2022/01/08 - 2022/01/08
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FUKUJIROさん
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令和4年の初詣はさいたま市岩槻区に行ってきました。
海外へ行けなくなって2年が経ちますが、みんな大好きなタイにはタンブン ガーオワットの風習があり、1日に9寺を回ることで大きな徳を積むことができると信じられています。
上座部仏教と大乗仏教との違いはあれども、多くのお寺を回りお布施を納めることで徳を積めるはずと思い、参拝しました。
県内は車移動が通常なので、岩槻駅で降りるのは、たぶん人生2度目です。
観光案内所で地図をもらい、次の順序で回りました。
愛宕神社=岩槻城大構(お寺ではないのでノーカウントとしました)
大龍寺(曹洞宗)
浄安寺(浄土宗)
願生寺(浄土宗)
芳林寺(曹洞宗)
浄国寺(浄土宗)
洞雲寺(曹洞宗)
西光蜜寺(真言宗)
岩槻大師 弥勒密寺(真言宗)
千手院(曹洞宗)
どのお寺にも駐車場がありましたので、普通の時でしたら、車で訪問も可能です。
また、お寺の関係者との短い会話はありましたが、他の参拝者との接触はありませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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東武野田線の岩槻駅です。
かなり昔、一度来たことがあります。その頃は古い木造の駅舎だったような気がします。日陰には数日前の雪が残っていました。 -
駅の構内に観光案内所がありました。
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岩槻城を復元する計画があるのでしょうか。
イメージ先行しすぎかな。 -
観光案内所に散策マップがありました。10種類位ありましたが、駅周辺の3枚だけ選びました。
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東口を出ると、真正面に岩槻区役所があります。
たぶん、商業施設が入っていたのでしょう。 -
岩槻駅へ地下鉄をつなごう!の垂れ幕です。
東京へ繋がる路線が、岩槻市民の悲願です。 -
駅前ロータリーの真ん中にありました。
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こちらも駅前ロータリーにありました。
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人形の東玉さん。駅から徒歩1分の好立地に総本店があります。
区役所の入っているビルの隣のビルに、「東玉 人形の博物館」があります。入場料100円ですが、なかなか見ごたえがあります。写真撮影もできるので、さいたま市岩槻人形博物館よりもお薦めです。 -
岩槻駅の東口。
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「人形のまち いわつき」のマンホール蓋。
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こちらはさいたま市のマンホール蓋。
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九寺参りと言いながら、最初に訪れた愛宕神社の鳥居です。
岩槻駅から徒歩7分。9寺参りにはノーカウントです。 -
御神木と手水舎。
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ポタポタと滴るお水で清めました。
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創建は不詳ですが、いい伝えによると、長禄元年(1457年)に大田資清公(大田道灌公の説もあり)が岩槻城を築くにあたり、外堀と土塁を築いた際に、その傍らにあった小さな祠を土塁上に移し祀ったとあります。
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愛宕神社の御祭神は迦具土命(かぐつちのみこと)です。
神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神ながら、迦具土命の出生が原因でイザナミが死んでしまい、怒ったイザナギに首を刎ねられてしまいました。 -
愛宕神社の拝殿。迦具土命は火の神、防火の神、鍛冶の神として全国の秋葉神社や愛宕神社で祀られます。さらに産業隆盛、金運増大に御神徳があるとされています。
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愛宕神社の建つ土塁を岩槻城大構(おおがまえ)と言います。
岩槻城下町は、(豊臣秀吉が京の都を土塁で囲んだように)その周囲を大構と呼ぶ土塁と外堀が囲み、周囲の長さは約8kmに及んでいました。廃城後は次第に消滅し、現在は愛宕神社などわずかに痕跡を残すだけになっています。 -
境内の稲荷神社。御祭神は倉稲魂命。
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境内の末社。
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愛宕神社の参道を戻る途中にあったお地蔵様です。
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同じ一角にパンダのベンチもありました。
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大龍寺の山門。さいたま市岩槻区本町5丁目3-18。
愛宕神社から徒歩5分。 -
山門の彫刻が素敵でした。
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曹洞宗のお寺で、雲居山大龍寺といいます。
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大龍寺の本堂。元和6年(1620年)、岩槻城主・青山伯耆守忠俊公が開いたお寺です。
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曹洞宗開祖・道元禅師像。
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昭和29年(1954年)に本堂を焼失、平成17年(2005年)に再建されました。
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大龍寺の扁額。
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本堂前の柱には上り龍の彫刻があります。
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こちらも上り龍です。
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六地蔵様。
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大龍寺の標柱と参道。
参道入り口は、県道65号線(旧日光御成道)にあります。 -
さいたま市岩槻人形博物館。大龍寺参道入り口の向かい側です。以前は合併前の岩槻市役所があった場所で、その頃に何度か来ていました。
人形博物館は一度訪問しましたが、エントランスのみ撮影可、各展示室は撮影不可でした。記憶力の良い方は訪れてもいいかも。 -
大龍寺から近道を探して失敗、県道65号線を通るのが正解みたいです。渋江交差点を北へ進むと浄安寺の看板を見つけました。因みに渋江交差点からは、この道が旧日光御成道です。
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浄安寺の標柱と参道。
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浄安寺の山門。
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浄安寺の山門。さいたま市岩槻区本町5丁目11-46。
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かなり薄くなっていますが、快楽山の額。
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山門を潜った境内の様子です。かなり雪が残っていました。
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閻魔堂。山門を入り、すぐ左にあります。
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閻魔大王像。日本仏教では地蔵菩薩の化身とみなされます。
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地蔵菩薩坐像と思われます。
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奪衣婆。笑っている顔が不気味です。
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快楽山微妙院浄安寺(けらくさん みみょういん じょうあんじ)本堂です。創建不詳ながら、開創当時は真言宗の寺と伝わっており、永正2年(1505年)に増上寺第5世の天誉了聞上人が開山し、浄土宗に改めたといわれています。
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本堂の木造阿弥陀如来像。江戸時代中期の作。この像は同町内にあった観音寺の御本尊で、「岩槻大仏」と言われていました。
浄安寺の御本尊は、この像ではなく、真後ろにある位牌所の中央に安置されているそうで、平安時代の作とされる木造の阿弥陀如来坐像です。 -
詳細不明です。
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詳細不明です。
お金儲けが得意と自認する住職らしい目立つ造りです。 -
浄安寺の山門前に、看板がありました。
武州鉄道は、大正13年(1924年)~昭和13年(1938年)までの短期間、蓮田市の蓮田駅と川口市の神根駅までの16.9kmを結んでいた鉄道です。
当初は、東京から日光を目指して始まった計画でしたが、昭和4年に総武鉄道(現在の東武野田線)が岩槻を通過し、同年、東武鉄道が日光まで路線を敷設した結果、経営不振により廃業してしまいました。 -
右の奥へ続く狭い道路が武州鉄道の小径で、蓮田駅方向になります。
左手前の方向に線路が伸びており、川口の神根駅まで続いていました。 -
願生寺の参道です。浄安寺から近道を探して路地に迷い込みました。
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願生寺。さいたま市岩槻区本町3丁目15-12。
大永年間(1521~1528年)に寂譽門入和尚が開山しました。
現在の本堂は、江戸時代中期(1700年代)の建造物で、本尊には阿弥陀如来像が祀られています。 -
六地蔵様。
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観音菩薩様。
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願生寺には、さいたま市指定有形文化財の阿弥陀三尊図像月待供養塔板碑があります。
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阿弥陀三尊図像月待供養塔板碑。高さ70㎝、幅33㎝。一部欠損していて、線彫りした阿弥陀如来像が彫られています。
これらの板碑は秩父に産する録泥片岩など、石材に恵まれている埼玉県付近には特に多く見られます。 -
岩槻駅前の通りを横切って、旧日光御成道を進みました。
旧日光御成道にある入り口です。 -
芳林寺の山門。
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山門を潜った後も参道が続きます。
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六地蔵。
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太田道灌騎馬像。平成19年(2007年)に建立されました。
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芳林寺の門はしっかりと閉じられており、拝見は無理なのかと思いつつ右の引き戸を開けたら入ることができました。
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かつては比企郡にあり、太平山地蔵寺といわれていましたが、永正17年(1520年)8月に火災で焼けてしまい、岩槻城主太田資正により現在の地に移転したと伝えられています。
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大永3年(1523年)春に再建され、その後資正の子で太田氏資が、母の芳林妙春尼の冥福を祈るため、堂塔を修造し芳林寺と改めました。
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芳林妙春尼の像。門を入り、すぐ右に建っています。
富田憲二氏、山本明良氏の作品。平成16年(2004年)建立。 -
鷹狩姿の太田道灌像。芳林妙春尼の像の奥に建っています。
富田憲二氏、山本明良氏の作品。平成26年(2014年)建立。 -
太田道灌騎馬像。さらに奥へ進むと、柵の内側に見えていた像のすぐ近くに出ました。とても凛々しい姿です。
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太田道灌騎馬像。富田憲二氏、山本明良氏の作品。
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稲荷社。参道右側にあります。
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白山堂。稲荷社の隣に建っています。
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地蔵堂。芳林妙春尼の像の向かい側にありました。
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弁天堂。地蔵堂の隣にあります。
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弁財天の像。
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手水舎。
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普賢大菩薩御尊像。
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立派な石灯篭。
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埼玉県庁設置記念碑。
明治4年(1871年)11月14日の太政官布告により、旧忍県、旧岩槻県、旧浦和県などを廃止、合併して埼玉県が誕生しました。岩槻は県名となった埼玉郡にあり、また、城下町として賑わっていたことから、この芳林寺に最初の県庁が置かれました。
今なら岩槻駅のすぐ近くにあり「なるほど」と思わせますが、当時は鉄道のない時代、事務所となるような大きな建物でもあったのでしょうか。 -
やまぶきの寺、太田道灌公を忍ばせます。
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太平山芳林寺の本堂。天保12年(1841年)5月に本堂と庫裡が再建されました。
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大平山の扁額。
文明18年(1486年)、太田道灌公が伊勢原の上杉定正の館で謀殺された後、父・道真と養子の資家が遺骨を引き取り、越生の龍穏寺(曹洞宗)と地蔵寺に分骨埋葬されたと云われています。 -
武田保山尼顕彰碑。
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御神木の大白木蓮。
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白い花芽が冬空に映えます。
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太田氏資公、太田道灌公、芳林妙春尼の御霊廟。
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さいたま市指定文化財の太田氏資宝筐印塔。
永禄10年(1567年)建立。 -
太田道灌公の供養塔。
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芳林妙春尼の供養塔。
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高力正長(こうりきまさなが)公墓所。慶長4年(1599年)建立。
岩槻城主となった高力清長が寺の荒廃を嘆き、天正19年(1591年)に復旧しました。その清長の子が正長ですが、病没。正長の子忠房が2代目城主になりました。 -
旧日光御成道を南へ進みます。
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浄国寺の標柱と参道。芳林寺から徒歩12分。
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浄国寺(じょうこくじ)の中門。さいたま市岩槻区加倉1丁目25-1。
文政3年(1820年)建立。 -
扁額は「栴檀林」。僧侶が勉強する学問の場、という意味です。早い時期から浄土宗の檀林が置かれ、江戸時代には浄土宗の触頭(特定の任務を与えられた寺院)でした。
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鐘楼
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鐘。
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仏眼山英隆院浄国寺は、寺伝によれば、天正15年(1587年)岩槻城主太田氏房公の開基、鴻巣宿勝願寺の僧・総誉清巌の開山と伝わります。
本堂は元禄11年(1698年)の建立。
勝願寺を訪問した時の記録です。https://4travel.jp/travelogue/11680433 -
仏眼山の扁額。御本尊は阿弥陀如来像。
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本堂の屋根の三つ葉葵紋。
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供養塔。
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岩槻藩主阿部家墓所。本堂左側の奥にあります。
江戸時代前期に岩槻藩を治めた阿部家の2代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と灯籠などがありました。 -
(左)3代藩主阿部定高公に殉じた家臣小倉與兵衛政光の基(五輪塔)。
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(中)初代藩主阿部正次公の墓(高さ4.3mの五輪塔)。
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(右)3代藩主阿部定高の墓(4.4mの五輪塔)。
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正寿院の供養塔(高さ4.7mの宝篋印塔)と一対二基の燈籠。本堂からは少し離れたところにありました。
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正寿院の供養塔。正寿院は、松平隠岐守定勝の娘で、2代藩主阿部重次公の後室となり、3代藩主定高、4代藩主正春を生みました。その父・定勝は、徳川家康の異父弟です。
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大西民子(おおにし たみこ)の歌碑。
一本の木となりてあれ
ゆさぶりて
過ぎにしものを
風とよぶべく
岩手県盛岡市に生まれ、終戦後に埼玉県大宮に居を移し、図書館司書として働きながら歌集を出しました。 -
洞雲寺の参道。浄国寺から徒歩で約8分。
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洞雲寺。さいたま市岩槻区加倉4丁目21-1。
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加倉山洞雲寺(かくらさん とううんじ)は、越生の龍穏寺(太田道灌公の墓所の一つ)の末寺です。
かつて鬼火退治のため、岩槻城主太田美濃守資頼は、龍穏寺の布州東幡禅師を招き21日間の祈祷をして鎮めたことから、天文元年(1532年)4月に寺を建立し、開山したとあります。 -
昔の井戸が残っていました。ここが手水かどうかは微妙ですが。
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曹洞宗の寺院で御本尊は釈迦如来像を安置しています。
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子育水子地蔵様。
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洞雲寺の建つ場所は少し高くなっていて、北側の眺めです。
周囲からは縄文時代の遺構、遺物が見つかっています。 -
西光蜜寺にやってきました。
またまた路地に嵌り、9分もかかってしまいました。 -
西光蜜寺。さいたま市岩槻区本町2丁目3-23。
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六地蔵様。
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安養山弥陀院西光蜜寺。真言宗智山派の寺院です。
近くにある彌勒密寺(岩槻大師)の末寺です。 -
安養山弥陀院西光蜜寺の扁額。
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弘法大師像。
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彌勒密寺(岩槻大師)の参道です。
右上に丸山病院の看板が見えますが、還暦を迎えたSAM(丸山正温)さんの実家が丸山病院です。 -
彌勒密寺(岩槻大師)の山門です。さいたま市岩槻区本町2丁目7-35。
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岩槻大師 彌勒密寺の標柱。
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光岩山の扁額。
提灯には岩槻大師とあります。 -
光岩山釈迦院岩槻大師彌勒蜜寺です。
宝亀5年(774年)の開創で、開山は桓武天皇の兄・開成和尚が金色の弥勒菩薩を安置したそうです。岩槻では一番古い古刹です。
正面の本堂の右にある建物が庫裏で、200円を支払い、地下に広がる四国八十八ヶ所のお砂場に入ることができました。 -
大同2年(807年)5月に弘法大師ご巡錫の折り、本尊大日大聖不動明王を始め、東方守護の降三世明王、南方守護の軍荼利明王、西方守護の大威徳明王、北方守護の金剛夜叉明王を一刀三礼にして謹刻され、五大力尊として安置したと伝わります。
お砂踏みは、本堂の地下に下りると南無大師遍照金剛と唱える声が流れる中、1番札所のお砂から順番に砂踏みをします。そして、自分の数え年の札所の前でお参りをします。お砂踏みを終えたら、本堂へ戻り(上り)、御本尊の左側にある高野山の奥の院を模した場所で御礼参りをします。 -
薬師堂。「オンコロコロセダリマトウギソワカ」と唱えます。
眼病に霊験が高いと有名ですが、どんな病苦も必ず治癒するそうです。 -
子育て人形大師。
弘法大師1150年ご遠忌を記念し建立された修行大師像です。
お大師様の足元で岩槻の人形が見得を切っています。 -
写経剃髪殿。写経は災難を除き幸福を招くと同時に、亡き人への最高の祈りの実践行であり、ご供養の修行となります。自らの分身である毛髪一本と浄書した般若心経を奉納することによって、ご本尊弘法大師さまに結縁できるとあります。
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交通祈祷殿(不動明王堂)。
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不動明王像。北条時宗の時代には蒙古軍撃退を祈願し、その願成就により時宗持念仏の妙澤筆の不動明王を寄進されたと云われます。
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稲荷社。弘法大師1150年のご遠忌を記念して、新築されました。
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千手院。さいたま市岩槻区仲町1丁目1。
江戸時代の初めには、2丁ほど北の方にあったようです。 -
慈眼山千手院は曹洞宗のお寺で、本日お参りした加倉山洞雲寺の末寺として香庵明梅が開山しました。昭和50年に本堂と庫裏が再建されました。
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慈眼山の扁額。
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六地蔵様。
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歴代住職の墓所。
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本堂横の掲示板にあったポスターです。ストレスばかりの世の中で、誰しも悩み迷い、些細なことに惑わされるものです。
9寺参りも無事に終えて、少しは徳を積めたような気がしました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
本年が皆様にとって幸多かれとご祈念いたします。
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