏木港駅を経て1939年に新湊駅に改称。戦後の1951年に高岡軌道線が開通し高岡駅と繋がる。現在の駅名となったのは1985年。なお、新湊線は国有化された後、貨物専用線となり、その後現在の高岡貨物駅(新吉久停留場の西)までに短縮された。京都の奈良線もそうだが、線名の新湊(現射水市)を走ってないし、線路も撤去されている(1986年に新湊高校が春と夏の甲子園に出場した際には応援列車が新湊駅まで乗り入れた)。

六渡寺から電車は西に進み、富山市と石川県の羽咋を結ぶ国道415号線の新庄川橋と並行して庄川を渡る。庄川は富山県を代表する川の一つで岐阜県の飛騨高地からほぼ真南に115㎞ほど流れ、ここで富山湾に流れ込んでいる。古くは砺波市庄川町の雄神神社に因んで雄神川と呼ばれていたが、神社付近の地域を「雄神の庄」と呼んでいたことから、そこを流れる河川そのものが「雄神の庄川」と呼ばれ、のち「雄神」がとれて庄川という名前になった。

庄川を渡った2つ先の西新湊で高校生たちが降りる。あとで調べたら、この駅のすぐ南西に上述した新湊高校がある。女子制服はセーラー服なのね。上述した86年の春の甲子園では初出場でベスト4に進出し新湊旋風と騒がれた。志の輔師匠は72年卒なので、だいぶ後輩たちね。ちなみに彼はソフトテニス部で富山県代表でインターハイ出場経験がある。86年頃はTBSテレビ「朝のホットライン」レポーターに就任して売れっ子となった頃。

万葉線はこの先、内川を越えて新湊大橋のたもとの越ノ潟まで続くが、ひとつ手前の海王丸停留場で下車。1932年(昭和7年)に現在位置より数十メートル東に越中鉄道越ノ潟口駅として開業。現在の位置に移ったのは1990年で、その時に現在の駅名となった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7963757443694210&type=1&l=223fe1adec


海王丸パークへ歩くが、続く

PR

  • 写真1 ホテルセブンセブン高岡 ビュッフェ朝食

    写真1 ホテルセブンセブン高岡 ビュッフェ朝食

  • 写真2 大伴家持像

    写真2 大伴家持像

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

松本

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP