2024/05/30 - 2024/05/30
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平安時代、源義家(八幡太郎)が2度の奥州征伐の際にこの地に立ち寄りました
鎌倉時代に入ると、鎌倉と各地を結ぶ道が整備され、中でも主要な幹線道とされたのが鎌倉街道上道、中道、下道の3本です
岩槻には中道(なかつみち)が通っていて奥州に至ります
戦国時代は後北条氏に仕える忍者集団・風魔一族の館跡や寺院があります
そんな岩槻の歴史を歩きます
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
東武野田線・岩槻駅です、お城をイメージしてデザインしたそうです
昔は木造の駅でしたが・・・ -
ここからバスで「目白大学」まで移動します
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洒落た道路を走り、
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10分ほどで、目白大学正門前に到着です
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キャンパス正門前から脇道を歩きます
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これが鎌倉街道中道(なかつみち)です
鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で主要な道としては
信越に抜ける上道(かみつみち)、奥州へ到る中道、常陸へ抜ける下道(しもつみち)がありました -
笹久保八幡神社に着きました
平安時代、八幡太郎こと源義家が2回の奥州征伐の際、のちに鎌倉街道中道となった古道を進みこの地で休息したのです
戦勝祈願のため笹の生い茂った窪地に軍扇を祀ったことから笹久保と名付けられたと言われています -
創建年代は不詳、祭神は誉田別命で笹久保村の鎮守です
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本殿の手前にある土俵です
秋の大祭で奉納される「古式子供土俵入り」は国指定重要無形民俗文化財 -
本殿です
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八幡神社を裏から抜け「常福寺」へと向かいます
この道が日光御成道下道です
実は日光御成道は鎌倉街道中道とほぼ同じ道筋に造られました -
「常福寺」です
養老5年(721)奈良時代に創立された曹洞宗のお寺です -
仁王門の中では阿吽像が睨みを利かしていました
奥に何やら奥に石像が見えます -
本殿に通じる道の脇に並んだ石仏たちです
境内観音堂の聖観世音像は、観応元年(1350)に漁夫の網にかかったものを安置したと伝えられ、「浮谷の観音様」と呼ばれていました -
本堂裏の竹林の向こう側に戦国時代の堀跡があるらしいのです
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歩くこと3~4分「普慶寺」が遠くに見えました
真言宗豊山派のお寺です -
創建年代は不明ですが、寛正4年(1463)室町時代に岩槻城内より移転してきたと伝えられています
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右手前が鐘楼、奥に本堂が見えます
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農家が点在する道を歩きます
実はこの地区は「黒谷」と呼ばれていて、あの風魔一族の里であったと伝えられています
天正9年(1581)北条?政が岩槻城の夜間の防備の重要性を城主に説く手紙の中で風間を加勢に加える文言があります -
木々の向こうに「妙園寺」が見えてきました
このお寺、風間出羽守(風魔一族)の嫡子、雨宮主水正が戦国時代に開基しました
ここには地獄で川を渡ってきた死者の着物をはぎ取る「三途河(ショウツカ)婆さん」の木造があります -
妙園寺を出て曲がりくねった狭い道路をしばらく歩きます
左手に竹林が現れました -
この辺りが風魔の館があった場所と言われています
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道路から竹林の脇を歩ける道?があったので奥に入ります
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一段高くなったこの場所に「風魔の館」があったと思われます
地図では「黒谷の館」と記されていました -
さて、次の目的地に向かいます
右手にお堂が見えます -
お堂を過ぎた左に「黒谷の久伊豆神社」がありました
鳥居が二つあります -
二つ目の鳥居の額をよく見ると・・・
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額に「源氏八幡宮」と書かれています
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久伊豆神社本殿の脇に「源氏八幡宮」のお宮がありました
源野義家は前九年、後三年の奥州征伐の際、この地に立ち寄ったという伝承が伝わっています -
本殿前の石碑に「乃木大将閣下御苗代」と書かれていました
裏に書かれた「明治39年」は日露戦争終結の年です
何かの記念でしょうか? -
久伊豆神社を出て畑の拡がる道をのんびりと歩きます
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ゆるやかな曲がった道の先に「遍照院」がありました
真言宗のお寺で、創建年代等は不詳です -
墓地には戦国期の風魔一族の嫡子・雨宮主水正の一族の墓が残っています
もともとは、先ほど寄った「妙園寺」にお墓がありましたがこちらに移したとされています -
風魔一族「雨宮家」のお墓です
中央の新しいお墓の右側の石碑には「文化元年」(1804年)と記されています
この雨宮家が毎年正月と7月に岩槻太田の浄源寺と黒谷村の妙円寺と遍照院に付け届けをしていたそうです -
朽ちた主のいない家の門
昔は門の向こうに広がる庭と瓦屋根の邸宅があったのでしょうね -
田園が拡がる道を歩きます
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「勝軍寺」の前に来ました
創建年代等は不詳、天正2年(1573)京都の仁和寺から勝軍寺の寺号を拝領 -
手前に神社らしき建物とその向こうにお寺の大きな伽藍
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六地蔵の向こうが本堂です
武蔵国八十八ヶ所霊場40番です -
鐘楼と本堂
徳川家康が関東入国した際、寺領3石の御朱印状を受領しました -
お寺の本堂脇を出るとすぐ「尾ケ崎八幡神社」です
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おや??
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鳥居の額をよく見ると「八幡宮」の文字の「八」が「鳩」の図柄になっています
鎌倉八幡宮の額と同じです -
源義家が2度の奥州征伐の途中、武運長久を祈願したその桑の木の株を神体として八幡神を祀ったと伝えられます
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笹久保バス停に来ると畑の向こうに「さいたまアリーナ」の大屋根が見えました
ここからバスに乗り岩槻駅に戻ります
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