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2021年8月13日(金)6時前、本丸見学を終えて、黒門から二の丸に戻り、内堀沿いに西に回る。松本城は三重の水堀に囲まれており、内側から内堀、外堀、総堀と呼ばれている。ただし、本丸の北側では内堀が外堀と接続していて外堀と一体化している。内堀に囲まれた中が本丸、外堀に囲まれた中が二の丸、外堀と総堀の間が三の丸。<br /><br />現在は埋め立てられて存在しない外堀と内堀に挟まれた細長く伸びる二の丸の南側と西側には江戸時代は米蔵が置かれていたそうだ。ここからのお堀越しの天守は本当に絵になる。<br /><br />二の丸西側の一番北に架かる赤い橋が埋橋(うずみのはし)。2011年6月の松本地震以降通行止めになっている。元々は存在しなかった橋で、1955年に観光用に架橋されたものだが、フォットスポットとして定着しており、今後どうするかが決まっていない。江戸時代にはここには足駄塀があり、内堀と外堀を区切り、埋門(うずみのもん)に続いていた。石垣を通路の幅だけ切り通して門を造ったので、石垣に埋もれて見えないことから埋門と呼ばれていた。<br /><br />埋橋の北に堀に突き出た部分があるが、ここには1914年(大正3年)までは西向きを正面として若宮八幡があった(下の写真1)。現在は北側の三の丸にある松本神社の境内に移されている。その西側に蓮の花が咲く蓮池があるが、この池はかつては西側の外堀から続いていたもの。池の縁に1993年に開催された国宝松本城400年まつりの開催記念碑が建つ(下の写真2)。<br /><br />城の北側に進む。本丸の北側には内堀はなく外堀になっているので、この部分は二の丸でなく三の丸だった。西内堀との合流部分を過ぎたところにあるのが松本神社。元々は江戸初期の1636年に兵庫県の明石城の城内に明石藩主の松平丹波守光重が創建した新宮がルーツ。1698年に暘谷霊社に改められ、松平光重の後裔である戸田松平家初代、松平光慈が松本藩に入封した後の1726年に当地に遷宮され、暘谷大明神として郷土発展、縁結びの神として信仰されていた。<br /><br />その後、1797年に現在の愛知県田原市から片宮八幡宮と今宮八幡宮を勧請合祀、さらに1831年に共武大神社と淑慎大神社を合祀して五社と呼ばれるようになった。主縁の人物が祭られていた事から家臣達が篤く信仰し、境内には寄進奉納された盥盤や石灯籠などが建立され信仰の篤さが窺える。<br /><br />大正に入り、上述したように1914年に若宮八幡を境内に遷座、これを機に社殿の向きを西から南向きに改めた。若宮八幡は古くから仁徳天皇を祀る社であったと云われ、社殿は戦国時代に小笠原氏が勧請したと伝えられ、1670年に松本城鎮守社として二の丸西北隅に移されていた。さらに1953年にその若宮八幡を合祀し、松本神社に改称した。<br /><br />道路に面した神門(山門)は切妻、桟瓦葺、一間一戸の薬医門。正面の拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、平入、正面千鳥破風、桁行8間、梁間5間、正面1間向拝付で外壁が真壁造板張り、妻面は真壁造白漆喰仕上げ。その奥の本殿は一間社流造、銅板葺。<br /><br />境内の南西角には2009年に松本市でおこなった「水めぐりの井戸整備事業」で掘られた松本神社前井戸がある。その翌年に勧請された暘谷水神も祀られている(下の写真3)。<br /><br />さらに東に進むと本丸の北裏門に繋がっていた土橋があるが、現在は通れない(下の写真4)。西内堀分岐を過ぎると木橋の二の丸裏御門橋(下の写真5)を渡り二の丸に戻る。もちろんこの橋ではないが、ここには江戸時代から橋が架かっていた。<br /><br />二の丸のこの部分には元々は二の丸御殿があった。また、御殿と本丸の間には足駄塀が渡され、内堀と外堀を区切っていた。御殿は戦国末期の1594年頃に竣工した天守に続いて建てられたと考えられているが、松平直政(1633年~38年の城主)が関わっていたと云う説もある。部屋数は約50あり、本丸御殿があった時は副政庁として機能し、本丸御殿焼失後はそのすべての機能を受け持っていた(ただし、その後一部機能は別の場所に移された)。<br /><br />明治になり御殿は筑摩県庁として使われていたが、1876年(明治9年)に出火、全焼した。1908年(明治41年)、跡地に松本裁判所が建造されたが、1978年に移築され、1980年から85年に掛けて御殿跡が発掘調査の上、平面復元された。<br /><br />御殿跡の南端には明治天皇駐蹕遺址碑が建つ(下の写真6)。1880年(明治13年)に松本裁判所に明治天皇が立ち寄られたことを記念して1921年(大正10年)に松本市民に寄り建てられたもの。<br /><br />この碑の南側が三の丸から二の丸への正門である太鼓門。天守築造後の1595年頃に築造され、江戸時代は倉庫としても使用されていた。明治に入り1871年(明治4年)に取り壊されたままになっていたものを、1999年に復元した。一の門の北側門台上に太鼓楼があり、鐘と太鼓が備えられ、時を知らせる等、家臣に情報を伝える役割を果たしていた。この楼があったことから太鼓門の名が付いた。<br /><br />外堀にかかる鵜首(うのくび)を渡り、二の門(高麗門)をくぐると桝形に出る(下の写真7)。石垣・土塀を四角に囲って、内と外に門を二重に構えたもので、松本城にはこの太鼓門と本丸の入口の黒門の他、三の丸の入口の大手門の3つの桝形門があった。<br /><br />一の門の外側(桝形側)左手の石は玄蕃石と呼ばれる松本城最大の石。松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせたことから玄蕃石と呼ばれる(下の写真8)。また、一の門を中に抜けると左手にある礎石は松本藩の賄御用を勤めていた飯森家が、門が取り壊された際に貰い受けたものを1973年に寄贈したもの。また、一の門に置かれた切り株は太鼓門復元の際に、櫓内の梁に使用された樹齢140年の赤松の根元(下の写真9)。<br /><br />太鼓門から正面入口の土橋に戻る途中、左手に松本市立博物館がある(下の写真10)。1968年から2005年までは日本民俗資料館とも呼ばれていた。40年前に来た時の松本城の入場券には日本民俗資料館とあった。入ってないと思う、多分。すでに三の丸の大手3丁目への移転が決まり4月から閉館中(移転後は2023年秋開館予定)。<br /><br />前身は1906年(明治39年)に松本尋常高等小学校内に開設された明治三十七、八年戦役紀念館で、1952年から現在地にあった。元々はこの辺りには城主私邸である古山地御殿があった。1591年頃の建造と考えられている。1885年(明治18年)に松本中学校の校舎が建てられ、1935年(昭和10年)まで使われていた。<br /><br />6時半前に正面入口に戻り、三の丸から女鳥羽川辺りを歩くが45分ほどして夜になった後にライトアップされた天守を見に戻った。ライトアップは通年、日没から夜の10時まで行われている。天守だけでなく、黒門も綺麗だった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7769461653123791&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />松本市内の観光は続く

長野 松本城二の丸(Matsumoto Castel Outer Citadel,Nagano,Japan)

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2021/08/13 - 2021/08/13

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旅行記グループ 松本

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月13日(金)6時前、本丸見学を終えて、黒門から二の丸に戻り、内堀沿いに西に回る。松本城は三重の水堀に囲まれており、内側から内堀、外堀、総堀と呼ばれている。ただし、本丸の北側では内堀が外堀と接続していて外堀と一体化している。内堀に囲まれた中が本丸、外堀に囲まれた中が二の丸、外堀と総堀の間が三の丸。

現在は埋め立てられて存在しない外堀と内堀に挟まれた細長く伸びる二の丸の南側と西側には江戸時代は米蔵が置かれていたそうだ。ここからのお堀越しの天守は本当に絵になる。

二の丸西側の一番北に架かる赤い橋が埋橋(うずみのはし)。2011年6月の松本地震以降通行止めになっている。元々は存在しなかった橋で、1955年に観光用に架橋されたものだが、フォットスポットとして定着しており、今後どうするかが決まっていない。江戸時代にはここには足駄塀があり、内堀と外堀を区切り、埋門(うずみのもん)に続いていた。石垣を通路の幅だけ切り通して門を造ったので、石垣に埋もれて見えないことから埋門と呼ばれていた。

埋橋の北に堀に突き出た部分があるが、ここには1914年(大正3年)までは西向きを正面として若宮八幡があった(下の写真1)。現在は北側の三の丸にある松本神社の境内に移されている。その西側に蓮の花が咲く蓮池があるが、この池はかつては西側の外堀から続いていたもの。池の縁に1993年に開催された国宝松本城400年まつりの開催記念碑が建つ(下の写真2)。

城の北側に進む。本丸の北側には内堀はなく外堀になっているので、この部分は二の丸でなく三の丸だった。西内堀との合流部分を過ぎたところにあるのが松本神社。元々は江戸初期の1636年に兵庫県の明石城の城内に明石藩主の松平丹波守光重が創建した新宮がルーツ。1698年に暘谷霊社に改められ、松平光重の後裔である戸田松平家初代、松平光慈が松本藩に入封した後の1726年に当地に遷宮され、暘谷大明神として郷土発展、縁結びの神として信仰されていた。

その後、1797年に現在の愛知県田原市から片宮八幡宮と今宮八幡宮を勧請合祀、さらに1831年に共武大神社と淑慎大神社を合祀して五社と呼ばれるようになった。主縁の人物が祭られていた事から家臣達が篤く信仰し、境内には寄進奉納された盥盤や石灯籠などが建立され信仰の篤さが窺える。

大正に入り、上述したように1914年に若宮八幡を境内に遷座、これを機に社殿の向きを西から南向きに改めた。若宮八幡は古くから仁徳天皇を祀る社であったと云われ、社殿は戦国時代に小笠原氏が勧請したと伝えられ、1670年に松本城鎮守社として二の丸西北隅に移されていた。さらに1953年にその若宮八幡を合祀し、松本神社に改称した。

道路に面した神門(山門)は切妻、桟瓦葺、一間一戸の薬医門。正面の拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、平入、正面千鳥破風、桁行8間、梁間5間、正面1間向拝付で外壁が真壁造板張り、妻面は真壁造白漆喰仕上げ。その奥の本殿は一間社流造、銅板葺。

境内の南西角には2009年に松本市でおこなった「水めぐりの井戸整備事業」で掘られた松本神社前井戸がある。その翌年に勧請された暘谷水神も祀られている(下の写真3)。

さらに東に進むと本丸の北裏門に繋がっていた土橋があるが、現在は通れない(下の写真4)。西内堀分岐を過ぎると木橋の二の丸裏御門橋(下の写真5)を渡り二の丸に戻る。もちろんこの橋ではないが、ここには江戸時代から橋が架かっていた。

二の丸のこの部分には元々は二の丸御殿があった。また、御殿と本丸の間には足駄塀が渡され、内堀と外堀を区切っていた。御殿は戦国末期の1594年頃に竣工した天守に続いて建てられたと考えられているが、松平直政(1633年~38年の城主)が関わっていたと云う説もある。部屋数は約50あり、本丸御殿があった時は副政庁として機能し、本丸御殿焼失後はそのすべての機能を受け持っていた(ただし、その後一部機能は別の場所に移された)。

明治になり御殿は筑摩県庁として使われていたが、1876年(明治9年)に出火、全焼した。1908年(明治41年)、跡地に松本裁判所が建造されたが、1978年に移築され、1980年から85年に掛けて御殿跡が発掘調査の上、平面復元された。

御殿跡の南端には明治天皇駐蹕遺址碑が建つ(下の写真6)。1880年(明治13年)に松本裁判所に明治天皇が立ち寄られたことを記念して1921年(大正10年)に松本市民に寄り建てられたもの。

この碑の南側が三の丸から二の丸への正門である太鼓門。天守築造後の1595年頃に築造され、江戸時代は倉庫としても使用されていた。明治に入り1871年(明治4年)に取り壊されたままになっていたものを、1999年に復元した。一の門の北側門台上に太鼓楼があり、鐘と太鼓が備えられ、時を知らせる等、家臣に情報を伝える役割を果たしていた。この楼があったことから太鼓門の名が付いた。

外堀にかかる鵜首(うのくび)を渡り、二の門(高麗門)をくぐると桝形に出る(下の写真7)。石垣・土塀を四角に囲って、内と外に門を二重に構えたもので、松本城にはこの太鼓門と本丸の入口の黒門の他、三の丸の入口の大手門の3つの桝形門があった。

一の門の外側(桝形側)左手の石は玄蕃石と呼ばれる松本城最大の石。松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせたことから玄蕃石と呼ばれる(下の写真8)。また、一の門を中に抜けると左手にある礎石は松本藩の賄御用を勤めていた飯森家が、門が取り壊された際に貰い受けたものを1973年に寄贈したもの。また、一の門に置かれた切り株は太鼓門復元の際に、櫓内の梁に使用された樹齢140年の赤松の根元(下の写真9)。

太鼓門から正面入口の土橋に戻る途中、左手に松本市立博物館がある(下の写真10)。1968年から2005年までは日本民俗資料館とも呼ばれていた。40年前に来た時の松本城の入場券には日本民俗資料館とあった。入ってないと思う、多分。すでに三の丸の大手3丁目への移転が決まり4月から閉館中(移転後は2023年秋開館予定)。

前身は1906年(明治39年)に松本尋常高等小学校内に開設された明治三十七、八年戦役紀念館で、1952年から現在地にあった。元々はこの辺りには城主私邸である古山地御殿があった。1591年頃の建造と考えられている。1885年(明治18年)に松本中学校の校舎が建てられ、1935年(昭和10年)まで使われていた。

6時半前に正面入口に戻り、三の丸から女鳥羽川辺りを歩くが45分ほどして夜になった後にライトアップされた天守を見に戻った。ライトアップは通年、日没から夜の10時まで行われている。天守だけでなく、黒門も綺麗だった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7769461653123791&type=1&l=223fe1adec


松本市内の観光は続く

  • 写真1 若宮八幡跡

    写真1 若宮八幡跡

  • 写真2 国宝松本城400年まつり開催記念碑

    写真2 国宝松本城400年まつり開催記念碑

  • 写真3 松本神社前井戸

    写真3 松本神社前井戸

  • 写真4 二の丸裏御門橋からの本丸と北裏門土橋

    写真4 二の丸裏御門橋からの本丸と北裏門土橋

  • 写真5 二の丸裏御門橋

    写真5 二の丸裏御門橋

  • 写真6 明治天皇駐蹕遺址碑

    写真6 明治天皇駐蹕遺址碑

  • 写真7 鵜首から太鼓門二の門

    写真7 鵜首から太鼓門二の門

  • 写真8 太鼓門一の門

    写真8 太鼓門一の門

  • 写真9 太鼓門の切り株

    写真9 太鼓門の切り株

  • 写真10 松本市立博物館

    写真10 松本市立博物館

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