2026/02/02 - 2026/02/02
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jetstreamさん
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岩槻は「人形の町」と言われます
でも、岩槻は中世から明治に至る歴史に深い関りが残る町でもあります
河は元荒川、古隅田川、綾瀬川と一級河川が流れ、街道は日光御成道、鎌倉街道中道、旧奥州街道が通り、そこには時代を語る歴史が残されているのです
今回は、元荒川を下る歴史道を歩きます
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
岩槻を流れる元荒川です
家康が関東に入府する前までは「荒川」の本流でした
家康が江戸に入ると河川工事をおこない、それまでの川(元荒川)の流れを熊谷付近から、西の入間川に流れ込ませ最終的に隅田川として東京湾に流したのです -
川沿いに枯葉を踏みながら歩くと、岩槻文化公園にでます
右手の陸上競技場を過ぎると・・・ -
多目的体育館がありその脇を通っていきます
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この茂みの向こうに元荒川が流れています
足元の看板には「マムシに注意」と書かれてありました -
反対側の藪(?)の中を行くことにします
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陽ざしを遮る藪の路はどこまで続くのでしょうか?
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道が二手に別れている場所まで来ました
左手の路を行くことにします -
「渋江鋳物遺跡」がこの先にあるようです
この辺り一帯は武蔵野国・渋江郷と称していて
室町時代から戦国時代にかけて、「渋江鋳物師」が岩槻周辺で活躍していました -
この遺跡は、渋江郷に住んで鋳物を製造した人々の工房跡で、鋳型や不純物の塊などが発掘されました
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遺跡跡を後にして、きた道を進み竹藪の手前を右に行きます
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村国地区の鎮守「久伊豆神社」にきました
中世、この近くに渋江氏一族(武蔵七党に属す)の館跡があることからおそらくその当時にはあったと思われます -
村国は、岩槻の城下町の東に位置しています
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本殿に通じる道の両脇にある神社の二つの狛犬
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その台座には狛犬を奉納した村人の名前が彫られていました
「岩月加倉」に住む村人のようです
現在では「岩槻」と呼ばれる地名もその昔は「岩月」と書かれていたことは興味深いですね -
神社正面の道筋に庚申塔(庚申塚)が三基並んでいます
中国伝来の道教に由来する石塔で、道標や境界を示す役割を兼ねていました -
猿田彦は道案内の神で「道しるべの神」「部落の神」「農業の守り神」として村の出入り口に祭ったと言われています
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さらに道を行くと、何やら小さな祠がありました
この祠、農家の方が自分の土地に寄進したと書かれていました -
突き当りに柵が道を塞いでいました
脇に人が一人通れる幅があったのでそこから中に入ります -
左手に延々と伸びる舗装道路?
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右手の道も先が見えません
このアスファルト道路は「曙ブレーキ工業」という会社のテスト走行用の道路だったそうです
今は元荒川緑地として開放されており、地元の方のウォーキングやバードウオッチングなどで市民の憩いの場になっています -
道を外れて元荒川の岸に向かいました
枯れ草が足元を覆います -
今は使われなくなったボートの残骸が二つ、打ち捨てられています
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川辺には船着き場として使っていたのでしょうか、人工的に造られた小さな入江跡があります
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先ほどまでの路に戻り、歩き始めました
川岸に行ける道があったので草道をたどると、遠くに赤い橋が見えてきました -
「大野島水管橋」は歩道橋を兼ねる水管橋です
昭和52年に架けられました -
橋の上から見た元荒川上流(左手)
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右手に見える下流、橋を降りたらこの川に沿って行きます
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長い橋ですが、揺れることはありません
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下りる階段の正面にこんもりした森のようなものがあります
その右手にも同じよう木々が見えます
これは昔、大河であった古隅田川がたびたび氾濫を続けて出来上がった自然堤防です
この堤防を利用して整備した道が旧奥州街道でした
今は断片的に残されています -
橋の階段を下りきった場所にあった石道標
この辺りは中世から栄えた地域でもあります -
石道標の斜め後ろに続く細い道を行きます
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農家の前を過ぎると広大な田圃が拡がります
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田圃のあぜ道を行くと、右手に土手に上がる橋がありました
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元荒川です
ここ大戸と向こう岸の末田の間を流れる元荒川は、奥州街道の渡河点であり、幾多の合戦がありました -
土手の上を下流に向かいます
この辺りから桜並木になりました -
土手の左下では農家の方がトラクターで田の土を掘り起こしていました
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土手道を離れます
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正面に神社らしい雰囲気の景色が見えてきました
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大戸の武蔵第六天神社です
「第六天」とは仏教の世界観において人々の浅ましい世界を指します
そこに住む第六天魔王は仏道修行を妨げる天魔として称されています -
武蔵国第六天の一として火防・盗難・疫病を除去し家内安全・五穀豊穣・商売繁昌などにご利益があります
江戸時代になると日光へ往来する旅人が日光街道から曲げて参拝に訪れました -
本殿には信仰の仲立ちの役目を持つ大天狗、烏天狗が宿る御神木があります
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破魔矢、天狗のお守りの他にも様々なお守りがありました
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「厄落とし割石」
願い事を三回言い、割玉をこの要石に投げて割れれば願い事が叶うそうです -
境内には樹齢数百年といわれる藤の花が咲きます
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神社前の脇にあるのが、お目当ての店です
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なんとも小さな店舗
買う場合は、右端のブザーを押します -
岩戸屋の店内、狭い!
狭すぎるのがまたいいのです -
岩戸屋の看板商品「天狗羊羹」
水飴を使わないすっきりした甘さが人気です
この場所でしか売っていません -
さて、神社の裏手にある川辺に下りましょう
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長く続く砂辺では幾人もの釣り人がいました
この辺りは武蔵野国から奥州街道への渡河地点であり、源義経の奥州逃亡の時にもこの荒川(現・元荒川)を渡りました -
土手の桜並木はまだまだ春が遠い、という感じです
この土手の桜道がNHK大河ドラマ「べらぼう」のロケ地となりました -
2025年1月放送開始の第二回以降で撮られたシーンはまさにこのアングルです
この土手道を走るシーン、歩きながら話すシーンが撮られました -
「末田須賀堰」は通称「大戸の堰」と呼ばれています
江戸時代は大きな竹籠に石を詰めたものを多数川に沈めて堰としました -
現在の堰は平成6年に建設、岩槻・春日部・越谷の約3,000haに灌漑用水を供給しています
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橋のたもとに置かれた人形
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橋を渡りきるとここにもお人形がありました
やはり人形の町、岩槻らしいですね -
昔、堰(せき)の高さをめぐる長い争いが続いており、寛延3年(1750)ようやく話し合いがまとまった時に堰の高さを定めこの石杭を設けたのです
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「百堂供養塔」
村の中や近隣のお堂百箇所を数日かけて、人々が念仏を唱えながらめぐる信仰が江戸時代初期からありました -
先を進むと道端に小さな石塔がありました
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上部にはお地蔵さまが彫られていて、その下には「地蔵尊建立」と刻まれています
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朽ちかけた板塀と門が何とも言えない旅情を感じます
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金剛院に到着しました
寛正3年(1462)宥慶上人が、岩槻から現在地に僧坊を移転
この仁王門は将軍徳川綱吉の生母桂昌院から寄進されました -
江戸時代の金剛院は、学問修行所として数多くの僧侶を輩出
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金剛力士像は江戸時代前期の作品です
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参道の木立の先に本堂があります
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天正19年(1591)徳川家康から朱印地10石を賜わっています
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六地蔵とは、地蔵菩薩が六つの世界へ赴くために姿を変えたものです
お墓にある六地蔵は、故人が良い世界に生まれ変わることを願って建てられています -
鐘楼の鐘は元禄三年鑄造の鐘です
さて、ここまで歩いた距離が約6km、元荒川の歴史歩きはここで終わります
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