2023/10/23 - 2023/10/24
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なにか特別な旅行記ではありません。
お仕事の隙間でぶらぶらしたときの記録ですので、さらっと見ていただければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
さいたま市浦和区にある埼玉会館で仕事でした。敷地に謎のオブジェがありました。
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仕事のため麹町へ移動しました。麹町駅の交差点に立つ少年像「夏の想い出」も季節感のあるハロウインの仮装でした。
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麹町のランチはいつも混雑してて悩みます。この日は高田屋で蕎麦をいただきました。蕎麦の量が多いので、爺は食べきれません。
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麹町での仕事を終えて、昨夜は東京グリーンパレスに宿泊しました。翌朝撮影。
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広いベッド。間接照明で、柔らかい雰囲気です。
枕元にコンセントがあったので、スマホの充電プラグを差し込んで眠ったのですが、明け方に見たら充電できてないんです。 -
部屋もまあ広いかな。
スマホの充電をするため、明け方に慌ててテレビの下にあるコンセントに差し込んだのですが、こちらも通電していませんでした。
おいおい、どうする私。 -
バスルーム。バスタブも大きく、お湯の出が良いです。
結局、ドライヤーのコンセントで充電できたのですが、ベッドでスマホを見ることも朝食の写真を撮ることもできず、朝一番から疲れてしまいました。 -
B1Fのレストランで朝食をいただきました。
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普通なら最寄りの麹町駅へ向かうのですが、こういう日は、あえて違う行動をとりましょう。
ということで、四ツ谷駅へ向かう番町文人通りを歩きました。 -
静かな通りでした。
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すると、お寺の屋根が見えました。
千代田区にはたくさんの神社がありますが、お寺は少ないです。
これは立ち寄りしなくては。 -
新宿通りから路地に入ると、心法寺(しんぽうじ)があります。
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お江戸のお寺ですから、家康公のポスターがありました。
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浄土宗 常栄山 心法寺の本堂。
天正18年(1590年)、江戸に入封した徳川家康公ととも三河国から江戸に来た然翁聖山上人が慶長2年(1597年)に開山しました。
心法寺の前身は、推古天皇の頃に三河国に創建された泰法寺と云われています。
千代田区最古にして、墓域を有する唯一のお寺です。 -
松。
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この奥にある墓地には、下野皆川藩松平家の墓所などがありますが、通常関係者以外は入れません。
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塩地蔵尊。地蔵の体に塩を塗ることで身体健康のご利益があると言われています。
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千代田区指定文化財の銅製梵鐘。
延宝4年(1676年)に鋳造されました。 -
千代田区指定文化財の庚申塔。
宝暦2年(1752年)に奉納されたと推測されています。 -
千代田区指定文化財の水盤。
万延2年(1861年)に寄進されました。 -
瓢箪井戸。
現在は災害時の協力井戸となっています。 -
本堂から入り口の方向、新宿通りの側とは思えないほど境内はとても静かでした。
朝から気持ちよく参拝できました。 -
四ツ谷駅からJRさいたま新都心駅へ移動しました。
これから向かう駅から北方向、左の建物はさいたまスーパーアリーナです。 -
さいたまスーパーアリーナの外周沿いの通路歩きます。
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大宮ほこすぎ橋。全長180m。
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大宮ほこすぎ橋を渡りましょう。
さいたまスーパーアリーナと大宮氷川神社参道とを結ぶ「緑の回廊」がコンセプトです。 -
大宮ほこすぎ橋の上から大宮駅の方向。
線路がいっぱいあるので、ドラマの撮影にも使われています。 -
大宮ほこすぎ橋を渡りました。
夜間はライトアップされます。 -
橋の袂に、大宮をどり歌碑がありました。
正調 大宮をどりは、大宮町時代の昭和7~8年頃に作られました。 -
左は旧中山道、右は武蔵一宮 氷川神社の参道です。
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日本一長いと直線の参道と言われている氷川神社の参道は約2,000mです。
全区間を歩いてはいるものの、一度に歩き通したことはありません。 -
一之鳥居。
昭和30年(1955年)建立。
今年、令和5年(2023年)6月に改修工事が完了しました。 -
参道の脇に建てられていました。
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欅並木の参道は真っ直ぐに北へ向かっています。
欅は埼玉県の木であり、さいたま市の木でもあります。 -
一丁石。参道から約120m。
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参道脇にも小さな氷川神社がありました。
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こちらも参道脇の社。
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二丁石。
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車道が終わって、この先は歩行者専用の参道です。
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さいたま市大宮区役所。
昔は埼玉県大宮県税事務所が建っていて、仕事で何度も訪れました。 -
交差点を右折して浅間山を探しますが、この先にあるのかな。
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庚申神社。
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お祀りしているのは、道標を兼ねていたと思われる庚申塔で、青面金剛仏が刻まれています。神仏習合の名残ですが、とても大切にされていると感じます。
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庚申神社のある路地のもう一つ北側の路地を進むと、住宅街の中に木々が見えてきました。
土地勘のある私も浅間山には登ったことはありません。 -
木々に覆われた小山は、東西23.5m、南北21.8m、高さ3.2mの規模です。
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小山の南側に浅間神社の鳥居がありました。
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自治会による由来書きに詳しい説明がありました。
浅間山由来(千間山思考)によると、八代将軍徳川吉宗公の時代、見沼代用水工事を始めるに当たり、測量に必要なために築山を造ったとあります。
この山と工場現場までの距離が約千間(1.8km)あったので、当初は千間山と呼んでいました。 -
頂上までは10数段、あっという間に登頂しました。
築山の頂上は、東西10.6m、南北8mの平坦な地形で、二つの社が建てられています。
江戸中期、富士山の浅間神社を勧請したことから、以来浅間山と呼ばれました。
現在、頂上からの眺望はほとんどありません。 -
浅間神社。
富士山の山開きに合わせ、7月1日に初山行事が行われます。 -
浅間神社には、明治18年(1885年)に建立された、山岡鉄舟が揮毫した「浅間祠」の碑があります。
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頂上にはもう一つの社があります。
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こちらは浅間稲荷神社。埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社を勧請しています。
五穀豊穣、商売繁盛、交通安全等の祈願社として信仰されています。
因みに箭弓(やきゅう)稲荷神社は、野球関係者が参拝することで有名です。 -
浅間稲荷神社に祀られているお札。
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頂上の隅には、御嶽神社の碑もあります。
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もう一つの登山口。
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北側からの様子。
浅間山は、標高15mらしいのですが、地表からは約3mほどの標高差があります。
国土地理院の地形図に記載されていないので、非公式な埼玉県最低山です。 -
先ほどの交差点まで戻りました。
旧大宮市民会館です。この辺りは私が高校生のときの通学路でした。
その頃、「8時だョ!全員集合」の放送が何度か行われていました。 -
旧大宮市民会館の隣は、山丸児童公園です。小さな公園ですが、半世紀ほど前、デビューした頃の浅田美代子さんとお会いしたことがあります。真っ白なドレスを着ていた彼女は天使のように見えました。
握手した手を「洗わないぞ」と思いながら帰宅しましたが、トイレの後にウッカリと洗ってしまい、愚かな自分を罵倒したものです。 -
「旅だち」の像。
一代で佐藤栄(さとえ)学園を築き上げた創立者佐藤榮太郎氏が建立しました。 -
白井助七之碑。
大宮は江戸時代、氷川神社の門前町として、また中山道の宿場町として大いに栄えていましたが、明治維新後、浦和に埼玉県庁が設置されると、大宮はとても寂しくなったそうです。
そんな大宮は、明治16年に日本鉄道が上野~熊谷間に鉄道を開通させたときも駅はできませんでした。
その後、大宮駅と旧国鉄大宮工場を誘致した中心人物が白井助七翁でした。明治18年に大宮駅が開設され、その後の隆盛につながりました。 -
山丸児童公園にはSLが展示されているはずと思い、見回しても見つかりません。
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こんな所に隠されていました。
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隙間からiPhoneを差し込んでC1229号機を撮影しました。
昭和8年2月に山口県下松市の日立製作所笠戸工場で製造されたC1229号機は、横浜、旭川、釧路で活躍した後、大宮に移り昭和44年廃車、昭和45年2月26日に山丸児童公園で静態保存されました。
重量39.5トン、全高3.9m、全長11.39m。
私が小学校の高学年だった頃、大宮駅の操車場で真っ黒い煙を出しながら行きつ戻りつしていたSLを見かけたものでした。どうやらそのSLがC1229号機だったようで、とても感慨深いです。 -
2011年8月の姿です。
-
旧中山道を横断して、南銀座通り(ナンギン)を歩きます。
学校からは通学で使わないように注意されていましたが、私の通学路でした。 -
埼玉県屈指の繁華街ですが、昼間のナンギンは、誰でも歩けます。夜間は誘惑が多すぎて危険です。
大人になって就職したら、ナンギン界隈にお取引様が数軒あり、私の担当でした。
そして転職したら、ナンギンが通勤路になってしまいました。 -
ナンギンの駅側。今はスカウト禁止なんですね。
上田清司前埼玉県知事の浄化作戦により、昔より面白みのない繁華街になってしまいました。 -
昔はナンギンに行く前に、いづみや(立飲み屋)で1、2杯ひっかけてからという方が多かったですね。
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大宮駅コンコースにある「豆の木」。
昭和~平成前期には待ち合わせの目印でした。 -
大宮駅西口を出ると、ソニックシティ前に鐘塚公園があります。
ここに白井助七翁之像があります。 -
山丸児童公園に記念碑のある白井助七翁之像です。碑文では「大宮維新の人」と紹介され、大宮駅と大宮工場の誘致によって「鉄道の町」100年の礎となった功績が讃えられています。さいたま市名誉市民。
余談ですが、さいたま市立漫画会館を遺した北澤楽天翁が名誉市民第1号となっています。
よろしければ、漫画会館の訪問記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11860228 -
鐘塚公園の「鐘の音」像。
何処からか聞こえてくる鐘の音に耳を澄ます親子像。 -
波紋のように広がる鐘の音を象徴するモニュメント。
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屋台も出ていました。
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桜木小学校跡地記念碑、「おおい、ここだよ」像。
同校は、明治35年(1902年)に大宮工場見習養成所の一部を借りて開校しました。 -
桜木小学校は、昭和57年(1982年)から行われた西口再開発事業に伴い移転しました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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