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2021年8月13日(金)朝、翌日に長野県の松本で開催されるサッカーJ2リーグの松本山雅対京都サンガFCの試合を見に行くため、青春18きっぷで松本へ移動する。前年(2020年)の3月末にジャマイカから帰国して以来、初めてのお泊り旅行。1年半以上もずっと家にいたって、私の人生初めてかも知れない。<br /><br />9時半過ぎ、京都駅を出発(下の写真1)、野洲、米原、大垣で乗り換えて12時過ぎに名古屋に到着。5か月前の3月に春の18きっぷ利用で大垣までは往復したので、大垣から先に旅行で出掛けるのは4年振り。<br /><br />名古屋からは中央本線でまずは中津川に向かう。中央本線に乗るのは6年前の2015年の8月に上諏訪の花火大会を見に行って以来。その時も18きっぷ利用だった。中央本線は東京の新宿から長野の塩尻を経由して名古屋までを結ぶJR線だが、塩尻を境に現在はJR東日本に属する中央東線と、JR東海に属する中央西線に分かれており、両線を直通する列車もない。<br /><br />中央西線は1900年(明治33年)にまずは名古屋・多治見間が開通。その11年後に全線が開通し、1906年(明治39年)に開通し1909年に中央東線と改称されていた部分と一体化して中央本線となる。1987年、国鉄分割民営化によりJR東海となる。現在は全線電化されており、全線174.8㎞のうち3区間合計24.6㎞のみ単線。<br /><br />1時半過ぎ、中津川駅に到着。1902年に中央西線が多治見から延伸されて、中津駅として開業。その後、1911年に中津川駅に改称された。現在の駅舎は1978年に改築されたもの。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持ち跨線橋と地下通路で結ばれている。<br /><br />6年前の2015年の夏、諏訪湖の花火大会を見に行った時にもここで途中下車して、中山道歴史資料館に行ったりしたことがあるが、今回はお昼を食べるだけ。何か中津川らしいものはないかと駅前の北側にある中津川にぎわいプラザに行ってみる(下の写真2)。<br /><br />ダイエー中津川店として1977年に竣工したが1998年に閉店。2000年に中津川市が取得してにぎわいプラザに改称し、市民サービスコーナーや市役所機能の一部、子育て支援センターホールのほか ホール、会議室などとして利用されているところで、こう云う所なら名物料理の駅弁が買えないかと思ったが、当て外れやった。<br /><br />で、駅舎の改札内外から利用できる根の上そばへ(下の写真3)。中央本線の開通にともない駅弁の販売を開始した中津川の老舗料亭、梅信亭が50年以上前から駅構内で営業している店。520円の天ぷらうどんを食べる(下の写真4)。ここは完全に関東風の濃い口醤油のお汁。<br /><br />2時15分発の松本行きで移動再開。中津川の次の落合川駅を過ぎると木曽川に並走して進むようになる。木曽川は塩尻の西の鉢盛山を水源として木曽谷を流れ、濃尾平野に出て、ナガシマスパーランドの東で濃尾湾に注ぐ木曽三川の一つ。全長229㎞で日本の川で7番目の長さ。<br /><br />落合川の次の坂下を過ぎると長野県に入る。木曽川は大雨の影響で濁流となっており、恐ろしい感じ。1時間ほどで寝覚の床を通過する。帰りはここに寄ろうと思ってるんだろうけど大丈夫だろうか・・・ まあ、結果は全然大丈夫じゃなかったのだが・・・<br /><br />4時50分頃、予定より少し遅れて松本駅に到着。1902年(明治35年)に長野方面からの篠ノ井線延伸に伴い開業。1916年(大正5年)に信濃鉄道(現:大糸線)の松本駅も営業開始し、1921年(大正10年)に筑摩鉄道島々線(現:アルピコ交通上高地線)の松本駅が営業開始した。駅舎は1978年改築のデパートを併設したもので、2006年から7年に掛けて東西自由通路が整備され、橋上改札口となった。<br /><br />篠ノ井線は長野方面からの延伸の半年後、塩尻までが開通し、1906年(明治39年)の塩尻・岡谷間開通で東京と結ばれ、いったんは昌平橋・篠ノ井間が中央東線となったが、1911年の中央西線の全線開通に伴い塩尻・篠ノ井間が分離されて篠ノ井線となった。全線電化されており、松本・塩尻間と明科・田沢は複線化されている。<br /><br />1982年までは中央本線の東京側から分岐する形だったが、現在は中央東線、中央西線の両方が合流する形で篠ノ井線に繋がっており、東京からの特急「あずさ」や名古屋からの特急「しなの」がそのまま松本(もしくは大糸線、長野)まで乗り入れている。私が初めて「しなの」に乗ったのは1979年の夏なので、その時は塩尻駅でスイッチバックしてたのね。「あずさ」でも行ったことあるけど、いずれにしても塩尻を過ぎるとアルプスの山並みの前にブドウ畑などが広がり、好きな車窓風景の一つだ。<br /><br />松本駅お城口(東口)すぐ前のホテル(下の写真5)を取ったので、お城口を出ると播隆上人像がある。播隆上人は江戸時代後期の念仏行者。その修行の道中、幾多の苦難を乗り越え槍ヶ岳の山頂を極め、頂上に祠を建立した。また、その後も何度も登頂を重ね、後に来る者のために危険な個所に鎖を準備したそうだ。この像は2012年の松本駅前・憩の広場の改修に合わせ、その偉業を永く称える意味を込め修復、再建立されたもの。松本駅には何度か降り立っているが、初めて気付いた。前回来たのは2003年なんで、その時はどこにあったんだろう?<br /><br />5時前、ホテル飯田屋に無事チェックイン。このホテルは1904年(明治37年)に飯田屋旅館として創業した松本市内でも歴史のある宿泊施設。1972年にビジネスホテルに業態変換し、1992年に別館を、1995年に新館を増築している。まあ、普通のビジネスホテルで快適でした。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7759917724078184&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />松本城に向かうが、続く

長野 松本へ (To Matsumoto,Nagano,Japan)

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2021/08/13 - 2021/08/13

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月13日(金)朝、翌日に長野県の松本で開催されるサッカーJ2リーグの松本山雅対京都サンガFCの試合を見に行くため、青春18きっぷで松本へ移動する。前年(2020年)の3月末にジャマイカから帰国して以来、初めてのお泊り旅行。1年半以上もずっと家にいたって、私の人生初めてかも知れない。

9時半過ぎ、京都駅を出発(下の写真1)、野洲、米原、大垣で乗り換えて12時過ぎに名古屋に到着。5か月前の3月に春の18きっぷ利用で大垣までは往復したので、大垣から先に旅行で出掛けるのは4年振り。

名古屋からは中央本線でまずは中津川に向かう。中央本線に乗るのは6年前の2015年の8月に上諏訪の花火大会を見に行って以来。その時も18きっぷ利用だった。中央本線は東京の新宿から長野の塩尻を経由して名古屋までを結ぶJR線だが、塩尻を境に現在はJR東日本に属する中央東線と、JR東海に属する中央西線に分かれており、両線を直通する列車もない。

中央西線は1900年(明治33年)にまずは名古屋・多治見間が開通。その11年後に全線が開通し、1906年(明治39年)に開通し1909年に中央東線と改称されていた部分と一体化して中央本線となる。1987年、国鉄分割民営化によりJR東海となる。現在は全線電化されており、全線174.8㎞のうち3区間合計24.6㎞のみ単線。

1時半過ぎ、中津川駅に到着。1902年に中央西線が多治見から延伸されて、中津駅として開業。その後、1911年に中津川駅に改称された。現在の駅舎は1978年に改築されたもの。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持ち跨線橋と地下通路で結ばれている。

6年前の2015年の夏、諏訪湖の花火大会を見に行った時にもここで途中下車して、中山道歴史資料館に行ったりしたことがあるが、今回はお昼を食べるだけ。何か中津川らしいものはないかと駅前の北側にある中津川にぎわいプラザに行ってみる(下の写真2)。

ダイエー中津川店として1977年に竣工したが1998年に閉店。2000年に中津川市が取得してにぎわいプラザに改称し、市民サービスコーナーや市役所機能の一部、子育て支援センターホールのほか ホール、会議室などとして利用されているところで、こう云う所なら名物料理の駅弁が買えないかと思ったが、当て外れやった。

で、駅舎の改札内外から利用できる根の上そばへ(下の写真3)。中央本線の開通にともない駅弁の販売を開始した中津川の老舗料亭、梅信亭が50年以上前から駅構内で営業している店。520円の天ぷらうどんを食べる(下の写真4)。ここは完全に関東風の濃い口醤油のお汁。

2時15分発の松本行きで移動再開。中津川の次の落合川駅を過ぎると木曽川に並走して進むようになる。木曽川は塩尻の西の鉢盛山を水源として木曽谷を流れ、濃尾平野に出て、ナガシマスパーランドの東で濃尾湾に注ぐ木曽三川の一つ。全長229㎞で日本の川で7番目の長さ。

落合川の次の坂下を過ぎると長野県に入る。木曽川は大雨の影響で濁流となっており、恐ろしい感じ。1時間ほどで寝覚の床を通過する。帰りはここに寄ろうと思ってるんだろうけど大丈夫だろうか・・・ まあ、結果は全然大丈夫じゃなかったのだが・・・

4時50分頃、予定より少し遅れて松本駅に到着。1902年(明治35年)に長野方面からの篠ノ井線延伸に伴い開業。1916年(大正5年)に信濃鉄道(現:大糸線)の松本駅も営業開始し、1921年(大正10年)に筑摩鉄道島々線(現:アルピコ交通上高地線)の松本駅が営業開始した。駅舎は1978年改築のデパートを併設したもので、2006年から7年に掛けて東西自由通路が整備され、橋上改札口となった。

篠ノ井線は長野方面からの延伸の半年後、塩尻までが開通し、1906年(明治39年)の塩尻・岡谷間開通で東京と結ばれ、いったんは昌平橋・篠ノ井間が中央東線となったが、1911年の中央西線の全線開通に伴い塩尻・篠ノ井間が分離されて篠ノ井線となった。全線電化されており、松本・塩尻間と明科・田沢は複線化されている。

1982年までは中央本線の東京側から分岐する形だったが、現在は中央東線、中央西線の両方が合流する形で篠ノ井線に繋がっており、東京からの特急「あずさ」や名古屋からの特急「しなの」がそのまま松本(もしくは大糸線、長野)まで乗り入れている。私が初めて「しなの」に乗ったのは1979年の夏なので、その時は塩尻駅でスイッチバックしてたのね。「あずさ」でも行ったことあるけど、いずれにしても塩尻を過ぎるとアルプスの山並みの前にブドウ畑などが広がり、好きな車窓風景の一つだ。

松本駅お城口(東口)すぐ前のホテル(下の写真5)を取ったので、お城口を出ると播隆上人像がある。播隆上人は江戸時代後期の念仏行者。その修行の道中、幾多の苦難を乗り越え槍ヶ岳の山頂を極め、頂上に祠を建立した。また、その後も何度も登頂を重ね、後に来る者のために危険な個所に鎖を準備したそうだ。この像は2012年の松本駅前・憩の広場の改修に合わせ、その偉業を永く称える意味を込め修復、再建立されたもの。松本駅には何度か降り立っているが、初めて気付いた。前回来たのは2003年なんで、その時はどこにあったんだろう?

5時前、ホテル飯田屋に無事チェックイン。このホテルは1904年(明治37年)に飯田屋旅館として創業した松本市内でも歴史のある宿泊施設。1972年にビジネスホテルに業態変換し、1992年に別館を、1995年に新館を増築している。まあ、普通のビジネスホテルで快適でした。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7759917724078184&type=1&l=223fe1adec


松本城に向かうが、続く

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  • &lt;写真1 京都駅にて

    <写真1 京都駅にて

  • 写真2 中津川にぎわいプラザ

    写真2 中津川にぎわいプラザ

  • 写真3 中津川駅 根の上そば

    写真3 中津川駅 根の上そば

  • 写真4 中津川駅 根の上そばの天ぷらうどん

    写真4 中津川駅 根の上そばの天ぷらうどん

  • 写真5 松本駅前 ホテル飯田屋

    写真5 松本駅前 ホテル飯田屋

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