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松本城正面入口から大名町通りと呼ばれる通りを南に進む。大名町通りは松本城正面入口と千歳橋の間を指し、この辺りは松本城の三の丸で、城主の家臣の家が多くあったため大名町と呼ばれるようになったことから来ている。<br /><br />2ブロック目の西側に立派な石造りの建物。1937年(昭和12年)に日本勧業銀行松本支店として建てられたもの。半渇きのうちに職人が表面を洗い出す繊細な左官技を駆使しており、石積み風の華麗な縦長アーチの立ち姿は「街角のクイーン」とも呼ばれる(下の写真1)。<br /><br />2003年に銀行としての役目を終え、一時は取り壊しの危機にあったが、近隣の住民による熱心な保存運動により取り壊しの危機を免れ、松本丸の内ホテルの施設の一部となり、2007年には登録有形文化財に指定された。現在はアルモニービアン(HARMONIE BIEN)と云うモダンフレンチのレストラン並びにウエディング会場になっている。<br /><br />アルモニービアンの角を西にしばらく進むと北側に西総堀土塁公園がある。総堀を掘った土を内側に盛り上げて作った高い土の土手(土塁)の跡。江戸時代には三の丸のまわりを土塁がぐるりと周っていたが、ほとんどが崩されて残っていない。底の幅は17mあり、高さは3.5m。江戸時代にはその上に約2.5mの塀が建てられていた(下の写真2)。この土塁のすぐ西が西側の惣堀で、反対側に武家屋敷が立ち並んでいた。2009年に史跡公園として整備された。<br /><br />大名町通りに戻り1ブロック南に進むと西側が工事で囲まれているが、これが二の丸にある市立博物館の移転先。2022年7月に建物は完成予定で、オープンは2023年秋の予定。この角に大名町大手門井戸があったのだが、塀の中に残っているかどうかも分からない。2007年に「水めぐりの井戸整備事業」で作られた最初の井戸。<br /><br />さらに南に進むと女鳥羽川に架かる千歳(せんさい)橋。元々は大手橋と云う木製の橋で、城の大手門に続き、1870年(明治3年)までは町人は通れなかった。1878年(明治11年)、取り壊した大手門門台の石を利用した石橋に替えら、 石製なので流される事なく千年も万年もと願って千歳橋と改名された。現在のコンクリート製の橋は1964年に架け替えられたもの。<br /><br />橋の北詰はクランクになっているが、これは大手門の枡形の名残で現在は西側、四柱神社の前が広場になっている。この枡形は南惣堀と女鳥羽川に挟まれたところから惣堀に突き出すように造られ、東西方向と南側が惣堀に面していた。<br /><br />千歳橋の南西側、時計台のある茶色の建物は時計博物館。2002年に開館した博物館で、1974年に松本市に寄贈された時計コレクターの本田親蔵(ちかぞう)氏が生涯をかけて収集した貴重な和洋の古時計コレクションに加えて、市民から寄贈された時計なども展示されている。見えている時計は日本一大きな振り子型時計。<br /><br />大名通りは千歳橋を過ぎると本町通りに呼び名が変わる。松本駅から東に延びる通称松本駅前通りから北に延びる道。善光寺街道の松本宿の主要通りとして古くから栄えて来た。松本城へ向かうメインストリートであり、本町通りから大手門を抜けて大名通りを進み、外堀に沿って東に迂回し、太鼓門で二の丸に入り、さらに黒門に回り込んで本丸に到達していた。大手門、太鼓門、黒門はいずれも桝形門で、さらに外堀を迂回し、二の丸も南に回り込む必要があり、攻め難く造られていることに感心する。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7783804268356196&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />雨が強くなってきた中、中町通りに進むが、続く

長野 松本城三の丸(Matsumoto Castel Outermost Region,Nagano,Japan)

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2021/08/13 - 2021/08/13

1234位(同エリア1905件中)

旅行記グループ 松本

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ちふゆ

ちふゆさん

松本城正面入口から大名町通りと呼ばれる通りを南に進む。大名町通りは松本城正面入口と千歳橋の間を指し、この辺りは松本城の三の丸で、城主の家臣の家が多くあったため大名町と呼ばれるようになったことから来ている。

2ブロック目の西側に立派な石造りの建物。1937年(昭和12年)に日本勧業銀行松本支店として建てられたもの。半渇きのうちに職人が表面を洗い出す繊細な左官技を駆使しており、石積み風の華麗な縦長アーチの立ち姿は「街角のクイーン」とも呼ばれる(下の写真1)。

2003年に銀行としての役目を終え、一時は取り壊しの危機にあったが、近隣の住民による熱心な保存運動により取り壊しの危機を免れ、松本丸の内ホテルの施設の一部となり、2007年には登録有形文化財に指定された。現在はアルモニービアン(HARMONIE BIEN)と云うモダンフレンチのレストラン並びにウエディング会場になっている。

アルモニービアンの角を西にしばらく進むと北側に西総堀土塁公園がある。総堀を掘った土を内側に盛り上げて作った高い土の土手(土塁)の跡。江戸時代には三の丸のまわりを土塁がぐるりと周っていたが、ほとんどが崩されて残っていない。底の幅は17mあり、高さは3.5m。江戸時代にはその上に約2.5mの塀が建てられていた(下の写真2)。この土塁のすぐ西が西側の惣堀で、反対側に武家屋敷が立ち並んでいた。2009年に史跡公園として整備された。

大名町通りに戻り1ブロック南に進むと西側が工事で囲まれているが、これが二の丸にある市立博物館の移転先。2022年7月に建物は完成予定で、オープンは2023年秋の予定。この角に大名町大手門井戸があったのだが、塀の中に残っているかどうかも分からない。2007年に「水めぐりの井戸整備事業」で作られた最初の井戸。

さらに南に進むと女鳥羽川に架かる千歳(せんさい)橋。元々は大手橋と云う木製の橋で、城の大手門に続き、1870年(明治3年)までは町人は通れなかった。1878年(明治11年)、取り壊した大手門門台の石を利用した石橋に替えら、 石製なので流される事なく千年も万年もと願って千歳橋と改名された。現在のコンクリート製の橋は1964年に架け替えられたもの。

橋の北詰はクランクになっているが、これは大手門の枡形の名残で現在は西側、四柱神社の前が広場になっている。この枡形は南惣堀と女鳥羽川に挟まれたところから惣堀に突き出すように造られ、東西方向と南側が惣堀に面していた。

千歳橋の南西側、時計台のある茶色の建物は時計博物館。2002年に開館した博物館で、1974年に松本市に寄贈された時計コレクターの本田親蔵(ちかぞう)氏が生涯をかけて収集した貴重な和洋の古時計コレクションに加えて、市民から寄贈された時計なども展示されている。見えている時計は日本一大きな振り子型時計。

大名通りは千歳橋を過ぎると本町通りに呼び名が変わる。松本駅から東に延びる通称松本駅前通りから北に延びる道。善光寺街道の松本宿の主要通りとして古くから栄えて来た。松本城へ向かうメインストリートであり、本町通りから大手門を抜けて大名通りを進み、外堀に沿って東に迂回し、太鼓門で二の丸に入り、さらに黒門に回り込んで本丸に到達していた。大手門、太鼓門、黒門はいずれも桝形門で、さらに外堀を迂回し、二の丸も南に回り込む必要があり、攻め難く造られていることに感心する。
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雨が強くなってきた中、中町通りに進むが、続く

  • 写真1 アルモニービアン玄関

    写真1 アルモニービアン玄関

  • 写真2 西総堀土塁公園

    写真2 西総堀土塁公園

  • 写真3 千歳橋からの時計博物館

    写真3 千歳橋からの時計博物館

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