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2021年8月15日(日)、3時40分上田発のあさま615号でまずは長野に向かう。上田駅は1888年(明治21年)に長野からの官設鉄道の終着駅として開業。現在はJR東の北陸新幹線と、旧信越本線のしなの鉄道、上田電鉄(別所線)の駅。1972年に上田交通真田傍陽線が廃止するまでは電鉄上田駅も併設していた。<br /><br />地上1階に新幹線の出改札があり、地上2階の南北自由通路を兼ねた橋上駅舎にしなの鉄道と上田電鉄の出改札がある。新幹線駅は相対式2面2線。しなの鉄道は相対式ホームと島式ホームの2面3線を持つ地上駅。上田電鉄は単式ホーム1面1線を有する高架駅。市街地側の北口は「お城口」、別所温泉側の南口は「温泉口」と呼ばれる。現在の駅舎は新幹線開業に併せて1997年に竣工したもの。<br /><br />北陸新幹線は1997年に長野新幹線として長野までが開業、2015年に金沢まで延伸され北陸新幹線となった。2023年末に敦賀まで延伸予定だが、そこから新大阪間は具体化してない。東京から高崎までは上越新幹線と共用、さらに大宮までは東北新幹線とも共用している。東京から上越妙高までがJR東日本、そこから西はJR西日本の管轄。<br /><br />松本から上田に抜けてからどうするか、朝上田行のバスを見つけた後に考えた。上りで東京に出るか、下りで金沢に向かうか。いずれにせよ、新幹線や特急を使えば予定通り今日中に帰宅は可能。ただ、転んでもタダでは起きない性格。たんに帰るだけじゃもったいない。ってことで思いついたのが、高岡に新湊。現役だった頃から行きたいと思いつつ、行けてなかった所。<br /><br />と云うことで、東京へは向かわずに下りで北陸に向かう。まずは3時40分発のあさま615号で1駅隣の長野に移動。この時間帯上田にはあさましか停車しない(朝夕にははくたかも停車する)。<br /><br />あさまは長野新幹線は全列車の名称だったが、金沢延伸後は東京・長野間の列車の愛称となった。現在はE7系・W7系で運行されており、基本的には1時間に1本。新幹線開業以前には上野・長野(一部直江津)間のエル特急だった。長野新幹線時代には一度乗ったことがあるが、エル特急のあさまには乗ったことはない。名前は浅間山に由来している。在来特急も新幹線も公募で決定された。<br /><br />10分余りで長野に到着。到着前に渡る千曲川は濁流で満たされている。長野では5分の待ち合わせではくたか567号に連絡。はくたかは金沢延伸以降に登場した東京・金沢間の列車で、長野・金沢間の各駅に停車する(一部飯山通過)。現在はE7系・W7系で運行されており、基本的には1時間に1本で長野であさまに連絡している。<br /><br />北陸新幹線開業前は1997年から越後湯沢で上越新幹線と連絡し、北越急行ほくほく線経由で北陸(福井、金沢、和倉温泉)と結ぶ特急だった。この時代には1回乗ったことがあるわ。それ以前には、1982年の上越新幹線開業前までは上野と金沢を結ぶ特急だった(1965年から69年までは信越本線経由、それ以降は上越線経由)。この時期には乗ったことはない。愛称は立山の開山伝説に登場する白い鷹(架空の鳥)が由来。延伸時の公募で1位だった。<br /><br />30分ほどで糸魚川に抜けると日本海が見える。北陸新幹線には2回ほどかがやきに乗ったことがあるが、かがやきは長野から富山まで止まらないので、はくたかだとゆっくり景色を眺められる。<br /><br />さらに15分足らずで黒部川を渡り、黒部宇奈月温泉駅に着くが、この手前で富山県に入る。北陸地方のほぼ中央に位置する県。人口約100万人で47都道府県中の37位で、北陸4県の中、福井よりは多い3番目。県庁所在地は富山市。県全体は新川地区と富山地区、高岡地区、砺波地区に分けられることが多い。自治体の数15(10市4町1村)は47都道府県中最少。<br /><br />北方を日本海、他三方を山脈で区切られている。新潟・長野との県境を成す飛騨山脈や、岐阜との県境の飛騨山脈は険しいが、石川とは昔から北陸道が通り、結び付きは強い。県中部には富山平野が広がり、山麓部には複合扇状地が多い。面積約4250平方㎞は47都道府県中33位で、福井と石川よりわずかに広い。<br /><br />7世紀末に越前、越中、越後に分かれるまでは北陸地方一帯は越(高志・古志)の国(こしのくに)と呼ばれた。近畿から北方に山を越した国から来たらしい。奈良時代、大伴家持が国主を終えた少し後に越中から能登地方が分かれ、現在の県域とほぼ同じになった。<br /><br />鎌倉から室町、戦国時代までは源平の戦いや、一向一揆、上杉・織田両勢力の侵入など激しい戦いが続き、1583年になって佐々成政が統一する。その佐々成政は1587年に秀吉により肥後に転封され、以後加賀藩前田氏の領国となる。富山藩が成立したのは1639年で、加賀藩第3代藩主前田利常の次男利次が初代藩主となった。以後幕末まで前田家が藩主を務めた。<br /><br />明治維新後、1871年(明治4年)に富山県が置かれるが、5年後には石川県に強制編入される。現在の富山県が成立したのは1883年(明治16年)のことだった。太平洋戦争の富山大空襲で市街地は壊滅的な被害を受けた。延焼率は99.5%で、全国最悪だった。<br /><br />富山の名の由来は諸説ある。室町時代に越中守護所があった射水郡の東端である御服山の東麓(射水郡からみて外側)に位置することから「外山」の字が当てられたとする説や立山連峰を仰ぐことができ、山に富んでいることからなど。<br /><br />古来よりの米所。チューリップの栽培も有名。北部に占める富山湾の恩恵により漁業も盛んだった。立山連峰の豊富な水資源とそれを利用した水力発電もあり、明治から昭和に掛けてこの電力を生かして日本海側屈指の工業地域北陸工業地域へ産業シフトを果たした。越中の薬売りの伝統から医薬品の製造・販売も盛ん。第三次産業の情報処理業もインテックなど企業向けの事業者が多い。一方でアート&amp;デザインへの関心が比較的高く、多くの美術館や、地方としては珍しいアニメ制作会社もある。<br /><br />世界遺産の五箇山や立山黒部アルペンルート、富岩運河環水公園、魚津埋没林、富山湾、高岡、氷見、砺波など多くの観光地を抱え、「黒部の太陽(木本正次の小説、映画、ドラマ)」や「劒岳 点の記(新田次郎の小説、映画)」、「風の盆から(NHK 2003年ドラマ)」などの作品の舞台にもなっている。<br /><br />私も結構来てる。立山黒部アルペンルートは3回来て、3回目の時2回目の時に悪天候で断念した立山縦走を果たした。称名滝も行った。黒部渓谷鉄道にも乗った。この時、魚津と滑川にも行った。富山は環水公園に富山城址、市役所の展望台に行った。砺波チューリップ公園は車で行った。小矢部のクロスランドタワーにも登った。現時点(2022年6月)で行ってなくて行きたいところは五箇山に舟川に氷見。<br /><br />富山出身の有名人は多い。富山市関係では、ノーベル賞受賞の田中耕一さんが富山中部高校の卒業生で、同じくノーベル賞受賞の利根川進さんは小学校から中1まで大沢野町だった。テレビプロデューサーなどで有名な久世光彦氏は10歳で富山市に疎開し、富山高校を卒業。「女性の品格」などの坂東眞理子氏は富山中部高校の卒業生。サッカーの柳沢敦元選手は富山第一高校で活躍。バスケの八村塁選手は富山の奥田中学から宮城の明成高校に進学。私と同い年のプロゴルファー森口祐子は富山女子高校卒業。WAHAHA本舗の柴田理恵さんは八尾高校を卒業。古畑任三郎シリーズでブレイクして以降引っ張りだこの西村まさ彦さんは富山商業高校卒業。シャープスアンドフラッツの原信夫さんは東岩瀬町(現富山市)で育ち、富山市でテナーサックスに出会った。<br /><br />これから行く高岡、射水関係を除くとそれ以外の地方では私がよく知る人はあまりいない。ウルトラマンのハヤタ隊員、黒部進さんが黒部の桜井高校出身で、「やっぱり猫が好き」の室井滋さんが魚津高校卒業。あとは板画家の棟方志功さんが1945年に戦時疎開で福光町(現南砺市)に来られアトリエを構えられ、1954年まで住まれてたくらいかな。<br /><br />富山平野を走り続け黒部宇奈月温泉から富山を経て5時過ぎに新高岡に到着。新高岡駅は2015年の北陸新幹線金沢延伸に伴って開業した駅。JR城端線との交点に設けられ、乗換駅となった。駅舎のコンセプトは「飛越能の歴史を継承する駅」。外壁の塗色は高岡銅器をイメージさせる茶色系を採用しており、瑞龍寺の回廊や金屋町の古民家などにある縦格子を駅舎全体に取り入れている。<br /><br />駅舎2階の新幹線ホームは相対式ホーム2面2線の高架構造。在来線は改札外連絡となっている。在来線ホームは新幹線ホーム西側の地平部、駅舎に接する南側に単式ホーム1面1線を設置した地上駅。改札口はなく、ベンチ付の待合室が設けられている。また城端線を跨ぎ西口広場へ向かうエレベーター付の自由通路(跨線橋)がある(下の写真1)。<br /><br />5時14分発の城端線に乗り換えて高岡に向かう。城端線は高岡と城端(じょうはな)を結ぶ線で、1897年(明治30年)に中越鉄道として一部開通し、翌年全線開業した。1920年(大正9年)に国鉄(当時は国有鉄道)中越線となり、1942年(昭和17年)に城端線となった。<br /><br />14駅29.9kmあり、全線非電化で単線。高岡で氷見線に連絡しており、直通の定期列車はないが、直通観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール」が運行されている。また、朝ラッシュ時には旧北陸本線のあいの風とやま鉄道線に乗り入れ、富山まで直通運転が行われている。<br /><br />3分ほどで高岡に到着。高岡駅は1898年(明治31年)に中越鉄道の駅として開業、同じ年10か月遅れて官設鉄道が金沢から延伸された。その4か月後には官設鉄道は富山まで延伸された。1920年(大正9年)の中越鉄道国有化で国有鉄道単独駅となった。現在はJR城端線、氷見線とあいの風とやま鉄道の駅となっている。<br /><br />現在の駅舎は2011年に完成した橋上駅。改札口前を横切る南北自由通路は万葉ロードと命名され、北口・南口の呼称もそれぞれ古城公園口・瑞龍寺口と改められた(下の写真2)。ホームは4面7線の地上ホーム。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7937282673008354&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />5時半、瑞龍寺口のすぐ南にあるホテルセブンセブン高岡(下の写真3)にチェックインして、高岡市内観光に出掛けるが、続く

富山 高岡へ(To Takaoka,Toyama,Japan)

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2021/08/15 - 2021/08/15

585位(同エリア629件中)

旅行記グループ 松本

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月15日(日)、3時40分上田発のあさま615号でまずは長野に向かう。上田駅は1888年(明治21年)に長野からの官設鉄道の終着駅として開業。現在はJR東の北陸新幹線と、旧信越本線のしなの鉄道、上田電鉄(別所線)の駅。1972年に上田交通真田傍陽線が廃止するまでは電鉄上田駅も併設していた。

地上1階に新幹線の出改札があり、地上2階の南北自由通路を兼ねた橋上駅舎にしなの鉄道と上田電鉄の出改札がある。新幹線駅は相対式2面2線。しなの鉄道は相対式ホームと島式ホームの2面3線を持つ地上駅。上田電鉄は単式ホーム1面1線を有する高架駅。市街地側の北口は「お城口」、別所温泉側の南口は「温泉口」と呼ばれる。現在の駅舎は新幹線開業に併せて1997年に竣工したもの。

北陸新幹線は1997年に長野新幹線として長野までが開業、2015年に金沢まで延伸され北陸新幹線となった。2023年末に敦賀まで延伸予定だが、そこから新大阪間は具体化してない。東京から高崎までは上越新幹線と共用、さらに大宮までは東北新幹線とも共用している。東京から上越妙高までがJR東日本、そこから西はJR西日本の管轄。

松本から上田に抜けてからどうするか、朝上田行のバスを見つけた後に考えた。上りで東京に出るか、下りで金沢に向かうか。いずれにせよ、新幹線や特急を使えば予定通り今日中に帰宅は可能。ただ、転んでもタダでは起きない性格。たんに帰るだけじゃもったいない。ってことで思いついたのが、高岡に新湊。現役だった頃から行きたいと思いつつ、行けてなかった所。

と云うことで、東京へは向かわずに下りで北陸に向かう。まずは3時40分発のあさま615号で1駅隣の長野に移動。この時間帯上田にはあさましか停車しない(朝夕にははくたかも停車する)。

あさまは長野新幹線は全列車の名称だったが、金沢延伸後は東京・長野間の列車の愛称となった。現在はE7系・W7系で運行されており、基本的には1時間に1本。新幹線開業以前には上野・長野(一部直江津)間のエル特急だった。長野新幹線時代には一度乗ったことがあるが、エル特急のあさまには乗ったことはない。名前は浅間山に由来している。在来特急も新幹線も公募で決定された。

10分余りで長野に到着。到着前に渡る千曲川は濁流で満たされている。長野では5分の待ち合わせではくたか567号に連絡。はくたかは金沢延伸以降に登場した東京・金沢間の列車で、長野・金沢間の各駅に停車する(一部飯山通過)。現在はE7系・W7系で運行されており、基本的には1時間に1本で長野であさまに連絡している。

北陸新幹線開業前は1997年から越後湯沢で上越新幹線と連絡し、北越急行ほくほく線経由で北陸(福井、金沢、和倉温泉)と結ぶ特急だった。この時代には1回乗ったことがあるわ。それ以前には、1982年の上越新幹線開業前までは上野と金沢を結ぶ特急だった(1965年から69年までは信越本線経由、それ以降は上越線経由)。この時期には乗ったことはない。愛称は立山の開山伝説に登場する白い鷹(架空の鳥)が由来。延伸時の公募で1位だった。

30分ほどで糸魚川に抜けると日本海が見える。北陸新幹線には2回ほどかがやきに乗ったことがあるが、かがやきは長野から富山まで止まらないので、はくたかだとゆっくり景色を眺められる。

さらに15分足らずで黒部川を渡り、黒部宇奈月温泉駅に着くが、この手前で富山県に入る。北陸地方のほぼ中央に位置する県。人口約100万人で47都道府県中の37位で、北陸4県の中、福井よりは多い3番目。県庁所在地は富山市。県全体は新川地区と富山地区、高岡地区、砺波地区に分けられることが多い。自治体の数15(10市4町1村)は47都道府県中最少。

北方を日本海、他三方を山脈で区切られている。新潟・長野との県境を成す飛騨山脈や、岐阜との県境の飛騨山脈は険しいが、石川とは昔から北陸道が通り、結び付きは強い。県中部には富山平野が広がり、山麓部には複合扇状地が多い。面積約4250平方㎞は47都道府県中33位で、福井と石川よりわずかに広い。

7世紀末に越前、越中、越後に分かれるまでは北陸地方一帯は越(高志・古志)の国(こしのくに)と呼ばれた。近畿から北方に山を越した国から来たらしい。奈良時代、大伴家持が国主を終えた少し後に越中から能登地方が分かれ、現在の県域とほぼ同じになった。

鎌倉から室町、戦国時代までは源平の戦いや、一向一揆、上杉・織田両勢力の侵入など激しい戦いが続き、1583年になって佐々成政が統一する。その佐々成政は1587年に秀吉により肥後に転封され、以後加賀藩前田氏の領国となる。富山藩が成立したのは1639年で、加賀藩第3代藩主前田利常の次男利次が初代藩主となった。以後幕末まで前田家が藩主を務めた。

明治維新後、1871年(明治4年)に富山県が置かれるが、5年後には石川県に強制編入される。現在の富山県が成立したのは1883年(明治16年)のことだった。太平洋戦争の富山大空襲で市街地は壊滅的な被害を受けた。延焼率は99.5%で、全国最悪だった。

富山の名の由来は諸説ある。室町時代に越中守護所があった射水郡の東端である御服山の東麓(射水郡からみて外側)に位置することから「外山」の字が当てられたとする説や立山連峰を仰ぐことができ、山に富んでいることからなど。

古来よりの米所。チューリップの栽培も有名。北部に占める富山湾の恩恵により漁業も盛んだった。立山連峰の豊富な水資源とそれを利用した水力発電もあり、明治から昭和に掛けてこの電力を生かして日本海側屈指の工業地域北陸工業地域へ産業シフトを果たした。越中の薬売りの伝統から医薬品の製造・販売も盛ん。第三次産業の情報処理業もインテックなど企業向けの事業者が多い。一方でアート&デザインへの関心が比較的高く、多くの美術館や、地方としては珍しいアニメ制作会社もある。

世界遺産の五箇山や立山黒部アルペンルート、富岩運河環水公園、魚津埋没林、富山湾、高岡、氷見、砺波など多くの観光地を抱え、「黒部の太陽(木本正次の小説、映画、ドラマ)」や「劒岳 点の記(新田次郎の小説、映画)」、「風の盆から(NHK 2003年ドラマ)」などの作品の舞台にもなっている。

私も結構来てる。立山黒部アルペンルートは3回来て、3回目の時2回目の時に悪天候で断念した立山縦走を果たした。称名滝も行った。黒部渓谷鉄道にも乗った。この時、魚津と滑川にも行った。富山は環水公園に富山城址、市役所の展望台に行った。砺波チューリップ公園は車で行った。小矢部のクロスランドタワーにも登った。現時点(2022年6月)で行ってなくて行きたいところは五箇山に舟川に氷見。

富山出身の有名人は多い。富山市関係では、ノーベル賞受賞の田中耕一さんが富山中部高校の卒業生で、同じくノーベル賞受賞の利根川進さんは小学校から中1まで大沢野町だった。テレビプロデューサーなどで有名な久世光彦氏は10歳で富山市に疎開し、富山高校を卒業。「女性の品格」などの坂東眞理子氏は富山中部高校の卒業生。サッカーの柳沢敦元選手は富山第一高校で活躍。バスケの八村塁選手は富山の奥田中学から宮城の明成高校に進学。私と同い年のプロゴルファー森口祐子は富山女子高校卒業。WAHAHA本舗の柴田理恵さんは八尾高校を卒業。古畑任三郎シリーズでブレイクして以降引っ張りだこの西村まさ彦さんは富山商業高校卒業。シャープスアンドフラッツの原信夫さんは東岩瀬町(現富山市)で育ち、富山市でテナーサックスに出会った。

これから行く高岡、射水関係を除くとそれ以外の地方では私がよく知る人はあまりいない。ウルトラマンのハヤタ隊員、黒部進さんが黒部の桜井高校出身で、「やっぱり猫が好き」の室井滋さんが魚津高校卒業。あとは板画家の棟方志功さんが1945年に戦時疎開で福光町(現南砺市)に来られアトリエを構えられ、1954年まで住まれてたくらいかな。

富山平野を走り続け黒部宇奈月温泉から富山を経て5時過ぎに新高岡に到着。新高岡駅は2015年の北陸新幹線金沢延伸に伴って開業した駅。JR城端線との交点に設けられ、乗換駅となった。駅舎のコンセプトは「飛越能の歴史を継承する駅」。外壁の塗色は高岡銅器をイメージさせる茶色系を採用しており、瑞龍寺の回廊や金屋町の古民家などにある縦格子を駅舎全体に取り入れている。

駅舎2階の新幹線ホームは相対式ホーム2面2線の高架構造。在来線は改札外連絡となっている。在来線ホームは新幹線ホーム西側の地平部、駅舎に接する南側に単式ホーム1面1線を設置した地上駅。改札口はなく、ベンチ付の待合室が設けられている。また城端線を跨ぎ西口広場へ向かうエレベーター付の自由通路(跨線橋)がある(下の写真1)。

5時14分発の城端線に乗り換えて高岡に向かう。城端線は高岡と城端(じょうはな)を結ぶ線で、1897年(明治30年)に中越鉄道として一部開通し、翌年全線開業した。1920年(大正9年)に国鉄(当時は国有鉄道)中越線となり、1942年(昭和17年)に城端線となった。

14駅29.9kmあり、全線非電化で単線。高岡で氷見線に連絡しており、直通の定期列車はないが、直通観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール」が運行されている。また、朝ラッシュ時には旧北陸本線のあいの風とやま鉄道線に乗り入れ、富山まで直通運転が行われている。

3分ほどで高岡に到着。高岡駅は1898年(明治31年)に中越鉄道の駅として開業、同じ年10か月遅れて官設鉄道が金沢から延伸された。その4か月後には官設鉄道は富山まで延伸された。1920年(大正9年)の中越鉄道国有化で国有鉄道単独駅となった。現在はJR城端線、氷見線とあいの風とやま鉄道の駅となっている。

現在の駅舎は2011年に完成した橋上駅。改札口前を横切る南北自由通路は万葉ロードと命名され、北口・南口の呼称もそれぞれ古城公園口・瑞龍寺口と改められた(下の写真2)。ホームは4面7線の地上ホーム。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7937282673008354&type=1&l=223fe1adec


5時半、瑞龍寺口のすぐ南にあるホテルセブンセブン高岡(下の写真3)にチェックインして、高岡市内観光に出掛けるが、続く

  • 写真1 城端線新高岡駅

    写真1 城端線新高岡駅

  • 写真2 高岡駅改札口前

    写真2 高岡駅改札口前

  • 写真3 ホテルセブンセブン高岡

    写真3 ホテルセブンセブン高岡

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