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明け方に雨が上がり、一転青空での歩き旅<br />ただ風が強い(*_*)「遠州のからっ風」<br />でもこの風が追い風に(^^)<br />東海道五十三次を歩く予定の方には、絶対に京から始めることをお勧めします(^^)<br /><br />浜名湖あり、松並木あり、脇本陣跡あり、薄っすら富士山も見えました\(^o^)/<br />今回も16km頑張ります<br />

⑰東海道五十三次 京から江戸へ(新居町駅~舞坂宿~浜松宿~浜松駅)

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2022/03/19 - 2022/03/19

1161位(同エリア31161件中)

旅行記グループ 東海道五十三次歩き旅

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鶏飯

鶏飯さん

明け方に雨が上がり、一転青空での歩き旅
ただ風が強い(*_*)「遠州のからっ風」
でもこの風が追い風に(^^)
東海道五十三次を歩く予定の方には、絶対に京から始めることをお勧めします(^^)

浜名湖あり、松並木あり、脇本陣跡あり、薄っすら富士山も見えました\(^o^)/
今回も16km頑張ります

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  • JR新居町駅を東に向かって出発!<br />浜名湖を渡る橋上から富士山が見えました!感動(^^)

    JR新居町駅を東に向かって出発!
    浜名湖を渡る橋上から富士山が見えました!感動(^^)

  • 30分ほど歩くと浜松市へ(^o^)/

    30分ほど歩くと浜松市へ(^o^)/

  • 浜名大橋と釣りを楽しむ家族連れ(^^)<br />気分が晴れます

    浜名大橋と釣りを楽しむ家族連れ(^^)
    気分が晴れます

  • 弁天島駅を通り過ぎ、舞坂宿へ<br />立派な常夜灯が再建されています(スタートから約3.8km)

    弁天島駅を通り過ぎ、舞坂宿へ
    立派な常夜灯が再建されています(スタートから約3.8km)

  • 当時、舞坂宿から新居宿へは船で渡っていました<br />舞坂宿には3つの渡船場があったようで、一番北にあったのが「北雁木」

    当時、舞坂宿から新居宿へは船で渡っていました
    舞坂宿には3つの渡船場があったようで、一番北にあったのが「北雁木」

  • ここ北雁木は主に大名や幕府の役人が利用していたとのこと

    ここ北雁木は主に大名や幕府の役人が利用していたとのこと

  • 200メートルほど南に来ると「本雁木」があります<br />本雁木は旅人が一番多く利用した主要渡船場でありました

    200メートルほど南に来ると「本雁木」があります
    本雁木は旅人が一番多く利用した主要渡船場でありました

  • さらに100メートルほど南に下ると「南雁木」があります<br />ここは渡荷場で庶民の利用とともに、輸送用荷物の積み下ろし場所だったようです<br /><br />舞坂宿は多くの人々が行き交う場所だったことがしのばれます

    さらに100メートルほど南に下ると「南雁木」があります
    ここは渡荷場で庶民の利用とともに、輸送用荷物の積み下ろし場所だったようです

    舞坂宿は多くの人々が行き交う場所だったことがしのばれます

  • 舞坂宿から新居宿方面を臨みます

    舞坂宿から新居宿方面を臨みます

  • 舞坂宿ではしっかり有名店で昼食です(^^)<br />「魚あら」さんの活天丼(^^)<br />ごちそうさまでした

    舞坂宿ではしっかり有名店で昼食です(^^)
    「魚あら」さんの活天丼(^^)
    ごちそうさまでした

  • 腹ごなしに脇本陣跡を見学します(無料です)

    腹ごなしに脇本陣跡を見学します(無料です)

  • 東海道舞坂宿脇本陣 説明書<br /><br />「舞坂宿は、慶長六年(一六〇一)の東海道宿駅制度設定に伴い開設された五十三次のうち江戸から三十番目の宿駅で、弘化二年(一八四五)の資料では人口一二〇四人、戸数二六五戸でした。<br /> また、本陣(宮崎伝左衛門)と相本陣(源馬徳右衛門)があり、源馬本陣の向側に脇本陣(茗荷屋 堀江清兵衛)がありました。<br /> 脇本陣は、大名・幕府役人等が本陣で宿泊休憩できない時に利用された施設で、普段は一般の旅籠屋として使われました。<br /> 建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成され、現構で間口五間奥行十五間ありました。<br /> 現在書院棟一棟が残されており、旧東海道宿駅の中では唯一の脇本陣遺構として貴重な建物です。<br /> 平成七年復元保存のため解体を行った結果、書院棟の大棟鬼瓦に『天保九年戌五月吉日 横山村瓦師政右衛門』の箆書が発見され、また、旧上段の間の床の間 落掛材に『天保九年戌春ヨリ秋迄数月』の墨書が発見され、書院棟が天保九年(一八三八)の建築であることが判明しました。 平成九年 舞阪町教育委員会」

    東海道舞坂宿脇本陣 説明書

    「舞坂宿は、慶長六年(一六〇一)の東海道宿駅制度設定に伴い開設された五十三次のうち江戸から三十番目の宿駅で、弘化二年(一八四五)の資料では人口一二〇四人、戸数二六五戸でした。
     また、本陣(宮崎伝左衛門)と相本陣(源馬徳右衛門)があり、源馬本陣の向側に脇本陣(茗荷屋 堀江清兵衛)がありました。
     脇本陣は、大名・幕府役人等が本陣で宿泊休憩できない時に利用された施設で、普段は一般の旅籠屋として使われました。
     建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成され、現構で間口五間奥行十五間ありました。
     現在書院棟一棟が残されており、旧東海道宿駅の中では唯一の脇本陣遺構として貴重な建物です。
     平成七年復元保存のため解体を行った結果、書院棟の大棟鬼瓦に『天保九年戌五月吉日 横山村瓦師政右衛門』の箆書が発見され、また、旧上段の間の床の間 落掛材に『天保九年戌春ヨリ秋迄数月』の墨書が発見され、書院棟が天保九年(一八三八)の建築であることが判明しました。 平成九年 舞阪町教育委員会」

  • 奥行十五間<br />かなり奥が広く、また中庭もきれいにお手入れされています<br />ゆったり落ち着いた雰囲気

    奥行十五間
    かなり奥が広く、また中庭もきれいにお手入れされています
    ゆったり落ち着いた雰囲気

  • 上段の間<br />「苦しゅうない^_^」

    上段の間
    「苦しゅうない^_^」

  • 歴史を感じる遺産です<br />みなさんも是非ご覧ください

    歴史を感じる遺産です
    みなさんも是非ご覧ください

  • 歩き旅再開<br />舞阪の一里塚跡(約4.8km)

    歩き旅再開
    舞阪の一里塚跡(約4.8km)

  • 一里塚のすぐ東に、舞坂宿の東端「見附石垣」があります<br />観光協会HPより<br />「江戸時代中期に構築。『見附』は見張番所があった所。諸侯の通行の際などには、石垣の横に番人が立ち、人馬の出入りを監視するとともに治安の維持にあたりました。この付近を『棒鼻』といいます。」

    一里塚のすぐ東に、舞坂宿の東端「見附石垣」があります
    観光協会HPより
    「江戸時代中期に構築。『見附』は見張番所があった所。諸侯の通行の際などには、石垣の横に番人が立ち、人馬の出入りを監視するとともに治安の維持にあたりました。この付近を『棒鼻』といいます。」

  • 舞坂宿の松並木(約5.1km)<br />現在340本、約700mにわたって松並木が続いています

    舞坂宿の松並木(約5.1km)
    現在340本、約700mにわたって松並木が続いています

  • 松のトンネル^_^

    松のトンネル^_^

  • 浜松宿まではほぼ直線で東進します<br />村々に高札が立っていたようです

    浜松宿まではほぼ直線で東進します
    村々に高札が立っていたようです

  • 篠原の一里塚跡(約9.3km)

    篠原の一里塚跡(約9.3km)

  • 可美地区に入って面白い立て看板が^_^

    可美地区に入って面白い立て看板が^_^

  • 抜けるような青空の下、国道257号線の歩道を浜松宿に向けてひた歩きます

    抜けるような青空の下、国道257号線の歩道を浜松宿に向けてひた歩きます

  • ところどころに名残の松が立っています

    ところどころに名残の松が立っています

  • 長ーい直線から少し左にカーブ<br />(スタートから約13.5km)

    長ーい直線から少し左にカーブ
    (スタートから約13.5km)

  • 左カーブを過ぎるとすぐに若林一里塚があります

    左カーブを過ぎるとすぐに若林一里塚があります

  • 東海道新幹線のガードをくぐり、東海道線の手前まで来ると浜松のシンボル「アクトタワー」が見えてきました(^^)<br />(スタートから約14.8km)

    東海道新幹線のガードをくぐり、東海道線の手前まで来ると浜松のシンボル「アクトタワー」が見えてきました(^^)
    (スタートから約14.8km)

  • マチナカに入り、「伝馬町」交差点北西に本陣跡が並んでいます(約16.2km)<br />浜松宿には本陣が6軒もあったとのこと

    マチナカに入り、「伝馬町」交差点北西に本陣跡が並んでいます(約16.2km)
    浜松宿には本陣が6軒もあったとのこと

  • 「連尺」交差点附近には浜松城大手門跡があります<br />ビルが建ち並びこの場所から浜松城を見ることはできません(T_T)

    「連尺」交差点附近には浜松城大手門跡があります
    ビルが建ち並びこの場所から浜松城を見ることはできません(T_T)

  • 「連尺」交差点を東に90度曲がり、遠州鉄道赤電のガードをくぐって、「板屋町」交差点で本日は終了(^^)

    「連尺」交差点を東に90度曲がり、遠州鉄道赤電のガードをくぐって、「板屋町」交差点で本日は終了(^^)

  • 次はあちらに向かって歩きます<br />今回は約16km よく頑張りました\(^o^)/

    次はあちらに向かって歩きます
    今回は約16km よく頑張りました\(^o^)/

  • 帰りは新幹線で(^^)<br />お疲れ様でしたm(_ _)m

    帰りは新幹線で(^^)
    お疲れ様でしたm(_ _)m

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ひでじいさんさん 2022/03/29 08:33:33
    失礼しました
    小田原はまだ先のようですね。鶏飯さんの旅行記で8件は私も訪問しました、その辺から見させていただきます。
  • ひでじいさんさん 2022/03/29 08:27:29
    また、お邪魔します。
    私は1泊2日、2泊3日で旅は年に6回(奇数月に)行こうとしてますが、一応テーマ(スポット)を持っていいます。
    行程作成では、温泉、お城、お寺、ローカル線、ロープウエイー、灯台、世界遺産、工場見学、道の駅、展望台..などごっちゃ混ぜで探して作ります。
    鶏飯さんの一つのテーマを持って旅するのも見ごたえがあります。私はせっかく行くの旅だからと欲張って沢山スポットを入れすぎ、速足の旅で忙しいです。
    とは言え、リゾート施設でノンビリ過ごすのも性格に合わず、これからも急ぎ旅かなあ。
    **鶏飯さんの旅行記は全部見てません。まずは小田原市の前後を見てみます。
    お邪魔しました。
  • ひでじいさんさん 2022/03/26 09:20:29
    お邪魔します。
    東海道五十三次の旅では歴史的なものが見れそうですね、五十三の宿場があったり、関所があったり、今も看板があったりで探しながら行くのも楽しそうですね。鶏飯さんはいいテーマを持って旅をされ、昔の旅人になった気分でいいですね。

    鶏飯

    鶏飯さん からの返信 2022/03/28 19:03:32
    Re: お邪魔します。
    メッセージありがとうございます。
    いろいろ探しながら歩くと楽しいですよ。
    楽しみながらストレス解消できて一石二鳥です。
    これからも楽しみます(^^)

鶏飯さんのトラベラーページ

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