2022/06/10 - 2022/06/10
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塩竈神社に取り合わせて鎮座している志波彦(しわひこ)神社に参拝します。塩竈神社の公式HPを見ると「志波彦神社 鹽竈神社」と題されていまして、志波彦神社が先に書かれています。
主祭神を別宮に祀っている塩竈神社のことですから、真打ちは後から登場するのかも知れませんが、なんだか不思議ですね。
塩竈神社の公式HPには志波彦神社の御由緒も記されています。「当社はもと宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座され、「延喜式」に収められている陸奥国百社の名神大社として、朝廷の尊信殊の外厚いものがありました。明治4年5月国幣中社に列格され、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。さらに昭和7年当時の内閣に陳情請願し国費を以て御造営することとなり、昭和9年現在地に工事を起し、明治・大正・昭和三代に亘る神社建築の粋を集めて竣工し、昭和13年9月御遷座申し上げました。本殿・拝殿何れも朱黒の極彩色漆塗りで、昭和38年塩竈市の文化財に指定されました」。
岩切村に鎮座していた時代の志波彦神社は、神仏混淆の時代にあって祇園牛頭天王社の境内に鎮座していました。しかも「甚だしく衰微し、延宝3年(1675年)の再建には堅石5尺横6尺の小祠となり」という状態だったようです。明治維新後、祇園牛頭天王社は八坂神社と改名しましたが、ちょうどその頃に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されたことになります。
詳しい経緯は調べられませんでしたが、とても不思議ですね。
因みに冠川(七北田川)左岸の八坂神社には「明治10年官許を得て志波彦神社分霊を岩切村の旧社に奉遷し、冠川神社と称し、国幣中社(陸奥国一ノ宮 志波彦神社・鹽竈神社)の摂社に指定されました」ということです。
1日目
仕事。
2日目
朝、仙台駅周辺を散策してから仕事。
勤務終了後、塩釜市に移動。
3日目
塩竈神社、志波彦神社、御釜神社に参拝、周辺を散策し、利府駅に移動。
仙台駅前から高速バスで会津若松市へ移動。
4日目
会津若松市街を散策し、奥会津を巡るバスツアーに参加、帰路でアクシデント発生!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 徒歩
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塩竃神社の東神門を出て、左手に見えるもう一つの神社が志波彦神社です。
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志波彦神社神門。
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志波彦神社の扁額。
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拝殿。
志波彦神社の御祭神は、志波彦大神です。志波彦大神は塩竃の神に協力された神と伝えられています。また、志波彦大神は鹽土老翁神と同一神という説もありますが、信仰の対象も異なっているので、どうなんでしょうか。 -
志波彦神社は、国土開発・産業復興・農耕守護の神ととして信仰されています。昭和7年に国費を以て造営されましたが、全額を国費で賄われた最後の造営とも言われています。
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塩竈神社と志波彦神社の間には池がありました。
石垣は塩竈神社の境内。 -
志波彦神社の御本殿。
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稲井石。宮城県石巻市の稲井付近から採石する粘板岩。黒色。主に石碑や敷石などに用いられ、仙台石とも呼ばれます。神門の外に展示されていました。
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志波彦神社の神門外からの景色。
正面が東向きで、塩釜港が見えています。 -
塩釜港。
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神苑。
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神苑。
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甑炉型(こしきろがた)鋳銭釜。上・中・下三段共揃って保存されている国内唯一のものです。
享保11年(1726年)4月に幕府の許可を得て、享保13年より鋳造を開始し、明和以降は鉄銭も作るようになり、明治維新まで続きました。これは石巻鋳銭場で使用されていたものです。 -
鹽竈神社博物館。江戸時代、この場所は神職・藤塚知明の屋敷があったところで、多くの知識人が訪れました。
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志波彦神社 大鳥居。
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茶屋鹽竈 GAMA - CHAYA。地元の矢部園茶舗が営業しています。
週末以外はお休みの日が多いので、要確認。 -
第一駐車場(100台)へ続く坂道。無料です。
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東参道(裏坂)を下ります。
かつては法蓮寺の関係者が塩竈神社との間を往来するための道でしたが、表参道(男坂)や七曲坂よりも緩やかな裏坂を利用する人が増え、石畳が整備されました。 -
東参道(裏坂)に敷かれているのが稲井石です。
天保3年(1832年)、仙台の豪商・日野屋中井新三郎ら仙台商人が中心となり、石畳が整備されました。190年もの間、多くの人の足下を支えてきました。 -
東参道(裏坂)を下ると、旧亀井邸への案内看板がありました。
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参道の脇にある細い路地を通った先に門がありました。
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旧亀井邸は、亀井商店(現:カメイ株式会社)の初代社長である亀井文平(かめい ぶんぺい)氏が、大正13年(1924年)に建てました。
金曜~月曜の10時~15時半に開場、入場無料。 -
旧亀井邸から南方向の景色。
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伝統的な和風建築に西洋建築を取り入れた「和洋併置式」と呼ばれている建物で、現代の技術をもってしても再現が難しいといわれています。
貴重な砂磨りガラスを使った障子。 -
和洋併置住宅は、庶民の中でも上層階級の邸に用いられた建築様式で、良質な材料を使用し、随所に手のこんだ細工や流行のデザインを取り入れています。
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和洋併置住宅。
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旧塩釜駅付近のジオラマ。現在の本塩釜駅の辺りで、開港場と呼ばれていました。今よりも港と駅が接近していました。
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旧亀井邸付近のジオラマ。
当時は、すぐ近くまで川が入り込んでいることがわかります。 -
和洋併置住宅。
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和洋併置住宅。
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旧日本石油のコウモリマークをあしらった法被。
亀井商店は、明治36年(1903年)創業。石油などのエネルギーや、食、住生活などに欠かせない商品・サービスを提供する東北最大級の総合商社。 -
コウモリを形どった取手。
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和洋併置住宅。
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節句の飾り。
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前列左から4人目、子どもを抱いている人が亀井商店の創業者である亀井文平氏、その右が夫人。亀井邸の竣工間もない頃の写真。
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旧亀井邸を出ると、東参道(裏坂)は石段の踊り場に出ました。
大正10年建立の五重塔と裏坂改修費が建っています。
画面右手へ進むと、法蓮寺(勝画廊)へ通じる石段があります。 -
五重塔は、広瀬川の自然石を組んで作られています。
見た限りでは東日本大震災でも大丈夫だったようです。 -
法蓮寺(勝画廊)入り口の前に建つ歌碑。
嘉永6年(1853年)に瓢庵午長(ひさごあんごちょう)が詠んだ歌が刻まれています。
妙なるや
浪の華見る
法蓮寺
近くまで海が迫っていた様子を詠んでいます。 -
仙台藩政期には塩竈神社の別当寺であった金光明山法蓮寺は、仏殿・客殿・方丈・書院(勝画楼)・鐘楼が建ち並び、山内脇院12院を従える真言宗のお寺でした。
明治維新後の廃仏毀釈により、明治4年(1871年)に12支院とともにすべて廃絶させられました。 -
往時は藩内第一の寺社領を有し、隆盛を誇っていました。
書院(勝画楼)は藩主が塩竈神社参拝の際にお休み所として使われていました。
仙台藩5代藩主伊達吉村公が、ここからの眺望を「画に勝る」として「勝画楼」の扁額を揮毫したことが名前の由来とされます。 -
法蓮寺廃絶の際に、書院(勝画楼)のみがわずかに残されました。
明治9年に天皇陛下が鹽竈神社を御参拝の折にも御休憩所となりました。 -
勝画楼(法蓮寺書院)は、「伊達」な文化を今に伝える貴重な文化遺産として塩竈市の指定有形文化財(建造物)となっています。
勝画楼は、法蓮寺の客殿(方丈)に、18世紀に東向書院を建て増しして現在の形になったと考えられ、柱や梁の豪壮さ、天井や欄間の精細さなど、藩主が使用するにふさわしい高い格式を備えた建築物です。
東向書院は、三つの部屋が欄間や襖を介した続き間として連なり、かつ入側をもっており、武家住宅の御殿に類似する平面構成を有します。かつての仙台城にもみられた、崖地にせり出す形で柱を立て、床を高くする「懸けづくり」が残っているのは、県内では勝画楼のみです。
明治11年に民間に払い下げられて以降は料亭として市民に親しまれてきました。与謝野鉄幹や北原白秋などの文化人や、皇族、外国大使、GHQ幹部なども利用した記録が残っています。
終戦後の経営不振と老朽化により解体が検討されたものの、現在、塩竈市では、将来的な復原工事や活用・公開に向けた作業を進めているようです。 -
裏坂から鳥居を見たこの辺り、芭蕉と曽良は法蓮寺の門前にあった宿・治兵衛に泊まったと記されています。
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中央の建物が旧亀井邸です。
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裏坂を降りて、塩竈海道を横断してそのまま進むと御釜神社に着きました。
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御釜神社(鹽竈神社境外末社)。
鹽竈神社同様に、鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を祀っています。 -
境内には大きな御釜のような池がありました。
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御釜神社境内の周辺は古来「甫出の浜(ほでのはま)」と呼ばれた浜辺で、日本で最初に塩がつくられた場所です。
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主祭神は、製塩法を人々に教えたとされる鹽土老翁神です。
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例年7月4日~6日は、塩づくりの神事である「藻塩焼神事(もしおやきしんじ)」が行われ、古代の製塩方法を伝える神事として無形民俗文化財に指定されています。
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神事で使われる御釜。
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藤鞭社と牛石。
7歳の子どもの姿で塩を載せた牛を曳いていた和賀佐彦が立てかけ置いた藤の鞭に枝葉が茂り、藤の花が咲いたのをお祀りしたのが藤鞭社(藤鞭の祠)と伝わっています。 -
この囲いの中に、塩竈と言う地名の由来となった四口の「神釜」が安置されています。
「神釜」は鹽土老翁神が、人々に製塩法を教えた際に使った釜に模して鎌倉時代と南北朝時代に造られたとされる鉄製の4つの釜で、日本三奇の一つとされています。
囲いの扉は閉ざされていますが、社務所の方にお願いして、一人100円を奉納すると拝観できます。 -
内部は聖域のため写真撮影禁止となっています。しかしネットで検索すると御釜の写真がいろいろありました。神罰が当たるかもしれませんので自己責任で見てください。
この図は、塩竈神社の公式HPにあった案内図から神釜の部分を拡大したものです。私が見た神釜もこのように配置されており、調べたところ、右手前のお釜だけが鎌倉時代製の神釜で少し小さく、内径115cm、 縁厚4cm、 深さ6cm。他の三つは南北朝時代製の神釜で、内径137cm、 縁厚4.5cm、 深さ16cmだそうです。
神釜には海水がはいっており、水は透明ですが、御釜は赤茶けた錆色をしていました。年2回海水を入れ替えますが、涸れることも溢れることもないそうです。 -
御釜神社の正面にある「塩釜まちかど博物館」。明治初期に建てられた「旧ゑびや旅館」でした。明治天皇の東北巡行に、付き添い人だった大隈重信氏が宿泊した記録も残されています。
1階がカフェ、2階と3階が博物館となっていますが、博物館は土日のみ開館のため、見学できませんでした。 -
株式会社佐浦、享保9年(1724年)創業の酒蔵で、有名な浦霞の蔵元です。
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社屋の向拝は、かつて法蓮寺の向拝でした。法蓮寺廃絶に際して多賀城市にある慈雲寺本堂の玄関に移築されていましたが、平成18年に慈雲寺を建て替えることになり、再び塩竈に移送、佐浦酒造の玄関に設置されました。
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浦霞の樽。江戸時代の初め、京都から塩竈にやって来た佐藤七左衛門の二男が三浦屋へ婿養子に入り、その後独立する際に佐と浦から佐浦と名乗ったと言うことです。本社に併設された「浦霞 酒ギャラリー」は要予約でした。
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佐浦の醸造蔵。
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壱番館まで戻ってきました。
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壱番館は6階建ての建物です。
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屋上の展望台に出るには、エレベーターで6階に上がり、市役所の方に許可を得てください。屋上までは階段で上ります。見学時間:10:00~16:00。無料。
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展望台の建屋です。
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展望台の中の様子です。壁も何もない吹き晒しですから、天候次第です。
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東方向の眺め。
松尾芭蕉が船出した頃は千賀ノ浦と呼ばれていた塩釜港です。現在も塩釜~松島航路が運航されていますので、次回訪問の折には乗船したいものです。 -
西塩釜駅の方向。
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塩竈神社のある一森山の方向。
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壱番館4階の平面図です。左下の隅っこが《タイムシップ塩竈》という歴史展示室ですが、小さなスペースにも関わらず充実しています。
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入館無料の博物館「タイムシップ塩竈」。図書館の一部を利用して、縄文時代~現在に至る塩釜の歴史を展示しています。入館無料です。月曜休館。
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縄文時代の壺。ガラスケースの反射が残念です。
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土器。
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竈の書き順を確認できます。
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仙台藩の軍艦開成丸。1/50模型。
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漁師が描かれています。不詳。
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明治20年(1887年)築の旧塩釜駅舎。1/100模型。
現在の本塩釜駅の辺りにあったそうで、昭和54年に解体されるまでは日本最古の駅舎でした。 -
大新丸。1/10模型。
大新丸は、全長20m、400石積みのいわゆる千石船でした。 -
塩竈はお寿司の街だそうで、1km2あたりのお寿司屋さんの数が日本一らしいです。歩いていてもそんな感じはしなかったのですが。
折角ですから、塩竈を離れる前に美味しいお寿司をいただくことにして「鮨 しらはた」さんに入りました。
塩竈で有名な「すし哲」さんの弟さんが独立したお店で、市街地再開発により、お店は新しく建て替えられていました。
塩竈にお寿司屋さんが多いのは、松島観光をした人が仙台に戻る途中で立ち寄ることが多かったからだそうです。 -
「鮨 しらはた」さんや「すし哲」さんがある一帯は、相当覚悟して市街地再開発を進めているみたいです。
駆け足で塩釜を見て回りましたが、利府行きのバスの時間が迫ってきました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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