2022/03/05 - 2022/03/05
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FUKUJIROさん
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入間市博物館 ALITを見学して入間市の歴史を学び、明治から大正にかけて茶業や製糸業で繁栄していた時代の史跡が残っていることを知りました。
その代表的な建物が、国道16号線沿いに建つ西洋館です。国道16号線をさいたまから青梅方向に向かうとき、いつも気になっていた建物です。
旧石川組製糸西洋館は、製糸業で成功した地元の実業家・石川幾太郎(いくたろう)氏が取引先のアメリカの貿易商を招くに当り、「(入間市の)豊岡をみくびられてはたまらない。超一流の館を造って迎えよう!」と決意し、大正10年(1921年)頃に建設した迎賓館です。
洋風木造建築で、2階建ての本館に平屋建ての別館が接続しています。
大東亜戦争後、進駐軍に接収されたため改造を受けた箇所があるものの、建設当時の様子が残されている貴重な建物です。現在は、国登録有形文化財(平成13年11月20日登録)になっています。
石川組製糸は、石川幾太郎氏が明治26年(1893年)に創始した製糸会社です。初めはわずか20釜の(手作業の)座繰製糸でスタートし、翌年にはいち早く蒸気力を利用した機械製糸に切り替えました。最盛期には、現在の入間市にあった3工場をはじめ、狭山市や川越市、県外でも福島県・愛知県・三重県・福岡県に工場を持ち、大正11年度(1922)の生糸の出荷高では全国6位を記録するなど全国有数の製糸会社に成長しました。
しかし好事魔多し、翌大正12年9月1日の関東大震災によって、横浜港で船積みを待っていた大量の生糸が焼失してしまうという大きな被害を受けました。その後も昭和恐慌、生糸に代わる化学繊維の出現などの影響により経営不振に陥り、昭和12年(1937年)に解散しました。
西洋館は日時限定で一般公開しています。公開日は入間市博物館 ALITのホームページで確認してください。
蔓延防止中のため、県境越えの移動を自粛しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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西武池袋線の入間市駅。北口の様子です。左側には大きな駐車場、右側の更地には以前は木々が生い茂っていた場所です。再開発するのでしょうか。
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入間市駅の駅舎。北側から。埼玉県在住ですが、初めて利用しました。
車なら30分のところ、自宅から1時間20分もかけて電車で移動しました。 -
河原町交差点。左右に延びる道路は国道16号線、前後に延びる道路は国道299号線で、かつて日光脇往還と呼ばれた道でした。
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国道16号線の外回り方向に、協会が見えました。
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うっかり者の私は国道16号線を歩いてしまい、歩道がなくなってしまいました。
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階段を降りて、国道16号線の下を迂回する道が通れそうです。
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この狭いトンネルを抜けて、道路の反対側へ進みます。
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トンネルを抜けて霞川沿いの小道に出ました。霞川に架かる国道の高倉橋と、西武池袋線の鉄橋。
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霞川に沿って進みます。
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霞川に架かる万世橋。昔々、橋の袂で万吉さんと清吉さんの「みその万清」という店があったことに由来するそうです。また、小林旭さんが映画のロケで来たことがありました。
平成16年の改修で西川材を使用した橋に再生しました。車は通行できません。 -
霞川は市街地を抜けた先で、入間川に合流します。今は穏やかな流れを見せていますが、かつては何度も氾濫を繰り返してきた暴れ川でした。
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日光脇往還を歩き、最初の目的地、旧黒須銀行に着きました。
明治42年(1909年)に建てられた土蔵造りの建物です。 -
日時限定で内部公開しています。
公開日は入間市博物館 ALITのホームページで発表しています。 -
旧黒須銀行は、茶業や味噌醤油醸造業で成功した繁田本家12代の繁田武平満義(はんだぶへいよしみつ)氏が、明治33年(1900年)に設立した銀行で、渋澤栄一翁が顧問を務めていました。
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「堅実主義と華客本位」を本旨とし、地元の基幹産業である製糸業や茶業などに融資し、地域産業の振興に貢献しました。県下第3位の銀行に成長しましたが、大正11年に武州銀行と合併、さらに昭和18年からは埼玉銀行豊岡支店として使用されていました。
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2階へ上る階段から、1階を見たところ。
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2階の会議室。大東亜戦争後、埼玉銀行時代にはジョンソン基地で働く米軍人の給料をこの部屋で袋詰めしていました。
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会議室では、社員研修や勉強会も行われていました。
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大正3年の記念写真。展示写真を複写しました。
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埼玉銀行豊岡支店を閉店した後、埼玉銀行の看板が残っている昭和35年頃の写真。展示写真を複写しました。
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明治時代のガラスが残っているそうで、歪みや気泡を見ることができます。
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1階に降りました。たぶん偉い人の机だっただろう場所からカウンター越しに入り口を見たところです。
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黒須銀行の紋章、「信義」を表わす「信」の一文字が付いている瓦。
入館無料ですが、建物維持のための募金をしていました。 -
繁田本家の長屋門。黒須銀行のすぐ先にあります。
繁田家は江戸時代には代々名主役を務めていた豪農商でした。 -
繁田家は江戸時代後半から味噌醤油醸造業を行い、この門は繁田本家の母屋と隣接している分家の繁田醤油(屋号・西山荘)が今も使っています。
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醸造業で使っていた大釜。
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路地を入った細芳織物工場。市内に数多くあった「ノコギリ屋根」の建物。現存している唯一の工場です。
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北側からの様子。
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北側には、明かり取りの窓が付けられています。
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當摩本店。初代當摩森太郎氏によって明治時代初期に建てられたと伝わる狭山茶業の問屋と店売り、木造2階建ての店舗です。
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閉まっていたので、窓から1階の店舗内部を写しました。
畳敷きの見世があり、客は腰かけて会話しながら商品を選ぶ、「座売り」という昔ながらの販売スタイルを残しています。 -
黒須村の鎮守、春日神社にやって来ました。
真っ直ぐ延びる参道は、約120mあります。 -
長い参道が残されています。
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春日神社(黒須)は、元仁元年(1224年)の創建と伝えられ、当社の別当だった蓮華院は、寂蓮法師(俗称:藤原定長)が建仁元年(1201年)に開山したことから、鎌倉時代初期の創建とされます。
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手水。蛇口を捻ると水が出ます。
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春日神社。御祭神は、天児屋根命、此売神、武甕槌命、経津主命の4柱。
相殿は、素戔嗚尊、大市姫命、倉稲魂命、火産霊命、白山姫命。 -
厳つい顔の狛犬。大正9年(1920年)建立。
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吽形の狛犬。こちらも厳つい顔です。流れ尾形狛犬。
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拝殿は宝暦14年(1764年)に再建された総檜造りで、江戸時代中期から後期の神社建築の特徴を残しています。
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お守りを授かるということではないので、この写真でもご利益は同じだと思います。
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左側の建物が御本殿。拝殿の奥で覆い屋の中にあり、普段は拝観することができません。
当地黒須村の鎮守社として祀られ、明治5年に氷川神社、大正2年に稲荷神社(字秋津)、氷川神社(字久保田)、愛宕神社(字沓切場)、白山社、八雲神社(字後)を合祀しています。 -
境内に鎮座している護国神社の鳥居。昭和29年に建立した護国神社。
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護国神社。日露戦争、シベリア事変、日支事変、大東亜戦で散華した115柱の英霊をお祭りしています。
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社務所。左右に楠の大木が立っています。
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二本の楠は、日露戦争の戦勝記念に植えられました。
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二本の楠は、日露戦争の戦勝記念に植えられました。
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素晴らしい根張りです。ウクライナの戦勝を祈るとともに、日本領土の奪還を誓いました。
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春日神社から10分ほど歩いて蓮花院に着きました。
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わざわざ看板を立てなくてもと思ったのですが、帰りには違法駐車の車がありました。
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蓮花院は、寂蓮法師(俗称:藤原定長)が建仁元年(1201年)に開山した真言宗智山派の寺院です。藤原定長は、僧俊海の子として生まれ、後に叔父である藤原俊成(藤原定家の父)の養子となり、従五位上・中務少輔まで上りましたが、30歳代で出家しました。歌道に通じ、書家としても優れていました。建仁元年、新古今和歌集の撰者となりましたが翌年没しています。
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境内の池。
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庭には池を中心に自然石や燈籠が配されて、松、桜、楓、百日紅などが植えられています。
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六地蔵。
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鐘楼。
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鐘。
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表門を入ると参道がまっすぐ観音堂に向かっています。
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観音堂(入間市指定文化財)は、千手観音を祀り、天保6年(1835年)に再建された総欅、寄棟造の大きな建物です。
内陣の格天井には江野梅青(東松山出身の狩野派画家)の手による花鳥の色彩絵が描かれているようですが、非公開。札所本尊は、千手観世音像で、天文16年(1547年)に鎌倉仏師長慶により再造されました。 -
鰐口。室町中期の寛正2年(1461年)の作品で直径約38cm、厚さ約10cm、重さ約5.2kgです。元は比企郡千手堂村(現在の嵐山町)に奉納されたもののようです。
観音堂の虹梁や欄干には龍や獅子の精巧な彫刻が施されています。 -
遍照金剛像。この台座にはかつて神馬像がありましたが、大東亜戦争に金属供出して失われました。
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お大師様生誕1200年事業として修業大師像を建立しました。
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歴代住職のお墓です。
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表門の外と観音堂の裏に広い墓地があります。この中に石川組製糸を興した石川家のお墓があると聞いていたのですが、広過ぎて場所が分かりません。
お参りに来ていた方に聞くと「あっちの方」と、写真中央の辺りを教えていただきました。 -
石川幾太郎氏(1855年ー1934年)は、黒須村(現在の入間市黒須)で石川金右衛門と妻だいの間に六男三女の長男として生まれました。
明治12年(1879年)には代々続いた茶園を継いで製茶仲買商となりましたが、その後茶業を辞めて製糸業に進出し、一代で石川組製糸を全国有数の会社に伸ばしました。 -
入間地方の経済の担い手として、一時は武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)の社長にも就任しています。また、弟の和助が熱心なキリスト教信者であったことから、この勧めで幾太郎もキリスト教に入信しています。お墓を見る限り、純日本ではありますが。
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石川家墓地の板石塔婆。
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境内に戻りました。
十三塚(彰義隊遭難者の碑)移転の記。
彰義隊は、幕末、渋澤栄一の従兄弟である渋澤成一郎らによって結成された武士隊です。後に成一郎は彰義隊から離れ、振武隊を結成することになり、飯能戦争に突き進むことになりました。 -
こちらは彰義隊遭難者の碑 付き地蔵尊です。
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彰義隊遭難者の碑 付き地蔵尊。
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地蔵尊の台座には正面に「北 くろすみち」、右側面に「西 町屋道」、左に「東いりま川道 かわこえ道」、裏面には「南 とうきょう道」と刻まれ、当時の道標を兼ねていました。
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千日回向名号塔。阿弥陀如来の功徳をたたえる「南無阿弥陀仏」の六文字を正面と左右側面の3面に刻んだ入間市では唯一の名号塔です。延宝9年(1681年)に造立。
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庭。
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観世音菩薩像。出口の門が見えたところで、本堂にお参りしていないことに気づきました。
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宗派 真言宗智山派、総本山智積院(京都東山)。建仁元年(1201年)、寂蓮法師が開山し、約4百年前に(第一世)覚常上人が中興しました。
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世音山 蓮花院 妙智寺の本堂です。御本尊は不動明王です。
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本堂前の庭。奥に見える観音堂との間には柵がありました。
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本堂前の梅。
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本堂前の梅。
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蓮花院を辞し、「新道の家」を見に来ました。
現在も住宅として使われているため、中には入れません。石川組製糸の本店工場で女工総監督を務めていた石川つめが住んでいた家です。隣には歌人・石川信雄が住んでいました。 -
武蔵豊岡教会。W.M.ヴォーリズが設計した教会堂です。国道16号線の拡幅により曳家を行い、外装も一新しました。
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豊岡地区でのキリスト教の布教は、明治22年(1889年)に石川和助氏(幾太郎の弟)により始められました。明治28年には酒蔵を利用した教会堂が建てられましたが、大正時代になると新しい教会堂の建設が望まれ、現在の武蔵豊岡教会が建設されました。
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大正12年、教会堂の建設に当たっては、石川家同族会が建築費の約半分と土地1,000坪を寄贈しました。
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国道16号の拡幅に伴い、平成26年に老朽部分の修繕や耐震補強を行いましたが、内部は昔と変わらぬ姿を保っているそうです。
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当時は製糸工場の女工が通っていたそうです。
今も礼拝が行われています。主日礼拝は日曜日午前10時半。
一般の方は外観のみ拝観できます。 -
旧石川組製糸西洋館。大正10年(1922年)に上棟された国登録有形文化財。
平成29年、屋根を青い洋瓦葺きに葺き替えました。 -
外壁は本館、別館ともに同じ煉瓦調の化粧タイルを貼っており、まるでレンガ造りのように見えますが、木造建築です。
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別館には、キッチン、バス・トイレ、6畳和室、10畳和室、南洋室、南寝室、廊下がありましたが、何度も改修が行われており、また設計図が残っていないため、創建当初の姿は正確にはわかっていません。進駐軍は本館からつながる廊下には洗濯室を作っていました。
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元の敷地は大変広く、西洋館の南側には池を配した庭を造り、茶室や東屋があったといいます。現在は、西洋館のすぐ北側を国道16号線が通り、敷地の大半は失われてしまいました。
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西洋館は東京帝国大学で西洋建築を学んだ室岡惣七(むろおかそうしち)氏が設計しました。建築は川越の宮大工・関根平蔵(せきねへいぞう)氏が担当しました。
建物は洋風木造建築で、2階建ての本館に平屋建ての別館が続いています。 -
本館1階の玄関ポーチ。
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玄関ホールには大理石製の飾り暖炉が置かれています。
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応接室。
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応接室。床のペルシア絨毯も開設当時のものです。
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応接室。床のペルシア絨毯も開設当時のものです。
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応接室の飾り棚。
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応接室の天井は寺社建築にも使われる折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)。周囲を折り上げた天井部は、小さい格子模様をもっています。
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応接室の本棚。幾太郎氏が69歳の記念として大正15年11月に作られた本棚で、4枚の扉には、桐の板材に文字を彫り残す陽刻技法で装飾されています。
右から、八音克諧、無想奪倫、神人以和と刻まれており、中国の歴史書「書経」からの言葉です。左の扉には本棚の由来が記されています。 -
客室。天井は鏡天井という真っ平らなもので、全体に西洋風の造りとなっています。照明には、ステンドグラスの傘が付けられています。
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ベッドが置かれていますが、建設時のものか進駐軍が置いたものか不明です。
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大きな出窓が明るい雰囲気を演出しています。建設当時は広い庭と霞川が見えたことでしょう。現在は国道16号線を走る大型車が見えます。
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食堂。本館1階で一番大きな部屋です。天井は、折上天井で、直線による幾何学的な模様が造られています。
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食堂には建設時から残る大きなテーブルが置かれています。
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食堂の調度品はいずれも建設時のものです。
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食堂の調度品はいずれも建設時のものです。西洋館を描いた絵皿。
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食堂の調度品はいずれも建設時のものです。
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食堂の調度品はいずれも建設時のものです。水差し。
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食堂の調度品はいずれも建設時のものです。特注のグラス。
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食堂の隅には本店工場の模型がありました。現在の入間市黒須にあった本店工場(第一工場)は、1万坪の敷地に約1,200人が働いていました。工場建物や倉庫のほか、女工さんが暮らす建物や医務室、休憩時間を過ごすテニスコートや芝生広場、池もありました。
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階段は特に良質な材を贅沢に使っています。踏み板は全て一枚板で造られています。
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玄関ホールの様子。
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2階ホール。
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2階ホールの天井は、漆喰で造られた折上天井で、建設時からのシャンデリアの淡い光が放っています。
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貴賓室。洋館に招いた外国商人が宿泊した部屋です。
各部屋のなかでも最も贅を尽した作りになっていますが、傷みが激しいため、立入禁止でした。 -
貴賓室の天井。絹布に金泥・銀泥で雲を描き、その周りに小組格天井を配しています。
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浴室の天井。貴賓室の隣の小部屋は進駐軍によってバスルームに改造されており、元の様子は不明です。天井が破損したため、トラス構造の小屋組を見せるために敢えて修繕していない場所です。
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大広間。西洋館で最も広い部屋で、天井は周囲を折り上げた格天井です。床は赤い絨毯の下にコルクが敷かれており、舞踏会をしても1階に音が響きにくいように考えられたもの。
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大広間のステンドグラス。
中廊下階段側の壁にはステンドグラスが作りつけられています。階段の窓から入る光が通り、ステンドグラスを美しく見せています。 -
ステンドグラスの題材は、中国の「四君子(蘭・竹・菊・梅)」を基本としています。四君子のステンドグラスは国内に3例しかなく、貴重な1つです。左から「梅」と「蘭」です。
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さらに「竹」と「菊」のはずですが、菊には見えないので「茶の花と実」ではないかという説もあります。石川家も元々製茶業でした。
作者は東京玲光社の三崎彌三郎氏と推定されています。 -
このステングラス、実は裏側から見ても素敵でした。
特に「梅」は絨毯の赤色が反射して見事でした。 -
大広間から見た別館の屋根。寄棟造で桟瓦葺となっています。
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別館の外壁は本館と同じタイルが使われています。屋根は本館が洋瓦なのに対して別館は日本瓦です。石川家の家紋である「丸に笹竜胆」が使われています。
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本館2階には、2間続きの和室が作られています。
進駐軍は畳を外して板敷きの洋室とし、床の間はクローゼットに改造されてしまいました。東和室から西和室を見た様子。 -
西和室から東和室を見た様子。西洋館が石川家に返還後、元の和室に戻しました。
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二間の間にある欄間は、大正期に活躍した川越の彫刻師・野本民之助義明氏により江戸時代の絵師・酒井抱一の流水文を写して彫られたものです。
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和室の周りにはぐるりと廊下があり、多くの窓があります。廊下の一部には薄縁を敷いています。
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進駐軍がクローゼットにしていた床の間です。
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西和室からは武蔵豊岡教会が見えました。
たぶん建設当時は、敷地が続いていたのではないでしょうか。 -
観覧を終えてベンチで休んでいたら、猫がスリスリしてきました。
人懐っこいので、近くの家で飼われていると思いますが。 -
駅へ戻るため、西洋館の裏へ出ました。この裏口の近くに駐車場もありました。
これだけの建物を維持管理するのは大変なことでしょう。西洋館は平成15年に石川家から入間市に寄贈されました。
お天気に恵まれ、素晴らしい街歩きができました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- パリ好きおばさん 2022/06/04 00:00:06
- フォローといいね!、ありがとうございます。
- なぜか時間がなくて、ほとんど他人様の旅行記を見ないのですが(ダラダラしてるだけかもしれないです)写真が本当にきれいで、見とれてしまいました。旅行はちょびちょび、展覧会がほとんどなのですが、今後ともよろしくお願いします。
- FUKUJIROさん からの返信 2022/06/05 06:40:00
- RE: フォローといいね!、ありがとうございます。
- パリ好きおばさん、こんにちは。
ご訪問いただきましてありがとうございます。
お褒めの言葉をいただきまして、凄くうれしいです。
パリ好きおばさん(失礼)の記事は関西圏が多いので、とても勉強になります。
福富太郎さんのコレクション、私も見たいものです。
展覧会だと写真が撮れないので、ちょっと残念でしたね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
> なぜか時間がなくて、ほとんど他人様の旅行記を見ないのですが(ダラダラしてるだけかもしれないです)写真が本当にきれいで、見とれてしまいました。旅行はちょびちょび、展覧会がほとんどなのですが、今後ともよろしくお願いします。
-
- FUKUJIROさん 2022/05/05 21:17:34
- こんにちは
- salsaladyさん、はじめまして。
そうです。昔の16号は慢性的に渋滞でした。我孫子に親戚がいて、幾度となく16号を通りましたが、大変な思いをしたものです。叔父も鬼籍に入り、いずれ再開の日を楽しみにしているところです。
色々な方の様々な旅行記を読むのが楽しくて、ときには途中で止めることもありますが、それも有りではと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
-
- salsaladyさん 2022/05/05 10:28:29
- 国道16号沿線の変遷~
- ☆最近の埼玉は自己主張を始めた?雰囲気満載で明治~昭和の歴史がいっぱい詰まった貴重な資料みたいですね。
☆千葉にも16号線が通ってまして、かつて熊谷へ出向く時は16号の渋滞を潜り抜け17号に入るとホッとしたものです。(今GWの渋滞が始まってますが?)~
☆FUKUJIROさんのブログを拝見するのは初めてだと思われますが、followされるとのこと、趣味が合いますかどうですか、よろしくお願いします。~see you~
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