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2月23日は天皇陛下のお誕生日のため祝日ですが、私は午後から仕事でした。県北部まで行くので、ちょっと寄り道をしてときがわ町にある天台宗の慈光寺に参拝することにしました。というのも、先日訪れた入間市博物館 ALITで、800年ほど前には慈光茶というお茶が武蔵国の銘茶として、川越茶とともに高い評価を受けていたのだと知ったからです。<br />その時の訪問記録です。https://4travel.jp/travelogue/11739613<br />しかも、ときがわ町の山中にある慈光寺には、埼玉県に僅か五つしかない国宝の一つ「法華経一品経28品29巻(うち5巻後補)、 無量義経1巻、観普賢経1巻、阿弥陀経 1巻、般若心経1巻、合計33巻」(通称、国宝「慈光寺経」)が残されているといのです。<br />鎌倉時代の初期に作られた装飾経の代表作で、後鳥羽上皇他32人の公卿門跡が書写したものです。明治39年4月14日に旧国宝に指定され、埼玉県内で最初の国宝となりました。<br />寺伝では天武天皇2年(673年)に僧・慈訓が千手観音堂を建てて観音霊場として開基し、役小角が西蔵坊を設け修験道場としました。奈良時代になると、鑑真和上の高弟・釈道忠が慈光寺を開山しました。<br />鎌倉時代が慈光寺の全盛期で、支院七十五坊を数え、壮大な寺院群は輪奐の美を誇っていたようです。戦国時代は僧兵を傭し、近隣の城主と抗争していましたが、遂に太田道灌公に焼かれ、栄華を誇った寺院も衰運をたどることになりました。<br />そんな歴史がある慈光寺ですが、正直なところ、少しがっかりなお寺でした。お寺にがっかりというよりも、お寺の経営者にがっかりといった方が正しいのですが。それは記事の中にポツポツと書いておきます。<br />慈光寺は、公共交通機関では行き難い場所です。どうしても行きたい方は公式HPでご確認ください。<br />当時は蔓延防止中のため、県境越えの移動を自粛していました。

嫌味な住職に脅された都幾川山中の天台宗・慈光寺

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2022/02/23 - 2022/02/23

18位(同エリア254件中)

旅行記グループ 埼玉の旅その2

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2022/02/23

  • 自宅から車で移動。 慈光寺は公共交通機関では大変です。

  • 車で移動

この旅行記スケジュールを元に

2月23日は天皇陛下のお誕生日のため祝日ですが、私は午後から仕事でした。県北部まで行くので、ちょっと寄り道をしてときがわ町にある天台宗の慈光寺に参拝することにしました。というのも、先日訪れた入間市博物館 ALITで、800年ほど前には慈光茶というお茶が武蔵国の銘茶として、川越茶とともに高い評価を受けていたのだと知ったからです。
その時の訪問記録です。https://4travel.jp/travelogue/11739613
しかも、ときがわ町の山中にある慈光寺には、埼玉県に僅か五つしかない国宝の一つ「法華経一品経28品29巻(うち5巻後補)、 無量義経1巻、観普賢経1巻、阿弥陀経 1巻、般若心経1巻、合計33巻」(通称、国宝「慈光寺経」)が残されているといのです。
鎌倉時代の初期に作られた装飾経の代表作で、後鳥羽上皇他32人の公卿門跡が書写したものです。明治39年4月14日に旧国宝に指定され、埼玉県内で最初の国宝となりました。
寺伝では天武天皇2年(673年)に僧・慈訓が千手観音堂を建てて観音霊場として開基し、役小角が西蔵坊を設け修験道場としました。奈良時代になると、鑑真和上の高弟・釈道忠が慈光寺を開山しました。
鎌倉時代が慈光寺の全盛期で、支院七十五坊を数え、壮大な寺院群は輪奐の美を誇っていたようです。戦国時代は僧兵を傭し、近隣の城主と抗争していましたが、遂に太田道灌公に焼かれ、栄華を誇った寺院も衰運をたどることになりました。
そんな歴史がある慈光寺ですが、正直なところ、少しがっかりなお寺でした。お寺にがっかりというよりも、お寺の経営者にがっかりといった方が正しいのですが。それは記事の中にポツポツと書いておきます。
慈光寺は、公共交通機関では行き難い場所です。どうしても行きたい方は公式HPでご確認ください。
当時は蔓延防止中のため、県境越えの移動を自粛していました。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
  • ときがわ町のトレッキングコース インフォメーションセンター。<br />現在はトイレのみ使用できます。隣に登山者向けの無料駐車場(約20台)があります。

    ときがわ町のトレッキングコース インフォメーションセンター。
    現在はトイレのみ使用できます。隣に登山者向けの無料駐車場(約20台)があります。

  • インフォメーションセンターを過ぎて「宿」の交差点を右折すると上り坂の道が続きます。

    インフォメーションセンターを過ぎて「宿」の交差点を右折すると上り坂の道が続きます。

  • 山間に見えた梅の花。

    山間に見えた梅の花。

  • 慈光坂の途中で開けた場所に出ました。<br />ここにはかつて慈光寺の山門があったとされています。<br />

    慈光坂の途中で開けた場所に出ました。
    ここにはかつて慈光寺の山門があったとされています。

  • 様々な石造物が立ち並んでいますが、代表的なものは県指定文化財の青石塔婆(あおいしとうば)です。小川町下里や長瀞町で産出する緑泥石片岩により作成された供養塔で、武蔵型板碑の代表的な景観となっています。

    様々な石造物が立ち並んでいますが、代表的なものは県指定文化財の青石塔婆(あおいしとうば)です。小川町下里や長瀞町で産出する緑泥石片岩により作成された供養塔で、武蔵型板碑の代表的な景観となっています。

  • 中央付近には2mを超す大型の板碑5基が並んでおり、左から、<br />貞治4年(1365年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、<br />元享4年(1324年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、<br />元享4年(1324年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、<br />徳治2年(1307年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、<br />寛正5年(1465年)銘 胎蔵界大日種子板碑です。<br />多くは僧侶が生前に行う逆修供養塔で、慈光寺の各僧坊にあったものを集めたといいます。

    中央付近には2mを超す大型の板碑5基が並んでおり、左から、
    貞治4年(1365年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、
    元享4年(1324年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、
    元享4年(1324年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、
    徳治2年(1307年)銘 阿弥陀一尊種子板碑、
    寛正5年(1465年)銘 胎蔵界大日種子板碑です。
    多くは僧侶が生前に行う逆修供養塔で、慈光寺の各僧坊にあったものを集めたといいます。

  • 江戸時代の絵図によると、この場所には仁王門が建っていました。<br />現地案内板を複写しました。

    江戸時代の絵図によると、この場所には仁王門が建っていました。
    現地案内板を複写しました。

  • かつての山門跡(板碑群)の前から、山中に分け入る女人道があります。<br />持光寺は女人禁制だったため、観音様へお参りする女性達は、この道を登ったそうです。<br /><br />

    かつての山門跡(板碑群)の前から、山中に分け入る女人道があります。
    持光寺は女人禁制だったため、観音様へお参りする女性達は、この道を登ったそうです。

  • 慈光坂、ここから先は車のすれ違いが難しい道が続きます。

    慈光坂、ここから先は車のすれ違いが難しい道が続きます。

  • 道路右側に建物が見えてきました。この鐘楼の手前で道幅が広がっているので、車を停めました。

    道路右側に建物が見えてきました。この鐘楼の手前で道幅が広がっているので、車を停めました。

  • 慈光寺開山塔(開山塔の覆屋)です。<br />慈光寺は鑑真和上の高弟・釈道忠が開山したと伝わり、この覆屋の中に、高さ5.1mの木造ニ重宝塔が建立されているそうです。国指定重要文化財となっている宝塔は天文25年(1556年)頃に再建されたようです。<br />しかし、どう見ても覆屋の高さは5.1mより低いのです。地中に掘り下げて造られているのでしょうか。

    慈光寺開山塔(開山塔の覆屋)です。
    慈光寺は鑑真和上の高弟・釈道忠が開山したと伝わり、この覆屋の中に、高さ5.1mの木造ニ重宝塔が建立されているそうです。国指定重要文化財となっている宝塔は天文25年(1556年)頃に再建されたようです。
    しかし、どう見ても覆屋の高さは5.1mより低いのです。地中に掘り下げて造られているのでしょうか。

  • 釈迦堂跡。現在は基壇のみが残っていますが、昭和60年11月26日の火災(放火とされています)で焼失する前は、元禄8年(1695年)に再建された釈迦堂とその東隣に蔵王堂が建っていました。<br />この火災で、高さ2.26mの釈迦如来坐像、かつての山門から移されていた3.5mの仁王像、蔵王堂の蔵王権現立像が焼失しました。

    釈迦堂跡。現在は基壇のみが残っていますが、昭和60年11月26日の火災(放火とされています)で焼失する前は、元禄8年(1695年)に再建された釈迦堂とその東隣に蔵王堂が建っていました。
    この火災で、高さ2.26mの釈迦如来坐像、かつての山門から移されていた3.5mの仁王像、蔵王堂の蔵王権現立像が焼失しました。

  • 慈光寺と刻まれた岩。

    慈光寺と刻まれた岩。

  • 鐘楼。

    鐘楼。

  • 鐘楼。

    鐘楼。

  • 国指定重要文化財の寛元三年銘の銅鐘で、埼玉県で最古の銅鐘です。この鐘は寛元3年(1245年)に栄朝が願主となって奉納されました。<br />鋳造者の物部重光は鎌倉建長寺の国宝梵鐘や鎌倉大仏を手掛けた鎌倉期関東鋳物師の代表的名工です。

    国指定重要文化財の寛元三年銘の銅鐘で、埼玉県で最古の銅鐘です。この鐘は寛元3年(1245年)に栄朝が願主となって奉納されました。
    鋳造者の物部重光は鎌倉建長寺の国宝梵鐘や鎌倉大仏を手掛けた鎌倉期関東鋳物師の代表的名工です。

  • 本堂へ続いていそうな山道。

    本堂へ続いていそうな山道。

  • 鐘楼付近からは南側が開けていました。

    鐘楼付近からは南側が開けていました。

  • 慈光寺の駐車場。中央の建物はトイレ、右の建物はお土産屋さんですが、しばらく閉店している様子です。<br />この開けた土地には、往時いくつもの僧坊があったことでしょう。

    慈光寺の駐車場。中央の建物はトイレ、右の建物はお土産屋さんですが、しばらく閉店している様子です。
    この開けた土地には、往時いくつもの僧坊があったことでしょう。

  • この案内図のとおりですが、斜面に建てられた各施設へ行くには坂道と階段を歩きます。

    この案内図のとおりですが、斜面に建てられた各施設へ行くには坂道と階段を歩きます。

  • 以前はこの駐車場まで町営バスが来ていたらしいのですが、今では時刻表も剥がされ、バスは運行されていません。

    以前はこの駐車場まで町営バスが来ていたらしいのですが、今では時刻表も剥がされ、バスは運行されていません。

  • 今は乗合タクシーを利用するようです。

    今は乗合タクシーを利用するようです。

  • 順路に従って進みます。

    順路に従って進みます。

  • 山門。

    山門。

  • 写真の左端、濃い緑色の葉がお茶の木です。狭山茶の原型の一つともされている慈光茶で、普通のお茶の木よりも葉が大きい特徴があります。

    写真の左端、濃い緑色の葉がお茶の木です。狭山茶の原型の一つともされている慈光茶で、普通のお茶の木よりも葉が大きい特徴があります。

  • 山門の扁額。<br />飛鳥時代の天武天皇2年(673年)、慈訓がこの地に観音霊場を開き、宝亀元年 (770年)に鑑真の弟子である釈道忠によって慈光寺として創建されました。関東では最古の山岳寺院のようです。

    山門の扁額。
    飛鳥時代の天武天皇2年(673年)、慈訓がこの地に観音霊場を開き、宝亀元年 (770年)に鑑真の弟子である釈道忠によって慈光寺として創建されました。関東では最古の山岳寺院のようです。

  • 都幾山 一乗法華院 慈光寺。山号となっている都幾山の山頂近い場所にあり、標高312mです。<br />本堂の入り口にベタベタと貼り紙してあり、些か見苦しいです。<br />老夫婦らしい訪問客に何やら説明している住職らしき人の話し声が聞こえましたが、本堂内を見学するには御祈祷を頼まないとダメらしい。

    都幾山 一乗法華院 慈光寺。山号となっている都幾山の山頂近い場所にあり、標高312mです。
    本堂の入り口にベタベタと貼り紙してあり、些か見苦しいです。
    老夫婦らしい訪問客に何やら説明している住職らしき人の話し声が聞こえましたが、本堂内を見学するには御祈祷を頼まないとダメらしい。

  • 本堂(阿弥陀堂)。この中に国宝の「慈光寺経」を陶板に焼いた模写が展示してあるらしいのですが、観る気が失せてしまいました。<br />御本尊は千手観音像ですが、本堂ではなく、観音堂に安置されています。

    本堂(阿弥陀堂)。この中に国宝の「慈光寺経」を陶板に焼いた模写が展示してあるらしいのですが、観る気が失せてしまいました。
    御本尊は千手観音像ですが、本堂ではなく、観音堂に安置されています。

  • 時の鐘。

    時の鐘。

  • 時の鐘。天明3年(1783年)に鋳造された鐘で、大正年間に廃絶した塔頭・浄土院から移設したものです。

    時の鐘。天明3年(1783年)に鋳造された鐘で、大正年間に廃絶した塔頭・浄土院から移設したものです。

  • 本堂前には慈覚大師円仁お手植えと伝えられる、県指定天然記念物の多羅葉樹(たらようじゅ)があります。樹高18.1m、幹回り2.7mの巨木です。<br />多羅葉樹は静岡県以西に自生し、葉面を傷つけると黒色に跡が残り字が書けることから「葉書」の語源ともいわれ、郵便局の木に定められています。

    本堂前には慈覚大師円仁お手植えと伝えられる、県指定天然記念物の多羅葉樹(たらようじゅ)があります。樹高18.1m、幹回り2.7mの巨木です。
    多羅葉樹は静岡県以西に自生し、葉面を傷つけると黒色に跡が残り字が書けることから「葉書」の語源ともいわれ、郵便局の木に定められています。

  • 宝物殿 金蓮蔵。<br />公式HPでは拝観料300円となっていましたが、500円に値上げされていました。展示スペースは狭くて薄暗いです。展示品も多くはありません。私は頑張って15分ほど観ていましたが、後から来たトレッキング姿の女性は5分ほどで退室していました。

    宝物殿 金蓮蔵。
    公式HPでは拝観料300円となっていましたが、500円に値上げされていました。展示スペースは狭くて薄暗いです。展示品も多くはありません。私は頑張って15分ほど観ていましたが、後から来たトレッキング姿の女性は5分ほどで退室していました。

  • 宝物殿内部の撮影は一切禁止です。大きな張り紙がありました。<br />境内の写真を撮っていた私を見ていたのでしょう「撮影したら罰金百万円です」と坊さんに恫喝されてしまいました。<br />展示物を観る気がますます失せてしまいましたが、500円も払ってしまったので、泣きそうになりながら留まりました。入場料の金額も雑な直し方です。

    宝物殿内部の撮影は一切禁止です。大きな張り紙がありました。
    境内の写真を撮っていた私を見ていたのでしょう「撮影したら罰金百万円です」と坊さんに恫喝されてしまいました。
    展示物を観る気がますます失せてしまいましたが、500円も払ってしまったので、泣きそうになりながら留まりました。入場料の金額も雑な直し方です。

  • 宝物殿 金蓮蔵には、もちろん国宝を展示していません。このままでは何も記憶に残らないので、悔しいですが慈光寺経をカラーコピーした資料(部分)を購入しました。展示内容については公式HPを見るのが一番良くわかります。<br />慈光寺経は、三十三巻の豪華絢爛な装飾経で鎌倉時代の初めに作られました。本物は東京国立博物館所蔵です。

    宝物殿 金蓮蔵には、もちろん国宝を展示していません。このままでは何も記憶に残らないので、悔しいですが慈光寺経をカラーコピーした資料(部分)を購入しました。展示内容については公式HPを見るのが一番良くわかります。
    慈光寺経は、三十三巻の豪華絢爛な装飾経で鎌倉時代の初めに作られました。本物は東京国立博物館所蔵です。

  • 道路から見た宝物殿。

    道路から見た宝物殿。

  • 慈光寺周辺を中心に、ときがわ町内自生するシャガは白っぽい紫のアヤメに似た花をつけます。

    慈光寺周辺を中心に、ときがわ町内自生するシャガは白っぽい紫のアヤメに似た花をつけます。

  • 紺紙金字一字宝塔心経(陶板)。慈光寺から唐招提寺に献上したものと同じものを展示していました。

    紺紙金字一字宝塔心経(陶板)。慈光寺から唐招提寺に献上したものと同じものを展示していました。

  • 申八梵王(さるはちぼんのう)。

    申八梵王(さるはちぼんのう)。

  • 猿は古くから山の神の使いとして信じられており、この石像は「お猿さん」とか「申八梵王」と呼ばれていました。天明6年(1786年)丙午9月19日と刻まれています。

    猿は古くから山の神の使いとして信じられており、この石像は「お猿さん」とか「申八梵王」と呼ばれていました。天明6年(1786年)丙午9月19日と刻まれています。

  • 般若心経堂。

    般若心経堂。

  • 般若心経堂にも国宝「慈光寺経」を陶板に焼いた模写が展示されています。

    般若心経堂にも国宝「慈光寺経」を陶板に焼いた模写が展示されています。

  • 般若心経堂にも国宝「慈光寺経」を陶板に焼いた模写が展示されています。<br />入り口が閉じられていたので、窓から覗きました。

    般若心経堂にも国宝「慈光寺経」を陶板に焼いた模写が展示されています。
    入り口が閉じられていたので、窓から覗きました。

  • 如意輪観音。観自在菩薩が説法する際のお姿といわれています。

    如意輪観音。観自在菩薩が説法する際のお姿といわれています。

  • こちの如意輪観音は、元は浄土院念仏堂にあり、赤子を抱く慈母観音のお姿です。

    こちの如意輪観音は、元は浄土院念仏堂にあり、赤子を抱く慈母観音のお姿です。

  • 弥陀一尊種子板碑。自然石に刻んだ復元板碑です。元は畠山重忠・重保父子の追悼のため、弘長2年(1262年)に浄土院に建てられたものでした。

    弥陀一尊種子板碑。自然石に刻んだ復元板碑です。元は畠山重忠・重保父子の追悼のため、弘長2年(1262年)に浄土院に建てられたものでした。

  • 般若心経堂。

    般若心経堂。

  • 月の井跡。今では枯渇してしまいましたが、慈光寺山中には、かつて七つの井戸がありました。阿伽の井、月の井、星の井、和田の井、塔の井、独鈷(とっこ)の井、丹花(たんげ)の井で、残っているのは、阿伽の井、月の井、星の井の3つのみとなっています。

    月の井跡。今では枯渇してしまいましたが、慈光寺山中には、かつて七つの井戸がありました。阿伽の井、月の井、星の井、和田の井、塔の井、独鈷(とっこ)の井、丹花(たんげ)の井で、残っているのは、阿伽の井、月の井、星の井の3つのみとなっています。

  • この石段の上に天文18年(1549年)に建立された観音堂があります。<br />観音堂に安置されている千手観音像は、慈光寺の御本尊であり、毎年4月17日及び4月第2日曜日に本尊開扉護摩が執り行われるそうです。ただし、ガラス越しに観るので、あまり良く見えないとの声も聞きました。<br />私はこの石段を上る気力を失っていたので、ただ見上げていました。<br />観音堂には、左甚五郎作と伝わる「世荒らしの名馬」が天井から吊るされていたり、外側の彫刻も素敵らしいようなので、やっぱり見ておけば良かったと反省しています。

    この石段の上に天文18年(1549年)に建立された観音堂があります。
    観音堂に安置されている千手観音像は、慈光寺の御本尊であり、毎年4月17日及び4月第2日曜日に本尊開扉護摩が執り行われるそうです。ただし、ガラス越しに観るので、あまり良く見えないとの声も聞きました。
    私はこの石段を上る気力を失っていたので、ただ見上げていました。
    観音堂には、左甚五郎作と伝わる「世荒らしの名馬」が天井から吊るされていたり、外側の彫刻も素敵らしいようなので、やっぱり見ておけば良かったと反省しています。

  • ただ、元々の観音堂はこの石段の下(この看板辺り)に建てられていたようです。

    ただ、元々の観音堂はこの石段の下(この看板辺り)に建てられていたようです。

  • 気持ちを切り換えて、慈光寺の支院で唯一残っている霊山院に移動します。

    気持ちを切り換えて、慈光寺の支院で唯一残っている霊山院に移動します。

  • 霊山院(りょうぜんいん)にやって来ました。駐車場は雪に覆われていました。慈光寺より50~60m高いだけの場所ですが、もっと気温差を感じました。

    霊山院(りょうぜんいん)にやって来ました。駐車場は雪に覆われていました。慈光寺より50~60m高いだけの場所ですが、もっと気温差を感じました。

  • 駐車場の奥には鎮守社がありました。

    駐車場の奥には鎮守社がありました。

  • 拈華山 霊山院は、慈光寺の住持栄朝が後鳥羽天皇から勅命を受け、建久8年(1197年)に塔頭として創建しました。慈光寺は天台宗ですが、霊山院は臨済宗です。<br />栄朝は臨済宗の開祖栄西に師事していたことから、関東で最も古い禅宗寺院と言われます。「東関最初禅窟」の勅額があり、勅使門もあります。

    拈華山 霊山院は、慈光寺の住持栄朝が後鳥羽天皇から勅命を受け、建久8年(1197年)に塔頭として創建しました。慈光寺は天台宗ですが、霊山院は臨済宗です。
    栄朝は臨済宗の開祖栄西に師事していたことから、関東で最も古い禅宗寺院と言われます。「東関最初禅窟」の勅額があり、勅使門もあります。

  • 一休さん像。

    一休さん像。

  • 標柱と勅使門。勅使門は開かずの門です。

    標柱と勅使門。勅使門は開かずの門です。

  • 英霊碑。

    英霊碑。

  • 慰霊碑。

    慰霊碑。

  • 天皇の勅願で出来た寺の威厳を感じさせる勅使門(ちょくしもん)です。建久8年(1197年)建立、宝暦6年(1756年)改修、平成9年(1997年)屋根を銅板葺替え改修しました。

    天皇の勅願で出来た寺の威厳を感じさせる勅使門(ちょくしもん)です。建久8年(1197年)建立、宝暦6年(1756年)改修、平成9年(1997年)屋根を銅板葺替え改修しました。

  • 拈華山(ねんげさん)の扁額。

    拈華山(ねんげさん)の扁額。

  • こちらは中門で、門扉のない三間一戸薬医門。

    こちらは中門で、門扉のない三間一戸薬医門。

  • 石仏。台座には、「南無大師遍照金剛」と刻まれています。臨済宗では「南無釈迦牟尼仏」のはずですが、なぜでしょう。

    石仏。台座には、「南無大師遍照金剛」と刻まれています。臨済宗では「南無釈迦牟尼仏」のはずですが、なぜでしょう。

  • 十三重石塔。平成18年建立。

    十三重石塔。平成18年建立。

  • 板石塔婆(県指定文化財)。永仁4年(1296年)銘のある2mを超える大型板碑です。阿閦如来(ウーン)を表す梵字が刻まれています。その下に造立趣旨、紀年を刻んでいます。

    板石塔婆(県指定文化財)。永仁4年(1296年)銘のある2mを超える大型板碑です。阿閦如来(ウーン)を表す梵字が刻まれています。その下に造立趣旨、紀年を刻んでいます。

  • 釈迦牟尼仏。

    釈迦牟尼仏。

  • 本堂。江戸時代中期の宝永4年(1707年)建立です。昭和46年(1971年)に改築されました。<br />御本尊のほか、客仏の鉄造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代前期、34cm)が埼玉県指定重要文化財となっています。<br />元禄5年(1692年)作の木像栄朝禅師像も安置されています。<br />事前に予約をすると本堂の仏像を拝観することができます。

    本堂。江戸時代中期の宝永4年(1707年)建立です。昭和46年(1971年)に改築されました。
    御本尊のほか、客仏の鉄造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代前期、34cm)が埼玉県指定重要文化財となっています。
    元禄5年(1692年)作の木像栄朝禅師像も安置されています。
    事前に予約をすると本堂の仏像を拝観することができます。

  • 本堂に続く右側の建物は客殿。その先に庫裏と座禅堂があります。

    本堂に続く右側の建物は客殿。その先に庫裏と座禅堂があります。

  • 水琴窟。甕の水を竹の根本に注ぐのですが...。

    水琴窟。甕の水を竹の根本に注ぐのですが...。

  • 甕の水が凍っていました。やはり気温が低いのですね。

    甕の水が凍っていました。やはり気温が低いのですね。

  • 石碑。お陰様の碑。

    石碑。お陰様の碑。

  • 石碑。つつじ観音の歌碑。

    石碑。つつじ観音の歌碑。

  • つつじ観音像。霊山院は躑躅の寺として知られているそうです。境内もきれいに保たれていて、慈光寺で傷ついた心を癒やしていただきました。<br />最後までお読みいただきましてありがとうございました。

    つつじ観音像。霊山院は躑躅の寺として知られているそうです。境内もきれいに保たれていて、慈光寺で傷ついた心を癒やしていただきました。
    最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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